2 指導者なき石油政策



石油戦争の教訓

 石油戦争などという恐ろしい名前で呼ばれて、一時は日本のマスコミ界がおおいに騒ぎたてた、あの一九七一年の石油危機は、一応これといった経済的な行きづまりを日本の産業界に与えることもなしに一段落した。
 もっとも、この石油危機のおかげで、石油問題における日本の立場の弱さというものをいやというほど見せつけられて、今さらながら国際舞台におけるわが国の実力不足を痛感させられたのであった。
 なにしろ全面的なエンバルゴ(石油の禁輸)という最悪の事態にいきつく前に、何らかの妥協点を見出すという意味で進められた、石油産出諸国と国際石油資本の間の交渉に、日本はその仲間の一員に加えられることも、また口をさしはさむ立場さえ獲得できなかった。つまり交渉の成りゆきという面では、日本は終始一貫してまったくのつんぼ桟敷におかれたまま、自国の運命に対していわば他力本願だったのだ。
 「くたばれGNPなどといって、わが国の実力を認めようとしない空気が、マスコミ界を初めとして国民の一部にあることは大変遺憾に思われる。エネルギーの面からいっても、日本はアメリカ、ソビエトに次いで世界第三位の石油消費国としておおいに繁栄しているのであり、このすばらしい国力に対して日本人はもっと誇りをもつべきである。第一、アメリカ人の未来学者ハーマン・カーン博士も、二一世紀は日本の時代になるといっているではないか」などと大声でわめきたてて日本の国力が世界のナンバー・スリーなのだという一人よがりをむりやりに国民に押しつけようとしてきた無見識な政治家や財界人たちが、この石油に関する日本の無力さを目の前にして一言も発することがなく、ただ呆然自失しているばかりだったのは大発見であった。いったい、いつもの鼻息の荒い大国日本を背負いたった意気ごみはどこへいってしまったのだと、不思議に思えたほどである。
 それはともかくとして、万が一にも、あのまま事態が悪化して石油の禁輸ということにでもなっていたら、大変な情況が始まっていただろう。エネルギー源が底をついて、日本経済の破綻に発展するくらいのことは誰の目にも明らかであり、もしそんな破目にでもなれば、アガキ死にさせられる運命にあった日本の全産業は、成仏することもおぼつかないどころか、死んでも死にきれないことだろう。
 しかし幸運にも、たいした経済破綻の傷あとも残さないですんだのだから、何よりであった。国際石油資本側が、石油産出諸国に対して大幅な譲歩をしたことによって、交渉が無事に妥結してまったくホッとさせられた。
 これはなにも、私だけが大袈裟なのではなくて、広く日本経済の中で、エネルギー源の中心である石油の問題に関心をもち、国際舞台の上で繰りひろげられていた石油にまつわる利害の対立に注意を払ってきた多くの日本人にとって共通している気持のはずだ。それほど、この石油危機は、日本の運命を左右する深刻な問題を含んでいたのである。
 結果的にみると、石油一トンあたりにつき約千円という値上げ分は、そっくりそのまま石油製品の値上りにスライドして、消費者におしつけられてしまった。だから個々の企業の段階で、倒産するような事件がまったくなく、経済危機を伴った破局が起こらなかったのも、別に不思議なことではない。
 いつも値上げのしわよせを全部まかされて、失政の後始末をさせられるのは、王様とおだてられた挙句にインフルエンザの数百倍も悪性のインフレ病に感染して、すっかり声が出なくなってしまった消費者たちなのだから。
 しかしながら、あの深刻な危機感の高まりによって、日本がこれまでとってきた石油政策が、実は政策と呼ぶに値するものでさえなかったのだと分ったことは、とんだ怪我の功名であった。おかげで石油をどうしたらよいかと真剣に考える糸口になって、政治家たちでさえ、ようやく石油問題に対して有効な対策を今の時点で講じておかないと、近い将来大変なことになるかもしれないという自覚を持つようになったのである。
 さて、実際問題として、OPEC(石油輸出国機構)が獲得した値上げ分が、日本にとっては一九七一年度分だけで三千億円に達する莫大な額であったという点で、われわれが支払わざるを得なかった授業料は非常に高価なものだった。こうやってすでに授業料を払うことが決定した以上──というより、実は一九七一年の春以来、すっと払いつづけているのだが──、われわれはこの中から、今後のためにプラスになるような何かを学びとっていかなければならないだろう。
 また、この物価高で生活難の時代に、国民一人あたりにして年間三千円もの出費を強制されるのだから、そのみかえりとしても、一人一人の日本人は声を大にして、この金額に相当すべき、有効かつ能率的な石油政策の遂行を国政の担当者たちに要求できる。それも、こうやって割高な参加費を負担させられたからには、今までのような財界と政府の馴れ合いで演じられた田舎芝居のようなものでない、全国民が心から拍手を送ることのできる、もっと真剣味と説得力のある資源政策をうちだしてもらわなければならない。
 それによって、安定した石油資源の確保と、友好的な国際関係を築きあげて、今後における日本の繁栄の基礎にしてもらいたい。そうでない限り、誰も納得しないだろうし、また黙ってもいないだろう。
