石油危機と日本の運命
1973年3月初版発行 本体価格750円+税
サイマル出版会
絶版
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祖国の運命を憂える(まえがき)
第二次世界大戦の前夜に似た、不気味な国際情勢が日本を取り囲み、ゆっくりとその包囲網を狭めようとしている。
国際環境は、第二次大戦以来その最も重要な転換期に突入し、既成の秩序に大変動が起きようとしている。われわれにとってかけがえのない祖国が、もはや国家として存在していくことさえもおぼつかなくなるような、きわめて深刻な要素を含んだ世界史的な変化がすでに始まっているというのに、日本人は、自分の鋭い嗅覚でそれを感じとり的確に対応していく構想を政治の上に反映させることもできないままである。こうして、迫り来る激動期の荒波の中で没落してしまう以外、われわれはどうしようもないのだろうか。
このままだと日本の国家的な滅亡は火をみるより明らかであり、一億人の日本人がそこに生きている日本列島という運命共同体は、行きづまりの中で悲惨な地獄絵を総天然色で描き出しながら亡び去っていくばかりである。
そして、予告されている悲劇の主役を演ずるのが、エネルギー間題の中核を占めている石油資源なのだ。それだけに、われわれが直面しようとしているエネルギー危機の本質を理解するために、石油資源の占める位置とその開発の意義、また日本の置かれている立場について、ここでもう一度検討してみる必要があるのではないかと考えた。
当然、一国の繁栄にとって欠くことのできないエネルギーの重要性についての理解と、国民的な合意点を見つけて現実の政治に働きかけるのが緊急課題だが、焦燥感をのりこえて、取りあえずこれだけは今ここで確認しておかなければならないと思われる最小限度のものだけについてふれてみたのが、この本の内容である。
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すでに述べた通り、日本を取りまく危機的状況が存在していることが、この原稿を書いた動機のひとつであるが、それとともに、世界の油田地帯を西に東にと駆けまわっている最中に、「いったい日本では石油開発の問題がどのように論じられているのか」と疑問に思ったことが大きな要因になっている。
というのは、中東をはじめとした地域で石油開発の仕事をしながら、それとなく日本の動きを注目していた私は、まったく理解に苦しむようなトンチンカンなやり方をしている祖国の石油ビジネスへの取り組みの姿勢に唖然としたからである。フランスの会社で仕事をしていて傍観者的であったとはいえ、批判的であるよりはむしろ日本人の持つバィタリティと呼ばれる神通力に期待して、どうか頑張って活躍して欲しいと思っていたのは、私自身もかつて三年ほど日本の大手商社に働いて、ヨーロッパやアフリカで資源開発に従事した経験があったからだ。
しばらくたってから、日本の資源政策を知りたいと思った私は、日本にいる一○人近い友人たちに「石油問題を扱っている本を見つけて送って欲しい」と依頼した。それは、一九七○年の夏であった。
この時は、私自身ヨーロッパから北米大陸にやって来て、ノース・スロープからカナダ領北極洋地域の石油開発に取り組んで一年目だったので、地の利を得たせいか、中東、日本、ソ連、アフリカといった地域の石油問題がある程度客観的な立場から眺められるようになるとともに、石油王国として二○世紀最大の経済大国を打ちたてることに成功している合衆国の内情もかなり理解できるようになっていた。そこで、石油産業の発展の歴史を現代における国際政治の中で光をあててみるとどんな意味を持つかと思い、二○世紀の政治に関する年代記をひもといて石油を時代の流れの上に漂わせているうちに、だんだんと自分の属している石油産業の輪郭がはっきりして来たのであった。
私の専門は地質学で、地球の発展の歴史を自然科学の立場から理解しようという学問であり、広い意味で歴史学をやっているといえる。具体的には、物質が複雑に変化し、星の進化と結びつき、今から四五億年前に地球の歴史が始まり、この時期に物理学から地質学への橋わたしが行なわれて自然科学の領域で地質学という新しい分野が独立したのだし、悠久な時間の流れの中で原始的な生命が誕生し、ゆっくりと進化の過程が継続し、最後に人類が出現したのであった。
