3 誤算と危機




1 ジャパニーズ・キラー、背水の陣

 ドーム石油社の財政危機は、一九八一年末には絶望的な様相を呈していた。
 資本金一億四千万ドルのこの会社の銀行債務が、一九八〇年に二十六億ドルであったのに、八一年には六二億ドルに激増していた。しかも、オイルマンの間では、ドーム社が発表する技術データには意図的なミスインタープリテーション(読み違い)があり、あまり信用がおけないと公然と言われ出した。
 親しいカルガリーのオイルマンや友人のエンジニアたちは、ドーム石油社が人気をあおるために過大発表をしたり、技術データを希望的観測に基づいて無理なアサンプション(想定)と結びつけることは、長期的に石油産業の信用を損なうだけでなく、真面目で優れた仕事をしているカナダのプロフェッショナルの名誉を傷つける結果を生む、という危惧に支配されていた。誠実に生きている人間であればあるほど、ドーム石油社の過度なプロモーションに対して眉をひそめたのである。その危惧が公式に表明されたのが、アルバータ州の石油関係のプロフェッショナル協会(アペガ)が主催した、早春のコンサルタント年次総会の席上である。
 年次報告と石油業界の情勢分析を行なったブラウニング次席副会長は、ドーム石油社がボーフォート海で行なっているパイオニア的な努力に対して賞賛のことばを投げかけながらも、「ドーム石油社の公式発表におけるボーフォート海の石油埋蔵量に関する数字には、プロフェッショナルな職業倫理に反するものがある」という発言を、「プロフェッショナルとしてのわれわれは、大衆に対してのステートメントを行なう場合に、熱狂のあまり、それがミスインタープリテーションに結びつくおそれがないように注意する必要がある」という警告とともに行なった。
 「……職業倫理は登録する性質のものではない。だが、不正直は時によると法廷や資格審査委員会において違反尋問や追及に終わることが多い。倫理にもとる行為は講演、新聞発表、報告書などに現われるが、倫理は不誠実なやり方や無能に由来する過ちよりもさらに重大な意味を持ち、過大表示、間違った判断、操作された報告は、きわめて深刻な倫理違反だ」という発言は感動的だった。
 しかも、ドーム石油社のコパノアM一三号井のテスト結果をスライドで映し、「ボーフォート計画が重大なプレイであることは間違いないが、限られた証拠から巨大な数字を導き出すことは、一般大衆を大きな誤解に陥れるものである」と極めつけ、この井戸に関して行なわれた一連の発表が過大表示であると指摘したのだから、ドーム石油社の面目はまるつぶれだった。


金利支払、一日八億円

 ジャック・ブラウニングは、ジャーマン・ドリリング・ファンドと呼ばれる西ドイッの石油開発のための民間資金の取扱いでは、カナダ最大のビジネス量を誇る石油開発会社の社長である。彼がプロフェッショナルの倫理規定をあえて持ち出した理由は、一営利会社の利益を追求するための短期的な効果が、地味だが誠実な努力を積み重ねて信用を築きあげている多くの人びとのプライドと誠意を、結果として踏みにじることへの危惧があったからである。
 怒りをうちに秘めたジャックの醒めた警鐘のことばは、プロフェッショナルとしての矜持を持つ多くの会員に感銘を与えた。また、国際的にも名前を知られたアペガの次期会長が、ドーム石油社を名ざしで批判したことは、カナダ中に大きな衝撃を与えたのである。
 エンジニア、ジェオロジスト、ジェオフィジシストが結集したアぺガは、会員であることが資格証明を示しているので、この組織からドーム石油社の石油プロフェッショナルが追放されるようなことにでもなれば、ドーム石油社は石油開発を継続すること自体が不可能になる。
 このへんにプロフェッショナルの倫理規定が確立しておらず、公認会計士が粉飾決算に加担したり、弁護士や政治家が犯罪行為や虚偽の発言をしても不問のままで済んでしまう、日本のような無規範が支配するポリクロニック(多時元的)な社会と、欧米のような職業倫理を重視するコンテクスト(もちつもたれつ)度の低い社会の差がある。
 資格を剥奪されることはプロフェッショナルとしての生命を失うことであり、それは自らの倫理観に基づいてセルフコントロールされなければならず、ブラウニング発言はここに根ざしていた。それはマックス・ウェーバーが表現するところの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の思想そのものだ、と言ってもいいのである。
 すでに、ドーム石油社は加速度的に自壊を速めており、一九八二年一月以来、経費節約のために大なたをふるっていただけでなく、四千二百人の従業員の一五パーセントを削減していた。
 ジャックとビルにとって一番の見込み違いは、四〇億ドルの巨額な資金を注入して狙ったクレオパトラ的なHBOGの現金保有ポテンシャルが、予想した八億ドルではなくて、三億ドルにすぎなかった点である。この見込みはずれは致命的であり、ドーム石油社が生きながらえるために必要なキャッシュフロー(流動資金)を作るためにも、換金できる資産を処分して、とりあえずは利息に充当しなければならない。
 なにしろ、負債総額は七〇億ドルであり、一日の金利の支払いだけでも八億円が必要なのだ。こういった状況に陥っている以上は、なりふり構っているわけにはいかないし、手に入るカネなら何でもよかった。大半が血税である日本側の払込み資金の用途が、ボーフォート海の石油開発であったにしても、それは後でうまく調整すればいいだけのことだ。
 とりあえずは一日一日を生きながらえることが先決だとしたら、日本の出資金が利息の支払いで、あっという間に消しとんだにしても、サラ金地獄のパターンからいって少しも不思議ではないのである。
 ドーム石油社が展開した資産の叩売りは、熱帯諸国の露店商人と同じやり方であり、一年前にコントロールした造船所の投売りから、HBOGが海外に所有している石油資産にまで及んだ。クレオパトラの身ぐるみをはいで、装飾品から家屋敷の全部を叩き売るだけでなく、クレオパトラ自身をせり市に出したようなものだった。
 この海外資産の場合は、シシリー島沖やガボン沖の大陸棚鉱区を含むが、中核を構成するのがインドネシアの権益であり、日本人が伝統的にインドネシアの石油に強い関心を示すということで、経団連を通じて一五億ドルの価格で売りこむ工作をした。私の会社とサントリーがカンサス州で小規模な石油開発をしている、というニュースを聞きこんで、ウイスキー会社にまで売りこみの話を持ちかけたそうだが、結局はイギリスのBPが言い値を大幅に叩いて、三億四千万ドルで落札した。
 一〇年前にこのイギリスの国営会社はアブダビ沖の鉱区を、無知な上に欲に目のくらんだ日本の役人とフィクサーを相手に、市価の一〇倍で売りつけるのに成功しているが、今度は札束でカナダ人の顔を叩いて、捨て値で鉱区を仕入れたのだった。
 ここで三億ドルあまりを手に入れたからと言って、ドーム石油社の経営陣は安心しているわけにはいかなかった。なぜならば、九月三〇日には十三億ドルもの巨額な手形の支払期限がくるのであり、この巨大なハードルを跳びこえるためには、銀行に新たに借金を書き換えてもらい、なんとか生きのびる上での知恵が必要だ。それがたとえ謀略に似たものであったとしても、瀕死の手負い獣にはなりふり構っている余裕などなかった。
 狙いはただひとつ。小金にはケチだが桁はずれに大きな金となると、使い方に鈍感で、しかも、石油ビジネスにはまったく無知なうえに、石油資源の確保に関しては貧欲な相手といえば、世界広しといえども、日本人の右に出る者はいない。


LNGプロジェクトに飛びついた企業

 カルガリーのドーム石油社のなかには、ジャパニーズ・リレーション・デパートメント(日本人接待課)までできていたし、リチャード社長は別名ジャパニーズ・キラー(日本人殺し)と言われ、ジャックのような”スマイリン・ジャック”とはひと味違った凄みのある対日エースが健在だ。
 天下り役人の保養所のような石油公団と元老院的な経団連を相手に、いとも簡単に四億ドルを巻きあげたビルにしてみれば、日本人は相手として実に他愛のない、むじゃきな善人集団であり、しかも、東京に出張するたびに体験した、フィクサーを伴って出没する閣僚級の政治家とのコネがいくらでもあった。
 日本のジャーナリズムはドーム石油社の苦境についてほとんど報道していなかったので、日本の首都でカナダ版の河内山宗俊がいくらでも自由に演じえたのである。
 ビルは日本側の窓口として、つねに経団連を利用することにしていた。功なり名を遂げた大経営者という自意識と、オレがオレがという自負心、天下の采配は自分の手のうちにある、という権力意識にこり固まった老財界人ほど、扱いやすいものはなかった。
 資源がらみの利権の味を知る政治家たちは、ビルに会うチャンスを求めたし、日商岩井や伊藤忠だけでなく、三井物産や丸紅、それに日本鋼管や新日鉄が競って席を設けたがったのが、東京出張における醍醐味でもあった。東京での熱のこもった歓待の累積が、ビルを日本ファンにしただけでなく、名うての日本人キラーにと育てあげたのである。
 次にドーム石油社の首脳陣が、ビルの胸算用に従って仕上げを急いだ構想は、液化天然ガスを日本に輸出するプロジェクトだった。これは一九八〇年に日商岩井と基本線で合意に達して以来、その可能性を追求してきていたし、競合する他社のプロジェクトもあったので、最後の詰めに迫っていた。
 他の二つの計画のうち手強かったのは、ぺトロカナダ社と三井物産が組んだプロジェクトであり、規模としては五億ドルだった。もうひとつは丸紅と住友商事が組んだものだが、カナダ側が評判の悪いカーター・エナジー社だったから、問題にならない。
 ドーム石油社としての問題点は、図面の上でプロジェクトができあがっていても、肝心の天然ガスの埋蔵量が自社の保有分では必要の半分も満たすことができず、すべてが単なる作文でしかなかったことである。
 それでも、日商岩井グループだけでなく、日本にはカナダの石油や天然ガスの開発において、事前評価をやれる会社は存在しておらず、初めからドーム石油社の言うことをうのみにするのは分かり切っていた。それに、日商岩井のうしろには興銀と東銀がついていただけでなく、石油公団のトップや通産大臣をやった閣僚級の人脈もあった。
 液化天然ガスの新しい確保先を血まなこで捜している中部電力は、すでに見切り発車をして、知多半島にLNG基地を建設する工事を始めていて、日本側にはすでにあせりが現われていた。そうなれば、日商岩井が日本側を結束させて、計画の進行に対して側面から働きかけてくれれば、カナダ側の手配はその道のベテランのジャックの守備領域である。
 これがジャパニーズ・キラーであるビル・リチャードの読みと布陣であった。こうして、日本人との関係はドームゲートの第二段階に入って、場所をボーフォート海からロッキー山脈の山裾に移して、新しい展開を遂げていくのである。



