身体と宇宙
1992年10月25日初版発行 本体価格1505円+税
亜紀書房
絶版
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まえがき
これまで二〇四冊の本を出してきた私にとって、本書は初めての「対談もの」の実現であり、これは人生体験のエキスの結晶だと言っても良いだろう。二人の人間が蓄積してきた知識のエッセンスを抽出し、これだけは是非とも後世に伝えたいし、この真理だけは知って欲しいという情熱をたぎらせながら、心行くまで語り合ったのが本書である。
対談形式の本を一〇倍も二〇倍も楽しく読む秘訣は、対話をしている人物の側面と背景について、どれだけ良く知っているかにかかっている。そこで二人の横顔と経歴についてスケッチしてみるが、まずは藤原さんについて紹介することから始めよう。
藤原さんは日本を代表するコメンテーターであり、しかも、国内にいて世界を眺めているのみではなくて三十年近くも国外に身を置いて日本を直視し、世界の枠組みの中で日本を捉えてきた、「真の国際人」と言える貴重な人なのである。しかも、特筆すべき点はそのすさまじい毒舌にあって、何ものも恐れぬ勇気ある直言をすることに真髄があり、それが単に「言いたいことを言う」とか「自慢気に威張る」のではなく、その毒の中には「キラリと光る真埋」が入っているのだ。正直に言って、これほど自信に満ちた態度でその言葉を語り、同時に、驚くはほどの情報と知識を持ち合わせた人を私は知らない。
最近の例でその一端を紹介してみよう。
イラク軍のクウェート占領で湾岸危機が戦争化した頃に、藤原さんが月刊の『文芸春秋』に中東問題について書いていたが、状況分析や戦略についての正確で詳しい指摘は、日本のどの軍事専門家や評論家にも勝っていたし、非連載の執筆者による二カ月連続の掲載という、文春にとって記録破りの快挙を実現している。とにかく、藤原さんが書いた記事は知識や情報の内容は一言うに及ばず、すごい洞察力がこもっているのは確実であり、それを生命現象の問題で再現したのが本書だが、そこには宇宙の大原則や真理が次々と示されている。そして、深い味わいを持つ言葉があなたの魂をゆさぶり、一つ一つの洞察が共鳴を生むという意味で、本書は「真理の宝典」になると私は確信しているのである。
藤原さんは健康に恵まれたアルピニストであり、フランスのグルノーブル大学で構造地質学を専攻した理学博士で、世界をまたにかけて学者と経営者として暴れまわった人である。神田の生まれの江戸っ子のせいもあって、言い難いことも直言するので毀誉褒貶も多いが、神田の古本屋巡りが生来の道楽らしく、若い頃から古典を読み漁る習慣を身につけたという。
藤原さんの本は親切な説明が欠けているために、初めて読む人にはとても取りつきにくく、古典を読むときの苦痛と共通したものがあって、それが理由で日本の読者は敬遠する傾向が強く、この偏屈さのために著者として大いに損をしている。だが、それを魅力に思う風変わりな読者も結構いるらしく、一種独特な処世観を持つグループのネットワークが、頑固入間によって構成された人脈として存在しており、台湾の李登輝総統も藤原さんの本の愛読者の一人だとか。
そこで最近耳にしたエピソードを一つ紹介すると、台北の総統府で氏と総統が歓談した時に、京大の農学部を卒業している李総統に向かって、藤原さんが「李さんはご存じないでしょうが、私は京大の理学部を受けて落っこちているんですよ」と言ったという話は実に興味深い。と言うのは、この話を受けて李総統がニコニコ徴笑みながら、「藤原さん、落ちていたから良かったのです。もし京大にあなたが合格していたなら、今頃は役人になって通産省あたりの局長でもやっていて、世界を相手に自由に生きる人生はやれなかったでしょう。その役人の人生を続けて遂に政治家になってしまったのが私であり、私には自由を手にしたあなたの人生が羨ましい」と嘆息したという話は、流石に中国における最高の指導者として、人望のある李総統の哲人振リを紡佛とさせる。
