著者が、フランス・グルノーブル大学留学中に、当地で冬期オリンピックが行われた。次の開催地が札幌ということもあり、数少ない日本人としてオリンピック準備に関わる。
目次第1章 東京オリンピックの季節フランスのテレビブーム/税関からの呼び出し/税金の更正決定/ 鯉のぼりの新聞記事/思いがけない横槍/鯉のぼりへの挽歌/ 江戸っ子の心意気/空ぶらりんの鯉のぼりの運命第2章 オリンピック都市グルノーブル新産業都市グルノーブル/ドゴール旋風の威力/ 抵抗の戦士ミシャロン博士の奮闘/市民党の新市長の誕生/ ドゴールの反撃とIOCの立場/報道担当官になった新聞記者/ 若い社会主義者の密かな野望/市役所で交わす日本の話題/ グルノーブルから日本への最初のメッセージ第3章 市民の中のエトランゼ蛍雪時代の終了/新しい門出と市民党のメッセージ/ 赤と黒の町グルノーブル/歴史の足跡/ ドゴールの大統領再選/名作・世界の旅/水爆実験への反対運動/二人の異なったブレジダン /糞尿タンカーを使う抗議作戦第4章 市民参加と札幌からの視察団曲がりくねった視察団の挨拶/日本からのゲリラ部隊/ 江戸っ子としての気概/市民の発想が生きた現場/ 減水と断水の悩みで新市長の誕生/高嶺の花/ 村の政治と草の根運動の闘士/真夏の冬期オリンピックを準備する人々第5章 汚れた東京オリンピックと警視総監賞ベルドンヌ山の十三夜の月/人の心の中を見抜く眼光/ 諜報人間の物語/東京のニセ証紙事件/ ライフル魔による人質事件/警視総監賞の神通力第6章 冒険への憧れとシベリア横断計画ニジェール川の筏下りの衝撃/新しい冒険とオリンピック都市巡り/ シベリアに築く突破口/円卓の騎士/札幌市民への友好の挨拶/ コシギン首相の突然の来訪/親善旅行の世界一周化第7章 ローソクと雪明かりの中で自治区サンローラン街/切手が語る日本の素晴らしさ/ 戦争と平和をめぐる論争/独立国としての条件と優先順位/ 軍事力とエネルギー政策の対立/閣議決定による波乱の渦第8章 札幌からのつむじ風ウィーンの新年演奏会の誘い/長大でしかも短い大旅行/ オリンピック特別顧間への就任/札幌から来た建築家/ 通訳の能力と当事者の資質/札幌市の驚くべき交通難第9章 躍動のプレオリンピック大会地獄の仏扱いされた若者/日本で初めて取り組む木ゾリ競技/ 村役場のリュージュ熱/日本を代表するプレオリンピック選手/ 練習で鍛える奴隷選手の悲哀/オリンピック選手を巻き込んだ夜の宴 /馬つきのソリ/南国の春が招いた悪夢第10章 混迷の中のプレオリンピック公務員みたいな人と幻想の乙女/カミカゼ精神と日本チームの玉砕/ 討ち死のリヒテンシュタインの臣民選手たち/集まり始めた反響と落ちた雷 /漲った張りのある気分/さ迷う書留小包の被害第11章 変貌するオリンピック都市グルノーブルを包む挑戦への意欲/ロータリー・エンジン車への熱い視線 /コジョを支配したお役所仕事/社会主義者たちの砦/ スポンサー志願とプレーボーイの夢/自信を持つ市政の展開/ 老害の時代と老人を敬うこと/パリヘの無駄足と政府特別権限法/ 時間切れによる計画の挫折第12章 オリンピック前の静けさ政治の混迷と停電続き/水道局長の視察旅行/ 日本の垂れ流し政治のツケ/給湯施設のアイディアの移植/ 夏から秋にかけての仕事とバカンス/マンデス=フランス議員との出会い /自治と民衆/追い込みの突貫工事/通訳の大募集第13章 オリンピック開幕を控えた喧騒町中のホテルが満員御礼/未熟な民主主義から衆愚主義へ/ 立場の妥協/ポスター騒動とブランデージ会長の雷/ VIP(特別賓客)の接待/ダークホース的な札幌市の助役/ オリンピック開幕前夜第14章 冬期オリンピック・グルノーブル大会グルノーブル大会の開幕/オリンピックの文化儀式/ カナペの計算/一般観衆の歩み/敵討ちのし損ない/ 思いがけない月下氷人の諸/党派の枠組みと自由人の条件 /オリンピックを蝕む影/過剰意識で惜敗を迎えたジャンプ台 /閉幕のグルノーブル大会とアルプスの霊気/ 札幌の北極星
