無謀な挑戦
1984年01月01日初版発行 本体価格1300円+税
サイマル出版会
絶版
|
なにが無謀なのか まえがき
人類が体験する最も強烈な変動が進行中であり、産業社会の基盤が根底から揺るぎ出そうとしているのだが、変革のスケールがあまりにも大きいがゆえに、かえってこの勤きに対しての実感がともなわない、という奇妙な効果が生まれている。
公転や自転によって地球が動いているのがスピード感として自覚できないのと同じで、文明の次元で進行する変革は人間にとってあまりにも大きすぎる。それは紫外線よりも短いものや、赤外線を上まわる長い波長を持つ電磁波を、人間の感覚器官がとらええないのと同じで、文明の次元で展開する大変革を日常的な感受性でつかみ取るのが難しいのである。
それでも、この変動に由来する変化の相を眺める場合、それがより下位のレベルのものに対しては、ストレスや差動運動と結びついた興奮や疲憊(エグゾースチョン)状態として現われ、われわれが生きている産業社会における世相や各種組織の生態様式に、一種の世紀末を思わせる時代性をもたらしている点については、多くの識者たちが指摘しつづけてきたところでもある。
色彩は時には灰色であり、別の人はバラ色で染めあげたりもするが、「西欧の没落」「断絶の時代」「脱工業化社会」「第三の波」といった具合に名づけられたものは、すべてこの変動についての診断に由来している。
私の用語に従うならば、これは重工業と中央集権制によって特徴づけられる、産業革命以来継続してきた第二文明期の更年期障害にほかならない。それは、新しく始まろうとする第三文明期への過渡期がもたらす社会の次元における病的症状や、より複雑な現われ方をする症候群であり、苦痛や痙攣をともなったものが多く見られる一方で、高進現象が快感をさえともなったものとして続発する。
こういった変動の嵐は産業社会や国家だけでなく、個人の生活や精神的内面に対しても大きな影響力を及ぼし、しかも、加速度をともなった猛威をもって襲いかかるのである。
宗教、思想、文芸、教育といった人間の精神活動と直接結びつく領域や、政治、軍事、経済、金融、通貨、産業、医療、家庭、環境のような人間の存在形式と結びつく社会的分野において、われわれは成長と衰退のパターンのなかで移り変わっていく。しかも、うねりの力でつきあげる渦潮と三角波の威力の前で、自己の実力と時代性を見誤ってバランスを崩す結果、変化の相が混迷、動揺、波乱、破綻、崩壊といった現象をともなって、目の前にあわただしく展開していく。
このような状況が支配的な時には、暗礁の分布を熟知しない舵取りが下手な航海士の船や、鍛え足りない乗組員で構成された船、あるいは、船長が欲張って積み荷を多くしすぎた船は、変革の嵐のなかで難破せざるをえなくなる。渦巻く潮流や激突する波濤、それに、吹き荒れる烈風の組み合わせの威力は、無謀な挑戦を試みる人間の営みを翻弄せずにはおかないのである。
*
世の中には食べることによって健康を損なう食事があるもので、ファストフードと呼ばれるものはその代表と言ってもよく、食べるよりも食べないでいる方が生命の健康にとって有意義である。それは、よい本を読むよりも悪い本を読まないでいることの方が、脳の健康にとってはるかに優れているのと同じである。この事実を比喩的に受けとめるならば、文明の次元で展開する大変革期に、あくことのない貧欲さを発揮して餌に見えるものを次々とのみこむことは、一種の自殺行為でもある。
