T 生き残るための教育問題



人は石垣、人は城

藤原 100年くらい昔に出版された本の冒頭にあるのですが、生れつき酒が大好物で政治を論じるのが三度のメシよりも好きな先生がいるんです。酒を飲むとなると、僅か1、2本の時は至って気持よく酔っぱらい、気分もフンワリとなって宇宙を飛びまわるようで、見るもの聞くもの楽しくて、この世に憂いなどあろうとは思われない。さらに2、3本飲むと精神が高ぶって思想がしきりにわきおこり、小さな部屋の中に坐っていても眼は全世界を見通すし、一瞬のうちに1000年前にさかのぼったかとおもうと、たちまち1000年後のことを考えたりする。さらに2、3本もお銚子をあけると、耳は鳴って眼がくらみ、腕をふりまわしたり足を踏みならして興奮に興奮で、あげ句の果てはひっくり返って前後不覚。そして、酔いがさめて正気にかえってみると、酔っ払っていったことやしたことはけろりと忘れて、まるで狐つきが落ちたような具合だというんです。

早川 よく知ってますよ。明治時代の名著、中江兆民の『三酔人経論問答』の書き出しの所ですな。南海先生のところヘコニャックを持ってきて、飲み明かしながら大いに喋り合おうという趣向でしょう。

松崎 その南海先生に当る博学の先生が早川さんということで、われわれも大いに目が覚めるような奇論を拝聴することにしましょう。

藤原 だから、先生の人柄を知った連中が酔払わせて話を引き出そうというわけで、酒さかなをたづさえて先生の家にやってくるというのが、中江兆民の作った筋書きです。そして酔いが七、八分まわったところを見はからって、わざと国家の大事をきり出し、先生の説を釣り出すのだが、ひとつわれわれも明治の先輩に習って、これから喋り合おうとおもうんです。

松崎 どうですか、テーマを教育ということにして、人づくりの問題を取りあげませんか。武田信玄が、「人は石垣、人は城」といったが、人材の問題こそが一国の運命を考える上での根幹になるわけですから……。

藤原 そこで、ロッキー山脈を背にして教育を主題に三酔人の教育の放談という趣向で……。

早川 人づくりとか教育というのは、いろいろと論じられているようでいて、実は、ことの本質に迫るところまで掘り下げるには至っていない、現代におけるひとつの巨大な盲点だといえます。とくに、教育というとすぐに学校教育の問題に限定する傾向があり、その辺に多くの議論の不毛性の原因がありますな。

松崎 日本では教育というとどういうわけか、議論にならないで論争になってしまう傾向がある。誰でもが義務教育を体験しているせいで、テーマとして身近かに感じられるせいでしょうが、そうであるが故に、本当は茶の間で気軽に話題にしながらも、実はこれが国家の一大事なのだと確認し合えるような形で、意見が交換されなければいけない、とおもうのです。

藤原 その通り。炉辺談話としてじっくりと議論を煮つめていくのが、教育論のあり得べき姿でしょうね。

早川 藤原さんは日本で大学を卒業してからフランスに行き、ドクターコースまでやったわけだし、松崎さんも東大に続いてミシガン大学で学位を取って、現在まで教育の現場で毎日新しい体験を積んで、幅広い観察と実務経験をお持ちです。私の場合は大学を卒業したあと、旧制の中学校や実業学校の教師を何年かやったことがあるので、経験としては多少古いが、教育界を内部の人間として見てきた、といってもいい。日本が現在のところ経済大国であるとともに、文化小国になってしまったというのも、これはひとえに教育のせいです。また、新興の軍事国家として富国強兵のかけ声とともに、明治の日本が絶対主義的なインペリアル国家を形づくったのも、教育がその基本にありました。

松崎 有名なことばに「教育の危機は単に教育の危機ではなくて、生命の危機と同じだ」という表現があります。実際に、個人にとっても国家にとっても、教育の在り方が、その死命を制しているといってもいいのじゃないか。

早川 フィフティを引きあいに出すまでもなく、ドイツの過去200年間の浮沈の原動力になったのは、教育の伝統といわざるを得ない。教育の在り方は国民性を形成するだけでなく、国家の運命を左右するという意味で、未来を内蔵しています。

藤原 だから、国策の根幹にもなるのです。確か10年以上昔のことだったが、文部省だか財界だかが音頭取りをして、「期待される日本人像」といったことばがもてはやされ、官製のキャンペーンにジャーナリズムまでが巻きこまれて、大分賑やかに論じられたことがあります。日本人の悪い癖かもしれないけれど、一度騒ぎ立てるとあとは一過性で、誰も注意を払わなくなるが、期待される人間像というテーマは、実に重要な問題を含んでいるとおもうんです。

早川 今の段階で、期待される日本人像が一体どんなものかというのは、確かに徹底的に論じてしかるべき問題です。誰に期待されるのかにも注意すべきだし、何のために期待されるのかについても心しておいた方がいい。それをやらないで油断をしていると、この道はいつかきた道というわけで、とんでもないところへひきづりこまれてしまう。だから、古い火種をもう一度掘り起して、ここで照明をあて直すことが大切です。

松崎 教育すなわちエデュケーションと考えるなら、広狭両方の意味の取り方がある。日本では専ら狭義の学校教育としてのフォーマルなエデュケーションの意味で考えられているけど、人生経験から学ぶという広義の教育について、もっと注目してもいいのではないか。アメリカ式の発想では、教育は人間形成を一生の問題として捉えるところに出発点があります。

早川 生涯教育としての教育ですな。人材として育つという点では、人問は一生を通じて自己を形成するのであって、本来の教育は、松崎先生のいうところの広義のものであってしかるべきでしょうな。

松崎 理想像を現状と対比して、足りないところをいかに補い改めていくかが、教育としてのメインテーマになるのです。いかなる人材が理想的であり、いかにそういった人間像を実際に作りあげていくかが問題です。またそこにはどんな問題があるかといったことが、アメリカにおける教育についての議論であり、その辺がもっぱらたてまえ論のまわりで空まわりしている日本と、発想の上での差になっています。

