石油飢餓
1974年01月吉日初版発行 本体価格890円
サイマル出版会
絶版
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石油問題ははじまったばかりだ!
資源問題と歴史の教訓
凍てついた寒気のなかに立って、しばらくのあいだ冴えわたった星空を見上げながら「ついに始まったか」と嘆息をつくと、白い息が夜寒のなかに張りついた。
こうして先刻まで、マイナス三〇度に冷えて時問の流れをさえカチカチに凍てつかせかねないカナダの夜空の下にたたずんで、祖国日本の前途に横たわっている苛酷な運命について思いをはせてきた私の頭は、いつになく冴えわたっている。おそらくは、それがあまりにも深刻すぎるために全神経が緊張から解放されないためだろう。
時は今、日本のジャーナリズムは全べージをフルにさいて石油危機の記事を満載し、日本の危機を叫んでいる。いつも変りないヒステリックで騒々しい声だが、太平洋を渡って私の手元に届けられる日本からの報道は、私が最も恐れていた「石油危機」一色に塗りこめられ、渦をまいて捻り声をあげている。未だその予震が始まっただけで、壊滅的な破壊力を秘めた本物の石油危機はじっと身動きもせず自分の出番にふさわしい瞬間がくるのを待ち構えているというのに。
日本から届く石油危機の声がなんとなく虚しい響きしか残さないのは、それが石油危機の本質にまったく無関係に、ただ石油危機を騒ぎたてるマスコミ界のセンセーショナリズムのせいかもしれない。あるいは私の耳が、そして大脳が、数年間にわたって緊張状態を続けてきたために突然ストレスを解放されても復旧せず、後遺症として残っているためだろう。
長かった。それは気が遠くなるほど長大な時間の連続だった。その長い時間がアッという間に過ぎてしまった。
日本が石油危機に襲われる日のことを想像した私が、いても立ってもいられない気持に包まれて、構造地質学という、地味だがやり甲斐のある仕事を途中で放棄して石油ビジネスの世界に身を投げ入れてから、すでに五年が過ぎた。
日本に本当の意味で実力をもった石油開発事業を生みだし、石油危機による初国の破滅を回避するためにはオイルマンを育てあげることが不可欠だ。もし期待できるなら、自分もそういったオイルマンの一人にと成長して、石油ビジネスを通じて日本がこれから生きていく途を構想できるような人間として日本のために役立ちたい。
オイルマンになるためには、泥と油にまみれて労務者と一緒になって採掘現場で叩きあげることから出発しない限り、本当の修業にならない。世界一の企業家として成功したポール・ゲティも、オックスフォードに学んだアメリカの逸材だからといって事務所のなかで人生をスタートしたのではなく、最初に油だらけになって現場で修業を積んだからこそ成功を手に入れたのだ。金持になることは成功でもなんでもないが、重要なことは、サラリーマンとして経営者に出世したのではなくて、自分の属するビジネスを誇りに思い訓練されたカンを養成する修業に自ら挑戦し、地上最大の石油ビジネスのなかで自己を鍛えた点だ。
彼は、自分の属す石油ビジネスの本質が何かを明らかにするだけの論客ではなかったが、とにかく鋭い識眼力を養成したことは事実であり、たとえ世界一の富豪になったとしても、それは単なる努力の結果でしかない。そしてたとえ富に結びつかなくとも、この地上最大のオイル・ビジネスがなぜ最大であるのかということを解明した人間が未だかつてこの世にいないとしたら、それを探険してくるのも生き甲斐かもしれない……。
こう考えた私は、その後世界の油田地帯を転々とした。
*
それまで私がジェオロジスト(地質学者)として仕事をしていたソグレアというコンサルタント会社は、サウジアラビアの国土改造計画を一手にひきうけて世紀の大事業を行なっていたばかりでなく、世界中で国土計画や大規模な水利事業を手がけている興味深い組織だった。日本の土木事業の成果として誇っている大型ダムのほとんどは、この会社が設計し図面を作っていた。いかにも独創力に富んだフランスの組織らしく、千人に近いジェオロジストやエンジニアを中心にした研究者と技術陣を誇る世界一のシンクタンクで仕事をするのは痛快であったが、日本の石油危機という熱病にとりつかれた私は、石油ビジネスに人生航路のカジを切り換えたのであった。
