4 幻の石油産業と情報産業の虚像



巨大産業の勢ぞろい

 石油産業は、二〇世紀における地上最大の産業として世界経済の上に君臨しており、その輝かしい伝統は近代産業の歴史の中に、ひときわ目立った足跡を残している。
 なにしろ、最近七〇年間の文明の変化に対して、石油ほど直接的に結びついた資源は他に類を見ないし、世界経済の中で石油産業ほど大きな役割を演じた産業は他に例を見ないからである。
 このことは、石油産業がいかに巨大であり、また圧倒的な勢力をもっているかという点を知れば、すぐに納得がいく問題だし、次ページの表に顔を並べている世界の大企業について一瞥してもらえば、歴然とすることである。この表は企業の売上高と雇用者数について、アメリカの雑誌「フォーチュン」の統計をもとにして、一九六九年の世界の大企業をトップから一五位まで並べてみたものである。参考までに、日本の代表的な会社を上から数えて四社ばかり加えておいたので、その内容を比較検討されたい。



 さて、この表を見ることによって、石油産業がなぜ地上最大の産業と言われているかについて、その理由がすぐにおわかり願えるはずである。世界の一五傑を集めた表の中に、石油会社がそのほぼ半分に近い六社も顔を出しているからである。これは世界の一五傑に限らず、五〇傑−百傑の表を作った場合でも同じことで、石油産業がほとんど全体の三割近くを占めていることからして、私の言っていることが決して途方もないことではないと、納得いただけるだろう。
 このような石油産業の持つ実力については、日本ではこれまであまり正確に分析されその重要性が指摘されて来なかった。一般的に世界経済の内容について問題にされる時も、こうした事実を踏まえた上で石油産業が取り上げられてその役割について議論される、ということがほとんどなかったように思われる。だから、石油産業が世界経済の王座を占めていることを知って、意外な感じを持った人が多かったとしても、少しも不思議ではない。いってみれば、われわれ日本人にとって石油産業は知られざる素顔を持った王者なのだから。
 さて、石油産業に続いているのは自動車産業である。しかし、「ビッグスリー」の名でよく知られているアメリカの三大自動車会社しかこの表には顔を連ねておらず、世界全体を市場にしているという評判をもつ西ドイツの誇るフォルクス・ワーゲンさえも登場してきていない。また、それに次いて重工業の典型として考えられている電機産業も、この表に見る限りわずかに二社しかその姿を見せていないのである。
 この点からも、ここに六社も顔を並べている石油産業の優位が、いかに圧倒的なものであるかということが明白になるであろう。それとともに、従来のわれわれの世界経済に対する認識が、日本のエコノミスト達の議論を含めて、この事実を無視した虚像でしかなかったということを理解してもらえたと思う。
 実際問題として、日本のマスコミ界は、事あるごとに「ビッグスリーの日本上陸」とか「アメリカを支配する産軍複合体」といったきわめてセンセーショナルな標題のもとに、一面的で興味本位な解説に終始してきた。そして、このような時代的な潮流の中で、問題をきわめて現象的で因習的な立場から把えるエコノミストたちを解説者にしながら、あまりにも偏った認識を作りあげてしまったのが、戦後における日本の一般傾向なのであった。