藤原 清沢冽の『暗黒日記』の中に、「学問というのは学校に行くことではなくて、物を学ぼうという精神のことだ」と書いてある。実際名言であり、その意味では、ぼくは松崎さんの広義の教育について検討する方が、意義があるとおもう。

松崎 そうですね。だから、とりあえずは学校という枠を取りはらって、広い意味での教育について考えましょう。

藤原 しかも、教育という枠もはずしてしまって、人材としての人問の問題について論じた方がいいんじゃないですか。松崎先生が引用した信玄のことばからすると、「人は石垣、人は城」である以上、素材を活用するシステムについて考える、システム論ということにもなります。

早川 築城学といってもいいですな。

藤原 でも、よくよく考えてみると、「人は石垣、人は城」と形容した武田信玄は、本当の意味で一流の兵法家じゃなかった。なぜなら、孫子の兵法の中に、「上兵は謀を伐ち、次は交を伐ち、その次は兵を伐ち、一番下は城を攻める」と書いてある。最も劣悪なのが城攻めであって、やむを得ない時だけに限ると指摘してある。そうなると、石垣や城のような人材じゃなくて、本当は策謀のできるような人材を育てるシステムをやる必要がありそうですね。

松崎 それはあとで詳しく検討することにして、とりあえずは、入材を育てる上でのアプローチとしての教育の問題からとりかかりましょう。


国際化の中の人材育成

早川 人材ということになると、まず気になることがひとつあるので、そのことをここで発言しておきたい。それは1億人の人口を持っているわが国が、将来を考えるに際して、一体、末永く存続できるかどうかという点です。現在の日本の人口は、40億の世界の総人口の40分の1だが、一体これがどれだけの意味を持つのか。その辺をしっかり掴んでおかないと、日本の人材の問題を幾ら議論しても、観念の遊びになってしまう、という気がする。

藤原 世界の総人口の中で日本人の運命がどうなるか、ということは、割り切った言い方をするならば、総人口の3割や2割を占める中国人やインド人の運命について、日本人が果してどれほど関心を払っているのか、というのと同じことが、日本の外から見た日本の人材についての反応の仕方じゃないですか。

早川 アメリカ人やヨーロッパ人が日本人について抱いている関心の度合というのは、ちょうど日本人がインドネシア人の運命について払っている関心と同じです。インドネシア人だって、日本人よりも多い1億2000万人いるわけですからね。しかも、石油の確保の問題からすると、日本にとってのインドネシアの運命は、アメリカ人にとっての日本以上の重要度を持っている、と断言しても、これは間違いではない。

松崎 ところが日本人はインドネシアの運命について、それほど関心を払っていないで、自分のことばかりを考えて、アメリカやヨーロッパにとって日本がいかに重要な存在であるかと、盲目的におもいこんでしまっている。これは実に危険です。

早川 40分の1くらいの人間が、何かの拍子に地上から消えていなくなっても、世界全体ではどうってことはない、というところに出発点をもってこなくてはいけない。日本人がいなければ世界が治まらない、というわけではないし、日本女性がいないと、世界の美女の標準が下るわけでもありません。それに歴史を眺め渡せば、全世界の40分の1くらいの人口を持った民族がかき消えるように無くなった例はいくらでもある。昔、私が中学校の教師をしていた経験からしても、50人のクラスの中で1人や2人が欠席しても気がつかなかったし、大して気にもなりませんでした。

藤原 民族とか国民というのは生物学上の細胞や組織と同じで、ひとつのアイデンティティを持った単位としては、死滅と再生のくり返しの中で存続し続けるんです。だから、人材を育てるということは、いかに健全なエネルギー・ポテンシアルと遺伝子を持った細胞を育成するかというのと、全く同じ問題に属しています。そうであるなら、民族の絶滅とか或る民族グループの停滞の問題は個体発生の領域に属していて、ホモサピエンスの系統発生と区別して考えられると納得できる。しかも、人類という次元での人材問題に一般化できるんじゃないですか。

松崎 そこまで一般化してしまうと、話にまとまりがつかなくなる。何といっても、われわれが問題にしようとしているのは、日本における教育論議だし人材育成の問題です。現在の日本で一番目立っている傾向は何かといえば、それは国際化です。大商社やメーカーが続々と海外進出しているし、国内にも外国の企業や商品が大量に登場してます。また、日本企業の株式の国際市場への進出や、ナントカパックによる観光旅行団までいれると、日本自体がグローバル・ムーブメントの中に完全に一体化している。日本にとってこのような激しい世界との交流の仕方は、かつてなかった。

藤原 だから、その反動現象として、日本列島の上を国粋的なナショナリズムが覆っていて、かなりヒステリックな叫び声をあげていますよ。その筆頭が経済大国論であり、続いて、ソ連脅威論やアメリカ没落論などが賑やかに騒ぎ立てられている。

松崎 過度の経済大国論の蔓延は、増長して油断の心を生みかねない点で要注意です。

藤原 これから徐々に、多国籍化する日本の企業が生れるようになると、人材のパターンも大幅に変化するでしょうね。これまでのように国内から世界を見るのではなくて、世界の中で日本を位置づけできるような視座を身につけた日本人がどんどん育たなきゃねえ……。

松崎 企業一般だけではなくて、アカデミーや市民団体の国際化を通じて、いろんな形で新しいタイプの日本人が、国際人として活躍する機会も大いに増えます。日本が真に国際化していくためにも、国際舞台の上でいろんな国の人を相手にして、スムーズなつきあいをやっていける人間を大量に養成しなくてはいけない。

藤原 単に外国語が喋れて何となくコミュニケーションができる、というレベルではなくて、専門知識と国際水準を抜き出た教養を身につけ、人格と品性において相手に尊敬の気持を持たせるような人材が、どうしても必要です。おそらく現在の日本が保持している何10倍もの量の人材が、本当は今すぐにでも必要なんじゃないか。