そして、自らのペースや消化能力の限界を忘れ、口や胃よりも大きなものを丸のみにし、息を詰まらせただけでなく生理機能を破綻させてしまったのが、無謀の挑戦を地でいくようにつき進んだ、カナダの石油開発会社のドーム石油社であった。極地のパイオニアとして威名を高め、ニューヨーク市場のシテ株として一時期を画して彗星の輝きに包まれたこともある、この野心にあふれた戦後派の石油企業は、勢い余って方向性とスピード感覚においてバランスを崩したことによって、没落と破綻の軌道をつき進んでしまった。
自らの力を過信して、時代性としての環境案件への配慮を十分に行なわないならば、挑戦が無謀に転じ大胆さが危なさに移行するのは、歴史の教訓がよく示すところである。これは無用なエネルギーの放蕩が組織体の運命を著しく損なう、熱力学の法則の当然の帰結にほかならない。
このような法則性の支配するなかで、ドーム石油社の破綻の色合いは強まり、行き詰まった経営と悪あがきの過程を通じて、灰白色に濁った極地の霧をとおして、石油公団や自民党の金脈と結びついた疑獄の構造を浮び上がらせることになる。
それがドームゲート事件である。そのバックグラウンドには、カナダの石油ビジネスにおける風雲児、ジャック・ギャラハーの波乱に満ちた生涯と、それを支えてきた産業主義に彩られた二〇世紀的な経済基盤があり、それが、大地殻変動によって崩れ去るまでのパースペクティブな描写が、本書の前半分の構成になっている。
ひとつの成功譚の最後の章がスキャンダルで終わるのは珍しいことではないが、ドームゲート事件は終章自体がひとつのめざましい荒野のドラマである。しかも、このドラマはいまだ完全に幕をおろしたわけではなく、これからも巨額の資金がらみのマネー・ゲームとして続いていく。疑惑の霧を覆い隠すための小手先の操作を、文明史のうえで照らし出した場合、いかに欺瞞に満ちた愚行の連続になるかという考察を、本書の後半部では試みている。
実際問題として、国境外にはみ出した仕事は手に余るということで、ジャーナリズムが沈黙しつづけているのを尻目に、巨大化して悪魔的な存在となった日本とカナダの官僚機構は、事件のもみ消しのために情報操作を行なっているし、不正の発覚防止のために全力を傾けている。
特にそれが著しいのが日本である。現代版の大本営発表と言えるお下げ渡しの官庁メモをもらい、それを版に組んで印刷する植字工やコピーライターの仕事と、ジャーナリストの役目が取り違えられて以来すでに久しいが、記者クラブ制の快適な居住環境によって、日本のジャーナリズムは役人にとって最も都合のいい公報的体質を強めている。
懐疑することをやめて、知識人であるよりも文化人を指向し、夜討ち朝がけに代えてサラリーマン的にネクタイを締めて出勤することで、日本のジャーナリストの多くが大変スマートな人種の仲間入りを果たしてしまった。
その結果、新聞は、朝のキャフェ・オ・レと同じように習慣で手にするものとなり、特売商品の大売り出しを告げるダイレクトメールの一種と化し、GNP拡大のためのメディアの権力として多大な貢献を果たしているのである。
それにしても、「日の丸原油」を錦の御旗にした石油公団を舞台に使い、石油開発にはリスクがつきものだし、石油の確保は産業界にとって命綱である、という大義名分をふりかざして暗躍するフィクサーの存在に対しては、日本のジャーナリズムは戦後一貫して指一本ふれえなかった。
また、ドーム石油社の巨額負債のうちで短期の二〇億ドルが、シティバンク社を幹事にしたシンジケート・ローンによるものであり、中曽根首相が就任第一にやった韓国への四〇億ドルの融資も、実はアメリカの銀行団による韓国融資の振り替えにほかならなかった。こういった海外融資や経済協力を名目に使い、日本の銀行や公団を動員した巨大な資金の流れも、国際金融の舞台においてババを相手からつかまされるババ抜き合戦であり、政治家や官僚たちのお粗末な国際感覚と金脈がらみの貧欲さのために、国民に対する血税を使った背信行為を横行させているが、それを糾弾するジャーナリストはついぞ登場しなかったのである。
