5 砂漠の傭兵、アメリカのジレンマ



お流れになったアラブの顔見せ興行

 1990年8月2日の未明にイラクが決行した、機甲師団を使ったクウェート侵攻作戦は、太平の夢を追っていた全世界を仰天させたが、とりわけ驚いて自分の耳を疑ったのは、アメリカの元大統領たちだったに違いない。
 そして、アメリカとアラブの首脳が結び付くと、自分たちが孤立しそうだと懸念していたので、このアラブ世界を分断した事件の発生を天佑だと考えて、密かに微笑んだのは、イスラエル政府だったのではないだろうか。
 なぜならば、アラブがアメリカに働きかけた効果が実り、トップの政治家たちを味方に取り込み、世界中が驚いて目を見張る状況の中で、アラブ人が得意満面になる瞬間が、2カ月後に近づいていたのに、それが御破算になったからだ。
 10月4日にバーレンで開催予定だった、ガルフ湾岸6カ国ビジネス会議に準備された内容は、アラブ人たちの念願と苦労の結晶であり、ゲストとして招かれたにぎやかな顔ぶれは、ニクソン、フォード、力ーターの3人の元大統領と、共和党の院内総務のドールだった。
 特に、キイノート・スピーカーに決まっていたドールは、上院議員として前回の大統領選に出馬し、ブッシュと大統領の椅子を争ったが、飾り物の副大統領よりも院内総務を自ら選んだ、カンサスから選出されている実力派の議員だ。だから、大統領クラスの政治家が4人も揃って、アラブの国に集まってスピーチをする陰には、強力なロビー活動があっただろうと推測できる。理由はともかく、そこにはレーガンの名前だけ見かけない。
 ブッシュが大統領に就任したことによって、ワシントンに起きた最も大きな変化は、シオニスト系のロビーの影響力が大幅に低下したことである。その典型的な現われとしては、レバノン系のスヌヌ元ニューハンプシャー州知事が、大統領の首席補佐官に就任したことであり、ホワイトハウスの中東政策に対して、彼は適切なアドバイスを行っている。
 だから、イスラエル政府が試みる、意識的な情報工作も、現地事情に詳しいスヌヌの判断力で、精通した政治工学を生かしながら、厳しくスクリーニングされているようである。


ブッシュが被っているいくつかの帽子

 グローバリストのブッシュは第三世界を重視し、南北問題に強い関心を示しているので、その延長線上にアラブ問題が浮上してきた。それがネイティビストのドールに影響を及ぼし、彼はアラブ世界に猛烈な関心を示しはじめた。その具体的な行動として、1990年の春にバグダッドを訪れたドールは、サダム・フセイン大統領との会談を行っている。
 そして、イラクが軍事行動を起こしたために、ペンタゴンが緊急に大規模な軍事展開を行い、休暇中の8月22日にブッシュが、メイン州のケニバンクポートの別荘で5万人の予備役の動員を発表した時に、ドールは家族連れで中東を隠密旅行しており、エジプトのムバラク大統領をはじめとして、アラブの要人を訪問して根回しをしていた。
 それは一種の任務分担であり、大統領としてのブッシュは職務からも、いくつかの帽子を被らなければならず、ベーカー国務長官が対ソ関係で忙しいので、ドールが中東方面を担当したのだった。
 ブッシュは大統領として国務の最高責任者だから、ホワイトハウスから議会を指導する政治家として、まずその帽子を被って行動する必要がある。
 第二の帽子はアメリカ軍の総司令官のもので、ペンタゴンのトップとして3軍を動かすチェイニー国防長官を指揮して軍隊を掌握することだ。
 また、国家元首としての帽子を頭に乗せて、アメリカを訪問する外国の元首にも公式に会見しなければならない。それに、目の前に迫っている中間選挙のために、共和党の党首としての発言や資金集めで、象のバッチを付けた帽子を被り、選挙の応援のために飛び回る必要もある。
 さらに、東部エスタブリッシュメントの嫡子としての帽子も被るし、テキサスや石油ビジネス好みのテンガロン・ハットも、時には頭に乗せて行動する。
 このようにたくさんの帽子を使い分けて、次々と起こる新しい事態に対処するために、時には帽子に似合わない発言や行動をして、人々を当惑させたりしているが、特に、共和党支持者向けの選挙用の発言には、大統領の立場と矛盾することも多く、世界に与える影響から問題になるものが目立つ。
 この厄介な帽子の使い分けが混乱して、ブッシュらしくない失敗をしはじめたのは、サウジのファハド国王に頻繁に接触し、国王のペースに振り回されるようになってからだ。8月も下旬になった頃のことである。
 ファハド国王は年齢に似合わず夜が遅く、夜中の12時前に就寝することは珍しいという。8月2日は夜中の1時過ぎにベッドに入ったが、寝入りはなの2時40分に電話で起こされ、イラク軍のクウェート侵攻と、首相がヘリコプターで脱出することを知らされて、一種のパニック状態に陥った。
 だから、最初はファハド国王があわてていたが、ブッシュの方ははるかに落ち着いており、多くの面で余裕のある対応をしていた。それは、イラクの侵攻の可能性について事前にCIAやペンタゴンから警告を受け、ある程度は覚悟ができていたからだろう。
 それに対して、クウェート占領を知らされたファハド国王はあり得るとかねて予想はしていたものの、それがあまりにも唐突だったので、そのショックは大変なものだったに違いない。


