副大統領時代のブッシュが感銘して、NSC(国家安全保障会議)に検討を指示した名著。
まえがき部分を構成するものが、全体として、より上位の次元に位置するものを理解するのは、困難に満ちたプロセスである。だから、その構成メンバーである人間が、社会の状況を同時代の者として客観的に把握するのは難しく、これまで多くの人ぴとが多くの努力を費やしてきた。 方法論的には、空間的に一定の距離を置いて、第三者の眼を使いながら眺めるのがひとつのやり方であり、もうひとつは、時間的に過去のものとして眺める歴史学的なアプローチである。 この二つのやり方を統合して、『時・空間』の立場でものごとを観察することにより、自分が生きている同時代をより正確に理解するとともに、将来に継続していく歴史の過程を見通すことはできないものか、と考えてみた。 そして、歴史というものは遇然性を伴うとはいえ、すべてが必然的な過程に支配されて移行するものであり、変化の相としての生成、発展、衰退という過程が実相として普遍性をもっている以上、『時・空間』を次元の展開の中で把えてみることで、突破口は開きうると確信するに至った。四次元座標を構成する時間軸の上に、三次元空間として現われる杜会現象を置き、史眼に基づく次元の展開を行うことで、ダイナミックに変化する歴史の断面が相として把えられるのである。 国民国家の問題を世界の次元で眺め、文化の問題を文明の視角から観察するのは、その応用にほかならず、こうすることで、われわれが実像と思いこんでいるものが、実は虚像ではないかと見えるまでになったが、それが妄想でないという保証はいまのところ無い。 仮に私の判断が真実を含むなら、日本人がのりこえなければならない対象は日本そのものであり、私の判断が虚妄に支配されているならば、読者は私をのりこえなければならず、いずれにしても、のりこえるべき対象が前途に横たわっているのである。どちらを乗りこえるべきかは、読者に与えられた新しい課題になるであろうが、いずれにしても、日本人は何ものかを乗りこえることによって、虚妄からの脱出をはからなけれぱならない運命にある、ということができるであろう。
1980年5月3日 第三文明憲法記念日 カンサス州ウイチタにて 藤原 肇
目次1、石油開発の弁証法なぜ石油開発か一九八○年代のインパクト 医療制度と石油開発事業/この卑小な人間の営為 石油開発のロギコス/日本的病理の症候群 医師不在の偽似病院/豊かさが生む貧因 2、富国強兵と経済大国のソフトウェア富国強兵策の跛行小村日露外交の敗因 ハードウェアヘの信仰 星と錨を呑んだ経済界 経済大国崩壊の運命 3、クラウゼビッツと経済戦争いつか来た経過点に立つ伊藤と山懸による堕落 政治不在の近代日本戦争史 「戦争の弁証法」の真の後継者 経済戦争の中での光彩 4、六○年アンポとファシスト革命の失われた鎖の環八○年危機の予測現保守政治の前史と系譜 日本の非常事態宣言 八○年への日韓がもつ危険 5、第四文明期とヤマトニズメーションヤマト起源への謬見歴史のドプラー効果 第四文明期到来の予兆/新合理主義の洗礼 狂潤怒濤の新時代精神 6、日本の教育制度とプロシア精神の亡霊初期の自由教育思想日本化したプロシア精神 世界市民に対立する小国民 若い世代への贈り物 7、日本の国際化と産業溝造の改変激動の八○年代エネルギーの主役は石油系統 学閥に支配された核融合技術 石油飢餓の時代への対応 資産交換としての産業と資源 産業設備の先進工業国偏在 エネルギー多消費型軍隊の改造 8、産業構造発展の理論的解明(英文)9、ブレジンスキー氏への公開状(英文)あとがきあとがききわめて当然のことだが、多層構造から成り立っている自然は、異なる次元のものがそれぞれ矛盾なく共存し、しかも、自由度と法則性によって支配されながら、統一された状態で存在している。現在、この認識を手に入れる最良のアプローチは、自然科学を最も基本的な部分で支えている物理学の理解を通じてである。それは徴小すぎたり巨大すぎることによって、人間の肉眼では見ることのできない面極端の世界をかいま見る手段が、物理学の方法論を通じて確立されているからである。徴小な世界については素粒子理論があり、巨大な世界については宇宙物理学がわれわれに超感覚の世界を識る手がかりを提供するが、それぞれが自己完結型の体系を維持しながら、さらに上位の次元の中に統合されていく大自然の姿を、物理学は物性的な側面から窮める学問として、かつて窮理学と呼ばれたのだった。 自由度が大きな徴小の世界から順を追って並べると、素粒子、原子、分子、結晶、細胞、器官、固体といったものが現われ、それぞれが物理学、化学、生物学といった学問や、その応用である地質学や医学のような時間を軸に持つ学問と密接に結びついている。また、個体から上の次元には、一般に社会の概念でまとめられるものが来て、個人を構成要因にした組織体としての企業、地域(コミュニティ)、国家といったものが、空間的な枠組を通じて大陸、地球的な規模で広がっていく。それは人間が活動する領域であり、政治学、経済学、社会学、文学、地理学、歴史学といった学問を内包し、生物界と呼ぱれる世界における、人間の存在の仕方にかかわる特殊な領域であると考えていいであろう。 地球から上になると人間の領域から遠ざかって、再び無生物が卓越する字宙の次元となり、惑星間関係や恒星間開係という具合に外に向かって広がる。最近における物理学の先端領域での成果は、人間の認識に新しい地平線を切り開く上で大きな貢献を果たしているが、素粒子から膨張する宇宙に至る自然の多層構造を貫く簡潔な統一性は、新しい哲学と呼んでいい包括的な世界観をわれわれにもたらしている。