5 文明の変革期−−理論的視点




1 エネルギー源とエントロピー

 一九八○年代は、世界史における大きな転換期である。
 それは、文明の次元でとらえなければならない巨大な変革の動きが、産業社会に対して決定的な影響力を及ぼすことにより、一九世紀以来続いてきた国民国家の枠組みを、激しく揺さぶってやまない時代だからである。
 国境線をはみ出して世界をひとつのユニットにした経済の活動と、国境の枠組みのなかにとじこもって民族主義化する政治理念が、新しい肉離れ現象を発生させて、次つぎと難題を世の中に送り出すことにより、二〇世紀の最後の二〇年間は波乱に富んだ時代になっていく。
 南北問題はその具体的な表われのひとつだが、東西南北という二次元的広がりだけでなく、上下左右に内と外といった具合に、弁証法的な対立と統一の過程がめまぐるしい変化をもたらす。トポロジカル(位相学的)な曲面上で、拡散であると同時に収斂を意味するような位相的な存在の仕方を通じて、二一世紀に多様性と統一性が矛盾なく両立する世界像を生み出すために、現在は陣痛の時を迎えているのである。
 このような文明史的な意味を持つ変化を巨視的な時間の流れのなかでとらえるために、地質学的な年代記に従ってホモサピエンスが最後の氷河時代以来体験してきた文明時代を記すなら、その始まりは当然人類における前文明期によって特徴づけられる。文明の歴史としての人間の精神史は生命史を通じて前文明期と結びつき、次元の展開を足場に、生命史は地球の歴史や宇宙史にと発展していくのである(図14)。





ビッグブラザー症候群

 精神史の第一段階としての農業文明によって特徴づけられた第一文明期は、新石器以来、青銅器や鉄器を使った社会を繁栄させ、こうして発展した人間の生活環境が社会的要請として新しい技術を生み、一八世紀のイギリスに最初の産業革命をもたらし、次の新しい時代の誕生と結びつく。産業革命は社会を機械と工場によって特徴づける時代を生み出し、一九世紀から二〇世紀後半にかけて、世界の大半を工業的な生産関係を主体にした産業社会として作り上げた。われわれが生きてきた過去数十年間は、第二文明期と名づけられる重工業指向型の時代の最後の段階だったのであり、思想的な骨格はニュートン的宇宙観とダーウィン的生命観に基づいていた。
 これから二一世紀にかけて本格化しようとしている新しい時代は、第三文明期と呼ばれることが明らかであり、その内容は情報が主体となって社会における新しい価値としてのことばを生み出し、現在直面している新しい変革は情報革命と呼ぶべきものである。
 この第三文明期の社会学的な特性については、アルビン・トフラーが『第三の波』と題して一九八〇年に詳述したものと共通する内容が多いので、人間や社会のレベルにおける具体的な問題についてはそれにゆずり、ここでは文明や産業社会の活力源であるエネルギーを中心に、新しく迎える文明時代の性格づけをおこなうことにする。
 情報の即時転換効率を最大限に発揮している人工衛星を使った通信手段や、コンピュータを活用した情報処理などに見られる新しいタイプの技術の波は、すでに夜明けを迎えた第三文明期から射しこんでくる陽ざしのなかで、モルゲンロート(朝焼け)に照り輝いている。
 情報革命が革命である以上、古いタイプの重工業指向型の産業社会は新しい時代から挑戦をうけ、有効性を失いかけている第二文明期特有の多くの価値体系が、ガラガラと音をたてて崩れ去ろうとしている。その代表が一九世紀的な国民国家の枠組みであり、情報社会の健康と安全の面で利害対立を表わす代表が、中央集権的な官僚機構にほかならない。
 中央集権は、筋力を使った人間の労働を石炭や石油といったエネルギー源の導入で機械力に転換し、大量生産や大量消費に基づくマスシステムによる社会を作り出す過程で発達した統御形態である。
 それは産業社会のサブシステムである資本主義や共産主義などの政治体制には無関係に、集権的か、あるいは分権的か、という歴史性に由来する政治的力学関係の社会学的反映に基づく存在形式として現われる。
 独裁をともなった共産主義や軍国主義体制は言うまでもないが、資本主義体制下にあっても、第二文明期における中央集権化の度合は強まる一方であり、地球上には情報の中央集権化と結びついたビッグブラザー症侯群が蔓延しつつあり、《一九八四年の悪魔》が官僚主導型の政治の形で猛威をふるっている。


オーウェルとコンドラチェフ

 イギリスの天才的作家ジョージ・オーウェルが予告した『一九八四年』の到来と、彼が描き出した不気味で重苦しい時代性のなかで、ボーフォート海で結びついた日本とカナダの両国には、ビッグブラザーを思わせる硬直化した官僚機構の上に乗った大きな政府が君臨している。
 ドームゲートは両国の強度に中央集権化した政治体制と、第二文明期を特徴づける投機的大投資と結びつくスケールメリット型のビジネスが、文明次元で始まった大変動期にありながら、その文明史的な意味をわきまえずに、旧態依然とした膨張路線を邁進したために破綻した一例にほかならない。
 政治権力と政商的な事業活動の結合で行なわれる巨大プロジェクト方式が、その有効性を急速に喪失していく背景には、一九八○年代前半期に中央集権的な技術集約型の第二文明期から知識集約型の第三文明期への移行が、進んでいたことがある。文明次元での大変動を体験する現代を日常生活と密着した一〇年単位の景気循環としてのジュグラー周期や、より大きな半世紀周期のコンドラチェフの波動で眺めても、一九八〇年代前半は大きな過渡期であることは疑いの余地がない。
 特に、統計学的な動態分析を行ない、卸売物価や利子率の変化を追った結果、景気変動の大循環が六〇年前後の大波長をともなって、資本主義経済のなかに出現するというコンドラチェフの景気波動論に従うと、一九八○年代初期は大不況時代に相当する。
 それは太陽系の次元での宇宙物理学的な小周期変動に呼応して、地球が地球物理学上の変化を示し、ミクロな景気サイクルを支配しながらコンドラチェフの波動を発生させ、その第四波が一九八〇年代初頭に極小を記録することを意味する。この関係を模式的に表現したのが、景気サイクルと太陽の黒点変化の相関を一八世紀後半からプロットし、世界史的事件との対応で示した図15である。





