まえがき 文字の発明は官僚制度に伴う副産物だが、承伝は文字が生まれる前から存在しており、神話や歴史を伝える最も正統な手段として、文化や文明を育てる上での原動力だし、古代巨石文明は言葉が支える文明であった。コミュニケーションにおける最古のスタイルは、言葉を使って状況や思想を表現する口承であり、太古の文明は言葉の活用に習熟していたので、文字を使った記録を必要としなかった。 だから、螺旋や雷紋などの文明初期の絵模様は、シュメールの楔形文字やエジプトの神聖文字に先行したし、フェニキア人やインカ人は歴史を文字で記録せず、波動としての言葉を使って情報を伝えている。言葉は人間の意思疎通の基本であるから、議論が活況を呈す中で社会が生まれ育ったのであり、そこに文字や記号が残ったにしても、顕の裏側には常に密の世界が広がっていた。 情報の活用は関係の発見の歴史でもあり、人類が体験した数千年にわたる歴史を通じて、形にはなり得ない生命活動の渦の中から、量子言語に始まり文字や人工言語が誕生した。しかも、システムは根源的に開かれたものだし、文明の進化はシステムの発展を伴っているので、隠れたものと顕われたものの共立を認めて、顕在の背後に隠れているものを読み取り、暗黙知(Tacit Knowing)に精通する必要がある。 古代巨石文明の長大な時間の経過を通じて、対話の積み重ねの上に宗教や哲学が生まれ、一緒に飲みながら喋るシンポジウムの形で、プラトンの「饗宴」に見る共通話題を論じながら、人間が意思疎通する上での場が育った。また、プラトンが好んだ対話の展開による話法は、懐疑に根ざす応答の繰り返しを通じて、冴えた批判精神を常に研ぎ澄ますことで、対話のエトス(行動様式)の意味を知る限り、権威への盲従やドグマ軽信の回避に繋がった。 しかも、知的な関心に基づく対話の醍醐味は、見解の差や問題の正当性と客観性に対して、相互に認め合うことで高い次元での合意に至る。 だが、自分の頭を使って考えようとせずに、権威や体制に順応する生き方に馴れるならば、短期的には苦労がなくて安易にみえても、長期的には波間に漂う根無し草と同じで、主体性の放棄と同じ結果を生んでしまう。 社会活動のベースは情報を交換することにあって、自分の生き方を求めて意見を表明したり、相互確認に至るまでの理論的な展開を行い、知的なゲームを楽しむことは大きな喜びだ。また、自分の直観の正しさや判断力を確認して、不足なら鍛え上げるための機会を活用し、議論を使った座談会や討論会を経ることで、集会が学園やアカデミーに発展したのが、宗門や学校がたどった学びの歴史だった。 「仏典」、「論語」、「聖書」などのほとんどの章句は、語りと会話の集大成から出来ているし、プラトンの著作も対話で成り立っている。そして、古典の多くは修辞学の基準に従って、創案、配列、表現、発生、想起の手続きを踏み、スムーズに流れる語り口のリズムで、古人が生んだ叡智を後世に伝えている。これは泰西のギリシアやローマだけでなく、紀元前後のペルシアやシナでも同じだし、日本の空海が「三教指帰」を鼎談で試みたように、会話が生む閃きを楽しむ醍醐味は、古今東西を通じて真人が遊ぶ境地である。 「誰でもが一度は読んで置きたいと思いつつ、読まないまま人生を終わるのが古典の運命」であるが、古典との巡り合いは幸運に属す事柄だ。そんな気持ちになるのは人生の峠を越える頃であり、私も不惑の歳を迎えた頃に読書不足を痛感し、「良書を読むより愚書を読まない」生き方の秘訣が、対話する古典の妙味にあると気づいた。 こうした自覚が一つの契機をもたらしたお蔭で、それまでの論評や観察事項の執筆に対して、自己主張の延長だと感じるようになり、若い時代が一段落したという気分になった。そして、論文より対話形式を好ましく感じて、会話による智慧の味わいを探るために、興味深い体験や思索の軌跡を持つ人を訪れ、魂の深さに人生の薀蓄を感じ取る目的で、語られていない余韻の妙味を求め始めた。 最初の頃は中江兆民の「三酔人経綸問答」を手本に、「中国人・ロシア人・アメリカ人とつきあう法」や「教育の原点を考える」という鼎談を試み、それが「日本が斬られる」や「脱ニッポン型思考のすすめ」のような時事対談を経て、「間脳幻想」や「宇宙巡礼」の世界に踏み入ると共に、天命の意味が納得できる境地に至った。 