早川 何100倍も必要でしょうな。というのは、今の日本で派手に立ちまわっているのが、政治家や経営者だけでなく、学者やジャーナリストに至るまで、そのほとんどが機会主義者です。本当の実力を持って国際舞台で活躍しているのは、全体の1割にも満たない、というのが私の判断です。

藤原 とくに官僚出身者がひどいですね。虚名と肩書きでごまかしているけど、外でやっていることと国内に伝わっているイリュージョンの差は、実にものすごい。本当に冴えた眼を持ったジャーナリストや学者が激減しているせいでしょう。

松崎 そういう意味では、本物の人材を養成する機会として、どうしても教育の問題に立ち戻らざるを得なくなる。しかも、教育の問題は論じ得ても、その効果を期すのにとてつもなく時間がかかる、という悩みがあります。

藤原 でも、明治の臣民教育を思い出すまでもなく、政治の道具としての教育は、案外なことにす早い効果をあげますよ。一番いい例が、プロシア精神とドイツのロマンチシズムをねりあげたヒットラーのゲルマン教育です。それにスターリニズムを子供に植えつけたソ連のピオニール教育だってそうで、一応政治的には成功して目的を達してます。ただし、これは本当の意味での教育ではなくて、教育をひとつのマニピュレーション(操作)として使った例になるけれど……。

早川 そういえば、小さい手に赤い表紙の『毛語録』を握りしめて、毛主席讃歌を唱っていた中国の児童たちは、今どうしていますかな。


軍事型社会から産業型社会へ

松崎 どこの国でも子供の純真さと情熱を政治的に利用して、自らの立場を飾り立てようとしたり、衆愚政治の親衛隊として仕立てあげようとする権力者はいるものです。それを防ぐためには、感情的で民族主義的な発想から抜け出して、より理性的で国際的な視野を持つようにすることです。国際化という点で戦前の日本人に較べると、今の日本人ははるかに国際化しており、日本自体の国際化も非常に行き届いています。

早川 アメリカかぶれや外国かぶれは確かにすごいが、果してどこまで本当に国際化しているかは疑問におもいますな。風俗やことば使いの面では、日本人の変化には目ざましいものがあるが、悪くいえばラシャメン(洋妾)化であり、日本人としてどこまで自信を持って国際化したと断言し得るか、興味のあるところです。いくらジーパンをはいて外車のスポーツカーを乗りまわしたところで、カーラジオから演歌やナニワ節が聞えて来るんじゃ、これは国際化とは無関係ですよ。メンタリティとしては100パーセント古いタイプの日本人です。

松崎 理論からすると、国際化しない方が民族精神の保全や純粋な文化の保持はやり易いわけです。

藤原 それに本当の意味での国際化は、ひとつの文化を完全にマスターした上で乗り超える行為であり、ユニバーサリズムにもとづいたインタナショナリズムだとおもうんです。だから、ナショナルとしてのアイデンティティを喪失して、根無し草としてのコスモポリタンになるのとはわけが違う。でも、いまの日本には本来的な国粋主義かコスモポリタニズムが圧倒的といえるんじゃないかな。

早川 私はコスモポリタンでも結構だと考えますな。それはビジネスというのはフェニキアやヴェニスの昔から、国家などというケチ臭い縄張りをはみ出して、新しいフロンチアを開拓するために世界を目ざして乗り出していくものだからです。鎖国をしていた江戸時代末期でも、ロシアに新市場を求めた高田屋嘉兵衛や銭屋五兵衛のような商人がいて、日本と外国を結びつけようとした。その子孫である日本のブルジョワジーがケチ臭い文化の枠にしがみついていたんじゃあ、とてもじゃないが日本の行く手は明るくない。演歌だのナニワ節なんか未練なく打ち棄てて、世界を舞台に大活躍をするのがこれからの日本人のイメージじゃなくちゃいけません。

松崎 しかし、ミソ汁や歌謡曲がないと淋しくて落ちつかないというのが、大部分の日本人の心情じゃないですか。紅白歌合戦を聞かないと年を越したという気にならないとか……。

藤原 それは愚民政策に完全にいただかれてしまったからで、それだって一種のマスコミ・レベルでの大衆教育の結果ですよ。戦後の日本人がぬるま湯のようなサブカルチャーにうつつを抜かしてきたが故に、明治の人が持っていた企業家精神まで、どこかに置き忘れてしまったんじゃないですか。

早川 日本の産業界を指導していくべき経済人たちが、自由主義の理想と企業家精神を喪失したというんじゃあ、情けないですな。われわれの爺さんたちが誇りにしたリベラリズムを忘れて、ナニワ節に喜んでいたんじゃあ、日本の資本主義は御臨終になっちまいますぜ。

松崎 そういえば、ナニワ節も講談も封建思想のエキスみたいなものだし、あれを乗り越える所から近代が始まるのは確かです。

早川 明治以来100年余りですが、江戸時代から通算すると400年近く続いてきた封建思想は、日本人の心の中心にドカッと居坐っている。そして、周辺の弱いところが外来文化によって侵蝕されて風化している。もっとも、これを風化と見るのは国粋的視点であり、醇化と形容するのが昔から宣教師や外国かぶれの常套だったわけです。

松崎 立場はどうであれ、実際にわれわれが議論できるのは、現在の人材教育や社会教育において、一体どういうところに問題の核心があり、与えられている条件の中でどう対応することが、日本人全体の利益に対して一番プラスになるか、という点でしょうな。別の表現をするなら、日本の針路に対しての選択の問題といえます。わが国をどう規定するかといえば、民主国家とか、自由経済国家、あるいは、人によっては混合経済国家と名づけることでしょう。

早川 封建国家という声もあるでしょうな。

藤原 ぼくは草の根共産主義だとおもいます。少なくとも、共和主義ではないことは確実です。

松崎 いずれにしても、現状をひとつの前提として、こういった社会体制を持つ日本としては、どんな方法によれば、人間の能力をフルに引き出す機構を作りあげることができ、しかも、教育を社会全体とバランスを取らせ得るか、という問題にきわまっていきます。

