W 戦後教育の問題点



民主教育と他人指向時代

早川 敗戦という軍事上の大変化が日本の政治に大混乱をもたらせ、一種の無秩序というか政治的真空状態を生み出したことはよく知られているが、現象としては、黒船到来に浮き足立った幕府の醜態と同じことを繰り返しました。上層部の議論は専ら国体をめぐって尊皇か攘夷かのまわりで空転していたけど、現実には、一方的におしまくられて連日空襲だし、広島や長崎の新型爆弾に仰天していたから、いまさら攘夷論なんか通用するわけがありません。また、下の方ではアメリカ軍が上陸すれば、男は断種されるし女は娼婦にされるという噂におびえていたし、軍隊や軍需会社が保有していた食料や物資の略奪やヤミ売りなどでテンヤワンヤでした。おそらく、日本軍が外地でやったのと同じことを米兵もやるに相違ない、と考えておびえたのでしょう。

松崎 しかし、当時一番無力化したのは文部省の上層部じゃありませんか。自分たちが旗ふり役をやってきた皇民教育が、アメリカ流の教育のやり方に最も敵対すると、一番よく知っていたのは、他ならぬ文部官僚だったはずです。

早川 しかし、役人というのは自分の実力で権力をふりまわすのではなく、徹頭徹尾虎の威を借りた狐ですよ。それまでは、軍隊や国家主義者の力を背景に皇国教育の血道をあげていたにしろ、次の御主人がアメリカさんになるとなれば、そちらに尻尾を振ります。その変り身の早さは実にみごとであり、子供たちに修身を押しつけて、忠義だてをお説教することに窮々としていた連中が、自ら率先して忠義なんてものがいかに空虚であるかを身をもって示した。文部省なんて名前をやめて宙返り省とでも改名した方がいいようなものです。

藤原 早川さんが黒船到来の時と同じだ、と指摘したけど、神奈川村と同じように横浜が占領行政の拠点だったわけで、厚木に到着したマッカーサーも横浜に陣取ったはずですね。

早川 アメリカ側もうっかり東京へ踏みこんでは危いと感じていたし、日本の上層部も、占領軍はできるだけ多摩川の南に陣取らせ、東京には近づかせないように工夫しようとおもっていた。そこで外務省の元気のいい役人を結集して、鈴木九万局長の下に終戦連絡事務局を発足させ、政府と進駐軍の交渉のために横浜に終連事務局を開きました。いうならば、多摩川が日本にとっての防疫線でして、明治時代の保安条例の時と同じことをやったんですな。私は外務省から出向を命ぜられて、この横浜の事務局の連絡官をやりましたが、事務的な交渉はアイケルバーガー中将が司令官である第8軍が相手でした。その後、旧日本軍の叛乱もないと分って、占領軍司令部は東京の皇居前に移ったが、民政局を牛耳っていたのがニューディーラーと呼ばれる赤いユダヤ人たちでした。だから、国体の本義で凝り固っていると見られた文部官僚はいい攻撃目標で、随分呼び出されていじめられたらしいですな。

松崎 修身の本なんかは真黒に墨を塗られて使いものにならなくなったけれど、戦後の教育界にとって画期的なできごとのひとつは、古い明治型の教育制度に代って、アメリカ流の6334制の新制度の導入でしょう。もちろん、教育内容にも変更があったが、旧制の中学校が高校になったことや、旧制高校や専門学校が大学の教養学部になったことによって、形式としてはコミュニティ・カレッジ的なアメリカ式大学の大衆化が実現しました。

早川 お蔭で日本中に駅弁大学ができて、誰でもがカネと時間さえ使えば大学生になれる時代が始まりました。誰でもが大学生になるのは構わないが、日本的な情実関係と甘え主義で、勉強もろくにしないし、やる能力を持ち合せていない若者が、大学を形式的に卒業したことになって、これが大学を卒業した者が手に入れる学士様の価値を暴落させる結果を生んだのは困ったことですよ。

藤原 それよりも、小学校、中学校、高校といったものが、それぞれ自己完結的な役割を持っていたのに、それが縦型の階段みたいなものになってしまい、一番上まで登りつめるための単なる過程になったことが問題じゃないですか。小学校は中学の予備校、中学は高校へ入るための手段、高校は大学入試のための受験校になったでしょう。

松崎 しかも、大学自体が一流と称される会社や官庁に入るための、単なる予備校になってしまい、学生は優の数を揃えるために成績のことばかりを考え、学問をしたり自分の人格を高めることを軽視しています。いうならば、卒業証書を手に入れるために大学に行くことが普通になり一体何のために大学へ行くのか、という最も大切なことが見失われてしまいましたね。

藤原 戦後の民主教育は、早川説のようにマッカーサー司令部のニューディーラーが日本に移植したものでしょう。確かにデモクラシーの苗木自体は素晴らしかったのだろうが、日本には個人主義のベースや自由への力強い意志を主張する土壌も基盤もない。だから、日本文化という全体主義的な土壌のために、苗木は20年経っても自立した木に成長できず、ここにきて青枯れ現象を呈している、とおもいます。日本では民主主義が熟し切った上で腐り落ちたのではなくて、熟すところまで行かないうちに根が腐って立ち枯れしだした感じがするんですよ。

早川 ドイツも日本と同じ敗戦国だけど、無条件降伏はしたものの、それは国防軍とベルリン政府が約束したことである。教育に関しては各州がそれぞれの伝統に従って行っているのであり、外国の干渉は受けないといって、米国流のやり方を拒絶している。これは実に立派であり、あの頑固者のドイツ人だからやり得たにしても、論理学をマスターした国民は筋を一本通す点で見上げたものです。ヒトラー時代のドイツはナチスの全体主義で中央集権的だったが、教育に関しては州ごとに運営する伝統があったので、これだけ強い立場で発言し得たのだし、またやったわけです。それに較べると日本の文部省などはコッパ役人根性丸出しで、下に向っては威張り返るものの、上に向っては土下座専門でして、新しい御主人のいうなりになった。

松崎 寄らば大樹の蔭なのか、長いものには巻かれろ主義なのかは知らないが、主体性と確信がないのです。自分の努力で手に入れたのではなくて、タナボタで権力を持った者に共通の現象です。

早川 それは教師の側にもいえることで、それまで教育界を支配してふんぞり返っていた文部省が、司令部の力で権力をもぎ取られたので日教組が大変強くなった。そして教員会議で校長辞職勧告決議なんかが出るほど、勢いが盛んだったが、これも自力で教育の民主化を本当に実現した結果ではなかったので、本物とはいえませんでした。なにしろ、朝鮮戦争が起きて米軍がダンケルクの二の舞をやりかける前に、アメリカの日本民主化路線は大方向転換をして、ニューディーラーが司令部から追放されてしまうと、それに代って、ウイロビ将軍の国家主義路線が登場してきて、文部官僚が息を吹きかえすことになる。そして、次々と復権のための手を打って、日教組の切り崩し工作をやる。だから、戦後30年の経過の中で、教員会議はやがてお追従コンクールになってしまって、現在のような文部省の君臨が確立するに至るんだが、それはずっとあとのことです。