国是を改めたサウジアラビア

 イラク軍の侵入に驚いたサバハ家の一族は、あわてて、すべてを投げ捨ててクウェートを逃げ出すと、タイフにあるサウジ王家の夏の別邸に身を寄せた。クウェートの首長一族とともに脱出したユーゴ女性、パドロフの証言によると、「首長一族は恐慌状態で、自分たちの国がなくなってしまうことを恐れ、とても悲しんでいた」そうだが、こういった光景を目撃して、サウジの王族もパニックに陥った。
 彼らはクウェート人よりもはるかに強烈に、革命や外国の侵略を恐れていたので、イラク軍がすぐにでも制圧にやってきて、王国が滅亡してしまうのではないかと思うと、震えあがって脅えたそうである。
 頼みの綱は強力な軍事力を持つアメリカであり、ファハド国王は大急ぎで甥の駐米大使に連絡をとり、続いてブッシュと電話で国土防衛について相談した。そして、それまで軍事基地の提供を拒絶し続けて、アメリカ軍の「中東緊急展開軍構想」を放棄させていたのに、領土内に外国軍を入れないという国是を改め、アメリカ軍に侵略の盾になってもらうことにしたわけである。
 8月6日にリヤドを訪れたチェイニー国防長官は、国宝と会見して防衛の依頼を受けると、翌日には第一陣の海兵隊の空輸が行われ、アメリカ軍のアラビア半島駐留が開始した。8月8日には大統領が派兵を公式発表して、軍事対決のエスカレートが動きだしたが、国境沿いに配備されたサウジ軍と接触しないで、その後方を固める形で布陣し、首都リャドを守るような形の展開をしたのは、サウジ政府の要請に従ったためと、言われている。


サウジの石油権益を守るため

 イラク軍の侵入を恐れているのはもちろんだが、ファハド軍はサウジジ軍の反乱も警戒していて、アメリカ軍はイラク軍への軍事的な盾の役割を果たすとともに、国王の親衛隊の役割も兼ねているというのが、この問題に詳しい消息筋の分析であり、アメリカ軍は二重の意味で傭兵役を果たしている。
 国王がイスラムの人間に不信感を持つのは、シーア派の影響や民主主義を恐れるのと、回教徒に特有なレトリックのせいである。そのために国王の側近のアドバイザーとしては、キリスト教徒のレバノン人が選ばれている。また、レバノンの内戦に関しての態度では、シリアのアサド派と結ぶアラブ人を牽制したり、過激なパレスチナ人の突出を防ぐために、サウジ政府はキリスト教徒を支援している。
 表面的にはイスラムと連帯を結ぶが、国内に対しては雇用関係で利用できるので、異教徒を雇った方が安全という考えに徹して、一見するとアンビバレントのようだが、巧妙な支配体系を採用しているのである。
 チェイニー国防長官の公式発表によると、アメリカ軍はサウジ政府の要請で駐留しており、第一線はサウジの地上軍が防衛を担当し、アメリカ地上軍はその背後を補強して、並行して防衛線を維持しているから、作戦は両国の事前協議の結果に従うという。
 また、アメリカ軍は独自の指揮系統を持っており、頂点の大統領のもとにチェイニー国防長官がいて、その下にパウエル統合参謀本部議長が控え、さらに、中東全域の現地軍を動かす責任を持つ中央軍のシュワルツコップ指令官に続く、垂直型の命令体系が確立されている。
 このこと自体が、アメリカ軍が国連軍ではなくて、国際法上は国連憲章に拘束されない、アメリカ独自の出兵であることを示し、大動員をかけて中東に展開したアメリカ軍は、サウジの傭兵に過ぎなくなるのである。現に、ファハド国王はブッシュ大統領とチェイニー国防長官に対して、命令や許可を与えるつもりでいるのであり、それを証明するいい例が実弾射撃だと言われている。砂漠の不発弾はラクダの歩行に危険だという理由で、アメリカ軍は精度測定のための射撃はもとより、訓練のための実弾射撃も禁止されており、戦車や迫撃砲の照準が正確かどうかもわからず、応戦準備が完了したといえない状況にある。 これは傭兵になってしまったことの結果である。サウジは、かつてはイランの原理主義の浸透を恐れ、イラクを傭兵に使って自国の安全を守り、そのために100万人に近いイラク人が血を流したが、今度はアメリカ人が傭兵として、イラク軍の前でサウジの石油権益を守るために大きな犠牲を払おうとしているのが、目の前で進行している石油危機の実態である。