2 日商岩井のあせり

 ドーム石油社が仕上げを急いだ液化天然ガスの対日輸出の青写真は、日本人好みの夢のような計画で、壮大なハードウエアのかずかずが組み込まれていた。カナダにはカナディアン・コンテントという規制があって、国家的な大事業は国産の資材と技術を使わなければならないことになっているのだが、日本側は日本の資材がエンジニアリング付きで新しい市場を開拓できると考えて、計画が大型化するほど喜んで、とらぬ狸の皮算用をした。
 日本が金を貸すので、太平洋岸に届いたパイプライン以降の領域は日本側で采配がふれる。しかも日本国内での関連事業も多岐にわたるので、政治献金を生み出す余裕も十分にひねり出せるという読みも、当然にあった。
 興味深いことに、日商岩井は「ブルースカイ作戦」と名づけて、機械・プラソト輸出を戦略部門の中心におき、起死回生の企業体質強化のために、あせりの気持に支配されながら懸命な努力をしている会社だが、ドーム石油社も生存そのもののために死にもの狂いだった。
 日商岩井は七九年四月にグラマン疑獄で副社長が逮捕され、しかも、一九八一年一二月には香港支社の為替投機によって、年間収益にも相当する一六〇億円の損失を出して落ち目の商社の屈辱に耐え、一方、ドーム石油はいつ破産宣告をされるか分からないウルトラ負債を負っていた。
 ドーム石油社の基本姿勢は創業以来の伝統に忠実であり、すべて借金で他人の資本をフルに使いまくるというベースだ。LNGプロジェクト自体が、日本からの四〇億ドルの融資と、トランスカナダ・パイプライン社が調達する五億ドルのパイプライン建設が骨子である。そのうちの二〇億ドルが、プリンス・ルパート地区に作る液化天然ガス基地と港湾整備費で、残りの二〇億ドルが、LNGタンカーの建造費などで、日本側は年利九・七五パーセントの利息を受け取ることになっていた。


埋蔵量への専門的疑問

 すでに毎日八億円の金利支払いに追いかけられて青息吐息の会社が、さらに毎日利息の追加払いを二億円以上やりうる、というのが、日本の商社と銀行の計算らしいが、はたして、元金の回収について考えたことがあるのだろうか。
 それ以上に、石油開発の専門家の立場で気掛かりなことは、ドーム石油社が日本に売却できると称している天然ガスの埋蔵量についてである。ドーム社がブリティッシュ・コロンビア州東北部とアルバータ州北西部に所有する天然ガスの内容に詳しい、ユニオン石油社時代の同僚ホーマー・ジョンソンは、三五年の豊かな経験をもとに、こう言っている。
 「あの辺でガスを生産するニカナシン層やカドミン層は孔隙率のバラツキがひどくて、とてもじゃないが、まともな石油エンジニアには生産計画が立てようがない。深さが三千八百メートルで、一本当りの試掘費が二百万ドルに仕上げが百万ドル。それに、あそこの平均発見率は三割で、しかも、一本当りが日産二五万立方フィートから二千万立方フィートで、底なしの泥沼に踏みこむようなもんだ。第一、砂岩のポロシティ(孔隙率)が八パーセントから一〇パーセントなんて汚すぎるな……」
 石油開発をやった人間なら、これだけの情報がいったい何を意味するか、たちどころに理解できるはずだ。砂岩の孔隙率は普通二〇パーセント以上だし、かりにこれだけのデータをベースに投資計算をすると、わざわざ八百キロもパイプラインで輸送して液化するまでもなく、カナダ国内で消費する場合だって、コストが高すぎてとても売り物にならないのだ。ホーマーはさらに続けて言う。
 「ドーム石油社はカットバンクに超モダンなガスプラントを作ったんだ。コンピュータが全自動オペレーションをして、無人操作が可能だというのはすばらしいことだが、一日当り七千万立方フィートの処理能力を持っているけれど、実際にはその半分も処理していない。その理由は、ゴッダム! あのポロシティのせいなのさ……」
 ドーム石油社は新鋭のカットバンクのほかに、周辺にスティプロックとバルハアラのガスプラントを持っていて、グランド・プレリーの町の方向では有望なファラー層の天然ガスもあるが、その開発とファームイン交渉は今後に残されている。しかも、最も重要なことは、アルバータ州政府の姿勢であり、ローヒード州政府首相は今のところ輸出許可に対して首を縦にふらないでこう断言している。
 「値段が安かったらアルバータの天然ガスは州外に出さない。それに、アルバータ州内の需要をまかなって余裕が出た時にだけ輸出を考えてもいい」
 ここにも政治がらみの間題があり、日商岩井とドーム石油社の間で仮契約に際して使っている百万BTU当り六ドル八五セントの数字と、国際価格にエネルギー単位でスライドするという、主にドーム石油社側に魅力的で卓絶したアイディアも、どこまで有効性を発揮するか疑間である。
 なぜならば、チェンジ・オブ・サーカムスタンス(状況変更)条項があって、現段階では、何とか無理をすれば採算の目鼻がつきそうに思われても、ドーム石油社にしたら、投資資金は日本側が出している以上は、契約を済ませて投資してしまえば、あとはいくらでもこちらのぺースで振りまわせる、という読みがあることが見えすいているからである。
 ドーム石油社としては、ここで衆目を集める大プロジェクトを動かして、債権者の好意を盛り上げ、何とか苦境を逃れたい、という気持に支配されている点については痛いほど分かるが、それにしても、あまりに行き当たりばったりで、大事業にふさわしい準備と余裕を伴った戦略的対応に欠けている。また、日本側もあせりと利権にひきずられてジタバタしすぎるがゆえに、ジャックとビルに足もとを見すかされて振りまわされてしまうのである。