こんなエピソードが伝えられるように、最近では本来の自由人気質の赴くまま、誰にも束縛されない天衣無縫の生き方を楽しみ、どういう心境に支配されたのか、藤原さんは砂漠に篭もって瞑想をしている。また、時に発奮して辛辣な記事を雑誌に執筆したりして、仙人まがいの生活を楽しんでいるらしいが、枯れたのか達観したのかは私には大いに疑問である。
これが脱藩人間である藤原さんの横顔だが、それに対して、ヘルスドクターとしてヨガの世界に生きる私は、対照的な性格と人生のバックグランドを持っている。
私が未だ一歳だった時に父と別れた母は女の細腕で子供を育てなければならず、職場を転々として日本全土を放浪する人生に転じて、豊橋、博多、岐阜、浜松、静岡といった都市を移り住んでいた。だが、そのような「浮き雲人生」にも限界があり、小学校五年生の時にある大衆食堂に預けられ、そこで皿洗いと給仕をしながら生活費を稼ぎ、私は自力で学校に行く生活をしなければならなかった。その時から二五歳までの一五年間の私の人生は、殆んどと形容していいほどの「親なし生活」だった。特に一〇代前半は艱難辛苦の毎日が続き、ある時は食堂の屋根裏部屋に住み、次は飯場でごろ寝をするような具合で、働きながら稼いだ生活費を割いて好きな本を買っていたが、一六歳までは病気の連続で体力も知力も脆弱だった。こうして懸命に働いて稼いだ金を費して、病弱な肉体を治すために合計で四回の手術を受けたが、結果は駄目で私は絶望にひたってしまった。狐独と病魔の苦しみに耐えかねて二度も自殺を試みたが失敗した。遂に、意を決した私は病院のベットから起き上がり、次の手術をすすめる医師や看護婦の説得や、教師や友人たちの忠告を無視して全国を放浪する旅に出た。この決断がヨガとの最初の出全いをもたらし、私の一生を大きく変えることになったが、それは一七歳になった年の春だったのである。
私は高校生としての一年間を休学して、各種の宗教団体や健康道場などを渡り歩き、復学して秀才でもないのに東大を受験したが不合格であり、しかも、その翌日から生活費や受験料を捻出するために、アルバイトを開始しなければならなかった。その頃に、いかに短い時間数で最大の記憶能力を発揮するかという研究に入ったが、それがその後における「記憶術」、「超即得術」、「集中術」、「呼吸術」、「忍術」などの実践につながっていくことになる。一年後に再び大学受験という時になって、大きな選択を迫られることになるが、それはバイト中に知り合った仲間四人と一緒に試みる、自動車による世界一五〇ケ国訪問の冒険旅行のプランだった。私は自ら編み出した記憶術や速読術の威力を受験で試したかったが、友人たちは「青春は二度とないから、二〇代のうちに世界を廻ろう」と訴えたので、受験と冒険の間で迷いに迷ったものだ。結局、「帰国後に受験しても遅くない」という友の言葉に動かされ、世界旅行に挑戦しようと覚悟を決めて、当時トヨタ自動車の会長だった石田退三氏に直々にお願いするために、刈谷市の自宅を訪ねて熱心に説得を試み、全面協力をお願いした。だが、思いもかけない友人の夜逃げ事件が起きてしまい、残されたのは借金の山だった。その結果、私は厳しい労働が待つ生活に戻ることになり、昼は土方仕事で働くという生活を体験したが、この時に「眠らない法」や「食べない法」などを考え出したのである。
その後アメリカの大学に留学して学生生活をしたが、食養学、民間医学、古代考古学、神秘学ばかりに熱中してしまい、図書館で本ばかり読んで学業には全く身が入らなかった。こうして、アメリカの二つの大学の短期体験をしてから、独学の必要性を痛感しただけで帰国したが、記憶術と想念法を組み合わせた勉強法として、独自な時間短縮法をこの頃に私は開発したのだ。
同じ留学体験を持った二人の人生であっても、この辺りが私と藤原さんの対照的な所であり、彼は真面目に学業に専念して博士号まで取得している。だが、私の方は理論や理屈の増大や完成より、身をもって体得する上でのハウ・トウに傾倒するタイプらしく、実践し体得したものを書物として出版しているうちに、ヨガの専門家として組織を運営するようになった。途中サラリーマン生活を経験したが、車や社宅のある何不自由のない生活よりも、「インドに行きたい」とか「ヒマラヤに行きたい」という夢が強くて、自由な時間を求めて組織を飛ぴ出してしまった。その後またヨガのプロとして二〇年間組織と断食道場を指導してきたが、現在では後任者たちにすべてを任せてしまい、私は作家であると共に講演家という自由な人生を満喫しているが、人間にとって自由ほど貴重なものはないと思う。