 だいたい、いくら忍耐力において世界でまれにみるほど優れている、わがヤマト民族であるとはいっても、勘忍袋の緒は綻びはじめている。ここ数年来、その緒をあまりにも閉めたり開いたりしているうちに、日本人の勘忍袋はすっかり綻びて、ボロボロになりかけてしまった。そしてわれわれが、先祖伝来のものとして大事にしてきたこの勘忍袋を投げ捨ててしまおうと決心する時、不満はすぐに大爆発を起こして、日本は前代未聞の大混乱の渦にまきこまれ、立ち往生してしまうに決まっている。今のところ声なき民としての分限を守って、誰も正面きっていい出そうとしていないし、事をあらだてて責任を取れというような険悪な事態にまでは至っていないが、国民の気持の中には、無能なばかりで、国民の希望を踏みにじり続けている国政に対して、大きなわだかまりが存在している。それが政治に対する不信感となって、選挙の時の非常に低い投票率になって現われていることは、周知の事実になっている。
 それとともに、従来における政治や財界の主脳部の問題意識の低さが、日本の石油政策を行きづまらせている最大の原因だということを、国民は十分すぎるほど承知しており、おおいに眉をひそめあってさえいる。
 何しろ、われわれは、過去一〇年間に起こった政策上の失敗について、あまりにも多くの事実を目撃し我慢し続けてきたが、最近における一、二年、それが特にひどいと感じられるからだ。この点について、国家の責任ある地位にいる人びとは謙虚に反省するとともに、過去のやり方を徹底的に批判した上で、もっとましなやり方をみつけ出して、現実の政治の中に生かしていくように努力すべきだろう。
 現状では、日本が外国から石油を輸入する必要がないとか、使用できる外貨が不足していて何もできないというわけではない。それどころか、相変らず必要量の九九・七パーセントの石油を海外からの供給にあおがなければならず、また外貨はダブつき気味で困っているほどなのである。
 昨日までは、一億人の日本人の安全を確保するのに不可欠ともいえる資源開発にさえも、外貨を出ししぶっていた日本が、今日はまた打って変ったように、まったくナンセンスなものにさえも、外国に対する投資計画を奨励している。
 それというのも、あり余っているドルのおかげでかかってくる、アメリカからの自由化への圧力を避けることに懸命になっているのと、持ちなれない札束を前にして少しばかり気が大きくなっているからなのだ。
 そのくせ、損得だけで物事を判断するソロバン片手の習慣からは、あいかわらず抜け出すことができないまま、採算本位一点ばりで、すぐに日銭の稼げる、サービス業や商業の分野にばかり日本の資本進出が目だっている。そして日本の将来にとって最も肝心な、海外の資源問題に対して、長期的な視点をもった対策を確立しておくということについては、残念ながらあまり具体的な話が進められていないのだ。
 このような目さき本位のやり方を改めて、資源問題に対する新しい基本構想をうちたてて、それを石油政策の上に反映させる努力を払ってもらいたい。
 それに加えて、現在のように、石油に対する全体的な危機感が強く支配しているときには、ドサクサにまぎれて、石油開発の名を語って石油にまつわる権益を手に入れようと企てるいい加減な会社が暗躍する場合が多い。このような、エネルギー不安を食いものにしようとする「一発屋」の横行を阻止して、日本の生命線である石油の供給を安定的なものにするためにも、ここで勇気のある効果的な石油政策を国民の前に明らかにすべきだろう。一億人の日本人が、一人当り一日一〇円もの授業料を払っているのだということを心頭において、責任ある石油政策の検討を進めていただかない限り、われわれは泣くにも泣けない気持だ。
 あの「石油戦争」と名づけられた一九七一年の石油危機は、日本人全体にとって非常に教訓的であったが、それにも増して日本の政治責任者たちにとって、反省の機会としてこれ以上のものはありえないほど有効なものである。一つの失敗を次の成功へのステップとすることこそ、われわれが次に来る息子たちの世代に対して果さなければならない責任ある態度ではないだろうか。
 そして重ねてここで強調するが、できるだけ早い時期に画期的な構想をうちだして、新しい石油政策の第一歩を踏みだしてもらいたいというのが、一億の日本人が気持を一つにして期待しているところなのである。


真の指導者の欠如

 まず、現在の日本で、石油問題がこれだけ危機的な情況に置かれ、しかもかなり騒がれているにもかかわらず、見落されたまま忘れられていることがある。
 それは、日本の石油事業におけるリーダーシップを代表する人がいないという点だ。この点では、いくらひいき目にみつもっても、石油ビジネスの舞台の上においては、世界の三流国でしかないということは、残念ながら否定することのできないわが経済大国日本の現実の姿なのである。それというのは、この指導者と呼ばれる人びとが、いわゆる会社の経営者といかに異なっているのかという点について、日本ではあまりよく考えられていないということがきわめて重要な役割を演じており、この点における不十分な理解が、現在の日本における石油問題が直面している混乱の、最も大きな理由になっていると思われる。