杜撰と無駄の塊か

 もうひとつエピソードを紹介しておくと、ドーム石油社はボーフォート海での発見と埋蔵量を派手に発表しているが、子会社のカンマール・マリン・ドリリング社副社長のモリー・トッドは、「ボーフォート海の生産ポテンシャルの全計算値は、一次回収によるものではなく、三次回収の分までをべースにしている」と発言している。おそらく、これは苦しまぎれに出てしまった発言だろうが、八二年九月二〇日号の業界誌「オイル・ウィーク」に、ベタ記事ではあるが、はっきりとスクープされているのである。
 石油の埋蔵量の計算をする場合、生産ポテンシャルの計算に三次回収分まで含めることは、どんなイカサマ師でもやらないのであり、この発言を読んでカナダのSEC(証券取引委員会)がドーム石油社に対して何ら注意を喚起しなかったのは不思議であった。カナダ政府は言うに及ばず、一般投資家やパートナーになった日本の企業グループも、プロモーターの本領を発揮する、かつての超一流企業の虚名に酔いしれて、なめられていなければ幸いである。
 役人たちに財布をあずけたことによって、莫大な税金を使った日本人は、石油公団のおかげで、とんでもない食わせものをつかまされていないと、いったい誰が保証してくれるのだろうか。国民こそいい面の皮である。
 石油公団の理事としてこの契約をまとめた人は、二千万円の退職金をもらったあと、これまた準国策のアラビア石油に天下りして取締役になって、さらにみごとな転身を遂げている。
 踏んだり蹴ったりとはこのことであり、行政改革の対象としてまず筆頭にくるのは、こういった醜聞を一〇年一日のごとく繰り返している石油公団をはじめとした政府の外郭団体の整理だと思うが、いかがであろうか。
 問題は小さな政府が必要なのではなくて、このようた愚劣な無駄遣いをしない、効率のいい政府を持つことである。これは日本政府だけでなく、カナダ政府についても言えることである。一九八三年にドーム石油社が作った人工島は一億一千万ドルも費用をかけ、そのうち、九千万ドルは税金を使った政府からの補助金で賄われているが、カルガリー・ヘラルド紙によると、基盤が軟弱であり、掘削装置を支えるだけの耐久力を持ち合わせていないそうだ。ここにも大きな税金の無駄遣いがある。
 いずれにしても、ボーフォート海だけでなく、液化天然ガスの対日輸出計画も、大計画に似合わしくない粗雑な側面がいろいろと露呈していて、ちょっと目の利く人間には、その行きつくところがおよそ予想できるのである。
 それに、このLNG計画に参加している企業を見てすぐ気づくことは、日商岩井を幹事会社にして、中部電力、九州電力、中国電力、大阪ガス、東邦ガスといった顔ぶれで、最大のシェアを持つ中部電力以下、すべてが地方の公益事業体である点だ。
 LNGの輸入にかけては実績と経験を誇る、東京電力、東京ガス、関西電力といった会社がまったく参加していないのも気になることだ。それにLNGに関してアラスカやブルネイで一五年の経験を持ち、ロイヤル・ダッチ・シェルから天然ガスのビジネスの手ほどきを受けて実力日本一となり、しかも、圧倒的に他社に抜きん出た三菱商事がカナダにおける天然ガスに関心を示していない事実は注目に値する。
 私がコンサルタント役をしたわけではないが、おそらく、三菱商事は特別な情報ルートを持つか、あるいは、優れた石油コンサルタントのアドバイスを受けて、カナダの現状ではLNGは商売として成り立たず、せいぜい金脈を繋ぐ意味しかない、と心得ているのかもしれない。
 三菱商事はブルネイの天然ガスに社運を賭けてシェルとパートナーを組み、天然ガスの開発から液化や輸送までを取り扱い、現在では年間二百億円あまりの配当利益をあげるほどの成果を生み出している。これが日本筆頭商社になった原動力であり、三菱商事の計上利益の半分に当たるドル箱ビジネスで、二百億円という数字は、伊藤忠や日商岩井の年間利益に匹敵するので、各社の羨望の的になっている。
 だが、これは一五年間にわたる修業と努力の結果である。フィクサーとしての政治家や右翼ゴロとの結びつきを断ち切っているかどうかは知らないが、少なくとも、質のいい情報を入手するためには、万金を惜しまなかったのではないか、という気がする。それと同時に、自分の組織のなかに天然ガスに関しては一種独特のカンを持った人材群を育てているのではあるまいか。それは飛行場作りの分野で日商岩井が誇るノウハウと同じであり、この人材を生かして独自の実力でビジネスをするか、政治家の力を頼るかによって、将来における運命が大きく変わってくるのである。
 ピーター・ドラッカーは『経営者の条件』のなかで、「効果的な経営者は優先順位を設定し、そして、その決定された順位に従って行動するように自らに強制する。彼らの選択は限られており、一番重要な事柄をまず完全に実施し、二義的な事柄には手をつけない」といっているが、フリーエンタプライズ社会におけるビジネスでは、政治家と癒着することは自立自尊の精神に反し、ドラッカーのいう二義的な事柄にほかならないのである。



3 石油ビジネスの生態学

 ブリティッシュ・コロンビア州とアルバータ州の境界地域や、ボーフォート海の天然ガスを市場にもたらす上でのフィジビリティ・スタディは、大手各社ならすでに行なっていることである。
 インぺリアルをはじめガルフ、シェル、アモコ、シェブロンは言うに及ばず、アルバータ州ならハンターやホーム石油各社は、社外極秘資料として、幾種類かのリポートを作っているに違いない。会社の長期戦略を考える上で必要だからだ。
 そして、アプローチの仕方によって、いくらでもそれを閲覧することが可能だが、問題はそこに書かれた数字やことばの背後にある思想を読みとる能力である。
 組織には生成、発展、衰退、滅亡が、時間の流れのなかで生起するプロセスがあり、文明、産業社会、国家、企業、個人といったそれぞれのレベルで、このパターンが展開する。このプロセスを組織におけるエネルギー・ポテンシャルを縦軸にとり、時間を横軸にして描くと、ガウス曲線と同じベル・カーブが、組織におけるライフサイクルの理想曲線として書ける(図8)。もちろん各組織によって独特な歴史、動機、伝統、体質、実力、思想、課題、目標、人材、といった要因に差があるので、理想的な曲線は描かないし、各時期の内部にサブ期を内包することによって、長波に歪みのパターンが現われることは、すべてのサイクル現象に共通する傾向である。
 産業革命に出発点を持つ第二文明期は、マニファクチャーから重工業へと移行する性格を基本に持つ産業社会であり、ビジネスにおいてリーダーシップを取る人材を発展段階に対応して並べると、科学者、技術者、企業家、経営者、管財人といった序列で一般図が描ける。科学者や技術者がビジネス的に成功するケースはあまり多くないので、歴史上ほとんどの場合が、企業家が生成と発展の時期を代表する形をとり、資本形態としてはベンチャー・キャピタルから産業資本への移行期に対応する。
 また、これを石油ビジネスにあてはめると、第一段階として石油がどこにあるかを探査し、プロスペクト化するジェオロジストが主役を演ずる時期があり、発見から生産のステージに移行することによってエンジニアの役割が重要になっていく。同時に、発見した井戸を中心にそれを油田として仕上げるうえで莫大な資本投資が必要になるので、どうしてもファイナンシングと巨大化した組織をマネージする手腕を持つ人材として、財政手腕とマネージメント能力を持つ経営者が組織運営のイニシアチブをとるが、この段階で組織は発展における絶頂を迎える。
 また、発展期に激増する資金需要に対応するために、この段階で資本の供給が特定少数から不特定多数のものに転換して、証券市場の機能に依存するのが資本主義経済における一般傾向であり、資金の性格が産業資本から商業資本にと移行する。





ドーム社にみる組織衰退症候群

 石油会社が大きくなるに従って、組織のピラミッド構造とヒエラルキー機構は官僚主義的傾向を強める。その結果、ジェオロジスト主導型の石油新発見による業績への寄与よりも、短期間に成果をあげ、貸借対照表上で資産が大きくなる生産井やそのバリエーションである企業のテークオーバー(買収や吸収)に事業の重点が大きく移り、メージャーあるいは準メージャー的な体質になっていく。同時に、契約上のアドミニストレーション(管理)や、係争処理が重要度を占めることにより、弁護士の才能が政策や意思決定により大きな影響力を及ぼす。
 これは組織がすでに衰退期を迎えていることを示す症候群の最も代表的なものである。そして、最終的には弁護士を主役にしながら滅亡期を迎え、この段階で管財人としての銀行派遣人事や、監督官庁から行政手腕を持つ役人が送りこまれて、政治がらみのビジネスが進行する。
 だから、役人主導型の石油ビジネスは自らの力で石油を発見するよりも、有望な企業の買収や他社が開拓した石油開発プロジェクトに権利を買って参加すること、あるいは、すでに生産された石油の取扱いを通じて石油産業のダウンストリーム(精製)部門を支配して生きのびるのが関の山になる。
 そこに国営石油会社が石油を発見する比率が低く、民間事業としての石油開発を公営にすることによって、ビジネスの活力をそいだり、組織を殺してしまう原因もある。
 それを如実に現わしているのが、日本の石油公団による海外の石油開発に対しての姿勢であり、ほとんどの計画が無責任な税金のバラまき合戦に終わっている。
 また、カナダにおける国営のぺトロカナダも例外ではありえず、大型の企業買収として一九七五年の創立以来、ぺトロカナダ社は、一九七六年に三億四千万ドルあまりを払ったアトランチック・リッチフィールド・カナダ社、一九七九年に一五億ドルを費やしたパシフィック石油、それに一九八一年に一四億ドルを投入したぺトロフィナ・カナダ社など、もっぱらプロダクション買収のバリエーションの周辺で派手に動いている。
 それだけに、カルガリーのオイルマンたちの間では、「ペトロカナダは自分の力では一滴も石油を発見していないのに、すでに税金を使って三〇億ドル以上も無駄遣いをした」とあまり好意的な評価を与えられていない。一滴も発見していないというのは、あまりにもオーバーであり、少なくとも、資本金百万ドルくらいの、意欲に満ちた生成期の石油開発会社と肩を並べるくらいの成果はあげているはずだ、と評価してもいいのではないか。
 もっとも、資金効率から言ったら、どうしても好意的な評価をする気にたらないのは、ベンチャー・キャピタルや産業資本の在り方と魅力を知りぬいている、企業家精神に富んだオイルマンにとっては、当然のことに違いない。
 また、コスト・パーフォーマンスを発展段階の上に投影すると、石油の発見から生産が本格化する時期に最良の状態を示す。それはベンチャー・キャピタルから産業資本への移行期であり、証券投資において最も有望な展開が見られるのがこの時期で、ペニー株(投機に使われる安物株)を中心にして熱狂的なブームが巻き起こるが、それはスペキュレーション(投機)をするだけの魅力が存在するからである。石油発見のニュースだけではなく,噂だけで株価は何割も、ことによると何倍にも高騰して、証券界の寵児になる。
 このパターンを最大限に生かして二五万ドルのベンチャー・キャピタルをもとに、三〇年間でカナダ最大の民族系石油会社への躍進の道を歩んだのがドーム石油社である。ジェオロジストとしてのジャックが企業家としての手腕を発揮して、石油の発見と生産井の買収を組み合わせながら、生成から発展の初期段階を築きあげた。
 弁護士は本来は守りの役割を果たすのだが、ビジネスマンとして財政手腕において卓越したビルが経営陣に参加したことにより、ドーム石油社は生産井と企業の買収を繰り返しながら、証券市場の人気者としての地位を保持する。
 しかも、ジャックがジェオロジストとしてイニシアチブを保持しながら、天然ガスのコンデンセートから北極洋多島海、そして最後にはボーフォート海という具合に、次つぎと石油開発の新しいフロンティアを開拓して、それぞれの段階で生成から発展のサイクルを繰り返していき、投資家たちの関心を引きつけつづけた。
 これがドーム石油社がめざましい発展を遂げるうえで示した生理学と生態学の基本的なパターンであり、同時に成功を手に入れた秘密を解く鍵でもある。
 それにしても、投資家の思惑を十二分に生かして株式市場を席巻し、大量の資金を集めて新しい事業に投入したものの、ドーム石油社には誤算があった。それは北極洋多島海に投資した資金が、石油生産を通じて回収に至らない段階で、投資家とカナダ政府の関心を集めつづけるために、よりコストのかかるボーフォート海に新しい第二フロントを求めたことである。


