6 ルメイラ油田物語とペルシャ湾の石油戦略の行方



軍事展開と第一幕の終わり

 イラクがクウェートに侵攻して併合した行為は、平和ぼけの全世界を仰天させた。それに対してアメリカ軍は果敢な軍事展開を行い、双方で50万人の兵員を動員する、砂漠における睨み合い状態が、すでに4カ月近くも続いている。
 それにしても、最初のショックが未だに尾を引いており、問題の本質を見失った状態のまま、サダム・フセインを野望に満ちた狂人扱いしたり、イラク征伐にいかに貢献するかという危険きわまる議論が、日本政府やメディアの世界を支配している。
 だが、あわてて付け焼き刃の正義を振りかざす前に、問題の本質とその意味することや、軽率な行動が招く悲惨な結果について冷静になって熟考する必要があり、最悪のシナリオを明確に描いて、危機管理をすることが大切である。
 中東石油の確保を至上命令だと考えるアメリカは、国連をエンバルゴ路線でまとめるとイラクを経済封鎖で締め上げると同時に、サウジ政府から防衛を頼まれたように形を整えて、海軍と海兵隊を中心にした緊急展開を行った。
 そして、これまで4ヵ月の時間を費やして、大量の近代兵器と兵員をサウジに送り込んだが、人質を使ったイラクの「人間の盾作戦」と、ミサイルと毒ガスによる報復を非常に懸念している。だから戦闘準備が整ったにもかかわらず、切札の航空力による物量作戦を使った、夜間の戦術奇襲の爆撃を敢行できないで、地上軍は炎熱下で蛇とサソリに悩むという、砂漠の持久戦を統けざるを得なかった。


戦費調達のための奉加帳

 すでに40万人近くの兵員を展開した、反イラク勢力は、100万人の軍隊の動員力を持つイラク事を相手に、軍事対決に踏み切れる態勢を整えたが、最初のニヵ月の戦費が予想の倍の20億ドルだと知り、総大将のブッシュは資金の調達が心配になった。
 そこで傭兵の雇い主であるサウジやクウェートの王族だけでなく、お大尽気取りの日本政府に対しても悩みの種だった戦費の調達を試み、1口10億ドルの奉加帳を持って歩いて、合計で250億ドルを集めるのに成功した。
 だが、地球を半周する長大な補給線を維持しながら、アメリカに所有権のない石油権益を守ったり、反民主的な王族を支援するという、大義名分のない植民地主義的な出兵に対して、アメリカ国内に強い批判が急速に高まっている。アメリカの若者が他国のために血を流すということは、武器と費用はアメリカが負担するから現地人は血を流せという、あの有名な「ニクソン・ドクトリン」に反しているからである。
 実際に、前検事総長のラムジー・クラークは、中東地域からのアメリカ軍の即時撤退を要求し、また、保守系の「ネーション」の常連コメンテーターとして、歯に衣を着せない発言が得意なアレクサンダー・コックバーンも、金持サウジの王族のために戦うことのナンセンスを主張している。
 このように、モンロー主義につながる保守派の中からも、アラブ世界でアメリカ人が血を流すのに反対して、派兵を中止しろという声が高まり、近づく秋の中間選挙の季節を前に、予算に苦しむブッシュを悩ませながら、人質脱出劇の第一幕が終わろうとしている。


