V 八〇年代の四次元思考




 ――八○年代が自立した個人として本当の実力を持つ人間が主役になる時代であり、あなたの表現を借りますとゲリラの時代ということになるということですね。その点では何となく刻一刻とそういった方向で世の中が変わっているという感じもしますが、大勢としてはむしろ逆であるとの印象も強いですね。たとえば若い人は大きくて有名な大学へ入るために猛勉強をしているし、新卒の大学生は待遇のいい有名企業や安定度抜群の役人や先生になりたいということで、大きな組織は門前市をなす現象が続いています。また労働者は職場を確保するために団結したり、ホワイトカラーの間ではたとえ窓際族になっても定年まで耐えぬくことが勇気ある人間だといった、全くおかしな主人公を英雄視したサラリーマン小説が全盛で、そういったものがベストセラーになっています。テレビは視聴率という質の伴わない数字を追いかけ、新聞も印刷部数の拡大といったことで、日本中が大きなものを目ざしていて、何かゲリラの時代に逆行しているみたいです。だから、そういう世の中で、本当に実力を発揮できる人間にと自分を育てていくことは、並大低じゃないと思われます。そこで今度は国際化をひかえて、本当にたくましい独り立ちしたビジネスマンとして人生を切り開いていく時、実力を鍛える上でのさまざまなノウハウとか、考え方の決め手といったものがあるなら、そういったことを中心に論じていただきたいと思います。また、これまで全く話題として出て来ていない防衛問題などは日本の内側と外側で見た違いは非常に大きいものがあるはずで、これこそ世界的な視野で論じなければいけないものだと感じます。現在日本で盛んに論じられているようなものが、果たして本質的にどれだけ意味を持っているのかという考察も、きわめて大切です。それにもかかわらず、そういう一番大事なことがさっぱり検討されていないようです。そういった大きなもの小さなものをひっくるめて、具体的にひとつ論じていただくことにしましょう。
 先ほど産業社会の進化ということを説明された時に、三つの異なった発展段階の社会の生命を支える活力源の話が出ました。そして活力源の三要素として食料、ユネルギー、情報というものがあって、それが決め手だとおっしゃいました。大きな流れで見ると確かにその通りだと思いますが、具体的に産業の発達ということを考えた場合、それはどういう風に影響したかといういい例がありますか。



軍隊の進化論

 土木産業にしても機械工業にしても、そういった視点で問題は幾らでも考えられます。政治の機構や会社組織もこの統一性に支配されていることは明白です。一番手っとり早く理解できるのは軍隊の行動様式でして、軍隊を産業と呼ぶには問題があると思いますが、少なくとも軍事機構というのは政治の道具であり、その点については一国における産業と同じ立場にあるのです。その理論的な考察は『日本不沈の条件』に書きましたから、詳しいことはそちらにゆずるとして、この三要素との関係を軍隊との関係で考えてみましょう。
 軍隊は政治や商売、それに宗教と同じで、人間が作り出した組織としては数千年もの長い期間にわたって存在し続け、その間にいろんな形で発展と変化を続けて現在に至っています。そして、大きな次元で眺めると、労働力集約型、技術集約型、知識集約型といったパターンで変化していると同時に、電球の二重コイル、三重コイルと同じでして、それぞれのサイクルの中に、また小さな発展パターンがあります。
 文明の次元で眺めますと、古代からつい最近までは、軍隊は主として労働力集約型でした。それは正規軍としての歩兵が中心の軍事機構だったからです。それでも、時代時代に応じて技術革新が行われました。中国の春秋から三国時代にかけての銅剣から鉄製武器への変化や指南車の登場、あるいはラメスニ世のエジプト軍に対して鉄器の採用と馬がひく軽戦車の使用で、機動作戦の勝利を記録したヒッタイトの場合、などがいい例です。あるいは、火薬の発明、アラブ人による石油を使ったロケット弾や、モンゴール人の騎馬戦法などもありますし、日本の場合だって一騎打ち戦法の武田の騎馬隊を火縄統を駆使した足軽戦隊で殲滅した織田信長の長篠の戦いや、新選組に対しての鞍馬天狗の例があります。それに第一次大戦の時のタンクの出現や、第二次大戦の機甲師団などは皆、技術革新が伝統的な歩兵戦術に画期的な影響力を及ぼしたいい例です。情報についてもスパイや暗号の利用とか、参謀の活用など、各時代に応じてさまざまなものがあります。
 そして、小隊、中隊、大隊、旅団、師団、軍団といった、正規軍の単位での軍隊の編成の問題がありますが、軍隊が人間集団を動かす組織である以上、人間の活力源である食料の確保の問題があります。補給と兵姑における準備と確保は、古代から重要な意味を持っていました。海軍というのは兵員や兵糧や兵器の輸送に起源があり、輸送船団の護衛から独自の戦闘集団としての艦隊に発展した歴史を持っているので、陸軍の海におけるバリエーションと理解したらいいでしょう。
 人間中心だった軍隊が、科学技術の発達に従って、歩兵集団のまわりに騎兵や砲兵的なものが加わり、最後に工兵がつけ加わって、いわゆる歩騎工砲という陸軍における四編成が整うようになったのが、数千年にわたる軍隊の発達の結論です。古代の騎兵は馬や馬車ですが、ナポレオンやモルトケの時代を経て第一次大戦になると、自動車やタンクが現れます。第二次大戦ではそれが機甲師団の形で新しい戦闘集団として再編成されます。そして、このような技術革新の成果を生かして、海洋と空間の次元に進出して、歩騎工砲の一体化したものとして自己完結的に発展したのが海軍と空軍でした。ここで僕の次元の理論と結びつくわけですが、二次元的空間を活動の場とした陸軍型戦争から、潜水艦や飛行機をフルに使った三次元空間を主体にした陸海空三軍を中心にする戦闘に移行したのが、二〇世紀における戦争革命ですね。だから、二次元戦争から三次元戦争へと戦場の舞台になる空間が次元の壁を乗り越えた所に、第一次大戦以降の戦争の革命的意義があったのです。このように文明における戦争の変化と、空間面での次元転換の問題を論じるだけの戦略思想家が出現せず、一九世紀初頭の意識水準で論じたクラウゼビッツの『戦争論』や時代遅れのドイツのロマン派達のゲオポリティーク的な発想法でしか物を見ることのできない政治家や将軍ばかりですから、駄目なんでしょうね。


石油と食料の戦略的意義

 二〇世紀における科学技術の革命的な発展は、戦争における戦闘方式を根本的に変えました。あらゆるものが機械化され、歩兵だって輸送は鉄道や自動車、そして内燃機関を備えた船や飛行機になって、小銃に代わって自動機関銃が中心になりました。騎兵は機甲師団になったし、砲兵隊もナポレオン時代のように馬で引っ張る代わりに自走砲化しました。工兵隊もエンジニアとテクニシャンを主体にしたものとして近代化しています。そして、戦闘集団の機械化に従って産業社会の技術集約型と同じ特性を持つに至ったのです。この集団を機能的に動かす活力源の確保が決め手となり、特に石油がなければ陸海空の三軍が動きがとれないという時代性が始まりました。空軍はジェット燃料やガソリン、地上軍はガソリンと重油、そして海軍は重油です。だから、第一次大戦のマルヌの戦闘などは、決め手になったのがガソリンだし、ユトランド沖海戦以降は重油の供給能力でした。だから第一次大戦のさなかにフランスのクレマンソー首相は「石油の一滴はフランス人の血の一滴に相当する」と言って悲痛な叫び声をあげたのです。
 また、ドイツの陸軍力は卓越した工業力のバックアップがあって優秀でした。兵器や士気の上で初期の段階では常に攻勢に出ていたのですが、長期戦になるに従って石油と食料の補給が滞りがちになりました。これは歴史的な事実です。幾ら優秀な兵器を誇ってもエネルギー源の石油に事欠けば活用できませんし、幾ら訓練の行き届いた兵隊を揃えていても、兵隊の活力源の食料が不足すれば、士気はおとろえるばかりです。銃後だって同じことで、食料が不足すれば、労働意欲がなくなってパンをよこせということで暴動が始まります。そこで、第一次大戦では軍事的には優勢だったドイツが、内部崩解せざるを得なくなったわけです。幾ら優れたハードウエアを誇っても、活力源の石油と食料が不足すれば軍事国家は内部崩壊するという意味で、石油と食料について完全に外部に依存しながら、国内に巨大な産業設備を築きあげている日本の現状が、第一次大戦におけるドイツと酷似していると、僕には思えるんです。
 また、第二次大戦だって同じでした。ヨーロッパでは機甲師団を中心にした機動作戦中心の戦争が行われ、石油と食料の不足が再びドイツを敗北させました。太平洋のこちらでは海軍は機動作戦をやりましたが、中国大陸で戦争をやった陸軍の行動は、せいぜい普仏戦争か第一次大戦の次元での作戦水準でした。それでも食料と石油の不足は、日本人の能力を最大限に発揮する上での足かせ役でして、ガダルカナルやニューギニアでは、鼠を食べ、木の根をかじって生きのびることをやり、ガソリンや重油の不足は、片道燃料だけの特攻隊戦法や、松根油を燃料にした戦艦ヤマトの自殺行を生んだりしたわけです。こういう意味では産業社会の活力源としての食料とエネルギー源の重要性を無視したなら、すべてのものは砂上の楼閣なんですね。


四次元空間の産業と情報

 ――それで食料とエネルギーがいかに重要であるかについてはよくわかりました。次に来る情報がいかに重要であるかについても、文明における戦争の進化という面からみると、どのように総括できるのですか。

 戦争における情報の役割というと、すぐにスパイだとか暗号解読ということになります。確かにそれも重要です。その他に、偵察や敵状分析といって、相手国の工業力や食料などの資源生産量の調査があります。昔から軍隊だけでなく、各国政府が力を入れてそういうことを調べてきています。相手について正しい認識を持たない限り、どのような対応策をしたらいいかとか、どんな作戦を準備する必要があるかの目安が立たないからです。また、クラウゼビッツが言っているように、「戦争は他の手段による政治の継続である」ということからすると、軍隊は単なる政治の道具にすぎず、戦争における戦闘という暴力が関係する分野を受け持っているにすぎないことも明白です。
 そうなると、より次元の大きな戦争全般の問題を取り扱うのは、軍事組織ではなくて政治組織として、次元がより上の国家であることもはっきりします。そのことは大分前に出版した『日本丸は沈没する』(時事通信社刊)という本と『虚妄からの脱出 経済大国の没落と日本文化』(東明社)の中で論じているのですが、経済も軍事も政治の道具であるという、国民国家時代を特徴づける属性が関係してくるのです。だから、中央集権的な絶対権力を確立する過程で、明治政府は「富国強兵」「殖産興業」という二大スローガンをかかげたのです。
 われわれが生きている二〇世紀は、政治的には、巨大な中央権力が君臨して、帝国主義という時代性とともに、国民国家という枠組の中で各国に政府が生まれています。政府は与えられた環境の中で、どのような生存条件を確立していくかを思索し、具体的な政治的実践を通じて、それをどう物質化するかを追求する機構です。しかも、政治的実践には内政と外政があり、理論的には国家の生存条件とより緊密な関係を持つ外政が主役となり、それに従って内政への布石が考えられなければならないのですが、現実には逆の形で政治が行われている場合がほとんどです。もちろん理想としては両方のバランスがとれているにこしたことはありません。しかし、他人を正しく知ることは困難であるとともに煩わしいので、自国本位に考えたり動いたりしてしまうのです。
 己でも外国でも同じですが、何かをよく知る上での媒体は情報です。そこで第一段階として、より多くの情報を集める努力が行われ、次によりよい情報を集めようとします。正しい情報は更に価値のある情報への指向をうながしますが、今度は受け取る側の選択能力が関係します。優れた問題意識を持った人材が価値ある情報を選択し、分析と総合をすることによって、ひとつの判断に達する過程を普通には評価するといいます。
 われわれコンサルタントがビジネスとして行っているのは、この評価能力を顧客に提供することです。それぞれ得意にする専門領域を持っていて、この問題に関しては誰が世界一であるといった具合に、コンサルタント自体がその評価能力を、今度は顧客の側から評価される関係が成立します。石油問題のように国際的な広がりと影響力を持つ分野では、本当の意味で国境をのりこえた国際コンサルタントが活躍します。その人によって、政府を相手にするのを好む人、国際機関指向型、銀行や石油会社のような民間組織が好きな人、現場専門、あるいは純粋な科学分野を得意にする人間など、内容はさまざまです。中にはスパイまがいのことをやる人もいるでしょう。
 僕の親友でオクラホマ州のタルサでコンサルタント業をやっているアート・マイヤホフ博士は、大分前はソ連政府の石油開発に関するアドバイザーをやって、ソ連だけではなく中国の石油開発についての知識と見識にかけては世界一と言われています。最近ではサウジアラビア政府のアドバイザーの仕事も引きうけたとか聞いています。彼はアメリカ人ですが、よその国の政府から相談をうければコンサルタントとして幾らでも知恵をつけるわけです。世界を舞台に活躍する人材というのは、生まれた国や国籍に関係なく、自分の能力を高く評価してくれ、アドバイスを必要とする組織に関しては、次元の枠をのりこえて協力します。これが文明の歴史を通じて最も有能な人間の生き方であり、それを売国行為としてしか理解できない人は、世界の利益の次元で活躍するコンサルタントの仕事と、国民国家や部族の枠の中で限定した条件に従って仕事をしなければならない国会議員、村会議員、将軍、兵卒といった人間の仕事を識別できないのです。文明の次元での普遍的な価値を持つ学問としての科学、技術、芸術、思想といったものは、人為的な国境の枠をこえた人類の共通財産です。フランスの思想家と思われているジャン・ジャック・ルソーはスイス人ですし、逆にわれわれがイタリア人だと思いこんでいる『デカメロン』のボッカチオはパリで生まれているといった具合に、人々は国境線に無関係な形で、自分が生きていく上で最もメリットのあるところで活躍しています。それは狭い政治空間を限定されている政治の世界でも同じで、孔子や孟子は弟子をひきつれて諸国を遊説して歩いたし、斉の孟嘗君、楚の春申君、趙の平原君、魏の信陵君といった人々は、それぞれ食客三〇〇〇人ということで天下の人材を集めています。また夫差に仕えた呉の宰相の伍子胥は楚人でしたし、われわれがオーストリア人として疑ってもみないハブスブルグ王朝の宰相メッテルニヒだって、ラインラント生まれのドイツ人でした。そんな例は歴史を読めば腐るほどあって、わざわざ列挙する必要がないくらいです。
 なぜこんな話をしたかというと、すぐれた人材は世界を舞台に幾らでも仕事ができ、日本が国の単位でも世界のトップレベルの人材をコンサルタントやアドバイザーとしてとりこむことによって、本当の意味で国際社会から情報面で落差のない、真に国際化をした国になると思うからです。そうでないと、日本の周辺に聳える精神的障壁を、わざわざ苦労してのりこえてまで日本にアプローチしたいとも思わない人間の持つ優れた情報は、絶対に日本には届くことがないでしょう。しかも、それに代わって、日本で大いにもてはやされようと思う不良外人達が、タメにする不良情報を持ちこんで、日本に悪質で価値のない情報の洪水をひき起こします。日本列島という閉ざされた池に悪い情報の濃縮度を高くして、選択眼どころか、日本人の国際感覚を全く曇らせ、精神を窒息させかねないと思うのです。
 それから、戦争における情報の役割ということで、どうしても論じておかなければならないことがあります。それは先刻、二次元空間を中心にした労働力集約型の戦争では食料が死活を握り、三次元空間として三軍を主体にした戦争ではエネルギー源としての石油製品が死命を制すと言いましたね。こういった次元の超越の問題を考えると、次元理論の一般法則からして、四次元空間を駆使した戦争を考えると、そこに情報の問題が介在してくるのではないかという予想が可能になります。そして、四次元の座標軸を考えると、三次元的空間が時間を軸にしたものの上を移動する「時・空間」という概念が生まれてきて、戦争だけでなく、そういったもの全体を含む政治における情報の役割がはっきりわかります。軍隊や産業界は政治の道具として考え得るとさっき喋りましたね。政治における活力源が情報であるとすれば、その下位の次元に属す軍隊や産業にとって情報がいかに重要であるかは、議論の余地がありません。
 軍事機構にしても産業社会にしても、発展段階が知識集約型としての特性を持つようになると、決め手になるのは情報です。繰り返すようですが、単なる量としての情報ではなく、質のいい、しかも価値のある情報を他人よりも一刻も早くより多く持つところに、第一の勝負があり、その次にそういった情報を選択して、分析と総合の過程を通じて評価することのできる質のいい人材をいかに多く使えるかということが、今度は企業や国家としての優劣を決めます。
 こういった問題の根幹にかかわることを自分の仕事を通じて体験し修業できるので、僕はコンサルタント業に生き甲斐を感じているのです。しかも、世界の石油問題の動向が社会の運命と関係し、国際政治をつき動かす原動力でもあるわけです。たった一度しかない人生ならば、自分の一番やりたい生き方をするのが人生における醍醐味だと思うのです。そこで「お前は大風呂敷で誇大妄想のけがあるから、とてもじゃないけど、まともにつきあいかねる」と言われようと構わずに、情報を評価する仕事に生きるより他にしようがないということです。少し居直り調で生意気にみえるかもしれませんが、これが僕の現在における正直な気持です。
 それに僕はあと二〇年くらいが余命としての持ち時間でして、四〇代のコンサルタント兼石油ビジネスマンの仕事に費やせるのは僅か八年半しか残っていないでしょう。せいぜいこの八年あまりの時間のうちにビジネスにおけるいろんな体験を積み重ねて、もっと修業してものがよく見え、より正確な判断ができるような人間にと脱皮したいと思ってます。もしそういう生き方ができたなら、五〇代の新しい人生は、大英図書館かパリあたりの大図書館の近くに住んで、人生を古典とまみえる生き方としてやってみようと夢みています。そして、先程粗筋を喋った次元の理論を時空間の考え方に従ってまとめたいと思っています。もっとも、僕のアイディアの一端をここで披露したので、僕よりも能力のある人がこの考え方を発展させて本をまとめてくれるなら、それを読んで一生送るのも面白いかもしれないでしょう。むしろその方がいいのであって、誰かが一刻も早くそういう仕事をまとめて、それが日本の政治やビジネスの中に反映するようになれば、ことによると今のところ絶望としか展望できない日本の運命に対して、大きな転換をもたらすかもしれないという気もします。この本の読者の中から、たった一人でもそれに取り組む気持になる人が生まれれば、この本の出版は十分に価値があったということになるでしょう。僕の本がそういう見知らぬ日本人との快心の出会いを果たした時、その一冊の本に、僕は何十万部という虚妄の数字をあげつらう日本のベストセラー全体にまさる重みを感じて、著者冥利に尽きる思いをするんじゃありませんか。本当の情報は、時間と空間をこえて人間の心から心へと伝わっていくものでして、それが『大学』の三綱領・八条目の根幹である格物致知の二〇世紀的意味になるのではありませんかね。