 太陽黒点は惑星運動のリズムに基づく力学関係の反映として一一、二年の小周期と、約一八〇年の大周期変動のサイクルを持つ。太陽の黒点は惑星の引力によって太陽の表面のガス体の火焔渦巻きの活動が盛んになる現象であり、太陽風とプラズマは地球に向けて、熱線、X線、紫外線、放射線、中性子線、イオンなどの電磁波を大量に放射し、それが地表の温度を変化させるとともにバンアレン帯を帯電させるのである。
 また電磁波が地磁気やマグマ活動といったものに影響を及ぼすとともに、火山や海流の微妙な消長を通じて気象現象を刺激して、食糧生産を筆頭にした生態環境に大きな作用を及ぼすことが、最終的に人間の経済活動にリズム的な変化の相を発生させる。ただ時代と場所によって自然の次元と社会のレベルでの反応上のタイムラグ(時間のずれ)の大きさが異なるので、太陽の黒点数の増減がそのままストレートに景気の良し悪しの指標としては現れないのである。
 また、ヨーロッパ諸国で見ると、不況はフランスやイギリスといった主要な国民国家の周辺での現象であるのに対して、大不況は大陸レベルでの社会経済現象である。合衆国の場合には、不況は個別的な産業の沈滞で、大不況はアメリカ経済全体を巻きこんだ停滞であると定義すれば、多少のタイムラグを無視してプロットした波動は、太陽の黒点数の小周期と似た波動が描ける。
 コンドラチェフの波について経済学者たちは頻繁に引用するものの、理論の有効性については誰もこれまで正面から論証するに至っていない。一九二五年に「景気変動の長波」と題してコンドラチェフが発表した論文では、大循環の仮説として、一九世紀初頭に始まって第三波の半分まで論じているが、それ以降は現在に至るまで、トロツキーとシュンペーターを除くとこの問題を積極的に引きついで論じようとしていない。
 それにしても、一八○年の周期を持つ太陽黒点の経年変化に注目すると、一七八〇年代と一九八〇年代を結ぶ太陽黒点活動の大周期のなかに、第二波と第四波に相当する活盛期と、第一波と第三波に対応する沈静期の存在が私には読みとれる。
 そして、コンドラチェフが未完のまま残した彼の大循環が、少なくとも第四波まで描けるだけでなく、最後の谷が現在の世界的な大不況に対応していることも明白になる。
 しかも、この谷は一八世紀最後に始まった第一文明期の黄昏と、第三文明期の夜明けを告げる現在の情報革命にも対応しており、第二文明期自体が四つのサブサイクルを内包しながら、太陽黒点の大周期を決定づける一八○年のサイクルと一致を示しているのである。
 この一八〇年の周期の倍数が、はたして太陽系の惑星の空間配置とどう関係するのかを解明することで、占星学と宇宙物理学という古代と近代の科学を結ぶブリッジを見つけることになるのかもしれないが、惑星間関係が社会に反映して、経済現象としてとらえられたものがコンドラチェフの波である点については、もはや疑う余地がないのである。
 経験的に自然と社会に現われる法則性をシステム化した古代人の知恵は、それを暦法としてわれわれに伝え、約一〇年間のジュグラー周期に基づく景気循環説は十二支の形で、また、コンドラチェフの周期は六〇年をサイクルにした還暦史観として体現している。
 また、世界史的事件とコンドラチェフの波の関係を見ると、第一波から第二波までは大陸次元、第三波と第四波においては地球次元のスケールのものとして、各波動の上昇期から絶頂期にかけて起こった戦乱が、大規模な国際戦争に発展する一般傾向があると分かる。
 それは各波動の上昇期は経済的繁栄と結びついて、食料や工業製品の生産と蓄積が大きくなり、紛争の火種の内容とは無関係に、スケールの大きい戦争を遂行する経済条件と戦時経済を維持する社会的条件が満たされやすいからである。
 食糧は人間の活力を支えるエネルギー源であり、戦争における労働力集約型機能は食糧エネルギーの供給能力によって死命を制されている。一般に、一年間継続する戦争のためには、補給ならびに保管上のロスを見こんで、最低二年分の食糧の保有が不可欠であり、同時に、補給と兵站を整えるための経済生産における剰余分の増大がない限り、戦乱は大規模なものとして継続しえない。
 それは、コンドラチェフの第四波と第五波の谷間という状況下で発生したイランとイラクの戦争が、大規模化しえないまま局地戦にとどまっている政治的状況というのが、実は、エネルギー源としての食糧や石油の備蓄と補給といった、経済基盤の限界によってコントロールを受けているためである。
 同じことは、軍事作戦面で優位を誇っていたにもかかわらず、食糧エネルギーの不足で破綻をきたし、銃後における暴動やキール軍港における反乱などで内部崩壊した、第一次大戦末期のドイツの場合にも、明白に読みとれる。またアフガニスタンにおけるソビエト軍の行動が、ウクライナを中心にした農業政策の低迷に規制されている事実からしても、食糧と大戦争、あるいは、太陽の活動状況を示すソーラーフレアと世界戦争の関係には、密接な因果関係が存在するのである。
 この点で、一九八○年から二〇一〇年にかけて、コンドラチェフの第五波が上昇期を迎える過程で発生する戦乱は、ダイナミズムをともなった経済条件のバックアップにより、世界的規模での大戦争と結びつく可能性が強いと予想できる。そこで一九九〇年から二〇一〇年にかけての時期の国際政治とその紛争処理に関しては、人類の運命と未来の選択を間違えないためにも、細心の注意が必要にならざるをえないのである。


黒点活動と経済の相関関係

 自然現象と経済活動の間に存在する因果関係については、専門家による詳細な検討が行なわれる必要があり、仮説としてのコンドラチェフの波動理論の有効性と限界が明らかになることで、将来に対してのわれわれの対応も、より効果的なものに結びつく。
 ひとつの結論として参考になるのは、経済に対して政治干渉が最小限に行なわれたルーズベルト政権以前のアメリカ経済の動きである。一般に、卸売物価指数は景気を示す指標としてたいへん便利であり、不況時はデフレーションとなり物価が下がるのが古典的な経済現象で、特に自然現象の影響を直接反映する農産物は、シカゴの商品市場を通じて投機の対象として狙われやすく、景気の動向をもっともよく表わす。
 それはアメリカの物価変動と景気サイクルの相関関係を示す図16において、コンドラチェフの波の谷間と物価指数の低い時期の対応がある点からも明白だし、対数グラフの上にプロットしたアメリカの輸出総額の推移の落ちこみ部分が、景気サイクルの鞍部に対応していることからも、この関係は読みとれる。また、アメリカにおける輸出と輸入は伝統的にほぼパラレル(平行)に推移しているし、世界の景気の良し悪しにも対応することは、アメリカの経済的体質から見ても予想できるものである。





 「神の見えざる手」を最大限に生かして、市場メカニズムの生理機能によって動いてきたアメリカ経済は、豊かな資源とダイナミックな工業力によって、永年にわたり堅実な経済成長と低いインフレを誇ってきた。しかし、ケインズ学説がワシントンの政策に採用されて以来、経済に人為的な操作が大きな影響力を及ぼしたことにより、一九三〇年代以降のアメリカ経済がインフレの影響によって、それ以前のものと大きく異なるパターンを示しているのは、卸売物価指数にはっきり現われている。
 特にベトナム戦争によるインフレの影響は、経済の生理を病理化するほどのものを生み出すに至っており、ここにアメリカの利害が世界経済と国際金融への圧力要因として、大きな力を及ぼさざるをえなくなった出発点がある。
 ドルのたれ流し、金や石油の価格暴騰、あるいは、アメリカの高金利政策といったものは一九六〇年代末期に顕在化したベトナム・インフレの後遺症と、七〇年代全般を支配した太陽黒点の活性化にともなう自然界の異常反応の効果も大きいと見なければならないのである。
 自然の次元から見れば、人間の築きあげた社会環境などまったく取るに足りない存在であるが、コスミック素子から始まって、素粒子、電子、原子、分子、細胞、器官、個体という順にヒエラルキーを登って個人のレベルに至り、次にコミュニティーやソサエティーときて、生命体をとりまくひとつの生態系ができ上がる。
 しかも、いくつかの生態系の組み合わせによって世界が構成され、世界が地球として統一され、次に惑星間関係、恒星間関係という具合に宇宙に広がって、全体が多様性を生かしながら統一を保った状態が、自由度と法則性に支配された存在体系にほかならない(図17)。





 ビッグバン以来、一三〇億年にわたって続いてきた物質の進化の一つの支脈が、現在に至って情報革命を通じて、第三文明期を築きあげようとしているが、第一・第二の文明期を構成する産業社会の特性と、それぞれの時代をもたらした革命的な変化の実態に注目するなら、それがエネルギー源の変化のパターンと一致することに気づくはずである。