その決心をしたのは、石油の宝庫サウジアラビアの首都リヤドである。それまではほかの日本人と同じように、この国で操業している日本の石油開発会社が目覚ましい活躍をしていと信じきっていたのに、現地の声がまったくそれに反したものであったことにショックをうけたためだ。それとともに、この石油王国で仕事をしながらつくった各国から集っているたくさんの友人たちが、「日本の将来を考えて石油ビジネスをやった方がいいのではないか」とすすめてくれたからである。
しかしそれ以上にアラプの指導者たちと親しく意見を交換しているうちに、彼らがきっと近い将来に世界史の流れを変えるに違いないという確信をえたからだ。彼らなら世界の秩序作り変える。このような衝撃は、かつて個人的に親しくしてもらったマンデス牲フランス氏に初めて会った時の衝撃と同じで、私の心を高ぶらせた。
それまでは、眠れる獅子の中国を中心にしたアジアが第三勢力として登場し、世界史を変えていくと考えていた私も、アラブの指導者たちと議論すればするほど、彼らは私と同じ世代に属し、同じような理想をもっていると感じさせられた。これなら絶対に世界は変革される、過去ではなくて未来と結びつくために既成の秩序が打ち壊される。そしてその時石油が主役を演ずる。これはもはや私にとって疑う余地のないことだった。
そしてはるか地球の裏側を眺めた時、万博や札幌オリンビックというお祭り騒ぎにうつつを抜かし、昭和元禄の大平楽に酔いしれている祖国の姿が浮び上がってきた。現代史の流れと国際政治を支配している厳しい進化の法則に対して、ほとんどメクラ同然の観察しかできない日本の権力者たち。石油を武器に、すでに有効性を失って進歩に対して桎梏の役目しか果さない古い秩序を打ちこわし、新しい国際秩序を造りあげようと考えるアラブの政治家たち。
この二つの差は月とスッボン以上であり、私は彼らを激励するだけでなく、希望のすべてを託した。そして日本がこのまま目を覚まさないで馬鹿げた支配が続くかぎり、破滅は目に見えていると覚った。愚民政策は、国民をだますことはできても天は欺けない。そして、自分もだまされないためにはオイルマンの修業をしなければならないと考えた。
ヨーロッパに、中東に、北アフリカに、そして北米大陸にと、転々と仕事場を変えてオイル・ビジネスについての観察と実務的な経験を重ねていくうちに、私は日本を襲うであろう石油危機についての見通しに、いよいよ確信を深めたのである。
一九七一年二月に一段落したこの前の石油危機を機会にペンをとり、すでにサイマル出版会から『石油危機と日本の運命』と題して出版してもらっている原稿をまとめあげたのが、一九七一年一一月だった。この段階で私は、日本の石油危機がどのような性質のものであるかについてかなり確信をもって予想できたから、父親の死を機会に日本に帰国した時に自説を披露して歩いたわけである。詳しいことは本文にその時の記録があるので省くが、私は気狂い扱いをされた。
今ここでその時の記録を読みかえしてみると、なつかしい気持で一杯だ。石油危機を口にすると冷笑される時代がついこのあいだまで続いていたのだ。だから歴史は面白い。
そして一九七三年五月にサイマル出版会の田村勝夫社長・編集長が、ジャーナリストとしての使命感にもえて立派な本に作りあげてくれるまでは、私の原稿は日本の出版界から無視され続けてきた。誰でも自分の生れた国にとって不吉なことを発言されるのは嫌なものである。しかし日本がこのままでは破滅することが目に見えている以上、センセーショナルに騒ぎ立てるのではなく、静かに、しかも情熱をこめて問題提起することは、民族が刻々綴っていく歴史に対するひとつの責任である。ところがそれが人心を惑わす妄言であると考える人が世のなかにはたくさんいて、私は良い勉強になった。
ここでその続篇ともいうべき本書を世におくり読者の批判を乞うわけであるが、この本の内容は『石油危機と日本の煙命』を書き終えた一九七一年一一月から一九七三年一〇月の第四次中東戦争勃発の瞬問までについてまとめたものである。だから今日わが国が直面しようとしている危機的状態が始まる前史として、なぜ日本が破滅の危機にさらされているのかについて私が考えていたことが中心になって構成されている。