神経戦のフーガが聞こえる第二幕

 神経戦としての石油戦争の第二幕は、第一幕の要因と並行しながら、新しい要因を生みつつ動いている。アメリカ側はイラクとクウェート産の石油禁輸を行い、イラク側は石油確保に悩む第三世界に対して、タンカー持参で受け取りにくれば、石油は無料でいくらでも提供すると呼びかけ、アメリカ海軍の封鎖網破りを試みている。
 1958年に制定された「公海に関するジュネーブ条約」の規定によると、いかなる国も公海上の船舶に対して、管轄権を及ぼすことはできないから、たとえ国連が禁輸の議決を行ったにしても、第三国の船舶の通行を強制阻止することは、アメリカ海軍には許されていないのだ。
 だから、石油高に悩む途上国の人間なら、チャンスを生かし、荒くれ船員を集めてタンカーを連ねて無料の石油を貰いに行けばいいのに、それだけの度胸のある人間はいないとみえる。アラブの土地では、「目には目を、歯には歯を」という掟がまかり通っていて、金融と交易の中心地だったベイルートは、レバノン内戦の結果、貧欲な隣国の猟場として略奪が日常茶飯事である。シリアは金目のものを戦利品として根こそぎ持ち帰り、イスラエルは歴史の遺品を運び去っている。
 イラク軍もアラブ世界の習慣に従って、クウェート油田や各種資産の奪取とともに、中央銀行にあった40億ドル相当の金塊と通貨を、すでにバグダッドに輸送済みだそうだ。
 このことはアラブの土地だから黙認されても、公海上では国際法を遵守する必要があり、アメリカ海軍もその扱いが難しいはずである。  石油開発と国際石油政治のプロの私の目に映るのは、今回のイラクのクウェート侵攻の進展が、途中から予想外の動きをしはじめたために、サダム・フセインとブッシュの両国家元首とも、自分が考えてもいない方向に押し流されて当惑しているのではないか、という状況である。
 軍事力を使って隣国に攻め入り、力で相手をねじ伏せたイラクのやり方は、腕力をむき出しにした暴力主義であり、国際的な係争の解決法としては、あまりにも傍若無人ぶりが目に余って、誰も味方につく気にならないのは当然だ。
 同じように、アメリカが新鋭兵備を総動員して、戦争の擬態としての全面経済封鎖を敢行しても、議会の承認もなしに大軍隊の布陣を敷き、国連軍ではないのにそのつもりで、戦費捻出を友邦国に迫ったのだから、いくら世界のシェリフ役が好きなアメリカとはいえ、勇み足が過ぎると言わざるを得ない。
 第一、アメリカが口実に使っているように、イラク軍がサウジに攻め込む意図があれば、あれだけ果敢な機動展開を行った戦車隊が、サウジの国境の前で進軍を止めて、部隊を散開させる作戦を採用するはずがない。それに、機甲師団の威力は前進を続ける時に最も効果が高いのだし、奇襲で相手の弱い部分にくさびを打ち込み、鋭い突破口を切り開いて敵を包囲繊滅するのが、戦車戦の最も基本的な戦術だからである。


サダム・フセインはサウジ侵略を狙わなかった

 ドイツ国防軍のマンシュタインの作戦計画や、グーデリアンの機甲師団の運用手腕について常に研究しているはずのイラク陸軍の作戦部が、サウジに攻め込む予定であったのならば、国境で戦車部隊を停止するはずがない。
 寝こみを襲われたクウェート軍は、ほとんど抵抗せずに首都を明け渡したし、夜明けにサウジの国境に着いた機甲師団は、越境する指令が作戦にあったなら、サウジ軍も一蹴されたに相違ない。
 交戦がなかったから弾薬は使わなかったし、クウェートには中東最大の精油所があるので、そこを押さえて軽油を戦車に補給すれば、サウジ軍に側面を叩かれて補給線を絶たれる危惧もなく、一気に海岸線に沿い幹線道路を走り抜けられた。そして、300キロの距離を南下すれば、日没前後にはダンマンの町を制圧して、サウジの石油の流れの心臓部を占領できたし、全世界を100倍ものショックで驚愕させえたはずである。
 なぜイラク軍がダンマンに長駆してサウジの石油を制圧しなかったかと言えば、イラク側にその意志がまったくなかったのと、サダム・フセインには悪夢のような思い出があったからだ。
 戦車の多くがトレーラーによって運搬され、長距離移動にそれを活用することは、特に、イラク軍にとっては至上命令である。  第一回目の石油ショックの時の混乱ぶりは、未だわれわれの記憶に鮮明に残っているが、1973年10月の第四次中東戦争の時の経験は、イラク機甲師団にとって拭い難い恥辱だった。イスラエル軍がゴラン高原でシリア軍を襲った時に、革命評議会の副議長だったサダム・フセインは、悪戦苦闘のシリア軍を救援するために、イラクの機甲師団に全力疾走を命令したが、イラク軍の戦車隊は戦場に到着する前に、エンジンを焼き切って全滅してしまった。
 だから、その後のイラク機甲師団は、トレーラー輸送で行動力を増大していたので、ダンマン攻略作戦を敢行して油田を占領していれば、石油価格はバレル当たり100ドルを超えて、世界最強の軍事力を誇るアメリカも、手も足も出せない状態に茫然として、しばらくはサダム・フセインの言いなりにならざるを得ないで、別の作戦を模索していたに違いない。
 ダンマンにはアラムコの現地事務所があり、ここを狙ってポンプ・ステーションや発電所に迫れば、戦闘による破損を恐れて守備隊は降伏する。それに、世界一の石油積み出し港のラスタヌラは、日露戦争の時の旅順港とかマジノ線の例、あるいはアラビアのローレンスのアカバ港と同じで、陸の側から攻めれば簡単に陥落させ得るのだ。
 あとは歩兵隊を派遣するだけで、最大のガワール油田は制圧できるし、かつて、イランとの戦争の時のルメイラ油田のように地雷原を作って封鎖してしまえば、海兵隊の降下部隊を誇るアメリカでも、頭をかかえてしまうに決まっている。こうして、世界の石油生産の4分の1を支配し、埋蔵量の過半数を握ってしまうことで、たとえ短期間であるにしても、サダム・フセインは世界に号令をかけ得たかも知れない。
 その代わりに、国際世論を背景にしたアメリカは、報復のためにイラクの頭上に原爆の雨を炸裂させ、中東石油のほとんどが生産停止の中で、世界経済は木端微塵になっていたことだろう。だが、それをしなかったところにサダム・フセインの石油戦略があり、サウジの国境を犯して全世界を絶望に陥れ得たのに、彼は計画通り機甲師団を国境で止めたのである。
 これはなぜか。サダム・フセインはアメリカと本格的にことを構え、戦略空軍や核兵器を相手に勝負する気や、世界に君臨するつもりなどは、初めからまったくなかったからである。