水素に向かうエネルギー史観

 私はそれをエネルギー史観概念図(図18)と名づけて、幾冊かの著書でパターンの内容について論じてきた。





 文明の活力源としてのエネルギーの変化のアウトラインは、炭素から水素へのエネルギー源の推移において、第一文明期は窒素などの不純物を含む炭素としての木材、第二文明期は炭素としての石炭と、炭素から水素に移行するプロセスにおける炭化水素としての石油と天然ガスの系列である。そして、第三文明期は水素ガスに至るまでの炭化水素ガスと水素によって構成されている。
 各エネルギー源は、それぞれ対応する熱機関をともなって時代性を構成し、第二文明期の前半をワット機関、後半をレシプロ・エンジンによる内燃機関の時代とするとともに、第三文明期をガスタービンを主役にしたエネルギー時代として特徴づけている。
 エネルギー源の側面から眺めると、石炭を燃料源にしたことが最大の理由になって、驚異的な威力を持った蒸気機関が産業革命の推進役となり、一九世紀を石炭の時代にした。続いて燃料源になった石油の場合は、一九世紀の最後の時期に発明された内燃機関によって、爆発的な勢いでスピード化をともなった時代を二〇世紀にもたらしただけでなく、人間の活動領域を大気圏にまでおし広げたのだった。
 そして第二文明期の最後に始まった天然ガスの時代は、ガスタービンを熱機関としているが、現在の段階では資材としての特殊鋼が隘路になって、ガスタービンが一般化するだけの経済性を見出せない状況にある。
 今後におけるチタン鋼材やセラミック合金の開発技術の発展にともない、ガスタービンが二一世紀の熱機関としても大いに活用される時代がきて、それが究極エネルギーである水素と結びつくことで、地上にポスト帝国主義の時代が実現する経過は、エネルギー史観概念図が示すとおりである。
 なぜ、水素エネルギーが実用化されて初めてポストになるかといえば、それは無尽蔵のエネルギーとして地上に太陽をソフト・エネルギーパスをともなって実現することにより、エネルギー源の奪い合いを通じて展開した帝国主義の時代が幕を閉じるからである。レーニンは一九一五年に出版した名著『帝国主義論』で、「資本主義の最高の段階としての帝国主義」という命題で、きわめて限定されているだけでなく、逆立ちした帝国主義観を打ち出したために、文明における産業社会の発展の経済学的側面として、資本主義の終焉のなかから社会主義が生まれる、というマルクスの誤解を拡大して正当化してしまった。
 なぜそれが誤解かと言えば、エネルギー源が無尽蔵でなく、その供給が一部の者によって支配されている限り、資本主義や社会主義という所有と分配における存在形式の違いは、たいして意味を持たないにもかかわらず、レーニンはそこに根本的な違いがあると誤解して、間違った結論を導き出してしまったからである。
 エネルギー源の争奪は、クラウゼビッツが言うところの「戦争は他の手段による政治の継続」であろうと、レーニンがそれを再定義した「平和とは他の手段による戦争の継続にすぎない」に従うにしろ、結局は"経済封鎖の政治学"の理論に従って、帝国主義的な相克が時代性を支配しつづけるのである(拙著「日本丸は沈没する」、時事通信社刊参照)。
 現に、重工業によって特徴づけられた第二文明期の歴史を見ても、国民国家の枠組みの周辺で、炭田地帯の奪い合いのために死闘を繰り広げた普仏戦争から第一次世界大戦、大陸次元で油田地帯の制圧に作戦が展開した第二次世界大戦、といった具合に、エネルギー源確保が帝国主義的な膨張政策にとって最大のモチベーションを提供していたことは明白である。そして、現在の中東の情勢不安が何をきっかけに、大陸レベルでの帝国主義的相克を発生させ、ことによると天然ガスが地球次元での大争奪戦の契機を生むかについては、まったく予断できないのである。
 また、情報革命を通じて産業社会の体質が、ハードウェア指向型からソフトウエア指向型にと大転換をとげつつあるので、エネルギー源にまつわる争奪戦や、石油開発にまつわる利権の有利な取り扱いに関してのアプローチも、非常にソフトなものになっていかざるをえなくなる。
 帝国主義の定義でマルクスやレーニンが過ちを犯した最大の理由は、彼らが富の生産に関して、原材料が労働力と工場設備を経由して製品化する過程において、モノの生産面だけに注目したところにある。
 彼らにはモノの生産は同時に低エントロピーのきれいなエネルギーを消費して廃熱を生み出すプロセスでもある、という認識が脱落している。それはマルクス経済学に限らず、イギリスの古典派も計量経済学を含めた近代や現代を自称する経済学のほとんどが、同じタイプの過ちを犯している。
 熱力学第二法則に基づいて汚れの指標であるエントロピーの側面でとらえようとせず、札束として数えられるカネの問題として考えるから、そのような落とし穴に落ちこむのだ。エネルギーにおける収支計算を忘れたまま、カネ勘定だけをベースにボーフォート海で大騒ぎをした、ドーム石油社の経営陣にしても同じことで、これは無謀な二正面作戦に挑んだ経営戦略上の過ちとともに、破綻の原因としてエネルギーの浪費が大きく作用したのである。


また狼少年扱いをするのか

 カナダが生んだ世紀の風雲児ジョン・パトリック・ギャラハーは、ハルツ山塊に見たてたリチャードソン山塊を遠望しながら、踊り明かしたワルプルギスの夜を追想していたのだろうが、北極洋にブロッケン山の怪が浮かび上がる日は、あまりいいことが起こらないものである。
 こういった状況とドーム石油社が破綻するに至ったプロセスを、ドキュメンタリー風に再現すると、産業社会のレベルにおける変動の波とドーム石油社の間違った判断と動きの対照が明白に再現できる。
 まず第一に言えることは、ドーム石油社のトップは情報革命をともなった文明次元での変化も、コンドラチェフの波における下降期の相についても、考え及ばなかったことが明らかである。
 コノコとの攻防戦を終わってHBOGを手に入れたものの、予定をはるかに上まわる出費と銀行負債の山に囲まれて、崩れやすい足場で地の利もあまりよくない上に、天の時もドーム石油社に敵対するに至っていた。
 レーガン政権がうち出したサプライサイド・エコノミーは、アメリカの金利水準を二〇パーセント前後にまで押しあげ、アメリカよりプライム水準が二パーセント高いカナダでは、金利は二三パーセントにも達したのだった。それに加えて、石油や天然ガスの需要停滞と金融引締めにより、ドーム石油社の金庫はすっかり空になって、弱り目にたたり目で、株価の暴落も始まった。
 友人のマークは一緒にロッキーヘ行った山仲間で、ドーム石油社ではミドルマネージメントに連なるジェオロジストだが、一九八一年の春に一緒に食事をしたときに、彼はこんなことを言っていた。
 「八万ドルほど損をしたが、三日前に会社の株を売っ払ったんだ。会社がすすめたし、保証人にもなってくれたので、銀行から二〇万ドルほど借金をして株に投資したけれど、今なら八万ドルで済むが、ボヤボヤしていたらスッテンテンになって借金だけが残る。家を売って損は埋めたけれど、これで一〇年昔からやり直しだよ。でも、社員のほとんどは最後まで手放す気になれないんだ。なにしろ借金して会社の株を買っている連中が多いんだ……」
 マネージメントに連なる内部の人間が売り逃げている以上、これはもはや時間の問題だと考えた私は、一九八一年四月末に日本に帰国したときに、第二の安宅事件としてドーム石油社の問題で松本清張と対談したいと希望したが、どこの雑誌社も相手にしてくれなかった。
 松本清張は日本で最もポピュラーな社会派作家で、安宅事件をルポルタージュ風に描いた『空の城』と題したその小説はベストセラーになっていたし、映画化もされ、数百万人の観客を動員したと小耳にはさんだので、問題提起をしてみようと思ったのだ。
 結局、一九七三年の石油ショックの前と同じで、私は狼少年扱いされてしまい、誰も相手にしてくれなかった。それは一九七一年に私は『石油危機と日本の運命』という題の本の草稿をまとめ、石油危機が必ずやってくるという論陣を張ったのだが、一〇社あまりの出版社へ持ちこんでも断わられるばかりで、どこも出版してくれず、結局は二年も時間を無駄に費やしてしまったケースと似ていた。
 この処女作は、サイマル出版会の田村社長との出会いのお蔭で一九七三年五月に出版が実現し、六カ月後には幸か不幸か石油パニックのなかでベストセラーの仲間入りを果たしたが、石油危機に対して私の警告は時間的に間にあわなかった。
 一九八一年四月の帰国では、マスコミを使って問題提起できず残念だったが、それは一九八一年一一月の帰国の時に補うことになり、国際石油政治についてのコメンテーターとして文化放送の「コスモポリタン・アイ」という番組に登場して一応果たした。
 一一月一六日の生放送で、いかに石油公団がドーム石油社とやろうとしているボーフォート海の石油開発計画が杜撰であり、国民の税金を使うに値しないかを訴えたが、ジャーナリズムの反響はあまりなかったようだ。
 誰もそれをフォローしようとはせず、石油公団はいよいよ全身を投げ出す形で、この粗雑な共同事業にのめりこみ、国内向けに大車輪で宣伝をしたことからしても、警鐘は黙殺されたに違いない。このような経過のなかでドーム石油社はコンドラチェフの第三波の下降期と第二文明期の末期現象に振りまわされながら、破綻の色合いを強めていったのである。