石油危機がわが国にもたらす悲惨な状況については、すでに前著のなかでくわしく述べているので、改めてつけ加える必要はないであろう。だから現在の日本のマスコミ界を支配しているようなテーマを期待して本書を手にした読者のなかには、物足りなさを感じる人があるかもしれない。もしそれを欲するなら、なにもマスコミ界に氾濫する活字によってではなく、これからの数年間の実生活を通じて石油危機の実体を思う存分味わった方が身のためになるのではないかという気がする。
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『石油危機と日本の運命』のなかで私は、未来はすでに始まっており、石油危機はすでに日本の外側を取り囲んでいると書いた。本書をまとめるにあたって私は、未来は同じように始まっており、日本は新しいファシズムのなかに深く身を没していることを不安な気持で眺めていると告白しないわけにはいかない。
戦後長らく続いた保守政治がついにファッショ化して、独裁者のまわりに翼賛政治家が結集し、すでに財閥化した財界と結託して一億の国民を再び悲劇のなかに巻きこもうとしている。
私は地球の歴史と自然現象を相手にするジェオロジストであり、いつの日にかオイルマンになりたいものと修業している日本人だ。私は、青春時代の一時期をフランスの大学に学び、地質学を勉強したが、幸運なことにそのかたわら政治学部で「狂気の時代」といわれるファシズムの台頭期のヨーロッパ政治史を聴講することができた。「ファシズムというならず者の最後の砦は、決して忽然として姿を現わすのではなく、腐敗を意に介さない財界と堕落した政治家の癒着に基礎をもち、権力を妄信した成上り者が城主になった時、全ヨーロッパを不幸のどん底に叩きこむ歴史が始まった」という老教授のことばが、今さらながら新鮮な感動をもって思いだされる。
現在進行していることを正しく評価するためには、時間をおいて歴史的事実として過去において見るか、空間的に距離をおき日本列島から一歩遠ざかって、しかも日本に焦点を合わせてみるかの二つの方法しかない。
私は地球を相手にした歴史学者として、自分の生きている時代がどのようなものであったかを後になって気がついて後悔するのは嫌だから、太平洋を間において日本を観察しているが、このファシズムの不吉な胎動は気がかりでならない。国民が力を合わせてこの狂気時代の亡霊の復活を粉砕し、日本人が一致団結して石油危機克服に向って集中できるような条件を作っておくように期待してやまない。
なぜならば、石油危機の第一波は日本列島に上陸して気の早いマスコミ界と国民経済を大混乱させているが、本格的に日本を踏み荒らし、国家的破滅の運命に導きかねない最強の破壊力を秘めた部分が日本を襲来する時までには、未だ数年の時間があるからだ。
第一波の石油危機に立ち向いながら国民が力を合わせる訓練を積み、第二波、第三波に次いで、最後にいよいよ主力が襲ってきたときに備えることが、今となってはわれわれ日本人にできる唯一の生きのびる方策だからである。
最後に、『石油危機と日本の運命』を書いた時と同じように、敬老精神に欠けた批判と決して上品とはいえないことば使いや言いまわしをしてしまったが、お許しいただきたい。そしてこの本が日本史の証人として、一九七〇年代の初めての部分がどのような内容を持っていたかについてわれわれの息子たちの世代に物語るために記録を残しておきたいと考え、時間の流れに従いながら執筆したものであるために、今ここで読み直してみると楽観的に過ぎたと思われる記述がある点を痛恨事に思っている。
大変長いまえがきになってしまったが、ここでサイマル出版会の田村勝夫社長と諏訪部大太郎企画次長のいつも変りないジャーナリストとしての使命感と声援がなかったら、私の発言は日本の出版界から永遠に黙殺され、歴史における証言であることを抹殺されたであろうと思うと、深い感謝の気持に包まれる。できるなら太平洋の彼方まで身をのり出して、グッと力強く手を握りしめたい衝動にかられる。合わせて、諸般の困難をおして多大のご協力をいただいた生田栄子制作部長、竹内正年編集次長ほかサイマル出版会スタッフの皆さんに深甚の謝意をささげたい。
また、いつものことながら「額に深いタテ皺ばかりよせてちっとも笑顔をみせてくれない」との非難をよそに書きものばかりしていて、夫としてパパとして至らない家庭生活しか築きあげられなかったことを、妻の喜代子と娘のレミに対してここで詫びておきたい。
(一九七四年一月、カナダ・カルガリーにて)
藤原肇
石油問題ははじまったばかりだ!
