1 石油は日本の生命線



地上最大の産業

 世界的な物理学者を集めた国際会議の、昼食会席上の話である。ある学者が、「地球の自転を停めるには、どうしたらいいでしょう」という、はなはだ突飛な質問をした。
 すると、それに応えた一人が、おもむろに立ち上がってしゃべり始めた。「全世界の石油ボーリングを、今すぐ全部やめてしまうことです……」。耳を傾けていた他の物理学者たちは、なぜ石油ボーリングの話がこんなところで出てきたのか理解できず、眼を白黒させながらフォークを動かしていた。そんな空気にはお構いなしに、彼は話しつづけた。
 「今ここで石油エネルギーの供給を完全に停めたら、地球の自転が停った以上の効果があるはずです。第一、世界中の経済活動は全部マヒしてしまうでしょうし、そうなったら、アメリカであろうと、ソ連であろうと、他人のことどころではなくなって、自分が生きるか死ぬかの問題で躍起になるでしょう。そして日がのぼろうと日が沈もうと、そんなことは、どうでもよくなってしまいます。それは地球の自転の停止です。何しろ地球自転の最大のお恵みは、日の出とともに始まる人間の経済活動にあるからです」
 ここまで一気にしゃべって一同を見渡した彼は、ニヤッと笑って着席した。緊張して聞きいっていた一同は、このスピーチにこめられたユーモアを理解し、割れるような拍手を送りつづけたそうである。なかなかうがった話だが、さすがに一流の科学者がいっただけのことはあって、問題の核心をついたおもしろい逸話だ。
 事実、二〇世紀文明は、石油の上に築かれているといってもいいすぎではない。そして石油産業は二〇世紀におけるザ・ビゲスト・ビジネス(地上最大規模の産業)であり、最近五〇年の世界史は、石油資源にまつわる国際政治というパターンで展開してきているのである。
 このことをフランス人のアンリ・ベランジェは次のようにいっている。「石油を持つ者が世界を支配する。ハイオクタン価のガソリンで空を、重油で海を、そしてガソリンと灯油で地上を支配する。それに加えて、石油を通じて得られる莫大な富は、経済的な意味で、ありとあらゆるものを支配する」。この言葉は、われわれ日本人に不安な気持を抱かせる魔力を持っている。それは日本こそ、世界一石油を持たざる国だからである。現に過去一五年間に、われわれは幾度となく石油危機に直面したし、そのたびに冷や汗で全身ずぶぬれになるような思いをさせられてきた。
 現に一九七〇年五月に、タップライン(アラビア半島横断パイプライン)がシリア陸軍のブルドーザーに破壊された事件をきっかけに始まった石油危機は、九ヶ月もつづいたあげく、ようやくまとまりがついたことはまだ記憶に新しい。それもアラブ石油産出国が打ち出した最終期限の七一年二月一五日に、あとあますところ九時間というギリギリの解決で、まったくきわどいものだった。
 万一、この産油諸国と、世界の大手石油会社との間の原油値上げ交渉が決裂していたらどうなっていただろうと考えると、身の毛がよだつほどだ。事態は石油禁輸にまで発展して、今頃は日本の経済的破滅に始まった大恐慌が、世界中に拡がっていたであろうことは、およそ九割くらいの確率で予想されるからである。ともかく、エネルギー源としての石油を断たれた日本は壊滅的な打撃を受けざるをえないのである。
 石油の問題を考えるとき、日本にとっていちばん大きな不安は、国内に石油資源をほとんど持っていないという条件を承知の上で築きあげた、莫大な石油関連産業をかかえていることである。
 「日本はもともと天然資源に乏しい国だから、それは何も石油に限ったことではないでしょう」といわれるかもしれない。たしかに、加工貿易経済に生きるという宿命をかかえている日本は、鉄鉱石、パルプ、綿花、羊毛、その他ありとあらゆる原料を外国にあおいでいるといえる。
 しかし現実の問題として石油の九九・七パーセントを海外に依存しており、その輸入額が日本の全輸入総額の二割前後に及んでいることを考えるとき、石油こそ日本の持つ致命的なアキレス腱であるといわざるをえない。
 ちなみに一九七〇年の統計を見ると、日本は、国内で生産する石油が一日二二四〇トンであるのに対して、その二五〇倍の五七万トンの石油を消費している。
 これは驚くべき数字で、世界最大規模のタンカーが、毎日二隻ずつ日本の港に石油を満載して入ってこなければまかないきれないのだ。まさに中東と日本の間を、マンモス・タンカーが数珠つなぎになって往復していると思ってさしつかえない。だからこの輸送船団が何かの事情で長期的にストップせざるを得なくなったり、産油国の輸出中止という事態が起こったりしたら、たちまち日本が壊滅的な打撃を受けるということは、想像に難くないだろう。