「秘すれば花」という世阿弥の言葉の意味に、何となく共鳴する歳に近づいたことで、「野ざらしを心に風のしむ身かな」の心境に向けて、数歩ほど踏み出したということだろうか。 それからは評論と対談が組み合わさる形で、著書として軟硬が織り混じった本が生まれたが、実態としては対談の優位で還暦を迎えた。そして、最後の仕上げにホスト役を受け持つ立場で、これはという人と忌憚なく話したことが、「賢者の螺旋」と題した本の誕生に結びついたのである。 敬愛する老子が「知足安分」と言ったように、これからは「天爵を修める」ことが課題になるし、残った人生を会いたい人を訪ね歩いて、最後は「この道や行く人なしに秋の暮」という、芭蕉と同じ心境で大地に還るのだろう。 知的好奇心に満ちた若い頃に先ず本を読み、次の段階で自然観察から法則性を抽出し、最後に社会を教科書に真理に目覚めるのが、進歩の過程として人間がたどる正道だ。しかし、今という時点の上に置いてみるならば、現状は技術主義という時代精神に毒され、プロセスより結果だけを求めてしまうために、飽食の中でハングリー精神の喪失が目立つ。 現役時代には緊張の中で対話を試みたので、青年層に知的な刺激を与えていた人だのに、脳の研究をしていた先生が定年になり、読み終えた後で何も残らない本を出して、「バカの壁」と題した変なお説教をし始めた。しかし、それは「脳内革命」の亜流に過ぎないものであり、知識を切り張りした知恵のない漫談だから、学問の評価を貶めて気づかないために、幾ら大学生が本を読まなくなったとはいえ、低下した学生の知性に変化を及ぼすこともない。 このようなネジの緩んだ日本の現状を前にして、潰れたネジ山を加工して締め直すためには、インテリジェンスに基づく意識改革の導入で、賢者が伝える螺旋のピッチを教わる必要がある。しかも、同じ生命現象に生涯を賭けた学者でも、器質を扱えば「バカの壁」の前に佇むことで終わり、印税長者として浮かれ騒ぐだけだが、場の側面から挑戦し続けた清水博のように、日本には潜む竜人(Adept)は晩節を飾り、柳生石州斎の新陰流の神髄に迫って、対話を含む「生命知としての場の論理」(中公新書)の奥義書を著している。 週刊誌と同じように読み捨て用の新書なら、石炭と同じでトンの単位で計量するし、紙くず新書は何百万部でも目方の問題だが、新陰流の奥義書に似た特別誂えの新書は、同じ炭素でもダイヤモンドの輝きに満ち、金剛石の評価は三つのCとカラットで決まる。それと同じ価値基準に従う賢者のネジは、意思は石でもイシスの密儀に由来しており、「夜半に白く煌めき燃える太陽を見る」ことで、自ら輝いて光子(フォトン)を体現するのである。 人心が荒廃している国土の中を訪ね歩き、日本の賢人を探し求めるのは至難の業だが、世界に目を向ければ選択の幅が広がって、意志で貫かれた賢者の石を裡に秘めた人は、竹林で清談を楽しむだけの心得を持つし、「嚢中の錐」が賢者の螺旋だとは当意即妙である。 こうして宇宙巡礼はアジアの地に帰り着いたし、日本列島の外にまで広がる人材群の中に、古典に親しむ台湾の読書人が目立つのは、自ら鍛えた人が多いせいかも知れない。それにしても、日本の政治が人材枯渇で亡国の色を強め、閉塞感で意気が悄然としているの中にあって、「帰去来」派の隣人が際立つのは意味深長ではないか。 2004年 春たけなわの砂漠の庵にて 藤原肇
目次 まえがき 第一章 世界の一流ホテルの条件と発展するホテル文化
第二章 地球(ガイア)の恵みと生命力の根源
第三章 高等教育と世界を舞台に活躍する人材の育て方
第四章 低迷日本の悲劇とアジア経済の活路
第五章 明るい社会を築く不老長生の秘訣
第六章 近代日本の基盤としての「フルベッキ山脈」
第七章 迷走する日本の高等教育と技術立国を損なう状況
第八章 大杉栄と甘粕正彦を巡る不思議な因縁
第九章 明るい未来社会の建設と経済至上主義の克服
編集子より(玉井禮一郎)
編集子より 螺旋(ネジ)を締めるドライバー 玉井禮一郎
本の題名ほど難しいものはない。
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