藤原 人問としてどんな個人が必要かということが、まず考えられるべきですよ。しかも、そういった個人が集まったものとして、国家とかさまざまな組織が出てくるのが順序だのに、日本ではそれが逆立ちしていて、没個人のまま国家が常に先行してしまう。

早川 ナン野ダレ兵衛であるまえに、日本人であるという規定の仕方がまず行われる。これは日本に個人主義の精神が根づいていないことと、天下国家を論じる人が何か偉い、と考える伝統が強いせいでしょう。

松崎 この頃ではそれが自分の属する会社とか学校によって置き替えられています。私はミツビシのナントカです、といった具合に……。

藤原 帰属意識が日本人の心理を強く支配しているせいです。しかも、自分が所属する組織を一種の運命共同体だと考えて、全人格をそこに捧げ尽してしまう。滅私奉公なんていう価値観はその最たるものだけど、日本の場合は公がパブリックではなくて、ネイションになってしまうのは、近代社会を特徴づける市民意識の代りに、封建的な臣民意識が根強く残っているせいじゃないか。

早川 社会学的に見るなら、ことによると、封建思想よりももっと古い、氏族制的な共同体に由来するもので、群居本能の遺制かもしれないですぜ。

藤原 でも、そこまでいうのなら、思い切って次元を自然界まで拡大して、動物の群棲本能と結びつけて考えた方がいい。単体として弱い動物になればなるほど群をなすというのは、自然界にみられる傾向として誰でもが知っていますよ。

松崎 この際、そういった議論を余り深く掘り下げても、大した意味がないんじゃありませんか。むしろ、集合的無意識が日本人の場合は帰属意識として、社会現象のあらゆる場面に現われてくる、といっておけばいいのです。そうなると、社会現象としてひとまとめにしたものの実体として、国家、地方自治体、企業、出身地、学校やクラブといった組織体が指摘でき、これまでは国家が唯一最大の枠組として君臨してきたことから、国家と個人の問題が浮び上ってくるわけです。

藤原 20世紀の初期までは、ある国の大企業がすなわち国家として機能する場合が多かったし、植民地主義などと一体化して、国家を媒体にして大企業が軍隊を自分たちの利益路線に沿った方向で動かした。そのいい例が日本の三菱でありドイツのクルップだった。アメリカのデュポンにしても英国のビッカーズ・アームストロングにしても、死の商人は一国の政治を軍事冒険主義の方向で操りますよ。

早川 日本では死の商人というと直ぐに三菱を槍玉にあげるが、中国の戦争で日本を大陸の泥沼にひきずりこんだという意味では、上海に拠点を持っていた三井の責任も重大です。それはさておいて、大企業と結んだ国策が、一国の運命だけでなく国家の体質にどう反映するかという点では、ちょっと古いけれど、スペンサーに登場してもらって、彼の『社会学原論』の中に強調されている、軍事型社会から産業型社会へという、近代国家における社会進化論の観点で分析したらどうでしょうか。日本の場合は、まさにピッタリ的中といえるモデルになる。

藤原 戦前の大日本帝国が軍事大国として右腕中心主義だったのに対して、戦後の日本国が経済大国として専ら左腕で稼ぎまくっている点では、確かにひとつの発展のパターンはあるにしても、ともにハードウェア至上主義ですよ。ソフトウェアが脱落していれば、ホモサピエンスの水準での展開にならなくて、結局はミリタリー・アニマルからエコノミック・アニマルヘの進化であり、動物の段階での進化にすぎません。

早川 広く考えれば人間はアニマルの枠を外れることはできないので、それでもいいのです。軍事型社会というのは、明治や戦前の日本を思い浮べればよく分る通り、国民すなわち兵隊と同じと考えて、すべてを軍事化してしまうわけで、軍事的な縦型の統制機構を動かすために、個人は全体の利益のために没個性的存在として国家に奉仕させられる。教育について見るならば、教育が軍事のために政治的統制をうけ、権限の集中と統制の絶対性が至上命令になるわけです。

藤原 その集中点が虎の門の文部省だった。集中点というよりも、むしろ総本山といった方がピッタリかもしれませんね。

松崎 そして、そのありがたいお経が教育勅語だった。簡単にいってしまえば、戦前の日本は神がかりに支配された、ひとつの宗教国家だった。

早川 よく考えると実に恐しいことだが、ついこの間まで、われわれは中世的な政教一致の宗教国家を直接体験していたのです。こんな経験は今どき非常に貴重で、おそらく中東の回教国家へでも行かない限り、そう簡単には味わえないでしょうな。

藤原 そういう意味では、1945年の敗戦という体験は、日本人が中世から近代への飛躍を果した点で、実に大きな意味を持っているんじゃないかな。明治維新はひとつのクーデタだったが、1945年はアンシャン・レジームを支えていた軍人や華族が虚脱状態に陥っていた間に、何となく成立してしまった、無作為のレボリューションだったのかもしれませんね。

早川 軍事力を背景にした外圧でなしとげた一種の革命でしょうな。また、相手がアメリカという世界で最も工業化の進んだ国で、しかも、キャピタリズムの総本山を認じている国だから、日本はたちまち頭のテッペンから足の先まで影響をうけて、工業立国を国是にして一生懸命になって仕事にはげんだら、日本人が気づかないうちに、完全に産業型社会に脱皮し終っていたということでしょう。

藤原 いわゆる平和憲法にもとづいた平和主義路線のたまものでしょうね。

早川 スペンサー流にいえば、各人は自由に産業に従事し、自治的なグループの中で創意にもとづいた仕事をする。そして、個人の意志の方が全体に優先し、政府はそのコオーディネーター兼調停者の立場を守るということになるのです。そこから先は日本の現実はスペンサーのモデルなどまったくお構いなしに、行政指導、中央集権、官僚統制といった具合に、部分的に軍事型社会の遺制と繋って、変な具合に産軍複合化社会になっている。

松崎 下部構造としての社会のベースは産業型社会になっているのに、精神の方がそれに完全についていっていないせいです。結局はそこに教育の問題がある、とおもうんですよ。