日本の石油産業は発育不全

 われわれ日本人は、亜硫酸ガスによる公害や、鉛入りハイオクタン価ガソリンといったものから、石油を身近に感じている。そして石油精製工場(精油所)やガソリン・スタンドといったものを通じて、石油産業の輪郭についての知識をもっていると思っている。ところが、これがそもそも思い違いの始まりなのである。
 われわれは、日本の石油産業のもつ構造上の特殊性を見て、「石油産業というのは、精油所や石油(ガソリン)販売店網などを中心として、最近は石油化学にまで発展している、あのダイナミックな産業のことだろう」と早合点してしまい、そのイメージを勝手に作りあげてしまっている。「石油産業は景気がいいんですってね。お隣りのご主人の暮のポーナス、七カ月分だったんですって」などという話があちこちで繰り返されているうちに、いつの間にか石油産業のイメージが、精油会社とオーバーラップしてしまったのだ。
 実は、精油・販売という分野は、石油産業の一部分にしかすぎないのだということが、まだよく理解されていないのである。それはまた逆説的ないい方をすれば、日本には本当の意味での「石油産業」が存在していないともいえる。だから「存在していない石油産業」の代りに、その一部をもってきて全体と置きかえているのが、現在の日本の姿なのだ。
 ロースト・ビーフやリブ・ステーキ、あるいはタン・シチューでおなじみの牛肉をいくら並べたててみても一頭の牛を表わすことはできない。それなのに生活難の中で、ある奥さんは、牛といえば牛乳びんと小間切れ肉しか想像することができなくなってしまった。これと同じことが石油の場合、われわれ日本人一般についていえるのである。
 それではいったい「石油産業」の正体は何か。それは石油の採掘・運搬・精製・販売といった各部門が一体となっているものの総称なのである。
 もう少し具体的に、という声があれば次のようにも言える。石油産業というのは次の五つの基本的な部門の組合わせから成り立っている。
 (1)石油のありそうな地域を探査する調査部門。
 (2)石油があると思われる場所をボーリングしたり、掘りあてた場合に、地表までくみあげたりする生産部門。
 (3)掘り出した石油を、パイプラインあるいはタンカーで消費地まで運搬して貯蔵しておく輸送部門。
 (4)原油を分解し、石油製品にする精油部門。
 (5)石油製品を、ガソリンスタンドなどを通じて市場に送り出す販売部門。
 世界的な一般通念に従うと、この五つの部門を総合して石油産業と呼び、個々の企業組織を石油会社といっているのだ。とりわけ(1)の調査部門が、石油会社の中枢として非常に重要な機能を果しており、この部門の充実の度合によって、世界の石油開発において、どれだけの重要性を果しているかを検討し、石油会社の実力の評価基準にしているのである。このようなわけで、日本のように石油会社の活動が主として精油と販売部門にのみ集中していて、開発部門を持っていない場合には、石油産業と呼ぶより、石油精製産業とよんだ方が適切なのだ。日本でも最近、ようやく海外石油の開発を目的とした企業が設立されて、その活躍が少しずつ伝えられるようになってきた。一応喜んでいいことだろう。それにしても、なぜ日本には石油産業が、石油の生産と消費のバランスにマッチしたものとして発展することができなかったのだろうか。