[アンチ解説]若月弘一郎『オリンピアン幻想』が秘めた寓意の透視回 戦後日本の隆盛期をフランス鏡に写して綴ったサガ 若月弘一郎(文芸評論、文明批評)
歴史は壮大であり万巻の書籍以上のものだが、[ことごとく書を信じるなら、書なきにしかず]と言うように、文字をつき抜けて行間の彼方を洞察しない限り、真の意味で歴史を読んだことにならない。その点では読書の真髄も同じであり、外面的な装飾としての文体や事件を取り除いて、形態の消えた所の極点の観察の果てに、エッセンスとして抽出した何かが、書物の本質を示しているのが普通だ。だから、何事も本質の記述は僅か数行で済み、孔子は[詩三石、二言で以て、思い邪なし]と断言したのである。 戦争に明け暮れた戦前の日本史のエッセンスも、[昭和に入って本格化した日本の帝国主義は、理性的な判断に代わって感情が君臨し、帝国日本の幻想に国を挙げてのめり込み、アメリカに無謀な挑戦をして自滅した]という記述になり、単なる民族的な逆上の軌跡に過ぎなくなる。 更に、大日本帝国の行動様式の面で解説すれば、[アジアを勢力圏にしようという日本の野望が一中国大陸に資源と市場を求めて膨脹し、大陸での軍事行動の制御が不能になった。また、党利党略の政争と腐敗の高まりにより、テロを通じた政治の無力化が進行して、外交まで軍人に操られて支離滅裂を呈し、政党政治の解消でファシズム体制に移行した。そして、中国での侵略が招いた石油の禁輸が、一発勝負の真珠湾奇襲にと結びつき、太平洋戦争に突入して大破綻した]に過ぎなくなる。しかも、戦艦大和や特攻隊は装飾音と同じで、戦争の本質とは無関係な存在になってしまう。 同じ流儀でこの「オリンピアン幻想』を読めば、スポーツ競技や地方政治は外交に似ているし、商学主義のエピソードは軍事行動と同じで、全てが外装として見かけだけのものになる。そして、オリンピックの実態を透視すれば、それは世界の貴族階級が四年毎に集まり、歌舞伎座でお見合いや縁組みをするのに似て、[王侯はオリンピックで歌舞伎にし]という、17文字に納まってしまう世界でもある。 こんな決めつけ方は著者の激怒を招きかねないが、文明批評の世界の習いだとこうなるのであり、それでは味気がなければより緩慢で虚飾に満ちた、文芸評論のアプローチの採用も可能だ。しかし、戦後に限らず昭和以降文学は不毛であり、文学を論じれば泣き言の集積に終わりかねないので、より歴史の本流に沿う方が救いがありそうだ。 そこで今度は戦後にフォーカスを絞り、この物語を大きな枠組みの中で捉えるために、無条件降伏で始まる戦後史を振り返って、歴史評論の流儀で展望して見よう。 昭和史の後半は平和国家の路線として始まったが、米国主体の連合軍による占領時代の体験を経て、日本はサンフランシスコ条約で独立を果たし、戦禍で荒廃した社会の再建を目ざした。経済至上主義の路線を選んだ日本は、与党と野党の奇妙な政治均衡の上に乗って、55年体制という疑似民主体制を使い、造船や石油化学などの重工業の発展を目指しながら、高度成長の路線をつき進んだのである。
海外旅行の自由化が行われたのは1964年だし、門外不出のミロのヴィーナスが東京で展示されたり、家庭用のビデオの新発売もこの年に実現した。 大きな流れの中にいると動きが見えないものだが、オリンピック大会が東京で開かれた頃は、情報革命の始まった時期に一致している。太平洋を越えて日米がテレビで繋がった第一報は、ケネディー大統領の暗殺のニュースだったが、日本とヨーロッパがテレビで結ばれたのも1964年の東京オリンピックの時であった。 『赤と黒』の作者スタンダールを生んだグルノーブルは、フランスでも有数な新産業都市であり、大学と研究所を中心に町は発展し続けたが、市政の立ち遅れのために市民の不満が高まった。それを解決する手段にオリンピックが利用さ机、民族主義を鼓舞するドゴール大統領の支援で、第10回冬期大会の誘致に成功したのだが、この時期のフランスは知的な営みの面でも活発だった。 1962年にレヴィ・ストロースが発表した「野性の思考』は、構造主義という新しい科学運動を生み出して、ミッシェルー=フーコーやルイ=アルチュセールの仕事に注目が集まり、それに反比例するかのように、実存主義や古典的なマルクス主義が色あせた。 