歴史におけるサダム・フセインのモデル

 サダム・フセインは非常に残忍な男だが、加虐趣味や異常精神に基づいて残酷なことを平然と行うのではなくて、遊牧民の属性である攻撃性の現われが、敵を倒し続ける血塗られた人生を歩ませたのだと想像できる。
 ブッシュを筆頭に、多くの情報関係者や、かつてホワイトハウスで中東問題を担当し、国家安全保障会議のメンバーだったグレイ・シックなどは、サダム・フセインをヒトラーと対比して考え、機甲師団の巧みな運用から判断して、ナチス流の侵略主義を感じ取ったようだ。
 だが、シュレシンジャー元国防長官のように、「プロシアの宰相のビスマルクは、国家の運命を議会で決めずに、鉄と血の力によって決定したが、フセインもまた情容赦がなく、きわめて現実的で的確な男だ」と言って、ビスマルクに較べている人もいる。
 石油ビジネスを通じて世界を眺め、国際石油政治の動きを追ってきた私の経験と知識からすれば、過去20年近くのオペックの政策や、サダム・フセインが石油と関係した軌跡と実績をみれば、緻密に計算して用心深く行動したスターリンに対比して理解する方がわかりやすいと考える。
 また、ブッシュの場合は、工ールで学んだ秀才であるがゆえに、歴史を教科書通りに理解してしまい、チェンバレン(イギリスの政治家。1938年ヒトラーと会談したが、その宥和政策を非難された)やダラディエ(フランスの政治家。1938年〜40年の首相在任中に対ナチス宥和政策を進めた)の過ちを繰り返さないために、軍事力で断固とした態度をとろうとした。そして、ぺンタゴンが作ったまま長らく眠っていた「中東急展開軍」構想のファイルを引っ張り出すと、それを大急ぎで実行に移したのが、アメリカ軍のこのサウジ進駐の実態だったのではないか。
 仮に、サダム・フセインがヒトラーのように国家としての生存圏を狙うなら、サウジの国境前で機甲師団を停止させず、バルバロッサ作戦の主目標でもあったルーマニア油田やコーカサス油断作戦なみに、サウジのガワール油出を目指して、一気に隊を疾走させていただろう。
 それではなぜ、クウェート国境に機動部隊を結集し、クウェート政府に圧力をかけたかと言えば、これはすでによく知られている通りだ。  多くのメンバーの非難にもかかわらず、オペック総会で決まった生産枠を無視して、クウェートとアラブ首長国連邦が石油価格の暴落の原因を生み出した増産を続け、それを止めなかったことがまず第一。
 そして再び生産量の割り当てと約束の遵守を確認するための、ジュネーブで開かれるオペック総会が近づいていたので、身勝手なクウェート政府に対して、圧力を加えるためというのが第二である。
 第三の理由としては、ほとんどの人が口をそろえて言っているように、クウェートの石油を手に入れれば、中東の盟主になる野望が実現できるとともに、オペックを支配して石油価格を動かせるとか、1961年のクウェート独立以来係争が続いてきた、イラクの領土としての要求の実現といったものも、大きなファクターであるのは確かであろう。
 しかしながら、ほとんどの人が見落としているが、前記の三つの理由以上に重要だと考えられるのは、イラクが開発したルメイラ油田の石油を、クウェートが盗掘していたという、イラク政府の抗議をクウェートが誤魔化そうとしたことであり、これが非常に大きな役割を演じていた、と私は確信する。
 なぜならば、この油田はイラク人にとっては特別な存在であり、かつての日本人が国鉄や八幡製鉄、それに戦艦「大和」に感じていた民族的な誇りと愛着心が関係しており、このルメイラ油田の石油を盗掘し続け、巨大な資産を蓄積して知らん顔したところに、クウェートの亡国物語の最初の頁が始まるのだが、それを理解するためには、イラクの石油開発の歴史を振り返る必要がある。


