日本丸は沈没する
1977年02月20日初版発行 本体価格1000円
時事通信社
絶版
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まえがき
一九七三年十月六日、田中団長に引率された日本政府代表団がクレムリン宮殿の会議室で、難航するモスクワ交渉に頭をかかえこんだその時、第四次中東戦争が勃発した。他の手段による政治の継続が、世界の火薬庫といわれる中東で戦争に発展したのである。 スエズ運河とゴラン高原の両地区で同時に戦端が開かれ、刻々と情勢は変化しつつあるというホットラインの知らせは、ソ連政府首脳に日ソ交渉はこの際適当にお茶を濁す程度という選択をとらせた。ここに組織された無政府状態としての日本政府の姿が出現して、田中自民党総裁の破綻は一年後の金脈スキャンダルを待たずに既定のものになった。 田中団長は日本の首相としてより、むしろ自民党総裁としてモスクワに乗り込み、資源権益を手に入れ領土問題を処理して、マスコミの喝采を浴びようとしたふしがある。しかし、手に触れるものすべてを黄金に変えてしまう現代版ミダース王を気どった覇者も、石油にまつわる資源外交では世界の四流だのに大国の役を演じ、しかも自民党の利益を日本の利益といいくるめた時、大きな誤算を犯した。それは、相手が戦略的思考法と政治的巧妙さを得意とする、実に始末の悪い頭脳の持ち主だったからだ。ソ連の外交はのっそりした熊のように鈍重だが、時代遅れであるが故に、今ではほとんどの国が忘れ去ってしまった伝統的な外交術の基本に忠実だった。
第四次中東戦争の勃発でクレムリンの主人公は日本さえ眼中に置かなくなったので、自民党代表の体面などクリスマス直前の七面鳥の自尊心ほども考慮しなかった。ここに、合法的な汚職機構として国益を私益に還元する利権漁りのシステムが、没落に向けて大雪崩を誘発する歴史的大転換が始まった。
一方、第四次中東戦争はアラブ産油諸国の石油戦略の中に組み込まれ、新たに採用された石油禁輸を中核にした牽制と撹乱の戦法によって、世界政治と国際経済の各分野に大きな衝撃波をもたらした。産油国が採用した経済封鎖の政治理論に基づくエンバルゴ政策は敵対勢力を痛打し、しかも相手側をジレンマに追い込み機動殲滅を狙う意味で無慈悲で論理的だった。一方それを受けて立つ先進工業諸国は、確立した経済関係を守らねばならないという点で協同精神に富んでいたが、支離滅裂だった。その中で最も弱い部分がヒステリシス症状を現して抜けがけ行為に走るのは時間の問題だった。
こういった激動の渦巻く時期には、普段は深部に潜伏する現象が一気に顕在化し、まるで博覧会のような景観を呈す。均衡が崩れるとき矛眉はしばしば露呈するものである。そして、石油危機の第一波が日本列島の岸辺を洗ったにすぎない段階で、わが国の国家中枢は麻痺してしまい、経済パニックと無政府状態が支配した。その状況は目を覆いたくなるというより、むしろ網膜に展開する支離滅裂な映像のために目を開いているのが苦痛になる種類のものだった。そこで、激動の時期に生まれあわせた僥倖を最大限に役立たせるために、眼前で展開する出来事について新聞や雑誌の切り抜きやメモをファイルしたら、おびただしい資料の山が出来上がった。
目の前で発生していることの多くは今日だけのものではなく、歴史の中を捜せばいくらでも先例があるものだ。そして、すでに生起していることを未来のある時点に投映して具体的な結像を作る能力を歴史的洞察力と呼ぶならば、一九七三年末の石油パニックを契機に現れた各種の現象は、同時代を洞察する上でまたとない機会を提供した。未来は明日になってから始まるわけではなくて、すでに今日始まっており、しかも時間的に未来と考える明日も翌日になれば今日として現在になる。そして、この時期には、国家の健康についてその体質と精神状態を診断(Diagnosis)するのに最も必要な各種の症状(Symptom)が全体的に現れたのだった。