しかも、1964年6月にパリでジャック=ラカンがフロイト派を創立し、たった一人でフランス精神分析学派の旗揚げをした時に、著者の鏡像である溝口悠太郎がグルノーブルで動きだす。 溝は井田の周辺を流れる水路を意味し、溝も口も共に格子構造を表しているが、これは中東のドウマン模様を体現しており、水の女神アシュトラの王宮を象徴している。それに対し、五芒星(ペンダグラム)は古代ペルシア語でセイマンであり、水の女神アシュトラそれ自身を象徴し、ダイナミックな変革の雰囲気を漂わせている。 藤原文化と呼ばれる平安時代の精神構造は、芦屋道満と安倍晴明による陰陽道が中心であり、広く密教をも含む呪術の世界について、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』がエピソードを記録している。陰陽師の双壁として知られた二人の名前が、音韻学的に中東のドウマンとセイマンに結びつけば、日本史がユーラシア大陸史の中に位置づけられ、オリンピアンの賑わいの延長線上にカルディア人やシュメール人の世界が現れる。 生命活動の源泉のペンダグラムは螺旋を支配し、渦巻の生成によるダイナミズムの発現は、弥勒思想やミトラ信仰を含む古代参神教に繋がり、それ自体がアシュトラを体現することで、波動現象としての森羅万象に結びつくのである。 フロイト学派が好んで用いるエディプスの物語は、メソポタミア神話にその起源を持っており地球レベルでの神話の源を探る操作が、露頭の背後に潜むアーキタイプの発見をもたらす。そして、アシュトラの夫の宇宙神ヴァールと息子のミトラが、共にアシュトラを妻にしているバターンには、アマテラスとスサノオの姉弟の形をとって、日本神話における伝承構造の変形を伴う解読と結びつく。アマテラスやスサノオは日本神話の中核であり、そこに神話と伝承の原点を感じる日本人は、二柱の神に全ての始まりがあると信じる。 しかし、平均的な時間と空間を越えたレベルでは、ユーラシア大陸に広がる中東文明が結びつき、日本文化は文明の一環に位置づけられる。 キリスト教、仏教、イスラム教の三大宗教は、公正と正義の契約によって構成された、太古のミトラの教えを源泉に持っており、空海の[十住心論」によれば第三位心以下に属している。しかも、第四位心を越えた阿弥陀の思想はマイトレーヤに由来しており、末法の日本を混迷から救済するだけでなく、切断できない無限を意味するア・ミトラは、メートル法が文明を貫く謎解きまで提供する。 本書との出会いに恵まれた読者にとっては、通底音の響きを聞き逃さないだけでなく、現在と過去の照応関係を取り逃がさないことも、常に掴んでおく必要のある心得になる。また、行間を読み、書かれなかった遠景を思い描くことは、読書の楽しみを満喫するノウハウであり、そこに本と出会い思想と触れ合う秘策がある。 フランスと日本という文化面での通底だけでなく、オリンピックや政治運動という顕在レベルで、どのような展開を遂げて行くかを思索すること。それは読者に与えられた暗黙の公案であり、『オリンピアン幻想』が行間で伝えるメッセージには、隠れた次元の叡知が見え隠れしている。 都市の行き詰まりをオリンピック準備で克服し、情報時代に対応する転換を実現するために、文明のレベルでの巨視的な変革期を背景にして、東京とアルプスの学術都市グルノーブルが、鯉のぼりとオリンピックを軸にして結びついた。そして、ドゴール政権が強行した南太平洋での水爆実験や、アメリカ政府が泥沼にはまったベトナム戦争、また、中国大陸を混乱に巻き込んだ文化大革命などが、対決の状況下で目まぐるしく流動化して行く。こうした時代性を持っ1960年代の半ばに、冬期オリンピックの準備に取りかかったことで、社会主義者と共産主義者の考え方の差が明白になり、グルノーブルでは左翼陣営が二つに割れる。そして、条件闘争と絶対反対の形に分裂した中から、知識層を中心にした市民党が誕生して、グルノーブル市政を掌握したことで、パリに陣取るドゴール派との対決が確定してしまう。 