T 人生は節目で翔べ
U 一匹狼こそ素晴らしい
V 八〇年代の四次元思考

藤原肇博士のメッセージ
「日本脱藩のすすめ」のアップロードの仕事が進み、心からどうもご苦労様と言いたいと思います。絶版になって久しく読みたい人も多かったようで、かっては東京新聞出版局経由や私への直接連絡など、いろんな方から入手したいという連絡があったものです。また、亀山さんの記事にアメリカに訪ねて来た若者の数が、二百人以上あったと私から聞いたとのことで、本当にどれくらいの人だったかと思い出してみたら、余りはっきり記憶しないけれど百人程度のようです。それにしても私が未だ四十代前半の頃のことで、今は懐かしい壮年時代の楽しい思い出になっています。
確か1970年代の最後の時期のことでしたが、私の本の読者で東京新聞の出版局長をしていた真野義人さんが、何かの機会でお目にかかって話をしたときに、「藤原さん、私は後数年で定年になって会社を辞める予定だが、その前にあなたの本を一冊作って置きたいのです。藤原さんの著書はこれまで数回づつ読んでいるので、どんな問題がキイになるか分かっているつもりです。5時間ほどもらえれば聞きたいことを質問して、それをテープに吹き込めば本が作れるので、5時間ほど暇を作ってもらえないでしょうか」と言われました。
真野さんはかって東京新聞外信部の花形記者であり、中東特派員としてベイルートに駐在して、ナセル大統領がの行ったスエズ運河国有化宣言で、英仏イスラエルの三国が起こしたスエズ戦争の時に、現地から報道した唯一の日本人記者として、数々のスクープを記録したことで知られていました。どんな機会で真野さんと出会ったかは記憶に無く、たぶん記者クラブで講演したときに会ったのか、石油問題について経済部の取材で喋ったものが、彼の記憶にあったのかも知れないと思います。
東京新聞の経済部の伊藤次長に親しかったので、よく東京新聞にエネルギー問題を寄稿したから、その関係で真野さんと親しくなったのかも知れません。私はサウジアラビアで仕事をした経験があり、当時のベイルートは中東のパリと呼ばれて、砂漠地帯のオアシスとして楽天地だったから、若い頃にベイルート駐在の体験を持つ真野さんとは気が合い、彼も私の書く国際石油政治についての論評に対して、注目してくれたと考えても間違いないでしょう。そんなわけで真野さんが本を作るというだけで、最初はどんな内容のものになるのかも分からなかったのです。
その頃の私は10冊ちかくの著書を持っていましたが、日本に帰る度に毎日5人くらいの読者に会っていて、5時間の連続したスケジュールを組むのは、なかなか難しい状況にあったのは確かです。だが、真野さんが余りにも熱心に実現をうながす態度にうたれ、品川の東京新聞社の近くのホテルに泊まって、早朝の時間を活用してぶっつけ本番で録音を済ませてから、それを真野さんの手配でテープ書き出しをしたものに、朱入れして出来上がったのが「日本脱藩のすすめ」でした。表紙のデザインの素晴らしさは実に魅力的で、多くの人から画期的だと褒められたと記憶します。

掲示板【藤原肇の宇宙巡礼】藤原肇 投稿日: 2003/05/09(金) 15:36

名著の復刊
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