この四五億年の地球の歴史は、石油をはじめとしたあらゆる天然資源、あるいは山や梅という自然現象そのものと結びついて地質学の世界を構成している。この自然の歴史は、地質学の最後の部分が、人類学や考古学という中間的な学問を媒体にしていよいよ人間の歴史に引きつがれ、古代史、中世史、近代史、そして現代史にと続いていく。この点で、地球の歴史との関連において石油開発の最も中心的な役割を演じている地質学者が、その四五億年の歴史を研究しながら、二○世紀という最近七○年間の政治史をひもといた時、地上最大の産業の本質を理解し始めるようになったというのだから、これは大変興味深いめぐりあわせだった。
こんな感慨にひたっている私の手元に日本から届いた手紙は、「日本には、石油開発に関しての本はまだ出まわっていない」「精油についての教科書はあるが、石油開発の本は見かけない」というような文面ばかりだったのは皮肉であった。なにぶん、その頃は、世界の政治と経済は石油資源によって動かされている、という理解に到達した時期でもあったから、石油ビジネスを論じた本が国民の手に届くような形では存在していないという事実は実に信じ難かった。しかしそうはいっても、これが日本の現実であるならどうしようもなかった。
おそらく、日本でエコノミストと呼ばれている人びとは世界を現実に支配している経済問題を研究しているのではなくて、何か経済の中でも特殊な分野、たとえば経営学、会計学、経済史あるいは経済理論といったものだけに目を奪われているのではないかと思いあたった。
もっともこれが偏見だというなら、日本に石油問題を扱った一般向けの本がほとんど出ていないのは余りにも異常すぎる。大学の経済学部から毎年一万人以上もの卒業生が社会に送り出されているが、大蔵省や銀行に就職するためにケインズの財政論を学び、象牙の塔にこもるためにマルクスの原典を修め、大企業のトップエリートになる切符を手に入れるためにドラッカーの経営学を勉強するだけで、世界経済の現状がなおざりにされているとしたら、日本はとんでもない経済大国だといえる。
もし日本のエコノミストのほとんどが、あの嫌味に聞える「エコノミック・アニマル」というあだ名に恥じないで株価の上下や景気の見通しばかりにうつつを抜かしていて、世界の現状把握のもっとも基本的な問題に取り組むことに怠慢であるとしたら、日本の行く末はまったく心細いものだといえる。
もっとも、本が見つからなかったのは、私の友人たちの努力が足りなかったせいかもしれない。しかし「経済学入門」とか「経済に強くなる法」といった種類の本を各出版社が競って発行している点を考えると、経済活動の中心にある石油産業をいい合わせたように見落しているのは腑におちない。おそらく、出版関係者の石油に対する関心がまったく乏しいためか、エコノミストたちの石油間題に対する認識が余りにも低すぎるせいと思われる。日本で作っている大型船の九割以上がタンカーであり、世界貿易の半分が石油資源によって構成されているというのに…。これが私の正直な気持だった。
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こうして、私の日本のエコノミストに対する不満が高まっていたちょうどその頃のことだ。一九七○年五月三日にシリア陸軍のブルドーザーがタップライン(アラビア半島横断パイプライン)を破壊した事件をきっかけに始まった石油危機は、かつてない大きな国際緊張を生み出した。
石油資源の持つ強大な影響力は、世界経済と国際政治を大きくゆり動かそうとしていた。私自身数年前まで中東にいて、当事者たちが何を考えているかを知っていたから、早いうちになんとか対策を講じておかないと天下の一大事が始まると思っていた。実際これは、一九八○年を目ざして繰り返される新しい秩序が生まれるための一連の陣痛なのだ。そして日本の行く未にとって、きわめて大きな影響をもつであろうと予測された。
ところが日本に見る限り、この危機的状況に対する正しい認識が、政治、経済の中枢にある人びとの間にさえ出来ておらず、ましてや一般国民の間に危機感が高まる気配さえなかった。それどころか、マスコミは総力をあげて、まったく時代錯誤の妄想としかいいようのない三島事件などにうつつを抜かして騒ぎまわっている、という始末だった。もっとも、日本のマスコミ界の大勢は救いのない野次馬精神によって支配されているが、この時ばかりは、マスコミの表面で騒ぎ立てている人びとが世界に類をみないような低次元の発想法しか持ち合わせていないことをまざまざど見せつけられた。