ジャーナリズムから地方政治に活動の場を移し、オリンピックを武器に使おうと考えた新聞記者が、ドゴール流の専制政治に対決を試みたので、グルノーブルの上を台風の目が包んだ。しかも、リュシアン・マルテルが市政を利用したことは、日本から来た溝口悠太郎の人生だけでなく、フランス政治に大インパクトを与えたのである。 それはオリンピックが持つ国際性のためであり、折から始まった情報革命の影響のせいで、グルノーブルはメディアの関心の的になった。しかも、厳冬期に開催されるオリンピック大会が、夏の間にボランタリー活動をする市民を中心に、着実に準備されて行く事実を目撃した著者は、共感を持ってそこに原題の由来を求めている。 その延長上に日本人が登場するのであり。ジャーナリストや札幌からの視察団の訪問が、グルノーブルを舞台に頻繁にくり返され、市民党の考え方が日本に伝わったことで、大都市を中心に各地に革新市政が誕生し、1960年代の日本では市民意識が高揚した。 文明の発展史を大きな流れで捉えると、古代における部族集団による部民から、領民を経て臣民を体験してから市民になるが、日本では市民意識への転換がスムーズでなかった。それは日本の歴史の特殊性のためであり、明治維新が近代革命の性格に欠けたので、領民から臣民への移行だけで終わってしまい、敗戦は臣民が市民に転換する機会にならず、臣民から領民への逆行を生んでしまった。だから、日本に市民運動が根づく土壌が乏しかったのに、オリンピックを媒体にしたフランス仕込みにより、グルノーブルから到来した市民党という言葉が、新鮮な興奮を日本人に与えたのである。 市民運動が各地に革新市政を生んだことは、60年代の日本人にとって画期的だったが、それが単に自民党体制を否定するだけで、福祉至上主義から抜け出せなかったので、移植された市民運動には限界がつきまとった。それは国家よりも社会に高い優先順位を与え、健全な民主社会を築くという理想の実現が、合理的な近代精神で貫かれない状態で、教条的な社会主義にすり換えられたからだ。そのために、地道な活動と堅実な政治の運営にならず、日本の政治は中央と地方で行き詰まって、財政破綻で80年代には姿を消してしまった。 ただ、20年後の都市の基盤整備を先取りした札幌だけは、国際性と平和を指向したオリンピアンの思想を生かし、地上の楽園を実現しようと試みたので、国際的なコンベンション都市の基礎を固め、冬期オリンピック開催の成果を市民の財産にした。それは60年代の日本は経済的に未だ青年期であり、驕りや頽廃に毒される以前の段階にあって、健全な精神が社会の中に生きていたからだ。このような古典的な精神が存在していたお陰で、札幌のオリンピックでは無駄な設備投資の少ない、地味でも堅実な準備が成り立ち得たし、自然界への配慮も試みられたのである。 1960年代における腐敗は政界と財界が主で、官界や学界は未だそれほど蝕まれておらず、明るい社会を築く連帯感もあり、社会を大事にする姿勢が日本人の間に強く残っていた。青年期に特有な純粋でひたむきな心で、札幌市の役人たちは理想の実現に向かったし、嘘や利権のすり替えで税金を掠め取ったり、予算不足による至らなさを誤魔化さずに、出来る限界で最大の努力がなされたのである。 1960年代の日本と世紀末の現在を較べると、青年期と老衰期の違いが読み取れることは、週刊誌の写真や記事で一目瞭然であり、30年間でこれほどまで強烈に精神の荒廃が進んだ、猥雑な風潮が日本に君臨した原因は、老年、壮年、青年、少年という世代のケジメがなくなって、大人世代の節度の一般的な低下に由来する。本来なら円熟した人間が責任感と共に占めるべき地位に、鍛練不足の成人が年功序列に従って座り、愚劣で低俗な好みを氾濫させた結果でもある。 それはテレビの隆盛と歩調を合わせており、俗悪な芸能番組の普及と密着していたが、品質は基準を下げると果てしなく下落し、幸福に代わって快楽の原理が支配して、発展のない反復の美学が君臨するようになる。しかも、日本の場合は映画と文学が衰退して、低級なものに拮抗する分野が存在しないから、テレビや漫画の安直な好みに引きずられ、社会規範が低きに流れてしまうのである。 