石油政策の不在

 日本の地質学的な条件からすると、大規模な油田を発見するのがほとんど困難だという点が、日本に石油開発事業を発達させなかった第一の理由として考えられる。しかし、それ以上に大きく作用したのは、石油に対する政策が極度に貧困だったということである。
 というのは、日本と同じく国内に石油資源を持たないフランス、オランダ、イギリスなどの国が、この石油開発事業を、ある意味で立派な産業にまで育てあげているからである。第一次大戦中に、フランスの首相クレマンソーは、「石油の一滴は、われわれの血の一滴である」と悲痛な声で叫んだが、第二次大戦中、日本の政府は、この言葉をそのまま使って「石油の一滴は血の一滴」という標語を作り、あちこちの電信柱や電車の車内広告として貼り出した。ただし、それも「米英撃滅火の用心」という標語と一緒に並べたりしたので、果してどこまで真剣だったかはよく分らないという思い出話を、近所のタバコ屋のおばあさんがずいぶん以前に話してくれたことがある。
 何といっても過去数十年にわたって、このような戦時標語程度のもの以外に、日本に石油政策のスローガンさえ存在しなかったことは致命的だった。もちろん、石油の重要性を認めた人は、たくさんあったことだろう。そして機会あるごとに、長期的な展望にもとづいた石油政策の必要性が訴えられてきたはずである。
 しかしながら現実の政治の中で、この問題に真剣にとり組んだ政治家がいなかった。もっとも、それだけの人材が政治家として出てくることを、今までの日本の政界に期待したところで無理な注文だったからかもしれない。
 というのは、石油に関する動きほど、世界政治の中ですぐれた外交上の技術と高度な決断力を要請されるものはないからだ。低姿勢と経済外交に頼っているだけでは、このきびしい国際環境の中で何もなしえないことはすでに明白である。ところが昨日までは、それが日本の政治的な姿勢だった。国際舞台では、政治的な無力はどんなにそれをかくそうと努力してもすぐに暴露されてしまうし、国内ではいくらでも使えた田舎芝居も、国際政治の中ではまったく通用しないのだ。だから、難題が山のようにあるこのオイルビジネスの分野では、海外で活躍する道を切り開くこともできないまま、指をくわえていたのである。
 最近ようやく海外での活動が新聞紙上を賑わすことの多くなった日本の石油開発事業だが、一つの非常に弱い面を持っていることは少しも伝えられていない。それは、石油開発にとってもっとも重要である石油探査のための調査部門を、日本の企業はその内部に持っていないことである。
 石油開発は、ある意味で知識産業であり、情報産業であるといってもかまわないほどで、石油会社の実力の優劣は、まさにその会社が蓄積してきた地質学的な知識の内容と、それを石油発見に結びつけていく、質的に高い人材群によって象徴される。すでに長い経験と高い実績をもっている欧米の石油会社は、その内部に蓄積している知識と技術の点で、日本の企業を大きく引きはなしている。この点での世界の石油開発事業における勢力差は予想外に大きく、日本の石油企業が一束にまとまっても、果して五〇番以内に入ることができるかどうか、おぼつかないほどである。たとえば石油探査の段階で、地質調査、航空写真解析、物理探査があり、石油ボーリングの段階でロータリー・ボーリング、電気ロッギング、マッド・ロッギングといういくつかの分野が組み合わさっている。
 ところが、日本の石油会社の場合、これらの技術と知識をもちあわせていないために、ほとんど全部を外国の下請け会社に出している。現地での仕事、その解釈、判断にいたるまで、専門知識と技術に関するものはすべて下請け会社にまかせておいて、最終決定と資金調達だけを石油会社がひきうけているのが現状なのだ。
 アメリカには、「ナントカ資源株式会社」というブローカー会社が、数えきれないほどある。この種の会社の仕事は、何かというと、石油業界の内情にくわしい人物がいて、毎日のように「石油クラブ」や「経営者クラブ」に出入りし、うまい話をさぐり出すとともに、テキサスやカリフォルニアの百万長者の所へ出かけて行って、そのうちの何人かを話にのせて出資者にしたてるのである。
 「どこそこで今度有望な油田の鉱区を手に入れたので、某大手石油会社と一緒に開発する予定です。一口百万ドルで三口分くらいどうでしょう」というわけである。欲の深い百万長者一五人くらいに声をかければ、三千万ドル(八○億円)くらい集めるのは、わけのないことだから、これを会社の軍資金にして今度はちゃんと調査部門を持っている石油会社へ行き、そこの石油開発計画に二五パーセント、別の会社に三〇パーセント……という具合にこの資金を分配して危険分散していくのだ。あるいは非常に有望だと信ずるに足る材料が多い場合には、すべてを下請けの会社にまかせて石油を掘ってみるのである。これがアメリカでいう「ヒトクチ屋」であり、石油会社とは系列の違うものなのである。日本の海外石油開発企業が、探査活動を基礎とした石油事業における石油会社であるよりは、この「ヒトクチ屋」の方により似た性格をもっているといったら、お叱りをうけてしまうだろうか。