松崎 昭和の20年代というのは、文部省もそれほど露骨な干渉をしなかったし、国民の中にも民主主義への期待と信頼が強かったので、現場の教師も自信を持って民主教育にはげんでいました。そのひとつは、自分たちが軍国主義的な皇国教育をやったことによって、多くの教え子を戦場に送ってしまった事実への反省の気持が、教師の心を強く占めていたせいです。反戦というよりは、むしろ教師としての良心がそういった気持にさせたのでしょう。

藤原 教育は教師と学生の間で、魂と情熱のぶつけ合いを通じて行われるものであり、国家や宗教という権力からの指令や介入から独立したものです。その意味で、たとえ束の間だったとはいえ、この時初めて、戦後の日本の教育が生き生きとして、教師たちが自分の眼で教育の原点を見つけたんじゃないですか。ぼくは戦時中だった4ヵ月間を除くと、小学校も中学校も戦後教育をそのまま体験したんだけど、敗戦直後の数年間というのは、教師が大変張り切っていて、授業にもとても情熱がこもっていた、とおもうんです。ぼくが通った塾はソロバン塾だけでしたが、学校が終ったあと、級友の家庭をまわり持ちで勉強会もやったし、そこを担任の先生が家庭訪問をかねてやってくる、という具合でした。

早川 雰囲気としてはロシアのナロードニキみたいなものがあって、とくに若い先生になればなるほど、体を使って生徒たちの中に入れば、それで教育者としての使命の大半は果した、と間違っておもいこむ人が戦後激増しました。幼稚園や小学校なら生徒といっしょにいろいろやるのも結構だが、少なくとも、中学生以上を教える先生には、学問をする風格と教えることを通じて学ぶ気迫みたいなものが必要です。そういった感じがあたりににじみ出している感じの教師が、戦後になって非常に少なくなってしまった。

藤原 やたらに物分りがよくなったけど、背骨がなくなったという感じでしょう。いうならば、教師はもちろんのこと、学生の社会的な性格が他人指向型になってしまったんです。

松崎 リースマンの説に従うなら、尊敬される人間よりも愛される人間になることの方が重要だ、と考える社会になったせいです。人間関係がすべてに優先するような社会では、人気とか集団への適応が重要な問題だし、戦後の初等教育の世界は徹底した平等主義に支配されているから、どうしても仲間はずれになったりし得ない、羊のような順応型の人間を多量に生み出してしまうんですな。その辺に民主主義の強さと弱さが共存するわけです。

藤原 個人主義のベースを抜きにしたまま、悪平等を民主主義と取り違えるから、社会化された形での個性の価値を評価できなくなるのです。民主主義を平等主義だと決めつけて、国粋主義者たちが民主主義の悪口をいうけれど、民主的というのは、その中に競争という人間的な属性を内包しているのです。なぜなら、自分を他人と区別するところに民主主義の始まりがあるのだし、それを意識して自分の生き方を通じて証明することにより、生の充足を確認するからです。

早川 ちょっと議論が理屈っぽくなってしまったが、要するに、サラリーマンや役人向きの人間がやけに増えている、ということです。学歴はやけに高いが教養が丸でなく、しかも、器量が狭い上に忍耐力に欠けた若者が多いのは、戦後の日本の教育界の生んだ最大の欠陥ですな。しかし、私にいわせるなら、これは自由競争の不足と過保護による甘やかしのせいであり、国家主義者が悪のりするような民主主義の欠陥ではないのです。

松崎 それに自主独立というか、独立不羈精神の不足もあるんじゃないですか。


大学以上のプロ教育

早川 教育の基本は、個人としでの自覚と責任を持って生きる社会人を作ることです。それは福沢諭吉の『学問のすすめ』にもはっきり書いてあって、難かしい本を読んだりたくさんの漢字を憶えるのが能ではなく、実用的な学問をするのが文明への道だ、といっています。実用といっても、別に今日習ったものが明日すぐ飯のたねになる、という意味ではなく、見栄や体裁のためのものではない、ということでしょうな。実学とは本当の学問のことであって、技術を指しているわけじゃありません。

藤原 ロジックにもとづいた科学的な知識と、根本的なものの考え方を養うことによって、教養を持った人間になることです。さらに修業することによって、想像力を磨きあげて直観力を高め、判断力と評価能力が結合した見識を備えたあとで、最終的には自信と勇気で固めて胆識にまで持っていくのです。

松崎 科学的なアプローチがすべての始まりにあって、その上にテクノロジーが花咲くのでして、導入したテクノロジーで世界の一流に迫ったからといって、科学で一流になったわけではありません。

藤原 ここで使っている科学の意味はフィロソフィであって、考え方というか思想のことです。簡単な割り切り方をすれば、科学はソフトウェアのことであり、テクノロジーはハードウェアです。機能のベースとしてソフトが活用されて、思想が生産的になるわけです。

松崎 日本は学歴社会だといわれているが、どこの大学を卒業したというのは、ハードウェアとしての大学のことであって、その中味についてはあまり問題にしませんね。どういうやり方で誰を教師にして何を学んだかについて調べたり、その学び方が果して本物だったかについて評価するのは大変難しいが、本当はそこまで掘り下げない限り、一体大学でどんな学問をやったかは分らないでしょうな。

早川 大学のゼミナールのさらにその上をいくような学問だけが真に価値があるのでしょう。ただし、学位を目ざした学業ではなくて、実際の実力を身につける学問のことだけど、果してそういったものが簡単にみつかるかどうかは疑問でしょう。もっとも存在していなかったら、自分でそういうものを組織するだけのことであり、本来大学教師というのはその専門家のはずです。

藤原 ノートを読み上げるのではなくて、準備したテーマと材料を学生と一緒に考えながら料理し、仕上げていくのが大学の水準での講義じゃなくてはいけないですよ。ぼくが昔取った禅思想史の講義なんか、教授が授業時間中、「分らない。どう考えても自分には納得がいかないが、諸君の中に何かいい解決案を考え出した人はいないか」と連発していました。「これを知らざるを知らずとせよ。これ知れるたり」という孔子のことばからすると、あの教師は大した人だったんだな、という印象が強くなる一方ですよ。

早川 昔のドイツの大学では、教授が自分で講座を開いており、どこの大学生でも授業料を払えば学期単位で聴講できたので、優れた先生の所には学生が大量に押しかけたし、評判の悪い先生の所はカンコ鳥が鳴いて、フリーエンタプライズ制が生きていました。北米の大学にも多少そんな気分が残っていて、大学に入るよりも講座をとるといった感じがしますな。

松崎 スエーデンのウプサラ大学は北欧最古の大学で、最初は神学で始まって次に医学が加わりました。続いて農業と工学といった具合に実務の分野ができて、大学自体が地方のニーズを反映しています。その基本精神は、研究と教育だけでなく、地域社会への貢献です。産学協同を悪くいう人が多いが、カネで大学を操作するのでなければ協同は必要なことです。

