プロローグ 第二の安宅事件か




 安宅事件は、戦後における日本最大の倒産劇であり、目の前で進展した壮絶な企業崩壊のドラマは、一九七六年を日本の経済史にとって忘れがたいものにした。
 一九〇四年に大阪で創立の産声をあげた安宅産業は、香港を中心にしたアジア貿易によって発展したサッスーン商会(D. Sassoon & Co.)の日本版である。ただし、阿片の取扱いで一九世紀のインドに経済帝国を築いたサッスーン商会と違い、安宅は黒く輝く鉄を専門にしたのだった。
 日本の資本主義社会が描いた隆盛のなかで、鉄鋼製品を主として取り扱う鉄鋼商社としてダイナミックに成長し、日本の一〇大商社の仲間入りを果たしたが、石油ビジネスでその取扱いを誤ったことにより、安宅産業は七〇年の社史の最後を破産の章で結ばなければならなかった。
 「石橋を叩いても渡らない安宅」と噂が高く、堅実第一主義がモットーの安宅産業が、政商としてよく知られたジョン・M・シャヒーンが企てたNRC(ニューファンドランド・リファイニング・カンパニー)計画に乗ったことにより、三億ドル(約七百億円)の負債を残して、カナダのニューファンドランド州で無残な最期を遂げてしまった。
 泥船のように沈没していく大商社の断末魔を活写することによって、ルポルタージュや小説のなかから次つぎとベストセラーが誕生した。そして、「企業とは、こんなにあっけなく崩壊し死滅してしまうものだろうか」とは、七〇年にわたる実績と伝統を誇る総合貿易商社が倒産した瞬間の巷の声であった。
 それは、自分の一生を託す組織は運命共同体と考え、会社に忠誠を尽くしモーレツ社員として働きつづけてきた安宅マンの嘆息だけでなく、総合商社こそ戦後の経済繁栄の推進役だと信じきっていた一億日本人の、驚きを含んだ声にほかならなかった。
 安宅産業が無残な最期を遂げた崩壊劇の幕開きは、華麗な虚飾に彩られたものであった。小道具と呼ぶにはあまりにも豪華をきわめた舞台装置の数々は、悲劇をドラマチックなものとして描き出す上で、どれだけ大きな役割を演じたことだろうか。
 一九七三年一〇月、世界最大の豪華客船クイーン・エリザベスU世号をチャーターしたNRCは、炸裂するシャンペンの音を号砲にして新精油所のオープンを祝った。豪華客船に招待された賓客の顔ぶれは、BP(ブリティッシュ・ペトロリアム社)をはじめ世界に君臨するメージャー(国際石油資本)の首脳や、アメリカとカナダの石油関係者や金融界のトップに連なる、選ばれた千人だった。招待主は、NRCのオーナーのジョン・M・シャヒーンというレバノン系のアメリカ人である。
 石油ビジネスにはまったく不慣れな安宅産業は、このバラ色に彩られた夢のような新事業に魅せられ、シャヒーンの描く壮大で強引なホラ話にひきずりまわされて、最後には破産宣告であわれをとどめることになる。
 それというのも、石油ビジネスに精通したオイルマン一人存在しないまま、実にいい加減な情勢分析と判断をべースにして投資を続け、ついに進むことも退くこともできなくなって自滅せざるをえなくなったのである。
 その名も絶妙なニューファンドランド州のカムバイチャンスに作られた精油所は、チャンスを狙った大勝負としては確かに雄大なものだった。中東の安い石油をコストの安いカナダで精製し、巨大なアメリカ北東部の市場に売って大儲けするというアイディアは、構想としては非常におもしろいものだが、問題はフィジビリティ(企業化)と成功に至るアプローチの仕方だった。
 しかも、海の女王クイーン・エリザベスU世号を使った豪華なセレモニーに六カ月も先立つ一九七三年四月、ミシガン湖畔のノースウェスタン大学で開かれた石油ゼミナールで、カムバイチャンス精油所のフィジビリティ・スタディは大いに論じられていた。
 メージャーズをはじめ各石油会社の技術者や経営の第一線担当者たちが、立地条件やマーケティングだけでなく、技術的な問題や経済分析を行なった。そして、メージャー系の出席者は全員が経済的に成功の見込みがないという結論を出したのである。


