情報戦争 国家・企業 生き残りの条件
1980年08月10日初版発行 本体価格980円+税
山手書房
絶版
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まえがき
情報ということばが氾濫し、情報化時代という形容があたかもスローガンのように唱えられているが、日本人のほとんどは自分が情報化した産業社会の主人公になっているとの錯覚に陥っているのではないだろうか。
確かに、生活のすみずみに至るまでコンピューターが結びついているし、テレビ、新聞、電話、テレックス、ファクシミリといったハードウエアとしての情報媒体は、日本人の社会生活のなかに浸透しており、国じゅうが情報性を強めていることについては疑いの余地がない。しかし、現在のわが国のような、むやみにハードウエアを使いまくって実現したハード偏重の情報化傾向には、いろいろと問題がありそうだ。とくに、ソフトウエアの主要な部分が脱落した状態で普及していく、情報を取り扱う道具としてのハードウエアの量的拡大は、時によると虚妄のシステムの蔓延のように見えるのである。
それを強く意識させられたのは、自衛隊スパイ事件としてマスコミ界に取り沙汰された、あの情報にまつわる小さなエピソードであった。いつも変わりない被害者の立場から、日本のマスコミ界が大騒ぎをしたあのスパイ事件は、ヒステリックに声を張り上げれば張り上げるほど、情報問題の本質から遠ざかる結果をもたらした。しかも最後には、前世紀的な時代感覚の持ち主である政治家達が登場して、防諜法の制定や情報省の設置の必要性をいい出すのを目撃して、日本人の情報感覚の立ち遅れが救い難い状態にあると思わずにはいられなかった。
日本列島の上には、情報問題に関係した出版物が洪水状態に近く、人びとの関心が情報に対して大いに高まっているのは、否定し得ない事実である。しかし、そのほとんどがどのようにして情報を集めるかといった問題や、情報をいかに整理するかといったことが中心であり、取集や整理という確かに重要ではあるが、あまり次元の高くない問題のまわりで右往左往している姿は、農耕民族としての日本人の性格と限界をよく現わしているといえた。文明の次元で見た民族の生態史観によると、遊牧民は情報をダイナミックなものとして捉え、農耕民は同じ情報を静的な側面で捉える傾向があるが、日本人の発想の基盤には定住性に墓づく蓄積的な情報嗜好癖が強いのではあるまいか。
生きた情報をオンタイムで活用して、自分達のよりよい生活条件の確保に生かす遊牧民的発想よりも、たとえ死んでしまった情報でも、それを蓄積することで発酵させて生活の知恵に近いものを手に入れる、農耕民的な発想が日本人を支配しているせいかもしれない。そうであれば、こういった生態環境に墓づいた習慣と、長い歴史条件のなかで培われた民族的性格を、これから本格化する情報化時代に対してどのように変革するかは、われわれに与えられたひとつの挑戦のように思われる。そこで私は一九八〇年代の日本人がどうしてものりこえなければならない情報化への民族的課題として、この本に託してひとつの問題提起をしておきたいという気持ちになった。
日本に戻って来るたびに感じることは、わが国には情報が氾濫しているという印象の強烈さである。しかも、そういった洪水状態を呈している情報の実態は、実はそのほとんどが駄物の情報だということであり、この氾濫情報の中から、質のいいものを選択する能力にたけた、国際次元で通用する眼識力と洞察力を持つ日本人がきわめて少ないという点である。個人や小さな組織の枠組の次元では、卓越した資質を誇る人材が多いのに、地球次元や戦略思考という領域になると、優れた能力を発揮する日本人の絶対数が少ないという事実は、国家の安全保障を考えるうえで非常に気懸りなことである。
この問題を情報の側面で捉えるならば、情報の持つ本当の価値を引き出すプロセスとして最も重要な部分である、ソフトウエアの機能が日本の社会では非常に低い評価しか与えられないために、ほとんど欠落したまま現在に至っているということである。
技術論的にいい替えれば、タメにする目約で流されたものや、憶測などで水増しされた情報をすべてファィルし、次にそれを分析したり総合化を試みても、もとになる情報にさまざまなバイヤスが混じりこんでいると、問題の本質に接近することは不可能だということである。しかも、日本人の繊細さと几帳面な性格が裏目に出て、取捨選択の段階で思い切って切り捨てることが困難だという状況が発生しやすい。情報の選択過程で意味づけと格付けを行うということは、蓄積よりも廃棄が作業の中心になるのてあり、その結果が情報の評価の仕事を遂行したという行為になる。それをやり通すには、常に冴えた判断力と非情の精神を身につけた人材が必要になるが、遊牧艮の指導者によく見かけるこの種の能力は、農耕民の肌合いとは一致しにくい面が多い。そのために農耕民族としてのメンタリティに強く支配されている日本人の場合、情報はもっぱら収集し整理する対象として考えられ、評価づけされた情報をもとにして獲得する判断を、次にどのように実践に移すかというプロセスが、方法論的にいまだ確立するに至らないのである。
そうである以上、最後の段階において、評価と判断を施された情報が政策に反映されたり、戦略次元に組みこまれたものとして、情報が実践面に生かされる可能性が乏しい理由も、歴史的必然性と結びつくのである。