藤原 ところが最近になればなるほど、大学で学ぶ内容と社会の最先端での新知識や新技術の間の肉ばなれ現象が激しくて、ぼくが専門にしている石油開発分野になると、大学で習った知識の半分は卒業後3年くらいで陳腐化してしまうんです。新しい知識と最新技術の発達が目ざましいので、ボヤボヤしていると日進月歩する最先端の動きから取り残されてしまう。それにこの最先端の科学や技術を開発しているのが、石油開発のような分野ではアカデミーではなくて石油業界でして、アカデミーに陣取る人は知識をアップデートするのに大わらわだけれど、常に時代遅れであり続けるわけです。

松崎 その傾向は実務的な仕事や応用技術を主体にしている分野でとくに顕著で、一番それが激しいのは工学関係です。しかも、ビッグサイエンスとビッグテクノロジーが関係しているので、余程努力をして絶えずアップデートしないと、とてもついて行けないだけでなく、後続の人を指導することもできなくなります。十年一日のごとく同じノートを読んでいる大学教授じゃ困るし、どんな分野でもそんなやり方は本当は通用しないはずですよ。

藤原 昔は狭い専門分野にとじこもっていても何とかなったが、今の学問は新しい境界領域に挑んでどんどん学際化している。工学だって昔はエンジニアリングが中心だったが、今はテクノロジーです。しかも、社会工学とか宇宙工学という具合に場が拡大したし、分子工学や組織工学のように次元を越えた方向で発展しているので、古いタイプの大学や講座制度では扱いきれなくなっています。

早川 アメリカでは、大学の他に事業としてのゼミナール業が成立していますね。雑誌の広告などで見ると、授業料も高いが大いに繁盛している感じですな。

松崎 日本でもそうだが、大きな企業になると社内に研修施設を常設していて、世界的なスケールで実用学問の競争時代が始まっています。しかし、社内施設となるとどうしても限定的で閉鎖性が出てくるので、いろんな講師陣を擁した巡回大学としてゼミナール事業が活躍するのです。

藤原 ゼミナールは大体1週間くらいの日程で、授業料は600ドルから1000ドル程度です。アメリカの各都市5ヵ所くらいの巡回スケジュールができていて、ホテルに陣取ってやる。ホテル代や旅費を入れるとかなりの出費だけど、そうやってスタッフを再教育し続けない限り、人材としてのポテンシャルが低下して企業にとっての損失と結びつくんです。

松崎 だから、企業のトップマネージメントを短期間キャンパスに集めて、経営学に関してのトレーニングをしたのがビジネススクールであり、あれは元来講義ではなくて演習に相当しています、もっとも、ビジネススクールのほとんどは大会社の中堅幹部や政府の役人といった、官僚タイプの人材をトレーニングし直す感じで、ビッグビジネス向きになっています。大学の施設を使っているけれど、これから社会に出ようとする学生を対象としているのではなくて、この種の特殊ゼミナールは、社会で活躍している人材の再教育を担当している点で、独得な雰囲気を持っています。

藤原 プロフェショナル集団の研習の場だから、幼稚園的な大学一般とは本質的に違っています。とくに、医者、弁護士、公認会計士、技術者、それにぼくのような地質学者というのはプロフェショナルでして、職業的な倫理規定と、パーフォーメンス維持のために、絶えず研習を継続し続ける義務があります。だから、ゼミナール自体が大学制度の枠の中におさまらないで、真剣勝負の場として運営されるのであり、卒業証書も修了証明書もいらず、実力だけが問題になるんです。

早川 ゼミナールの事業化はアメリカに特有な傾向で、ヨーロッパにはあまりないようですな。

藤原 ヨーロッパの場合は、産業社会がアメリカのようにプロフェショナルを中心に組み上っていないので、伝統的なプロの職業自体が個人対個人の関係で成り立っている。だから、どこの大学で何を専門に学んだということだけで十分であり、日本と同じように伝統指向型なんです。ところが、アメリカのプロは不特定多数の顧客を相手に、自分と同じようなプロと競争しながら仕事をやるというパターンを持っていて、出身校や所属会社で勝負するのではなくて自分のパーフォーメンスで仕事をやるんです。

松崎 実力がなければいいお客はこないし仕事もない。だから、逆にいえば、実力のある人がコンサルタント業としてやっていけるのです。

早川 戦国時代と同じで、実力があるとなると国籍や出身校に関係なく、どこにでも仕事がある。これからの人材は、そういったタイプの普遍的な価値を持つ、実力で勝負のできる人間のことでしょう。

藤原 実力競争というのはアメリカ的な民主主義思想をベースにしているんです。まず、自分のことは自分でやるという独立不羈の精神があります。次に、異った価値観や利害を代表する他のプロフェショナルと競争しなければならないが、競争する上での平等な機会が自分にも相手にもあり、しかも、ルールは公正なものとしてそれを守らなければいけないし、差が出てくるのは実力と意欲だ、ということです。この点では、職業自体がスポーッマンシップを基本にしたゲームと同じなんです。要するに、ルールの中で己れのことは己れの実力でやる、という騎士道精神みたいなものがあるのです。

早川 そこに封建的な身分意識がなくて、実力本位の生き方がある点が、ヨーロッパ流の騎士道精神や日本の武士道精神とも違ったものがあって、これこそアメリカ流の民主主義精神の神髄でしょうな。トクヴィルが『アメリカにおける民主主義』という本の中で論じていることがそれで、過去や伝統にもたれかからずに、自分の実力だけで人生を切り開いていく個人が、自由の尊さを地方自治で体験し、多数決の横暴を共和国のルールで調整するところに、アメリカ流のデモクラシーのよさが生かされる、ということです。こういった眼で眺めるなら、文部省というのは封建主義の砦であり、民主社会に不必要な存在として、行政改革の対象として筆頭にきていいものです。北米には文部省に相当する役所はありませんぜ。州や市町村にある教育庁はサービスのためのアドミニストレーションであり、軍隊でいえば陸軍省と同じでして、参謀本部的な仕事をする権限は与えられていません。ところが、日本の文部省は陸軍省と同格であるはずだのに、参謀本部も兼任してるんです。

藤原 教科書の実質的な国定化などを見れば分るけど、憲兵隊と特高警察も兼ねているから恐しい。


画一化した日本の大学

松崎 大学は教育システムの枠の中にあるものとして高等教育を担当しているが、さらに、その上を行くものとして、プロフェショナルの研修機関としてゼミナール形式のものがあり、時代の最先端を行くが故に、まだエスタブリッシュメント化していないことが分りました。この問題は今後の産業社会の発展の方向と結びついているし、既存の教育制度をそれといかに調和させていくかにも関係しています。そこで、次に現在の社会が最高学府として認めているところの大学の問題について考えたいとおもいます。まず第一に、大学とは何であるか、という点についてどうですか。