本書で扱っているテーマは、敗戦直後を思わせる未曾有の混乱がわが国を支配した一九七三年末を頂点に、その前後一年間に書き込まれたカルテに基づく、一種の社会病理学的な観察事項であり、重点は診断にある。しかも、それ以降の経過が、金脈による田中内閣の瓦解、ロッキード疑獄による構造汚職の露呈、多党化現象による独裁制の袋小路化、国家主義への回帰、といった国家における自壊化症候群(Decay syndrome)の顕在化に結びつくが、その前段階の時期の診断を扱って治療については余り触れていない。それは治療に取りかかる前に、なにはともあれ診断が不可欠だからにほかならない。そして、賢明な判断を下すことはたとえ稀だとしても、民衆というものは病状が危機的になると概して最良の処置をとる知恵を持っていて、次の世代がそれを有効だったと評価する例は歴史の中にいくらでも見つかるものである。
本書が上梓され、読者の批判を仰ぐ機会を得るまでには、長い苦難に満ちた前史があったが、それ以上に、多くの日本人の熱烈な支援があったことをここに記して感謝したい。特に東京銀行の田島英俊氏と藤原作弥時事通信記者の二人には大変お世話になった。またここに書かれている事柄は、全世界で収集した情報ファイルを筆者の史眼に基づいて、自らが問題を整理し学ぶためにまとめたものである。
未だ結論が出ていないことに対する早計な判断や洞察力に欠けた部分も多いかもしれないが、それらはすべて筆者の責任であリ、その非力さに由来している。とはいえ、ここで扱っているテーマは、今後徹底的に究明され、国民的合意点を作り上げなければならない問題を余りにも多く含んでいるのも事実である。
読者の忌揮のない叱正だけでなく、このテーマを追求する上での熱情を抱く、わが国のジャーナリズムヘの永続的な支援を得ることができれば、これ以上嬉しいことはない。
一九七六年十二月、ホワイト・クリスマスのカナダで
藤原肇
まえがき
造船王国・日本丸の沈没
造船王国の栄光を失う……舶来の造船技術・国産化への努力……自主技術開発への試練……建艦技術における改良と革新……栄枯盛衰の運命……造船王国への足がかり……確立した王座と「推進器付きユタンポ」……石油時代とタンカーへの固執……新時代のLNGタンカー……革命的な潜水艦タンカー……空飛ぶタンカーの時代……日本丸傾く
アラブの石油戦略と国家の主体性
日本とオランダに見る対応の相違点
石油危機と各国の態度……耐乏を切り抜けたオランダ人……アラブの大義への共感と失望……アラブ指導者の盲点……《自由精神の安息地》……急ごしらえの対アラブ政策……政商政治への恫喝
日本経済の体質改造構想
日本とアラブ諸国の共存の可能性
対米従属外交の理由……資源外交派の台頭……独占的企業グループの発生……経済援助外交とイエロー・ヤンキー……石油危機と援助の大盤ぶるまい……特使役のたらい回し……アラブ知らずのアラブ外交……日本とアラブの関係……財界の再編成……日本・アラブ共存私案……計画の予備目標……アラブ人を使った日本の国際化
原子力万能論と石油公害問題
果たして石油が悪者か
『アメリカの挑戦』の意味……お人よしだった日本人……チラノザウルスの破滅……跳梁するトップ屋たち……反公害運動と反石油キャンペーン……石油打ち壊し運動の芽生え……石油も公害の被害者……この世の地獄大国……オイルマン不在の日本……原子カエネルギーへの飛躍論……空気を吸い込みすぎた蛙……日本が再生するための道……
チュメニ交渉の破綻と醜い日本人
利権に群がる日本人の生態観察
新天地シベリア……シベリアヘのさそい水……財界資源派の台頭……挫折したノーススロープの思惑……持株会社構想……欲にかられた出たとこ勝負……首相を作った維新会……大地の民・ロシア人の国民性……七億八千万ドルの大博打……チュメニ交渉の雪隠詰め……第ニシベリア鉄道構想……成り金と政商の相違……利権から献金への転進……新しいパイオニア精神……
日本最大の国家機密
近代戦史の中の経済封鎖の政治学
油上の楼閣……経済封鎖の政治学……ナポレオンの大陸封鎖……ドイツの軍事的包囲戦略……デーニッツ作戦……日本人がやった軍事的経済封鎖……援蒋ルートのイタチごっこ……アラブ諸国の石油エンバルゴ……今後の世界政治と経済封鎖の擬態
著書
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