相手よリ多くの情報を持つ

 ――情報の問題が何だか認識論的な議論になってしまいましたが、そこでより具体的に話を進めることにしましょう。情報というのは勉強の度合によって理解の内容や読みの深さが違ってくるのは当然でしょうが、あなたの場合の情報の集め方といったところから入りたいと思います。

 ジャーナリストとして国際的な活躍をした松本重治さんの著書に『上海時代』という興味深い本があります。その中に書いてあるのですが、情報を集めたいと思うなら、この人から何か聞き出したいと思う相手より沢山の情報を自分が持つことから始めよ、と言ってるんです。これは情報収集に関してすべてを言い尽くしていて、まさに名言だと思います。こういったズバリ問題の本質をえぐり出す指摘は、八○年代の見方だとか読み方といった紙屑同然のハウツウ物を書く程度の、薄っぺらな文化人達にとても書けません。全く、人生の経験という時間の重みを感じさせられる素晴らしいことばです。
 人よりもいい情報を多く持っていることは他人と渡り合う時に自信をもたらしますし、いい情報を持てること自体が実力で、しかも情報というものは実力のある人の所へ自らやって来る特質を持っているのです。あの人はできるということになると、人々は自分の持っている情報を持って打診に来ます。また自分がよりよい情報を求めて武者修行をしている時に、そういう人とめぐり会っても、みすみす逃すことがないのです。なぜかというと、単なる知識の寄せ集めではなくて、整理された知識としてのいい情報の持主は、自分なりに問題意識を持ち、思想体系の中に情報を位置づけています。だから相手のいうことばのひとつひとつをオンタイムで吟味できますし、その含蓄が読みとれます。他人よりも情報を持っていれば、どこをどう叩けば何が出てくるかを見ぬく可能性も大きいし、何か持っているなと感じた相手にぶつけるわけでして、ある程度腕に自信のある人間は、相手の切りこみ方を見て、その腕を判断するのは当然ですから、それに従ってどの程度切り返すかが決まってきます。相手の切っ先が鋭ければ、それに応じて力をこめて切り返す必要が出てきますし、力をこめた時に出てくるのが、相手の実力に応じた情報です。そこでお互いに持てる力を出し合って、ハッシ、ハッシと切り結ぶ時、相手よりも弱すぎれば簡単にかわされるだけで、こちら側が強ければ相手は自分を守るために、持ち合わせているものを全部吐き出すというか、洗いざらい出さざるを得なくなるのです。
 相手が何をどんなやり方で質問するかによって、その問題意識の程度は大体見当がつきますから、それに応じた答えをすればいいのです。かなり鋭く切りこんでくれば、自分の見解なり判断をディフェンドするために、それに使える情報を選び出して裏付けにするだけのことです。その必要がなければ、情報などはしまいっぱなしにして、ただの説明で十分です。
 相手が幾ら妖刀村正を持っていても、腕が立たなければ首を右に左に動かすだけか、扇子を使うだけでもいいかもしれないし、塚原卜伝のように、鍋の蓋で十分の場合もあります。また相手次第では自分も長刀をぬいて汗を流して立ちまわる必要もあるし、ことによると一刀の下にバッサリ切り倒されてしまうこともあります。でもこちらの実力が伴っていないならそこで切り伏せられても仕方がありません。
 世界中で仕事をしていると、時々ものすごい達人に出会うことがあります。一分間喋っただけで自分は太刀合わせするまでもなく負けていると思い知らされて、世の中にはすごい人がいるものだ、やはり修業をやり直さなくては駄目だと負け犬のような気分になることがあります。こういう人に出逢うのが人生の生き甲斐です。また数年前にどうしてこの人に威圧されたのかと不思議に思う時、自分は一つの自分をのりこえたという気分になれるのです。そうなると、国王とか大臣、あるいは、社長とか総裁といった世俗的なものは全く関係なくなって、一人の個人対別の個人の対決です。そこで今度は単なる知り合いとして終わるか、友人としてつきあうかという人間関係が始まるわけです。一度一緒に食事したとか、仕事をしたからといって、誰でも友人になるわけではありませんから、僕は日本の常識から言うとつきあい甲斐のない男で、気難しい偏屈男ということになるのです。だけど僕はコンサルタントとして一種のサービス業はしていますが、売文業や接客業という水商売をやっているわけではありません。だから高天に跼ったり、厚地に蹐して生きる必要はないので、馬鹿者は馬鹿と言い、ニセ者はニセ者だと決めつけるでしょう。だから僕のことを罵詈雑言を吐き散らす男だと快く思っていない人も多いのを知っています。しかし、僕はプロのコンサルタントとして評価する識眼力で商売しているのでして、僕がもし人造真珠を本物といい、ジルコニアをニセ物のダイヤモンドと断言しなかったら、それこそ僕がニセの鑑定士ということになってしまいます。僕は人造真珠が自らを人造であると心得て自重している時には、ニセ物だなどと言わずにそっとしておきます。しかしニセ物が本物を気取って、歴史を読む史眼も持ち合わせていない癖に、そういった手合が知ったかぶりをして、『歴史の読み方』といった題で寝言みたいな本を八〇年代について書いて得意満面としている時、あれはニセ物だと言うにすぎません。僕は自分がわざわざ蝿叩きの役目をしたいと思っていませんが、現在の日本にはあまりにも派手に着飾った金蝿や銀蝿がマスコミの表面を飛びまわっています。全く五月蝿くて仕方がないですが、本当はジャーナリスト達が蝿叩き役をしなければいけないのです。
 松本重治さんのような優れた先輩がいるのですから、日本のジャーナリストももっと元気を出して、健筆をふるって欲しいと期待しているのですが、最近はどうも冴えに乏しい感じがします。
 情報は御意見拝聴では出てこないもので、真剣勝負の切り合いの中から飛び出すんです。日本のジャーナリスト達が、政治家や財界人の御意見を活字にしているだけでは駄目で、討論を通じて相手の喋りたくないことも引き出す術をあみ出した時に、今度は外国の政治家や実業家から本音を取り出せるのです。原稿を書いたり講演することによって名前を売り、小遣いを稼ぐアカデミーの人間と違って、一流の政治家やビジネスマンは価値のある情報を絶対に自ら喋ろうとしないものだという点を、日本人はもっともっとよく知る必要があるのではないですか。喋りたくてムズムズするのを抑えるところに一種の快感があるのも確かですが、日本のマスコミの表面をホコリのように舞っている人々のほとんどは、ムズムズするのを放出することによって快感を味わう享楽主義者でして、あれは情報ではなくて排泄物だと僕は見ています。


新聞の読み方

 ――大分辛辣な御意見ですが、情報媒体としての新聞の役割は大きいと思います。非常に日常的なことですが、あなた独自の新聞の読み方がありますか。

 日本の新聞とアメリカの新聞では僕は異なった読み方をしています。アメリカの新聞で定期的に読むのは「ウォールストリート・ジャーナル」で、あとは英国の「マンチェスター・ガーディアン」です。読み方には特別なやり方はありません。ただ、「マンチェスター・ガーディアン」は週に一度の海外版でして、これはフランスの「ル・モンド」と米国の「ワシントン・ポスト」の記事で見落とすことのできないいい記事が転載されていて、非常に読みごたえがあります。「ニューズ・ウィーク」や「タイム」のようにほとんど読むに値する内容の記事のない週刊誌を、日本の評論家やジャーナリスト達が読んでいるから駄目でして、あんなものの購読をやめて、「マンチェスター・ガーディアン」に切り替えたら、日本のジャーナリストの国際情勢に対する問題意識は一〇倍くらいよくなるのではありませんか。ただ、ビジネスマン向きではありませんので、アカデミーの世界の人々も、「マンチェスター・ガーディアン」を読むことで、世界には凄い頭脳が健在だということを、毎週確認したらいいでしょう。こちらの週刊誌としては「U・S・ニューズ・アンド・リポート」と「オイル・アンド・ガス・ジャーナル」を購読しているだけです。あとは時々図書館へ行って「ビジネス・ウィーク」と「フォーチュン・マガジン」を見る程度で、「タイム」と「ニューズ・ウィーク」は自分で金を払って読むに値するだけの記事はないので、専ら飛行機の中で読むことにしています。この二つの雑誌を僕は読むに値しないと言っていますが、それでも、これに匹敵するだけの週刊誌は日本に存在していないという点で、日本という国は情報ということからすると、実にオゾマシイ国と言えそうです。
 日本の新聞に関しては独特の読み方をしています。僕が読んでいるのは「朝日」と「日経」ですが、必ず二週間分溜めておきまして途中では絶対読みません。そして、二週間たった時点で必ず新しいものから古いものにさかのぼる形で読みます。そうすると、いろんな出来事の流れが明白につかめ、枝葉になるものや雑音が全部取り除けます。また、現在から過去に向かって時間に反対に動くので、現在がどういう状況に置かれ、何が主題かがわかりますから、将来どの方向に変化するかも、ある程度予想できるようになります。これは僕にとって一種の頭の体操です。そういうやり方を一〇年間やってきたおかげで、石油危機の襲来、造船王国の崩壊、イラン革命、アフガンヘの侵入といったテーマの記事を、それが起こる前に大胆に予言できて、結果としては自分のものの見方に自信を持つことが可能になりました。一億人の日本人の中に、こんな逆の方向から日本の新聞を読むやり方を長期間やる人間が、一人くらいいてもいいのではないかと思います。なお、新聞記事で面白いと思ったものは、その部分を破りとり、あとでまとめて読む時に赤で線を引いたあと、ファイルしてロッカーの中に項目別に整理しておきます。


三本の鉛筆

 ――新聞雑誌に続いて、いわゆる普通の単行本も大分読まれるのではないかと思います。速読法とか多読法とかについては、いろんな秘訣について書いた本も出版されています。藤原さん自身が図書館の方が大学よりも価値があると言い切っているくらいですから、図書館を大いに利用されているのではないかと思います。そういったことを含めて、本の読み方はいかがですか。

 確かに図書館や本屋は大好きでして、大いに活用しています。図書館ではテーマ別に本を一カ所に集めて簡単に斜めに見てどの本が一番よさそうかを選択するのに利用します。そして選択した本を注文して自分の本にしてから、本格的に読み始めるのです。
 すぐれた本というものはそれ相応に毒があり、毒が最後まで毒である愚劣な本なのか、それとも初心者には毒だけど、修業をしたあとの人間には毒が薬になる種類のものかを識別する必要があるので、僕にとって本を読む行為は真剣勝負の意味もあります。
 一日平均して二冊近く読み、日本の本は毎月二〇冊近く取りよせています。それでも、最近は題名がよくても中身のないものが多いので、日本の本の比率が僕の読む本の中で低下しつつあります。
 それはともかくとして、本を読む時に僕は必ず三本の鉛筆を用意します。赤エンピツはデータとして使えるものに線をひきます。たとえば、人名、地名、年月日、値段、数量といったもの、あるいは、地名と人名の組み合わせや人名と事件の組み合わせです。組み合わせの例を言いますと「ナセルが下士官時代、親ナチスの中尉としてナントカグループに属していた……」という記述があれば、そこに赤線を引きます。それからロスチャイルド家の伝記を読んでいたら、エドワード八世はウイーンのロスチャイルド家に頻繁に出入りし、そこで親ナチ派貴族と親交があったと書いてあったら、他の本で読んだ英国政府は国王のナチ心酔に対して憂慮していたことと結びついて、ことによるとこれが王冠を賭けた恋の真相かもしれないというデータのひとつにします。赤線を引いたものはデータとして、必ずカードに写しとるのです。
 それから、本を読んでいて発想法が面白いとか、言いまわしが絶妙だと思うものは青で線を引きます。たとえば「東条英機は間違っていたが、日本国民も間違っていた。もし、あとになって、日本人が自らの過ちや罪悪をすべて東条英機のせいにできると思うなら、日本人は更に大きな過ちを犯すことになるのである」という文章があれば、僕はためらわずに青線を引きます。そして、本によっては二度でも三度でも読むものが出てきます。その時は赤の代わりに橙、青の代わりに緑で線を引き、三度目は桃色と黄緑という具合に色を変えます。すると、前に読んだ時にはどうしてこんな部分に感心したのかと思ったり、ここはやはり素晴らしいレトリックだと感心し直して、二重の感動を体験できます。
 それからふつうの2Hの黒エンピツは、それぞれ自分でひっかかりを感じたところにコメントし、それを頁の余白に記入するのに使います。「どうしてこのような考え方をするのか、僕だったら別にこうも考え得る」と書きこんだり、「ここは更に発展させたら、あの事件との共通性が出て来て、ことによると逆の結果を生むことになるかもしれない」と注を加えるわけです。いい本と悪い本の両方にコメントは沢山つきますが、いいコメントは短く、悪いものについてのコメントはどうしても長くなります。そして内容的に優れた本は赤と青が多く、非常にカラフルです。
 僕が読んだ日本語の本で青線が一番多いのは最も感銘した本ということでして、座右の書になります。そのひとつを紹介しますと、英国の歴史学者のA・J・P・テーラーが書いた『ヨーロッパ 栄光と凋落』という本で、日本語訳は未来社から出ています。この本を読む度に人類における真の洞察力を持った知識人とは、こういう人間のことを言うのであり、この英国の歴史学者に比べると、自分がいかに修業不足で史眼において劣っているかを思い知らされます。人間における英知とか偉大さというのは、これだけ歴史を自由自在に斬りまくれる、達人と呼ぶに値する人に備わった属性ではないかという気がします。それからもう一冊参考までに青線・緑線の多い本をあげますと、ニイチェの『ツァラトゥストラ』です。僕は高校生時代からこの本を何十遍読んだかわかりません。そして読むたびに吐き気を催し、いまだに、どんなことがあっても、好感を抱くことのできない本です。しかし僕がきらえばきらうほど無視できなくなる親の仇のような本で、僕は自分がとても及ぶことのできない偉大な敵を、生涯かけて持ち得たことを、光栄に思わざるを得ないと感じています。
 次に僕が読んだ本の中で一番劣悪なものは、三年か四年前に『知的生活の方法』とかいう本でマスコミ界に登場した人物の書いた『腐敗の時代』だったか『クオリティ・ライフのナントカ』といった本だったと思います。これらの本は、余白に書きこんだコメントの黒字だけを集めたら、一冊の本で三冊の本が上梓できるほど黒ずくめのコメント本になりました。一番悪いことは、何十万という人々が、虚栄心にもとづいてニセ者の売りさばくタワケとサガを知性と誤解し、消化不良のプロシア・スピリットを飲み下して、初期の早発性痴呆症に感染して、それに気がついていないことです。自覚症状がないことが、この伝染病が猛威をふるう理由でして、『デカメロン』が書かれた頃のイタリアでは、こういった病気をペストセラーとか呼ばなかったでしょうか。