文化面における過去の日本の社会環境においても、いかがわしい小説や映像は常に存在したが、現在のように大手を振って横行することはなく、人目を避け息を潜めている存在であった。無原則な人間賛美の心が情念を解き放ち、正しい判断力を育てる努力を放棄すれば、各人は社会でしたい放題をするようになり、デカダンスの支配で生命力を放蕩することで、次の世代が生きる環境を損ない尽くすことになる。 いつの時代にも不良に属すものは存在して、世の中に害悪の種をまき散らすものだが、それに対して社会としての倫理基準があり、規範がブレーキ役を果たすようになっている。暴力行為や女出入りを賑やかに騒ぎ立てたり、粗野な感情を不用意に露呈するような行為は、素姓の卑しいはしたない人間の営みに属している。 躾られたまともな人間には不似合いだという、健全な常識が社会に生きている時代には、次の世代のことを考えることが美徳だとされてきた。そして、自分の情念を制御して自らに畏敬を感じ、強さと自信に基づく寛容さを持つ者は、自分の言葉にふさわしい耳と目に対して、誠実な言葉を提供する責務を果たし続けるものだ。だが、1980年代の物欲優先の拝金主義を通じて、中曽根バブルによる洗脳を受けた後では、日本人の価値観は全く狂ったものになった。そして、何が正しく何が不正かの区別がつかなくなってしまい、異常が大手を振い始めたのである。 ローマ帝国史を研究したモンテスキューは、[経済的な豊かさが精神の弛緩と堕落を生み、不足の欠乏が人間を不幸にした]と結論したが、ギボンも[繁栄は衰亡の本質を成熟させた]と書いている通り、奢りと享楽は社会崩壊のための媚薬である。 逆境の中で人は考えることを通じて鍛えられ、より本質的な不易の問題を大事にするものだが、不易に代わって流行が時代精神を支配し、節度と規範を捨てて物欲を指向したことで、バブル経済の中で亡国の歯車が回転し始めた。そして、利権として長野に招いたオリンピック大会や、大国意識への陶酔に続くバブル経済によって、日本列島を覆った宴の跡の狼籍のせいで、その悲惨さは目を覆うばかりになっている。 西武グルーブの凄まじい利権漁りの毒牙にかかり、地元民からもソッポを向かれた長野大会は、一発気分の浮薄な日本人だけの関心事で、主催都市の市民の連帯意識と無縁なものになり果てた。 いずれが歴史的により大きな評価を受けるかは、次の世代の判断に任されるにしても、札幌と長野の冬期オリンピック準備の内容上の相違が、明白になるのは時間の問題に過ぎないのである。 シベリアに広がる立入り禁止地帯を突破して、オリンピックの親善使節のキャラバンを組織し、ソ連が世界に突きつけた不信の砦に風穴を穿つ試みは、時間切れで実現するに至らなかった。だが、シベリア横断を目ざす努力の過程を通じて、多くの若者の共感と支持を集めたのは、自動車のキャラバンのイメージの中に、目的地を目指して延びる道を読み取り、そこに湧き上がる巡礼精神の高まりがあったからだ。 それは可能性に対して挑む冒険への意欲が、若い命に共感の渦を巻き起こしたからであり、方向づけられた勇気に対しての声援の意味もあった。だから、その努力のプロセスの積重ねを通じて、冒険への誘いが波紋を描いた事実により、挑戦を通じて公正を目指すオリンピアン精神への共鳴により、フランスの若者に多くの賛同者を生んだ。そして、その幾人かは自ら大陸横断への参加を希望したし、幾つかの企業から支援の申し出もあったのである。 現代は閉塞感が支配する世紀末の時期であり、小さな自己や肉体に囚わ机た本能に関心が向き、未知の世界や地平の彼方を目指す挑戦の意欲が、萎縮した精神のせいで評価されない時代である。だが、日常性から抜け出して慣性の桎梏を振り切り、旅に出ることで自分を新たに位置づけ、全体との関連で人生の意味を捉え直せば、人は無言の内に暗黙知の意味の理解に達するし、その生き様の軌跡が思想そのものを体現する。 発展を求める精神と決断を持つ存在感で、現状を打破する計画への参加を通じて、若者たちは目標実現にエネルギーを結集し、自由に向けての第一歩を踏み出す世界が、日本の外には幾らでも広がっている。