藤原 日本の教育界が近代を象徴する人間革命の精神を完全に自分のものとしてマスターしていないからです。エミグレ(亡命王党派)の巣窟としての文部省は健在だし、ウルトラ(超反動派)としての復古論者は自民党の文教議員として反動工作をしてますからね。日本の産業界の中から、もっと本物のリベラリストがどんどん生れてくることを期待するのが一番いいんじゃないですか。

早川 でも、日本の場合は、リベラリストは常にマイノリティですよ。ちょうどいまいわれた自民党のように、一見リベラルを謳い文句にしてまぎらわしいが、その実はリベラル印の包装紙の下には旧態依然とした封建思想のコアがあるといった、リベラルモドキが圧倒的に多いのです。

松崎 明治の富国強兵と殖産興業の国策の時もそうだったが、中央集権的な国家主義というのは、実に能率がいいんです。これでいくと国力はすぐに充実して強国になれます。

早川 秦の始皇帝もそれで成功したわけだが、このやり方は長続きしない、という欠点があります。国家を中心にした社会の秩序を維持するために、どうしても個人の創造意欲を抑えようとするので、10年とか20年の単位で見ると破綻せざるを得ない。逆に、ギリシアの場合のように個人主義が強くなりすぎると、個人のポテンシアルは高まっても、国としては弱小化してしまう。歴史を一望するとよくわかるが、どこの国の歴史でも、個人の力と国の力が交互に強力になるパターンの中で、権力が交替し社会体制が消長する、というやり方を繰り返しているのです。


ことばの規範と日本語

藤原 明治というと、すぐに富国強兵や殖産興業ということばを思い出し、明治は始りとともに絶対主義的な軍国日本が出現した、と考える人が多いけど、決してそうではない。政界において民権運動が活発だったように、教育の分野でも非常に開明的な動きが華々しく組織され、当時の日本の知性を代表する本物のエリートたちが、いろんな形で啓蒙活動をやりました。

早川 それをシンボライズしたことばが文明開化でして、『学問のすすめ』や『文明論の概略』を書いた福沢諭吉や明六雑誌に結集した人びとなどの役割は、仲々大したものです。

藤原 ぼくが一番感心するのは、幕末期から維新を経て文明開化期といわれる明治前半における、日本人の知的ポテンシアルです。福沢諭吉の『学問のすすめ』が100万部近く売れ、社会時評的な中江兆民の『一年有半』が30万部近く、哲学入門的な『続一年有半』が20万部余りも売れたそうです。当時の日本の人口が現在の3分の1の3000万人だということからすると国民の2%とか3%に相当する人びとが、あれだけ質の高い本を読んだことになる。これはものすごい知的ポテンシアルです。

松崎 いまの日本で同じ水準で似たような内容の本が出版されたとして、果して3万人の読者を獲得できるかどうか疑問でしょう。逆にいえば、明治の日本には、それくらい真の知識欲が凝縮していたし、またエンターテーメントのための読書ではなくて、真理は何かを誠実に探し求めていた人が多かった、といえますな。

早川 明治の日本には文盲の人間もたくさんいたが、文字を読めるだけでなく、文字を読むことの意味を知っている人間がたくさんいました。寺子屋なんかで学問をしたことによって、人口比率からするといまの100倍か1000倍の割合で、ものを識ることの意義をわきまえている日本人がいた、ということでしょうな。ある西洋人がいったことばに、「教育は本の読める人間を大量に生み出したが、どの書物が読むに価するかを見分けることのできない人口をも増加させた」というのがあります。役人は文盲退治が好きで、日本の文盲率は世界一低い、と統計を見て得意になっている。しかし、文字が読めても読むに価する本を読まずにいる、というのは宝の持ちぐされでして、重要なのはその率の低さですぜ。

藤原 逆にいうと教養の問題です。社会が発展しようとする勃興期には、質よりも量が重視されるから、文字の読める人間を大量に育てるために、文盲退治が基礎教育の中心になるのは当然です。しかし、次の発展から円熟にかけての時期には、単に文字が読めるだけでなく、理解の度合が問題になるし、しかも、質的に優れた内容をいかに深く理解し、単に理解しただけではなく、実社会に反映できるかが評価の中心になる。その意味からすると、文字は読めなかったが知恵を持った人間も多かった江戸や明治の日本人に較べると、文字が読めても古典を読む力がなくなり、先哲たちの含蓄のあることばへの理解力の衰えた現代人というのは、高等教育を施された知恵なし族と形容できないこともないですね。

松崎 サラリーマン一般が週刊誌程度のものしか読まないし、大学生までが劇画やマンガに熱中している現象は、確かにおっしゃる通りで、文盲ではないが識盲を増している。しかも、この識盲は色ごとに関しては無闇矢鱈に敏感、という意味の“色盲”ときてるんですな。

早川 昔の大学生といえば赤い色に鋭敏だったものですが、この頃の日本の大学生は桃色にやけに敏感になっている。戦後の一時期に、私が役人みたいなことをしていた頃、女子大生のアルサロというのが物珍らしくて話題を集めたものだが、この頃ではアルサロのスタッフが女子大生のかなりの部分を占めてるらしいですな。大学が学問をするところではなくて遊戯場になりかけている……。

藤原 ぼくが大学生だった20年前でも、大学はすでに幼稚園的存在だったけれど、この頃ではそれが更に保育園的になっているみたいです。社会の幼児症化ですかね。

松崎 入学式に母親が付き添ってくるくらいだから、仕方がないでしょう。社会が豊かになったせいか、20歳近くなっても乳離れができない若者が多くなったのかもしれんです。

早川 私はむしろ母親側の甘えがあり、子供をいつまでも子供扱いして安心するために付き添うようなことをしているとおもいます。だから、子供の方でそれを断乎拒絶すべきであり、拒絶することによって自分の足で立つ人間になれるのです。それは親不孝なんてものではなくて、なにごとも自分の責任で受けとめるということであり、それができることは、必要な本は読み、読まなくていい本は読まない、という決断の出発点になる。

