日本が斬られる
東京新聞出版局
絶版
|
はじめに 本当の危機とは何か
現在の日本は、あらゆる種類の危機が一種の洪水状態を呈しており、それが音になり活字になって、日本列島全域に氾濫している。
石油、エネルギー、食料、財政をはじめとした各種の資源や、教育、報道、経済、政治といった制度における機能上の行き詰まりが、現在の危機現象を多彩な内容にしている。しかも、人間の生き方を最も基本的なところで支えている文化や文明といった大きな枠組さえが、奇妙なきしみの音をたてて人びとの危機感を盛り上げている。
「危機の時代」。これこそ現代の姿を最も適確に言い表わすことばかもしれないし、危機ということばは現代人の精神状況を象徴し、しかも人びとに最も好まれている自己規定の仕方かもしれない。
私自身も一〇年ほど前に石油開発を主題にして、『石油危機と日本の運命』という本を書いて読者の批判を仰いだ経験がある。しかし、当時は危機を口にしたり活字にするのは異端であり、おかしなことを考える人間がいる、と思われる時代性が支配的であった。現に私が書き上げた草稿は沢山の編集者たちによって出版を拒絶されたものだし、その結果、二年間も陽の目を見ないまま、一九七三年の石油パニック直前に辛うして上梓されるという有様だった。
この頃ではむしろ逆で、危機を口にしないとかえって変人扱いされる始未で、一〇年昔を思い出すと隔世の感がある。異常が正常になり、常態が変態になったという意味で、価値の墓準が大幅に変化したわけだが、人間や社会にとっては、危機の本質というものは、そうやたらに変わるはずがないのである。
現在とりざたされているさまざまな危機の内容が一体どんなものであり、なぜ危機と呼ばれてにぎやかに取り上げられねばならないのか、と思い続けていたので、久しぶりの帰国を利用して、私は都心の大きな書店に出掛けて、書棚に並んでいる本をいろいろ手に取ってみた。そこには、私がかつて危機について問題提起をした時に、首をかしげたり冷笑した人びとを含めて、沢山の人びとがしたり顔で危機について書いている本が山のようにあって、実に興味深い発見に私は感動さえした。それにしても、吹きすさぶ危機の嵐の中にあって、私は何かが欠けているという気持をぬぐい去ることができなかった。確かに何かが欠けていて、それも最も重妻なものが現在の危機ブームから取り残されたままだ、という印象が私の気持をいらだたせた。
奇妙なことだが、危機ということばが氾濫し、危機が強く訴えられて、人びとの不安感がかき立てられるほど、私には虚しい気分が高まった。それは何か問題の核心がはぐらかされているように思われてならないからである。
こんな奇妙な気分は、どこかでかつて出会った感じだが、一体どんな機会だったろうと考えて記憶の糸をたどってみて、行き当たったところは太平洋戦争だった。われわれの両親の世代があの戦争の前後を通じて体験した国難のキャンペーンと、ジリジリと日ごとに進行した破綻への過程がそれであり、突然私の目の前に『暗黒日記』が思い浮かんだ。清沢冽の『暗黒日記』は、このプロセスを最も純粋に結晶させた記録であり、あの戦争がわれわれに残した最大の遺産のひとつに他ならなかった。
もしも清沢冽が現代に生きているとしたら、おそらく彼はある日の日記の書き出しに、「本当の危機とは何だろう」ということばを記しているのではあるまいか、と思った。この瞬間、私は自分の目に張りついていた鱗が一枚はがれたと感じたのであり、一九八〇年春のある日、この対談をしたことによって、更にもう一枚の鱗が私の目から落ちたのである。
藤原肇
目次
目次
はじめに 本当の危機とは何か
立ち枯れゆく刹那天国
小壺天の世界/竜宮志願/壺のうちそと/刹那天国日本/ディメンション・ショック/ヤマトニズメーション/ジャーナリズムの小壺天症候群/趣味の情報/立ち枯れた日本文化と出版事業/小手先の時代/「分」と座標軸/国際化における相対化と絶対化/《キリドバ》世代と《ヤスリ》人間/新しい攘夷思想の登場/パニック誘発型社会意識/自らをのりこえる
暮れなずむ第三文明期
日本文化の原型/日本人が経験した三つの文明時代/第四文明期とは/舶来と換骨奪胎/理想主義の憲法化現象/現代日本は未期の清国だ/孫文型人材よ出でよ/情報から見た生態環境/海洋遊牧民型体質と長老支配の矛盾/オミコシ政治のまつりごと/本質を見きわめる本能/ハイエナ政治と個主主義/忍耐の限界とソフトな滅亡/悪魔のシナリオ/虚像のハードウエア大国/危機感覚の喪失と危機中毒/濃縮情報と稀釈情報/知識講人・見識人・胆識人/先祖がえりの時代
危機のありかと一億のゆくて
本当の危機とは何か/選択としての危機/農耕民族的情報感覚/カタカナで書く三代目/身ゼニを切るだけの価値/内面ヤクザのオピニオン・リーダー/知恵のあるコミュニケーション/見せ物日本文化を救うには/沈黙と古典/書評になっていない書評の背景/毒とアダ花/唐松林を行く日本人/間と次元の展開/日向ボッコの民
おわりに
おわりに
本当の危機とは何だろう
私は一年に一度くらいの割合でしか日本に帰国しないが、せっかくの機会だから、誰かとこの問題をじっくりと喋りあいたいと思った。だが、朝のラッシュ時から終電車まで、猛烈に詰まった日程の中で、連日忙しすぎて息つく暇もないくらいで、二週間の滞在予定があっという間に過ぎていった。
私はビジネスマンとして非常に忙しい男のつもりだが、弟は私に劣らぬほど忙しい人間で、仕事と金策のために駆けずりまわっている。彼は親父ゆずりの会社の経営のかたわら、二つか三つの小会社の経営にも関係しているらしく、私が日本に帰っていると知っていても、逢う機会がなく、結局、翌日は私がアメリカへ戻ってしまうという最後の瞬間まで、顔を合わせることもできない始末だった。