資源問題と歴史の教訓
1 夢を見つづける日本人
頽廃が招いた石油危機
楽観論横行のなかで / 夢を見つづける日本人 / いびつな産業構造 / まず財界の「世直し」から / 日本経済と外貨保有高の虚像 / 外交を知らない日本政府 / 戦後史の俄悔録 / 国際舞台での日本の悪評
2 石油開発と人材の欠乏
一九八〇年への布石
資源問題における人的資源 / 一九八〇年への布石 / 石油飢餓と日本の破滅 / コップのなかの嵐 / オイルマンの育成 / 老人王国に人材育たず / ソデにされた地熱発電 / 老いては麟麟も驚馬に劣る / テクニシャン社会の致命傷
3 石油危機を克服するための提言
石油企業貢収のすすめ
国破れて山河なし / なにをなすべきか / 米国石油会社買収の提言 / 石油危機の防波堤 / どの企業を狙うか / 戦争ゴッコか石油危機か / ファシズムの足音 / 相手の力を利用する / 贅肉を切って血を入れかえる / メージャーが日本を放棄する日
4 タールサンドの秘める価値
国家的事業としての発想を
タールサンド開発の新しい発想 / マクロな観点の必要性 / アラスカの石油と交換 / 地表に固体状で存在 / 開発の現状と見通し / 国家的事業として取組みを
5 胃拡張の米国・胃ガンの日本
命取りになる日本の資源政策
ポパイのほうれん草 / 作られたパニック / 精油所危機の背景 / アメリカの素早い展開 / 極地に天然ガスを求めて / 日本のシベリア開発夢物語 / ソ連に翻弄される日本 / スシ屋のフランス料理 / 大津事件とシベリア開発 / 胃拡張の米国・胃ガンの日本 / 自力で生きるための選択
6 演出されたエネルギー危機
米国の職略と日本の痴呆的対応
危機キャンペーンの展開 / ニクソンと石油資本の謀略 / ピントはずれの日本の反応 /エネルギー帝国アメリカ / 力は正義なり / 南部石油資本の影 / 保護政策と天然ガスの登場 / ケネディ暗殺の真因 / 「本物の」狼がきた / 米国の対応と日本の / 痴呆的対応 / ヤマニの挑戦 / 栄枯は移り世は変る / 危機をチャンスとするために
7 国家的危機への教訓
利権に踊る日本エネルギー外交
ニクソン演出ドラマの筋書き / 一〇倍の高値で買った日本財界 / 利権になぶられる国民 / アブダビ石油の全面再検討を / 焦燥感に立ちすくむ日本限界にきた視察団外交 / 泥縄調査団と米国の苛立ち / 中東でのトンチンカン外交 / 田中首相の登場と財界の思惑 / シベリア開発裏面史 / モスクワの揺さぶり戦術 / つんぼ桟敷のワシントン詣で / モスクワの冷たい風 / 日本の国家的危機に際して
《補説》アラブ産油国の夜明け
石油戦略の背景
夜明けを告げたカダフィ / テヘラン会談の画期的意味 / 開発途上国と協調する意義 /日本の外交を考える視点 / 三人のアフリカの指導者 / 産油国の若き世代 / 日本のおかれた立場
著書
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