藤原 いい本を読むことよりも、読む必要のない本を手にしないことの方が大切だし、難かしいですね。

早川 考えながら読むような読書を、若いときにしておかなければいけませんな。そうやって若い時に訓練しておかないと、年をとると、本を開くたびに頭の中を全部読みぬかれて、本に馬鹿にされることが多くなります。

藤原 だから、大学に入るよりも図書館に入学した方が、人間の修業としては、はるかにいい結果を得ます。なにしろ、何1000年も昔からの全世界の先哲が揃っていて、思想だけじゃなくて、ことば使いまで直してくれますよ。

早川 いい本をたくさん読むことによって文章力が上達するのだし、読むことは書く能力を上達させます。意味なんかわからなくたって構わないから、原典を辞書も引かずに5回でも10回でも繰り返しているうちに、「読書百遍、意おのずから通ず」になるのです。眼・口・手・脳の4つを使って本を読みこなせばいいのです。

松崎 数年前に、私は交換教授として日本の大学で教えましたが、その経験から得た結論としては、大学生の日本語能力が非常に低下していること、とくに、日本語で文章に表現する能力が目茶苦茶で、これには大いに驚きました。

早川 小学校や中学校で余り作文を教えないせいではありませんか。私などは綴り方といって大分やらされたものです。

藤原 作文の問題ではなくて、むしろ、日本語が方向感覚を失って混乱しているせいじゃないですか。一応のところ、東京ことばに近いものが標準語として使われているが、とくに、話しことばはマスメディアの商業主義によって目茶苦茶になっているし、目新しさを売りものにした粗製乱造の歌が、ことばが持っている基本的な約束ごとを、大いに乱しているだけでなく崩壊させている、とおもうんです。

早川 日本語には役人が決めた標準語はあっても、このことばを使っている日本人が、「これはいかにも日本語らしい美しい響きと正しい用語法だ」と感じるような、そういったことば使いの規範が未だできあがっていない。また、そういった努力も余り国民的規模では行われてきませんでした。

松崎 フランス語を規範化したような形では、確かに、日本語はあるがままに放置されているホッタラカシことばかもしれない。しかし、ことばの性格からして、それが大変難しいという問題もあります。

藤原 明治の時代に二葉亭四迷が突破口を開いた言文一致運動、というのがあります。ことばの本質からすると、書きことばがリテラル・ランゲージに相当しているのに対して、ポピュラー・ランゲージの話しことばは、進化と変質の両方を含んだ匡正を要する日本語として理解されなければいけないのに、書きことばを話しことばで置きかえさえすればいい、というやり方が支配的になった。本当の意味での保守主義が存在せず、頑迷な伝統主義や固陋な事大主義の信奉者が、書きことばとしての文語体の擁護の側にまわったので、結果として、ラジカルな話しことば側が力を得てしまった。でも、本当はあの段階で啓蒙的な活動をしていた日本の知識層の中から、リテラル・ランゲージとしての規範を持ったことばを、書きことばと話しことばの両方に通用する形で、新しい日本語として育てる運動を展開していたら、単なる標準語ではなくて、規範語とでも呼べる、美しくて正しい日本語が、今頃は日本列島の上に定着していたんじゃないか、とおもうんですよ。

松崎 それは不可能な仮定の上に成り立った理想論です。ことばは生きものであり、そう簡単に人工的なことば作りが成功するわけがありません。

早川 ことばは人間相互のコミュニケーション媒体として最も重要なものです。また、文化自体が人間にとって内面的外面的なかかわり合いを持つ媒体であり、文化は生れつきに備わっているものではなく、ことばや直接的なふれ合いを通じて身につく、一種の学習されたものです。その意味では、人工的なことば作りを行うとともに、それを学習を通じてより若い世代にマスターさせることは可能です。むしろ、そうやって方言や習慣の違いによって孤立化しているグループを、ひとつの文化統一体としてまとめる上で役に立つのが、役人にいわせれば標準語になるし、藤原流に表現するとリテラル・ランゲージになるのでしょう。中国の標準語になっている北京官話だってそのひとつです。

藤原 それを一番強く感じさせられるのは、中東に行った時です。現代アラビア語というのは単に方言であり、ローカルなポピュラー・ランゲージにすぎない。規範が崩れてしまっているので、どんな喋り方をしても勝手で、階層や職種だけでなく出身地や部族によっても異なり、ことばには違いないが、果して言語と呼ぶに値するかどうか疑問なほどです。ところが、アラブ人にはリテラル・ランゲージに相当する古典アラビア語があって、これは書きことばであるだけでなく、アラブ世界の公用語として話しことばの役目もする。クエート人とモロッコ人が古典アラビア語で喋りあうと通じるし、しかも、それを使っていかに美しく格調高い思想を表現するかということで、その人の人格と社会的評価が決るのです。

早川 それはアラブ人が古典アラブ語を学習したのであって、規範にたるものが古典として昔にちゃんとある。ところが、日本語の場合は、日本語の古典に相当するものが昔にない。そこに悲劇がある。なぜならば、律令時代の昔にさかのぼってわが国の公文書や記録を見ると、ほとんどが漢文でして、あれは中国語です。もちろん、万葉集や源氏物語のように漢字を使っても漢文ではないものも存在するが、これは口語としての女ことばであって、真の意味の文語というかリテラル・ランゲージじゃありません。

松崎 でも、一応は『徒然草』の吉田兼好の文章や、『方丈記』の鴨長明などの文体に、日本語としての古典の名を与えてもいいのではないですか。

藤原 大して思想的なアッピールはないけれど、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」なんて名口調で始まる『平家物語』も、日本語としては仲々の文体を持っていますよ。

早川 しかし、口調のいい文体が果していい日本文かというと、そうはいきません。昔私が学校で習った文章に、「世に伯楽あり、しかるのちに千里の馬あり。千里の馬は常にあれど、伯楽は常にあらず……」なんて文章は、実に口ざわりがいいから直ぐに憶えてしまったが、これは韓愈の文章である以上は漢文です。それに、どういうわけか理路整然として文意明晰なものになればなるほど、漢文体になる傾向がある。おそらく、中国には古典に相当するものがちゃんとあって、平仄が合っているだけでなく、ことばとしてのリズムも備わってくるためではないでしょうか。

