『アメリカから日本の本を読む』から 阿基米得著 [徳間書店・絶版] 俗な表現だとオカルト・ブーム、もう少し改まった言い方なら、ニュー・サイエンスが多くの人の関心を集めている。しかも、これは日本だけではなくて、世界的な現象である。 ある意味で、これは世紀末現象だ。また、これは一つの文明から別の文明への過渡期を示すと共に、これまでわれわれが慣れ親しんできた価値観やモノを理解する上での基準であるパラダイムが、有効性を喪失している事実の露呈でもある。 こういう不確実性が支配する時期は、焦躁感が人びとをおし包む。この不安な気分から逃れたいということで、宗教にすがる人もあれば、芸術に耽溺したり政治活動に熱中する場合もある。 そして、共通する意識として最も強いものは、行く手を指し示す現代の松明と呼べる何かが欲しい、というひたむきな願望が渦となり、独得な時代性を生むのである。 また、そんな思いに駆られて暗中模索する時に、いつの時代に有効なのは、歴史をさかのぼって過去の中に解答を捜す努力をすることだ。 なぜなら、過去は未来の序章に他ならないからである。 過去の中に現在がかくあるための選択があったという事実からすると、現在に向けて過去からのばした線の延長上に、未来が位置している確率は大きい。しかも、螺旋状に発展する進化のパターンからすると、過去のモデルには学ぶべき教訓が多く存在し、問題は次元の展開をいかに行うかにかかわっている。 そこで多くの人が過去に分け入り、色々なものを掘り出してきた。だが、普遍的な価値が無かったが故に、歴史のフィルターで選別され見捨てられていたのに、古いというだけの骨董趣味で無理にスポットライトをあてられているものも実に多い。 占星術、超古代文書、古代秘術といったものだけでなく、最近の日本で賑やかに行われている復刻本や全集ものなど、玉石混交というより、そのほとんどがキワモノにすぎない。 この出版社が『謎シリーズ』と銘うって売り出している本の大半はその手の仲間だ、という読後感を残している。その理由は、有効性が無かったが故に亡びていた情報が、商業主義のお囃子と共に、時代の新しい粧いでこの世に蘇生させられているせいである。 だからといって、全体否定をしてはいけないのであり、ガラクタであるが故に絶滅して、長い間暗黒の底に沈んでいたものと、タブー視されてきたが故に地下にもぐっていたものとの区別は大事である。カタカムナ文献との出会いのエピソードを信用するかどうかはともかく、この本の中の相似現象学としてのテクノロジーを扱う風景工学や錬金術の取り扱い方はなかなか真面目で、著者の視座が堅固な技術観の足場に支えられていることが分る。 単なる人騒がせで売らんかな主義を満たそうとしているのではないという意味で、巷間に氾濫している類書とは性格を異にしている。その点で、本書はオカルト・サイエンスの入門書をちょっと読んでみたいという人には恰好であろう。 偶然なことに、公害の産物で何の役に立たないヘドロのようオカルトの本が、日本列島にはあふれているのに、この本は大分まともだと思いながら読み進んでいたら、ヘドロについての記述に出くわした。 カタカムナという謎のことばで言うミトロカエシによると、ヘドロこそ生命誕生の最も基本的なメカニズムを持ち、物性還元エネルギーの母体を構成するという。「気体のガス、液体の水、固体の土がここではほど良く混りあい、コロイド状になっている……。このよう状態の下では、想像もつかないことが起っているのだ」という記述は、気体、液体、固体という三つの相が異相界面作用をすると、宇宙的規模の現象が起ることの分りやすい解説である。これはケルヴランの生体内原子転換説や、その実証として有名な、一九六四年六月二一日午後五時に、世界最初のナトリウムの低温低圧下でのカリウム原子核への転換を記録した、桜沢如一『無双原理・易』の実験と共に、ことによると二一世紀をリードする、原子転換工業の突破口になるかもしれないアイディアを内包している、と思った。 また、『性の魔術が人類を救う』という章の、《水素シ12》とか《オルゴン》についての共鳴は、私はまだいささかの抵抗を感じる。だが、性器の優位に縛られて来た性から、エロスをパーソナリティ全体の愛の表現形式として捉え直す相似現象は、セックス・アニマル化している現代日本人に対して、極めて適切なメッセージを含んでいるようだ。 「ヒノキの大樹の下で、一人の男が太い幹によりかかっていた。まるで親しい恋人とあい対しているかのように、彼はゆっくりとくつろぎ、なにごとかを語りかけながら、幹の表面を大きく指をひろげた手のひらで、愛情をこめて愛撫した。 やがて大樹は男のしぐさに反応するようになり、ゆっくりとした細やかなうねりのようなものの交流が、見えない次元で起りはじめた。男と大樹、この二つのものは強く結合し反応しあって結びつき、完全に一体となり、区別というものが無くなっていた。 少しずつ男の体内には大樹のもつ植物の力が満ちていった。(中略) 涼しい風が吹いていた。そして、大きな枝をのばしたヒノキの大樹と、一人の男が立っていた」 これだけ素晴らしい生の歓喜の描写は、明治以来の日本文学の中で、ついぞ出くわしたことがないが、このあたりに、現代の日本人が喪失している大事な感受性の根源があるのではないか。 カタカムナ文明の存在はともかくとして、馥郁とした古代精神の片鱗を味わう可能性を秘めた本として、「あらゆる本である一冊の本」と謳いあげるこの本を、ロスのスモッグで汚れた頭の洗濯のために、マリプの海辺で読んでみるのも、健康法としていいかもしれない。 〔ノート〕 (1) 生体内原子転換説……フランスの生化学者ルイ・ケルブランが主張した原子転換説によると、自然界ではバクテリアや酵素の働きで低温低圧下においても、原子が転換するという。自然食運動の指導者桜沢如一は、自製の装置を使ってナトリウムを常温下においてカリウムに原子核転換するのに成功している。 (2) マリブ……サソタモニカの海岸から一五キロ北方に位置する高級住宅地。本当の富豪たちの邸宅があり、ロス近郊では最高級の場所。
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