カゴかき文化と鉄道馬車

 ――そのような羊頭狗肉と形容するしかない本が、最近の日本ではベストセラーとして大量の読者を獲得していますね。それでも最近若者の活字離れが激しく、大学生がほとんど本も読まないと言われている状況を考えると、そんな内実の伴わない本でも、読まれるだけましだと思うのは、われわれ出版関係者のあせりかもしれませんが、いい本を作っても日本の出版制度のゆがみからなかなか書店に並ばないという苦悩もあります。藤原さんの場合は著者と読者の両方をやられているわけですが、現状をどう思われますか。

 普段テレビを見ませんが、先日テレビの音だけが耳に入ってきまして、「チリも日本の資源です」というコマーシャルがあって、これは日本の大出版杜の広告じゃないかと思いました。というのは、僕は昔から本屋の雰囲気が大好きで、今でも暇を見つけては本屋に行ってみるのです。情けなくなるのは、チリというかホコリと言うか、紙屑と形容したらいいのか、はたと戸惑ってしまうようなものを並べているのが最近の本屋です。紙屑が日本ではベストセラーでして、「カゴに乗る人、かつぐ人、そのまたワラジを拾う人」という関係で泰平な世の中が出現している点では、江戸時代と大して変わっていないみたいですね。
 昔は、本屋の親父は、これはいい本だと考えて棚に並べるだけの眼利きがやったものです。最近は経営者になってしまったせいか、マンガや雑誌とともに、宣伝だけで売りまくるベストセラー的なものしか置いてない、屑屋同然の本屋ばかりが増えてしまいました。それだけにかつて書店に足を踏み入れる時に感じた、精神的な緊張感がなくなってしまい、観光地化した名刹と同じ、淫らで落ちつきのない場所のひとつと化してしまったわけで、実にもったいないことだと思うんですよ。良心的な本を出版しているベンチャー的な書籍出版杜には実に気の毒ですが、これは日本のカゴかき文化が改まらない限り、解決しないでしょう。すでに鉄道馬車がもの珍しさで珍重されていますが、文明的な視点で眺めれば、そのうち鉄道や自動車に相当するものが主役になる時代が始まるのではありませんか。

 ――日本の出版界がカゴかき文化というのは耳が痛いと同時に名言でして、確かに雲助まがいの経営方針でやっている出版杜も多いわけです。それで鉄道馬車の珍しさと言いますと、どういう含みですか。

 物見高い野次馬が、舶来だからというわけで、競ってその前に行列する現象でして、ある意味では文明開化への前奏曲に相当するのかもしれません。そういう具合に眺めると、現在の日本で進行しているのが、維新直前の幕末期の社会現象と非常に良く似ていると思うのです。攘夷だった幕府はようやく開国に踏み切ったわけですが、西南雄藩に相当する経済界や学界は、下関や鹿児島を砲撃されたショックで攘夷はやめて開国に切り替えたけれど、本当の自信がないので、尊王代わりにかつぎだしたのが日本文化です。文化を輸出しろとか文化産業とか言って大騒ぎしていますが、それは自信のなさから来る恐怖に喚起されたコムラ返り現象でしょうね。庶民の段階では、激変する社会情勢に落ちついた気分になれず、おかげ参りやエエジャナイカ運動が蔓延しています。ちょうどそこへ黒船とともに鉄道馬車がたどりついて野次馬を集めたというのが、ガルブレイス教授の『不確実性の時代』あたりだったのではありませんか。あの本は題名の良さと宣伝力だけで野次馬を集めたと言ってもよく、内容としては、大学の一年生が一般教養の指定教科書として読めばいい位のものでしかありません。実務経験を誇り、すでに教養としての経済の入門書を卒業しているまともなビジネスマンが、今更読まなければならない種類の本ではないはずです。実際、あの本を最後のぺージまで読んだ読者は全体の一割もいなかったのではないかという気がしますね。現象としては小林秀雄の『本居宣長』と同じで、中身にどんなことが書いてあるかには無関係で、あの本をかかえて歩くことで何となく格好がいいという、アクセサリー的な意味もあったと思います。女子大生が『本居宣長』を小脇にかかえ、サラリーマンが『不確実性の時代』を通勤電車の中で広げるというのは、現代版エエジャナイカ風俗としては、非常に真面目な感じがしてほほえましいと言えるかもしれません。ただ題名の付け方のよさでグッチのハンドバッグやブリーフケース代わりに大量に売れたのだとしたら、表紙に題名を金箔かなんかで刷りこんで、中身は白紙にして「自分で不確実性の高いと思うことを好きなように書きこんで下さい」とでも書き添えておいたら、パロディとしても傑作になったかもしれないです。
 題名のよさという点では、ドラッカーの『断絶の時代』も非常によかったし、書いてある内容もおそらくビット数で表現したらいいくらいの、百万倍か千万倍も優れていました。現に、僕はあの本に大分赤と青の線を引いたと記憶しますが、『断絶の時代』が何十万部も売れたという話は耳にしません。そうすると題名のよさということではなく、角川商法と同じテレビというメディアを活用した宣伝力が決め手だったと結論していいでしょう。テレビのおかげで活字離れの人間たちを、教科書的な本に引きもどしたという功績では、日本の出版人たちはガルブレイス先生に感謝状を差しあげてもいいでしょうね。でも中には買って馬鹿みたから、金輪際もう本など買うものかと思った読者もあったでしょうから、功罪あい半ばすということで、放っとくのも手です。


アズの魔法と日本人

 ガルブレイス先生の本などはまだ真面目さがあるので愛すべきところがありますが、善良な日本人の人の善さと早合点の癖を逆手にとり、大分いかがわしい荒稼ぎをやっているのが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』というちょっとうさん臭い題名の本を書いたエズラ・ボーゲルという先生だと思います。あの本は実は米国の財界から基金集めをする目的で執筆されたパンフレットみたいな性質を持っており、そのキャンペーンを「ウォールストリート・ジャーナル」の紙面を使ってやっているのを目撃して、僕は最近はアメリカにも日本をダシに使って、自分のビジネスのプロモーションにする先生が出現するようになった、という印象を持ちました。しかも、英語版のこの本はアメリカよりも日本でよく売れて、日本語訳が出たらいよいよ売れたと言うんです。
 ハーマン・力ーンの二代目だから読むまでのことはないと思っていましたら、やっぱり日本のマスコミが大騒ぎをしまして、新聞や雑誌にこの先生が華々しく登場したわけです。そして得意になって見解を披露しているのですが、座談会で喋っている内容だけで、この人の浅薄な日本観がひと目でわかってしまうのですね。それにしても日本中がこのハーバード大学の先生を取り囲んではしゃぎまわる狂騒曲が、いつまでも最終楽章にならないのは、一体どうしたことかと、ある時、考えてみました。そしたらやはり題名に魔法がかかっていて、日本人がすっかり勘違いしているとわかったのです。と言うのは、日本人は難しい英語の言いまわしは受験で鍛えているのでよくできますが、生きた英語というか、やさしい用語法が苦手だという共通の欠点を持っているでしょう。僕なども一〇年も北米に住んでいるというのに、いまだに冠詞や前置詞の用法がいい加減でして、間違えるのは必ずそういった難しく見えないものです。この本の題名に使われているアズが曲者なのですね。ほとんどの日本人はアズをイズと気分の上で読み違え、何となくほめられている心地になって嬉しくて仕方がない心理状態に陥っているのです。
 アズということばは英語ではマジック単語でして、状況次第でカメレオンのように意味が幾らでも変化して取れるので、修辞法の世界の女王的存在です。だから、皮肉屋のバーナード・ショウあたりは、上手に相手を椰楡して楽しむために大いに愛用したことばです。ナンバーワンのように、と訳すか、仮にナンバーワンだとしたら、と読むかは、まさにアズ・ユー・ライクであり、読み手のオメデタさ加減の重症度を計る尺度にもなります。
 ことによるとボーゲル先生ならそう思いこみかねない事態もあるでしょうが、仮に題名として『ジャパン・イズ・ナンバーワン』とあったとしても、そこで満面笑みをたたえないのが真のナンバーワンである大国民の身だしなみと心構えです。というのは、ナンバーワンということばは、キャバレー用語として、稼ぎが多いという意味があり、幾らでも皮肉をこめて使えるというのが、国際社交界の常識だからです。一九世紀的な時代錯誤の固まりみたいな人が多かったのは確かですが、僕はオリンピックの時にグルノーブル市のアタッシュとして、いろんな公式レセプションに出席するチャンスに恵まれました。そこでは「あそこに立っているチャンピオンは、恥ずべき時代の俗悪な部門で、悪運に恵まれて金メダルだったのですよ。まさにナンバーワンですね」とか「別にごまかしたのではなくて、審判が思い違いしたらしいですが、まるでナンバーワンですよ」という使い方を耳にしたものです。それでもプロシア系のボーゲル先生は純朴が売り物のオハイオ生まれですから、これほど屈折したサロン用語はとても理解できないでしょうね。そこで一段も二段も落ちてキャバレー用語にたどりつくわけですが、この世界ではナンバーワンも品がぐっと落ちまして、「あの娘はここのナンバーワンです」という具合の使い方をするわけです。
 もっともボーゲル先生は日本の試験地獄を、意志を強くし我慢強い人間を作ると賞賛したり、政界、財界、官界の癒着を国家における三位一体の協力関係と絶賛している程度の日本観の持主のようですから、ナンバーワンはそのものズバリのチャンピオンの意味だったのかもしれません。そうだとしたら、アズなどというマジック・ワードを使わずに、正規の構文法に従ってイズを使えばよかったのだけれど、さすがに人類学者だけあって、日本人種の骨相を読むために、身も心もとろけさせるのはお上手でした、と拍手してもいいです。


己を知る視点

 ――そういった傾向の先鞭を切ったのが、あのハーマン・力ーンですが、二一世紀は日本の時代になるというキャッチフレーズは、日本人をすっかり有頂天にさせましたね。もっともあの時は佐藤内閣が悪のりしたせいもありますが、日本人は実におだてに弱くて、特に外国人にほめられると有頂天になりますが、どうしてでしょうか。

 日本人の善良さもあるでしょうが、おだてに弱いということは、相手の心の底まで読み抜く識眼力がないのと、本当の自信を持ち合わせていないからでしょう。だから、十数年前にハドソン研究所のハーマン・力ーンが日本人を持ち上げた時に、その背後にある計算ずくめの意図をはっきり見抜けなかったので、おかしなことになってしまったのです。あの段階での彼らの意図は、日本人は利口で働き者だと言えば、得意になって一生懸命働くし、次の段階で日本人は勇敢で優秀な兵士の資質を持ち合わせた民族だとほめちぎれば、喜んで前線に出かけていくようになるというところにあったのでしょう。昔から森の石松を相手にする時には、ベタほめするに限るというビジネス・ノウハウがありますし、力ーン博士はそこで大いに寿司をいただいたわけで、ボーゲル先生は、一番は……二番は……とやっていて、大体筋書き通り事がはこんでいるのです。
 相手を引きずり倒したい時に、足をひっぱるのは下司であると言いまして、この下司の役を一生懸命やったのが福田元首相でした。もう少し頭のいい人間は相手を持ち上げまして、どんどん持ち上げると、馬鹿と煙はあおぐと昇るというように、上へ上へと得意になってよじ登り、ついに一番テッペンから転落するのです。低いところから滑り落ちたのでは大したことはありませんが、一番高いところからもんどり打って墜落すれば、再帰不能の大怪我です。しかも、相手に大怪我をさせるまでの期間は賓客として大もてなしをしてもらえますし、長い目で見れば、立場は逆転します。呉の夫差を亡ぼすために越の勾践に対して子貢がつけた知恵のバリエーションです。
 頭のいい人間は相手を不利な立場に陥れるために必ずほめるので、ちやほやされたり持ち上げられたら気をつけろ、というのは世界中に通用する定石でして、修業する人間にとって一番心しなければならないことです。
 イギリスは日本と同じ島国ですが、イギリス人はちょっとほめても、この人は何か下心があるのではないかとウサン臭い顔をします。ところが、日本人は善良すぎるのか、世慣れていないのか、ちょっとほめられるとたちまち有頂天になってしまい、下にも置かないもてなしをして、手みやげまで用意すると、また近いうちに来て下さいとやってしまいます。これは性善説が一つの共同体を統一しているうちはいいのですが、それを心得た悪党がうまく利用すると、とんでもないことになります。その理由は、おだてられて嬉しいのは人情ですが、それがうぬぼれになり油断に結びつくと、だまし討ちにあったり寝首をかかれてしまいます。それは己自身を見失った結果に他ならないのです。
 こういったことからすると、八○年代で日本人が一番やらなければならないのは、己を知るということでしょう。七〇年代の日本人は、一生懸命になって汝の敵に相当する外国のことを知ろうとして努力をしたと思います。しかし、本当は敵を知る前にもっと己を知る努力をしていたなら、石油危機や食料危機に対しての十分な備えにとりかかることができていたかもしれないので、日本の運命にとってもっと良かったという気がします。
 実はボーゲル先生やハーマン・カーン博士が日本人に提供してくれるホメことばというのは、ほとんどが日本人の長所を長所と認めるか、短所を長所と見間違えて評価するという、プラスの側の情報ということができます。これは国内で活躍している国粋派や国家主義者の視点と大差がありません。その対極にあるのがコスモポリタン的視点でして、日本の短所が短所としか見えず、外国の長所が長所である上に、短所が見方次第で長所にもなる、ボーゲル先生が逆立ちした状態ともいえます。昔からこういう日本人も沢山いまして、皿洗いでもいいからアメリカに住みたいとか、似顔絵を夜店で描いてもパリに残りたいというタイプの人間です。
 同時に第三のタイプと言うか、自分の生まれた文化を乗り越え、他の幾つかの文化にも埋没することなく、世界を舞台に生きることのできる人間で、こういった人を真の国際人という気持をこめて、僕はインターナショナルな人間と呼び、僕もある日そういった人間の一人にと成長している自分を発見したいと念願しています。努力して自分と闘い続けない限り、幾ら念願しても真の国際人になり得るわけではなくて、気を許せば外国で一流の人間として生きるのに失敗して、ナショナリストかコスモポリタンのどちらかに落ちつくだけです。
 尻尾を巻いて負け犬として国内に戻っても、今度は洋行帰りということで国粋主義の御旗を振れば、ベストセラーの著者や評論家として、挫折を成功に転じて、華麗な人生を送ることも可能です。また、あまり活躍の余地は与えられていないけれど、そういった環境の中で身につけた国際人としての感覚を生かして、国内のビジネスや学問の世界で健闘している沢山の日本人の存在も非常に重要です。こういう人々がいるが故に、日本は“文化の時代”と言われる文化反動にもかかわらず、少しずつ新しい国際化への路線を前進しているという結果が生まれているのです。
 ナショナルを乗り越えてインターナショナルな立場まで自己を征服した人々のもつメリットの最大のものは、自分の生まれた国が持ち合わせている長所や短所の問題ではなくて、自分の祖国が持ち合わせていない長所が何であるかに気がつく能力です。同時に自分が関係した国々に欠けていた長所についても、同じように気づくことができるという点です。それは自分が持ち合わせない長所に気がつくことであり、何を求めて更に修業を続けなければならないかを豁然と悟ることでもあります。結局、自分自身との闘いなのでしょうが、昔の修業者のように山奥にこもるのも一つのやり方なら、世界を舞台に修業をして歩くのも方法でして、僕は世界修業を若い人々にすすめます。