一億人の同胞の生活が息づいている日本という国が、滅亡への道をたどるかもしれない危機的状況が刻々変化しながら展開していたというのに。そんな危ない瀬戸ぎわに祖国の運命が立たされている時期に、誰一人として真剣なまなざしで事態を見つめなかったばかりか、まったく狂気の沙汰としかいいようのない叛乱劇に全注意力を奪われていたのが日本の姿だった。
世の中には第一級、第二級、そして第三級以下に分類できるさまざまな事件がある。エネルギー問題などは、さしずめ第一級に属するものの代表であり、ふだんからその重要性に気づいていなければならない性質のものだ。もはやどうにもならない段階になってから大騒ぎをするのではなく、ふだんから警告したり、為政者がどのような対策を講ずるべきかを提言するのがジャーナリストの役目のはずである。そして、一見する限りでは華々しくみえても、またいくら美しい文章を書き綴る能力を持ち合わせていても、精神異状をきたした小説家の愚行はあくまでも愚行であり、なんら大騒ぎすることでないと指摘するのがジャーナリストの責任であったはずだ。
三流の事件はあくまても三流なのだと、はっきり断言する勇気をもったジャーナリストこそ、石油危機が日本を今にも破滅の淵に導くという非常事態の中にあって黄金の価値をもっていたはずだ。くどいようだが、ヒトラーがいくら大衆を魅惑する素晴しい演説をやってのける能力に恵まれていたにしても、彼がヨーロッパをまきこんだ行為全体が、人間の歴史の中で明らかに最大の愚行だったという点を指摘しながら、三島事件がその矮小化された影絵であったと断言する人が出てきてしかるべきだった。それを証言できるのは、綴り方仲間の文学者ではなくて、出来事を歴史的な立場から観察する能力をもつジャーナリストであり、彼らにこそうってつけの仕事であった。
いずれにしても、エネルギー危機があわや大爆発というその時期に、マスコミ全体が愛国などというミーチャン・ハーチャン向けの幕間狂言に熱をあげていたというのは、どうにもほめられた話ではなかった。
こんな思いのなかで書きあげたのが、「石油は日本の生命線」という本書の第一章だった。この原稿を書いている間には、「国際石油資本がわれわれの要求に応じないなら、石油の供給停止などの有効な措置をとる」というテヘランからの石油輪出国機構の特別閣僚会議の決定が発表されたりして、私は心配で眠られないまま、筆を進めたこともあった。
しかし幸運なことに、国際石油資本側の全面的な妥協によってこの石油危機は一段落した。ただ考えなければならないのは、それは日本をとりかこんでいた状況の最も危機杓な部分に変化があったのにすぎず、決して日本の持つ基本的な問題点が解決したのではなく、致命的な弱味はそのまま弱味として持続している点である。この点を見あやまらないように注意することが肝心だ。なにしろ現在の日本は、自己の体質を徹底的に作りかえる努力をしないまま歳月を浪費したために、再び石油危機に直面しようとしているのだから。
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このようにしてまとめた第一章にひきつづいて、その後の一年間に、仕事のあい間を見て、その時期のトピックを中心に九章の原稿を書いた。そのうちのあるものは『文芸春秋』その他の月刊誌を通じて、内容の一部を発表したものもある。中にはきわどい政治的な発言をしなければならないために、私がアメリカの石油会社で仕事をしていたという立場を考えて、編集者が架空の名前を使ってくれたものもある。
ここで改めて全体を読み直してみると、私の予測や判断が不幸にもことごとく的中して、日本をめぐる石油危機はますます深刻化していることを痛感せざるをえない。また一書にまとめるにあたっては、その後の事態の推移を補説として補った。この部分については、いずれ本書の続篇として詳しく論じるつもりである。
なお、本書のなかには問題提起が先走って物足りない気のする個所もあるが、これは、外国の会社で仕事をしている立場から来る制約でいかんともし難かった。なにしろ世界の政治と経済は石油資源ときわめて密接に結びついており、石油政策というものは、微妙な国家間の利害に関係するとともに、私個人の生命の安全にも大きな影響力をもつので、ある一定以上のことにふれることができないのだ。お陰でこの点が、私自身にも、また読者にも不満感を与えるかもしれないが、石油の持つきわめて高度に政治的な要素からすると、むしろ当然なことだつたかもしれない。