東京を脱出して富士の裾野で生活している彼は、週末を利用して家族生活を楽しんでいるところまでは知っているが、ウイークデーは一体どこに住んでどんな生活をしているのか、誰も知らない。コピーライターをやったことから、広告会社をやっているらしいし、ゴーストライターとして小説も書いている、という噂も小耳にはさんでいるが、お互いに好きな生き方をしていると思っているので、それ以上のことは私は何も知らないでいる。
一方の私は日本を脱出してロッキー山脈の裾野に近い、カナダのカルガリーで生活している。ところが、米国のカンサス州で石油会社を経営しているので、月末にしか家族生活ができないという生き方をして、弟も弟なら兄も兄であり、せっかく、私が日本に来ても、兄弟再会などひとつの奇跡になってしまう。
弟は私より五歳ほど若いが、『史記』の游侠列伝中の朱家を思わせるほどの面倒見のいい人間である。そのためにわれわれ兄弟を共に知る人に「あなたの所は弟さんの方が日熟していて、どっちが年上かわからなくなるほどですが、まさか銀次郎さんがハジメさんを差し置いて長男ということもないでしょうから、実に明快な名前をつけたものですね」とよく言われて苦笑する始末である。
この兄弟はいろいろな面で対照的であり、晩婚で一人娘しか持たず、いまだに世界中を駆けまわっている遊牧民的な私に対して、弟は高校の級友と早々と結婚して子供を四人か五人作り、農民に混って土俗的生活を楽しむ農耕民の伝統を継承している。
私はとりわけ卓越した才能もない癖に、フランス語や自然科学をやって日本をとびだして、しかも一〇年近くも大学生活をしてしまった。それと対照的で、弟は小学生の頃は神童と言われていた癖に、大人になると大学にも行かないで、タダの人に徹するという芸当をやってのけ、いまだに平然としている。もっとも、当今の日本ではそういった考え方は絶滅してしまったが、われわれの祖父達が活躍した明治時代には「まともな商売人の出来のいい倅は、大学などに行って四年も時間を空費しないものだ」という伝統を誇りにしたものである。それは大学が学者になるほどの勉強好きか、立身出世をベースにした人生しかやれない小倅が行く所という、実に爽快な大学観が通用していたからであり、伝統主義者の彼は昭和の時代に明治の生き方を実践したのであった。お蔭で、一〇年間も大学の中でぼやぼやしていた私は、人生経験と知恵の蓄積という意味では、五歳下の弟に完全に追いこされてしまった。そして、本文を読み進んでおわかりいただけたはずだが、会話としては長幼の序列に従って、私が横柄な喋り方をしているが、実は雰囲気としての掛け軸と床の間は、誰の目にも弟の背後にある、と認めざるを得ないのである。
この対談は私の日本滞在最後の夜に、彼の事務所で向かい合って喋って、テープに吹きこんだものである。焼のりとお茶を口にしながら喋り合った六時間余りは、夜が更けるのを忘れるほど楽しいひと時であった。そして、このテープから原稿を起こしてくれたのがわれわれの母であり、彼女はこの仕事をしながら「自分の息子達の人間像が初めて完全にわかったような気がして、本当に楽しかった」と言って大いに喜んでくれた。そういう意味では、この本はわれわれ兄弟にできた「お母さん」に対しての最大の贈りものということになり、こんな形で二人の共同事業がやれたのは何にも増して嬉しいと言うより他はない。
二○○○年ほど昔の孔子のことばで、現代風事業に訳すと、
知恵の人は 水が好き
情けの人は 山が好き
知者は動き 仁者は静か
知恵の人は楽しみ
情けの人は長生きする
という美しい表現がある。孔子の指摘が当たっていないのではなくて、山が好きで岩登りばかりやっていた私は遊牧民のように動きまわり、同じように青年時代に海が好きでヨットなど操っていた弟は、日本に根を張って、静かな土着民として落ちついてしまった。私は頭デッカチで不安定な印象がする藤原肇という一文字の名前であり、弟はどっしりと重みのある藤原銀次郎という素晴らしい三文宇名の持ち主である。このコンプレックスが私に一〇年間の大学生活を強いたのかどうかはよくわからないが、対談としてこの本を編集するに当たり、バランスを取るために、わざわざ山彦と海彦という名前を使わせていただくことにした。これは私が山が好きであり、弟が海を愛しているという以外には他意がない。だが、あえて別の理由を見つければ、日本古来の兄弟名の一つであり、愛憎おりまぜながら、性格的に好対照の兄弟名に、海幸彦と山幸彦があり、しかも、われわれの母親の名前である幸子を媒介にして、この本が誕生したという、日本人としてのセンチメンタリズムを、そこにスパイスとして利かせたことを、遊びの心として御容赦願いたい。
なお、この本は対談の形式をとってはいるが、少なくとも私個人の思想の発展という意味では、『虚妻からの脱出』(東明社刊)や『日本脱藩のすすめ』(東京新間出版局刊)の系譜に属すると思っている。
本文中には敬称もつけないまま、さまざまな方々を実名でひっぱりだして、勝手きわまりない講評までしてしまったが、このお喋り自体が一種のブレーンストーミングであり、ともすると主題を逸脱する会話をそのまま採録した都合上、大変に礼を失する抜いをした場合が多々ある点をお陀びする。それとともに読者諸賢の批判並びに叱正を大いに期待してやまない。
一九八○年八月一五日
第三文明期創生記念日
藤原肇
著書
|