一流とつきあえ

 ――その世界を舞台に修業するということと、識眼力をつけ腕に実力をつけることと大いに関係があると思うのですが、具体的にどうやりますか。

 小学校、中学校、大学というのは、一八七一(明五)年の学制の時は上下の差はなくて、広さの単位でした。幾つかの小学区が集まって一つの中学区が出来、そこに中学校が一校作られました。また幾つかの中学区に一つの大学が設置されたが故に、上級学校に行くたびにより広い地域から集まった人材と接し、世の中にはすごく出来る人間がいるものだと感動したわけです。漱石が描いた『三四郎』は熊本という小世界から東京という日本の中心に出て来た青年の心理を、次元の壁における精神の動揺として文学化し、それを広田先生がある日汽車の中で喋った「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本よりは頭の中の方が広いでしょう」ということばに凝縮させています。日本のエリートとして英国へ留学した漱石は、エリートとしての自意識があったが故に、優越感が劣等感に逆転した苦悩を徹底的に体験し、胃病に苦しみ神経衰弱に悩み、最後にそれを文学として結晶させることで、自己分析を通じて自らを乗り越えようとしました。この点で夏目漱石は日本が生んだ作家の中で最も偉大な人物の一人です。ここで問題なのは、なぜ広田先生の口を借りて「日本よりは世界が広い」と言わせたあとで「世界よりは頭の中の方が広いでしょう」と書くことができなかったのかということです。ここに僕は漱石におけるひとつの挫折と飛躍が記録されていると思うのです。
 日本でいろいろ素晴らしい人々に出会い、しかも、世界に出て更に素晴らしい人々に出会うことによって、日本の中で最も素晴らしい人を選び直すという過程は、自分をより優れた人間に育てあげる最も効果的なやり方です。それは人間に限らず、絵でも音楽でも油田でも同じでして、いいものだけを見たり聴いたり観察することによって、人間の目はこえてくるのです。
 美味なものばかり食べていると舌がこえて、まずいものがたちまちわかるというのは体験的に人間が心得ていて「ゼイタクすると口がおごる」と言いますね。人間関係だって同じで、一流の人間とだけつきあっていると、二流の人間に会ったとき一目でわかるものです。いい宝石商になるためには、毎日必ず一番いいダイヤモンドを眺める習慣をつけ、自分の価値のスタンダードになるものを頭の中に作るのです。しかも、惰性で価値基準が曇らないように、毎日頭の中を磨き上げるのでして、それが日ごとの鍛練です。
 油田も同じで、世界の一流の油田のデータを見慣れていると、時々自分が担当する油田がいかに駄物であるかもわかります。本についても同じで、自分はこの本を価値の基準に使いたいと思ったら、それが座右の書になるので、人間として一冊も座右に置く本を持ち合わせたいというのは、何にも増して惜しまれることです。
 情報だって同じでして、一流の情報とだけつきあっていたら、幾ら情報の洪水でも一流のものはすぐわかりますから、選択しようと思わなくてもいいのです。一流の情報が自分のまわりから逃げ出さないように身をひきしめればいいのです。ニセ物の情報はキンキラキンだったり、総入れ歯や厚化粧をしていて、みかけ倒しの人間とよく似ているので、何となくおかしいと感じます。しかし、外見はちょっとビッコをひいていたり、半身しかないように見えても、王駘のようなものすごい価値を持った情報もありますから、何が一体本物かを見きわめる識眼力がいるわけです。これは毎日自分の頭の中を整理して、問題意識をはっきりさせる以外には、仕方がないのじゃありませんか。実は僕はまだ修業中なので、時どき見わけがつかなくなってしまうのですが、そういう時は、大体つまらない本を読んだあとや、下らない事柄に気を奪われたあとが多いんですよ。いまだ精神一到も心頭滅却もできる段階まで達していないんでしょうね。
 だけど、僕のこれまでの経験から判断すると、日本の国内にいるよりも国外の方が、本当に一流の人に出会うチャンスは、はるかに多いと思います。それは日本にもそれぞれの分野で一流の人が沢山いるのですが、すでに出来上がってしまっている社会では、駆け出しの人間がそういう人に近づける機会も少ないし、そういう人は自分の時間がいかに大切かを知っていますから、時間をさいてもらえません。
 その点、日本の外へ出た場合、もし人間としての魅力と誠実さを持ち、しかも、外国人達からこの人の見識や構想力は非常に興味深いと評価されたら、向こうの側からアプローチしてきますし、それに加えて、日本人として文化や政治に関してものすごい情報を持っていることがわかれば、向こうが放っておきません。自分はこれだけ素晴らしい友人を持っているのだということで、その人の友人に紹介してくれますし、その人たちのグループの仲間にも喜んで招きいれてくれます。
 自分の一番の親友に紹介して、共通の友人にできない人とは友達づきあいをしないことですし、自分も他人に対してそういうつきあいができないなら、人生の修業をやり直して、人間としての魅力を高めるより他に仕方がないのではありませんか。そして、すべては個人としての人間の問題であって、国籍、性別、年齢、職業、地位といったものはいっさい無関係です。
 たまにはつきあいを兼ねて、自分の興味のない集まりに出なければならなくなっても、それをやると精神のバッテリーが放電してしまうし、頭の中に挾雑物がまじりこんで、問題意識の冴えがにぶってしまいます。だから、僕はつきあいの煩わしさから解放してもらうために、あの人はつきあいが悪いとか、変わり物だと言われても何とも思いません。むしろ、あんな偏屈な人は仲間に入ってもらわない方が楽しくやれるという噂が立って、いろいろな雑用やヤボ用が舞いこんで来ないことの方が歓迎なのです。そういった意味では、自ら求めて非常に孤独に徹していますが、僕は昔から岩場で一人で悪戦苦闘してきましたし、単独行をやることによって太陽と語り、野の草と慰め合ってきましたから、少しも寂しいとも思いません。人生においては、本当に心をうち割って喋り合える知音が身のまわりに五人いて、心から信頼できる親友が世界中に三〇人おり、そこへ行ったら必ず会いたい友人が一〇〇人いれば十分ですね。僕もそういった人々から友人であることを放棄されない限り、あとは一億人の日本人とも、六〇億の人類とも、お互いを一人一人の人格と認め合って、他の人の迷惑にならない程度に、強く手をつなぐとは言わないにしても、宇宙船地球号の一員として仲良くやっていきたいと思っています。
 読書についても、われわれが若い頃からいい古典に多く慣れ親しんでおくと、年をとってもいい古典は面白いし、今のものでも駄物やニセ物はすぐに識別できるのでして、その訓練をするのが一〇代と二〇代という青年時代ではありませんか。
 それから古典というのはロングセラーでして、ロングセラーとベストセラーは全く価値の次元が違うのです。ベストセラーは人間が買ったということが主体で、宣伝力が今の時代では主役ですから、操作が可能です。ところがロングセラーというのは、時間という四次元の座標軸を構成しているものが選択の基準を作っているので、人為的な操作が不可能です。ロングセラーの中にはそれぞれの分野で一流のものが非常に多い比率で含まれており、本物の本ばかり読んでいたら、本物との出会いで生ずる火花が散る割合も多いのですね。
 僕の読み方で青い線が沢山ひいてある本を開くことは、僕にとっていながらにして時間と空間をこえて、一流の人間との出会いをしていることになります。そうすると、世の中には素晴らしい人がいて、ものすごい境地に達しているものだと感じ、僕はもっと修業しない限りこういう人の足元にも及ばない、と自分を叱咤激励することになります。そういう自己の確認を毎日しながら、今日も生きていてよかった、明日ももっと頑張ろうと思うわけで、そんなことの積み重ねが、一〇年、二〇年と続いて、ひとつの人生が出来上がっていくのじゃないかと思います。


知恵のある老人とつきあえ

 ――古典に親しめということは常に言われてきましたが、それを実現している人となると非常に少ないのは、やはり大変な努力がいるせいと言えます。有名なゲーテのことばに、「沢山の本の中には、それを読んで学ぶための本ではなくて、著者が何かを知っていたことを、読む人にそれとなく知らせるために書かれたと思えるものがあるものだ」というのがありますが、そういった本が古典になるのでしょうね。それで今度は本を離れて日常生活をしていく上で、一流のものというか本物の情報を沢山得る秘訣みたいなものがありますか。

 まず第一にいい老人というか、知恵を持った老人とつとめて親しくつきあうことです。いい老人とはどんな人間かと言いますと、いろいろと人生の長い期間を通じて経験してきたことを総括し、その中から、何がやって良かったことで、どんなことがやって悪かったかを知っており、それを何気なく教えてくれる人です。それも教えてやるとかお説教するということでなく、日常会話を通じてそれが伝わってくるような人です。
 大体、知恵を持っている老人はひかえ目に構えていて、あまり自分からペラペラ喋らずに、非常に聞き上手ですから、つい僕らのような若い人間は余計なことまで喋ってしまうわけです。でも行き過ぎた時に、頂門の一針とでも言うか、何かとてつもなく素晴らしいことを、短くポツリと言ってくれるものです。人間にとって一番大事なことは、何ができて何ができないかを知ることで、若いとどうしてもできないこともできるように思いがちですし、できることはもっとうまくやろうと考えます。ところが本当に知恵を持った老人は、できてもやっていけないことや、できなくてもそれでいいというものが、世の中には沢山あるということを悟らせてくれることが多いので、そういう老人と仲良くするメリットというのはものすごいものがあるわけです。若い人間が若者同士でつきあうのもいいですけれど、二人三人そういういい老人がいたら大変な財産でして、横丁の御隠居さんでも、床屋の親父でも、引退した旧ビジネスマンでも、そういった年の功で人生の知恵を持つ人は幾らでもいると思うんですね。
 ところが最近の日本では、社会の表面に張りついて、若い人なんかあてにしていては世の中はうまくいかないと思いこんでいる駄目な老人が目立ちすぎます。騎馬戦をやったり重労働とも言える社長業や代議士などをやったりするのは六五歳以下の人にまかせたらいいのに、福田元首相のように、足をひっぱったり権力争いの先陣に立って、はしたない行動ばかりしていて知恵を働かせるような役割を演じていません。


若さと達観

 ――老人は年をとっているだけでなくて、知恵を持っていることで本当の価値が決まってくるというのは確かにその通りでしょう。それでは老人が出てきたついでに、若者についてはどんな意見を、お持ちか聞かせて下さい。

 若さというのはそれ自体価値がありますが、それは未来があるとか肉体的にピチピチしているという属性に由来していて、本人の努力のたまものというより、天の恵みによるところが多いのです。そして、若さを誇れるというのは、青年に特有な理想や情熱、あるいは誠実さや真剣さといったものが属性として伴う可能性が多いせいです。しかも、そういったものの上に、洞察力とか円熟味といったものが備わっていたら、この若さは素晴らしいものでして、しっかりした青年だとか、よく出来た若者だということになります
 ところが、青年特有の情熱や理想主義への憧憬といったものがなくて、単なる肉体的な若さや年齢的な若さしか誇れなかったら、そんなものは何ら誇るに値しないということになるのです。非常に残念なことは、現在の日本には若さしか誇れない若者が沢山いて、しかも、それを悪用しようとする人がウジャウジャいるみたいです。若者たち、などといった呼びかけをする人間には注意した方がいいのでして、「君たち若者!!」なんてあげつらった表現をする場合は必ずもくろみがあって、何かを買わせようとか、戦場へ連れていこうということです。洞察力を持つ青年とか英知を誇る若者という具合に、若い人がもう一段上の次元の価値観を伴った形容の仕方で呼ばれないといけないし、そういう時代になって欲しいと思います。現に僕などは、自分よりも若い上に優れた人格の持主にめぐりあうと、本当に素晴らしいというか、「後生おそるべし」という気分になって、李白の「丈夫は未だ年少を軽んずべからず」という詩を思い出すんですね。人生の感動ここにきわまるということなんでしょうが、あまりチャンスは多くありません。
 大分前に、石原慎太郎が都知事候補になった時に、機会があるごとに若さを口にしたので、その時ある雑誌に、誇れるものが若さしかないということは、しつけの悪い犬や未開の原生林が自慢するのと大差がない、というようなことを書いた記憶があります。肉体的に自分より年をとっている人に比べて、若さや耐久力を誇ってみるというのは下司のやることでして、本当に実力のある人間だったら、相手のメリットである英知や洞察力と結びつけた上で、自分がその点でも優り、しかも、情熱や責任感においても上であるという比較の仕方をしなくてはいけません。

 ――老人と若者について聞きましたついでに、その中間というか藤原さんと同じ中年の世代の三〇代と四〇代には、ミドル・マネージメントとして第一線で活躍するビジネスマンが非常に多いですね。中年というよりも、むしろ壮年と言うべきでしょうが、壮年の人々についてはいかがですか。

 一〇代から二〇代は人生の若い時代ですから、何でもしてやろう、何でも見てやろうを大いにやっていいと思うのです。実際僕自身がそうでしたし、現在海外へ出て一番ダイナミックに活躍している日本人はこの世代の人です。三〇代と四〇代というのは二〇代でやったこととはひと味違った生き方をする時代でして、その意味では、自分の年齢に従ってやることを変える上で、三〇代と四〇代は判断力と実践力の時代と形容できるのじゃありませんか。人格と関係した部分では、洞察力と英知がこの時代を特徴づけると思います。
 若い時にいろいろやっておけば、壮年の時代になって二〇代の人がやるようなことに気を奪われないで済むし、壮年になったら何をやれということよりも、壮年時代の人間にとってやらない方がいいことは、興味を持たない方がいいと言えるかもしれません。
 こういう事には興味を持ってはいけない、そんなことは知る必要がない、こんな紙屑みたいな本は五ぺージでやめなければいけない、こうした人間の仲間に入ってガサガサしない方がいい、という具合に自己規制ができるようになって、人間として安定してくるのが壮年時代だと思います。「荘王、小善をなさず、ゆえに大名あり」といって、最初したい放題をしておくと、あとになってものすごい力量を発揮する人間が育つ場合が多いのです。僕のフランス留学時代、二〇代に好き放題をさせるために長男や次男をフランスで遊学させるというイタリアのブルジョア家庭のやり方を目撃して、なるほどと感心したことがあります。一種の帝王学でしょうが、ヨーロッパにはそういう伝統が残っているみたいです。
 つまらないことを乗り越えてしまうと、二度と再びそんなものに手を出さないということかもしれません。そして、次元の大きなことだけに関心を持ち、不易流行の不易の部分だけを見るのです。そうなると流行に関しては自分とかかわり合いがないと思えるようになり、物事がよく見えてくるんでして、達観するというのは、きっとそういうことだと思いますよ。
 それから、駄物の情報と接しすぎると本当にいい情報と出会ってもよくわからないのです。だから、壮年の人はいい情報と親しくつきあえるように、いい友人やグループとつとめてつきあうことで、悪いものとはつきあいを絶つことです。僕は運のいいことに、三〇代の一〇年間はカルガリーという世界第二の情報センターに住み、四〇代はコンサルタントとして面白い情報を持った人々を相手にビジネスをしているので、情報に関しては恵まれた壮年時代を過ごしているような気がします。


コミュニティの団結力

 ――カルガリーにお住みになって、非常に満ち足りた気分で生きているという感じが強いのですが、カルガリーと情報の関係をもう少し具体的に説明してもらえますか。

 アルプスの麓のグルノーブルに五年住み、過去一〇年間ロッキー山派に近いカルガリーで生活しているのを見てもわかる通り、僕は雄大な山がすぐそばになければ落ちつけないんです。大自然は確かに素晴らしいのですが、女房に言わせると、文化における地の果てでして、一年に一度はヨーロッパに行って空気を吸ってこないと発狂するそうですが、それは僕も認めるものの、結構ヨーロッパ人を含めて、各国からそれぞれなりの人材が集まっていて面白いんですよ。果たして本当にそうだという形で尻尾を出すわけがありませんが、いろいろと奇妙な人間も沢山いまして、CIAとかMI6、あるいはKGBとかいったその他諸々の印象を持つ人間が、何とか銀行のアシスタント・マネージャーやサービス会杜の副社長のような肩書きで仕事をしています。もちろん石油が国際政治に密接な関係を持っているから、石油についての情報を集める仕事には持ってこいなのかもしれません。それに、中には僕と同じで個人的な道楽で問題意識を高めて楽しんでいる人もいるでしょうが、あまり知りすぎていたり鋭い人は、何となく違うからすぐわかるのです。それでも、問題意識のある人はつきあってもお互いに楽しいので、友人として仲良くやっていくのです。
 さっき情報を集めたいと思ったら、他人よりも多く持つことだという松本さんのことばを紹介しましたが、本当はそれ以上の重大なことがあります。それは情報を選択し判断することに関係があるのですが、あの男に情報の一部を与えるとどんな具合にそこから結論を引き出すか、という興味を他人に持たせるような、新鮮で個性的な考え方を身につけることです。発想法の面白さとでも言うのでしょうか、そういったものを持つと、情報を持った人間がアプローチしてきます。
 これはある意味で、われわれが知恵のある老人に近づいていろいろ相談するのと同じで、実は人生経験豊かな人に、データとしての情報を持ちこんで判断してもらうということでしょう。その立場をビジネスマンとしてやれたら、これは大した財産です。皆がいろんな情報を持って相談にやってくるから、その人のところにはいよいよ情報が集まるようになるということで、結局、食客三〇〇〇人をかかえこんだ春申君や孟嘗君は、そうやって人材を集めただけでなくて、情報も収集していたのでしょう。ヨーロッパではこの役目を担当するのが副首相とか無任所大臣でして、彼らは面白いサロンやパーティーを主催しており、そういう所には必然的に各国を代表する知的好奇心の強い人間が集まってくるので、友人同士がつきあう場所としても楽しいのです。日本でもそういうことを主催できるいい意味での面倒見のいい人が、若者や外国人留学生を相手に月一回とか二回何かやるようにできたらいいですね。子分ばかりを相手にしないで、政治家にもそういう外に向かって開いた人間が沢山生まれてもらいたいです。
 そうやって小さな単位で人間のグループを固めていくと、人は城、人は人垣というように小さな結束の集合ができて、日本は内部的にも知的な多層構造をもった人材グループが構成されて、今よりは充実度の高い国になっていくのではありませんか。そして、そういったグループが派閥を争ったり敵対し合うのではなく、いい意味でコミュニティの次元で連帯し合い、次にコミュニティが地域と、地域が国として連帯する形で新しい連合体としてまとまった存在としての国家を考えることも、八○年代の日本の進路を考える上で大切かもしれません。よくスイスが小さい国でも強力な国防力を持っていると言いますが、コミュニティ次元での団結力が根本にある点を日本人は見落としています。現在の日本は地方に対しての再評価が進んでいて、こういった発想で自分達の身近なものと中央の政治のあり方を考え直す意味で、ひとつのチャンスだと思うのです。“オラが村”的に収斂してしまう島国根性ではなくて、個人、コミュニティ、国、世界と外に向かって広がっていく発想法で自分の住んでいる国を見直したら、不毛な防衛論争ももっと実りのあるものにすることができますし、八○年代の日本の活路も見いだせるという気がします。国会だけでなく、ジャーナリズムもそういった方向で議論をまきおこし、国論をなんとかまとめるようにして欲しいですね。