二面作戦の失敗

 第二次世界大戦においてヒトラーが犯した最大の戦略的誤りは、西部と東部の両面作戦を展開したことである。ハードウエアによって圧倒的な軍事的優位性を誇っていたにもかかわらず、ドイツはハードウニアの重さとエネルギー供給面でのポテンシャル消耗で自滅した。それに対して両面作戦の愚かさを熟知していたスターリンは、ゾルゲ事件に見られたスパイ網の活用により、日本の南進政策を確認し、シベリアの兵力を西に移して対独一面作戦に全力を傾けたがゆえに、劣勢であったにもかかわらず反撃に転じることもできた上に、チャーチルに対して最優先で第二戦線確立の要請に徹したのである。
 北極洋多島海の石油開発というフロンティアに、パイオニアの役で挑戦したにもかかわらず、ドーム石油社が途中から作戦の重点をボーフォート海に転じたことによって、エネルギーが分散しただけでなく、第一戦線が中途半端な状態で放置され、二面作戦に移ったことが全体として破綻の原因になるというパターンが、そこにはっきり読みとれる。
 二面作戦の失敗例として最もよく知られているのは、第二次大戦のヨーロッパ戦線の天王山であるモスクワ攻略である。
 国防軍総司令官ブラウヒッチと参謀総長ハルダーは、モスクワ攻撃に全力をあげる作戦を立てたが、ヒトラーは主目標をレニングラードにおき、次にウクライナの農業地帯とドニエプル河下流の工業地帯からのスターリングラードのあるボルガ河にかけての地域に重心を移している。しかも、レニングラードは制圧していないし、スターリングラードに続いてクルクスで致命的な打撃を受けて東部戦線は崩壊している。
 レニングラードは北極洋多島海と対応しているし、最後にコーカサスの油田地帯までたどりついたウクライナ・キャンペーンはボーフォート海プロジェクトとよく似ている。フロントとして戦線展開のうえで、戦略的対応をする形で戦争を遂行する機構が機能しなかったのが、ナチスドイツだった。個々の戦闘では目を見張る勝利を記録したが、全体として見れば、戦争には敗北せざるをえないのだ。
 それにしてもドイツ国防軍には戦争のプロフェッショナルとして、優れた資質を持った将軍たちがいて、バルバロッサ作戦の前段階にはブラウヒッチ総司令官やハルダー参謀総長も健在で、ヒトラーの暴走を制御するブレーキ役を果たしつつ罷免されるまで健闘した。また、後半戦では劣勢だった困難な条件にもかかわらず、指揮官のレベルでめざましい戦果をあげたマンシュタインの例もある。
 ところが、ドーム石油社の場合は、戦略を構想する人材が北極洋多島海キャンペーンにも、ポーフォート海計画にも存在しておらず、ジャックとビルは企業司令官や参謀であるより、むしろ指揮官に近い状態で大作戦を展開し、しかも、南北戦争でリー将軍がシャーマン将軍に致命的打撃を与えられたように、補給線の分断と二面作戦に追いやられて、じり貧に陥っていったのである。
 戦争の例でなく、政治にモデルをとれば、ドーム石油社の動きはナポレオン三世的でもある。
 謎のないスフィンクスと言われたルイ・ナポレオンは、策士であるとともに経世の士であり、空想家と現実主義が入り混じった独創的な浪費家だった。
 衆目を集めるものを探し出しては飾り立て、比類のない大事業のように国民を言いくるめて権力を保持したこの世紀の独裁者に、ドーム石油社は類似している、と言えるだろう。私欲を満たすために政治権力を手玉にとり、ドイツ流の偏狭なロマン主義に酔って、壮大なアイディアに興奮しながら、ルイ・ナポレオンは浪費を続けたが、結局は、ヨーロッパ大陸における光輝く大国フランスを衰亡させてしまった。
 小さな手柄としては、カブールの弱みにつけこんで、五〇年後に観光地としてフランスのドル箱になるモンブランとニースをイタリアからもぎ取ったが、イギリスと組んでセバストポリの攻防に賭けたクリミア戦争、マクシミリアンを皇帝につけたメキシコ遠征、ルクセンブルグ買収計画の行き詰まり、スペインの王位継承問題とフランスの国際的孤立、といった流れのなかで、普仏戦争がついにルイ・ナポレオンの第二帝政に止どめを刺したのだった。
 こういった戦史や歴史をベッドサイド・ストリーとして読んでいると、ドーム石油社も小さなスケールで似たようなゲームを展開している、という感じがしたものだ。
 なぜならば、石油開発は戦争のバリエーションであり、プロシアが生んだ戦略思想家クラウゼビッツの命題の『戦争は他の手段による政治の継続である』という指摘に従えば、フロンティアに挑戦する石油開発は戦争と国際政治を支配する法則の枠のなかにあり、それは歴史のなかにモデルが存在しているからだ。そして、人は歴史を無視することによって、歴史に嘲笑される悲哀を味わうことになるのである。



4 無謀なキャンペーン

 一般にドーム石油社の経営破農は、コノコが保有していたHBOGの買収がスムーズにいかなかったことと、買収価格に四〇億ドルの資金を銀行借入れで投入し、コノコがHBOGに保有していた五二・九パーセントの株を入手して、支配権を確立したにもかかわらず、それに見合った流動資金を確保できたかったことにある、と考えられている。
 確かに、それもドーム石油社の破綻の要因とすることが可能だが、より重要な効果は、それが破綻を早めるうえで威力を発揮した点である。
 戦略的な構想を確実に物質化していく基本方針と、慎重かつ大胆に課題に取り組む姿勢があったなら、ドーム石油社は一つだけでもすでに力量を上まわる無謀なキャンペーンを、二面作戦の形で展開しなかっただろうし、咀嚼できる以上のものに食いつく買収劇に、のめりこむこともなかったに違いない。
 ドーム石油社の一九八一年版会社報告書に使われている統計を使って、ドーム石油社とHBOGの事業内容を比較してみると、石油やガスの生産と保有埋蔵量では、一九八〇年以来、両社はほぼ互角であるが、HBOGが安定状態で推移しているのに対し、ドーム石油社が急ピッチで追い上げてきた様子がよく分かる。
 豊かな収益の上に安定経営路線をたどっていたHBOGの保守性に対し、ドーム石油社の経営がいかに野心的であるかも分かるが、問題は、ドーム石油社が生成と発展期のエネルギーを利用して、石油や天然ガスの発見によって生産高と保有埋蔵量を激増させたわけではなく、七九年のメサ石油や八○年のカイザー資源社の買収がこの貢献をもたらした点だ。
 埋蔵量は買収した年の統計に現われるし、生産高は翌年の統計に反映することからして、その事実は十分に理解できるし、二つの大きな買収によって、内部保留資金を取り崩すか、銀行借入をしたドーム石油社は、バランスシートで見ると、HBOGに大きな差をつけられているはずであると予想できる。
 しかも、八一年に四〇億ドルの借金をしてHBOGを買収したのだから、咀嚼できる以上のものに食いついたというより、胃袋以上のものを呑みこんだ、と形容すべきだろう。
 北極洋多島海とボーフォート海という、身に余るプロジェクトで二面作戦をする間違いを犯し、破綻は時間の問題にすぎなかったのに、さらに無謀なクレオパトラ攻略作戦にまで手を出したのだから、行き詰まるのは当然である。戦略的な判断を抜きにして、大キャンペーンに明け暮れれば、エネルギーは蕩尽してしまう。
 特に、北極洋多島海は地球上に残っている最後のフロンティアのひとつであり、その挑戦には、徹底的な準備と持てる力の総動員が必要だ。最初に考察されてしかるべき戦略的課題は、石油開発事業にとって最も重要な基本的定石の、新事業に挑むうえでリスクは取るが、そのリスクを経済的合理性に基づいて分散する」ことであり、いざという時になってのめりこみすぎないために、予備目標を組みこんでおくことだ。しかも、さらに重要なことは、予備目標への移行は二面作戦の展開とは違うのだ、という点である。
 北極洋多島海やボーフォート海はカナダのフロンティアであるということからすれば、カナダ系の企業が知識と経験の豊かさに加えて、地の利を確保しているのは当然だが、本社の所在地や株主の国籍にかかわらず、持てる力を出し合って、共同事業にすることは考慮していいテーマである。
 先進工業国として、卓越した石油開発の能力を持つカナダのオイルマンたちが、世界中の協力と支援をバックにフロンティアに挑戦するのは、不名誉なことではない。情熱を持った人びとに希望と機会を提供できる資源大国として、カナダは自由と民主主義を社会体制の上に定着させた近代国家でもある。これは建国以来百年あまりの時間を通じて、多くのカナダ人たちが築きあげてきたすばらしい伝統であり、次の世代に誇りを持って伝えることのできるカナダ最大の遺産である。