イラクの近代化のシンボルとしてのルメイラ油田

 イラクはメソポタミア文明の発祥の地であり、バグダッドは「平安の町」と呼ばれ、最も古い絢爛豪華な国際都市として栄えたが、17世紀から20世紀冒頭にかけて、オットマン・トルコ帝国の支配下にあった。
 しかし第1次世界大戦の後はイギリスの委任統治領として、ファイサルによる王制が続く_。この時期を特徴づけた政治の動きはアラビアのロレンスやファイサルニ世の暗殺など、波乱万丈のイラク近代史を綴っている。また、1912年に設立された「トルコ石油」の後身のイラク石油が、この国の経済の9割に当たる石油を通じて帝国主義的な支配を半世紀にわたり続けていた。
 この会社の植民主義的な経営が、イラクを過激な政治路線に追いやったともいえる。石油井戸の数を政府に知らせないし、イラク政府の役人が上空から視察を希望しても会社から拒否されるという状態だった。
 1953年にイラク石油は北ルメイラ油田を発見したが、生産はサボタージュ状態に近く、本格的な油田開発には至らなかった。それに業を煮やしたイラク政府は、1961年に未開発の鉱区をすべて接収したが、探査技術と人材がないので何もできなかった。
 1968年にフランス国営のエルフとサービス契約を結び、イラク第二の都市バスラの西部で、本格的な開発に取り組んだ。また、ソ連政府と石油で決済する技術契約を結び、大型融資を受けて開発に取り組み、同時にイラク人技術者の訓練が始まった。1972年4月にコスイギン首相が訪れ、北ルメイラ油田完成祝賀式典に臨み、友好協力条約を調印した。この後すぐ、石油の増産で自信をつけたイラク政府は、石油の生産や販売に関しての発言力を強め、6月にバルク大統領が、石油産業の国有化を宣言した。
 この時のソ連とイラクの友好協力条約こそ、現在の軍事大国イラクの生みの親になったものである。バーター取り引きを具体化したこの条約は、現金不足に悩む国を互いに結び付け、イラクは石油で品物の代金を支払い、ソ連は粗雑な兵器を見返り商品に使って、手に入れた石油を国際市場でドルに交換して、現金を手に入れる仕組みになっていた。
 また、イラク石油の経営母体の構成は、英米蘭仏の4カ国で成っていたので、バルク大統領の腹心だったサダム・フセインは、パリに行きポンピドゥーを相手にして、難航していた国有化の後始末をつけた。この経験を通じて実務的な腕を磨き、石油政治に対して鋭い感覚を身につけた彼は、石油の取り扱いに関しての複雑な契約でも法律を専攻した人間として大きな力量を持つに至った。
 サダム・フセインは目立たないようにオペックと密着して行動し、1975年3月の産油国首脳会談を利用すると、パーレビ国王とアルジェで握手をして、クルド族や国境問題でイランと和解を行い、国内の懸念を解決することにより国家目標の第一を石油の増産に集中した。
 ルメイラ油田はイラク第二の都市バスラから、クウェート国境に向かって南北に延びており、白亜系砂岩に石油が溜まった背斜構造の、幅25キロで長さ70キロの油田である有名なキルクーク油田よりも生産性が高く、イラクの石油輸出のホープであり、イラクの自立の象徴であるとともに、国づくりの基礎として国民の誇りを支えていた。
 1968年には136億バレルの埋蔵量で世界の第9位だったこの油田は、1976年には埋蔵量が2倍に増え、クウェート国境に向けて開発が進むことにより、1980年にはさらに埋蔵量を倍加して、世界第5位の大油田にと発展した。
 この石油収入を支払い代金に充当して、外国製の最新鋭の機械を購入したり、新しい国づくりのための事業投資を実現したり、フランスとソ連製の武器を買い集めたりしたので、イラクは革命後のイランを攻撃するだけの、十分に強力な軍備を整えることができた。