 さて二〇世紀後半という、世界政治の新しい局面を迎えて、石油ビジネスの分野で一国を代表してリーダーシップをとるということは、とてもむずかしいことである。
 それは広い視野で、国際政治と世界経済の動きを明確に把握する力や、対外的な交渉能力、そして経済的な打算にふりまわされない、高度に政治的な決断力といったものが最低限要求される。そしてこれらの総合された力を兼ね備えた人でない限り、石油資源は、扱わせるにはあまりにも危険な要素が多すぎる。リーダーシップを持つだけの能力に欠けた人物にひきいられた国は、二〇世紀の歴史の中で、ほとんど例外なしに国家的な破滅への道をつき進んだ事実が存在しているからである。
 よく知られているものとして、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツや、大日本帝国がそのよい見本であり、石油供給面での破綻が、他の何ものにも増してこの二つの国の没落を決定づけたのであった。
 特に日本の軍部は、石油の重要性を過小評価していたために、あの有名な真珠湾の奇襲作戦に際しても、ハワイの米軍基地と太平洋艦隊の船艦にばかり攻撃を加え、おおいに満足していたといわれている。実際に真珠湾攻撃における戦果という点では、大本営が自画自賛したとおりであったかもしれない。なにしろ、「アリゾナ」や「オクラホマ」を初めとした、アメリカ太平洋艦隊の主力戦艦のほとんどを破壊しつくし、軍事的には確かに目を見張るものがあった。
 ところがアメリカ戦史の中で、H・E・キャメル太平洋艦隊司令長官が、「日本軍はハワイの燃料クンクにはまったく攻撃を加えなかった。もし真珠湾一帯の石油が炎上していたら、米軍の立ち直りはなお半年遅れていたであろう」と証言しているように、石油は日本軍にとっては攻撃目標にさえ加えられていなかったのである。
 そして戦争に負けたというのに、石油に対する軽視の傾向は相変わらず日本の国政担当者の間に根強く残っていて、いまだに石油の安定供給の体制さえ整っていない。そのくせ国際舞台で、各国と経済競争を続けていかなければならないとき、石油の確保を抜きにして、日本は経済大国としての実力を確立した、などという一人よがりをいっているのだ。もっとも、太平洋戦争をやってきた世代が三〇年このかた、あいも変らず日本の政治経済の中枢を占め続けているのだから、この風潮は、彼らが死に絶えたあとにならなければ改まらないのだろうが。
 さて大分横道にそれたが、再び石油ビジネスの指導者の問題に立ちかえろう。
 石油という、世界政治の中枢にある資源を扱う分野でリーダーシップを握るためには、ある種の非常に独得な資質を持つことが必要であることは、ここで改めていうまでもない。毛
 それは生れながらにして備えている並みのよさや、芸術家的天分といったものでは無くて、むしろ訓練された想像力としてのカンの良さを持っているということに、緊密な関係をもっている。
 そして石油ビジネスという地上最大の産業の中にあって、この種のすぐれたカンを持った人びとを称して、昔はおおいなる尊敬の気持をこめて「オイルマン」と呼んだものだった。この意味で、オイルマンと呼ばれる人は、企業家(エンタープラナー)に属しており、厳密にいうと経営者とはまったく別の系統に属している人間なのである。ところがこの辺の区別が、日本では実に曖昧模糊としており、ほとんどの場合が混乱したままなのだ。
 私は、経営者ということばが、現状ではあまりにも拡大解釈され、しかも誤用されすぎていると思っている。英語では、「経営者」はマネージャー、あるいはエクゼキュティブであり、経営問題を担当している人という意味を持っているにしかすぎない。あるいはまた、会社の経営問題を委任されている、サラリーマン重役の管理職名の一つでしかない。
 この点では、数年前に一世を風靡した、ピーター・ドラッガーの経営学に関する本を勉強した読者は、彼が一九世紀のフランスの経済学者、J・B・セイの作った用語をそのまま使って、アントルプルヌール(エンタープラナー)というフランス語で表現して、企業家を単なる経営タレントとしての経営者と、はっきり区別していたことを記憶しているであろう。
 確かその定義の内容は、「現状を正しく分析した上で、現在ある資源を、将来のきわめて不確実な成果に対して投資するために、最も効果的なやり方をあくまでも追求する資質と勇気を持った人を企業家と呼ぶ」というものであったと思う。この点では、残念なことに企業家と呼ぶに値するだけの人材が日本の財界にはほとんど見当らず、当然の帰結として、石油ビジネスを指導していけるだけの資質を持ち、オイルマンと呼びうるような人材もまた存在していないのである。僭越ないい方をして恐縮だが、日本には、企業家のはしくれにさえなり得なかった程度の大物の経営者ばかりがゴマンと目白押しなのだ。