指導的パイオニアの条件

 オタワに陣取った高級官僚が被害妄想に陥り、権力の快感に酔う政治家と結ぶと排他的政策を指向して、フロンティアを独り占めしようとすることは、カナダが誇ってきたこのパイオニアの憧れの新天地としての名声を、大いに損なうことにならないか。カナダは劣等感にさいなまれる必要などまったくないだけの、石油開発の優れたプロフェッショナルを持ち合わせており、カルガリーはヒューストンに続いて、世界第二の情報センターに成長している。
 そして、ドーム石油社の会長としてのジャックが、オタワの政治家たちに大きな影響力を持ったオイルマンで、カルガリーの石油業界を代表するパイオニアとして、フロンティアヘの挑戦をするうえで貢献できたはずのことは、排他的なルールの例外を手に入れて、自分だけがこの世の春を謳歌する代わりに、差別的な枠をはずして、皆が喜んで協力しあう体制づくりのために努力することであった。
 ジャックの立場なら、それがいくらでも可能だったし、彼ならそれを政治家に進言して、説得するだけの実力と名望が十分にあったのだ。先見力、説得力、統率力、実行力といったものを統合し、さらにそれを超えたところに真のリーダーシップが存在するからである。
 一民間企業としての石油会社の経営者には、建国の職責を担った宰相と同じ経綸は要求されないにしても、石油ビジネスの指導者には、戦略的な発想と、使命を実現していく上での慎重さや大胆さが要求される。
 また、そのためにも、プロフェッショナルになる努力を一〇年二〇年として、本物のオイルマンが育つのである。しかも、そのなかから卓越した人材が選ばれて、技術的・経済的、地理的なフロンティアに挑む指導者の権限を託されるのだ。それがすべての決め手だったのだが、ドーム石油社の首脳はこの責務を過小評価してしまったのである。
 この点では、日本の石油行政を担当している資源エネルギー庁や石油公団の実情は、暗澹とするほどの内容である。首脳部のほとんどは、石油開発の本質をわきまえていない能吏型の人材で構成されていて、大学時代に経済学の教科書を熟読したとか、法律を丸暗記して役人生活を送り、石油開発をたんなる知識としてしか知らない人がほとんどだが、能吏的感覚を頼りに生兵法に走れば、食わせものをつかまされて自滅するばかりだ。あるいは、計画自体はすばらしい可能性を内包していても、しろうとが見当はずれの取扱いをすれば、破綻してしまう。
 ピリピリとしびれるフグ刺しの微妙さを味わうためには、冴えた料理の腕とカンを持ち合わせないなら、しろうとの見よう見まねをやめてプロの腕を借りることである。プロフェッショナル特有の才能を、昔から「不立文字、教外別伝」と表現してきた。そして、石油開発は科学と技術の精緻を総動員しなければならない領域であり、ルーチン的な仕事さばきと結びつく役人的資質と、最も相容れないものである。
 しかも、石油公団の内部で少数派を構成している技術陣の結論が、ボーフォート海の石油開発は、血税を使ってやるタイプのものではないとしているのに、政治的判断が介在して、上層部が大あわてでのめりこんでしまったとしか私には思えないのだ。
 二千年も昔の周の宰相である太公望呂尚が「邪曲、直に勝つ」と言ったように、不正がまかり通る時代には、国が亡びるものだが、発達した産業社会の生存の決め手である石油が、こんな具合に粗雑な取扱いを受け、食いものにされている事実について、日本人はもっと注意を払う必要はないであろうか。
 石油開発の世界は実力競争が支配していて、優れた能力を持つ人びとも非常に多いが、そこに混じりこんで、かなりいかがわしい人物が沢山いるのも事実である。倫理規定に忠実に生きる本当のプロから、金になればどんなことでもやりかねないいかさま師まで、幅広いスペクトロムのなかでビジネスが賑わい、下層部を構成するペテン師の間では、「だます方も悪いが、だまされる側はもっと悪い」という言葉さえ通用している。
 われわれ日本人は中国の古典から教訓を得るメリットに恵まれているのだから、「大姦は忠に似たり、大詐は信に似たり」という呂誨のことばを思い出しながら、これからのドーム石油社や石油公団の動きを追いつづける必要があるだろう。
 今後におけるドーム石油社の行動様式は捨て身の戦法が主力になり、巨大な債務にさいなまれた状態は、手負いの熊に似てくるだろう。それだけに、これまでの行きがかりで、興奮のあまり出たとこ勝負に走らず、冷静に対応することが大切だと、言わずにはいられない。



5 カナダのサラ金経済

 一九八二年九月三〇日は、ドーム石油社にとって乾坤一擲の瞬間であり、支払期限がこの日の一三億ドルを決済して生き残るか、負債に押しつぶされて破産するかの剣が峰だった。
 HBOG買収にあたって、ドーム石油社はカナダの四大銀行とニューヨークのシティバンクを幹事にした協調融資団から約四二億ドルを借り入れた。長期借入金はドーム石油社の年間売上げの三倍にも達しており、迫っている返済計画の実行は明らかに不可能といった方がいい。
 生存の決め手はLNGの輸出で日本の銀行から二〇億ドルの低利の融資を受けるという、日商岩井との合意の証文だった。作戦としては、銀行から追加融資を受けるか、カナダ政府から資金を引き出すことだが、気前がよかった日本人相手の場合と違って、担保に使う物件なしで交渉をまとめる戦法が使えないのが頭痛の種だった。
 手元にはBPに売った、HBOGの海外資産で得た三億四千万ドルがあるが、問題は残りの一〇億ドルほどだ。それにしても、東部スマトラの日産一万一千バレルの生産井を種に、BPの代わりに、日本人を相手にして一五億ドルで売り払えなかったことが悔やまれた。
 半官半民の石油資源開発社がかなり乗り気になって調査団を準備したりしたが、日本人特有の稟議制とスローペースに災いされて話が空転しているうちに、バッタ屋稼業では世界一の腕を持つイギリスのBPが、目の前に札束を積みあげて買いたたいたのである。
 こと石油開発に関してはイギリス病など他人ごとであり、ソフトウエアを駆使するビジネスに関しては、大英帝国は健在である。時間の余裕さえあったら、インドネシアの石油と七百万エーカーの南シナ海の鉱区も含まれているので、日本のフィクサーが一〇億ドル以上でまとめることも可能だったが、時間の切迫がそれを許さなかった。


買い手のないドーム株、つのる金融不安

 九月に入ると、ドーム石油社の株価は梢から舞い落ちるカエデの葉と同じで、かつては八〇ドル、百ドルという呼び声で賑わった株が、わずか一けたの値段をつけてもいまだ下げ止まらなかった。従業員を一五〇人整理したとか、資産を売り払ったというニュースのたびに、株が売り浴びせられたが、買い手はつかなかった。
 一年前までは誰もドーム石油社の株を五ドルで手に入れることができる、と夢にも思わなかったのに、もはや、三ドルでも買い手がつかないのだ。株価がいかに落ち目であるかはドーム石油社の株が四半期ごとに示す高値と低値の推移が明らかに物語っている(図9)。特に一九八一年二月にドーム石油社と日本の北極石油社の間でボーフォート海の開発に対して四億ドルの融資契約が調印されたことにより、ドーム株が短期間だがいかに高騰したかについては、このグラフに歴然としているのである。
 ひと頃は、自分の保有する五百万株だけで、二億ドルを上まわる個人資産を手にしたジャックも、今ではありきたりのミリオネヤーの一人にすぎなかった。





