1 石油を武器にアラブの盟主を狙うサダム・フセイン



予断を許さない石油事情

 イラク陸軍によるクウェート占領は、油断していた全世界に大きな衝撃を与え、新しい石油パニックを発生させている。世界最大の石油先物市場であるニューヨークのマーカンタイル市場は、連日にわたり暴騰が続いており、指標の9月渡しのテキサス原油で見ると、底値を付けた7月9日の16ドル90セントに対して、8月6日には28ドル20セントを付け、1カ月で7割の暴騰を記録してなお続伸中だ。
 しかも、イラクが侵攻を開始した8月2日以降での値上がり分が、わずか4日間で全体の値上がり分の、なんと7割を占めたのだった。
 特に、資産凍結や石油禁輸(エンバルゴ)と並んで、イラクを無条件撤退させるための、トルコとサウジを経由するパイプラインを停めて、イラク産石油を市場から締め出す試みは、さらに大幅な価格の上昇を予想させ、経済に与える影響は予断を許せない。
 だから、石油が生産過剰気味であり、1日に約200万バレルの供給過剰と、世界平均100日分を上回る備蓄があって、いざとなればベネズエラとサウジだけで、日産200万バレルの生産余力があるという、ついこの間までの傾向に期待して楽観論に頼りたくなるのは人情だが、安易にそんな気分に支配されると危険である。
 なぜなら、イラクの行動は石油戦略の発動であり、1971年の第四次中東戦争の時や、1979年のイラン革命の余波による石油暴騰とは、状況の動機がまったく異なったものであり、はるかに厄介な性格だと言えるからである。


石油不足と価格構成の奇妙な関係

 過去の石油パニックの時と現在の大きな違いは、かつては価格は産地渡しの段階で決まったが、現在は消費地で受け取った時点の相場で決まり、先物市場の価格への依存が高く、石油の投機性がはるかに大きい点である。
 メージャーもこのメカニズムに組み込まれて、影響力の弾性値を低めてしまった結果、相場の威力ははるかに強くなっている。しかも、石油は産業社会の血液であり、わずかなバランスの乱れで循環が狂うと、貧血や狭心症どころかクモ膜下出血と同じことが起きて、経済破綻に結び付きかねない。
 その上、戦略商品としての石油には補給問題があるし、油田は戦禍に対して極めて脆弱だから、戦争状態の時は市場は狂乱状態になり、5パーセントの供給不足だけでも、価格は2倍にでも3倍にでもなるし、暴騰に続くその後の反落もあるから、経済は目茶苦茶に振り回されてしまう。
 多くの人は備蓄が大量にあれば安心だと考え、石油価格の暴騰が異常だと決め付けがちだが、備蓄はエネルギー源の予備としての意味が中心で、価格の上昇を抑えるという点では、心理的な間接効果の役割しか果たさない。備蓄を持っているのは政府などの公的機関だが、その放出価格は市場の相場であり、税金収入の増加だけでなく、値上がりによる備蓄売却益で消費国政府も恩恵を受けるし、オペックに加盟する産油国だけではなくて、二大産油国の米ソも共に価格上昇には本音として絶対反対ではないところに、日本人には本質がわかりにくい石油問題の難しさが潜んでいるのである。
 そういう石油市場の複雑さに加えて、今回のイラクの石油戦略の発動の背景には、サダム・フセインという強烈な個性を持つ独裁者の政治的意図が反映されており、その意図を正確に読むことが重要である。フセインはなぜクウェートに侵攻したのかという、彼の野望の根源をさぐってみよう。


パワー政治が生きている地域

 イラクがクウェートに主張していた国境線をめぐる長い紛争に加えて、最近になって突然、交渉のテーブルに持ち出されたクウェートの生産協定違反への抗議は、ダンチヒ回廊やズデーテンラント問題に似て、ヒトラー流の唐突な言い掛かりだとの印象を持つが、7月半ばの段階では、誰もその政治的狙いを読み抜けなかった。
 むしろ、アラブ世界で第一の債権国と債務国の交渉に過ぎず、140億ドルというイラクの石油収人の損失の問題として、フセイン大統領のクウェートへの非難が中心で、しかも間近に迫っているオペックの定期総会を前に、石油価格の値上げを狙ったイラクの政治的なジェスチャーとして、経済の問題に過ぎないと誰もが思い込んでいた。
 現に、イラクは手持ち外貨の不足に悩んでいたし、対イラン戦争の時に借りた戦費は9兆円もあり、そのうち4兆円はクウェートからの債務だった。
 だから、イラクの抗議の動機の背景には、借金の棒引きを狙った作戦があり、同時にオペック総会への牽制だと考えられたのは、ある意味で当然なものだった。しかし、それは政治を通商レベルで思考することに慣れてしまい19世紀的なパワー・ポリティックスの存在を忘れた、平和ボケした政治感覚の陥穽でもあった。
 中東や南米とかアフリカなどの地域には、いまだに古いタイプのパワー・ポリティックスを好む独裁者がいて、その代表がイラクの指導者だったのを忘れていたと、軍事行動が始まった後になって、人々はやっと気が付いたのである。
 一銭でも多い収入が欲しい債務国のイラクは、クウェートが生産協定を破った張本人であり、石油の国際価格低落を発生させている裏切り者だ、という怨念の気持を高めていた。BBC(英国放送協会)のバグダッドからの報道によると、イラクは他のアラブ諸国を守るために、借金までして血を流したのだから、人口の少ない金持ちのクウェートが、その犠牲の上に繁栄するのはけしからんという声が、イラク中に広まっているそうである。
 これは「持たざる国」が「持つ国」を非難する理論と共通であり、かつてこの理論をヒトラーが使ったが、「砂漠の反乱」にも指摘されているように、これはアラブ人によく見掛ける嫉妬だし、持てる者が施して当然のイスラムの世界では、それほど変わった心理現象ではないのである。