 それなのに、大会社の社長や副社長として、単なる経営者にしかすぎない人びとが、日本の場合あまりにも政治権力に接近しすぎている。あるいはまた、自分たちの能力の限界が先ゆき目に見えているがゆえに、政治家たちを金の力であやつって、権力と結びついた経営者として「疑似企業家」を気どろうとしているのかもしれない。
 実際に、経団連、日経連、経済同友会、あるいはもっと小さな石油連盟や、その他の経営者の集まりといった、単に日本経済の生産と流通に関係しているにしかすぎないこれらのグループが、国の運命を左右するような高度に政治的な決定に対して、あまりにも大きな発言権をもちすぎているというのは、冷静に考えてみると、実に不思議なことであり、またあまりにも日本的な現象である。
 そして、単に不思議だということだけですめば、問題はいたって簡単なのだが、この一連の経営者たちが、彼らの価値基準である経済的な利害ということで、一億人の国民の運命と堅く結びつき、しかも経済的な打算をこえた国家的な問題に対して余計な口をさしはさむことが多いから、厄介なことになるのだ。そればかりでなく、日本の名において、まったく見当はずれなことを国際舞台の上でやり始めるとき、事態は非常に危険きわまりないものになりかねない。
 もっとも、彼らにもいい分があるにちがいない。経済界の大物と称されるある人が、「民主主義といったところで、あれはアメリカ人が戦後のドサクサ時代に勝手に持ちこんだものであり、われわれ日本人の体質にはまったくあわないものなのです。日本という国は、男子がひとたび天下をとった暁には、女や子供にはいっさい余計なことをいわせないと、天武天皇の時代から決まってるのですよ。だからバターくさい三権分立などという代物も、うまくいくわけありません。国会と内閣がどれだけ違うといったところで、結局は日本古来の摂政政治にもどって、ズルズルベッタリのムジナの夫婦みたいに、おさまる所へおさまってしまったし、今じゃこのムジナ野郎がついに裁判所まで手に入れてしまいました。そうなれば、ひとつわれわれ経済人がムジナの首に紐をつけて適当にゆるめたりひっぱったりしてやらなければ、日本はカジを失った船になってしまいます。それに日本の政治家の皆さんたちよりは、われわれ財界人の方が国際的な視野はあるし、世界問題に精通していることは、これまちがいないところですからね……」という意味のことをしゃべっているのをある雑誌の新年放言という記事で読んだことがある。
 実際、政治の姿勢が現在のように崩れきってしまっている時代には、政商がふんだんに札びらをきるのとほとんど同じことで、政治献金が自分の裁断で自由にできる経営者たちが、おおいに活躍の場を与えられるものらしい。そして「清貧の中の洗練された生き方」を誇った時代から、「醜悪の中の繁栄する社会」の段階にとつき進んで来た日本の現在の世相の中からは、たくましい個性と勇気をもった企業家は輩出せず、もっぱら縦割りの人間関係をうまくかきわけるのに成功した、経営者と呼ばれる一群の有限責任者(法人)たちばかりが大きな力をもつようになるらしい。
 さて、ここで私が企業家であるという資質を特に強調し、経営者に対する評価をきわめて低くしていることについて不満に思う人があるかもしれない。そして私の言っていることが、一見すると、個人から組織へと移行してきた経済社会の近代化への歩みに逆行しているという批判をする人がいるかもしれない。それに対する回答として、私は、現代の経済社会においては、本当によく組織された企業だけが真に企業家的な役割を果たしており、本物のリーダーによって指導されている企業だけが、真に企業家的なやり方を受けついでいると指摘しておくにとどめる。当然のこととして、単に群をなしている経営者たちは、いくらそれぞれが大資本をバックにし、政治家たちを操ることに成功していようとも、単に経営者としての水準にとどまっているかぎり、一つの産業界を指導して、新しい方向とより高い目標をめざして効果的なアプローチを選びながら国際社会の中に踏みだしていくことは不可能に近いのである。この点で、発育不全である日本の石油産業の場合、古いタイプだといわれるかもしれないが、まず産業を振興させるという意味からも、個人的にすぐれた資質に恵まれた企業家の活動の場が残されており、さらに二〇世紀後半の、多様化している国際社会の中で、日本の生命線である石油産業をリードしていく指導者として、企業家的な性格もった真のオイルマンと呼ばれる人材群の出現が望まれているというわけなのである。


イランことした助六芝居

 指導性とは遠くかけ離れたところにいる一連の経営者たちが、国際社会の中で、日本の名においてまったく見当はずれなことをしでかしたために、危うく日本の立場を損いかけたばかりでなく、孫の代までも世界中から物笑いの種にされる材料を提供してしまった例がいくつかある。
 そのうちの一つとして、これはまったく軽率としか表現のしようがない行動なのだが、一九七〇年の暮に行なわれた中東石油の第一次値上げ交渉のさなかに、日本の石油のトップの人びとがひき起こしてしまった「電報事件」をあげることができる。