ドーム石油社の経営危機については、カナダでは経済欄のトップ記事として連日書きたてられていたにもかかわらず、日本では巧妙な情報操作がマスコミ界を制圧するのに成功しており、ドーム石油社についての報道は経営破綻とはまったくかけ離れたもので、もっぱら大胆な挑戦と業績向上というパターンで塗りこめられていた。現代版の大本営発表がマスコミ界を完全に支配しているのである。
それだけではなく、インドネシア、渤海湾、アブダビ、ナイジェリア、ペルーをはじめとした世界の到る所で、日本の企業が税金を使って次々と殲滅戦に追いこまれているというのに、それさえも真相が報道されていない。
逆に、大躍進があたかも成功裡に実現しているかのごとく書かれ、虚偽に満ちた提灯記事で大いににぎわっており、一九七三年秋の第一次石油ショック以来一〇周年を迎え、歴史を思い出して襟を正すうえで絶好の機会だというのに、貴重な教訓を忘れて、束の間の経済大国の夢にうかれているのが日本の現状である。
*
一〇年ひと昔ということばがあるが、一〇年前を思い出してみると、私はサイマル出版会を通じて『石油危機と日本の運命』と『石油飢餓』の二冊の著書を世に送っている。これによって支難滅裂な日本のエネルギー政策のあり方と、石油を利権にして金脈作りに忙しい政治家や財界のフィクサーの存在が、日本の運命をいかに損なうものであるかについて問題提起をした。
しかも、『石油飢餓』においては、一九八〇年代前半の日本は石油危機と全体主義的な政治体制に塗りこめられ、それが相乗効果をともなった形で日本列島を覆うことによって、一億人の運命が悪魔によってもてあそばれるおそれがあると予告しておいたが、どうやらそれは現実のものとなったようである
ジョージ・オーウェルの天才がビッグブラザーとして予告した「一九八四年」の訪れは、情報操作と愚民政策の君臨にあるという文脈からしても、マスコミ界を役人が操る中央集権的な情報コントロールと、警察官僚が国家機構の中枢を支配した点で、日本人は《一九八四年の悪魔》による日本列島改造論を、賢者の苦界として世界に先がけて出現させてしまった。
それをつき崩すためには、国民の政治意識と理想の高さ、それにリベラリズムへの志向の強さが決め手であり、統制と管理による全体主義に反抗し、責任感に基づいた個人の自覚のルネッサンスが必要である。官僚と結んだ政府高官たちが築きあげた疑惑の金脈と利権構造を一つひとつ崩していくことも、国民としての責任感のあらわれのひとつになる。
大きな威力を発揮するに至らなかったとはいえ、ドームゲート事件は日本の国会で追及される機会を生み、氷山の一角として疑獄の構造の存在を国民の目の前に露呈したし、石油公団や通産大臣もその非を認めざるをえなかった(付録参照)。
だが、役人や閣僚が過ちを認めたからといって油断は禁物である。なぜならば、それは疑惑の炎がこれ以上燃え広がらずに、インドネシアやアブダビに根を張る金脈の安全をはかる予防措置にもなっているからだ。追及の約束を国会において行なった会計検査院だけでなく、さらに徹底した真相の解明が、司法当局やジャーナリズムによってなされない限りは、《一九八四年の悪魔》に生命力を補給しつづける日本の腐食構造は根絶やしにはできない。資本主義体制の執行機関である政界、財界、官界を巻き込んだ疑獄が蔓延し、腐敗や堕落が糾弾されないまま、荒廃した風潮が支配すれば、そのような社会は自壊するだけである。歴史は、そのような状況がクーデターや革命を生む背景になったことを教えている。
腐食構造は社会のなかで増殖したガンと同じであり、資本主義社会が健全な発展をつづけるためには、診断だけでなく、摘出手術が必要だし、捜査当局と世論の熱情と正義感こそ、社会が内包する浄化機能にほかならないのである。
