中国人・ロシア人・アメリカ人とつきあう法
1979年08月30日初版発行 本体価格9980円+税
亜紀書房
絶版
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まえがき
情報ということばが頻繁につかわれ、いたるところで国際化という形容が氾濫している。これは二〇世紀後半におけるコミュニケーション技術の大発展に伴って、地球が縮小化しているからに他ならない。
グローバルな次元では多国籍企業や南北問題が懸案だし、国民国家の段階では内政と外交の波長の調整がつかなくなって支離滅裂状態を呈したり、経済や社会問題が高度に政治問題化して拾収がつかなくなったりしている。
また、これまで国境や自然環境の存在によって安定を保ってきた文化圏や生態圏も動揺している。それは異るシステムに属する人びとが他のグループと新しいかかわりあいのしかたで共存しなければならない時代性に由来する。ここに急激な変化がもたらす動揺が人びとに不安の気持を与え、さまざまな文化ショックが地上の各地でスパーク現象を発生させる背景を作っている。
こういった時代性を考慮しながら観察しても、日本という国は世界でもっとも混迷を深めつつある国だというのが、われわれの正直な実感である。
『中国人・ロシア人・アメリカ人とつきあう法』という題名から、この本が巷に氾濫するハハウ・トウ物的な内容を期待してページをめくる読者は、幾つかの部分で戸惑いの印象を持つことになるかもしれない。というのは、この本が結果的にはわれわれのブレーン・ストーミングを生みだしているからである。
それにしても、二一世紀に向けて日本が生存していくためには、異質の価値観や気質を持つ人びととスムーズなコミュニケーションを伴ったつきあいかたをみつけだしていかなければならない。今後の世界情勢を考えるばあい、中国人・ロシア人・アメリカ人という三種類のグループとのつきあいかたの検討は、とくに最優先の事柄に属しているといえるのではないだろうか。
その点では、ハウ・トウ物に特有な具体的な処方箋や秘伝に類する記述は無いかもしれないが、中国人・ロシア人・アメリカ人の観察を媒介にして、日本ならびに日本人の問題をいろいろと考えていく上で、この本が読者になんらかのヒントでも提供できれば幸甚であると考え、はるかロッキー山脈のかなたから故国日本の読者に帰去来の辞を贈ることにしたい。
一九七九年八月一五日
藤原肇
目次
1 米中日三国関係は新しい三国枢軸か
はじめに
米中日三国協商の合従連衡策
中国近代化と軍事指向性
現代の匈奴ロシア人の発想
中国人の権謀術数
中国の近代化はどこまでバラ色か
中国市場の潜在的ポテンシアル
どこへ消えた自力更生精神
反面教師としての日本
ハードウエア偏重の枝術導入
四人組批判の問題点
中国の石油開発と新型ジェオポリティックス
日中の老人外交
国際石油政治の落し穴
将を射るためにどの馬を射るか
石油開発と柔軟な頭脳
皮算用と実際の計算の差
当て馬としての日本
ロシア人とうまくつきあうための心掛け
ソフトウエアとしての人間
中国人とアラブ人の共通性
日本人が日本を知る必要性
切り札のない日本の資源開発
実例・老害資源外交
マスコミがつくる財界人の虚像
ソ連とどのように交渉すべきか
ソ連外交のスランプ期
ロシア人の精神病理
戦略思想なき日本外交
日ソ関係のニュー・ジェオポリティックス
北方領土を取り戻す法
対ソ外交における回教徒の機能
アメリカが日本を棄てる日はこないか
福田内閣が残した負債
アメリカ・躁欝病、日本・テンカン症
フォーク対割箸の論争
メイド・イン・アジアの時代
アメリカ人向けのPR作戦
日米関係と超国家主義
明るくない対米依存の将来
日本人が生き残る上で必要な知恵
大国である条件
知日派知識人の日本難れ
アメリカが日本を棄てる日はいつか
米ソ改善・日本孤立の可能性
〈まとめ〉悲劇的にか喜劇的にか
岡目八目の効用
これからの嫌な一〇年
悲劇的にか喜劇的にか
あとがき
この本はわれわれ三人の友情と異郷にあって祖国をおもう心が生みだしたものである。本書の成り立ちについて簡単に報告しておきたい。一九七八年の一一月から一二月にかけてぼく(藤原)が日本を訪れたとき、わが国はとう小平来日がまき起した中国ブームの熱気につつまれていた。そしてその裏に、国粋主義の台頭と日本固有文化礼讃の空気が漂っていることを痛感した。わが国が奇妙な----ぼくにはまったく奇妙に感しられた----気分に酔い痴れているときに、石油情勢は大きく変化し、日米関係は新たな緊張を強めつつあった。日本列島の内と外を見較べてみると、国際政治への問題意識のズレ、国際政治における日本の沈降ぐあいは悲劇的でさえあった。
そこでカナダに戻るとさっそく、早川、松崎両先輩に呼びかけ、一九七九年が始まったばかりの時点で、現状総括のための自由な討論を試みた。『サンデー毎日』編葉部からそれを連載企画として掲載してもいいと仰内諾もいただいていた。ぼくが討論を起こして原稿にまとめる役を引受けたのだが、一月中に中国篇を仕上げたあと、私用が重なりあって、作業が遅々として進まなくなってしまった。ソ連篇をやっとまとめアメリカ篇にさしかかった四月になって『サンデー毎日』に「ロッキー鼎談」と題して中国篇の一部が三号にわたって連載されたが、それは石油を中心とした部分あった。
われわれの主題とは必ずしも一致していなかったが、これは時期の問題も大いに関係していたとおもう。しかし読者には好評で迎えられたとのことであった(八月につづぎの連載が予定されている)。そこへ亜紀書房から全体を一冊にまとめて出版する意向が届いたので、六月の半ばにカルガリーに戻った機会に再び鼎談をおこなった。不十分だったアメリカ篇とその後の変化についてまとめてみたのである。主としてぼくの都合によって、本書の大部分は一月の鼎談が占めてはいるが、読み返Lみると、内容は腐ってはいず、日本の活路を読者に考えていただく上でなんらかの貢献をなしうると信じてあえて公刊し、読者諸賢の批判を仰ぐことにした。
最後になってしまったが、本書の上梓にあたっては毎日新間の小泉真彦記者と亜紀書房の裏田金治社長に大変お世話になったことを記し感謝の気持を明らかにしたい。
一九七九年七月末日
鼎談進行担当 藤原 肇
著書
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