 それは、イランをはじめとしたペルシア湾諸国が、国際石油資本に対して、約六パーセントの原油価格の値上げ交渉に成功して、合計で年間千六百億円程度の増収をかちとった時のことだった。テヘランから届いたこの値上げ決定のニュースに、日本の石油業界ではおおいに驚いてしまい、さっそく「日本石油連盟」の名において、イランの皇帝と国営イラン石油会社(NIOC)の総裁にあてて抗議の電報を打ったのであった。おかげで、イランの石油関係者はもとより、多くのイラン国民は左翼から右翼の軍人まで、その立場をこえて、この日本の行為に対してカンカンになって怒ったそうである。
 なぜならば、石油の直接取引きを行なっていない日本から、このようなまったく筋違いな抗議を受けようなどと、イラン人たちは夢にも思っていなかったからだ。事実、イランを初めとしてペルシア湾諸国が原油値上げの交渉を行なっていたのは、国際石油資本と呼ばれる、世界の石油市場を独占的に支配している欧米系の石油会社なのであった。日本は独自の力で石油を開発するだけの能力がないので、イランで生産される原油の半分以上を引きとってはいるものの、全部アメリカやヨーロッパの石油会社を通じて買っていたから、イラン人は、日本を自分の直接取引き関係をもつ相手とは考えてもいなかった。
 このような情況の中でテヘランヘ届いたのは、日本側からの請願やひかえめな要望ではなくて、激しい語調で、交渉そのものと値上げ決定を非難した電報だったのだから、イラン国民が激昂したのも無理もない。これはまるで、婚礼の席上に招きもしなかった三軒ほど隣りの住人がやって来て「あまり派手にやってもらうと、うちの娘のときに影響があって迷惑だ」と抗議をうけるようなもので、まったく道理にあっていないばかりでなく、国際慣行をさえ無視した非常に無礼な行為であるといえた。
 こんなことのあったあと、私はかつてフランスの研究所で一緒に仕事をしたことのあるイラン人の友人から手紙を受けとったが、それにはこんな意味のことが書いてあった。
 「われわれが国運を賭けて欧米の大石油資本と張りあっているとき、心の支えとなったのは日本だった。万が一にも、われわれが力つきて列強の圧力の下におし潰されるような事態になったときには、日本が最後の味方の役目をしてくれるもの信じていた。それはかつて、モサディク首相がアングロイラニアン石油会社を国有化したときに、イギリスの厳しい封鎖をくぐりぬけて、日本がわれわれに手をさしのべてくれたことが忘れられないからだ。
 それなのに今度は、こともあろうに、われわれの希望の星だと思っていた日本が、自ら国際資本のお先棒をかついでイラン国民をしめ殺す役目を買ってでたので、われわれはおおいに失望させられてしまった。それどころか、欧米のいかなる国といえども、こんな高圧的で破廉恥な行為はしないで、自重しながら成りゆきを注目しているというのに、君の国がこんな暴挙にでたのだ。日本が行なった裏切り行為は、イラン国民の自尊心を踏みにじったばかりでなく、日本自身の顔にも泥をぬりつけているのだということに気がつくべきだ。君ならば分っているだろうが、日本が文句をつけていきたいのだったら、直接自分たちが石油を売りつけられているメージャー系の石油資本に持っていくべきで、われわれのところに居丈高になってどなりこむのはまったく筋違いとちがうかね。正直いって日本はあまりにも血迷っていたと思うよ……」
 この手紙を受け取ったとき、私はうかつにも、日本がこのような非常識な電報を打ってイラン人たちを激昂させていたなどという事実をまだ知らなかったので、こんな激しい内容の手紙を親友からもらって、いささか面くらってしまった。しかしすぐあとになって、アメリカ人の口から改めて事件の経過を教えられて、初めてなぜ親友があのように憤慨していたのかについて納得がいったのだった。
 また私にことの顛末を説明してくれたあとで、そのアメリカのオイルマンはこういったものだった。
 「あなたの国じゃあ、ずいぶん思い切ったことをやってのけたものですね。あれをみると、だいぶ血の気が多い人がいるようですが、ちょっと力みすぎているようでハラハラものです。相手を怒らせてシッペ返しをされたら、今度の場合は決して得にはならないし、カッとなって下手なことをいってしまうと、あとになってえらく高い勘定書きを送りつけられて動きがとれなくなると思いますよ。それでなくとも相手は、いざとなるとどんな報復措置にでるか分らないマホメット教の信奉者たちですからね。われわれは、いままでスエズ運河の閉鎖やらなんやらで、えらく高い授業料を払わされたものですよ……」
 そして彼の説に従うと、ビフテキを食べたところ、それが筋だらけの硬い牛肉で歯を痛めてしまったとする。でも牧場で牛が草を食べているのをみるたびに石を投げつける人はいないものだ。ところがそれと同じようなもので、どう考えてもお門違いの八つ当りのようにしか見えないのが、日本が行なったイランに対する抗議なのだということになるのだそうである。