そして、溝口悠太郎という無手勝流の青年は、意欲だけで機会を開拓して挑戦に乗り出し、パリやモスクワの政治との格闘を通じて、世界史の中に参与する体験を持つことになる。素手で立ち向かった若者の意欲と人格が、歴史の流れのなかで一つの新しい役割をもたらし、人生に個性的な色彩を与えたのである。 モスクワ政府の頑迷で硬直した姿勢は、短期的にはシベリアの壁を不動のものにしたが、その柔軟さのない致命的な欠陥のために、20年を待たずしてソ連体制は崩壊している。全ての成果は時間の関数によって決まるが、[成敗極知は定勢なし]と昔から言うように、全力を尽して実践を通じて挑めば、運命は問いと働きかけに応答するのである。 主体的な姿勢を持って新体験に挑んだ主人公は、運命の采配でプレオリンピックに出場したり、本番のオリンピックでは役員まで経験する。しかも、彼のオリンピックの本質に対しての理解のレベルは、スポーツ大会を表看板にしたものが、貴族たちの会合としてのオリンピックの発掘になり、本書を謎解きを持つ世紀の奥義書にしている。 そう考えると本書のメッセージの真意が、オリンピックを巡る各種のエピソードより、書かれていない部分にあることが分かるし、歴史事件を司る遺伝子の存在が見えて来る。しかも、大きな変革は多くの場合に密かに始まり、暫くは誰にも気づかれないままで息づき、着実に成長するのが常であることが分かる。市民党が動かした地方政治の渦の中から、ドゴール政治に対決する潮流が盛り上がり、それが地上楽園作りを目ざす市民運動に発展するが、時にはそれは革命への火種に転化しかねないし、世界史的な事件の誘発をもたらして行く。 そのような視点を持って全体の流れを捉えると、グルノーブル大会の閉幕二ヵ月後に起きた、フランスの五月事件の前奏曲としての役割や、札幌大会における選手の反乱事件の萌芽から、ミュンヘン大会で発生したテロ事件に至るまで、胎動は既に本書中に観察されていると分かるのである。
『山岳誌』の[補説]の296頁から301頁にかけては、本書の梗概として簡明な記述になっており、両書が親子関係にあることを示しているが、相似的なこのフラクタルな作品を較べれば、全体と部分の間の再生産関係が分かる。なぜそんなことが生起したかを求め、隠れた秘密を結ぶ糸を手繰り寄せたところ、1991年の晩秋のキャピトル東急ホテルにたどり着いた。 『インテリジェンス戦争の時代』の出版記念パーティの会場は、著者の知人や友人が集まって賑やかであり、赤坂の奇麗どころのサービスまであって、これはと思う顔ぶれのお祝いスピーチがあったが、その中に謎を解く鍵を含む発言があった。 「……藤原さんとの出会いは20年ほど前のことであり、私が「文芸春秋』本誌の編集次長だった頃に、石油危機の記事を読んだとき以来のことで、…。(中略)…・−オリンピックの準備が中心になっているけど、われわれの知らない切手の世界の興味深い話や、ナチに占領された時代のフランスの話が、第二次大戦の戦争の歴史と絡み合って、『戦争と平和』のように歴史が主人公になっています。文章は未だ粗削りで推敲が必要だが、これだけ大きなスケールと思想性を持つものは、日本の文学の流れの中には見かけないし、私が拝読したのは十数年前のことですが、そろそろ作品として仕上がっていい頃だから、その後どうなったかを楽しみにしています。(中略)……(後略)」 このスピーチをしたのが『文学界』の元編集長だったので、全く意外な分野から思いがけない情報を得たために、そんなことがあったかと思わず耳を疑った。 そこで早速このことの意味を藤原さんに質問したら、「かつて書いた大河小説の一部を読んでもらったが、途中の三巻まで書いて20年近く放置しており、文学をやるには若過ぎて恥ずかしいから、自分が老人になったと思う時までペンを折っている。文芸は人間にとって素養の領域に属しており、大の男が昼日中から取り組む事柄でなく、本業の余暇に趣味として楽しめば良いので鴎外も土曜の午前中しか執筆しなかったと言う。しかも、文章を書くのは自己主張の一つでありある時期から対話以外は好まなくなったし、文学などは最も下等な文化行為だと考え、行為を通じて創造に関与することの方に、より魅力を感じている」という答えが返ってきた。 