 ジャックとビルの執念をかけた生き残り作戦が、オタワとトロントに向けてフルパワーで動き出した。首都のオタワはトルドー首相が率いる自由党が目標であり、これはいつものとおりジャックの扱いだ。また、カナダにおける金融の中心地トロントは債権者たちの砦であり、いざとなれば死なばもろとも、ということで、バンカーたちを威嚇するまでである。この段階でドーム石油社の五大市中銀行への債務は、商業インペリアル銀行の一四億ドル、モントリオール銀行とトロント統治銀行がともに一〇億ドル、ロイヤル銀行の五億ドル、ノバスコシア銀行の二億ドルといった具合であった。
 この五大銀行は、カナダの全銀行の預金残高の九一パーセントを押えており、ドーム石油社に万が一のことでもあれば、上位三行の崩壊は目に見えている。また、カナダ最大のロイヤル銀行の債務が意外に少なく見えるのは、すでに破産同然の農機具会社マッセイ・ファーガソン社に、数億ドルのこげつきを出していて、ドーム石油社に貸す余力が不足していたからにすぎない。
 たとえ、ドーム石油社のこげつきが五億ドルでも、ショックでロイヤル銀行が取りつけ騒ぎを起こしかねないし、同じことはノバスコシア銀行にも言えるのだ。
 それでなくとも、カナダの五大銀行はメキシコに大量の資金を貸しこんでいて、モントリオール銀行の一二億七千万ドルを筆頭に、ロイヤル銀行の一一億二千万ドル、ノバスコシア銀行の八億六千万ドル、商業インペリアル銀行の八億ドル、トロント統治銀行の七億八千万ドルと、赤インクで描かなければならない数字が壮観である。
 こういったことの意味するところは、ドーム石油社でつまずくことによって、カナダの銀行が連鎖的に取りつけ騒ぎを起こし、カナダ経済は前代未聞のパニックのなかで収拾がつかなくなる、ということだ。自由主義経済体制を守るために、そういった状況を招来させることは絶対に避けなければならないのである。
 実に興味深い符合だが、ドーム石油社の救済会議にわずか二週間先立って、カナダ最大の商業都市のトロントでIMFや世界銀行の年次総会を中心にした国際通貨金融会議が開催された。世界一四六ヵ国の蔵相や中央銀行総裁が一堂に会しただけでなく、世界中のバンカーたちも参加していた。
 人びとはメキシコとブラジルの金融破綻の苦境と、アルゼンチンのデフォルト(債務不履行)への心配で不安にかりたてられていたが、主催者のカナダ側ではメキシコ・シンドロームがいつカナダに飛び火して、ドームゲートとして燃え上がるか気が気ではなかった。メキシコもドーム石油社と同じように一九七〇年代半ばから八○年代初頭にかけて、石油開発で超強行路線をつき進んで、借金に押しつぶされかけていたのである。
 トロントの金融会議が終わってから一週間後、カナダの五大銀行とオタワ政府の代表が救済策を見つけ出すために、トロントのキング・エドワード・ホテルで、ドーム石油社の代表と会見に入った時点で、ドーム株の取引きが停止になった。交渉の席上で最も紛糾したのは、ドーム石油社の資産評価だった。しかし、評価額についての合意の有無にかかわらず、ドーム社が救済されない限り、カナダ経済は沈没せざるをえないのであり、銀行も政府も一蓮托生であることは疑いの余地がなかった。
 結局、額面二ドル五〇セントの転換社債を四億株発行して、それを政府と銀行グループで二億株ずつ引き受け、九月末の危機を乗りきるという形で話が一応まとまった。また、既存の株主も、別に二億株の転換社債を買う権利を持つ、というオプションもついた。
 しかし、これは銀行と組んだ政府による半国有化であり、現在の二億二千万株の発行株数が、将来は何と一〇億株に水増しになる、という手品なのだ。これでは株式投資を通じた資産作りの魅力はゼロにも等しく、取引き再開後の寄りつきは一株一ドル九〇セントになった。アメリカ人が投げ売りに出たので、ニューヨークでは一ドル四四セントに暴落した。
 メリル・リンチの証券アナリストのイアン・ドイグは、「これでドーム株は死んだ」と絶叫し、新聞のコメントに「ドーム社の現状は、どんな悲観主義者の予想をも超えたものだ」と書いた。それにしても、一九八一年五月に旧株一株を新株五株に分割する直前において一〇八ドルで買ったものにとっては、ドーム株が死んだだけでなく、自分の生死にかかわる問題だったに違いない。


「みんなで渡れば恐くない」

 それからしばらくして、八二年一〇月に東京へ出張した私は、会った機会を利用して商社や石油関係の知人に、ドーム石油社についての意見を打診してみたが、ほとんどの人が実情についての知識を持ち合わせていなかった。
 幾人かの商社のエネルギー担当者が、「日商岩井は強引だったが、グラマン疑獄の弔合戦ですよ」とか、「ドーム石油社が救済されたので、事件になってボロが出なくて済んだ、と胸をなでおろしている人も多いでしょうな」とコメントした。また、なかには「興銀や東銀に代えて輸出入銀行を引っぱり出すようです」と言う人もいた。
 冗談ではない。ドーム石油社は救済されたわけではなく、八三年の三月には、さらに一〇億ドルの支払い期限がくるし、六カ月ごとに地獄の支払日は回ってくるのだ。しかも、カナダ政府はドーム石油社救済のために五億ドルを出したわけではない。カナダ政府は、すでに二百億ドルの赤字で国庫は空であり、一九八二年にはさらに九〇億ドルの赤字を計上する借金財政で、カネがない点では、ドーム石油社と似たりよったりである。
 銀行倒産が政治パニックと結びつくのを恐れて、銀行グループにさらに五億ドルの融資を押しつけたにすぎず、現に一番コミットメントの少ないノバスコシア銀行は、この融資からうまく逃げて、残りの四行がババをつかんだのである。
 しかも、連邦政府はカネを出すわけではなく、一九八三年十一月までの時限立法で、ガソリン一リットル当り一七円と天然ガス料金に特別な税金をかけ、それで政府分の五億ドルを捻出しようという考えなのだ。結局、ドーム石油社の経営上の失敗の尻ぬぐいをさせられるのは納税者であり、カナダ国民が一人当り二五ドルを負担させられることになる。
 それと同じことは日本側でも進行していて、四億ドルの六〇パーセントの二億四千万ドルの税金がボーフォート海で消え、LNG計画の二〇億ドルが輸出入銀行扱いにでもなれば、それは税金にほかならないのであって、太平洋の両岸で、最後の跡始末を国民が押しつけられようとしているのである。
 また、ボーフォート海の石油開発でコミットした日本側の四億ドルのうち、三億三千五百万ドルはすでに払込済みだが、残りの六千五百万ドルは八二年一二月三一日が支払日になっているので、その点についても質問してみた。事実上、破産同然の会社に融資するのは泥棒に追い銭だ、と私には思えたが、大会社のサラリーマンたちには痛くもかゆくもないとみえ、「払うより仕方がないでしょう」という返事をした。
 残り分に関しては、石油公団が各社に平均一億円という割当てで奉賀帳をまわしてきた以上、自分の会社だけ降りるわけにはいかない。なぜならば、石油公団は通産省の別動隊であり、皆と同じ行動をとらない限り、別の機会にいじめられるし、変な仕返しをされたら高くつくので、さわらぬ神にたたりなしだ。そこで、お祭りの寄付と思って仕方なしに出していて、四四社の民間会社の九割は心のなかで諦めている、というのが共通の意見だった。ある人は「赤信号、みんなで渡れば恐くない、というあれですよ」と自嘲的に言った。
 それにしても、日本のエネルギー政策はどうにもならないほど、利権でがんじがらめになっているらしい。私は、この点に強い危倶を覚えるのである。



6 新聞が報道しない"事実"

 戦前の日本は富国強兵のスローガンのもとに、軍人が威張っていた社会であり、"お国のため"ということがマジック・ワードになって、軍人の横暴と愚行を制御することはおろか、批判する自由も許されたかった。唯一のチェック機関が軍法会議であり、帝国軍人にもとる行為を犯した、と断定された場合は、銃殺や追放の処分が行なわれた。
 しかし、一〇月事件や五・一五事件に見られた信賞必罰の原則崩壊によって、大日本帝国は帝国を体現していた軍人たちの軍規軽視によって亡びたのだった。一〇月事件は一九三一年に発覚した軍部独裁のクーデター未遂事件であり、五・一五事件はその翌年に起きた軍人も参加した右翼クーデターで、首相が射殺されたが、軍人の処罰は軽く、その結果、政党内閣の命脈が絶えて軍部ファシズムが日本を制圧する時代をもたらした。
 戦後の日本は経済繁栄のかけ声のもとに、官界、政界、財界の三位一体が癒着関係で日本を支配し、すべてのトップが元高級官僚によって占められたことにより、役人による役人のための国として、日本は統一された。しかも、日本経済の死命はエネルギー源によって制されているので、資源の確保は錦の御旗として神聖な祭務になり、専門知識も評価能力も乏しい通産官僚の利権として、派閥の力学に従って自民党の金脈と結びついた。
 完璧な官僚支配が成立しているという点では、日本はフランスを追いこして、ソ連に次ぐ世界第二の官僚国家であり、全体主義者が自由を旗じるしにしていることで、辛うじて自由が残存する、実に皮肉に満ちたソフトなファシスト国家になっていると言ってもいい。
 一九五四年の造船疑獄事件で、収賄容疑の佐藤栄作には法務大臣の指揮権発動があり、検察庁の追及が内閣によって妨害されて以来、司法権はその独立性が疑われてきた。また、会計検査院の機能をはるかに上まわる規模で不正が激増し、構造疑獄が国境を越えて世界を舞台に利権の触手をのばしている。
 そして、金脈を全世界に張りめぐらし、その運用を通じて政治資金を作る手腕にたけた人物が、閣僚から首相への道を歩む。かつては分立していた司法・立法・行政の三権が首相の下に集中し、キケロが存在しないのに、日本の首相はローマの独宰官以上の権力を支配しているのである。
 インドネシア疑獄や韓国疑獄といった、国外を舞台にした不正事件は何ひとつ裁断されず、システム化した金脈構造のなかで、「鄭五も宰相となる、時事知るべし」を地で行く時代が始まっている。たとえ平和を国是にしても、平和裡に築きあげられた金脈のパイプラインを通じて、亡国の潮は日本列島の岸辺を浸しているのである。