 このアメリカ人の形容の仕方は多分にオーバーだと思われるが、それにしても、日本がイランにどなりこんでいったやり口は、確かに国と国の間で取り交わされる手続きとしてはあまりにもお粗末すぎるものだった。私もそれまでの石油危機の経過を一九七〇年五月のタップライン(アラビア半島横断パイプライン)の破損事件以来、ずっと観察していて、日本側には大きな危機感がまったく盛り上がることなく、天下太平を謳歌しているだけなのでおおいに心配な気持でいたのだが、まさかこのような見当違いの行動としてそれが現われてしまおうなどとは思ってもみなかった。
 この場合などは、イラン側が感情的にでて、ことを荒だてたり、報復的な制裁措置に出ようとしなかったので、単に日本が世界中の物笑いになっただけで無事にすんだ。しかし実際には、この石油交渉の時期に日本は非常に幼稚であるとはいえ、わが国の運命を損いかねない、とてもきわどいことをやっていたのだった。それにしても相手が他のアラブ諸国の血の気の多い将軍たちでなくて、イランという石油問題で十分に経験を積んできている国の政治家たちであったというのは、わが国にとって大変幸運なことであった。
 それは、イランこそ石油産出諸国の中のペースメーカーとして、常に石油問題におけるイニシアティブを取り続けている国だからである。その二五〇〇年という輝かしいペルシア文化の栄光もさることながら、一九五三年のモサディク政権による石油国有化の失敗を通じて得た教訓から、イラン人は、石油がいかに世界政治の中で重要な意義をもっているかを中東諸国の中で最初に自覚した国民といえた。
 エネルギーを通じて、世界支配をなしとげている国際石油資本との対決は、ゆっくりと時間をかけながら、その期間に、自国の石油開発における実力をたくわえて、力関係を逆転するより他にないと悟ったイラン人たちは、英米の石油資本に支配されているイラン国内の石油鉱区の契約が終る一九七八年を目ざして着実な準備を進めてきていた。
 一九五七年には、エリンコ・マッティの率いるイタリアのエニと合弁会社を作って、そこでイタリア側の負担によってイラン人たちが経営、技術、操作等を修業できる体制を整えたばかりでなく、エニが石油を発見した場合に限って、イランは分担金を払うという画期的なやり方の先鞭をつけた実績もある。また一九六五年には、社会主義国のルーマニアと年間約一億ドルにのぼるバーター取引協定を結び、イラン石油の新しい販路を開拓しているし、ソ連との間にパイプラインをひいて、天然ガスの供給も行なうという多角的な石油外交を展開している。
 一九六七年になると、フランスの国営石油会社エラップに対して、従来のように鉱区の所有権を与えるのではなくて、単に石油の生産を下請けさせるだけという契約をするのにも成功している。これは石油開発事業の分野ではまったく画期的な内容をもっており、石油産出諸国がこれから石油の輸送、精製、販売というダウン・ストリームに進出するという次の目標と並んで、今後の中東各国の契約方式の新しい見本として、革命的な影響を生みだすと思われるものなのである。こういった大きな視野の上に立って石油問題に取り組んでいるイランにとってみれば、日本からインネンをつけられたことは確かに気分的にはおもしろくなかったとはいえ、取りたてて騒ぐには大人気なさすぎると判断してくれたおかげで、何事も起こらなかったのかもしれない。
 これが今度の石油危機に際して行なわれた幕間狂言の一こまなのだが、日本は中東石油の禁輸にまで発展し、石油危機が日本の産業活動の命取りになる場合のことを考えた上で、十分な対策に取り組むこともしないまま、逆に舞台の上で力みかえっている助六芝居に拍手喝采を送りながら、おおいに太平の夢をむさぼり続けていたのだった。
 いずれにしても、このような太平楽が現実に国内には充満し、その外側では、国際的な石油危機が進行していたというのは、とりもなおさず、日本には本格的なオイルマンとして、石油問題を正しく指導できるリーダー格の人材が存在していなかったということの傍証になる。


指導者の椅子に坐る人びと

 ふだん何ごともないような場合、ある組織の指導者が有能であるか、あるいはないかという点は、それほどたいした問題にならない。それは組織全体の持っている、運動のリズムだけで充分に対処できる程度の問題である場合には、指導者の、卓越した能力のいかんを問わず、結果においてそれほど大きな変化がないからだ。
 そうであるからといって、有能なリーダーが組織にとって必要でないというのではない。むしろ、いざという火急のときに備えて、ふだんから見識ある人びとが指導的な立場に立って采配をふるえるような体制を整えておくことが必要であり、またリーダーとしての責任を果しうるような人材をはぐくみ、育てる努力が大切なことはいうまでもない。
 だいたい危機に臨んだときや、異常な状況に直面したときにこそ、指導者の真価がはっきりとするものだ。困難と対決しながらも少しも取り乱すことなく、沈着に行動し、状況の進展に応じて適切な決断を下せるような人物は、危機に直面した中でこそ異彩を放つ。午後のものうい日ざしの中で、物みな午睡をしているとき、岩陰でまどろんでいる虎は誰からも恐れられることがないが、漆黒の闇に稲妻のきらめく嵐の中では、野に放たれた虎は百獣の王として人びとに畏怖の念を与えるものだ。