安宅倒産劇の教訓

 独占的な市場に対して、新参者のなぐりこみに好意を持たない立場からして、メージャーズの意見をそのまま採用するわけにはいかないにしろ、市場に遠いことやマーケティングの不備に加えて、製品構成がよくないために、見込み利益がマージナル(見込み薄)だ、という指摘に見る限りにおいて、NRCの側の見通しが甘いことは確かだった。
 もっとも、カムバイチャンスの破綻には前奏曲に相当するマシアス・ポート事件があり、ワシントンの石油ロビイストの暗躍によって、奇妙な形で計画が挫折していた。それは一匹狼で知られた独立系のオクシデンタル石油が、一九六八年にメイン州のマシアス・ポートに精油所を作り、三〇万トン・タンカーを使ってリビア産の原油をニューイングランドの市場に供給しようとした計画である。
 しかも、地域に精油所を持たない六州の知事と州議会はこの計画を支持したのだが、既存の市場秩序が新参者によって崩れることを恐れた大石油会社は、ワシントンのロビーに手をまわして、メイン州に作られる精油所が外国貿易多目的地区の特典を享受できないように工作した。
 このような前例があったにもかかわらず、事業拡大をあせった安宅は社運を賭けて、石油ビジネスの一角にくいこもうと全力をあげた。だが、中東戦争の影響で暴騰した石油価格のために、カムバイチャンス精油所は経営不振で操業停止せざるをえなくなる。そして三億三千万ドルのコゲつきを出した安宅産業は破産し、日本の経済地図の上から姿を消していった。
 年商二兆六千億円を誇った総合商社・安宅産業の倒産劇から、はたして日本人は何らかの教訓を学んだのだろうか。
 石油開発を主体にした石油ビジネスは、現代における戦争のバリエーションであり、各国は言うにおよばず、中くらいの国民国家をはるかに上まわる規模でビジネスを展開しているメージャー系石油会社も、その持てる力を総動員して生存競争を闘っている。
 石油ビジネスの第一線で闘いぬき修業をして鍛えあげた頭脳を武器に、オイルマンと呼ばれるひとすじ縄ではいかない人材が渡り合っているので、石油ビジネスのババ抜き合戦に敗れると、会社でも国家でも、実にあっけなく全面崩壊するのが世の常である。
 一九四一年八月一日にルーズベルト大統領が断行したアメリカの対日石油輸出禁止が、四カ月後の真珠湾奇襲と太平洋戦争の直接の原因となり、それが大日本帝国の滅亡に結びついたことは歴史の事実であるし、安宅事件も民間企業レベルでの小さなエピソードのひとつにすぎない。そして、凍てついた白い霧が旅情をさそうあのニューファンドランドで安宅産業を野垂れ死にさせたのは、三億ドルという数字に表わされた冷酷な負債の額にほかならない。
 近い将来において、かりに安宅事件の五倍、あるいは一〇倍の規模での取りつけ騒ぎが発生した場合に、生き残るだけの力を持つ企業が、わが国に、はたして存在しうるだろうか。
 しかも、安宅の一〇倍のスケールの負債をかかえた倒産劇が、たったひとつではなくて、次つぎと起きた時に、日本株式会社としてのわが国は、はたして生き残りうると考えることができるのだろうか。
 これは真撃な気持になって、一億人の日本人が自らに問いかけるに値する設問だといえるだろう。
 なぜならば、赤字国債を歳入の二割五分以上も発行しない限り、国政をまともに動かしえないような国にとって、これは絶対にあってはならない種類の仮定だからだ。一九八三年の段階で、国債の残高は一二〇兆円(四千八百億ドル)であり、外債が二七兆五千億円(一千百億ドル)だから、赤ん坊も入れて日本人一人当たり一五〇万円近い借金の金縛りにあっている。
 日本の経済誌や評論家などが盛んにメキシコやブラジルを名指しで、国家の財政破綻によるデフォールト(債務不履行)の可能性を論じ、多くの発展途上国のカントリー・リスクについての意見をひけらかしている。
 だが、海外ではすでに日本政府は借金に押しつぶされてもおかしくないと囁かれていて、最近では金融を国策にしているスイス人でさえ、円建てのユーロ債の引きうけを回避する始末だ。しかし、経済大国熱にうかされている日本人のほとんどは、その事実に気づいていないし、気づきたくもないのである。
 日本の国家財政の現状がサラ金地獄と同じであり、内外債としての借金が合計一五〇兆円に近いのに比べると、わずか六兆円(二四〇億ドル)の保有外貨など雀の涙に近く、国家の破産という断末魔にもはや紙一重のところまできている。また、石油を主体にしたエネルギー多消費型の産業社会を築きあげてしまったのに、石油の確保という点では、官民をあげてでたらめなプロジェクトをでっちあげ、利権漁りの巣窟にしてしまった。しかも、石油が一時的な供給過剰で市況が軟化しているからといって、油断の気持に蝕まれているのである。
 だが、心しなければならないのは、石油の不足は文明社会におけるエネルギー・バランス上、既定の事実であり、カナダをはじめ世界各地で、日本人が石油と天然ガスの取扱いででたらめをやっているために、石油危機のなかで次つぎと破綻の連鎖反応が起ころうとしており、しかも、次の石油危機が日本に達する時に、経済破綻のドミノ現象も、同時に日本列島を痛撃するに違いないことである。
 そうである以上、お題目騒ぎに終始する行政改革の茶番劇に幾層倍も増して、破局の連鎖反応の警戒に、より高い優先順位を与えてしかるべきではないか。