また逆に、日本の持つ弱味には遠慮なくふれ、奥歯に物がはさまったようないい方はしないように心がけたのは、私が日本人だからだ。当然のこととして、日本の最高責任者たちに敬老の意味をこめて率直な提言や批判をしないというマスコミ界の常識を破るようなこともやった。石油問題を扱う以上、財界や政界の欺瞞にみちた姿勢や無知蒙昧な態度に対してはっきりと批判しないわけにいかないからだ。
また、私の仲間である石油関係者たちにとっては耳が痛いようなこともいわざるを得ないほど、日本の危機的状態は深刻になっているのだ。それだけに、現状を支配している因習的な発想法や自己保身的な考え方を白日のもとにさらけ出す作業を今ここでやらない限り、いったい何が原因で日本が重態に陥ったのかさっぱり見当がつかないまま、一億の国民は断末魔の苦しみを体験しなければならなくなる。だから日本の未来学者たちがやるように、現実に存在している問題点を極小化して未来の中に押しこんでしまい、誰でもが感嘆の声を発するようなバラ色の未来図を描き出すやり方をせず、逆にニクマレ者になりかねない役目を覚悟の上で発言したのであった。
しかし、これは本人が軽い自覚症状しか待たず、将来に対して甘い夢を見ている時にガンであることを宣告する医師の立場に似ていて、少しも晴れ晴れした気持になれない。このままだと、日本は断末魔の苦しみを迎える以外どうしようもないということが、職業的なカンからはっきり分るからであり、自分が専門にしている分野でこのような不吉な結論を得たことを大変心苦しく思っている。それにしても、日本人ならばどんな苛酷な案件にあっても逞しく困難をのりこえていくであろう。現に日本の歴史は失政の後始末と不幸を克服する努力で綴られた民族史であったことを思えば、しのびよるウルトラ級の国難に立ち向うに際して、新しい勇気が湧いて来るというものである。
大変長いまえがきになってしまったが、この本が出版されるに際して、サイマル出版会の田村勝夫編集長と諏訪部大太郡編集次長のジャーナリストとしての使命感が、堕落した日本の出版界の中で、いかにダイヤモンドの輝きを持っているかということを思い知らされるとともに、日本経済新聞社の大原進外信郡次長と日本放送協会の斉藤勝治氏、そして竹内雅子氏に大変お世話になったことを記しておきたい。
また本書の執筆にあたっての一年間を、「学者みたいに、明けても暮れても書きものばかりしている人となんか結婚しなければよかった」とぼやき続けながらも、家庭生活を省みないで机にばかり向っていた私との共同生活に耐えてくれた妻の喜代子に対しても、ここであわせて感謝しておきたい。
(一九七三年三月、北極おろしが吹き荒れる日)
目次
祖国の運命を憂える(まえがき)
1 石油は日本の生命線
地上最大の産業/日本の石油産業は発育不全/石油政策の不在/数千億円の探鉱資金/努力の報酬/石油資本の不安/前頭九枚目から三役への道
2 指導者なき石油政策
石油戦争の教訓/真の指導者の欠如/イランことした助六芝居/指導者の椅子に座る人びと/石油の毛並み中心人事
3 石油事業を再編成せよ
三流の評価/貧乏人の子沢山/味なしダンゴ/石油事業といくつかの課題
4 幻の石油産業と情報産業の虚像
大産業の勢ぞろい/幻の石油差業/何が石油産業の中枢か/事業の挑戦とバクチ/生産性と石油産業/知識集約型の石油会社/情報の矮小化/情報化と産業の未来化/シェラザードの願い
5 海外拠点は国の要石
拠点の守り/海外事務所長列伝/情報の取集/代表者の修業/悲壮な大久保彦左衛門/千里の馬と名伯楽
6 裸の王様の物語
アメリカ人と日本経済/ジャガイモ五キロ/さまよえるオイル・ドル/粉飾決算と円切り上げ/大金持ちとエコノミスト/王様を見る眼
7 日米関係のアキレス腱・石油
反日感情の胎動/アメリカの誇り高き石油産業/西方の野蛮国/高まる危機感/アメリカ最大の国難/遂に大統領が動き出す/試練の中の日本
8 石油とニクソン訪中劇の背景
訪中声期の発表/メフィストフェレスのキッシンジャー登場/隠れた主人公“石油”/中国の石油問題/アメリカは失うものを持っている/米中のギブ・アンド・テーク/パートナーシップの不足/日本の足場固め/米・中・ソのバランスの中で
9 迫りくる石油危機
タンカーの大爆発/マラッカ海峡の火の手/日本の宿命的な体質/逆は必ずしも真ならず/世界一の将棋王国/国を守ることの意味/迫りくる石油危機/一億総野垂れ死に/日本の挑戦
《補説》
米中ソ日の角逐/ソ連外交と石油戦略/石油が狙いのニクソン訪ソ/顕在化する石油危機/田中訪中と中国の石油/米ソの結託/日米石油競争の開始
著書
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