 乱世は英雄を生み、名宰相は治世を生むといわれているが、石油を扱う現代の世界政治の中では、英雄と名宰相の器としてのよきリーダーが必要とされている。そして鋭い問題意識を持つリーダーに指揮された組織というものは、死地のドンヅマリで動きがとれなくなる前に、すでに自分たちにとってよりよい道をみつけ出して、死地の脱出をはかることを果たしているものでもある。この意味で、英雄であるよりも名宰相として力を発揮できる人の方が、幾倍もの価値をもっているといえるだろう。
 すでにふれたように、日本の石油業界は、これまで幾度となく経験してきた石油危機のたびごとに、自信も見通しもないリーダーにひき連れられて、時には弱気、別の時には過度の強気で死地をフラフラさまよい歩いてきた心細い組織なのだ。そして行き倒れになる寸前に、かろうじて救い出されてきた情けない経歴の持主である。
 日本経済の繁栄の鍵を握っている石油産業は、このような体質を一日も早く改善するとともに、もっと想像力と勇気に恵まれた指導者の下に、これからどのようにやっていったらよいのかについて検討し直さなければならない。これは日本における今日最大の課題として、最優先の順位を与えられてしかるべきものなのだということができる。
 さて、経営者と指導者の違いについては、すでにオイルマンについて述べたところで明らかにした通りだが、日本では一般的にみて、経営者として出世することと、指導者としての地位につくことが同一視されるという混乱が著しい。
 これは日本では、スペシャリストが活躍する場があまりないまま、特定の組織において役つきとしての地位を獲得して、肩書きを持たない限り、業界の中枢部に接近できないということが大きく作用している。だから逆に業界の首脳といわれる人は、必ずといっていいいほど、社長や専務取締役といった経営者たちなのだ。これではいくら期待してみたところで、会社の利害と結びつかないで、より大きな日本や世界の利益に基づいた判断が生れてくるわけがない。何しろ高い次元での発想法が生れる基盤がそこにはないのだから。
 だいたいサラリーマンたちが部長になり、専務取締役を拝命することをもって一般に出世であると考えられていることは、それほど問題がないのだが、それがひとたび飛躍して、責任者として組織の指導的な立場と全権を与えられたのだと思いこまれてしまう点は、おおいに疑問がある。
 経営的な面で功績があったことは、そのまま組織の参謀として全体を統括する能力があるという傍証には決してなりえないからだ。それは、続々とベストセラーを書きまくっている小説家が、東京の紙価をつりあげたことによって、出版界に対しておおいに経営的な功績をあげたとしても、多くの場合、日本の文学のために寄与していることにはまったく無関係であることと似ている。それはむしろ、乱れた日本語を氾濫させ、文学界が大事に育ててきた美意識を破壊して、巨視的には文学の衰退に拍車をかけながら、醜悪な繁栄を謳歌するのに貢献しているのと同じことである。
 単なる営利会社の営業成績をあげる面で手腕を発揮したことと、一つの産業全体を指導していくことは、まったく異なった資質に基づいているのだ。その点が日本ではよく理解されていない。
 第一、経営者として成功することは、それ自体なまやさしいことではない。同じように指導者としての能力を本当に発揮し得たなどという人は、非常にまれなはずだ。これらの非常に難しい仕事の一方だけを実現することさえ、とても困難であり、ましてや両立させ得る人は、それこそまったく例外的にしか存在しないはずだ。それにもかかわらず、すでに述べた通り、単なる経営者として成功したにすぎない人びとが政治権力に接近して、一国の運命に対してあれこれとさしでがましいことを言いすぎるのだ。こういった日本の現状については、この辺で再検討しなおす必要がおおいにある。
 それはまた、本来国家の指導者として、経済界を含めてあらゆることを指導していかなければならない国政の担当者たちに、それだけすぐれた資質をもった人材が少ないせいでもある。つきつめていけば、この点では財界も政界も一つ穴のムジナである。多数党における派閥をまとめる手腕にたけた人物が、そのまま与党の総裁となり、今度は自動的に首相として日本の指導者がすわるべき椅子にこしかけてしまうという国情と、大手会社の社長がそのまま業界の代弁者として、指導者の資質もないまま発言権を握っているのとは、まったくよく似たパターンなのだ。
 組織というものは指導者の良し悪しにかかわらず、ふだんはそれほどたいした問題もなく全体として動いていく場合が多い。しかし、時たま予想もしていなかった情況が到来して、政治危機や経済危機に発展するともういけない。この指導性の欠除が大きな原因となって、とりかえしのつかないような事態が起こってしまう。石油に対する軍部の甘い見通しに従って太平洋戦争に突入した政府がそうであったし、「テヘランの抗議電報」を傍観していた外交的配慮の視点に欠けた政治家たちが、この種の指導性の欠如を丸出しにしてしまったのである。


石油の毛並み中心人事