カリフォルニアに陣取って日本を眺めている藤原さんと、何ものにも動かされない立場を貫く自由人の私が出会い、こうして出来上がった「魂のメッセージ」を読者に感受して項けれぱ、われわれ二人にとってこんな嬉しいことはない。
一九九二年七月二六日 バルセロナで史上最大のオリンピックが開催された記念すべき日に
藤本憲幸
目次
はじめに
第一部 気の流れと生命の根源プラナ
眼力が生んだ出会い
ハイ・バランスの効果
断食と生命力の再生
睡眠時間と断食効果
食事回数と飽食の病理
忘れられた息欲の本能
呼吸の伝染症
相僕の呼吸学
土俵マンダラ
武術を支配する呼吸法
プラナと気の違い
チャクラの神秘的な機能
第二部 流体の生命力と風水の性理学
物性論から見たプラナ
自然の呼吸と太陽の役割
ウエットウエアとしての水の生命系
太古の海と最初の生命
バクテリアの陰と陽の呼吸
劣化の激しい日本の水
文明社会の呼吸活動と恒常化の装置
海水の流体浄化のメカニズム
塩分濃度と生命の秘密
水の不純物とミネラル
陰陽の原理と易の思想の流れ
エネルギーの現象化と渦の流れ
渦流を作る大地の生命力
風水の神秘と感知能力
新しい時代の風水とその性理学
第三部 命の神秘と水の不思議
古代人の知恵と存在の根源
インドが誇る源流としての位置
排泄型になった日本列島の経済体質
身土不二の重要性
電磁波公害の蔓延
第三の眼・松果腺と電磁波
磁場と生命現象の結びつき
磁化水パワーの秘密
原子波とホロコスミックス
念波が生んだ水と生命力の共鳴
水の味覚と水が誇る記憶力
自然の美しさとシンメトリーの神秘
シンメトリーと宇宙の構造
宇宙波動とシンクロニシティ
あとがき
あとがき
藤本さんは「記憶術日本一の記録保持者で、日本記憶術学院を主催して秘法を伝授しているようだし、一週間に10冊以上の本を簡単に読破して、猛烈な勢いで知識吸収する不思議なパワーを体現する、伝説的な能力の持ち主として知られている。しかも、活力に満ちあふれ、講演や執筆にも忙しく超人的な活躍を続け、次々に新刊のベストセラーを生み出していて、「現代の背広を着た忍者」を自認しているのだそうだが、それも「むべなるかな」という気持ちになる。長期間の断食生活を楽しんでいた後は、ヒマラヤの裾野に出掛けて瞑想に耽ったり、ギリシアを訪れたという絵はがきが舞い込んだりして、まるで人間版の孫悟空を地で行っている感じがする。しかし、藤本さんを特に強く印象づけるのは記憶術であり、驚異的というしかないこの才能は、私には超能力の生きた見本のような印象をもたらす。なぜならば、記憶力のなさでは藤本さんの対極に位置しているのが私であり、記憶量という点ではメモリーがはとんどゼロに近く、物覚えの悪さでは天下一品に属している私には、どうして記憶などが人問に付与されたのか不思議でならないし、その面で卓越する人間の存在は眩しく映るのである。
一〇代の頃の記憶力は人に劣っていなかったのに、大上老君の遺した「タオ」の本に擬った後遺症のせいらしく、奇妙なことに、私の記憶力は三〇代の後半に雲散霧消した。そして、いくら熱を入れて本を読んでも内容を直ぐ忘れるし、人の名前や自分の電話番号も思い出せなくなり、私は記憶力が縁遠い存在になったことに気がついたが、記憶力喪失がコンプレックス化すれぱ精神衛生上よくないので、そのこともさっぱりと忘れ去ることにした。意識のシステムは実に不思議な性質を待っていて、何かこだわりを待って引っかかると良くなく、全てをあるがままの存在として認めてしまい、それ自身の内にある働きがそうさせていると思えば、これが自然の姿だと分かるようになる。生命現象は不思議で、何かが欠加するとそれを補う別の能力が備わってきて、視覚を失った人は別の感覚が鋭敏になったりするが、これが自然の摂理というものなのだろう。能力の喪失によって無能力になるのではなく、道に虚能力が手に入るのだと考えれば、目の前に新しい地平線が広がるのではないだろうか。