2 情報こそ第三文明の活力

 イギリスの女王が任命した総督が統治権を代表するにしても、首相はカナダにおける最高権力者を体現しているのであり、二千万カナダ国民の運命を正しい方向で導くリーダーとしての責任がかかっている。
 アメリカの心理学者マズローの動機理論を無意識のうちに思想の基盤にし、労働意欲とその管理についてのマグレガーのX理論とY理論の間で揺れ動いているトルドーの政治的エトスからすると無理もないが、彼の指導路線は近視眼的である。それは現在の時点が文明における大転換期に当たる、という認識において、彼に大いに欠けるものがあるからである。
 現代の問題は、政治と経済の肉離れとそれにまつわることばと実態の混乱に、すべての原因をもつ。経済活動は国民国家の枠を超えて世界に広がり、地球を一つのユニットとする世界経済を構成するのに、政治が国境内にとどまっていて、せいぜい国際政治と呼べばいい水準にとどまったままだからである。
 もっとも、国際政治自体は独自な進化のパターンを示していて、一八世紀から一九世紀は、主として大陸内関係であったものが、二〇世紀においては大陸間関係を主体にするようになり、空間的に大きな変化を示す流れが起こった。
 それをよく表わしているのが、政治の特殊なあり方としての戦争であり、一九世紀の世界戦争は大陸内が舞台になったが、二〇世紀の世界戦争は汎世界的なスケールの影響力を持つに至っており、米ソ間では二一世紀に向けて宇宙戦争への準備さえ本格化している。
 それにしても、政治が世界政治化せずに国家間政治としてとどまり、国家間政治が世界経済と肉離れを起こしているところに二〇世紀の持つ最大の悩みがあるのに、トルドー首相ともあろう人が、世界経済の次元で展開しているフロンティアの石油開発を、国際関係をさらに倭小化した形で、連邦と州のレベルの問題におき換えて取り扱うという過ちを犯してしまった。そのために、カナダが活力源としてきた伝統的な油田地帯は言うに及ばず、新しいフロンティア地域の石油開発までが、政治プレイの影響により、活力を失って萎縮し、その延長線にドーム石油社の破綻が出現したのである。


第三文明期のエネルギー源

 それを第二文明期を特徴づけている技術集約型産業社会と、第一、第二、第三の各文明期の主要エネルギー源との関係でとらえるために、簡単なモデルを使って考えると分かりやすいので、MTKダイヤグラムを活用して説明する(図19)。





 これは一〇年ほど昔にカナダの「石油地質学紀要」に発表した論文で紹介したものである。普通のXYの二軸座標の代わりに、三軸を使って平面投影し、三角ダイヤグラムのそれぞれの頂点に、労働のMと技術のT、それに知識のKをおいたため、MTKダイヤグラムと呼ぶのである。
 結論だけを論じれば、第二文明期における産業社会あるいは企業の発展は、このMTKダイヤグラム上をMからKに向かって、時計まわりにTを左に見ながら軌跡を描く。同時にこれは労働集約型から技術集約型を経て知識集約型に移行する産業社会の進化のパターンを示しており、第二文明期の個体発生(オントジェネシス)のなかには、文明そのものの系統発生(フィロジェネシス)が現われていることを示す。
 表現を換えて言えば、過去は未来の序章であり、過去のなかに現在があるとともに、現在のなかに未来はすでに生命力を宿しているのである。M型の第一文明期やK型の第三文明期に挟まれた状態で存在するT型の第二文明期のあり方は、重工業型の産業社会が過渡的なものにすぎないことを示しており、それは図14や図20からも読みとれることである。
 しかも、MTKダイヤグラムが示す興味深い点は、それぞれの文明期を担う産業社会にとって最も重要なエネルギー源が何であるかを明白にしている点である。
 労働力集約型で労働力を供給するのは人間であり、人間が働く上での活力源は食糧であるがゆえに、第一文明期は農業を主体にした産業社会として成立した。エンゲルスの時代区分を使うと、古代奴隷制と中世封建制は農業生産と直結する土地を媒体にして、食糧エネルギーを支配する社会関係の形で歴史を構成した。この段階では土地がエネルギーである食糧の表現形式を代表したのである。
 技術集約型では生産力の主役を演じるのは機械や工場である。機械が働く上での活力源は、初期における石炭から石油や天然ガスにと移行したがゆえに、その確保をめぐる争奪戦を通じて帝国主義の対決があり、第二文明期は工業を主体にした産業社会として成立した。
 機械の購入や工場の経営だけでなく、エネルギー源としての石炭や石油の確保は、通貨を媒体にして行なわれたので、近代資本制社会は機械力を使った生産活動を維持する上での、石炭や石油エネルギーを支配する社会関係の形で歴史を構成した。この段階では通貨としての資本がエネルギーである石炭や石油の表現形式を代表したのである。
 二人がともにユダヤ系だったせいではないにしろ、リカードの経済理論を徹底的に学んだマルクスは、大著『資本論』を書いて資本の蓄積における剰余価値と、再生産について体系づけを試みた。
 資本が近代資本制社会における決定的な要因として機能すると考え、資本に着目したのは正しかったが、彼は、過去の産業社会を特徴づけた労働力を持ち出して、資本を労働価値観と結びつける過ちを犯してしまった。労働も資本も産業社会におけるエネルギーの表現形式であることに気づかなかったために、マルクスは逆立ちした議論をすることに一生を費やし、せっかくの天才的エネルギーを、政治的プロパガンダのために浪費してしまったのである。
 「ソビエト連邦の近代化は電力化の問題である」と指摘して、エネルギーへの洞察を見せたレーニンは、一九一五年の時点としては画期的な『帝国主義論』をまとめたが、もっぱら、第二文明期における列強諸国の行動様式とモチベーション、という現象面の分析に終始したために、結局は、第一次世界大戦前における帝国主義国家間の相克をスケッチしただけに終わった。レーニンの政治的近視眼は文明を支配する一般法則を読みとる視力をもちえなかった。同じことはイギリスの古典派や新古典派にも、近代経済学を自称するケインズ学派にも言えるのであり、彼らには資本や通貨がエネルギーの表現形式のひとつにすぎないことが、見抜けなかったのである。
 知識集約型で生産力と結びつくのは情報であり、情報はエレクトロニクスなどの媒体を基にして、人間の知識体系が新しい価値を生み出す機能を促進する。情報におけるシグナルとノイズを分離したり、オンタイムで伝達する過程で機械が関係し、インフォメーションをインテリジェンス化するプロセスの主役は人間だから、知識集約型が技術集約と労働力集約に支えられた各産業社会を基盤にすることは言うまでもない。
 与えられた環境条件のなかから自由なエネルギーを取りこみ、それぞれの属している次元で汚れの度合を高めるエントロピーの過程とは逆の方向性を築きあげる努力が生命現象である。分子生物学創設の功績でノーベル賞をもらったシュレディンガーは『生命とは何か』という著書のなかで、「生物はマイナスのエントロピーを食べて生命現象を営む」と延べ、負のエントロピーをネゲントロピーと名づけた。この考え方を一般化すると、エネルギー・ポテンシャル(EP)としての生命はネゲントロピー(NE)からエントロピー(E)を差し引いたもので、(NE−E=EP)という一般式が成り立つことになる(図8)。そして、宇宙を支配する最も基本的な原理である熱力学第二法則への反逆と、自然界を支配する因果関係への順応の過程が、三〇億年の生命の歴史として進化をもたらしたのである。
 そうであれば開かれた系として、より上位のレベルと物質やエネルギーが結びつく非平衡熱力学と自然の大法則としての熱力学に熟知することは、現代における指導者の条件にほかならない。
 その意味では、インテリジェンス能力を備えた人間と情報媒体が存在しない限り、より高度な情報社会は発達せず、地球上におけるエントロピーは高くなって、文明の生存自体がおびやかされることになるのである。