しかも真理は至って簡明であり、現象面での変化と極限時象での不易性が支配法則になっている。問題をひとつ上位の次元から眺めると、運動の方向性と変化の相がよく見えて、不易の側面での把握が可能になる。それに対して、同じ次元や下位の次元の枠組から眺めると、部分的変化が視野を覆うので、流行の側面ばかりが目についてしまう。 こんなことを考えていた時、『国際経済』誌の編集長から「条件はつけないから、好きなことを執筆してほしい」という申し入れをうけたので、一九七六年一二月号を皮切りに半年間にわたって連載執筆をしたのが、第一章から六章までの記事である。これらの記事の中には、時の権力が不都合と判断しかねない歴史的証言を幾多含んでいるので、あえて掲載を続けた『国際経済』誌の勇気と見識に対して、私は深い感銘を抱き続けている。これらの記事を一書にまとめる努力は過去四年間継続され、幾人かの読者が精力的に試みてくださった。私の書くものは、同時代における歴史的証言としての役割を果たすために、不易の部分に着眼して問題の本質に切りこむように心がけているせいで、執筆時点から三年くらいしないと単行本化されないのが普通である。だから、本にならないことは少しも悲しむべき事柄ではないし、本によっては編集者の問題意識を超える内容を持つ場合、出版されないことの方が名誉に値することさえある。特に、最近の日本のように書店が紙屑商売を始めて、売れる本しか並べず、出版社は売れそうな本しか作らないし、出版するに値しない愚劣なものばかりが氾濫している現状からすると、活字化されないものになればなるほど、本としての価値があるという逆説さえ成立するのである。 そのような訳で、いずれ単行本になる日が来るにしても、日本が内包する自壊化への動きが顕在化した場合、同胞の何割かが飢餓線上をさまようようなハードな野たれ死にではなくて、ソフトな終焉を迎えるようなアプローチを考えることが必要になるのではあるまいかと思い、日本人に与えられた選択としての危機の問題を、全体主義に収斂するファシスト革命と石油危機の側面で論じた記事をつけ加えた。第七章は八○年代の日本の石油事情についての概括として、一九七九年十一月十一日号『サンデー毎日』に出たものであり、書きおろしとは異なった談話体記事である。(本書では「日本の国際化と産業構造の改変」という章名とした) 第八章は産業社会の発展過程をダイナミックな相で理解する方法論として、一九七三年に考察したもので、『カナダ石油地質学者協会紀要」一九七五年六月号に発表したものである。当時、混迷に陥っていた石油産業に指針をさし示す役割を演じ、全世界のオイルマン達に好感をもって迎えられた論文であるが、これは今後における経済問題を考える上で、産業の動態モデルを決める基準になる可能性をもっていると思われるので、あえてここに原文を修正せずそのまま収録することにした。
公人としてのブレジンスキー博士は、私に対して直接見解を述べる立場にないことは言うまでもない。だがこの公開状については、ライシャワー博士を始め、米国の政治家やジャーナリストの多くから、各種のフィードバックがあった点については、ここで明らかにしてもいいであろう。日本人による祖国の全体主義への傾斜は、日米関係の破綻をもたらすだけでなく、日本という国を世界から孤立させて自滅に追いやる最悪の選択になるということに関して、日本人はもっと慎重であらねばならないのである。 こういった多岐にわたる問題提起を含むこの本は、日本の出版界の常識と意識水準からすると、単行本になる可能性は非常に少ないといえた。それにもかかわらず、最新刊の『日本不沈の条件』を十分に理解するためには、この『虚妄からの脱出』を読むことが不可欠であるので、私は『日本不沈の条件』の『あとがき』の中に、「私の考え方の変遷を知るうえでは、本書と『日本丸は沈没する』(時事通信社刊)の間に、『経済大国の没落と日本文化』とでも題すべき一書が存在するが、この本は主題に日本のファシズム化と国民国家の終焉を扱っているために上梓に至らないまま、本書の出版が先に決まったという経緯がある点を了承していただきたい」と記しておいたのであった。 すると東明杜の代表者である吉田寅二氏から、末刊の原稿を読みたいとの手紙が届き、結果としてここに上梓が決まった訳である。 吉田氏は出版事業を営むとともに、自ら『易と漢法・経世済民の思想』や『四次元経済学』という著書を持つ人で、出版の原点に立って生きている編集者という意味では、現在の日本には全く珍しい存在である。易の思想について深い理解と見識を待つ人に、易ではなくて不易についてのみ注目している私の著作が見出されたというのも面白い出合いである。それにも増して、四次元経済学という興味深い発想法が、私の四次元思考としての『時・空間』理論と共通のものを持ち合っている点で、このめぐり合せはまさに乾坤一擲と形容し得るのではあるまいか。 不易専門の私が、易の思想の大家である吉田寅二氏との出合いを通じて、これからどのような変化を送げていくかについては、おそらく次に上梓される著書が示してくれることであろう。それにしても人生どこに天機が待ち構えているか全く分からないという、実に不思議な感慨に包まれていることを記して、とりあえず本書を読者諸賢の批判に供することによって、次の進歩の足がかりにしたいと切望する次第である。 藤原肇
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