数千億円の探鉱資金

 いちばんはじめに私は、石油産業は地上最大の産業だといった。最大というこのことばにはたくさんの意味が含まれている。経済的実力、活動の範囲、政治的影響、投資の規模、ちょっと思い出すものをならべても、ザッとこんな具合である。そして、どのひとつを取ってみても、石油産業のそれには目をみはるものがある。
 さて、石油を開発するのに必要なお金を、探鉱資金と呼んでいる。そしてこの資金の調達をどうするかが、石油開発における大きなポイントになっている。理由というのはほかでもなく、探鉱資金として必要な最小限が数億円から数千億円という単位だからだ。石油開発というのは、あらゆる企業活動が一丸となって、せっせと出費を強要するコストセンターであり、一億円くらいの資金ならアッという間に使ってしまう。
 ある信頼できる機関が発表した数字によると、自由世界が一九七〇年代に石油開発に関係して投資する費用は、三六五〇億ドルであるという。これによれば、二四時間ごとに一億ドル(二六〇億円)使う勘定になり、その費用がどれくらい大きいものであるか想像できるだろう。そしてこのうち五二パーセントにあたる千九百億ドル(五二兆円)が、パイプライン、タンカー、貯蔵タンク、精油所、ガソリンスタンド網の建設費用であり、残りの四八パーセントの一七五〇億ドル(四七兆二千億円)が石油や天然ガスを発見し、地上に汲みあげるための調査開発費用なのである。
 この数字をみても、いかに石油探査に莫大な資金を必要とするかわかるだろう。そして、石油探査のための調査活動に要する資金の大きさがいかに巨大かということと、この調査部門をちゃんと組織の中にもたないまま、下請け会社の技術と知識に頼って石油開発を続けようということがどんなに危険なものかがお分り願えたと思う。
 それでなくとも石油開発という仕事は、将来のきわめて不確かな成果のために、現在のありとあらゆる資源を投入しなければならない運命をもっている。危険に対して、万全の備えをととのえた上で、はじめて数少ない可能性の中から成功をつかみだすこともできるのだ。そうでない限り、石油探しという仕事はたんなる投機になってしまい、はじめのうちは幸運に恵まれて成功していても、そのうち「ツキ」が逃げてしまえば、もう終りになってしまう。そうならないためにも、人知を動員できる限界までは、知識と技術のために石油会社は組織固めをやりなおす必要がある。