産業社会の新しい理念

 こういった文明の発展段階において、第三文明期の揺藍期から幼年期にかけてのエネルギー源として、石油資源と知識体系を確保するために、機会を開発して今日において将来を築く上での具体的な方法として、新しい石油開発のアプローチや組織形態が考えられる必要があった。
 そして、人類のフロンティアであるカナダの北極洋やマッケンジー・デルタの石油開発こそ、新しい時代精神と第三文明期にふさわしい指導原理に基づいて、現在われわれが所有する資源を未来の成果のために投入していかなければならなかった。ここでいう資源には、エネルギーのバリェーションとしての人的資源、経済的資源、知的資源、技術的資源、時間的資源などが含まれていることは言うまでもない。フロンティアが単に空間的なものでなく、政治的、経済的、社会的、技術的フロンティアを意味するものだからである。
 ところが、偏狭な民族感情に支配されたトルドー内閣は、こういった努力の集中と権限の分散に基づいて成果を手に入れる路線を採用せずに、かえって古い時代と同じ差別的な政策を打ち出すことによって、カナダの石油産業の意気をくじき、しかも、ドーム石油社やぺトロカナダ社だけを突撃隊や親衛隊として特別扱いしたのだった。
 ドーム石油社は一九世紀以来、石油開発を特徴づけてきた古いタイプのやり方の枠のなかで、もっぱら大衆の投機資金を運用して勢力を拡大した私企業である。また、いくら連邦政府の眼鏡にかなって協調路線を取ったにしても、オタワの官僚たちにとってはあくまで外様大名の立場だった。
 それに対して、カナダの国益を守るという大義名分のもとに設立され、政府機関によって慎重に選び抜かれた個人を中核に組織されたペトロカナダは、親衛隊として国策には忠実な組織だった。だが、設立間もないので十分な実力もなかったし、国策石油会社創立に貢献したモーリス・ストロングはかつて一九歳の時に、ジャックの下でドーム石油社で仕事をしたことがあるとはいえ、その後世界各地で事業を体験したことが役に立ちビジネスのセンスにも富んでいたので、権力支配には関心を持たず、ペトロカナダ会長の辞意を表明していた。こういったことに加えて、産業社会を揺り動かした文明次元での変革がカナダ政府と役人の思惑を狂わせたのである。
 現代は中央集権と官僚主義の肥大化した自己運動により、国益の名において自由競争の原則が制限され、政治や経済が全体主義化しがちな時代である。
 ムッソリーニが作った共同事業体(公社)や経済相時代にシャハトが作ったドイツの国営企業、あるいは国家総動員法によって官僚統制が全産業を支配した戦時日本や、ペロン体制下のアルゼンチンなど、官僚主導型の過度の経済干渉と自由競争の抑圧は、国家主義や民族意識と結びつくことで全体主義を出現させ、世界の至るところに《一九八四年の悪魔》たちが君臨しかねない危険性を内包している。
 現代は第二文明期として帝国主義の時代であり、自由競争に基づく適者生存の法則が支配し、時には、結果として現われるものが悲惨さを印象づける場合が多い。そうであるがゆえに、ジョージ・オーウェルの予言はもののみごとに的中したのであった。文明、産業社会、大陸、国民国家、コミュニティー、企業、個人、といった多層構造の全体に有効性を持つ法則は存在しないので、一つの次元を超えると価値の基準が変化してしまう。そのために、個人の幸福と企業の利益が対立することが多いし、あるいは、企業とコミュニティーや社会との利害が相反するような場合がいろいろと出てくる。社会やコミュニティーのおかれている自然環境や歴史的発展段階によって、その具体的な内容が異なるとはいえ、最近になればなるほど利害の対立は著しい。その理由は、第二文明期の発展が社会の構成要因を複雑化しただけでなく、価値観の異なる多層構造化を促進したためである。