ルメイラ油田からの盗掘と非難された石油の行方

 予想以上に急速度に進んだ近代化と、イラン国王派の亡命政治家や将軍の入れ知恵で、開戦48時間以内に制圧可能だと考えたイラク軍は、1980年9月末にイランに侵攻した。だが、イラン人は侵略に勇ましく立ち向かい、血みどろで果てしない戦闘が国境沿いに続いた。
 ホメイニ流の原理主義を恐れたサウジとクウェートは、イラクの雇い主として軍事費の援助を続けたし、アメリカもイラン革命がアラブ世界に浸透するのを嫌悪して、ブレジンスキーとキッシンジャーの提言により、レーガン政権はイラクに軍事援助を続けた。イラク空軍が米海軍のフリゲート艦のスタークを、エグゾセで撃沈して水兵が37人死んだ時も、誤爆だということで許して抗議しなかったほどで、アメリカはイラク軍を甘やかしたのだった。
 イラン軍は空軍において優勢だったし、イラク軍は戦車戦と陣地防御を得意にしたが、シャットル・アラブ川をめぐる激しい攻防で1984年4月にバスラの町の周辺が戦場になった時に、イラク人にとって箱入り娘のようなルメイラ油田を、イラク政府は、生産設備は戦火には脆弱だからと配慮して、損傷を受けないように全部の井戸を閉鎖した。
 油田は被害を受けると復旧が大変だし、戦場になったら荒廃して取り返しがつかないので、イラク政府は油田地帯の周辺に地雷原を敷いて防御の態勢を整え、石油生産を6年にわたり全面中止したのである。
 このルメイラ油田は、国境を越えるとクェート側にも背斜構造が続いており、クウェート石油の鉱区においては、ラトガという名前で呼ばれている。
 クウェートではラトガ油田を除くと、1966年以来大きな油田の発見がなく、石油埋蔵量が毎年減少していたので、政府は石油の長期保存政策を採用して1970年代は生産制限をしたほどである。
 ところが、1983年にラトガ油田が発見されると、翌年にはデータ上、埋蔵量が激増しており、AAPG(米国石油地質学協会)の報告は非公式だと断っているが、それまで670億バレルだったものが、千億バレルに大きく増えている。どこまでがルメイラ油田の延長部かは不明だが、イラクが戦争に全力を上げている間にクウェート石油の鉱区の開発が進み、石油の生産と販売が大規模に行われ、40本あまりの井戸が掘られている事実からしても、盗掘された可能性は大きいのである。
 石油は流体だから圧力に従って移動し、人間が作った地上の境界線とは無関係に、低圧部に向かって流れる性質を持つ。また、生産に伴って地層からガスが抜けると、圧力が減って油田の老化の原因になり、また塩水の割合が増えて油田の枯渇に結びつく。
 イランとの八年間の戦争が終わった時点で、生産を再開しようとしたイラク政府は、ルメイラ油田の油層の圧力を測定したところ、油圧が非常に低下しているのに驚き、隣接鉱区のクウェート側からの石油生産で、イラクの石油が不法に奪われたらしいと、クウェート政府に厳しく抗議した。
 イラク政府は自分が保有する石油を抜き取られ、その代金を戦費として借金の形で借り受け、国民の血を流して戦争をしたことになり、どう考えても計算に合わないことになるから、バグダッド政府の抗議は非常に強硬だった。
 戦争中にクウェートが石油を汲み出した結果、ルメイラ油田の埋蔵量が減少してしまい、イラクが直接受けた被害額は24億ドルだと、まず第一の請求書を突き付けた。また、クウェートとアラブ首長国連邦が一緒になって、オペック総会で決めた生産枠を勝手に破ったので、国際価格の暴落で140億ドルだから損害賠償を払え、と第二の請求書で要求した。このようにして、イラク政府がクウェート政府に要求したのが、クウェート侵攻の直前だった事実を思い出すのは、この際非常に重要なことである。
 だが、クウェート政府はイラクの要求を拒絶して、逆に、戦時中に融資した膨大な額にのぼる資金のことを持ち出したので、それを聞いたサダムは盗人猛々しいと激昂し、待機していた機甲師団に出撃を命じた瞬間に、クウェートの運命は決定してしまった。
 会談が決裂した翌朝の未明に、1500台の戦車と10万人の地上軍は、国境を越えてクウェート市内になだれ込み、ほとんど無抵抗の状態で占領を実現して、この金満国家は姿を消したのである。