「敵対する人」が挑む「鉄と血」の石油戦略

 1968年のクーデターにより権力を掌握して浮上し、それ以来の四半世紀近くの歳月を、常に21人の同郷出身の親衛隊員に囲まれ、独裁者として君臨したサダム・フセインは、「鉄と血」を信奉する人として知られている。イラクでは子供でも彼をサダムと呼び、誰もフセインという苗字で呼ばないが、それはサダムが「敵対する人」を意味しており、挑戦と対決のイメージが強烈だからだ。
 実際に、クーデタ以後のバグダッドでは、公開処刑の首吊りが日常茶飯事だったし、その後もクルド人やイラン人を毒ガスで殺戮した事実は、サダム・フセインが敵だと決めた相手に対して、呵責ない弾圧を加える人間だったことを証明している。
 エジプトに留学して法律を学び、若き日にはナセルの信奉者だった彼は、シリアのバース党と骨肉の争いを展開したし、アラブの盟主になって覇を唱える野望は、イランとの苛酷な戦争に向かわせた。
 しかも、ヤマニを育てたタリキ元石油相を尊敬し、石油戦略の重要性を知るサダムは、過去の石油政治の歴史に精通して、ヤマニに匹敵する眼力を身に付けていた。それだけに、彼がクウェートとの交渉の最後の段階で、国境に8個師団を結集した意図について、世界はもっと用心深く注目する必要があった。
 ホワイトハウスで中東問題を担当して、国家安全保障会議のメンバーだったグレイ・シックは、かつてフセイン大統領を「中東のヒトラー」と呼んだが、サダムは自分をアラブ世界のビスマルクだと信じていた。
 実際、それを肯定する人はかなりいて、シュレシンジャー元国防長官もその一人であり、「プロシアの宰相のビスマルクは、国家の運命を議会で決めずに、鉄と血の力によって決定したが、フセインもまた情け容赦がない、きわめて現実的で的確な男だ」と論評しているが、戦争のプロ同士で相通じるものがあったのだろう。
 だから、反イスラエル主義の高まりとともに、ナチズムの伝統と結ぶドイツ人を優遇し、1973年春にクウェートと国境紛争を起こした時は、サダムの背後にはドイツの旧軍人がいて、参謀役を担当したという噂が流れた。しかし、当時のイラクではキルクーク油田が主体であり、ソ連の協力で開発したばかりのルメイラ油田は、いまだ石油収入に寄与する段階ではなく、機甲師団を使い電撃作戦を展開する能力はなかった。だから、「敵対する人」はしばし臥薪嘗胆と実戦訓練をして、鉄と血の威力が実現する日を待ち構えたのである。


長期戦略に基づく中東の盟主への野望

 サダム・フセインにとっては、クウェート制圧は火遊びではなく、宿願の大勝負だとの判断があったので、外交戦略は交渉決裂が軍事行動の発動を意味した。
 だから、実戦経験豊かなイラク陸軍の12万の兵隊は、夜中の2時に国境を突破すると、わずか4時間後には首都クウェート市内を占領している。また、その3時間後には南進してサウジ国境に達し、世界有数の埋蔵量を誇るアルブルガン油田や、その北西のマナギシユ油田を抑えるとともに、サウジの国境線に沿って戦車部隊を散開したので、ヒトラー流の電撃作戦の再現に似た光景を目撃して、世界中が唖然としてしまった。
 国王をはじめとしたサバハ家の中枢は外国に逃げ、部族支配として200年続いた王室の行方は混沌とし、雲散霧消に近いクウェート政府の実態は、その存在自体が危ぶまれる状態が続いている。
 傀儡政権が名乗りを上げた後、すでにイラクはクウェートの併合を宣言しており、推移の具合は太平洋戦争直前と酷似しているが、日本やドイツが試みた侵略路線を、半世紀遅れてアラブ人が追っている感じさえする。
 その野放しの暴れん坊の放縦に対して、米ソのスーパー・パワーはもとより、国連に加盟する各国ともエンバルゴを決めて、経済封鎖の政治学を使おうとしているが、産業社会の血液に相当し、生命力を握る石油の支配が決め手になっているだけに、その取り扱いは非常に難しそうである。中東の盟主として、石油輸出国機構(オペック)を支配して、石油価格を握って世界を動かす切札に使う野望は、長期戦略に基づいていることは明らかだ。