 二〇世紀に入ってから、世界の総人口が文明史上かつて例がない勢いで激増し、それはもはや爆発としか形容ができないほどである(図20)。特に第三世界の人口増加にはめざましいものがあり、これから第二文明期型の産業社会にと成長していくことを考えると、エネルギーの消費の絶対量が非常に大きくなることは疑う余地がない。
 工業生産を主体とした技術集約型の産業社会は、この時期の社会の活力源である石油と天然ガスを大量に必要とし、この傾向はおそらく二一世紀が始まるまでは、加速度的な勢いで続くことは疑いないところである。
 世界総人口と同じように急激に伸長している年間人口増加率は、さらに社会やコミュニティーの巨大化と数量の増加をもたらすが、そのほとんどは新しく発展する情報生産型の活動分野に吸収されるにしても、次元の違いによる抗争は増加の一途をたどる。
 こういった時代性とエネルギー面から見た中期帝国主義から後期帝国主義への移行段階がもたらす不幸な相克からみても、より上位の次元に属すものが下位グループを高い視野と長期的展望に基づいて調整と調停を行なわないと、争点は解決せず、問題は紛糾して混乱するだけである。
 結論的に言ってしまえば、国家の本質はラスキが説くとおり、警察や軍隊という暴力機構と官僚による収奪をシステム化した権力構造にほかならないが、昔から何ものも生産しない最大のエネルギー浪費機構であったがゆえに、大量生産と大量消費によって特徴づけられる第二文明期の最後の段階で、自らの生み出すエントロピーの高まりによって、国家は自家中毒による崩壊過程を体験するに至った。
 その最後のあがきをともなって登場するのが《一九八四年の悪魔》としての全体主義体制であり、虎よりも恐ろしい苛政を実現するリヴァイアサンが、中生代末期のチラノゾウルスの運命をたどるのか、激変期を生き抜くために弾力性を持つより小さな機構に自己の体質改善を断行するかは、最高権力を体現する為政者の資質にかかっている。
 それはまた一種の政治的な知恵であり、第二文明期から第三文明期への移行期を指導する上での資質は特別な訓練によって身につくし、情報の質を高め公開された内容がいいものに接し、最終的には文明の次元での思考の習慣が決め手になる。企業は言うまでもないが、特にこの必要があるのが現段階では国家であり、政治を担当する者に最もそれが要求されるのである。
 国家が企業を国有化することが有効だったのは前期帝国主義期までで、今は次元の超越が必要な時代である。同一次元においては、一定のコード(規範)やルール(規準)があって、この枠のなかで第二文明期に特有なエネルギー戦略がゲームの流れを規定していく。
 思想の自由を保障された民主的な社会においては、企業が一定のコードとルールに従ってゲームをしているとき、政府の立場はレフェリーであり、公平に判断し仲裁しながら、ゲームがスムーズに進行するようにコーディネートする責任がある。レフェリーが自ら身を乗り出してゲームのなかに介入したり、途中で一方にだけ有利なようにルールを書き直したりしたのでは、ゲームは成立しなくなる。
 ところが、ゲームの現場で参加者が全力をあげているなかに割り込み、自らの突撃隊や親衛隊だけを特別支援しただけでなく、全体のコードやルールを書き換えたのがカナダ政府だったのである。これは機会に対して不平等であり、ゲームの運営に対して不公正であった。そのためにカナダに結集した多くのパイオニア的資質を持った人材や企業が、ゲームヘの参加を見送ったり、最初の情熱を半減させた。
 結果として、カナダのフロンティアは北極洋多島海においても、マッケンジー・デルタにおいても開発活動が激減し、本来ならば同じ期間に蓄積されていい知識や投資されていい開発資金の伸び悩みをもたらした。これは知識と技術を通じた人材の大量育成の機会を奪い、現象的には、ドーム石油社だけをパイオニアとして脚光を浴びさせる効果を短期的には生み出したものの、結局は、ドーム石油社自身も孤立のなかで息切れしてしまった。
 なぜならば、マッケンジー・デルタひとつをとっても、ドーム石油社一社には手に余る場所であり、ボーフォート海を生産に結びつけるためには、パイプライン建設やカナディアン・コンテントの問題を含めて、人類が現時点で力を総結集して世紀の大事業に取り組む方向での政策と戦略が不可欠だったのである。
 それを遂行するためには、各企業は自社の利益追求という私企業の枠を乗りこえて、石油産業の未来とカナダのエネルギー問題に貢献する立場を打ち出し、また、カナダ政府は国家の枠より一段高い、人類と次の世代の利益と、新しく迎える第三文明期の活力源である質の高い情報を含めた新しいエネルギーの生産のために、持てる力を出す意志とその実践が必要であった。
 ところが、トルドー政府は誤った政策を誤った時期に誤った理由で採用し、まったく間違った排他的なやり方で実施したのであった。春秋の筆法に従えば、ドーム石油社を破綻に追いやったのはカナダ政府である。連邦政府に偏愛されたがゆえに、ドーム社は極地でエネルギーを蕩尽し、悪寒にさいなまれながら身震いを続けているが、この荒野の放浪者に温かい救援の手を差しのべるのはエスキモーだろうか。それとも運よく近所を通りかかる別の探険隊であろうか。



3 官僚主義が生んだドームゲート

 政治体制についての議論と学説の推移についてみると、二千五百年も昔のギリシャや中国以来、数えきれないほどの検討が行なわれてきた。プラトンの『国家』やアリストテレスの『政治学』、それに桓寛の『塩鉄論』などを嚆矢にして、マキャベリ、ボダン、ホッブス、ロック、ミル、モンテスキュー、ルソー、カント、へーゲル、マルクス、ウェーバー、ラスキといった碩学の大著が、キラ星のように政治学史の上に輝いている。そして、どのように異なったアプローチで政治を論じても、行きつく所は、権力として社会を代表する国家的存在と個人の関係についてであり、これはヒエラルキーの形態を持つ多次元関係のあり方の問題にと帰結していく。
 上位の次元を満足させる秩序感覚は統制を生み、下位のものは自由としての主導権を求め、両者のバランスと意味づけは、歴史的な発展段階の違いに基づいて大きく変わってきたにもかかわらず、その本質は次元間関係であった。
 社会とコミュニティー、コミュニティーと個人、そして社会と個人の間のかかわり合いの仕方は、それぞれの時代性に応じて新しい問題を提起したが、つきつめるなら、一八五ページの図11で概要を述べた通り、すべての問題は拘束性、あるいは非拘束性の関数になる。別の表現をすれば、ある組織が政治、経済、文化、地理、思想といった差に基づいて社会やコミュニティーを構成しても、各メンバーに対しての内部関係と、それ自身が部分を構成する外部関係が矛盾なく同時に存在する、ということである。
 それは宇宙システムを構成する多次元構造のパターンと、各次元の構成メンバーが次元のステップを通じて、より上位のレベルに組みこまれていく関係であり(図17)、第三文明期以前は個人から社会としての国家に至る関係が、政治学の中心テーマだった。そこで個人と社会の関係を散文形式で表現したのが、『リヴァイアサン』におけるコモンウェルズや、理性と労働を指標に使ったロックであり、所有権や契約関係の重要性に注目したルソーや、アソシエーション論のラスキに至るまで、多種多様な考察が行なわれた。また、社会的結合に優先権をおく集団と、個人の主導権を重んじる立場の間で、第一文明期以来、数えきれないほどの対立と抗争が繰り返され、支配権と抵抗権を考察する過程で、『共産党宣言』『国家と革命』『支配の社会学』『政治の擁護』などの興味深い著作が生み出され、戦術上や実践上で大きな影響力を残した。