ボーフォート海の黒い霧

 将来とはまさに来たらんとする時のことであり、この将来が明日における出来事と結びついても、少しもおかしくはない。治乱興亡は世の習いであり、「遠慮なければ近憂あり」とも言うが、安宅事件の七回忌が未だやってこないというのに、われわれは再び凍てついた北極おろしの彼方に浮び上がる不吉な灰色の影を目撃しようとしている。おそらく、それは《ドームゲート事件》とでも名づけられて、安宅事件の十数倍を上まわる惨状を伴い、これからその全貌を日本人の目の前に現わすことになるであろう。
 北極洋の一角に位置するカナダ領ボーフォート海に広がる黒い霧が南に張り出し、アルバータ州からブリティッシュ・コロンビア州北東部にかけての天然ガスと混じり合い、それがインドネシア、中南米諸国、そして、中東産油国と結びつく利権とどのように繋がっていくのか。
 しかも、その国際的な利権の構図が、総理大臣や通産大臣を経験した元閣僚たちの金脈としてロッキード事件と絡みつき、自民党の腐敗の構造をいかに多彩なものにするか。また、首相の犯罪を日本の政治史に綴った、あの田中闇将軍の私的利益を守るために、権力の隠亡(おんぼう)としての中曽根内閣が生まれたが、その闇取引きとその後における裏切り行為が、いったいどのように進展するかを解明することは、ひとえに、今後におけるわが国のジャーナリストたちの問題意識と勇気にかかっている。
 昭電疑獄、造船疑獄、インドネシア賠償疑獄、ロッキード疑獄といった、戦後の日本の政界を黒い霧で塗りこめたかずかずの構造疑獄は、政治を食いものにして利権商売に明け暮れる、自民党株式会社の営業案内の大見出しにすぎない、と言ってもよい。そして、報告書に現われていない陰の部分には、国民が知らない隠し財産が埋もれているのであり、ひとつの疑獄事件のなかには幾十ともいえる汚職事件が構造的に含まれている。
 奇しくも極寒の北極洋に姿を現わしたのがドームゲート事件であり、この氷山の一角にオーロラの光をあてることによって、海面下に沈んでいる巨大な利権の存在をつかむ糸口をたぐり求めていくことになる。
 水面近くには、すでに利権がらみの政治家と絡みついた高級官僚の名前が見え隠れしている。問題の本質を明確にとらえるためにも、全体を歴史の流れで洗い出す作業から始めるのが手順として妥当であろう。



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