金持ち王族たちのビジネスは繁栄

 アリババと40人の盗賊の話を思い出すまでもなく、中東では盗賊稼業や密輸はいくらでもあり、相手が弱いとなると人質や略奪は日常茶飯事で、腕力や知力がリーダーの条件になっている。それに、T・E・ローレンスは、『知慧の七柱』の中で、「同民族間の激しい嫉妬や反目によって、団結に大きな困難を与えた族長たちは、部族間の嫉妬と私怨のために、肝心の大義を売ることさえする」と書いている。
 だから、傭兵役だったイラク人が戦費にこと欠き、借金を頼む時には鷹揚な態度だったが、相手が反旗を翻したと知ったサバハ家の一族は、あわてて、すべてを投げ捨ててサウジヘ脱出した。パニックに感染したのはサウジの王族であり、彼らも同じように革命や侵略を恐れていたので、イラク軍がすぐにでも制圧にやってきて、王国が滅亡してしまうと考えたのである。
 それまで米軍基地の提供も拒絶し続け、領土に外国軍を入れなかった態度を急に改めた結果、アメリカ軍はサウジの傭兵としてアラビア半島に駐留を開始した。同時に、ブッシュは産油国に石油の増産を要請した。その翌日の八日のバグダッド放送は、クウェートとイラクの統合を発表し、ワシントンもサウジ派兵の公式発表を行い、軍事対決のエスカレートが始まった。
 それにしても興味深いことに、傭兵という言葉をキイワードにすると、現代史の本質の謎解きが簡単になり、目の前で進行している事件の意味が、鮮やかに浮き彫りになってくる。サウジやクウェートの王室が雇い主になり、自分たちの主義や主張に合わないものを、傭兵を使って征伐や排除をする点では、イスラエルに対してのPLOへの支援や、イラクを傭兵に使ったイランヘの敵対がいい例である。また、古代ギリシャやローマの半奴隷もそうだし、中世の封建領主と武士団の関係も同じで、武者震いする者は適当におだてられ、土地を守る領主のために血を流し、使い捨てになる運命が歴史の法則らしい。
 イラクは傭兵として100万人の血を流したし、今度はアメリカがかつてのイラクの代わりに使われて、番犬に共通な運命を繰り返そうとしている。この点では、歴史は同じような状況の中で似たパターンを繰り返す。
 現在のイラクの立場は、スパルタクスに率いられた剣奴(グラデュアトーレ)に似ており、反乱の制圧の任務を担当したクラッススの役割は、アメリカ軍が全力をあげて引き受けている。それにしても、この現実をプルタルコスが眺めたら、一体どんな対比法で『英雄伝』を書くであろうか。
 両軍がいきり立つほど石油価格は暴騰し、王様たちのビジネスは繁栄の度合を高め、サウジはこの紛争の恩恵をフルに謳歌して、毎月30億ドルの増収があり、ドルの洪水に見舞われて嬉しい悲鳴をあげ、王様商売は笑いが止まらないのだから、最後まで笑い統ける王様こそが、ヒーローとして歴史の勝者になるに違いない。