崩壊する古いパラダイム

 それにしても、過去において貢献し偉大な役割を果たしたこれらの著作に敬意を払い、パイオニアとしての優れた業績を評価するのはいいが、それをそのまま現代に持ちこんで実践のマニュアルやモデルにしようとするのは問題である。特に、文明の次元で大変革を経験している現在、どのような新しい条件が待ち構えているかについて熟慮せずに、古いモデルを無原則的に新しい文明時代に適用することは、愚かしいだけでなく危険でさえある。
 しかも、表現された言葉は、人間の意識の限定された部分であるにすぎず、社会科学や人文科学と呼ばれるもののほとんどは、幻想と虚構に基づいた偏見にほかならない。
 また、情報革命を迎えた文明が第三文明期として新しい性格を濃くし、世界的な規模での情報網がオンタイムで機能するようになると、国家の上位に当たる世界との関係で、個人から上のレベルの政治関係をとらえなければならず、そこで自然科学のことばを用いることになるのである。
 こうして、個人から世界に至る結合関係を表現する一般法則として、多次元関係の基本領域において、下位次元に位置するものが部分として規制されている面と、一つの全体として独立した面を統一したものが必要になる。規制として作用する拘束性が制度や物質条件といった外面領域だけに及ぶか、あるいは精神や思想のような内面にまで作用するのかによって、拘束性の逆数を使った非拘束性相関図が描けることは図11ですでに見た通りである。
 組織は、宇宙システム内の各次元におけるエネルギーの流れを促進するためのものであり、その流れによってエントロピーが高まって無秩序の度合が増大するとともに、より上位の次元では法則性に支配される体質に基づき、秩序を回復する方向での統制の力が発動される。
 しかし、一つの次元で秩序が確立しても、それはより上位の次元に無秩序をもたらす結果となり、全体的に見ると、わずかな秩序を一時的に保持しているにすぎないことになる。これが宇宙システムを最上位から縦に眺めおろした時の関係である。
 今度は同じ次元を横に水平方向で眺めて、社会における政治関係について検討すると、非拘束性を軸にして無秩序状態と完全秩序状態が対峙する。政治的には、無秩序状態はアナーキズムであり、完全秩序は絶対主義的な専制体制である。しかも、両者の中間的存在としてアナーキズムの隣に自由制が位置し、さらに民主制から封建制を経て絶対制に移行することは、文明の歴史のなかに記録されている特性でもある。
 民主制の思想的背景を構成する民主主義は、ギリシャ語のデモクラチアに由来しており、人民(Demos)と統治(Kratia)の結合語として人民の統治を意味する。これは政治形態として、権力が一人の君主に属す専制政治体制(Monarchy)や、少数者に属す貴族政治体制(Aristocrachy)、あるいは寡頭政治体制(Oligarchy)と区別したものを、さらに多数による権力支配におしすすめた概念である。また、民主政治体制では権力に直接関与する人間の数が多く、限定された空間内に居住する人間の増加とともに、直接民主制から権力の行使が代理人によって行なわれる間接民主制に移行する。
 ただ、民主主義は社会における人間の相互関係を私有財産制との関連でとらえた国家の運営方式のひとつであり、国家が便宜的に作られた虚構のシステムである以上は、民主主義も相対的な価値を持つものとして、政治的力関係における生存権のあり方にほかならない。ことによると、第二文明期のような中央集権化を特性とする時代において、最も優れた存在理由を持ちえた政治への参加方式かもしれないのである。


政治体制の動態モデル

 中世の暗黒時代を生んだ張本人としてのアリストテレスは、天動説的世界観による虚妄の体系を確立した点で問題の多い思想家であるが、政治体制についてのモデルの一般化を試みた数少ない先覚者として、この問題を論じる場合、修正に値する原点として参考にせざるをえない。
 アリストテレスは政治体制の変化をモデル化して、君主政治が貴族政治に取って代わられたあと民主政治が生まれ、民主政治が崩壊して寡頭政治から新しい専制政治が生まれるパターンを示した(図21)。日本語の貴族制ということばの持つ響きには家柄と結びつく血統の語感が強いが、ギリシャ語のアリストスということばの意味は優れたということで、アリストクラシーは本来優れた人間が統治する政治形態を指した。





 貴族制度の基本は、他人が貴族に対して敬意を払うことであり、しかも共和制の形で典型的な現われ方をしたローマの例でみても、徳や勇気や能力を備えていることが基本にあり、貴族として最も一般的な特性は第一文明期を反映して、個人の自由と土地を持っていることにあった。それが権力と結びつき、家系や地位が世襲化して貴族制の主体となり、個人のメリットとかけ離れて一人歩きすることによって貴族制は寡頭制へと移行していくのだが、本書では便宜的に封建制ということばを使ってみた。
 これが絶対制、封建制、自由制で表わしたFALダイヤグラム内での相関関係としてのパラダイムにほかならないが、『政治学』に見る限りにおいて、アリストテレスは徳を座標軸に使って貴族制と民主制の間に寡頭制(オリガルキー)をおいている。しかし支配という視点で眺める限りにおいては、貴族制は寡頭制の特殊なあり方であり、一人の独裁支配から、多数の支配への中間に位置するものとして用語上は封建制でおき換えうるはずである。
 また、民主政治体制は中間的な性質を持つが、それだけに、自律性に基づいたバランスの取れた自由と秩序の関係を持ち、社会と個人の間に大きな許容度を持つ制度だと一般に考えられている。そこで、「最大多数の最大幸福」を実現する上で最良の選択であるということで、「人民の人民による人民のための政治」の思想をべースにして、第二文明期の社会制度として、間接民主制である共和主義体制が一般化したのだった。
 しかし、FALダイヤグラムを見て分かるとおり、民主制は力関係によって相対的になるだけでなく、歴史的にも封建制や絶対制の遺制を内包しているために、非拘束性条件の変化によって、全体主義ラインとの関係で、疑似民主制や疑似全体制に容易に転移する(図11)。
 なぜならば、トクビルが指摘したとおり、民主制は多数者による専制であり、探究的な精神を放棄し、懐疑しないことで大衆になった人びとが、多数者として専制政治を敷く可能性が大いにあるからである。
 特に、間接民主制を採用する巨大化した社会では、人びとの相互依存度が高まって、この複雑化した社会を機能的に組織する仕事が少数の専門家にゆだねられ、そこに少数のテクノクラートと大衆の間の分化現象が発生する。このテクノクラートによる官僚制は、生成・発展の過程で体制を確立すると代理支配としての寡頭政治をもたらし、権力支配が永続化し、ヒエラルキーが人民主権における間接的な権力の所有方式を空洞化して、封建制を成立させるのである。
 封建制ということばは、ドイツ歴史学派の伝統をひきつぐマルキシズムの三区分法の影響により、古代奴隷制、中世封建制、近代資本制という具合に、経済的政治的発展のプロセスと、土地に結びついた支配関係を表わす用語として使われる場合が多い。
 しかし、それは非常に限定された概念であり、むしろ、門閥的な特権階級としての貴族や土地を分離して、封建制度を最も特徴づける「法律に基づいた政治原理によって支配される寡頭体制」と定義し直すと、管理社会にも通用しうるかもしれないことばとして再生できる。
 その形態上の特性は寡頭制と共通するものが多く、機能的な定義としては、「次元を異にする二つの組織体において、規制をともなうフィードバックとしてのホメオスタシス(恒常性)が、より下位のレベルの存在の外縁部のみに作用し、内面部はその支配から独立を維持する」といった具合になる。
 この定義を援用しながら、封建制を最近の歴史に求めてみると、ヒトラーによるナチス・ドイツの国家体制が浮かび上がってくる。歴史学者や政治学者は、ヒトラーの国家社会主義やムッソリーニのファシスト体制を、一般に全体主義のカテゴリーに入れ、共産国家ソビエトにおける全体主義と同じ扱いにすることが多い。
 両者とも全体主義として移行関係にあるが、ナチス・ドイツは封建制だったのに対して、ソビエトは絶対制を代表しており、この差は民主制を国是にする国が、疑似民主制を経由して封建制化するプロセスを考える上で大きな意味を持つ。もっとも、ナチス体制もある面では絶対主義的な生態を示したので、無原則的な一般化は危険だが、それは独裁者を持ったためであり、本質的には封建制そのものとして成り立っていた。
 当時のドイツにおいては、ナチス流の管理方式は狂信的であり、それに反抗したり批判した場合には徹底的な弾圧を受けたが、外面的な行動や物質的な存在以外の形を現わさないものに対して、権力はあまり干渉しなかった。
 個人の良心や信条、あるいは宗教といったものは個体レベルの問題であり、また、企業や組織の思想や理想はコミュニティー次元の問題だから、国家や政府の取り扱うものとは筋が違う、と本能的に心得ていたのかもしれない。このように対外面と対内面の非拘束性に大きな差があったのは、ナチスが管理制に基づいた封建組織だったからである。
 それに対して、ソビエトの共産主義は一種の神権政治であり、ビザンチン帝国以来の宗教と世俗権力を統一支配した伝統に基づき、個人やコミュニティーに対して、国家が絶対的な支配力を持ち、外面と内面の全領域において、社会の次元での価値観を無条件で押しつけている。
 管理社会としてのソビエト型の共産社会は、個人の内面における良心の領域も国家管理の対象であり、批判がそのまま反逆と評価されて粛清に結びつく。スターリンの粛清がソ連邦の歴史を血塗られたものとして特徴づけたのもここに理由があり、水爆の父と呼ばれる物理学者サハロフを中心にしたロシア人たちが、人間としての良心をかかげて人権闘争を試みた背景には、内面における非拘束性の問題が基本にあった。
 この比較において戦前の日本を眺めると、日独伊の三国枢軸同盟を結んだ軍国主義を前面に打ち出したが、天皇制ファシズムと一般に呼ばれるこの政治体制は、ナチス型ではなくて、ソビエト型の内面干渉をはばからない絶対制だった。そして思想も宗教もすべて検閲の対象であり、内外両面にわたる統制と弾圧が、権力を体現した政治警察によって執行されたのである。
 このような絶対制を確立したのは、“お国のため”というスローガンを錦の御旗にし、官僚組織を手足のごとく使って国家主義路線を推進した政治家たちだった。そして、体制における絶対的な価値観を国民全体に押しつけるために、情報の独占と操作を通じて、国益と私益を一体化したのである。
 しかも、ここで中曽根内閣の登場によって、日本は再び絶対主義的路線に向けて大きく傾斜し、《一九八四年の悪魔》が一億人の日本人の上に君臨しようとしている。ドームゲート事件を通じて太平洋を挟んで向い合うカナダでも官僚支配が強化され、カナダ人が誇ってきた民主主義の伝統も急速に疑似民主制から封建制の方向へと推移している。
 すでに上院議員は首相による任命制であり、カナダ型の政治献金の反対給付としてのスポイル人事が定着しているし、首相の独裁権の歯止めになるものはわずかしかなく、官僚機構を通じたオタワの中央集権制は、カナダを擬態としての統制国家の色彩で染めかねない状況にある。
 たとえ、民主制と紙一重の封建制であるにしても、ナチス・ドイツの管理社会は人類の歴史と文明に対して大きな災難をもたらした。カナダがナチス型の全体主義に変貌すると危倶することは、あまりにもばかげていると見えるかもしれないが、ヒトラーを宰相に任じたヒンデンブルグ大統領はもとより、世界中の政治家は誰もヒトラーがワイマール共和国のなかに封建制を確立するとは夢にも思わなかった。そして、ヒトラーの体制確立のプロセスを眺めると、彼は自分の強さによってではなく、対抗者の弱さと失敗によってその成功を手に入れており、現在のカナダは日本と同じで、有能な権力の対抗者が欠けているのである。