早川 大学は単に大きい学校ということではなく、学問所として一番齢をとった人間が集まるところであり、一応は、読み書きの訓練をする小中学校や、ものを考える習慣を身につける高等学校の次に行く教育施設です。だから、教える人間と学ぶ人間の共同社会ですよ。

松崎 それに研究する人間もいますな。

早川 大体、ユニバシティはウニベルシタス・マギストロルム・エト・スコラレウムです。ウニベルシタスとは総合体のことだから、ひとつの寄り合い世帯と見ていいし、マギステルも知っていることを教える人ということで、別にスコラーよりも偉いという意味ではないはずです。そのことを知っているから伝授する、ということなんですな。

藤原 語源的にいっても、学際的なものがユニバシティに当るのであり、学問的な素養としての幅広い教養をマスターする場所なんです。だから、フランスでは高校卒業資格試験に通れば誰でも大学生として登録できます。しかし、学生の過半数はドロップアウトします。

早川 日本でも誰でも学生としてうけいれるが、卒業を簡単にできないようにすれば、学生も勉強するようになるでしょう。昔は日本でも入学式よりも卒業式の方を重視したようにおもいますが、この頃はどういうわけか大学でさえ入学式が大行事になっていて、しかも母親が主役なんだそうですな。

松崎 卒業することによって初めて大人として扱うのがアメリカのやり方で、それは高校も大学も卒業式の格としては同じです。

早川 あの雰囲気を私は好きですな。生徒はガウンを身にまとって緊張しているし、先生もガウンにスカラー帽をかむって楽しい観ものです。もちろん、ガールフレンドやボーイフレンドもたくさんくるが、アメリカの卒業式の主役は先輩達でして、これから仲間としていっしょにやろう、ということなんです。

松崎 日本の大学の入学式は、乳離れして家庭から独立した個人になるのだ、という意味で、母親の付き添い禁止の高札を立てた方がいいです。そうしないとフクちゃんのマンガと同じで、子供が角帽をかむっただけのものになってしまいます。

早川 それに、日本人は大学を最高学府といって権威の象徴にしてしまうために、大学が社会に向って門を開かずに象牙の塔化するのを放置しがちです。一時期だったが、産学協同としきりにいわれて、大学と産業界の協力関係について賑やかな議論がまき起ったが、大学と社会との間に自由な交流が必要であるとともに、社会と大学はお互いに監視し合うことも大切です。大学内部の人間関係が情実と結びついてしまい、勉強しない学生を落第させないで単位を与えたり、卒業させてしまう、というのは言語道断です。

松崎 日本はウェットな社会だから、どうしても情実と実力の差がはっきりしなくなる。本当はもっとドライに割り切って、ダメな学生は切り捨てたらいいのだが、そうなると今度はウラミやツラミが出てしまう。選挙のやり方を見ても、権利と義務の関係が不明瞭になっているのが明白で、日本文化と結びついた日本人のメンタリティが改まらない限り、大学も実力本位の修業の場であるよりは、青年期の若者が一日を過す場所として、家庭の延長として保育園化するのは防ぎようがないとおもいます。

藤原 その根本には、何のためにわざわざ大学に行くのかとか、自分の人生にとってどこの先生に教えを乞うことが最も意義があるのか、といったことが進学指導から脱落したままだからです。そのひとつは高校の教師の勉強不足であり、どんな分野では誰が実力を持っているか、知っている先生がほとんどいなくて、東大や京大に合格させればそれでいい、と安易に考えているんです。ところが、本当に実力を持った先生が旧帝大に集まっているわけではなく、ただ名声と権威が吹き溜っているにすぎないのかも知れない。

早川 それは戦後の日本の大学が、画一化してしまったところに問題がある。官立私立を問わず、大学がすべて東大や京大のレプリカになってしまったが故に、東大がピラミッドの頂点のような誤解がまかり通ってしまった。昔は各地に特色を誇る高商や高工といった専門学校があって、実力本位の学生を養成していました。たとえば、対米貿易の勉強をしようと考える学生は横浜高商を選んだし、中国との貿易に将来を賭けようと考える学生は、中国語が第二外国語の山口高商へ行ったものです。

松崎 東京と神戸の高商のビリでも、実力と教養の点で、東京や京都の帝大の中以下の成績の卒業生よりもはるかに上だという評価は、実業界では定着していました。それは一高や三高の卒業生なら誰でも東大や京大に入学できたからだし、高商のリベラリズムの伝統が実業界を目ざす優秀な学生をひきつけたからです。

早川 しかし、日本最高のエリート校といえば、何といっても陸士と海兵でして、その上、東京の高等師範もあって、今のように奇妙なピラミッド型ではなかった。それに冶金をやろうと考える学生はためらわずに東北大学を志望して、東大なぞ眼中にありませんでした。

藤原 地方ですでに名望を築きあげていた地主や旧家の息子たちは、むしろ都会に出て悪に染るよりは教養人としてのベースを築くために、師範学校なんかを選ばされていますね。これは跡取り息子が小役人になるのは笑止千万だし、軍人になると家業がおろそかになるせいでしょう。

松崎 それに地主や旧家には、他人に雇われて月給を稼ぐサラリーマン的生活を蔑視する気風があった。また、文士や政治家などはまともな人間が従事する仕事ではない、という空気も強くて、堅実で地方で尊敬される教師への道を選んだ。

早川 日本人の発想は多様性よりもピラミッド的な単一構造を好み、アルプス型のピークがいくつもある山脈よりも、富士山のような独立峰の方が美意識と合致するのです。そこで東大を頂点にしたピラミッドを作り、ヘンサチなんかを尺度にして東大が大将で京大が中将なんてことを考える。

松崎 しかし、大学を兵隊の位で見たてるやり方は、どう考えてもおかしいですよ。

早川 今のところは耳におかしく感じられても、日本人のことだからきっとそういった方向で全体がおさまりますよ。実際問題として機能本位の会社がそうなっていて、社長が大将で会長が元帥になり、大卒の新入杜員が幹部候補生の見習い士官で、高卒は伍長勤務といった具合の格付けになってます。こんなことをいうと悪ふざけとおもうかもしれないが、これが日本の社会の実体であり、山下清は日本精神の本質をズバリと兵隊の位ということばで表わしたのです。

松崎 日本人の発想の特徴はウチとソトに識別して、差別を通じて自分の位置づけを確認するところにありますからね。

早川 戦前奉職していた外務省では、食堂や便所は高等官用として一般職員のものとは別になっていました。しかも、構内には霞が関クラブという高等官用クラブと、その他に、霞クラブという判任官以下のクラブもあったが、今はどうでしょうかな。

藤原 社会に階層別の秩序があるのは英国の影響でしょう。しかし、大学の自治を確立した形で植民地の統治者としての人材育成大学として、ケンブリッジやオックスフォードが手本としてあったのに、日本はこれを手本にして大学作りをしなかったですね。