無視された石油ビジネスのルール

 日本の農業は失政の犠牲で形骸化しているから、昔の農民が水争いに命を賭けたことなど、すでに昔語りになってしまったのだろうが、米づくりが唯一の生活の糧だった時代には、水は農民にとって命の次に重要な資源だった。また、漁民が自分たちの漁場を守るために舟を連ねて、漁場荒らしの隣り村を襲撃した話も昔語りになっている。「アラビアのローレンス」の映画の冒頭に描かれていたように、他人の井戸から水を盗めば射殺されても当然なのがアラブ世界の掟であり、それを戦車師団でやったのがサダム・フセインではなかっただろうか。
 昔の農民や漁民と同じように単一収入であり、国庫の収入の9割を石油に依存して、借金までして傭兵役を果たしたら、虎の子のルメイラ油田の石油を抜かれ、しかも自分の石油が借り方勘定で負債になり、借金の催促を受けたイラクの状況は悲惨である。それが苦難と誇りの歴史を象徴するルメイラ油田の凌辱だっただけに、イラク人には耐え難かったはずであり、屈辱の怒りはメソポタミア全土に広がった。
 自分で発見して苦労をして開発したものを、後から分け前を狙って駆けつけた者が、周辺の鉱区を札束で支配すると、豊かな資金を動員して井戸を掘りまくり、猛烈な勢いで生産して資源を枯渇させ、パイオニアの獲物を横取りする行為は、石油ビジネスや鉱業では珍しくない。特に、法的な制度が整わず倫理感覚の乏しい地域では、こういうトラブルはよく起こって、その裁きに腕力が使われることが多かった。
 アメリカの場合は、豊かな石油資源が原動力になり、最強の工業国家を築いた歴史に見られるように、世界の石油開発会社の9割がアメリカ国籍だから、こういった盗掘の問題に関しては、多くの興味深い経験を蓄積しているし、制度的にも世界で最も整備されている。
 テキサスには「レイルロード・コミッション」があり、井戸のスペースや生産規模の決定を行うし、カンサスには「コーポレーション・コミッション」があって、石油の生産規模や係争の調停をしたり、エネルギーに関係する料金の監督とか、環境汚染の防止に努めることで、各種のトラブルを抑えるために寄与してきた。アメリカの各産油州のこのような機関は、専門知識を持つコミッショナーを選び、彼らの指導力の下に公共の利益を追求して、エネルギー産業の健全な発展のために、貢献してきた歴史を誇っている。
 アメリカにも、石油の盗掘のケースは腐るほどあり、かつては腕力や鉄砲沙汰になったものである。東テキサス油田では殺戮合戦まで起きたが、自分たちで規制する組織を育てることで、アメリカ人が自主的に解決してきたことは、オイルマンなら誰でも知っていることだ。しかし、中東は未だこの段階に至っておらず、遊牧民の伝統と気質のせいもあり、国同士が略奪行為や誤魔化しを繰り返しても、意外なほど大目に見過ごす寛大さがある。
 だが、ルメイラ油田だけはその対象にはならず、イラク人の民族的な逆鱗に触れたために、クウェートは奈落の底に墜落したが、凡庸な政治家や軍人たちには、この怒りの心理がよく解読できなかった。  


ボタンのかけ違いの始まり

 そして、独立した国に野蛮な侵略を行ったと判断して、イラクに経済封鎖の制裁をすると同時に、勇み足のアメリカは軍事的な大展開を試み、サダムをねじ伏せる行動に移った。国連の加盟国が珍しく集結して、エンバルゴに協力したのは素晴らしいし、米ソが足並みを揃えたのはほほえましいが、クウェートの盗掘に目をつむったまま、ことの始まりをイラクの暴挙におくと、最初のボタンをかけ間違ってしまう。そして、最初のボタンをかけ間違ったことによって、大規模な軍事行動の危険に身をさらすことや、世界経済に壊滅的な打撃を与えたり、多くの人が難民や死傷首なったりで、無用な混乱に巻き込まれるのは、実に愚かであり悲惨なことである。
 アメリカ軍はサウジの傭兵であって国連軍ではないし、8月25日の安全保障理事会の決議だと国連憲章の第40条は事態の悪化を防ぐために、暫定措置として派兵を承認したに過ぎず、参加国は決議に拘束される義務はないのである。
 また、サウジとクウェートには民主政治は存在せず、特に、クウェートの場合は人種差別が激しく、「ニュー・ステーツマン」の記事によると、「190万人のクウェート住民のうち、75万人が市民としての権利を持ち、そのうち6万人だけが選挙権を保有するが、議会は侵略前の4年間にわたり閉鎖されていた」という状態だ。
 当然、この国には民主的な政府の片鱗もなく、首相や副首相はいうまでもなく、外相、内相、国防相、石油相、情報相、公共相、駐米大使などの要職は、すべてサバハ王族のメンバーの独占だった。同じことはサウジ政府にもいえて、政府の重要ポストや高級官僚のほとんどは、6万人といわれる王族の利権として、能力に無関係に割り振られている。そして、番犬のアメリカを懸命にけしかけて、イスラエルと同じ脅迫観念に支配されて、早期の軍事攻略の断行を煽り、イラクの全面粉砕を声高に主張するが、軍事対決の結果が意味することまでは深く考えようとしないのである。
 現在われわれが直面しているのは、石油の利権と土地の領有権を支配して、経済的な富と権力を握って放さない、王様ビジネス連合を営む独裁者たちと、アラブ民族主義を唱えて軍事行動をする、イラクの独裁者との間の喧嘩である。しかも、共に石油がもたらす巨万の富を使って、永遠に続く独裁の白昼夢にひたる、蜃気楼に似たはかない権勢に陶酔して、多くの無辜の民の犠牲については顧みない独裁者たちの身勝手な私闘なのである。
 そんな闘いに傭兵役で参加するアメリカもお粗末だが、あわてふためいて、いがみ合いの背景もわからず、アメリカの機嫌を損わないための配慮で、戦費の負担や人員派遣を決めてしまった日本政府の行動も、早トチリのそしりをまぬがれない。サバハ家の独裁は1961年以来だが、それにも増して長く続いた自民党の単独政権のせいで、世界に通用しない蒙昧な派閥政治に毒され、激動時代に翻弄される出たとこ勝負だから、現代日本の悲劇は絶望的だと言うしかない。
 社会の活力源の石油の輸入が途絶して経済機能が完全に麻痺してからでないと、経済大国の虚妄の夢から覚めないのなら、最悪のシナリオについて語る必要があるが、強烈なパニックを迎えた状況として、日本は再び石油危機を味わいたいのであろうか。