沈黙したままの日本のジャーナリズム

 カナダでは、ドーム石油社の経営危機が新聞紙面にとりあげられて一年あまりが過ぎているというのに、日本のジャーナリズムはまったく沈黙したままである。日本人の税金が大量に関係していると言うのに、新聞は事件にまだなっていないということで、事実の存在について報道しようとしない。
 私はあるジャーナリストに、「どうして日本の新聞はボーフォート海をめぐる石油公団のスキャンダルを追及しないのですか。これは太平洋戦争の天王山のひとつの、ガダルカナル島の惨敗と同じの大失態であり、しかも、田中元首相の収賄事件よりも、はるかに日本の国際信用を損なうものですよ」と言ってみたが、それに対しての返事は落胆以外のなにものでもなかった。
 「われわれには、国外のことは手が届かないのです。調査するにしても、ことばは不自由だし、どこから手をつけたらいいか人脈もありません。しかも、大使館や商社は都合の悪い事実には口をつぐむし、本社のデスクがそんなあてのない仕事を許してくれません。日本の新聞社は「ワシントン・ポスト』とはだいぶ違うんです。それに、下手をすると外交関係を損なった、と文句を言われて、一生冷やめしぐいです。
 ボーフォート海を追ってみても、ある元通産大臣や事務次官にいろいろ噂があったのは知っているけれど、相手が現役で天下を取っているとなると、物言えば唇寒し、というのが大新聞社の生態ですよ……」
 私はたいへん淋しい思いで日本の滞在を終えて、アメリカに戻った。民主主義社会にとって最も大切な良心の自由や言論の自由が、現在の日本ではジャーナリズムの世界からさえ消え去ろうとしているのだ。事件になってしまってからでは遅いのであり、事件になる前に問題になりそうなところを全部洗い出し、破綻を未然に防ぐのもジャーナリズムの仕事のひとつであり、臨床医学とともに予防医学が大切なように、予防ジャーナリズムが社会の木鐸として、新聞の価値を不滅にするのではないだろうか。
 アメリカに戻る途中で、四日間ほどカルガリーに立ち寄り、ドーム石油社のその後の状況を取材してみた。オイルマンや友人たちの情報はどれも悲観的な材料が多く、特に、ボーフォート海のポテンシャルが予想をはるかに下まわる、というものが目白押しだった。
 ボーフォート海でたった一本だけ採算べースに乗ると予想される井戸は、ガルフ・カナダ社のタルスーツN四四で、日産二千バレル(三五〇立方メートル)である。油田全体として、商業採算にのる最低限の埋蔵量は、五億バレルが必要だが、現段階ではせいぜいその七割くらいが推定埋蔵量として見込めるだけ、というのがガルフ社の発表だ。
 そのほか、丸紅と日立造船が組んでドーム・カナダ社にドリル船をリースするという話やブリティッシュ・コロンビア州政府の認可までおりたLNG計画が微妙な路線変更を遂げそうだ、との話も耳に入った。表面的には非常に落ち着いているようだが、ドーム石油社の周辺に近づくと、やたらにガス臭いのが奇妙で、LNG計画が政治的に動いているような印象が、ピリピリとしてくるのだ。
 九月末に、連邦政府が第一回の救済策をたてたあとで、石油ジャーナリストのラブリースが、「カナダの五大銀行が手持ち資金の過半数に相当する巨額の資金を、ドーム石油社に追加融資したことが異例中の異例なら、オタワ政府がドーム石油社の救済にのり出したのもきわめて異例だ」と指摘して、東京とオタワを通じる不可思議な政治力の発動があった結果ではないか、と推測している。
 資源派通産相を経験済みの政治家の人脈と金脈が何となく見え隠れし、その延長線上に、田中角栄が闇将軍として牛耳る自民党の保守本流が、よりによって傍流の中曽根康弘を傀儡にしたという深慮遠謀を解く糸口が、ドームゲートのなかにありそうだ。
 こんな気持を抱いてアメリカに戻ってから四週間が過ぎた時、私はすっかり雪に覆われた一二月のカルガリーを再び訪れた。オイルマンやジャーナリストだけではなく、政治家のカナダ人の友人にも、ドーム石油社がらみの不明朗な事件を日本人に真相を知らすために公表したら、日本とカナダの友好関係にどういった影響をもたらすか、と大体の意見を聞いてみた。


石油フィアスコにうごめく政治力

 それにしても、カナダのオイルマンや政治家たちが、ドームゲート事件の全貌についてのイメージを持たないまま、単に経営上の行き詰まりが未曽有の困難を招いたという程度の認識で私の説明に驚きの色さえ浮かべたのにはガッカリだった。アルバータ州出身の政治家にはジェオロジストやオイルマンが多く、ドームゲートは政治家の金脈がからんでいるという私の見解に、皆が一様に眉をしかめた。
 政治家ではないが、ただ一人、私の指摘に対して、「自分もそう確信していた。キックバックもなしに、あんな大量の日本側のカネが前代未聞の好条件で動くはずがないと思っていた。しかし、それが明るみに出るとカルガリーの石油業界の信用が傷ついて心配だな」と打てば響く反応をしたのは、カルガリーの業界誌「オイル・ウイーク」で論説委員をやっているレスリー・ローランドだった。
 短い日程を使ってフルに取材したので、たいへん忙しかったが、すでに半分まとめていた記事を仕上げる上での傍証は、ほとんど揃え終わった感じがした。
 興味深いと思ったのは、ほとんどの人がスマイリン・ジャックに悪い感情を抱いておらず、むしろ、犠牲者のように考えて同情の気持を持っていた点だ。本能寺はオタワにあって、トルドー首相の取りまきの新官僚たちが、石油産業を国家支配しようとするところに問題があり、ドーム石油社の悲劇は共産党と紙一重の自由党政権のシナリオに原因がある、と一部のカルガリーのオイルマンは主張してやまない。それは西部に対する植民地主義的支配であり、カナダで最も豊かなアルバータ州攻略の集中砲火がドーム石油社を痛めつけたという図式だが、これではあまりにも単純すぎてお話にならない。
 確かに、トルドー首相はカナダ人には珍しいマキャベリストである。だが、彼がいくら力ナダのピエール大帝と形容され、ひと筋縄ではいかないフランス的発想をマスターした政治家だとはいえ、ドーム石油社にまつわるフィアスコ(大失敗)の経過を見ると、自らのイニシアチブで計算と演出をするだけの、政治的資質と戦略的な頭脳を彼が持っていると信じるのは難しい。
 同じ設問を、今度は逆の方向からたどってみると、資源の豊かなカナダ西部諸州に対しての東部の支配、という単純な図式の上で連邦政府を総動員するほど、トルドーは幼稚な政治家ではないのだ。
 最も難しいといわれるあのセシル・ローズの巨大な財力をベースにしたローズ・スカラーシップを獲得してイギリスで修業した人物として、彼は権力愛の快感を十分に心得ているし、自らが努力と苦労をして何ものかを手に入れるよりも、相手側の愚かさを少し手助けして権力を支配するタイプの政治家である。つねに一歩先まわりをして布石を敷く戦術がいかにカナダでは能率がいいかを彼は心にくいほど知り抜き、政治をゲームとして知的に楽しむ才覚を心得ていて、現在の野党の保守党議員の能力では、とてもかなう相手ではないのである。
 彼が才能を発揮するのは、フランス仕込みのテーブル・マナーとエスプリの利いた話術だけではないので、国際政治におけるプレイボーイのトルドーは、地球のレベルではゲームズマンではないが、連邦や州を相手にする時はなかなかのやり手である。
 東京サミットの時に「英語を喋れたことが東京で発揮した唯一の才能」とジャーナリストに皮肉られたクラーク首相に比較すれば、老練なトルドーは、確かにピエール大帝と言われるだけの王者に似合った食卓帝王学の貫録を身につけているのである。



7 日本の危機と全体主義

 持ち前の善良な国民性も手伝っているために、カナダ国内にはトルドー内閣の石油政策に対決する形で論陣を張り、産業社会の健全な発展に対してオタワの政策がいかに間違っていたかを指摘する人が皆無に近い。
 企業や個人のレベルでの抑圧された自己主張が感情的なストレスを生み、アルバータ州の独立や、西部四州のカナダからの分離を主張する人は多いが、自己主張と統合を同時に満足させ、動的な平衡状態をカナダにもたらし、それを通じてドーム石油社の悲劇を二度と繰り返さないようにと訴える人物がいない。
 こういったカナダの状況に比べても、同じボーフォート海にのめりこんだ仲間とはいえ、日本のおかれた立場はより悪い。それは単なる政策上の誤りや見通しの悪さ、ということではなくて、戦後三〇年以上も政権を独占してきた自民党政府が、日本の縦型の官僚機構を疑獄の構造のなかに組みこみ、自民党株式会社が政治献金を吸い上げる金脈パイプラインとして、海外プロジェクトの多くを、利権システム化しているからである。
 この点では、自民党株式会社こそ時代に先がけて情報をエネルギー源に使って、悪い意味で、知識集約をした持ち株会社の形で日本株式会社と呼ばれる産業社会の支配を確立した、と言うこともできる。