藤原 世阿弥や芭蕉の文章にしても、いつまでも忘れられない名文章というのは、どうしても漢文調ですね。そういう意味では、われわれ日本人にとって真の古典は、ことによると、書き下し文のスタイルを持つ漢文かもしれませんね。

早川 国学者や国粋主義者が怒るかもしれないが、その辺に日本文化の限界があるのかもしれません。

藤原 リテラル・ランゲージとして新しい日本語を導いていく上で、美しさと明晰さの手本になる日本語の文章として、どんなものが推薦できますか。よく志賀直哉や山本有三の文体が引用されるけど、とても古典とは呼べないし、森鴎外や島崎藤村みたいなところしか思い当らないんですが……。

早川 樋口一葉や上田秋成の文体が美しいといわれても、あれは文語体だからスッキリしているので、なかなか口語体でこれはという文章は思い浮ばない。鴎外はすでに挙げられたけれど、芥川竜之介や森田草平なんかも切れ味のいい日本語を書いてます。

藤原 個人的に、ぼくは浦松佐美太郎や西尾幹二の文章が好きだけど、果して日本語の文章規範に適しているのかどうかというと、自信がありません。要するに、現在の日本には、これが日本語として一番スッキリしている、と国民のコンセンサスを集める規範的な文体は存在していないのじゃないか。それが教育の混迷を深めている原因のひとつになっている、とおもうんです。


学歴無用と不要

松崎 新聞の文章の書き方は一種独得のものがあるけど、あれをいい文章とは誰も考えない。せいぜい、随想とかコラムに日本語の文章として光っているのがあるが、新聞全体力からするとほんの埋め草みたいな存在です。

早川 それに、最近の社説のつまらなさというのは、新聞を読む楽しさを半減させてますな。昔の新聞は社説で売っていたものだし、社説にその新聞としての個性が輝いていて、時によっては文章修業の一番いい手本になったものです。朝日の長谷川如是閑なんて天下一品でした。

松崎 結局、新聞の文章が品格をもつようになると、その国のことばも洗練されるようになる。なぜならば、毎日くり返していい文章を読むことを通じて一種の学習効果が生まれてくるからです。たとえばフランスの場合、発行部数は余り多くないが『ルモンド』や『フィガロ』がクオリティ・ペーパー(高級紙)の名前を誇っているのも、記事の内容が優れているというだけではなく、記事の文体にフランス語としての風格を保持していることが、大いに関係している、とおもうんです。

早川 イギリスだって同じでして、『マンチェスター・ガーディアン』が何といっても卓越しているのは、イングリッシュとしてのその文体で、実に含蓄があるだけでなく、いいまわしに味があるんですな。その辺に底力としての文化の力が生きてる。

藤原 だから、教育というのは単なる制度の問題ではなくて、社会における人間と文化のかかわり合いの仕方、そして、日常生活を通じて、人間が質的向上をとげる上で、どのような形でより高い水準に近づくための学習の機会があるかという、一種の社会環境の問題と結びつく、とおもうんです。

早川 何といってもテレビの影響が大きいし、テレビことばの大半はスラング混りの喋りことばだから、いい表現法よりは俗悪な表現の方が幅を利かすことになる。最近はアメリカ人やカナダ人の喋り方が、大分崩れています。もちろん、昔から黒人独得の表現やスラムに住む下層階級のことばはあったし、地方訛りに近い変ったことば使いはいくらでも存在したが、コミュニケーション媒体としてのことばの役割が、ここにきて大幅に変化しているのは確かです。

松崎 ここにきて、学生の文章による表現能力が大幅に低下していて、答案を書かせるとよく分るが、自分の母国語の英語がまともに書けないのです。権威ある統計によると、アメリカの大学生の6割は英語の能力が、大学教育を受けるのに必要な水準に達していないし、ドロップアウトする学生の9割は英語力が原因だそうです。実際に教師をやっていて、そのことはいつも痛感していますが、論文の内容が表現能力の不足で年々悪くなっています。それはハイスクール時代にいい本を読む習慣が少くなっているので、いい英語の文体に接する機会に乏しくなり、それが英語力に響いてしまうのです。

早川 何といっても、テレビを見たり友だちと遊びすぎて、本をよむ暇が圧縮されてしまうんでしょうな。

松崎 しかし、アメリカの大学の場合は、毎週何冊かの必読図書を指定します。それを読まない限り講義についていけないだけでなく、試験にもパスできないような機構になっているので、1年間大学でしごかれると結構古典が読めるようになります。だから、そうやって4年くらい授業を通じて読書の習慣をつけると、マスターあたりでは世間に通用する文草を身につけるし、ドクター論文あたりになると大した理論を展開するようになります。

藤原 ことばは学習の領域に属していて、これは小学校や中学校という、子供たちを学習を通じて人材化する教育過程で、みっちりとやったらいいとおもうんです。この段階でいい本をたくさん読ませて読書力を身につけるのに成功すれば、あとは中等教育から高等教育にかけて、自らの力で学問のやり方を身につけて、読むに値する本を識別し、接して学ぶに値する師を見出して、何者かになっていく。これが学問の基本パターンじゃないですか。

早川 それが修業の基本パターンでもあり、修業というのは学習の同意語です。だから、昔の子供たちが寺子屋で明けても暮れても四書五経を繰り返して読まされたわけで、読書百遍意おのずから通ず、というのは、それなりに立派に教育学的な真理と結びついているのです。

松崎 それに、昔から読み書きソロバンといったけど、この三つの分野が学習することのべースになっている。そして、この三つの能力をしっかりと鍛えておけば、あとはその土台の上にいくらでも成長が可能です。私としては、小学校の段階で余りいろんな知識をつめこみすぎたり、難かしい分数の計算なんかはやらない方がいいとおもう。中学受験という目標があるせいか、日本の小学校はカリキュラムを必要以上に詰めこみすぎてるんじゃないですかね。