報復の道よりも和解への選択

 第三幕はこれまで続いた砂漠の睨み合いであり、王様連合の番犬役のアメリカ軍が兵力を増強して、いつでも応戦できる態勢を整え終わったが、戦術奇襲で手詰まりな状態から脱却する作戦は、しばらくの間は凍結状態である。
 レーダーが弱いイラク軍に夜間攻撃をかけて、イラク国内の軍需工場と空軍基地を爆撃すれば、ミサイル基地と空軍力の8割は壊滅するらしいが、破壊を免れた2割が報復に使われる危惧は重要だ。ペルシャ湾西岸に集中攻撃が行われて、サウジの石油基地や油田地帯の上に、ミサイルの雨が降る可能性が抑止力になっている。
 その次に続く第四幕の筋書きの選択が、サダムの報復によるサウジの石油基地潰しになるか、それとも、和解を求めた外交的な調停の道になるかは、アメリカ政府と国連の手の中にあり、ワシントンとニューヨークに中東と世界の運命が託されている。
 悪夢のような報復の道に迷い込むならば、予想される報復戦の中心地は、アラムコの事務所があるダンマン周辺になり、戦火に弱い発電施設とポンプ・ステーションがまず狙われ、続いてコンピュータ制御センターと、パイプライン・ターミナルが攻撃されるだろう。
 また、別の攻撃目標はラスタヌラ港であり、世界最大の規模を誇るターミナルとして、サウジ石油の8割を積み出す港の周辺には、製油所や製品貯蔵タンクも集まっている。
 これらの施設はサウジ油田の頭脳と心臓にあたり、火力で破壊するのは至って簡単だが、復旧は非常に困難で時間がかかるから、サウジの石油は1年以上も供給停止になる。アメリカ軍はパトリオット型ミサイルで防衛体制を整えて万全を期しているが、まぐれ当たりにしても、イラクの爆弾か毒ガス弾が命中すれば、結果は悲惨なものをもたらすだろう。
 現在サウジがフル体制で生産しても、1日に170万バレルの供給が不足だから、世界生産の2割を占めるサウジ石油を失えば、世界経済が大混乱に陥るのは確実である。
 そうなった時の東京市場はパニック以上であり、1万円を切った日経ダウは5000円に追り、至るところで取り付け騒ぎが始まるだろう。
 カリフォルニア大学バークレイ校の、ハガット教授とスミス教授のグループのシミュレーションによれば、その場合の日本の金融取り付けの規模は、現在アメリカの金融機関を襲っている、「S&L(貯蓄貸付組組合)危機」の50倍になるそうだ。アメリカの金融取り付けは現段階で2000億ドルだから、その50倍は約、1300兆円に相当する。これは、日本の国民総生産高の数年分だから、その凄まじさは想像を絶するほどである。
 こんな不愉快なことが実現しないためには、イラクを締め上げて絶望に陥らせたり、捨てばちで狂気の思いに駆り立てて、特攻攻撃に踏み切らせないことである。カミカゼ戦法の次に起こったのが原爆の炸裂だったから、特攻隊や1億玉砕を自ら体験した日本人には、それがいかに人類にとって危険であるかについて、心の底から納得できるはずである。
 思考力を停止している日本政府は、危機管理もできない哀れな状態で、戦費を負担したり海外派兵論議に熱中しているが、日本がやるべきことは紛争の調停であり、和解を目指す苦難に満ちた努力が必要だろう。
 雇い主の王様連合の驕慢と興奮を少しでも鎮め、傭兵役をやらされたイラクとアメリカの交渉のためのテーブルの準備に役に立つなら、クウェートがルメイラ油田から盗掘したという石油に関して、専門家を集めて決着を付けることも、間違ったボタンのかけ置しになるし、石油危機の問題は石油を活用することで、仲裁と和解のお膳立てに使えるのである。


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