そんな気分で自分の読書のパターンを振り返ってみたら、習慣的に続いていた読書の性格が変わっており、本の内容を読むためにペ−ジを開くのではなく、本をスキャンニングしていることに私は気がついた。それは情報を潜在意識に送るプロセスなのだろうが、無意識のうちに私が読書で試みていたのは、そこに書いてないことを読み取る操作だったのである。しかも、さらに一歩進めて何も見ず何も聞かないなら、無知を通り越して虚知に至るのだと分かったのである。虚知は字宙意識だから宇宙と一体になり、宇宙の音楽に共振することによって、混沌も秩序も一体化するのだと考えたことで、人生が大転換して爽やかなものになった。虚空に全てが吸い込まれるプロセスに身を没し、無限と混沌の只中を遊泳するようになれば、そこにリアリティが存在することになるし、人間として生きている状態が幻想に過ぎなくなる。そうだとすれば、政治が乱れたり世間が喧喚に明け暮れ、世直しのために天災地変が接近していても、何もあくせくと思い煩う必要はなくなる。
神仙道の極意の一つと言われているものに「擢除玄覧」があり、擢除(てきじょ)は心を浄化して雑念や外界の物事への知識を消去し、玄覧は宇宙意識で玄妙な本性を体得することである。そのような境地をいずれ開拓する日があるだろうから、山の高みに隠棲しようと考えていたのだが、せっかく世紀末の激動の時代に生まれ合わせているのに、仙人の修行に入るのは早すぎると思い直して、とりあえずは秋雷が至るまでの紅葉を愛でることにした。そして、山の仙境に入る前に谷の俗界で暫く遊ぼうと考え、仙俗の境界に位置する砂漠のオアシスに庵を結んだのが、あと一息で私が五〇に手が届く頃のことだった。
こんな次第だから、砂漠に閉じこもる生活に徹している訳ではなく、瞑想をしたり必要な時には論争にも参加するし、世界の盛り場である東京やパリにも出かけて行き、砂漠とはひと味違った粉黛や味覚を楽しんだりもする。そんな時期に、浜名湖峠にある藤本さんの別荘に遊び、行く秋の語らいを通じて生まれたのが本書であり、初めのうちは呼吸の調整がしっくりせず、話の接点を執拗に手探りしている感じだが、そのうちある種のきっかけが突破口を開き、アイディアの奔流の中から渦巻きのパターンが出現してきた。
藤本さんの該博な知識のチャレンジに誘発されて、私の中の混沌が渦を巻いて動き始めた結果、思いがけない方向に話の展開が進んで行き、お蔭でダイアローグの持つ味わいを満喫できたし、一〇年振りの再開の記念碑と呼べる内容になった。
実在感のないものの背後に存在を感じ取ったり、宇宙を支配する根源的調和やアーキタイプを強調するのは、偏執的な精神の傍証かも知れないが、一人合点で至る所で言葉不足が目立っても、それは私の不徳ならぬ虚徳の至りとして御容赦頂きたい。
それまでの分析や解析などのオム・クリティックとしての仕事が、一種の自己主張に過ぎないと思い当たったのは、今からほぼ一〇年くらい前のことであり、それが新聞や雑誌での論評の執筆を始めとして、テレビ出演や大衆相手の講演をつとめて避ける契機になった。その代わリ自分の修行にもなって楽しかったので、これはという相手との対話を試みた結果、いくつかの対談集が生まれて読者の目にも触れ、この段階でプラトンが味わった境地が分かるようになった。だが、対談ものはダイアローグを楽しむ読者の層が薄く、本にしても売れないから、日本ではどの出版社も敬遠する傾向が強い。
ところが、私の身勝手な道楽を理解した亜紀書房の築田祉長は、これまで『中国人・ロシア人・アメリカ人とつき合う法』と『教育の原点を考える』の二冊の対談集の出版を実現している。しかも、今後は「二度あることは三度」というより、むしろ「道は一を生じて一は二を生じ、二は三を生じて万物を生ず。万物は陰を負い陽を抱き、沖気を以て和をなす」ということらしく、葵田さんは気鋭の編集者である松田尚之さんに仕事を任せ、本書を三冊目として上梓して下さった。その絶妙な采配への感謝の気持ちを末筆になったがここに記しておきたい。
カリフォルニアの仙俗庵にて、
藤原肇
著書
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