八〇年代の安全保障

 ――そこで国防ということばが出たので、日本の安全保障についての話をするきっかけができました。ズバリ言って、安全保障についてどうお考えですか。

 僕は一〇年ほど前に書いた『石油危機と日本の運命』(サイマル出版会刊)の中で論じておいたのですが、国家の安全保障の問題は、国防問題よりも次元が大きく、国防問題は軍備力よりも上の次元に属しています。ところが日本では軍備力を国家の安全保障問題の決め手になる中心課題だ、と誤解した議論ばかりが行われているのです。前に喋った通り、経済力も軍事力も政治の道具としてのポテンシアルであって、軍事力さえ整えれば国家の安全保障が確保できるというのは、一九世紀的なハードウエア指向型の発想法です。
 現在では、国家にとっての安全保障の基礎は、何百万何千万という住民の生活を支えている産業社会を、いかに活力と安定を保って維持するかというところにあると、段々と人々に理解されるようになってきました。僕が一〇年前にそれを言った時には誰も耳を貸してくれませんでしたが、この頃は、石油確保が日本の安全保障の上でいかに重要であるかを訴える人が沢山現れて、本当に夢のようだという気がします。だけど、相手としての敵国を征服するには、軍事力みたいな次元の低いものではなく、国家の安全保障の根幹になっている食料、エネルギー、情報などを効果的に供給を止めればいいことは、昔から知られています。そういったことを僕は『日本丸は沈没する』(時事通信社刊)の中で、近代戦史の中の経済封鎖の政治学という記事で論じていますが、戦闘そのもので勝つよりも補給線を断ってしまう方が、勝利の効果は大きいのです。そのことをヒットラーだって認めていまして、「人々は他の方法で目的を達成できない場合に殺人をするものである」と言っているのです。そして、政治的に相手を撹乱することの有利さを「軍事的な手段を用いなくても、より効果的に士気を崩壊できるなら、なにも軍事力に訴える必要はない」と本に書いています。おそらく僕と同じように社会の活力源に注目したのでしょうし、彼のような攻撃性の強い人間のことだから、政治宣伝の威力を十分以上に評価したのかもしれません。ヒットラーは二〇世紀における最悪の全体主義者ですから、僕にとっては不倶戴天の敵みたいな存在とはいえ、彼の国家の安全についての認識は間違っていないのですね。昔は陣地を奪うとか、領土の一部をもぎ取ることが、敵側を攻める最良の戦術でしたが、現在のような情報時代は相手国の政治中枢を麻痺させることの方が与える打撃は大きいのです。
 ソ連が仮想敵国だからといって自衛隊を北海道に結集し、北海道を要塞化していますが、わざわざ待ち構えている所ヘソ連兵がのこのことやってくるわけがありません。僕がブレジーネフだったらそんなことはあまりにも馬鹿げている上に労力もより必要なので、日本を武力で制圧するなんて考えもしません。むしろ日本の活力源である食料やエネルギー面でゆさぶることを戦術として使います。中東からどんどん石油を買って、世界の石油市場を撹乱したり、アメリカの大豆と飼料を全部買い占めて、日本を兵糧ぜめにすれば、日本は自滅してソ連に敵対する政策を続け得ないといった搦め手から攻めるのです。
 そういうことを考えると、日本はどこの国とも仲良くやっていかなければならないし、つまらない行き違いから敵対関係に陥らないためにも、よその国との関係は細心の注意を払わなければいけないのです。しかも、日本に存在しない政治上の長所を考えると、信頼にもとづいて政治が運営されるという点でして、それがないまま上からの統制がずっと続いています。だから政治における信頼感の確立は精神面における安全保障の基盤でして、その次に石油や食料といった物質的なものがスムーズに補給できる経済体制の維持がきて、軍事的に国を守るというのは、そのあと位にしか位置づけ得ないと思います。
 大体、平和という関係は理性的なものですから、人々は平和に退屈しがちです。もっと情熱をかき立てられて、じっとしていられない状態が欲しいといって、平和に代わる緊張と興奮を求めるのが一般の傾向だから、民族主義者がそういった気分を利用して愛国主義運動を盛り上げるのが世の常です。しかし、緊張や興奮は劇場や競技場で満喫してもらう分には問題ないですが、一国の運命を賭けて好戦気分の盛り上がりを通じて味わってもらったのでは危険きわまりありません。
 それでなくとも、日本は海外から供給される食料、燃料、ノウハウといった情報によって繁栄した産業社会を維持しているのです。その基盤を損うような軽率な方向に引きずられたら、日本は危くて仕方がない弱みの多い国です。歴史を紐とけば誰にでもわかることですが、戦争や緊張が大国間にある時には、それに巻きこまれないで両方の国と仲良くし、しかも調停役や仲介役を演じる立場を貫く国が、いつの世にも繁栄しているのです。第一次大戦、朝鮮事変、ベトナム戦争の時の日本の立場はそれでしたし、第二次大戦の時のスイスやスウェーデンだけでなく、スペインだって中立を貫くことによって、荒廃をまぬがれているでしょう。もし明日、石油の供給が止まれば、日本は数ヶ月以内に内乱が始まって、国民の半分以上が餓死するかもしれないのです。そういうことを思うのなら、日本にとって平和の状態が続くことほど有り難い状況はないのであって、これからはもっと積極的に平和を追求していくように考えていくべきではありませんか。
 それに食料にしてもエネルギーにしても、全部なくなることを想定する必要はないのです。不足は全部なくなった時点で始まるのではなく、必要量が二%か三%足りなくなると不足感が現れます。室温だって一八度が適温だけど、寒いと感じるには零度にする必要はなく、一六度以上に暖まらなくなると寒さを意識して、じっとしていられないわけです。食料の飢餓感だって餓死寸前に痛感するのではなく、食べたくとも八分目以上は食べられないといった心理的な圧迫感が、人間を米騒動や暴動に駆り立てるのです。そういう意味では物質的なものの不足を、心理に働きかける情報が人間を狂い立たせるのでして、いい情報はいい情報を加速的に集中する力を持ちますが、悪い情報が溜り出すと、そこにいよいよ悪い情報が集まって状況を悪化させるのかもしれません。


スペシャル・クオリティを売る

 ――八〇年代は全般的に見て、展望があまり明るくないと言われています。しかし、どこで何が転機になって再び光明が射すかわかりませんし、逆に一度どん底まで落ちこんでから再び立ち上がるような破目になる可能性もあります。今ここであまりくよくよしてもいけないので、八○年代のビシネスで一体どのようなものが有望であると展望されているかについてお聞かせ下さい。

 有望なビジネスが何かという質問への答えは、あらゆるビジネスが有望だということです。ただし、現状のままやっていたのでは有望なものは少なくて、やり方を変えることによって、ほとんどのものが有望なビジネスになりうるということでしょう。
 一体、未来の産業社会がどうなるかとか、産業社会だけでなく、人間の生活圏全体がどう変わっていくかを見きわめながら、それを考えるのが筋です。しかも、有望なビジネスが何かよりも、むしろ有望でないビジネスが何かを見たら一番いいのではないでしょうか。それでは、現状のままが継続すると何が最初に破綻するかといえば、まず、エネルギー多消費型のものであることは一目瞭然です。これから二一世紀半ばにかけては、エネルギーの値段が非常に高くなります。それを解決するのは核融合が実用化する時代でしょうが、それまでは現在の科学技術の水準からすると、五〇年以上の時間が必要で、高価なエネルギーに耐えなければならない時代が続きます。
 物を移動することは単位当たりのエネルギー・コストを反映すると考えれば、重いものを右から左に移動するにしても、そこに含まれる情報量の多いものが優位に立つといえます。そこでインプットしたものに対してアウトプットが多いという、情報化と能率の高いものがいいんです。しかも、あらゆるビジネスは情報産業の要素を含んでいます。だから技術力や研究開発部門を強化して、そういった面での日本の産業の体質改善が必要で、その過程でいろいろ小まわりのきくビジネスが生まれるでしょう。たとえば、これまでの日本の鉄鋼産業のやり方は、鉄鉱石を買ってきて熔鉱炉で粗鋼にしたものを延圧し、鉄板や鋼管にして商売にしてきました。これは鉄を目方で売るビジネスで、量を中心にしたやり方ですから、必然的に量の拡大という方向に発展します。そこで量ではなくて、質に向かって進化の路線を変える必要があります。同じ鉄でも、鉄を更に加工して特殊鋼化し、マイナス五〇度まで耐えるとか、耐蝕特性の高い鋼管にするといったものを指向すれば、世界中がマーケットになって、注文は必然的にいいものを製造する所に集中します。そうすれば目方のビジネスではなくて、性能という特性を付加価値にした商品でビジネスがやっていけます。僕はそういったやり方を「スペシャル・クオリティの法則」のビジネス化と著書の中に定義したことがありますが、そのやり方を指向すれば、コンサルタント業と同じで、売り手市場を大いに楽しめます。
 もう一つの路線は、単位あたりの情報ユニットの大きなものの指向でして、商品を小さくしてトランジスタ化を図るのは、日本人がすでに特技としている分野ですが、これは有望です。エレクトロニクスなどはその代表でして、ミニコンの活用は日本人が世界の最先端を行っているのですから、ソフトウエアを開発して、その応用技術をどんどん発達させたらいいです。しかも、独創的なテクノロジーを開発すれば、大量生産の必要はなくなり、個性的な商品がものすごい付加価値を生み出すでしょう。
 その意味では情報量の多いビジネスは、マニュファクチュアに関係しない分野でも大いに有望です。たとえば、銀行でもソフトウエアの商品化と結んだ、ベンチャー・キャピタル指向のものなど、非常にいいと思います。これまでの銀行は預金者から集めた資金を、ハードウエアを担保にして貸し出してきましたから、見返りも五%とか一〇%の単位です。しかも、担保は日毎に陳腐化して価値を失うのが情報化時代の特性です。それに、商社のビジネスのように、口銭が五%とか二%のものと違って、ベンチャー・ビジネスの利益率は、二〇〇%とか二〇〇〇%といった単位です。また、ひとつひとつの資金単位が小さいので、危険を分散させるために、いいものを選んで沢山のプロジェクトに分散させればいいのです。
 大体、ベンチャー・ビジネスはもうからないことにはいっさい手を出さない、という商売の仕方をしています。これがビジネスをうまくやる秘訣であり、商売の原点ですが、大部分の企業はこれを見失っています。組織が肥大化しすぎたので、やむを得ないのかもしれませんが、日本のビジネスのやり方は、いらないものを沢山かかえこみすぎています。戦闘機が重爆撃機になっているので、かかえこんでいる人間に仕事を与えて食わせるために、もうからない仕事をいっぱいやっています。ということは、つまらない仕事を切り捨てる代わりに、つまらないビジネスまでかかえこむわけで、これは辛うじて生き永らえるやり方です。
 銀行や金貸し業だって、金利を稼ぐ発想でビジネスをやっていたのでは駄目で、投資銀行のように、共同でビジネスを行い、パートナーになって、会社が三倍、五倍と発展すれば、それに応じて自分の投資の見返り分が三倍、五倍と増えるビジネスをやることです。そして、ベンチャー・ビジネスが一〇倍の利益をあげることは、大きい組織が五割の利益を計上するよりも可能性が高いと言えるでしょうね。
 ちょっとした工夫が、ビジネスを発展させ安定させる点では、自動車だって同じです。デザインや内装といった補助的なものでなく、もう少し自動車の機能を中心に考えると、幾らでも突破口はあります。僕は米国でスバルを乗りまわしていますが、トヨタやダットサンに比べると三割か四割高いけれど、前輪駆動というだけでなく、クラッチレバーの操作で前後輪駆動になって、ジープと同じように四輪でどんな悪路でも大丈夫です。米国では非常に便利でして、どんな田舎道のヌカルミでも、砂漠や山道でも大丈夫です。米国には対抗車が存在しませんから、幾らでもマーケットはあるのです。僕が住んでいるウィチタのディーラーが、スバルの潜在需要は月二〇〇台だが、毎月五〇台しか入荷しないから、売りたくとも売りようがない、とこぼしています。米国のサブコンパクトと競合したり、欧州車とも競争しているトヨタやダットサンは、売れすぎると文句を言われるし、売れなければ敗退ですが、普通の小型車が四輪駆動の機能を備えているというアイディアで、スバルは売り手市場を作りあげています。
 こういったやり方はラジオでもトラックでも皆同じでして、他の同業者のやっていない独創的なものを作って、トップランナーになればいいのです。また、商品だけでなく、サービスを売るビジネスだって同じでして、できるだけ創意工夫を加えることで、幾らでも新しい市場は開拓できます。要するに開拓者魂の有無にかかわっているのかもしれません。
 外国人がどうしてもこれが欲しいというものを作り、しかも、他人がなかなか真似のできないことをやれば、輸入禁止をすることもやれず、かえって関税を廃止するから、もっと供給してもらいたい、ということになるかもしれません。これだけのものは、あそこの会杜でない限り供給してもらえないというものでビジネスをやり、勝負を決めていくことでしょう。


どうスペシャライズするか

 ――そのようなビジネスのやり方を得意にしているという点では、ドイッ人はかなり意識的にそれをやっているのではありませんか。

 ハードウエア全般としては、ドイツ人はそういったやり方を指向しています。しかし、ハードウエアに多少ソフトなものが関係してくると、ドイツ人はイギリス人にはるかに見劣りがします。またイギリス人と肩を並べるか、あるいはその上を行っているのがスイス人とオランダ人でして、スイス人の金融についてのノウハウや、オランダ人の石油取引手腕はさすがでして、石油のスポット価格はロッテルダムが操作の中心地です。
 そういう国は国土は小さいですが、それだけに、集約化と特殊部門への進出が盛んで、よその国ではなかなか真似のできない特技を誇っていて、小さくとも豊かで安定しているのです。ベルギーも同じでして、あそこはダイヤモンドの加工を、アソトワープを中心に一生懸命やっており、ダイヤモンドの研磨ではオランダ人とベルギー人が競い合っています。
 オランダは装飾用を得意にしていますが、ベルギーは特に石油を掘る時に使うダイヤモンド・ピットという掘削工具が世界一で、アメリカ人でもイギリスの会社でも、ベルギー製のものをよく使います。このように特殊技術を指向する場合は、組織を大きくしすぎてはいけないのでして、質のいいエンジニアや職工が、良心的で丹念な仕事をしていくことが、評判を高める決め手です。
 こういったことを見てもわかる通り、個人の次元でも、特技を持たずに他人と同じことをしていたら駄目で、一生懸命修業をして、あの人はひと味違うというものを持つ人間にならなければいけないでしょうね。ビジネスをやる人間にとっても、同じことが言えるのではないでしょうか。これは一見すると至極当たり前で、今更そんなことを指摘する必要もないと思うかもしれませんが、世の中で一番難しいことは、当たり前のことに気がついて、それを確実にやってのけることです。