こうした会話の過程で新しい発掘が実現し、大河小説とは別筋の『真夏の冬期オリンピック』の登場になったが、実はこの書は1970年に完成しており、札幌大会に先立つ1971年秋の段階で、ある出版社で上梓が決まっていたのに、突然その出版が中止に決ったのである。 それは本書では割愛したエピローグの章に、札幌大会で若者の反乱として選手のストライキやテロ事件が起きるという予告があったからだ。そのために、出版が本物のテロを誘発することにでもなれば、天皇の臨席や国家的な祝典の手前もあって、責任の取りようがないという不安に支配され、一種の自己規制の発動に結びついた。そして、不祥事を回避するという理由が中止の口実になり、出版の企画自体が途中で取り消されたので、この[真夏の冬期オリンピック]と題した作品は長らくお蔵入りになっていたのである。 だが、長野大会が余りにも利権漁りで汚辱され、それを放置するのは共犯だという思いに基づき、主人公を彼から溝口悠太郎に改めて、ここに歴史の鑑として復活が実現した。オリンピック精神から逸脱した長野の準備と、亡国現象の中で荒廃した市民意識に対して、オリンピックの原点を照らし出すことで、『オリンピアン幻想』と改題した本書が省察に役立ではという願いが機能している。 それにしても、グルノーブルは30年前の市民運動の遺産で、科学者や研究者が二万人近くも住み着き、パリに次ぐフランス第二の研究都市に変貌し、ハイテク都市として躍進を続けていることが、オリンピックが残した最大の成果になっている。 それに対して長野大会は利権で踏み荒らされ、美しい自然と教育熱心で知られた長野県は、虚飾の輝きを最大限にまとう収奪の場として、畜群を相手にした遊蕩市場にと変貌した。世紀末を象徴する儀式を演じたものが、冬期オリンピック長野大会だとの理解に至れば、失ったものの大きさに改めて目を見張り、読者は一つの共有財産を入手したことになる。 グルノーブルや札幌の理想が片鱗も残らないほど、商業主義と利権漁りで踏みにじられたからであり、その弊害が21世紀への負債になるという意味で、日本アルプスは世紀末の墓碑銘を刻んだのである。 前半部は百年後に書かれた漱石の『坊ちゃん』であり、明治の坊ちゃんは大学を卒業して教師になると、四国の松山に渡り多くの体験を経て、実生活の裏表により精通した男として再生する。また、漱石が生きた明治という時代精神と対決するために、坊ちゃんを四国巡礼に旅立たせることによって、人生のイニシエーションを体験させたのであり、これが文芸評論をする立場での視点である。 明治の日本には近代的な市民社会は存在せず、自らが生きる時代や民族の宿命を知るには、生まれ故郷の東京から遠い四国に身を移し、四国の鏡の中に江戸っ子を映すことで、漱石はそこに文明開化の意味を問いかけた。 そのような歴史的な事実を踏み台に使うなら、高度成長を体験していた日本の時代性の中で、昭和の坊ちゃんのフランス留学があって、アルプスの町の大学に学ぶ機会を生かし、江戸っ子は先ず鯉のぼりで異文化を体験する。[赤しゃつ]や[野太鼓]の代わりに[県知事]や[ドゴール]が登場し、時にはコシギン首相やオリンピックのブランデージ会長まで顔を出すが、ドラマとしては現代版[坊ちゃん』の世界が広がっている。 そこには津和野から箕を背負って上京し、軍医としてドイツに留学した森鴎外と、英文学者としてロンドンに行った夏目漱石を結ぶ、留学体験に基づいた異文化との遭遇や、文明と対決した文化の葛藤の内面化がある。 著者の母方の出身は島根県の津和野であり、曾祖父は藩校の養老館で幼い森林太郎と机を並べたが、廃刀令で武士としての挫折を体験して、一生を鶯取りの道楽に費やした点で、明治の新体制にアウトサイダーだったとか。体制を批判する意志を[野ごころ]と表現し、トリックスターとして生きる遺伝子を誇り、フランス的な批判眼と結ぶ反骨精神が、著者の頭上で舞姫と神経症を止揚している。 (以下略)
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