早川 あの2つの大学は同じ役人を育てるといっても、本質的には支配者を育成するのを目標としていて、ジェントリー以上の人間が学ぶ貴族の学校です。それに対して、日本の帝大はコッパ役人養成所であって、支配者の手足となって働く実務官僚を作ればいいので、大した教養もエチケットもいらないのです。役人になるには専門知識なんていらなくて、法学部で学ぶ程度の教養に毛の生えたものでも専門知識として通用するのが役人の世界です。そういう意味では、東大とケンブリッジは初めから大学としての在り方が違っています。

松崎 確かに、教養豊かなエリートはケンブリッジ大が得意にして養成してきたが、ちょっと特権的にすぎますね。

早川 だけどバランスを取るために、ケンブリッジとオックスフォードを併立して競争させている。その他に一般向きの大学としてはロンドン大学やマンチェスター大学を初め、いい大学はいろいろあります。

藤原 それでも、古いタイプの大学では新しい時代の要請にこたえられないということで、ニュー・ユニバシティという学際的な実験大学を7校も作った。サセックス大やエセックス大などは、カレッジ・スタイルのケンブリッジやオックスフォードの行き方に対しての、ひとつの挑戦じゃないですか。

早川 ベルリン自由大学もその口で、新しいタイプの大学です。いつまでも古い伝統の中に安住したまま新しい時代の動きに対応しないなら、大学は時代遅れになってしまうばかりで、あれはベルリン大への反発ですよ。


大学の国際化

松崎 戦後になって何100という新制大学ができて、日本の大学数はヨーロッパ全体よりも数が多い、といわれています。そうなると、学生数だけでなく教授や助教授の数も激増したわけで、大学よりも幼稚園で教えた方がいいといえるような教官も目につきます。しかも、各大学が閉鎖システムの中で一般性に欠けた絶対評価みたいなものを墨守しているし、学生には教師を選ぶ自由も与えられていないので、お粗末な教官だと最初の授業で分っても、1年間つき合わなければなりません。この辺にも問題があります。

早川 日本の大学でも最近は欧米式のシステムを採り入れて、単位の交換性を認め始めたらしいです。これがどんどん一般化して、たとえば文科系の学生の場合なんかは、キリスト教原理は青山学院でやり、比較宗教学は東大で受講し、哲学史は花園大学の先生から教わるといった具合にやらないと、本物の学問はできないでしょうな。

松崎 ヨーロッパでは国境を越えた形ででも単位の交換を認め合っています。

藤原 アメリカじゃあ語学の単位に関しては、ハイスクールでもよその国の単位を認定していますよ。フランス語の単位は米国内の単位よりも本場のフランスやベルギーで取ったものの方がいいのは分り切ってますから……。

早川 日本の大学生だって、北京大学で中国の古典を勉強し、復旦大学で中国共産党史の単位をとるような時代がくれば、世界の一流として通用する人材にいくらでも育ちます。

松崎 文部省あたりが熱を入れてやるべき仕事は、学生や教師の国際交流のお膳立てであって、変な権力支配じゃないとおもいますな。

早川 私が目下の所学生だからいうんではないが、学問の主体は学生であり、教授が学長や学部長を頭にしたハイエラルキーの世界に自分が属しているとおもったら、その人はすでに教授としての資格はないも同然です。私にいわせれば、教授は学問における道具みたいなものであり、教授機関説を訴えたいですよ。

藤原 水は高きより低きに流れ、流れる水は腐らない、ということからすると、大学は開放的になればなるほどいい結果をもたらすでしょうね。公開講座だけでもいいはずです。

早川 卒業するとトレードマンになれる職業学校もいろいろあって、日本では大企業が経営しているケースが多い。ああいったものをもっと開放して、地域の青年たちも仲間に加えていくようになれば、日本の企業もコミュニティとの連帯感が強まるし、仕事と勉強の両方が同時にやれることになります。昔は夜学といって昼間仕事を持っている人が夜の時間を使って勉強したものですが、この夜学を活用して一般の人がもっと気軽に勉強することも有意義ですよ。

松崎 夜間部は昼間部に合格できなかった人の行く所だ、という差別が日本ではまかり通っているが、同じ名前の学校だのに単位の相互認定が行われない、というのは実に奇妙です。たとえ私学だって、補助金をもらっていれば税金を使っているのだから、施設を納税者に開放するのは義務です。官立なら当然のことで夜学をやって学校を市民に解放すべきじゃないですか。

早川 東大なんか第2学部という形で夜間部を開設すれば、何でもかんでも東大生になりたいという偏執病の解消に役立つはずです。昼間やっても夜やっても学問は常に学問として変りないし、法学部の授業なんか一番やり易いはずです。国家の教育予算の1割近くを毎年使っているんだし、それが税金である以上は、もっと市民サービスに徹する必要があるんじゃありませんか。少なくとも施設をもっと効果的に利用することを考えるべきです。都心の一等地に陣取っているんですからね。

藤原 施設の半分は共有校舎という形にして、昼間は東大が使うが夜はどこかの私立大学が使うというやり方も可能じゃないですか。それとも、国連大学の施設として夜使うというのもアイディアですよ。

松崎 なにも夜に限らなくたって、20階建てくらいのビルをひとつ造築して、そこを国連大学にしたらいいだけの話です。本郷には潰してもいいような古い校舎はいくつもあるのだから、わざわざ狭い都心の土地捜しをして青山車庫の跡地に新しい国連大学を新設しなくても、活用していない東大の構内を使ったらいい。別に東大じゃなくたっていいのであり、お茶の水でも一橋の構内でも構わないが、本郷が一番広いんじゃないですか。

早川 それに国際色が豊かになって、いろいろなメリットが出てくるかもしれませんな。

藤原 閉鎖的な日本の大学の中に外国系の大学を呼びこんで、体質だけでなく精神まで改善するのは、今後における重要なテーマです。姉妹都市のネットワークを活用して、その都市にある大学の単位を認定しあうのもいいし、大学同士でパートナーを見つけ合って、学生や教官を交換するやり方も、もっと盛んになっていいはずです。

松崎 ミッション系の大学ではかなり行われていますが、それでも全体からすると微々たるものです。

早川 私は国立大学を県や地方都市に無償で払い下げて、国は大学の庇護者であることをやめるべきだとおもいます。それは税制を改めて財源を地方にもっとまかせることでいくらでもやれるし、第一、大学を国家管理で運営するのは後進国特有のパターンか、ソ連などのような全体主義国特有の現象です。教育は元来フリーエンタプライズで自由競争が必要ですよ。

松崎 しかし、ハードサイエンスやビッグサイエンスの場合、国家からの財政的な援助を期待しない限り難しい面もあります。もっとも、それはプロジェクトごとに援助してもらえばいいだけのことであって、ハーバードもプリンストンもそうやって原子力研究やサイクロトロンの建設もやったわけです。