官僚支配の果てに

 歴史の教訓は、警察が情報を握ることによって、支配権力にとって鉄壁といえる堅固な立場を確立していくし、警察が国家権力を握ったときに強烈な全体主義国家が成立することを教えている。
 一九八二年一一月に成立した中曽根内閣は、国民の選挙によって誕生したものではなく、収賄で懲役と罰金の言い渡された元首相田中角栄が、金と力を総動員して自民党内の脈閥間における選挙によって生まれた政権である。言うならば、まったく信用していたかったばかりか嫌悪していたヒトラーを、ヒンデンブルグが首相に任命したのと同じパターンで、田中も毛嫌いしているだけでなく軽蔑している中曽根康弘を、自民党総裁にすることを支持したのだ。
 そこには、自分の裁判を有利にすることと、自民党内でも人望がなく、首相になっても長続きしそうもないので、中曽根なら自由に背後から操れるという読みがあったのではないか。
 こうして成立した中曽根内閣は、日本始まって以来の警察官僚が権力を握った政府となった。中曽根首相自身が警視庁監察官出身だし、後藤田官房長官が警察庁長官、秦野法務大臣が警視総監、自治相兼国家公安委員長の山本幸雄が大阪府警本部長、それに、行政管理庁長官の斎藤邦吉が戦前の内務官僚の出身である。
 こういった警察官僚支配の布石として、自民党による官僚支配が過去三〇年間の政権独占を通じて確立しているのであり、その延長線上に石油公団のボーフォート計画への参加決定が位置づけられるのである。
 石油公団とドーム石油社との交渉の結果、日本側が北極石油社を設立してドーム・カナダ社に四億ドルを融資する契約に正式に調印したのは一九八一年二月一三日である。しかも、この時点ではドーム・カナダ社は法人としてはいまだ存在していなかったというミステリーまがいの事実もあるのだ。
 その六カ月前の八○年八月に、東京を訪れたビルと石油公団の間で融資についての合意が成立しているが、七月一八日に鈴木内閣の通産大臣に就任した田中六助の最初の仕事が、ボーフォート海計画だった。石油公団の技術陣は気乗り薄だったにもかかわらず、田中通産大臣による政治的判断に基づいて、石油公団の総裁と筆頭理事が奔走すると、業界を大急ぎでまとめる工作をした。
 また、四カ月後の一二月にパリで開かれた国際エネルギー機関の閣僚会議に出席したとき、田中六助はもっぱらカナダのエネルギー大臣との会談に時間をさき、関係者の間で日本とカナダは特殊な面での共同歩調を取るのではないか、と噂されたが、そこでボーフォート海計画についての政治的な詰めが行なわれた、と見るのが自然であろう。
 帝国陸軍の元大佐・堀場一雄著の『支那事変戦争指導史』のなかに、「国策山海関を越えて支那事変あり。国策鎮南海を越えて大東亜戦争あり。……仏印進駐は大東亜戦争を誘発して、支那事変を破綻せしめたり」と書いてある。
 戦後における山海関がインドネシアや韓国であり、南米からメキシコを経由して北米への上陸が鎮南海に当たるとすれば、ボーフォート海に始まった石油公団による猛烈なのめりこみは、さしずめ南部仏印進駐と同じ意味を、現代の歴史において持つのではないか。
 それにしても、太平洋戦争に突入する前段階の日本には、戦争のプロとして、それなりの修業をした軍人たちがいた。当時の陸海軍は一人の将軍による独裁制を回避するために、軍令、軍政、教育の三長官制による三すくみのシステムを採用して、パランスをチェックし合ったが、軍人の神聖なスローガンとしての“お国のため”という路線を遭進し、最終的には戦塵のなかで破綻していった。
 文明の次元における時代性を理解せず、ハードウエアに目を奪われて、大艦巨砲主義に陥り、食糧と石油と情報という三大エネルギーの欠乏で、大日本帝国は滅亡したのである。
 敗戦後になって戦禍のなかから立ち上がった日本は、軍事膨張に代えて経済膨張を国策の基本にしたというのに、国際舞台において経済政策を推進する上での機構が三権分立の形をとって、バランスをチェックし合う状態で存在していない。頭脳集団として戦略を担当する軍令部に当たるものはないし、教育は行方不明のまま、すべてが政務主導の縦型のヒエラルキーになっている。
 最近では、マスコミの世界までが官界の住人の草刈り場で、元役人の小説家、評論家、ニュース解説者として登場している。これは戦前のファシズム時代の再来を思わせるものがあり、日本中が言論報国会や産業報国会に似た翼賛色に塗りこめられようとしているのだ。


露呈する資源金脈

 このような役人天国が現在の日本に出現した最大の理由は、日本人の精神を根強く支配している官尊民卑の思想と、長いものには巻かれろという隷属的な蓄群の伝統のせいである。それとともに、役人の無責任体制を監視し追及するシステムが、巨大化した日本の官僚機構に比べてあまりにも微弱なせいである。だから、自民党の総裁が自動的に日本の最高指導者の椅子を手に入れる習慣の恐ろしさがここにある。
 中曽根内閣の誕生は、旧警察官僚が決め手になる役職を独占し、裁判所の権威への挑戦をくわだて、行政を背後から操る闇将軍の田中角栄は、中曽根傀儡内閣を公判対策に作りあげたともいわれる。
 それでなくとも、戦後の日本が主権在民を基礎に再出発したときに、司法、立法、行政の三権分立を採用して、民主国家であることを誓ったのに、その後は、なし崩しに行政優位の政治慣行が定着し、議会と裁判所の形骸化が危惧されているのである。
 経済危機は一国の産業界や国民にとって大きな不幸をもたらすが、単なる経済破綻が直接亡国に結びつくことは稀である。それは国民の忍耐力と士気にかかわっていて、たとえ、困難がどれほど大きくても、指導力とリスポンスの関係で、再び経済復興が可能だからだ。だが、そこに政治と結びついた腐敗が加わると悲惨であり、社会における基本的な信頼関係が崩れてしまう。しかも、愚民政策による独裁体制化に対しての批判が高まることへの予防措置の意味もあって、一九八二年一〇月の商法改正を通じて、言論界には大きな鉄の口輪がはめられてしまった。
 こういった日本におけるソフトなファッショ化が進展している状況に比べると、カナダはそこまで全体主義が国政の中枢を犯しておらず、せいぜい上院議員が、首相の任命で権力者の第五列と化する程度で、言論界にも自由の空気が漂っている。だから、カナダ全土が不況に支配され、経済界が苦境にあえいでいても、カナダ人たちの気持はそれほど暗くない。その辺にカナダ人独特の善良さと持てる者のおおらかさがある。
 一九八二年一二月初めの段階で、いろいろな人たちに取材してみたが、人びとは、いまだ希望を棄ててはいなかった。
 「ドーム石油社の失敗は確かに不愉快だが、連邦でも州のレベルでも汚職のような不正が介在していないから救われる」という人もいた。「ドーム石油社の二割滅俸も、上の方からやったのはフェアだ。上に立つ人間が率先してより大きな犠牲を払って、責任を取りつづけている間は、何とかなるだろう」といった発言は、カナダ人の純朴さのせいだけではないだろう。カナダの政治の流れは凍りつくほど冷たいが、いまだ日本のように後退していないということかもしれない。
 一九八二年、最後のカルガリー訪問で取材した情報には、LNGに関するものが多かった。LNGの対日輸出は、二〇年以上に及ぶ長期計画であり、液化基地、LNGタンカーの建造、パイプラインの新規工事など、時間をかけて慎重に準備しなければならない問題がいろいろとある。それにしても、誰もその期間、ドーム石油社が生き残りうるのかどうかを知らないし、ジャックやビルにしても、将来はともかく、八三年三月から六カ月ごとに回ってくる一〇億ドル単位の債務の切りかえをどうするのかについて、見当もついていないのだろう。それに、経営者としての自分たちの立場もはっきりしていないのである。
 すぐに換金できるということで思いついたのかもしれないが、天然ガスを液化する代わりにメタノール化して、現在、世界中にありあまっている普通のタンカーを使って日本に運んだら、という案があるという噂もあった。ところが、日本側には家庭の事情があってもめていて、それは、LNGタンカーを作るルートと、普通のタンカー船団を扱う政治家の利権チャンネルが違っていて、内紛があり、一九八三年六月の総選挙がらみで、政治家たちにとってはルートの選択が死活間題になる、ともいう。
 私は石油開発のプロだが、船会社や造船業界の内情は見当がつかないので、これは日本のジャーナリストに調べてもらうより仕方がないが、何か奇妙にきな臭いのである。
 おそらく、途中にいろいろな安全装置がすでに作られていて、絶対に最上部には追及の手が届かないようになっているのだろう。だが、今こそ日本のジャーナリストは、巧妙に張りめぐらされた資源金脈を探り出して、政治を食いものにしている日本のドンたちの悪行を、国民の目の前にはっきりとさらけ出してほしいと思わずにはいられないのである。


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