 ――特殊なものをマスターすることが大事だと言われましたが、エネルギーの分野でのスペシャライズというと、どのようなことになりますか。

 いっぱいあります。ただ、スペシャライズするためには、基礎技術のマスターが必要でして、この点では日本人と日本の産業界は、産業一般については基礎技術をマスターしているといえます。しかし、石油の問題になるといろいろ悩みがありますが、それでも、やり方次第では展望も開けるという気がします。いずれにしても、石油ビジネスの一般的な性格を簡単に述べますと、前にも喋った通り、石油は地上最大のビジネスです。世界のビジネスの三分の一くらいは石油に関係してます。
 たとえば、日本は造船王国でタンカーの進水量を誇っていて、タンカーから眺めた石油観に支配されて、日本は世界一だと自慢しています。ところが石油産業の側から眺めると、輸送部門にはパイプライン、タンカー、鉄道、トラックといったものがあって、タンカーはその一部分にすぎません。また、世界の造船工業はタンカーだけではなく、大陸棚の開発用に使う、プラットフォームなども生産していて、ノルウェーや英国は単価があまり高くないタンカー造りはそうやっていません。
 大体、石油産業は五つの部門からできていて、開発、生産、輸送、精製、販売がその単位で、特に開発部門は非常に知識集約型になっており、ソフトウエアヘの依存度が高いのです。人工地震を使った地震探査や、航空写真や人工衛星写真の解析、あるいは、地下岩相の解析といったことが総合されているのです。また、生産部門は高度な技術と密着していて、ボーリングしたり、パイプをつけて生産管理をしますが、その時も二次回収や三次回収という高度なテクノロジーが関係して、水やガスを注入して、その圧力を使うことで、石油を地上に取り出したりします。こういった部門には、残念ながら日本の企業はあまり強くないのです。それからあとは、技術というよりも設備に関係した部門でして、輸送はタンカーやパイプラインを使って、石油や天然ガスを運ぶだけですし、精製は買ってきた石油をクラッキングという分留をするだけの話です。精油所は灯油、ガソリン、重油といったものに石油を分離する設備で、日本には四日市や川崎を始めとして沢山あります。販売はガソリンスタンドですから、専ら労働力集約型で、あまりソフトウエアは関係しませんで、宣伝によるイメージ作りくらいなものです。
 こういう具合に見ると、日本にはプラントかスタンドマンを中心にした、ハードウエアと労働力を中心にしたものしかなくて、石油開発のようなソフトウエアに関係し、石油ビジネスの中で一番もうかる部分が欠けています。
 日本では石油となると、すぐにメジャーの陰謀といったことを言う人がいますが、僕自身の体験と判断からすると、果たしてメジャーには本当の陰謀と呼ぶに値するようなことを目論めるだけの知謀がいるかどうか疑問です。むしろ陰謀ではなくて、計算ずくめの上での行動が主体で、石油の威力があまりにも大きなために、現在のような、スケールの小さい近視眼的な政治家に率いられた国民国家がふりまわされているにすぎないと、僕は思います。なぜならば、国民国家は地球よりも下の次元に属しますが、多国籍化して、汎地球的なスケールで行動する石油ビジネスは、地球次元のビジネスをやって、国家を超越しているからです。だから、これからは国家自体が国民国家の枠をのりこえて、多国籍化をすることによって、新しい連邦国家とか連合国家になれば、多国籍企業との対立も発展的に解消できるかもしれません。しかし、そこまで言ってしまうと、あの藤原は目茶苦茶を喋りすぎると思われますから、これくらいにしておきましょう。


実力と平等

 ――話をぐっと卑近なところに持って来まして、実力を身につけることと、出世することの関係についてのお考えは、いかがですか。

 これまで喋ったように、僕は実力をつけるために修業をしてきたし、これからも修業を続けていきたいと思っています。でも、出世するとか有名になるといったことには、全く興味がありません。実力を身につければ、本当に自由自在に生きることもできますし、必要に応じて指導性を発揮することも可能です。
 米国は実力主義の杜会と言われていますが、これは本当でして、米国の企業では、自分は帳簿をつけているだけでいいという人間は、何年たっても月給も上がらないし、地位も変わりません。その代わり、あの人間は実力があり有能だとなると、仕事はどんどん増えて、それに従って収入も増えるのは当然だ、と考えられています。同じ年齢で同じ時に会杜へ入ったのだから、同じ条件で働いている以上、すべてが平等でなければいけない、というのは悪平等主義です。前に喋ったように、人間は生物の次元より大きな単位になって平等になるのであり、個人では平等などありえません。なぜならば、役割が違うし、責任が違うだけでなく、能力だって異なっています。生まれた段階では、生物学的には平等に近い状態がありますが、その後において自由競争が始まって、努力の差が能力に反映してくるのではありませんか。ただし、各人によって特性がありますから、自分の好きな方向や、より適した仕事を通じて、それを伸ばしていけばいいのであって、大企業の人間の方が小企業の人間より優れているとか、公務員の方が職人より格が上だということはないのです。各人が分担している仕事の中で、より能力を持つとか働き者だという差があるだけで、それは意欲や能率にかかわるだけだと僕は思っています。
 ただ、本人はやりたい気持を持っているが、病身だとか、家庭内に複雑な事情がある、といった条件の差は、きめの細かいコミュニティの政治の次元で配慮する必要がある、と思うのです。しかし、それは国家の次元の問題ではないにもかかわらず、日本ではそれが国政の問題化するのは、あまりにも中央集権化しすぎているために、個人の問題を国家の次元からとらえて、画一化しすぎているせいではありませんか。前に僕は、共産主義社会は個人としての能率の高さや、意欲の強さを削り取ることによって、万民平等を実現しようとしている、と指摘しました。それを国家のような巨大なものではなくて、コミュニティの単位で実現して、小規模の完全民主平等社会を実現し、それぞれのコミュニティが単位になって、より大きな地域杜会を作るのも、実験としては面白いと思います。カナダや米国には、東欧系のハタライトやメノナイトという共同生活体がありまして、原始共産制とでも呼んでいいやり方をしています。もっともこのやり方は人間の生活が労働力集約型で農業や漁業が中心なら、多少社会と個人の整合性があるでしょう。しかし、社会がより発展した段階になり、外部社会との関係が強まると、それでは滅亡するか鎖国状態を続けるかの二者択一しかないと思います。だから、完全な平等はない代わりに、個人としてではなく、生物体である人間としての平等を三割なり五割認めて、その残りの七割とか五割を能力にもとづいて、どうでも裁量できるように残しておいたらいいのでしょうね。
 それから、こういった能率の問題は、報酬といったもので報いるべきであって、それを役割や立場といったものと結びつけたらいけないと思うのです。日本では係長とか課長の地位がボーナス代わりに与えられていて、管理職にならないと収入も増えないのは、実におかしいことで、管理職というのは指導性や責任の問題であり、それが収入と直結されているために、変な具合での差別が生まれてしまうという気もします。しかし、こういった問題については、僕よりも論じる上での適任者がいるはずですから、そういう人の意見の方がはるかに参考になるはずです。ただ、僕みたいに、出世などよりも自分の実力不足を克服する修業をしたいタイプの人間は、猛烈社員として組織の中に埋没しないで、多少さめた目で会社などを眺めてしまいます。逆に、そういう人間が存在しないと、組織は火の玉のように、目標へ突進して玉砕しかねないので、大きな次元の組織になればなるほど、大きなアクセルに対応できるだけのブレーキをつけておくことが必要で、それが社会の多様性の中に生かされていると、安全装置付きの社会といえるのではないでしょうか。
 日本は和を以って貴しとする国でして、異論や批判を好まない体質を持つ単層国家です。だから、諫め役をする人間は調和を乱す、ということで、毛ぎらいされますが、そこで毛ぎらいしてはいけないので、むしろ自動車の安全性を高める目的でブレーキがついていることを思い出しながら、それを知識人達に担当してもらう空気を生み出さなければいけませんね。日本には「文化人」は沢山いるけれども、本当の意味での知識人が非常に少ないと思います。僕に言わせれば、知識人というのは経倫の術を心得ているというか、ものを知り識別できるという能力を持ち、エコノミーとは違った意味での経国と人倫の規範をわきまえた人材のことであり、最大の特性は批判することができる点です。


ソフトウエアの基本から出直せ

また脱線してしまって知識人についての議論になって恐縮ですが、最初のテーマであるエネルギーの分野でのスペシャライズの問題に戻ると、文明の歴史とエネルギーの関係に注目すれば、そのことは明白になると思います。文明の進歩の中でどのようにエネルギー源が変わってきたかというと、至って簡単なことでして、炭素系のものから水素系にと移行するプロセスがあったという事実に尽きるのです。昔は木や炭という炭素を主体としたエネルギーが文明と結びついていましたが、産業革命とともに石炭が主役を演じ、一九世紀後半から、炭素と水素の化合物である炭化水素の石油が利用されるようになりました。二〇世紀に入ると内燃機関の発達により、石油がエネルギー源の主役を勤め、それとともに、より水素系への傾向の強い天然ガスの活用があって、現在に至っています。これからは水素系のエネルギー源の実用化を目ざして、さまざまな技術が開発され、おそらく二一世紀の初頭には、水素エネルギー時代が訪れるかもしれません。日本にも横浜国立大学の太田時男教授のように、水素エネルギー実用化については、世界のトップレベルの仕事をしている人がいて、いろいろ興味深い研究や、実用的な仕事が進められています。おそらくは、電力会社や政府が巨大な投資をしている、軽水炉型の核エネルギーよりも、水素エネルギーの方が、これからの世界のエネルギー問題に対しての貢献という意味では、重要な役割を果たすと思います。
 太田時男博士のまわりで、水素エネルギー問題に取り組んでいる数十人の日本人の方が、政府、財界、大学、研究所を駆使して、何億倍もの予算を使っている何千人かの人間集団による核分裂型エネルギーよりも、おそらく価値ある仕事をやっているというのは、実に痛烈な現代の皮肉だと思うのです。巨額な金を使って強引に国策事業としてやっていることや、中央集権的な政治のメカニズムが、いかに無効果なことに熱をあげているかのいい見本だといっていいでしょう。しかも、核分裂型よりはるかに進んだ、高速増殖炉や核融合については、不思議なことに、日本のエスタブリッシュメントは、意外なほど冷淡なのです。おそらくは目先のことしか興味がないせいでしょう。
 それにしても、水素エネルギーが実用化するまでの今後数十年間は、石油や天然ガスの補助的な役割を演ずる、代替エネルギーの開発が重要であることは当然です。タールサンドやオイルシェールから作る人造石油や、石炭の液化やガス化による人工の炭化水素、それに、地熱や潮力を使った発電などが実用化するでしょうし、人工衛星を使った太陽熱の利用なども重要です。こういったもののうちで、人造石油や人工炭化水素の生産というのは、実は、現在の石油産業が石油の開発や生産に利用しているソフトウエアの応用技術です。だから、日本人は石油産業の持っているソフトウエアを、基本からマスターするところから出直して、更に、現在の水準をのりこえなければならないのです。それを実現したなら、ものすごいポテンシアルを持った、ソフトウエア指向の産業杜会を、日本人の手の中に確保することになるのではありませんか。また、その応用技術が太田先生達のグループの、水素燃料の実用化を側面から援助することになるのではありませんか。


石油開発の技術水準

 ――それで、現在の日本の石油開発に関係した技術力というのは、客観的に判断した場合には、一体どれくらいのところにあると言えるのですか。

 僕の専門であり、石油ビジネスで一番重要な開発能力という面から見ると、日本はアメリカに大体三〇年遅れています。カナダとかヨーロッパの英国やオランダは、肩を並べている分野もありますが、大体平均すると米国に三年くらい遅れており、フランスが五年遅れくらいでしょう。アングロサクソンというのは、ソフトウエア指向のものに強いですから、いいところをいっています。ソ連は米国に比べて、平均すると八年から一〇年くらいの遅れで、中にはいい技術もあるのですが、バラつきが多いのと、官僚主義のために、せっかく大きなポテンシアルを持ちながら、それを生産と直結できないのです。だから、アフガニスタンに侵入したことから、米国は石油開発技術をソ連に与えることを禁じたので、これは大きな効果を生んでいるはずです。それから、ドイツは大体米国に二〇年遅れ、日本は三〇年遅れということで、この二つの国は、ソフトウエアよりもハードウエア指向の体質を持っているのです。日本が米国に三〇年遅れているという意味は、米国が三〇年前にやっていた技術水準に現在の日本があるということでして、一九五〇年代にアメリカ人が盛んにやっていたやり方を、日本人が今マスターしていると理解したらいいです。
 中国が米国に比べて六〇年遅れているというのは、六〇年遅れっぱなしということではなく、米国で一九二〇年代にやっていたやり方を、現在の中国が人海戦術で行っているという意味です。最近中国は一億ドル分以上の新鋭機械を買って使用し始めていますから、部分的には三年遅れにすぎない分野もあります。しかし、最新の機械を買って来て利用することと、改良しながら最新機械を作る能力には、次元の上で差があります。それに、六〇年分の遅れも、努力次第で一〇年か五年で取り戻せるかもしれないし、日本だって今後の五年間で、米国に五年遅れのフランスに肩を並べることだってできるかもしれません。しかし、努力をおこたれば差は開くばかりですね。


マネビ取ること、創リ出すこと

 ――石油開発のハードウエアでも大いに遅れているとしたら、ソフトウエアの部分での遅れを取りもどすのは、大変なことではありませんか。どういう具合にやったらいいのでしようか。

 これは石油開発に限ったことではありませんから、もう少し一般的な例で話を進めてみましょう。そうですね、わかりやすいものとして、特許のことで考えてみます。
 よく商品に特許番号や特許申請中と書いてありますね。あれは中程度から上級のアイディアを使って商品化したものでして、本当にいいアイディアは特許も申請しないのです。
 大体、特許を取るためには文章化しなければならず、文章化したアイディアは、基本的なものに工夫を加えてちょっと変え、特許部分に抵触しないやり方で、他人に真似される可能性があります。だから、特許に申請したら、他人に内容を公開したことになります。そこでアイディアを頭の中に入れておいて、それを生かして商品化したりビジネスを行い、他人が真似した時には、より以上の改良型で勝負すればいいので、一番いいアイディアは特許など申請しないものです。
 特許にするノウハウというのは、ナンバー3や4でして、ナンバー5や6のものは、特許を他人に売ってもいいという程度のものです。ナンバー2になると、ちょっとこれは公開できません、ということでして、僕だって一番いいアイディアは本に書いたり講演に使ったりはしません。というのは、そのアイディアを考えついた人は、その弱みや強みを検討して対案まで持っていますが、他人のアイディアを借用する人は、それまで考えていませんから、大抵失敗するわけです。ナンバー3くらいのもので失敗した場合は、それよりもいいものが残っているから、救援策も出せますが、一番いいアィディアで失敗したら、それで終わりです。だから、特定の対象に狙いを定めて全力をあげる場合以外は、切り札に相当するものは温存しておかなければいけないのですね。
 だから、特許になっていないパテントの重要性に気がつく人は、政治やビジネスにそういったノウハウがあることを心得ているはずです。僕がやっているコンサルタント業などは、幾ら大学で勉強しても、教科書を読んでも、その秘訣というのは書いてないのです。
 そういった特許以上のノウハウは、ハードウエアの中にも沢山ありまして、石油開発についていえば、アメリカ人がほとんど独占しているのです。見本を買って来て、分解して真似しようとしても、どうしてこの角度が七八度であって八○度ではないのか、がわからないのです。これは経験によって改良が改良を生み出したノウハウでして、これまで何十万と作って使ったあげく、最終的に七八度の角度が決まり、しかも、円筒ベアリングであってボールベアリングを使わない理由は、懸命に追いつこうとしている側の者には、なかなかわからないのです。
 同じように作って形はそっくりのものが出来ても、どこかで違うのですが、これは名人芸に共通する性質です。たとえば、同じ材料を使っても、料理の名人が作ったものと、その人の書いた料理の本をマスターしたと思う人が作る料理とは、どこかひと味違うのです。かくし味の秘密というのは、本人だけしか知りませんし、特に、四次元の主人公である時間が関係するタイミングの問題もあります。二〇年、三〇年という年季がこれを統括していて、インスタントに全部がわかってしまうというわけにはいかないのです。
 それを手に入れる秘訣というのは、弟子として共通の時間を過ごすことによって、少しずつ身につけるより仕方がないのであり、俗な言い方をすれば、師から盗みとるということなのでしょう。
 そういうこともあって、実は、僕は知恵のある老人のところへ足繁く出入りすることによって、その人の持っているいいものを、移り香でも気迫でもいいから吸い取ろう、という生き方をしてきたわけです。学びとるということはマネビ取るであり、物真似から始まって真似た人をのりこえるのが、人生を楽しくするこれまたノウハウではないでしょうか。八〇年代の日本人が、特許にも書いてないノウハウを世界中からマネビ取って、日本中にそういった何かを持った人間の数が増えると、日本はとても素晴らしい国になると思います。その第一が政治の分野でしょうが、国際次元で活躍するビジネスの世界だって同じで、そういった分野で日本人がどんどん成果をあげて欲しいですね。