努力の報酬

 さて、ここで石油開発には苦労がつきものだという例をひとつあげてみよう。
 長い苦しい試練と、莫大な資金を使って収穫をつかめた場合はまだよいが、何も得ない敗残者になったときはまったくみじめなものである。そして、成功した場合にしかその苦労話は残らないものであり、最近ブームをよんだ、アラスカのノース・スロープ(プルドホ・ベイ)もまた同じである。あれをものにするまでには、イギリスのブリティッシュ・ペトロレアムが社運を賭けた、一〇年間にわたる苦しい精力的な努力の歴史があるのだ。
 一九五七年ごろ、世界の石油会社が、こぞってアラスカのクック入江の石油開発権を獲得するために殺到したことがある。イギリスのこの半国営会社は、それに一歩出遅れてしまった。そこで高い権利金を払って採掘権を転売してもらうよりは、というわけで、その頃、だれも問題にさえしていなかった極寒の北極洋に挑戦したのである。それからは、おなじみの「風変りで、狂気にとりつかれた、孤独な山師」と呼ばれる探鉱活動の時代が続く。その結果、一昔がすぎた一九六九年冬の国際入札のとき、この会社だけがひとり静かに微笑むことができたのだ。世界中の石油会社は、あらゆるものを担保として銀行から金をかき集め、あるいはクック入江の権利をたたき売ってまでして、この世紀の大入札にかけつけてきた。しかし、一〇年問にわたって蓄積した地質学的な基礎知識の差は、このイギリスの会社に、アラスカの石油開発のパイオニアとしての名誉と、リーダーシップを獲得させたのである。
 これなどは自分の組織の調査部門を信頼し、一つの失敗を教訓として、次の成功のためのステップになしえた例になるだろう。
 さて、この話には、日本の石油業界の中心人物が顔を出す後日譚がつくのだ。ノース・スロープの石油が新しいブームをまきおこしていたときのことだ。日本の石油業界のトップ・メンバーが視察にいって、はなばなしくヤグラを組んで石油ボーリングが行なわれている現場をみて帰り、日本でこんな発言をしたそうである。「ノース・スロープは大したものです。私の印象では莫大な埋蔵量の石油があると思えるし、あそこへなら日本も進出してやれば、絶対に成功します」
 この発言が、APだかUPだか忘れたが、外国の通信社にすっぱぬかれ、アメリカに伝わり、アメリカの石油業界誌のコラムでさんざんにこづきまわされたのだ。「日本は甘い実がなると、それをもぎに来る隣人である。われわれが肥料をやっているころには知らん顔をしていたのに、リンゴが色づきはじめると、急に態度をかえて心配そうに毎日眺めにやってくる。だが今年はもうわれわれがすっかり腹をすかしているのだし、おすそわけなんかすることはできないのだ」
 これを読んで私は、このコラムの筆者にも、日本側の発言者にも怒りをおぼえた。それにもまして、日本の石油関係のトップレベルの発想が、こんなに次元が低いことに唖然としてしまった。「ノース・スロープに大油田があるとわかっていれば、なぜもっと早く自分でやっていないのか」というだけならともかく、「この横取り専門の盗人め」というコラムはどうみても感情的でよくない。
 アメリカ自身が、石油が足りなくて困っていることはよく分っているが、だからといって日本と石油の問題で対立して張りあったら、昔のABCD包囲作戦(A=アメリカ、B=ブリテン、C=チャイナ、D=ダッチによる対日石油禁輸措置で、太平洋戦争の原因の一つ)の二の舞になってしまう。
 「日本の会社が進出する」といったところで、どこかアメリカの石油会社をパートナーとしてみつけない限り、どこを掘ってよいのか判断力のない日本の会社のことなのだから、「威勢よくラッパを吹きならして、相棒をさがしているだけだから、心配しなさんな。あれはアドバルーンをあげているにしかすぎないのだから、そんなにムキになることはない」とこの単純なアメリカ人に忠告してやりたくなる。
 それにしても、日本経済の生命線を握っている日本の石油産業は、もっと想像力のあるリーダーをもたないことには前途多難であり、世界の一流に仲間入りするまでには、石油と血のにじんだ汗を流す必要がありそうだ。