私は資源問題を専門に取り扱うコンサルタントとして、世界中の顧客に対して情報サービスを行い、それをビジネスにしている人間である。私の仕事は単なる情報の供給ではなくて、より次元の高いサービスとしての情報の選択と評価能力の提供であり、科学と技術をベースにした、ソフトウエア領域のビジネス化ということがてきる。そして、決め手になるのは、顧客に提供された私の評価能力と判断力が、いかに有効性を持ってビジネスの課題遂行に貢献し得たかということであり、売り物は情報を見る眼である。
人を見る眼、ものを見る眼、情報を見る眼の意味あいと修行のプロセスについては、近刊の『日本脱藩のすすめ』(東京新聞出版局刊)と『虚妄からの脱出』(東明社刊)を参照していただくことにして、本書では、より大きな次元で情報を取り扱うケース・スタディとして、ブラッグ・チェンバーとブライト・チェンバーについて考察してみた。ブラッグ・チェンバーは歴史的にも名高い秘密機構であり、暗号解読を担当するために組織されている国家機関の俗称である。また、私が命名したブライト・チェンバーは、四次元的な情報収集やその解析を含む未来型の政治機構であり、人工衛星を駆使した敵情査察や、時間軸に沿って状況分析を行う、最新の科学技術の応用分野である。
早川聖氏は戦前から戦中の時期にかけて外務省に勤務し、外務大臣官房特別情報班という日本のいわゆるブラッグ・チェンバーに属していた人である。しかも、英米班長として暗号解読の統括責任者だったという、大変貴重な経歴の持ち主であり、現在は第一線を退いて晴耕雨読のかたわら、大学院で政治学を勉強している博覧強記の国際人である。また、私は過去十数間、多国籍企業と呼ばれる外国の石油会社の参謀役として、開発担当ジェオロジストの仕事に従事し、現在はカナダでコンサルタント会社、米国で石油開発会社を経営している。そして、私の専門は航空写真や人工衛星写真の解析を通じて、地球上に存在するさまざまな現象を四次元的に読みとり、それを資源開発や石油ビジネスと結びつける仕事に関係している。
このような古典的な情報である暗号解読と、時代の最先端をいく宇宙情報の評価を専門にした二人の日本人が、ロッキー山脈の裾野に近いカルガリーの町に住むのも、実に面白い人生のめぐり合せである。この出会いの背景としては、『日本不沈の条件』(時事通信社刊)に詳述したとおり、テキサスのヒューストンに次いで、カルガリーが世界第二の情報センターであるという因果関係があり、早川さんと私は十年以上にわたって親交を結び続けている。
七年ほど前に思い立って、私は貴重な体験を誇る早川さんの思い出話をテープに録音し始めたが、共に過ごした晩餐や飲み明かしの時間を通じて、数十巻のカセットテープが蓄積するに至った。暗号についての議論だけでも十数本のテープになったが、暇を見ては編集を試みたが成果が実って、対談集の体裁のものが何となくまとまった。だが、それだけでは現代における情報問題を考察するうえで十分だと思われないので、情報問題についての私見と、最近における応用技術としての宇宙情報の問題を含めてまとめ上げたのが本書である。
第一部と第三部は私の直接の体験を総括したものであり、第二部は早川さんの知識と体験に私の個から若干の補足を加えたものだが、共同作業であるよりは早川さんの独壇場といっていいものである。こういった内容の情報は本来活字化されることがなく、歴史の中に埋れがちであり、あえてそれを掘り起こすといろいろ厄介な問題を引き起こすと思うが、歴史における貴重な証言を含むと判断して、ここにまとめさせていただいた。表現上の責任は私の未熟な理解カと独断に由来するということで、読者諸賢の批判と叱正を仰ぎたいと考える次第である。最後に、いろいろと御世話になった山我浩氏をはじめとし山手書房の皆様に心からお礼を述べることにしたい。
一九八〇年五月五日 子供の日
藤原肇
目次
第一部 現代を支配する情報戦争/籐原肇
情報にどうアプローチするか
本当の国家機密とは何か
官僚は情報を独占していないか
第二部 情報戦争に敗れた太平洋戦争/早川聖
1 外交(暗号が盗まれた!)
特別情報班
暗号が爆弾に変わるとき
ワシントン会議、本当の敗因
解読不可能の暗号だった
機密漏洩と日本海軍大佐の行動
スパイが活動する場
暗号戦のメカニック
色仕掛けで盗んだ英国暗号
乱数表とキィ
日本人はなぜ情報に弱いのか
暗号漏洩の後始末より体面が大事
2 戦中(近代情報戦の勝者と敗者)
真珠湾攻撃の最後通牒
日本の立場は正当化できた
PLUMPER
暗号戦が太平洋戦争を決した
敵の裏をかくチャンスを逃がす
日本人はネギを背負ったカモ
無条件降伏前後
3 戦後(現代に至る空白の日々)
ソ連暗号はなぜ読まれなかったか
開戦直前、天皇あての米大統領親電
時代に取り残される外務省
現代日本の最高国家機密とは
コンピューター時代に高まる暗号の役割
第三部 現代の情報戦争に日本は勝てるか/藤原肇
1 未来への布石(いま日本は何も持っていない)
テクノロジーの時代へ
人工衛星利用に遅れをとる日本の技術
情報のエントロピー
三次元への転換〜航空写真の解析
電磁波を読むテクノロジー
衛星写真は未来を読みとる武器だ
いま最も必要なのは人材である
2 危機からの逆転(まだ遅くはない)
国際市場が操作できる衛星情報
日本を飢餓におとしいれるのは簡単
日本は生き残れるか
著書
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