サウジの行き当たりばったりの対応

 8月25日の安全保障理事会の決定だと、国連憲章の第40条は事態の悪化を防ぐために、暫定措置として派兵を承認しているに過ぎず、第42条の場合と性格がまったく異なり、参加国は決議に拘束される義務はない。だから、自民党政府のようにすり替えの議論を試み、どさくさ紛れに海外派兵の突破口に使うことを企むのは許されないのである。
 同じ理由で、サウジやクウェートなどの、 王族の傭兵に過ぎないアメリカ軍の戦費を、日本やドイツをはじめとした石油消費国が負担するように圧力をかけたのは、ワシントンの無理強いというものである。
 ところが、国際政治の本質を見抜く能力に乏しいために、アメリカ政府と議会の機嫌を損わない配慮から、日本政府は戦費の負担や人員の派遣を決めてしまった。このような自民党政府の意思決定のメカニズムは、日本の利益を大きく損なうだけでなく、民族の名誉まで損なってしまう。
 国連の決議に従ってエンバルゴに参加したり、周辺諸国に食糧や医薬品を送るとか、困っている多くの難民の救助のために、IRO(国際難民救済機構)の基金を支援するのは、国際社会の一員の行為として筋が通っている。しかし軍事費の負担は勇み足であり、傭兵の費用は雇い主が負担するのが当然だということは、これまで繰り返し述べた通りである。
 軍事対決のあおりを受けて、周辺の国は大きな被害を被っており、特に、経済封鎖の影響を面接に受けるだけでなく、難民の洪水に呻吟しているヨルダンに対しては、世界中が支援の手を差し伸べるべきである。ところが、サウジ政府は石油代金を滞納したという理由で、ヨルダンへの石油供給を停止するという、無慈悲で身勝手なことをやってのけた。それもイラク石油の禁輸によって、石油の国際市況が大幅に暴騰しており、増産効果もサウジの増収にプラスとして働き、サウジ政府は毎月30億ドルも濡れ手で粟だというのに、このような情容赦のない制裁をするのである。
 また、武器と費用はアメリカが負担するから現地の人間が血を流せ、というニクソン・ドクトリンの存在を思い出したブッシュは、70億ドルの借金を棒引きにして、エジプト軍をサウジに招き入れて、アメリカ軍と置き替えることを考えはじめたが、危険なことにシリア軍まで呼び込んでしまった。シリアのアサド大統領の過去をみれば、これがイランとの戦争の時のアメリカが、イラクを積極的に支援したパターンと、よく似ているように感じないだろうか。


軍事力の結集では問題は解決しない

 また、9月17日にソ連を訪問したサウジのサウド・アル・ファイサル外相は、モスクワで行った記者会見の席上で、「ソ連はイラクのクウェート侵攻に反対しているから、これは中東におけるソ連政府の役割が積極的で利益にかなうものであり、サウジを守るために他の多くの国が派兵しているように、ソ連軍の派兵を歓迎する」と述べている。
 「敵の敵は味方だ」というのはアラブの譬えだが、自己中心にすべてを考えてしまい、イラクに反対するものはすべて自分の傭兵にして、サウジの王制と油田を守ろうというのは、あまりにも世界政治を短絡化し過ぎているし、身勝手な振舞いのように見えてならない。 日本政府のあわてた軍事協力もそうだが、中東に軍事力を結集しただけでは、問題は解決しない。報復合戦で油田地帯の徹底的な破壊や、兵隊だけでなく多くの市民が殺戮に巻き込まれる、悲惨な破局の事態を回避するためにも、外交で緊張を解きほぐす努力が必要である。仲裁役は苦労の多い損な役柄であるが、世界平和に貢献するためには、損を承知で買って出るところに、長期戦略の真髄が生きているのではないだろうか。


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