 ――手本があるのを真似することは、日本人が得意中の得意にしている分野ですから、マネビであろうと盗みとりであろうと、大いに手腕を発揮するのではありませんか。

 手本を見たからそれを真似して、そこに安住してしまったら駄目なので、手本をのりこえることが大切だということは、昔からよく言われています。中国人はそれを出藍の誉と形容したわけですが、弟子としていつまでも先生を慕い続けるのは、自分の恩師に報いる道ではない、ということです。それから、ハードウエアのノウハウに関しては、出来上がったものを真似るのではなくて、それを創り出した考え方を真似するのが、本当の真似のやり方ではないでしょうか。
 実はフランスで体験したことですが、石油に関係したプラント作りで、デカンターと言いまして沈澱槽が関係していました。ノウハウとして提供された図面には、この部分にこれだけの大きさの沈澱槽を取りつける、と書いてあるだけです。ところが現場に行ってみると、いろいろと工夫したとみえて、僅かな角度をつけて取りつけてあるのです。それも五度か八度くらいの角度で、現場で働いている人の経験がそこに生かされているらしいのです。
 ノウハウを買った日本の会社は図面通りのプラントを作り、沈澱槽も取りつけたのですが、そのうち、こんなものは大して役に立っていないだけでなく、能率をあげる上で邪魔だという判断を下しました。そこで沈澱槽を取り除いて、そこのパイプを直結したら、一年後にプラントの一部に予想外の腐蝕化が進み、それが公害を生む原因になったわけです。それはハードウエアを真似して、その装置を作る考え方自体をマスターするまで真似し切っていなかったせいです。
 自動車はひとつの装置ですから、どこの会杜のものでも車輪が四つハンドルがひとつ、それに、アクセルとブレーキが推進装置と直結しているというシステムです。だから、ハードウエアとしての自動車作りは大して難しい技術ではなくて、韓国、スペイン、トルコでもやっていて、中にはスイスのように作る技術はあっても、あんな程度の付加価値の少ないものは輸入でまかなった方がいい、と考える国もあります。そのうち中国でも安い車を作り出すようになったら、世界市場を席捲するかもしれません。
 その時に、オプションの豊かさや、デザインの良さといったやり方だけでは駄目で、前に喋ったように、簡単に四輪駆動になるものをスタンダードにするとか、ボタンを押せばドアの外枠が羽根になって飛行機のように飛べる、とかいった方向で、新しい発想に根ざした自動車作りをやれば、日本の自動車産業にも、まだ明るい未来があるでしょうね。あるいは、これからエネルギー・コストが高くなりますから、五〇%の水割りガソリンでも走れるエンジンを開発するといった方向もあるでしょう。


文明の雷鳴と自己変革

 ――自動車の燃料が水割りだったり、オンザロックというのは面白いですね。ところで、そのエネルギー・コストに関連して、石油価格のメカニズムについても、最も重要なところを説明してもらえませんか。

 一九七〇年代前半までは、石油の値段は市場における需給関係で決まってきました。しかし、最近になればなるほど需給関係がタイトになってきたために、売り手市場として、コストに関係のない一方的な政治的値段が支配的になっています。それにしても、僕に言わせれば、石油の値段は石油が持つ価値に比べると安すぎます。一リットルのガソリンが仮に二〇〇円としても、それだけあれば、一トン近い重量の車を一〇キロも移動できます。ところが、仮にコーラを買うとすると、日本の水準からすると、一リットルで五〇〇円か一〇〇〇円近くもして、あの液体は一トンの重さのものを一〇キロも移動するエネルギー量を持っていないし、絶対価値としても、ガソリンよりはるかに劣っているにもかかわらず、人々は高いカネを払うわけです。石油が水と違って再生不能の資源として有限であるなら、水よりも高い値段がついても当然だと僕は考えます。だから、僕はコンサルタントとしてアドバイスする場合でも、講演する時でも、アラブ人やアメリカ人に対して、石油がコーラやウイスキーよりも安い評価をされている間は、値上げを要求する動きを世界的な規模で推進すべきである、という意見を披露するわけです。
 石油があまりにも安すぎるために、石油という貴重な資源を浪費する文明がわが者顔に君臨するのであって、石油の値段を高くすることによって、文明の体質改善を促進し、省エネルギー形のテクノロジーを開発したり、トータルとして自己完結的な水素エネルギーや、太陽や潮力の持つエネルギーを、人間が活用する時代をたぐりよせる機会にしなければいけないという気がします。文明の次元での時代の要請がそういった方向性を持っているとしたら、国家や企業という次元で、それに適応できないものは、みじめな安逸によって緩慢な絶滅の道をたどらなければならない点に関しては、人類の歴史が教えているところです。だらけきって自己変革への意志を喪失してしまっている社会に対して、文明は時々雷鳴を伴ったショック療法を試みるものですが、現在われわれが遭遇しようとしている石油危機は、文明が人類に与えているひとつの試練に他なりません。一番駄目な社会がパニック状態を起こしてうろたえるわけですし、賢明な指導者に率いられた社会は、試練をひとつの機会に転化して、新しい時代に整合的な組織にと、自らの社会を変革するのじゃないですか。
 僕はこのように八○年代の時代性を考えていますから、アラブの産油諸国が石油の値段を上げようとしている動きや、アメリカ国内の石油の生産価格が高騰しても、これは当然であるし、自分の産業社会が正しくない巨大化の定向進化を改めようとせず、自己変革の代わりに被害妄想の立場で、責任を他人に転嫁する方がおかしい、と思うわけです。これは自分が石油ビジネスをやっているという、個人の利害にかかわる立場からではなく、次の世代を含めて、自分の子孫達のために、現在どのような変革の準備をしなければならないかを真面目に考えた時の、ひとつの結論に他なりません。
 現在自分達が安住している、この重工業指向型の産業社会をのりこえるためにも、石油の値段が高くなるのは、文明社会の健康な進化のための、天の配剤ではないかという気もします。すこし観念的な議論になったので、もっと俗っぽい話に戻しますと、米国は世界一のエネルギー浪費社会ですから、石油は幾らでも欲しくて仕方がありません。そこで、不足すればする程高くても買いますから、米国内の石油価格は新発見のものに関しては世界一高く、実は、僕がビジネスをやっているカンサスやオクラホマの石油価格に、ロッテルダムのスポット価格が一生懸命接近しようとしているわけです。エコノミストはビジネスマンと違って、重要な一次情報を持ち合わせていません。だから、誰一人としてカンサスやオクラホマの石油価格に注目せず、専らロッテルダムあたりの短期相場を見て一喜一憂しており、そういった人々の書く流行記事を読んで政治家や財界人がジタバタします。しかし、どこに不易の部分があるかに気づき、そのツボを抑える術を心得ていれば、石油が一バーレル当たり一〇〇ドルになろうと二〇〇ドルしようと驚くことはなく、それに見合ったように社会の体質を独り静かに作り変えたところが生き残るということにすぎません。それをビジネスの次元で実践するのがビジネスマンの任務であり、国家の次元で遂行するのが政治家の役割に他ならないと僕は思っています。


生き残るためのノウハウ

 ――そういった政治の次元での先見性が、現在の日本には非常に欠けているのではないかと思うのですが、とりあえずどのようなことから取りかかるべきでしょうか。

 まず日本の重工業指向型の産業社会を、高エネルギー価格時代に適合できるように作り直すことでしょうね。そういった問題については、僕はすでに論じていまして『日本不沈の条件』という本で具体的な問題については読んでもらったらと思うので、ここではそれ以外のことについて喋ることにします。
 とりあえずは、省エネルギー技術を開発して、現在の日本のエネルギー使用量の絶対量を減少させる努力をしながら、その一方ではエネルギー源としての石油をガブ飲みする産業や、社会生活のパターンを作り変えることでしょう。口で言うのは簡単ですが、実行するのはなかなか大変であるのはわかり切っていますから、とりあえずは石油によって生み出した財源を使って道路作りをしている政策などの再検討をして、もっと広い意味での国土改造計画の枠組から見た道路政策や、発電計画などの見直しが必要ではないでしょうか。通産省や建設省といった官庁主導型ではなくて、コミュニティ、官庁、アカデミー、経済界、といったものの希望と創意を生かしながら、全体の秩序と部分の主導権を調和させて、政府がそれをコオルディネーションする形で、これからの日本をどう変えていくかを真剣に考えるようにしたいですね。首相になる人が越山会とか上州連合ということを言って、特殊な利害を代表して、日本全体を食いものにするやり方をしている限り、日本は没落するばかりでしょうね。
 それから、これからの二〇年間のうち前半に相当する八○年代は、どうしても、石油資源の確保は日本にとっての第一課題になるでしょう。全体量の削減は新しい技術開発への努力とともに至上命令ですが、突然現状を大改革するのは不可能です。だから、中東や中国を始めとした産油国から石油は買ってこなければいけません。現在の世界情勢を眺めると、一番不安定な国はイランでして、これは事態が更に悪化しないと考えること自体がまともでないと言えるでしょう。カントリー・リスクということばをビジネスの世界でよく使いますが、現在危険度が少ないと思われている国で、条件が変化することによって非常に危くなる国を二つあげろと言われたら、僕はためらわずにサウジアラビアと日本をあげます。
 日本がなぜ危険かと言うと、前に説明した、社会の活力源に相当する食料、エネルギーは言うにおよばず、情報までも海外からの供給にあおがねばやっていけないせいです。もしそういったものが入って来ないと、つかの間の饗宴を楽しんでいる日本の経済的繁栄など、たちまちのうちに雲散霧消してしまい、ドミノ現象が起こって、国民の半分以上が餓死しかねない状況が始まります。それは、日本があまりに中央集権的な政治機構を作り上げてしまい、しかも、政治が機能的に動かないことと、目先のことにとらわれすぎて先見性を喪失していることから来ているのです。
 もう一方のサウジアラビアの方は、この間のメッカの寺院での反乱のように、封建的な絶対専制への反抗気運も盛り上がっていますし、六〇人以上もの反抗グループを公開で打ち首にするような、鉄の支配で辛うじて体制を維持しています。ちょうど最近の日本が至るところに機動隊を配し、公安関係による監視体制を強化して、辛うじて政治的安定を保っているのとよく似てると思うんですね。しかも、サウジアラビアのテクノクラートとしては、パレスチナ人が沢山存在していますし、その他に、イエメン人、イラン人、パキスタン人などが差別された状態で大量に生活しているから、状況次第では今後どうなるかわからないという感じです。


二一世紀型の連邦構想

 とりあえず日本にできることは、三菱グループや第一勧銀グループの一定部分を、サウジアラビアに支配させて、代わりに砂漠地帯の石油開発権を手に入れたり、砂漠の緑化のために日本が全力をあげて取り組むといったことも可能でしょう。手始めとしては、リヤドと名古屋市が姉妹都市になってもいいし、ヤンブ市と小野田市がセメントの町として姉妹関係を作ってもいいです。あるいは、巨大化しすぎて、日本のババみたいな存在ですが、外見上の華やかさがメリットに見えるかもしれないから、日本航空、国鉄、NHKの三大準国営事業の支配権の半分をサウジ政府に渡す代わりに、油田の権利を交換にもらうというやり方だって可能です。
 しばらく共同事業をやりながら様子を見て、そのうち、日本とサウジアラビアで連邦王国を作る方向で話をまとめて、世界一のガワール油田の一角を緑地化して森林を作り、そこに皇居の出張所を置いてガワール御用邸にするとか、神宮内苑にサウジ王室の離宮を作るといった具合にしてもいいでしょう。日本とサウジアラビアだけでは、人口や国土の広さからバランスが取れないというなら、タンザニアかモザンビークを仲間に入れてもいいでしょうし、インドネシアも参加したいと言うなら、連邦王国ではなくて連邦国にして、スラバヤかバンドンあたりを共通の首都にしてもいいでしょう。そうやって日本が新しい形の国際化を二一世紀までに実現するために努力すれば、それこそ、八○年代は面白い時代になるのではありませんか。
 また、日本という単位でサウジアラビアと連邦を作るのではなく、まず、日本を道州制で五つか四つの単位にすることも大切でしょう。北海道と東北、関東は中部と甲信越でひとつのユニットにし、近畿は四国と一体化し、九州と中国が結合するといった具合です。サウジアラビアも二つくらいのユニットで、日本とバランスをとってもいいです。インドネシアだって五つくらいのユニットになってもいいわけです。こうして、利益共同体として小さな国連みたいなまとまりを作れば、排他的なブロック化とは異なった結合体が出来、ソ連や米国に匹敵するものが誕生して、おそらく、二一世紀型の多国籍連合体になり得るのではありませんか。ヨーロッパに誕生しているECなどは、地域性を土台にしたものですが、われわれはそういった地理学的な共通性を離れて、もっと地球的な広がりの中で、お互いに補い合いながら、共生関係を築きあげたらいいわけです。場合によっては、ルーマニアを仲間に加えてもいいし、状況次第ではカリフォルニア州やウクライナを参加させることも可能になるのじゃありませんか。
 たとえば、韓国が参加したいと申し入れたら一ユニットにするか、それとも、あなた達はブラジルやケニアあたりともうひとつの連邦国家を組織して、われわれと友好関係を維持して競争で国づくりをやりませんか、ということも可能です。そして、二一世紀のいつかの時期に連邦国家群を発展的に解消して、世界連邦への第一歩を踏み出してもいいのではありませんか。その頃は、おそらく地球内での多国籍関係に代わって、人間は惑星間関係の中で宇宙や海洋に向かって発展する段階を迎えることになるのではないかという気がします。

 ――また話が二一世紀にとびまして、非常に夢みたいというか、雲をつかむような感じになってきました。とりあえず八〇年代に実現しそうな感じのものに対しては、具体的にはどういう具合にとりかかったらいいと思いますか。

 まず人間同士の交流が一番大切です。相手の文化を十分に理解し合い、それをお互いに統合する努力をすることから始めたらいいでしょうね。とりあえずは、国鉄などの日本の資産で、日本政府が持っている分を手放すわけでして、おそらく国鉄などは一〇〇%ということではありませんか。NHKなどは公共事業体ですから、それを足場にして、次の段階では関西電力とか東京ガスも、その仲間に加えていったっていいですね。こうやって仲良くやっていけば、単独でいては潰れるのが時間の問題にすぎない日本とサウジアラビア両国が、崩壊するまでの時間を遅らせることができるし、ことによると、潰れるどころか力強い存在として復活するかもしれません。
 たとえば、日本人はサウジアラビアの砂漠の地下に新しい技術を投入して、地下街を作って、地上は太陽エネルギーを活用した新しい工業や農業を発展させることも可能かもしれませんよ。なにしろ、日本人は地下街作りが上手ですから、モグラ王国を築き上げるかもしれないし、アラブ人が森林の豊かな日本に大量進出する代わりに、日本人がアラビア半島のモグラ王国で大いに活躍することになるかもしれません。八〇年代の日本のビジネスマンというのは、そういった夢を一歩一歩実現するのだという気概を持って、世界で活躍して欲しいです。


閉じこもれば自滅する

 ――そういったものの前提になるものとして、どのように自分達の未来を選択するかという、国民の政治的な合意が必要でしょうし、それを政治の上に反映する指導性も関係するのではないでしょうか。

 その通りでしょうが、これからの国際情勢を考えますと、この日本列島の中に一億の人間がとどまって生きていくのは大変なことだと思うのです。人間が多いことは昔から政治における最大の問題点でして、民族移動と周辺地域や荒れ地の開拓などの形で、歴史の中に幾らでも観察できる社会現象をひき起こしています。それが攻撃性を伴うと侵略になりますし、飢餓からの脱出という形態をとると、一九世紀的な移民のパターンになります。それでも現在のわれわれは多少の資金と技術力を持っていますから、それを効果的に役立たせながら、このままでは潰れてしまう者同士が助け合って、お互いが持っているポテンシアルで、相手を補完する形で協力することを考えなくてはいけないのではないですか。そういう点では、個人の好ききらい、あるいは、民族としての希望といった次元の問題ではなくて、人類がどのように生きのびるためには、何を今から準備しなければならないか、といった事柄にかかわっており、われわれには生物学的な選択としては、あまり大きな自由は残されていないという感じがします。
 小松左京流の日本国解散論を果たしてやらなければならないかどうかはともかくとして、日本人は内にこもるのではなくて、世界に向けて自らの足で歩み出す支度をしないと、食料かエネルギーの問題で破綻が起こった時には、日本丸の運命はジュリコーの描くところのルーブル美術館の「メデュース号のいかだ」と同じ悲惨さに包まれてしまうかもしれません。今ならばまだ幾らでも余裕を持って準備にとりかかれるわけですから、やれる間に第一歩を踏み出して、たとえば、スーダンの灌漑事業あたりから協力をやり始めたらどうでしょう。あそこは現在は半分砂漠ですが、スーダンからチャドにかけての地域は、灌漑さえやれば、農業生産力からすると、ブラジルより大きなポテンシアルを持っています。農民で本当に大地に挑戦したい人はスーダン人になり、スーダン人で漁業をやりたい人は北海道人になったりして、お互いに交換してやれば活路は開けるでしょうし、果たして奥の手になるかどうかはわからないけど、ひとつの活路にはなりそうだと思うのです。