早川 別に大学が国立である理由はまったくないのであり、国は外交と防衛と郵便事業に専念していればよくて、あとの農林だの通産だのを含めて細かいことは県や州にまかせればいいのです。現に、大学なんか私立や県立でやっているところはいくらでもあるのだから、わざわざ国がそんなことまで面倒を見る必要はない。無償払い下げなら汚職もそれほど酷くはないだろうから、どんどん国立大学を地方自治体にまかせたらいいし、私学から買いの声がかかったら、合併なり吸収なりもっと自由に考えるべきです。封建制の中で廃藩置県をやったことに較べたら至って簡単なことだし、明治の人間があれくらい勇断をやったのだから、昭和の人間が何も手をこまねいていることはありませんぜ。

藤原 同時に、日本人が日本列島の中にとどまって、その中でタコ壷的な教育に甘んじている必要もないはずです。戦前の日本人は海外留学しただけではなくて、ハルビン学院ではロシア語で授業をしたし、上海の東亜同文書院では中国語で日本人学生を教えたでしょう。だから、世界に日本の側から進出することを考えたらいい。アメリカには経営不振に陥って売りに出ている大学やカレッジはいくらでもあるのだから、それをテークオーバーするなりジョイントベンチャーで学校経営をやり、そこで1年なり2年なり、現地の住民の中で生活をしながら学生を教育する。本校と分校の融通性でも姉妹校でも構わないから、多国籍学校を育てることによって、これからの国際化時代のにない手としての人材を作る必要があります。韓国、インドネシア、米国、エジプト、トルコといった具合に、全世界にそういった拠点作りをするんです。それも何も新しい大学を創設する必要はなくて、現地ですでに運営されている私立大学の費用を半分負担して、学生の2割くらいのものを日本からの学生として認めてもらうように交渉すればいいのです。しかも、日本文化の講座も作って現地の青年たちの便宜をはかれば、文化における国際交流の基礎作りを果すことにもなりますよ。

早川 さしずめハワイやカリフォルニアあたりに、そういったカレッジを2つ3つ作るところから始めたらいいでしょう。そして、時間をかけて内容を充実させて、いいユニバシティにと育てていけば、優秀なアメリカ人の若者も志望するようになるし、国際大学として皆に喜ばれるだけでなく、日本人にとってのいい足場を作ったことにたるわけです。

松崎 しかし、そういった大胆で企業家精神を持った人が、教育者として日本には存在しないのが残念です。

藤原 今のところ存在しないからといって、将来そういう人が出現しない、とはいいきれませんよ。また、そういった方向での大学の国際化をはからない限り、これからの日本が必要とする柔軟な思考と大局的な視野を持った日本人は生れてきません。豆つぶのような大学がいくら数を増したところで、日本人好みの粟オコシはできても、国際舞台で個性的な活躍をやってのける逞しい人材は育たないんじゃないですか。それに、立派な日本人であったり模範会杜員である前に、よき個人であり得るような人間でない限り、人びとの信頼と尊敬をバックに国際社会で縦横に活躍できない以上、日本の大学を日本列島の枠の中だけで制度的にいじくりまわしても、大して意味がないとおもいますね。


海外教育事情視察団

松崎 一気に大胆な改革はやれないということで、日本でも大学や高校の代表者を世界各地に派遣して、各国の教育制度が実際にどのように運営されているかを視察したり、有識者との話し合いを繰り返しています。早川さんの場合は、教育庁から頼まれて、西部カナダにやってくる日本の教育視察団の世話をしてきたわけですが、過去5年間の体験を通じての感想はいかがですか。

早川 年を追って視察団の旅行の仕方が派手になり、金まわりの良さを印象づけられています。教頭クラスの人が多いので、余計かもしれないが旅費の出所を訊ねてみたら、文部省と県が補助金を出しているそうです。それで思い出すのですが、戦前の非常時と呼ばれていた時代に、全国の小中学校の幹部クラスの先生が、背のうを背負ったゲートル姿で、配属将校の引率により、団体で満州に視察に行ったものです。あの満州教育視察団の現代版が北米教育視察団なんでしょうな。一種の長年勤続慰労と日教組対策の謝恩をかねての大旅行であり、満州で皇国史観に磨きをかける代りに北米でデモクラシーの箔をつけ、バンフやナイヤガラの民情も視察してくる、という趣向で文部省も金を出す。

松崎 2週間以上の旅行になるでしょうな。

早川 3週間近いようです。帰りはハワイあたりにも立ち寄って、寒帯のカナダから熱帯のハワイまで入れて、地理の勉強や火山の研究まで片づけてしまうんです。

藤原 それでアルバータ州での視察団の行動はどんな具合にやるのですか。

早川 大体毎年似たようなスケジュールです。それで私が一番驚くのは挨拶が好きなことでして、小学校や中学校の授業参観が終ってから、送って校門まで出てくる校長先生の前で日本の先生は整列するんです。よく訓練できているとみえて団長が「校長先生に敬礼!!」と号令をかけると、いい年をした日本の先生たちが一斉に頭を下げます。それから、おもむろに、「早川先生、私のいうことの通訳をお願いします」というわけで、胸を張ってこういいます。「このたびは、私ども50名の日本北米教育視察団を御多忙中にもかかわらず、いちいち細かく御案内をいただき誠に感謝致しております。さて、われわれの使命は……」と、朝礼でもやっているように喋るのを団員の先生たちは直立不動で並んで聞いているのです。団員は40代から50代の人ですから、おそらく子供の時代にこうやって仕付けられたのが、そのまま身についたのだろうと、しみじみおもったものです。毎年こういう光景に接していると、日本は軍国主義の気が抜けていないなという印象を強めます。

松崎 中国からの視察団は人民服姿ですね。大学にもよく参観にきますが、整列をして右へならえはやりませんよ。

藤原 それで視察団員の先生たちのカナダの教育に対しての意見としては、どんなものがあるのですか。

早川 校庭が広くて、フットボール2面、野球2面、テニスコート6面くらいにフィールド・トラックを持っているくらいの中学や高校はカナダにはいくらでもあるけど、ほとんどは「この国は土地が広いからね」ということで済んでしまいます。最近の日本の子供はめったなことで驚かないそうですが、日本の先生も感動に乏しい、という感じがしますよ。

松崎 日本からアメリカに旅行した中学生の話ですが、ハンバーガーの看板を見て、「へえ、うちの近所のマクドナルドはアメリカにも支店を出しているとは知らなかったな……」といったそうですからね。

藤原 何でも自分を中心に置いて考えるという点では、コペルニクス以前の精神状態ですよ。すべてが天動説であり、日本のまわりで世界が動いているとおもっているんです。

松崎「二人のために世界があるの」なんてまったくたわけた歌に、1億人が陶然としたお国柄ですから仕方がないですよ。

早川 それで理科室へ行くと、化学の実験器具やフラスコなどがあるんですが、日本の学校の方が最新型の顕微鏡は揃っているし、望遠鏡もたくさんある、というようなことをいってるんです。そして、結論として、設備としては日本の学校の方が立派で、わざわざ見学してもあまり参考になるものはない、といい出す始末です。