藤原 本当はよく遊びよく学びであって、よく遊ぶというか、余裕をもって遊び心とともに勉強した方が、養分として吸収もいい。それに、子供の頃にガキ大将になったり、仲間といろんな計画を実現するような体験を通じて、将来のリーダーシップの基礎訓練をするのがまともだ、とおもうんです。子供の時代から脇目もふらずにガリ勉をするようなタイプの人間は、大きくなって役人にしかなれませんよ。

早川 大学なんか正式に卒業しなくたって、大学卒以上の実力なり見識を持ってりゃいいんです。そのいい例が戦前に何度か首相をやった近衛さんです。近衛さんが京大に行っていたことは有名で誰でも知ってますが、近衛さんが京大を卒業していないことは、おそらく日本人で知っている人はほとんどないでしょうな。

松崎 あれ、卒業してないんですか。それは初耳ですね。

早川 そりゃあ初耳でしょうな。誰もこんなことは恐れ多くて口にしませんから。私が役人をやっていた時の上司で、その後内務次官や千葉県知事をやった人がいるんですが、彼は京都の五摂家の御曹子で、しかも、京大で近衛さんの同級生で御学友だったのです。彼の言によると、「なぜ近衛さんが卒業するに至らなかったかといえば、一番上のお公卿さんということで、毎晩のように祇園へお出ましになっていれば、結果はどうなるか分り切っているだろう」とのことでした。しかし、さすがは大器量の持主だけのことはあって、何度も首相になったのだから大したものです。

松崎 むしろ、ガリ勉して役人になりたがっている友人たちを見ているうちに、勉強するのが馬鹿馬鹿しくなったのではありませんか。

藤原 でも、おかしいでね。ぼくが読んだ本の中には、近衛文麿は学生時代に祇園の芸者を落籍したというエピソードや、彼が京大を首席で卒業した、と書いてありましたよ。

早川 その辺が歴史の謎になるのでして、果して何が真実かは調べるに値する面白いテーマでしょうな。要するにそこらの小倅と同じように大学なんかに行く必要はないのだし、ましてや首席で卒業なんて格好をつける必要さえないのです。

藤原 そういえば、ヨーロッパの名門貴族の御曹司は大学など鼻にもひっかけないですよ。フランスならサン・シールだし、英国ならサンドハースト。その上は家庭教師ですよ。

早川 日本だって陸士と海兵でして、とくに皇族のほとんどがそのどちらかへ行ってます。高松宮さんと伏見宮さんなんて海軍兵学校の卒業だったと思います。それに話は古くなりますが、参謀本部長をやった有栖川大将なんかの場合、陸士や海兵にも行っていないはずです。学校なんか行かなくたって何てことはない、ということですよ。

松崎 学歴無用とはいっても、それは特別な閨閥に属していればの話であって、大部分の人間にとっては不要ではないというところに、この問題の悩みがあります。

早川 しかし、アメリカの大統領の例を見たって、誰も自分の出身校がどこの大学か、などといって大騒ぎしている例はないし、現にレーガンが大学を出たのかどうかなんて、誰も問題にしてません。ところが、日本だとすぐに出身校を名のる。たとえば、選挙の時の立候補者の名前の下には、必ずといっていいくらい出身校が書いてあるけれど、あんなことが相変らず続いているところに、日本特有の事大主義がある。問題はどこの大学を出たかではなくて、出てからどんな仕事をやってきたかということと、現在どんなことをどれくらいやれる能力とパーフォーメンスを持つかです。ところが、日本人の悪い癖でどうしても学校へ行ったというところへ戻ってしまう。学校という容器は、極言すれば商品を包むデパートの包装紙みたいなものでして、包装紙で中味を判断するのは形式主義の悪い見本です。包装紙の魅力に取りつかれて自動車やカメラをデパートで買う人がいたら、おめでたい限りですよ。

松崎 中味が同じなのに、高い値段にもかかわらず包装紙で選べば、その通りでしょう。しかし、孟母三遷の話にもある通り、教育環境としての学校の問題は、人間が環境によって大いに影響される動物である以上、なかなか難かしいものがあります。ただ教育における歴史を眺め渡すと、明治の初め以来いろんなことがあったが、結果としては、学制がいたずらに整ったことによって、かえって教育の本質が見失われるようになった、といえるんじゃないですか。

藤原 それは明治的な中央集権政治の発想で、教育を法家のやり方で統一する努力が続いてきたせいです。教育というものは、自由を保証された環境の中で、教える者と学ぶ者がともに自発性と熱意をぶつけ合うことによって、生き生きとするし、溌剌とした学問の気が充ちてくる。それが明治の初期にはあったし、戦後の一時期にも存在していた。その背景には、個人の創意が生きた時代性と、それが国家権力によって封じこめられようとした相克の歴史があるんです。

早川 それが教育の歴史であるだけでなく、近代を特徴づける日本の歴史でもあったという点で、総括的にその沿革をふり返ってみるのも重要だとおもいます。過去をふり返ることによって現状を位置づけ、これからの教育の在り方についてのよりよい路線を探り出すために、明治以来の教育界が、制度として一体どんなものを作り、その中心に何を置いてきたかを整理してみたらどうですか。

松崎 ひとことでいえば、皇国史観にもとづいた臣民教育だったが、それが終戦後になって、アメリカ風の民主教育に置きかわった。さしずめ、早川さんは臣民教育で育った入材であり、藤原さんは戦後の民主教育のたまもの、そして私は戦中派として、その両方の産物に他なりません。

藤原 むしろ、松崎先生とぼくが官学の落し子であるのに対して、早川さんが自由な場を本来的に持つ私学教育の体験者だという差が、視点として面白いものを提供するかもしれませんね。

早川 官学と私学の差ということなら、話を江戸時代にさかのぼって始めるべきでしょうな。そこに日本における教育問題の基本が凝縮しているからです。


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