中央集権と官僚支配を基盤にするソフトなファシズムが、日本人の歴史を悲劇の一章で幕にしないためにも、リベラリズムの旗手として歴史の先頭に立って警鐘を鳴らす伝統に立つジャーナリストたちのここ一番の奮起が侍ち望まれるのである。
*
石油ビジネスの渦中に生き、しかも、地球の歴史を地質学的な立場からアプローチする私は、四五億年の時間の流れを対象にする歴史学者の一人である。そして、地球の歴史に含まれる物質や生命の歴史は言うまでもないが、生命の歴史が精神史として文明と結びつく時に誕生する産業社会のあり方は、実に興味深い研究課題のひとつになってくる。
このような認識と、石油にまつわる国際政治の問題をエネルギーの側面からとらえ、文明論的なアプローチで次元の展開を行なうことにより、問題の本質ともいえる現代における最も基本的なものを掘り当てうるのではないかと試みた結果、探りあてたのが資源金脈であり、行きついた所が全体主義だったのは実に皮肉である。
また、こういった問題を歴史的に総括しておくことは、現代史を創造するうえで最も基本的な作業でもあり、次の世代に残せるささやかな貢献になるかもしれないと考えて、あえて私が永年抱きつづけた仮説を引き出して全体をまとめてみた。
作業仮説は批判を通じて鍛えられ発展していくものであり、多くの人の協力を得てよりよい命題を構築できると期待してやまないが、それは数千年にわたって続いてきた精神史における重要な課題でもあった。
記述のなかには、なじみの薄い世界史のエピソードなども多いので、それが繁雑だとの印象を強めないかと気がかりだが、私の散漫思考癖と思想的未熟さのせいということで、読者の寛容のほどをお願いする。本文中、敬称は略させていただいた。
また、途中に一〇年間の歳月が横たわっているとはいえ、この本が提起している問題の基本において、姉妹書である『石油危機と日本の運命』や『石油飢餓』で扱っているテーマと、共通するものがあまりにも多い事実に驚くほどである。それにしても、三部作のまとめに相当する本書において、なにがしかの文明論的な考察ができてたいへん嬉しい。
激動する現代史の創造に読者とともに参加する、という理念に基づいて出版活動を続け、本書を刊行された田村勝夫社長に敬意を表すとともに、編集作業に携わった諏訪部大太郎、横山秀男両氏に深く感謝する。
また、石油ビジネスのプロとして、エネルギー問題に生涯を賭ける私からのメッセージの意味で、故国に生きる一億人の同胞に太平洋の対岸から、愛をこめてこの本を贈ることにしたい。
日本とカナダのよりよい関係のために
日本の誤りない未来のために
一九八四年一月、米国カンサス州にて
藤原肇
なにが無謀なのか まえがき
第二の安宅事件か プロローグ
カナダの彗星、ドーム石油社
ドーム石油社の華麗なデビュー
北極洋多島海のパイオニア
オイルショックとカナダの民族主義
熱狂と興奮に憑かれて
流れ星になった北極の彗星
無謀な挑戦
石油公団への接近
専門家不在の官僚組織
ドーム・カナダ社の登場
二四億ドルの正式契約
企業買取合戦
奇妙な資源外交
誤算と危機
ジャパニーズ・キラー、背水の陣
日商岩井のあせり
石油ビジネスの生態学
無謀なキャンペーン
カナダのサラ金経済
新聞が報道しない事実
日本の危機と全体主義
一九八四年の悪魔
杜撰な液化天然ガス作戦
衝撃の連鎖反応
噂をつくる点と線
トカゲの尻尾切り作戦
ブルネイと環太平洋金脈地図
文明の変革期 理論的視点
エネルギー源とエントロピー
情報こそ第三文明の活力
官僚主義が生んだドームゲート
文明からの破産宣告 エピローグ
〈付〉国会で追及されたドームゲート事件
著書
|