藤原 日本人お得意のハードウェア指向ですよ。教育の本質がさっぱり分っていない、ということです。

松崎 低級な軍事評論家と同じで、大砲の口径で戦闘力を計算したり、飛行機や、ミサイルの数を較べて一喜一憂するのと同じ現象です。

早川 カナダも昔は植民地だったから、無闇に巨大な停車場を作ったり、立派な校舎の大学を作ってコケオドカシをやった。フレーザー大学のように誰もが目を見張るほどの大講堂を建てた時代は昔の語り草であり、国として大学として自信を持つようになれば、誰も建物や設備を自慢するような発想を恥かしくおもうようになります。

藤原 学校がその最たるものであり、顕微鏡の数が多ければ科学者が輩出し、生徒に1台ずつオルガンが行き渡れば素晴らしい音楽教育ができる、とおもったら大間違いです。

早川 ハーバードの創始者が、「丸太棒のこちら側は私が坐り、あちら側には学生が坐り、私が全力をあげて教え、彼が全力をあげて学べば、それが大学だ」といったそうですが、私も同感ですな。教師と学生が全人格をぶつけ合って学び合うことが学問であり、建物や設備といった外見上のもので判断したら、肝心なものを見失ってしまいます。学問と学校は違うのであり、福沢諭吉は『学問のすすめ』を書いたのであって『学校のすすめ』などは問題にもしなかったはずです。

藤原 視察とか修学旅行は物見遊山の観光旅行ではないので、行ったからいい、というものではなく、本質的なものを見てくることに意義があるし、本質を見抜く眼を養うことです。文部省が補助金を出して外国の学校をいくつも訪問した結果、日本の学校の方が設備が良かった、と自己満足したんじゃどうしようもない。

松崎 むしろ、そこに文部省の狙いがあったりして、効果満点だった、ということになっているのかもしれませんな。

早川 顕微鏡が生徒に1台ずつあったり、屋上に大望遠鏡の仕掛けがあるのも結構だが、一番大切なのは心の中に、そういう物を見る仕掛けを作ることです。それが人間を作ることであり、心のレンズが曇っていては何も見えませんや。

松崎 心、心にあらざれば物見えず、ですよ。心眼を養うということですかね。

早川 私が小学校上級の時は国定教科書で国史を習いましたが、その中に仁徳天皇と民のカマドの話があって暗誦させられたものです。天皇がある日高殿に上って四方を望見したところ、村々にカマドの煙が立っているのが少ないので、凶作続きで飯もたけないのかと気の毒に思い、税金を3年分まけたという話です。カマドの煙から凶作を読み取る話を教えこまれたせいか、顕微鏡の台数で学校のよし悪しを読み取っていくとなると、これは大いに問題ですぜ。

松崎 当時の奴隷的農民が食うや食わずの生活をし、収穫した米のうちからどれだけ自分の消費用に取り得たか迄読みとるのが、本当の心眼じゃないですか。

早川 どうせ、尭か舜の美談の焼き直しでしょうな。「たかき屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎわいにけり」という歌が新古今にあって、それまで憶えさせられたものですよ。

藤原 ところが新古今より200年前に藤原時平が、「たかどのに 登りてみれば あめの下 四方にけぶりて 今ぞ富みぬる」と詠んでいて、仁徳天皇作といわれているのはその焼直しですよ。

松崎 今ならさしずめ盗作問題ですな。

早川 仁徳天皇の話で思い出したが、私は便宜上名前を呼ばれるとサムということにしています。こちらでは気やすくファースト・ネームで呼び合うから、松崎先生がヒロといい藤原さんがジムといっているのと同じで、口調のいい源氏名を使うんです。すると、どこかの教頭さんが「早川さんは聖という親からもらった立派な名があるのに、どうしてサムなんてガイジンに迎合した名前を使うのですか」と眉をしかめていうのです。だから「仁徳天皇や雄略天皇が珍とか賛という源氏名で歴史に登場するのと同じです」と教えてあげたのだが、ピンとこないらしく首をかしげていました。

藤原 それが日本史における常識だのに、そんな程度の教養も持ち合せない人が教頭になるとは恐れ入りますね。

早川 そういった具合に、自分の知らないことは存在せず、都合の悪いことは知らないでいいという態度はいかにも日本的であり、そういう人ほど文部省のお目がねにかなうのでしょうな。だから日本の教科書で、都合の悪いことはどんどん検定で抹殺し子供に知らさないでおこうと企むのです。


教科書の検定とロボット化

早川 日本人は潔癖症すぎるのか、思いこんだら命がけになってしまい、批判には耳をかさないだけでなく、批判を許さない純粋さと狭量さを持っています。とくにそれが酷いのが文部省の役人と国粋主義者であり、こと皇室の問題となると死にもの狂いになってしまい、天皇が人間味のある存在であることさえも懸命になって否定しようとします。日本書紀や万葉集を読めば明らかなことで、天皇だって恋もすれば暗殺もやったんでして、仁徳天皇や明治天皇の女性関係が多彩だったのは別に隠す必要もないのです。

松崎 むしろ英雄色を好むであって、恥しがらずに堂々と書いてしかるべきだのに、恐れおののいているのか誰も本当のことさえ書かないですね。

藤原 江戸時代は検定なんかなかったから『俳風末摘花』を始め川柳や狂歌には、色々な史実をブラック・ユーモアーで表現した傑作がたくさんありますよ。

早川 樽の中に寝起きして有名なギリシアの哲学者ディオゲネスがいくら哲学の説教をしても、誰も立ち止まって聞こうとしなかったので、奇声を発したら黒山の人だかりになった。そこで彼は「たわごとを聞くためには大急ぎで集るくせに、大事な話には無関心なのが人間だ」といったそうです。そして、彼の述懐に、「世の中で最も美しいものは言論の自由である」という発言があるが、日本で言論の自由を最も損っているのが文部省です。第一欧米の先進諸国には、教科書の検定なんてものはあるんですかね。

松崎 まったくありません。そんなことをやっているのは、後進国の証拠であって、宗教が政治を支配している中東や、中米あたりのバナナ共和国(バナナ共和国というのは、バナナの輸出で食っている中南米の国で、国としての体裁もないものをいう。ブベツ的な呼び名)、それに共産諸国くらいじゃないですか。

藤原 それに独裁国家があります。ぼくは戦前の日本は戦後になって朝鮮半島に生き残ったとおもっています。絶対的な天皇制は北朝鮮の金日成の神格化になり、憲兵と特高警察の上に成り立つ軍国主義は韓国で猛威をふるっていますよ。

松崎 そういえば、韓国では教科書は国定で政府が編集して印刷しています。しかも、日本がフランスから輸入して換骨奪胎した「朕は国家なり」的なビューロクラシーと同じものを作りあげています。ある意味では出藍の誉れであり、軍事教練までやってますよ。それに日本を上まわる入試地獄であり、どこへ行っても予備校や受験塾が繁盛しています。大変な中央集権国家であり、日本的な問題点が韓国ではさらに濃縮した型で現われてますな。