日加・官僚主義の結節点

 日本の場合は、カナダよりもはるかに悲劇的であり、三権分立でさえ形骸化して、疑似全体制が絶対制に転化しようとしている。そして、両国の官僚主義の結節点にドームゲート事件が発生したのであり、自由主義経済圏にとって、カナダと日本が共に全体主義化の色を強め《一九八四年の悪魔》が日ごとに大きく成長しようとしているのはたいへん不幸なことである。
 特にこれから人類が築きあげようとしている第三文明期が、情報をエネルギー源にした知識集約型の産業社会であることを考える時、両国の将来が全体主義ラインに抵触する官僚支配が成立する国になる可能性をミニマイズして、たとえもどかしさは残っても、民主制の枠の中にとどまる国でありつづける努力を払うことが必要である。
 また、単に民主制の枠にとどまるという姿勢だけでは不十分であり、民主主義が疑似民主制や疑似全体制化しないための努力を政権交代のプロセスを通じて追求することも大切である。政治体制サイクルはアリストテレス・モデルをFALダイヤグラムで修正したモデル(図22)で一般化でき、産業社会と文明の発展段階に応じて民主制を特徴づける規範と価値基準が異なるものとなるであろう。





 アリストテレスが考えたモデルの有効性自体が大いに問題だが、それを承知でダイヤグラム化を試みると、一般にオメガ(Ω)ポイントと呼ばれるクオリティ、ソフィスティヶーション、コンプレキシティーといった理想究極点をQで表わすピラミッド(三角錐)上をスパイラル運動する進化のモデルが作れる(図22)。
 彼が生きた時代を含む第一文明期にはそれにふさわしい第一期があって、ギリシャ風のプロトジェニック(Protogenic)期、第二文明期には第二期としてのデフテロジェニック(Deuterogenic)期、そして第三文明期にはトリトジェニック(Toritogenic)期といった対応があるであろうということを、次の世代が行なう分析がいつの日にか明らかにするものと思われる。
 日本では特にその傾向が強いが、カナダでも情報の官僚支配が強いために、ドームゲート事件の全貌が国民にほとんど知られておらず、納税者が知らないうちに、大量の税金が不明朗な事業計画のなかに、果てしなく注入されつづけることになる。
 国家は元来、浪費をする性格を持ち、借用証としての通貨を乱造することによって未来を食いつぶすが、それは決議抜きの増税であるインフレーションと、そのものずばりの増税政策で国民を収奪するメカニズムを内包する、という極めつけ方はしないにしても、極力むだな出費を抑えようと努力する民間企業に比べると、国家はあらゆる形で行なう出費に対しての自己規制能力がたいへん弱い。
 それが国家レベルでの財政破綻の大きな要因になっているが、それを予防できない理由として、情報が十分な形で国民の手元に届いていないことがある。
 図23のように、情報伝達のネットワークをモデル化すると、絶対制型の日本や封建制型に移行しつつあるカナダは、自由制型に比べると、国民レベルでのインフォメーションとインテリジェンスの能力が、官僚制を司るピラミッドの頂点に対して、非常に低いところで抑えられている。





 これからの情報社会の発展を考えると、単に能率がいいというだけでなく、社会とその構成員がどのようなコミュニケーション・チャンネルを機能させることが有効であり、適切なフィードバックのチャンネルの存在が安全にとっていかに重要であるかについての考察と選択が必要になる。その正しい選択が両国の将来だけでなく、文明の未来と人類の運命を決定づけるのであり、政府が保有する情報の公開とともに、ジャーナリズムによる情報の正確な伝達の確立とインテリジェンス能力の向上が不可欠である。
 こういった文明次元での大転換のプロセスに注目し、産業社会が体験する新しい時代の流れのなかで、ドーム石油社が記録した生成、発展、そして衰退への過程から学んだ教訓と、日本やカナダの政府や官僚組織の持つ問題点を十分に理解して変革していく努力を行なうことが、環太平洋圏における新しい協力関係を築きあげる上での叡智になるのである。
 高い授業料を払ったことになるが、同じ過ちを二度と繰り返さないことで、ひとつの体験は次の世代に伝える貴重な遺産になるのであり、ドームゲート事件は文明の次元における大変革期の意味を考える上で、日本人とカナダ人に授けられた天の配材であったと言うことも可能になるのである。


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