石油資本の不安

 何度もいったように、石油がない限り、日本経済は動きがとれない。だから是が非でも石油資源を確保したいというのは、日本の基本的な立場であり悲願である。これだけは世界に大声で訴えたいのだが、すでにここから問題がはじまっている。自分の領土内に必要にみあった石油がなくて、よその国に供給をあおぐ以上、その国の立場について考慮しないわけにはいかないからだ。
 力の強い国の一方的な家庭の事情を、より弱い国に押しつけて通用した時代の黄昏はすでにはじまっている。大英帝国がその中に没して久しく、また天下に今をときめくアメリカ帝国にも、午後の日ざしが影をなげかけはじめている。ベトナムにおけるアメリカの挫折にしても、世界石油カルテル(大石油会社)のOPEC(石油輸出国機構)に対する価格交渉にしても同じである。これは、すでに、絶対的な力などというものが地上を支配することができなくなったことを物語っている。
 こういった世界情勢の中では、他国に対する昔ながらの考え方や行動は、もう効果が少ないと知らなければならない。昨日までは経済的な実力も、石油を開発する能力も不足していた日本である。「自主性にとぼしいひもつき石油だ」といいながらも、欧米系の石油会社から石油を買って、どうにかしのいでくることもできた。ところが、今日はもう、石油帝国を誇ってきた欧米の石油会社自身、自分の国に必要な石油を確保できなくなりそうなきざしの中で、近く始まるかもしれない石油危機の影におびえはじめているのである。
 今や石油に対して、そしてエネルギー問題に対する新しい考え方、新しい態度、そして新しい政策をもって日本の生きる道を決めなければならなくなっている。この点で、日本の海外石油に対する現在の基本方針は、あまりにも旧態依然としていて、刻々と変化していく世界情勢の中でとり残されようとしている。
 たしかに、「日本の石油産業の自主性を確保するために、海外の石油開発をみずからの手で促進する必要がある」ということを、基本精神としてかかげてはいる。それに加えて、「友好的な国際秩序を確立して、石油の安定供給を実現するために、おおいに努力しなければならない」と強調している。しかし、残念ながら、これは今から数十年も昔、欧米の列強諸国が使ったことばなのだ。
 日本自身にとっては、きわめて耳新しいこのことばも、今までこのスローガンの下に大国の支配をうけてきた石油産出国にとっては、陳腐で身勝手ないい分であるとしかきこえないだろう。なにしろ、日本人がかかげる小さな理想がまったく空虚な響きしか持ちえないくらい、国際石油資本がこれまで石油産出国を相手に取り続けてきた力の支配は、苛酷で強圧的なものだったのである。
 さて、石油産出諸国との関係において、これからの日本がとるべき道は幾つかあるだろう。しかし、少なくとも一九八○年にもその有効性をもちうるものを選ばなくてはだめだ。そしてこれらの国の繁栄と発展のために、運命を共にするくらいの覚悟をもって資源政策の出発点にしない限り、救いはないだろう。わが国の都合のままには、これからの石油産出諸国は決して動いてくれるはずがないからだ。
 現在、自国の必要量の六五パーセントしか石油を生産できないアメリカ合衆国では、「なぜアラスカの石油資源を日本に売ってやる必要があるのか。われわれはすでに自分の必要分でさえ不足しているのだ」という意見を吐く人まで出ている。そんな時、日本だけが「石油がないとやっていけない」と主張したところで、誰も相手にしてくれるわけがない。
 ほかの国を頼りにするためには、まず自分がそれらの国に対して、はたして何をすることができるかを身をもって示すべきである。そしてそれぞれの国が必要としているサービスを日本が提供できるとき、そのみかえりとして、われわれが生きていく上で不可欠な石油資源をわけてもらうチャンスを与えられるのだという謙虚さが、これからは大切になってくるのだ。そのとき、中東を含めたアジア・アフリカ諸国が、日本のパートナーとしてどれだけの価値を秘めているかについての理解もはじまるであろう。
 それにつけても思い出されるのは、かつて中東のある国で仕事をしていたときのことだ。イタリア人の友人の関係でその国の石油大臣をしていた人にとても親しくしてもらった。あるとき彼が私に、「日本がもっとわれわれの方を向いて一緒にやってくれるのだったらなあ……」と言った。
 そのときは、「日本の外交がアメリカに追従していて、アジアや中東の問題を二の次にしていることに対する非難だろう」くらいに思っていた。ところが、それからずっとあとになってから、このことばには、実は重要な意味があることを知ったのである。
 そのころは、中東問題で、アラブ諸国はソ連政府と秘密の交渉を続けていた。エジプトとソビエト間の共同コミュニケは、「イスラエルとアラブ諸国の対立に直接アメリカが介入するようだったら、ソビエトはエジプトを無制限に援助する」というもので、アラブ諸国が、石油の禁輸をもってアメリカに対抗する点を含めて、われわれはその内容について知っている。
 ところが別に、次のような極秘の取り決めが存在していたのだ。これを知って、どれだけの日本人が衝撃をうけるか想像がつかないが、その内容というのは、こうである。
 「アメリカ、西ヨーロッパそして日本に対しての石油禁輸のひきかえとして、アラブ諸国の石油はソビエト政府が責任をもって全部ひきとる。ソ連邦のアスタラとアシュクバドを、アラブ諸国の油田地帯とパイプライン網で結びつけた上で、ソビエト政府は、ロシア最大の第二バクー油田(ボルガ〜ウラル地区の大油田で、その生産量は日産五〇万トンで、全日本の消費規模に匹敵する)と、第一バクー油田(カスピ海)を閉鎖する」
 私は、この最後の部分を知ったとき、愕然としてしまった。もし、これが実現するようなことがあったら、世界の政治情勢はまったく変ってしまうにちがいないと思ったからだ。きっと、日本と西ヨーロッパ諸国で火を吹く爆弾は、世界の繁栄を、それこそコッパ微塵に吹きとばしたことだろう。われわれが謳歌している繁栄のとなりでは、いつの間にか破滅が自分の出番を待ちかまえているのだということについて、もう少し注意を払う必要が ある。