早川 あの一発勝負的な入試で一生が決ってしまうとなると、韓国の若者たちも気の毒ですな。入試だけでなく、大学教育自体が一種の洗脳的マニピュレーションとして作用し、それが軍事化すれば忠勇無双の殉国の防人となり、経済化すると残業を人生の張り合いに感じる産業戦士が生れるわけで、日本人がエコノミック・アニマルといわれたのは、いい反面教師になるとおもうんですがね。

藤原 民主主義というのは主権者が国民だということで、産業も行政も国家の主人公である国民のために行われるべきでしょう。それに、教育は主権者としての国民がその子弟を育てる制度として作っているものだし、政府の一部である教育システムの管理人は、国民の権利をスムーズに機能させるために奉仕する者に他ならない。だから、文部省が国民を無視して国家の名を使って勝手なことをするのは越権行為ですよ。

早川 明治から現在に至るまで共通した誤りが日本を支配していて、それは国家と政府を混同していることです。戦前の国家は天皇を中心にして成立していたが、それだって政府と同一ではない。まして、戦後の日本は民主国である以上、国民が国家の主人公であるからには、政府は使用人の組織にすぎないということを強く意識すべきです。そういう大原則をわきまえないで、文部省あたりが教科書を検定したりするのはとんでもないことです。

藤原 しかも、家永裁判のように思想弾圧までやるのだから始末におえない。このままだと戦前の国定教科書に逆もどりしかねないですね。

早川 アメリカやカナダには検定なんてものはないから、学校でイソップ物語をやろうとカチカチ山を教材に使おうと、それは現場の先生の判断にまかされています。カリキュラムは大綱だけで細目はないが故に、教師の責任は重いのです。自分が責任を持ってやるべき仕事を、現場を知らない中央の役人の指令に従って、指導要領のいう通りそれをやっていたのでは、それは教師ではなくてロボットです。教育こそロボット化と最もあいいれないものじゃありませんかね。

松崎 私の周辺の教師を見ても、検定がないが故にできるだけいいテキストを使おうと探しているし、評判が果してその通りかどうかを自分の目で確かめながら、教科書の出版業界に鋭い注意を払っています。もしこれが検定制になり、次に国定教科書なんてことになったら大変で、最大公約数を求めて満足すれば教育は死んでしまいます。指導要領による画一化がダメな人間を生むんです。

藤原 教科書は教育者の良心をべースにして市場原理の中で選択することによって、ベストセラー的なものではなくて、ロングセラーに相当するものが定着するし、教師も緊張してテキストの選択のために勉強せざるを得ないのじゃありませんか。

松崎 日本では検定の範囲内の競争だから、いきおい変な形の競争になってしまって、教官室にいろんなつけ届けが届いたりしてしまう。

早川 明治の何年だったか忘れましたが、国定教科書が始まったばかりの頃に、教科書大疑獄事件がありました。福沢諭吉が主張していた教科書自由論をおし潰して、それまで自由採用だった教科書の国家統制にのり出した途端にスキャンダルが起き、役人や政府を巻きこみました。今だって摘発されてスキャンダルとして騒ぎ立てられていないが、政党と教科書業者の間にはいろいろと腐れ縁があるんじゃないですか。

松崎 仮に検定が行われるにしろ、土地の学者や先生の間から検定委員を選出して、自主的にやればいいのであって、何も文部省が口をさしはさむ必要はないのです。また検定は目安にすぎず、たとえ非検定の本を教師が採用したって構わない。なにしろ、教師はその道のプロとして何が役に立つかは心得ているし、自分で選んだ教材を使うことによって、教育効果と責任感の両方を手に入れることになります。

藤原 海外に進出して事業をしている企業にしても、出先に自由裁量権を与えている所ほど、のびのびと持っている力を発揮しているし、現地のコミュニティにも評価されて成功の割合も高いです。すべてが日本からの指令に頼るような自主性に乏しい海外出張所長は、誰からも尊敬されないし自信も身につきません。ましてや、生徒に尊敬されて初めてまともな授業ができる教育者が教科書まで押しきせなら、これはもはや絶望ですよ。

早川 これからの日本人が世界を舞台に活躍していかなければならない以上、自主的にものごとを判断できる人間を育てる方向で、現在の教育路線を修正していく必要があります。そのためには、生徒の鏡である先生が自主性と責任感を持つ個人でなければならず、教科書などを通して教師の自主性を抑えつけようとする文部省の干渉主義を排除する必要があります。

藤原 要するに、教育は自学自修の最も必要な場だから、官僚による統制を排除するためにフリーエンタプライズの思想を導入して自由競争させれば、適者生存で自然陶汰されるとおもいます。とくに大学の場合は、自由競争が必要であり、ヘンサチなんていう変な格づけを拒絶することですよ。

松崎 すべての大学がデパートやスーパーマーケットのように総合化する必要はなくて、むしろ手づくりの人材を育てあげるような専門店化する傾向も、これからは強くなるでしよう。そして、そういったプロの道場で鍛えられた人材が個性的な日本人として、国際舞台で活躍するんでしょうな。

藤原 ぼくの友人で東大で哲学の勉強をしていたが、途中でやめて師を求めて京都の専修学院に移った人がいるけど、しょせんはデパート的な東大で宗教哲学など学べるわけがない、と悟ったのでしょうね。第一、教育はデパートにふさわしいものではないし、たとえ専門的であろうと売りものになる存在ではないです。

松崎 自然淘汰によって大学を整理するのは、グレーシャムの法則からいっても難しいでしょうな。授業料が安かったり簡単に卒業証書をくれる大学に向って学生が殺到すれば、たとえいい大学でも潰れるかもしれない。

早川 中途半端だと経費もかかってそうなるでしょうな。しかし、あえてその危険を犯しても自然淘汰は必要です。医科大学なんかどんどん格差をつければ、ある医大の卒業生には誰も患者が寄り つかなくなって、寄附金で医者を作ろうという変な医大は自然陶汰されていくんじゃないですか。

松崎 医者の場合は国家試験があって、いくら医大で単位を集めても、医者として開業できないという歯止めがあります。だけど、そうでない分野は粗製乱造の学卒の洪水になってしまいます。

早川 一定の資格がいるものは、建築士や医者を始め、看護婦、弁護士、教師、航海士といった人は、それこそ国家試験をやって免状を与えればいいでしょう。

藤原 あるいは、アカデミーとかプロフェショナルの組織が資格の認定試験をやったらいいです。受験者の1割だけを合格にするというやり方を採用すれば、相対的にも優秀な人材は選べるでしょうね。そういう制度を工夫するとしても、結局は、教育は自学自修である以上、国家試験や卒業証書で片がつくものではなくて、個人の実力とパーフォーメンス以外の何ものでもないということです。そういう意味では、己れを知ることに尽きるんじゃないですか。孫子は兵法家だったから軍事的な側面から「己れを知り敵を知れば、百戦危うからず」と表現したけれど、己れを知ることがすべての出発点であり帰着点になるんじゃありませんか。

早川 せんじつめれば、人間とは何か社会とはいかなるものか、という問題にたどりつくということです。


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