イラクの暴挙は神風か

 重要なのは石油価格である。日本国内の視点で見る限りでは、全世界が安い石油を歓迎しているような、非常に偏った雰囲気に包まれているが、米ソ両国はともに大産油国であり、石油価格が安いことは決してプラスではない。
 むしろ、米ソの基幹産業として経済に寄与する石油産業が安い価格体系に支配されていると産業の体力を弱めかねない。そして、自国の安いエネルギー・コストを謳歌しながら、背後から経済侵略をしかける日独を抑え込む上で、イラクの暴挙は神風にもなるという気分が、アメリカのトップの心理の深層には存在しているのだ。
 また、これからは第三世界に市場を開拓し、その恵まれた天然資源を開発することが、世界の経済発展の決め手だと考える、米国エスタブリッシュメントの世界戦略も無視できない。でき上がった市場に参入を狙う、日本のような商人根性丸出しの政治路線に対して、見殺しにしたクウェートに対するのと同じように、自分だけ楽にもうけている国という気分も高まっており、それを自覚することが日本人には必要だろう。
 現に、「ノーと言える何とか」と題した本への反発から、アメリカには日本人の集団的積極性とフセイン大統領の無謀な挑戦とを較べて、本質的に共通だという意見さえ台頭しており、われわれはイラクに自らの姿を重ね合わせて、過度の膨張主義を反省することが大切である。


中東情勢の推移とエネルギー問題

 すでに世界の石油市況は大きく動きだし、値動きは数パーセントの割合で連日伸騰が続き、石油の先物市場は興奮の渦に包まれているが、これは動乱につきものの値動きであり、資源は、本来的にこのように過剰反応をする性格を持つ。
 また、最初に述べたように、石油は今のところ生産過剰の状況にあり、1日に約200万バレルの供給過剰と、世界平均で100日分を上回る備蓄があり、いざとなればベネズエラやサウジだけで、日産、約200万バレルの生産余力があるからという楽観論に頼りたくなるのは人情だが、イラクの軍事行動は石油戦略の発動だから、油断するのは禁物である。
 イラクが試みたこの大勝負は脅威であり、石油の値上げという火遊びでは済まずに、火薬庫の中東が大爆発しかねない危険は、しばらくの間は続くと予想できる。しかも、ひとたび制圧したクウェートの石油を、イラクが簡単に手放すとは思えないし、王制から共和制への移行は中東の趨勢であり、米ソともに王制死守を貫く必然性を持ち合わせていない上に、アラブ人は米ソの干渉を嫌悪しているのである。
 イランに対しては停戦状態で和平の調印はできていないし、天敵のシリアは背後を伺っており、イスラエルとは準交戦状態だから、イラクの宿敵が軍事行動に踏み切るというような、最悪の事態を想定する用意も必要だろう。また、アメリカがイラクに対決する姿勢をとるのは、軍事的な行動で跳ね上がった時や、アメリカ人を人質に使って脅迫する場合だが、石油が高値安定で推移する限りでは、イラクと利害が掛け離れていないというのが、本音としての米ソの立場である。
 選挙民の心理を考えれば急激な値上がりは困るが、日本とドイツの経済的な突出は、両国にとって生命線である石油高騰が自然に解決するだろうし、悪化の度合いが強まっている環境汚染も、価格の面から石油の消費を抑えることで解決するという声も、アメリカには存在している。
 この点で、膨張路線を邁進する日本の産業構造とその体質を、今後どのように改善するかを考えることや、日本人の価値観の軌道修正も、これを機会に試みていいものといえそうだ。なぜならば、イラクの姿は戦前の軍国日本の焼き直しだし、同時に、軍事力を経済力で置き換えて膨張する、戦後日本の姿に他ならないからである。
 世界はバランスと調和に基づいて発展し、相互利益と共生の体系として、その繁栄をわかち合う場であるから、日本国内から中東を遠望する視点だけではなく、地球レベルで世界経済のおかれている状況をとらえ、子孫に悔いを残さない対応をして欲しいと期待する。


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