 それではいったい、どうして、石油事業のようにザ・ビゲスト・ビジネス(地上最大の産業)といわれる分野で、日本はトンチンカンな大失策ばかりを繰り返しているのかということを、特に組織のトップ責任者としての立場にある人材という面で考察してみると、次のようなことが分る。
 まず、日本の石油事業は、海外石油資源の確保という点に関連して、国からの財政補助や財界筋の一致協力した支援体制に依存しているという性格がとても強い。必然的に、石油会社や石油業界のトップメンバーの地位に、高級官僚出身者と一目で分る人や、財界の顔ききといった人びとが賑やかに顔を並べている。実力をもった人びとをスカウトしてきて、強いチームを作りあげようという考え方は、プロ野球を初めとしてあらゆる部門で試みられていることでおおいに結構である。
 しかし問題なのは、石油をとりまく国際情勢がどれほど複雑であり、いかに幅広い外交的な感覚が必要とされているかという点には、あまり関係なく、もっぱら財界と政界にどれだけ強い影響力をもっているかという、日本の内部事情だけによって、石油事業の上に立つ人びとの顔ぶれが決まってしまうという点である。いってみれば、大蔵省や通産省出身のお役人や銀行や精油所、あるいは電力会社出身の経営陣が、石油事業における主脳部を構成してしまっている。ひどい例になると、石油の消費者を代表するというわけなのか、一度も石油事業に関係したこともない、化学繊維畑や鉄鋼産業の中で仕事をしてきたような人が、トップとして石油事業をいじくりまわしているような場合がある。
 このような日本の経済界の中でその名を知られている、他の部門に本拠地をもつ人びとの役目が、政府や財界をくどきおとして、補助金や支援の約束をせしめてくる目的であることは、誰の目にもきわめて明らかである。自動車試験場の前にズラリと並んでいる写真屋を見れば、誰だってそれが、免許証用の写真で商売していると想像がつくというものだ。それが当りまえなのであって、もしそこでお見合用の写真を撮ってきたいと考える人があったら、よほどどうかしている。
 それと同じことで日本の政治や経済機構の重要ポストにあって、内政の一部を担当してきたこれらの有能な人びとがズラリと顔を並べているのを見て、いったい何のためなのか見当がつかなかったら頭がにぶい。そして、高級官僚や財界の要人として、内部事情に通じていることは保証つきだから、国内の各方面への影響力は絶大な上に、その威力は抜群であることに問違いない。
 ところが、今、石油産業が直面している大きなプレイは、国際舞台の上で行なわれていて日本国内に土俵はない。そして複雑で微妙な問題を手際よく処理した上で、世界経済と国際政治を手玉のように扱いなれている、国際石油資本や石油輸出国機構を相手にしていかなければならないのだ。それだけではすまなくて、石油開発という分野では、未知の可能性に対する挑戦として、自然界における新しいフロンティア領域を開拓して石油を発見していかなければならないのである。こういった非常に幅広い活動をすべて有機的に動かしているからこそ、石油産業は地上最大の産業として王者の位置を獲得するのに成功したのであった。
 このように、国内問題以上に難題が山積みし、国際的な性格がきわめて強い事業に対して、日本では国内問題に対処することばかりを考えて、シャム猫を飼うのではあるまいに、毛並み中心主義の人材を石油事業の中核にそろえただけで安心してしまい、これでことたりたとしているのだ。こんな程度の感覚だからこそ、とんでもない外交上の大失敗を平気でやってのけるような、国際関係に対する不感症があちらこちらで絶えず顔を出してしまうのである。そんなことならば、むしろ中東諸国を初めとした石油産出諸国での生活を経験したことのある大使クラスの人材を、石油事業の中にスカウトしてきて、彼らを先兵として活躍させた方が、日本の将来にとってよほど有効な布石になるにちがいないのだ。
 そして日本のこれからの石油事業は、在外公館の活躍の幾層倍もの重要な働きを海外においてなしとげなければならない運命にあり、それをやらない限り、日本のエネルギー問題は行きづまってしまうのである。
 こういった石油事業という、大規模な組織のリーダーとなる人材について考えてみるとき、組織の問題について非常に有効な示唆を含んだ分析と、ユーモアあふれた文章でその名を知られている「ピーターの原理」という本の中に、次のような言葉があったのを思い出す。それは、「人はその不適格に達した段階で最も安定した地位を獲得する」という法則だ。
 国内問題と経営部門で非常に有能であった人が、ひとたび国際問題と、採算をこえた高い次元での国策に関係した分野で強力なイニシアティブを取らなければならないとき、果して有効性を持っているかという点はおおいに疑問である。この点で、日本の運命の鍵を握っている石油事業のリーダーの地位に、高級官僚と、商人代表としての経営者たちが横すべりしている現象はおおいに問題がある。
 おそらくこのことが、日本の石油産業をだめなものにしている最大の原因であり、石油開発事業を、行きづまりの中から救い出せないでいる直接の理由ではないかと思われる。


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