 ――そういう発想法は大平首相の環太平洋構想を更に大きくしたものだという感じがしますね。藤原さんの視点から見た太平洋圏構想というのはどんな感じですか。

 現在の国民国家の枠組にはいっさいふれないで、経済的利益を中心に結集しようということですから、どこまで各国の利害を調整できるかは大いに疑問です。でも本気になって取り組もうというのでしたら、大いに結構だと思います。ただ、各国が主役の座に座りたがるでしょうし、ソ連は太平洋圏国家とは呼べないといった問題が出てきたり、米国にとっては、太平洋よりも大西洋側の方が重要だといった問題も生まれて、コミットメントや熱意の点でなかなかまとまりにくいでしょうね。それに、太平洋圏の問題も、平和の状態が維持できない限り成立は難しくなりますから、日本もあまり軍事的な神経症に陥ってしまい、自衛隊増強とか、軍事費の増加といった方向で政治が硬直しないようにと期待したいですね。日本はどこの国とも仲良くやっていかなければいけないのでして、それを遂行しないと、森詠の小説の『日本封鎖』のような具合になって、外から入って来るものがすべてストップするし、日本の輸出も止まって、わが国の経済は完全に麻痺してしまいます。そうなれば、内乱から内戦に発展して日本は自滅です。
 現在の日本でもてはやされている防衛論争は、ソ連が北海道を侵略したり、日本を軍事制圧するといった議論ばかりですね。ところが、戦争というのは両方の陣営がその気にならなければ起こらないものでして、優れた政治能力に恵まれた国というのは、外交の次元で、戦争をやって手に入れる以上のものを獲得できるのです。しかも、戦争をして、ある成果を手に入れるためには大分犠牲を払わなければならないという計算が働きまして、昔のように単なる面子や衝動だけで行動を起こすと、その跡始末のために莫大な出費をしなければならない時代になってきました。その点では政治が国家次元の組織経営であるのと同じで、戦争も損益収支を十分見きわめなければならない、ひとつのスケールの異なった経営に他なりません。しかも、そこには計算された経済合理主義が作用する以上、高い費用を払った平和の方が安い戦争よりも、はるかに経済効率がいいということも、まともな政治家なら承知しているはずだと思います。
 たとえば、僕がブレジーネフだったとしたら、日本を占領するなどという馬鹿げた考えをするわけがありません。第一、もし日本を支配下におさめたら、一億人が暴動を起こしたりしないように、食料を米国やカナダから円滑に供給するために奔走しなければならないし、工場設備が生産機能を損わないように、サウジアラビアやメキシコと厄介な交渉をして、石油を日本に供給しなければなりません。しかも、シベリア鉄道と日本に存在する数少ない空港を利用して、占領政策に必要なものをすべて補給しなければならないとしたら、大変面倒くさいババを手に入れたことになります。だから、そんな苦労なことをわざわざソ連が買って出るはずはないし、現在の硬直化した官僚主義に災いされているソ連が、そんなことを真面目に遂行しようと隙をうかがっている、と思いこむこと自体がマゾヒズムであり、逆立ちした劣等感に他ならないと思います。ロシア人自身が外部勢力に侵略されるのではないかという脅迫観念にさいなまれていて、精神的にはパラノイアといえる状況にあるので、変な刺激をしないに越したことはないのです。お互いに相手に対して不信感を持ち、おびえ合っている隣人同士という感じがしますが、両国関係を眺めると、日本の側に切り札に使えるものがほとんどないという点で、政治における無能さに対しての非力感を強く意識せざるを得ませんね。
 いずれにしても、現在の日本にとって一番重要なことは、一億人の国民の何割かが餓死したり、停電が日常茶飯事になったり、国内の一部が戦場になったりしないということで、それが日本の安全保障を考える上での眼目ではないですか。幾ら日本列島を要塞化しても、そこに閉じこめられた国民が同胞あい食むをやるようになったら、要塞は難攻不落でも、全く無意味です。閉じこもるのではなくて、外に出て行くのが日本のこれからの生き方にならなくてはいけないし、そこに国際化の意義もあるはずです。そして、現在ほど浮かれた状態でなくてもいいから、少なくとも、国民が何とか安定した生活を維持できるような、つつましくとも豊かな生き方のできる社会を作り出していくことです。そこに物事にけじめを持った八○年代のビジネスマンの倫理的な足場も見いだせるのではないでしょうか。


日本人であることを乗リ越える

 ――いよいよお話も段々と煮つまってきた感じですので、国際ビジネスマンとしての人間関係一般について、いままでふれていないことや補足的な事柄をつけ加えて下さい。

 国際ビジネスマンは世界を舞台にして活躍している人たちで、広い意味で考えると政治家や外交官も含まれると思います。そして、情報を移動することによって、異文化圏に属する人々の間に、よりよいコミュニケーションをもたらせるという意味で、ジャーナリスト、学者、芸術家も僕はビジネスマンの仲間に加え、敬意の気持をこめて国際ビジネスマンと呼びたいと思います。
 ところが日本の新聞あたりに国際ビジネスマンとして登場している人のほとんどは、大企業のトップでして、これは実におかしいという気がします。組織の大きさや地位の高さ低さは、この際無関係なことでして、また、世界中をとびまわっていたり、支店網があることが、そのまま国際という形容詞に結びつくともいえません。国際感覚というのが、主観にもとづいた価値判断を他人に押しつけたり、独りよがりの自国の論理にしがみつくことでないとすれば、ナショナルを乗り越えてインターナショナルなものになった時、初めて国際という形容詞を頭につけ得るのではないでしょうか。そういう点では、僕自身もよりインターナショナルなものになりたいと思って修業中の身の上ですが、日本人として生まれた人間のほとんどは、一種の極限状態までつき進んだ文化主義的環境のために、日本人としてのアイデンティティというか、民族感情はありすぎると形容できるだけ持っています。そこで、この日本人であることを乗り越えるための努力で悪戦苦闘をしてきたのが、過去十数年間の僕の軌跡でした。何といってもこれが一番大変なことで、この苦労に比べれば、外国語でコミュニケーションすることや、専門分野で実力をつけることなど、訓練の密度と時間の函数であって、誰でもが到達できる課題にすぎません。


品性と見識

 自分のビジネスの分野で実力をつける過程で忘れていけないことは、人間として魅力のある存在になることでしょう。別に人格者になる必要はないでしょうが、少なくとも一流のビジネスマンとしての品性を持つことで、これは重要ですね。僕は修業中の人間だから、とても品性などについて論じる資格はないですが、感じとしては、実力がつき出して自信が湧いてくるようになるに従って、品性は自ずと備わってくるものだと思います。それは一種の帝王学と共通するのでしょうが、やってはいけないこと、見てはいけないもの、関心を抱いてはいけないこと、といった品のない物事と断絶することによって、品性は混り気を少なくして純粋な輝きを増すようになる、とでもいったらいいでしょうか。
 屋台の焼き鳥屋や赤提灯にしけこんで、上役の悪口を言うのも一種のウサ晴らしとして、精神におけるカタルシスである以上、時たま必要かもしれません。しかし、そういう友達としかつきあわないと、人間のスケールも小さく固まってしまうし、肩で息をするような人生しか過ごせなくなってしまいます。人間同士の出会いに感銘したり、人生意気に感じるような人とたまに逢ったり、信頼感を確認しあえる旧友との再会を持ち、しかも、大いに清談がやれる友人達とつきあっていれば、何となく人柄もよくなるし、顔付きも穏やかさと張りのあるものになります。確かに四〇を過ぎてからの自分の顔付きは親からのもらいものではなくて、自分が内面のポテンシアルを高めることによって気品を出すものらしいですね。人は見かけによらないとも言いますが、オスカー・ワイルドが言った、「外見で人を判断しないことほど浅薄なことはない」ということばを否定できないところに、人生のニュアンスもあり、実力を磨き合った人間同士なら、座って一分間も喋れば、それだけでこの人はできると見ぬけると思うんです。自分の責任で修業することで、顔立ちもよくなるものでしょうし、皺がよったのは知恵がついてきたしるしだ、と思えるだけの心の余裕のある人は、人柄がよくなるにつれて、顔も次第にホトケ様みたいになるのではありませんか。だから、僕は知恵のある老人と親しくするのが好きなんです。
 大体、ギスギスした人間関係の中で神経をピリピリさせていると、目付きだけでなくて、顔付き全体が険悪になりまして、悪あがきしていた時の福田さんの表情なんて、とても宰相向きとは見えなかったでしょう。だから、あの頃の僕は、日本の新聞を見るのが苦痛でしたし、一面を見たあとは、眼を消毒する意味で、ルノワールが描く可憐な少女の絵を見たり、お釈迦様の写真を眺めて厄払いをしたものです。
 結局、眼は心の窓といいますから、心を清純にするためには、テレビなどはあまり見ないことでして、時には二日間くらい山の中を歩いて眼の保養をしたり、詩集や古典を読んで心の掃除をしたりするのです。
 知識以上に大切な見識を身につけると、判断力も自ずとついてきますし、見識が生き方の中にいろんな形でにじみ出すようになると、肚が座るというか肝っ玉がある、と昔から言われている境地にたどりつくのでしょうが、僕も早くそういったところに落ちつきたいですね。


ブリリアントな著述

 ――真剣勝負のようなビジネスを通じて、品性を持ったおおらかな生き方をしていくというのは、素晴らしいことだと思います。それで藤原さんの好きな本とか最近読んで印象が深かった著者で思い出せる人としてはどんな人がいますか。

 僕の最良の友は、何といっても古典でして、どんなに遅くなっても寝る前の三〇分間は、座右の書に近いものを読みます。なにしろ、昼間はビジネスで忙しいし、土曜も日曜もほとんどなしで仕事をするし、結構旅行する割合も多いのです。前に喋ったA・J・P・テーラーの本は、毎日よくもあきずに繰り返して読む、と自分であきれるほどですが、深みのある本というのは、何遍読もうと何十遍読もうと、常に新鮮で素晴らしいです。それから、僕はゲーテ、ハイネ、バイロンといった人の詩が好きですが、毎日一回は手にするのは唐詩選です。杜甫や李白も好きですが、韓愈が綴ったたった七文字の「山紅 澗碧 紛として爛漫」という理屈を超越した美の極地は、ノーベル文学賞作家も、西洋の天才詩人も誰一人として到達していないし、僕が昔好きだった新古今の歌人も、これだけ簡潔に表現し得なかったという点で、実に大したものだと思っています。三国志や十八史略もよく読みますが、僕は中国の古典に関しては勉強不足ですから、早く引退して読書三昧の生活に入りたいです。
 最近読んだ本で特に読みごたえがあったのは、森詠という若いジャーナリストが書いた『資源戦略』(時事通信社)で、これは本物だと思いました。おそらくは、自分の足で情報を集め、自分の頭でまとめたことと、フリーのジャーナリストとして自立して生きていく、という気迫が充満していたせいかもしれません。このようなタイプのジャーナリストを、僕はヨーロッパやカナダに友人として持っていますが、日本にもこういう若手が出て来たというのは実に頼もしい限りです。それから、歴史学者としては、色川大吉という先生の日本の近代に対しての視角に魅力を感じています。この人に、幕末から明治維新を経て、日本が近代化していく時期の歴史を書き直す仕事をしてもらいたいと期待しています。こういう本物の史眼を持った人人が、われわれの祖父達が生きた時代を再現してくれることによって、俗流御用学者の立川文庫ふうの歴史を、本物の歴史とはっきりと区分けることになるかとも思います。
 また、評論活動をやっている人の中できわ立っているのは、西尾幹二というドイツ文学を専門にしている先生の思想だと思います。日本人でドイツ文化に関係する人の多くは、ドイツの森林の中に迷いこんでドイツかぶれに陥る傾向がありますが、この人はドイツ文学者であるばかりでなく、ヨーロッパ文明を体現する立場でものを考えることのできる人で、ゲーテ、ハイネ、ベートーベン、マルクスといった、ドイツが生んだヨーロッパ人の系列に属す珍しい日本人だと思います。この人の存在によって、プロシアかぶれの痴性教の語学屋先生がいかに卑俗に見えるかという点で、西尾さんの価値は黄金以上のものだと言えます。日本のマスコミ界の中で消耗しないで、ことばを温め思想を醗酵させて大成してもらいたい逸材だと、活躍を期待しています。
 僕は最近の日本の本を読む機会が少なくなっていますから、あまりこういったことを論じる立場にありませんが、おそらく僕の知らない新進気鋭の人々が登場しているかもしれません。いずれにしても、自分が繰り返して読み、心を澄み渡らせるための座右の書を持つことは、人生にとって重要です。それから、本当に頼りになり相談ができる友人を持ち、しかも、忠告や諫言をしてもらえることの意義は、これまた貴重です。最善の敵になりうるような友入を持ち、その友人を誇れる時に、おそらくわれわれは実力を競い合って、自分を絶頂の山の高みへ導くような人生を体験することにするのじゃありませんかね。
 これは何度も繰り返して喋ったことですが、人生にとって恩師というか、知恵のある老人と親しくして、その人が一生かかって身につけた知恵の一部を、薫陶によって身につけることは何にもまして大切です。修業が足りないとか生意気だと言われることもあるし、たしなめられたりつき放されて人間は強靱になっていくと思うから、知恵のある老人は大好きです。僕は同年配や若い友人よりも、老人や年上の人の方が知り合いとして世界中に沢山いるものですから、旅行をするたびに再会を楽しめます。


知恵のある老人と老害人間

 ――藤原さんはマンデス・フランス氏とも師弟関係に近いつきあいをされたとうかがいますが、そういった知恵のある老人としての関係ですか。

 初めはフランス人の友人達と一緒に、彼を囲んで議論をする仲間に何気なく入っていたのですが、そのうちマンデス・フランスさんがグルノーブルに引っ越して来て腰を落ちつけたので、今度は彼の自宅に集まって、政治の世界や、つい最近の歴史的な事柄について話を聞いて、本当の生きた歴史と教科書的な歴史はずいぶん違うということを教わりました。しかし、それは十数年以上も昔の話でして、今から思うともっといろいろ教わっておけばよかったなという気がします。
 それで、僕はどの老人にも、よく「お若い人」と言われたものでして、それが病みつきになってお若い人と呼ばれ続けているうちに、いつの間にか中年男になってしまいました。昔から「弟子とは師を乗り越える者を弟子と称す」と言って、いつまでも下に安住してはいけないのですし、「子とは親より勝れる者をもって子とす」というように、親から生まれたから子であるという関係ではないのですね。一生懸命努力することによって、親をしのぐようになった時、初めて自分は本当の子になったという関係が成立するということらしいです。
 親父はすごかったといって、甘やかされた状態で二代目になってはいけないので、自分は常に高祖になるつもりで生きていくし、その点では、すべての人間が子であり弟子になれるという意味で、人間は平等な存在としての出発点を与えられていると思います。
 すべての人間は誰かから教わっていますし、学校へも行きます。そして、人生における人との出会いを通じて、友を作り師を探し出すのでして、更により大きな出会いを求めて、日本中を、そして、世界中を巡り歩くことになるのです。遊び仲間や同志をこえた存在としての出会いが、意志の結合として結婚になり、夫として妻として共同生活が始まるわけでして、今度は自分の子供達が親を乗り越えて、子としての人生を歩み出すわけですね。かつては子として親を乗り越えようとした自分が、今度は親として子に乗り越えられていくことによって人類は進化していくのです。世の中が段々悪くなる、と老人達が嘆くのは、次の世代が自分達を乗り越えようとするのを、知恵を失って老化した老害の世代が、一生懸命になって妨害している結果でして、世代の引き継ぎがうまくいってない証拠です。亭主関白もかかあ天下もいけませんが、一番いけないのは老人支配じゃありませんか。八○年代のビジネスマンとしてのわれわれの仕事のひとつは、社会の空気を窒息化させている老害問題の一掃でして、政界、財界、学会といったところから、知恵を持たない老人の総引きあげをやってもらうことではないでしょうか。本当に知恵のある老人は、自ら自分の身の置きどころを心得ていて、そういった整風運動の圏外にすでにいると思うんです。
 それから、本当に実力のある人間は、亭主関白などといった殿様業みたいなものには関心を持たないでしょうね。猫やハリ鼠がおびえた時に体をふくらませるのが関白路線でして、本当に自信のある人は、独り静かに荘子か何かを読んで微笑しているのではないですか。自己顕示をするのは劣等人間のやることで、テレビに出たり紙屑のような原稿は書きまくらないものです。何か頼まれても、修業中だといって断るのが本筋で、それが言えないままに、こうやって対談してしまった僕も、実は駄目な男に他ならなかったと言われてしまうのではありませんかね。まさに、日暮れて道遠しということでしょうか。


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