前頭九枚目から三役への道

 非常に限られたものであるが、中東、北アフリカ、ヨーロッパ、そして現在の北米と、今まで私が仕事をしてきたところは、一応世界の石油地帯であった。
 私の場合、日本の石油会社で一度も仕事をした経験がないのは、一つの小さな弱味ではあるが、フランスとアメリカの石油会社だけで働いてきたプラスの面もある。それは日本の石油問題をある意味では特殊な立場から考えることができた面だ。それも日本人という心情からだけでなく、石油ビジネスの渦中にある地質の専門家として、今日における最大の課題である祖国の資源問題を冷静に考えることができたからである。
 さて、もろもろの要素をとりまぜて、私は石油の番付けを作ってみた。



 何を基準にして作ったかと質問されると実は困るのだが、それは上記のような私の過去の経験と、現在の立場から、一応ご納得いただきたい。
 お気づきと思うが、アメリカとソ連は、世界における石油資源の土俵の上でもお互いに張り合っている。そして西の幕内には、今のところたくさんの関取が目白押しである。しかし、この中には、いつ東の幕内にのりかえるか分らない顔ぶれが大分ひかえている。そのカギになるのが、中東問題の今後の成り行きだろう。
 ところで、アメリカ、ソビエトに次いで、世界第三位の石油消費量を誇る日本が、なぜにこの番付けでは幕尻ギリギリのところに位置するのか、不思議に思われるかもしれない。
 その理由というのは、すでに一九七一年二月一五日を新しい歴史の第一日として石油が完全に産出国側のリーダーシップのもとに、確固とした売手市場を確立してしまったことと、相変らず石油という土俵の上で、日本の修業がおおいに不足していることの二点にある。すでに日本は経済大国になったのだという自信のもとに、自分の持つ基本的な弱さについて忘れかけようとしている。
 私はこの弱さを一日も早く克服して、日本が石油の土俵で晴れの三役入りを果す日が来ることを望んでやまない。それなくしては、日本が世界の大国に伍して実力を競いあう基礎が確立しないばかりでなく、経済大国になったのだという意識が、単なる数字の魔術の上に組みたてられた虚像にしかすぎなくなってしまうからである。
 こういうと、「事業をすることの難しさもしらないで、若造が何を生意気なことをいうか」と、多くの先輩から叱られるかもしれない。しかし私は、まだ比較的若い世代に属しているからこそ、あえて発言したいのだ。一九八○年代こそ、われわれ若造の時代であり、二一世紀がわれわれの息子たちの時代であることを考えれば、今日直面する問題は、今日のうちにキチンとしておいて欲しいと願わずにいられないからである。
 また今後とも、石油は日本の生命線であり、石油産業の調和のとれた発達のみが、日本の真の繁栄を約束する唯一の道であることは疑いない。そうであれば、日本の運命を背負っている今日の石油産業が、明日において日本経済の躍進の原動力であるようにと願わない日本人は一人もいないだろうということもまた、これは疑う余地がないのである。


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