幻の石油産業

 さて、石油産業が地上における最大の産業であるという点がはっきりした。これでわれわれはこの七〇年間の世界史が実は石油資源にまつわる国際政治というパターンをとりながら展開してきたという言葉をきいても、大して抵抗を感じないでその事実を認めることができるようになったはずである。実際問題として、国際政治における各国の実力の趨勢は、その国の石油資源に対する勢力の消長ときわめて密接に関係していたのであった。
 第一次世界大戦の前史が、なぜバルカン半島の周辺を中心にして展開したのかということは、実はカルパチアとコーカサスの油田地帯がそこにあったことと関係が深い。それとともに、メソポタミアの石油権益に目をつけたドイツ銀行が、トルコに対して積極的に進出しようとしてドイツ資本の石油への野望を代表して行動したことが、重要な意味を持っていた。また第二次世界大戦自体、再びドイツがバルカン半島の石油に狙いをつけ、ここを制圧するために機動作戦を展開したことや、日本が石油によるABCD封鎖を突破するために、インドネシアやビルマに向けて戦線を拡大したということは、すでに歴史的な事実となっている。
 こうして石油資源は、二つの世界大戦に対して少なからず重要な役割を演じたのである。それはまた、イギリスを中心にした欧米系の石油資本が、エネルギー源の中核である石油を通じて、日本やドイツといったこの分野で遅れた面を持った国に対して取って来た支配関係のほころびが、二度の大戦を生む結果になったのだと考えられないこともない。
 このような石油資源にまつわる国際関係を見るだけで、ゆうに一冊の本ができあがってしまうほど彪大な資料があり、それ自体現代の世界政治の中心課題であるベトナム戦争や中東戦争ときわめて密接に結びついている。ここでは、そのような点にはあまり深入りせず、わが国を取りまく問題に限って考えてみると、次のようなことがいえるだろう。
 帝国主義的な野望がむき出しになっているかいないかにかかわらず、世界における各国の実力は、その工業力を背景にした総合的な経済的ポテンシャリティによって決定される。この意味で、日本は先進工業国の代表と評価され、世界経済の中で重要な役割を演じているとともに責任を負っているといえる。
 しかしわが国の場合、先進工業国の中では例外的ともいえる独自な歩みをしてきた国なのである。というのは、日本は石油産業をその経済活動の中心に持たないまま、世界的に評価されるような経済的実力を築きあげることに成功した珍しいケースだからである。
 このことは、世界における工業先進国と呼ばれる国々を、その経済活動と石油産業の役割という点で分析してみるとはっきりする。石油産業は、各国の経済活動の中核に位置しているからである。もっとも、石油開発部門がそれほど決定的な位置を占めていない点では、西ドイツの経済体質も日本に多少似ていないこともない。しかし、西ドイツの場合には、北海に面した地域で長い間続いてきた、岩塩ドームに関係した石油開発や鉱山業と結びついている油母頁岩からの石油抽出という独自な分野があり、これが、伝統的な西ドイツの化学工業を支える基礎になっている、という特殊事情を無視できないのである。
 こういった意味では、日本の石油開発が近年活況を呈し始めたとはいえ、基本的には半工半農の技術水準と非近代的なマネージメント感覚から抜け出せないままでいる姿は、日本に石油産業が発達しなかった事実をそのままはっきりと物語っている。いくら近代的な本社ビルを構え、コンピューターを取りそろえたところで、やっていることがアズキ相場の投機に毛の生えたようなものではどうしようもないといえる。
 それでも読者の中には、日本にはりっぱに石油産業が存在していると信じて疑わない人があるだろう。そうした人びとに対して、それはたいへんな思い違いであることを指摘するとともに、そのような誤解が今までありすぎたために、日本の経済的体質にとんでもない弱味を持たせてしまったのだ、と念のために強調しておく。
 なぜならば、日本に存在しているのが精油所とガソリンスタンド網を中心にした石油精製事業であり、それは単に石油産業の一分野であるにすぎないからである。結論的にいってしまうと、いわゆる石油開発事業を抜きにして石油産業を論ずることは不可能なのだ。そして残念なことにわれわれは、日本経済の中に石油開発事業をひとつの独立した部門として育てあげることに成功しなかったし、健全な成長力を持った事業として、石油産業の中核にふさわしい生命力を注入し得なかった。
 こうして日本は、石油といえば、まるでタンカーが外国から運んで来るところから出発するという誤まった理解のもとに、石油を掘り出す仕事に対してきわめて低い評価しか与えないまま、その背後にある石油開発の役側とその重要性について考えることを忘れ続けてきたのである。そして、この点を今まであまり重要視してこなかったがゆえに、ここに来て石油問題が日本の繁栄にブレーキをかけるような山積みした難題を生み出す原因を作ってしまい、それが日本経済にとって最大の悩みの種になってしまったのである。
 もし精油事業が石油産業そのものであったなら、日本は世界でも有数な石油産業保有国として、その輝かしい名声を欲しいままにしたであろう。ところがそれが単に幻の石油産業であるにすぎず、実はほんとうの石油産業はまったく別のところに存在していたということになると、これは日本の政治と経済を動かして来た人びとだけでなく、日本人全体にとってたいへん由々しい問題にならざるをえない。
 なぜならば、一億の日本人全体にとってかけがえのないこの日本という国の経済的な体質を、取りかえしのつかないようなアンバランスで片輪なものにしてしまったのが、ここ五〇年間における明治生れの世代が犯してしまった失策ではないかと思われるからだ。それでは、もう少し石油産業における開発と精油の役割について、詳しく見てみることにしよう。





何が石油産業の中枢か

 石油産業における各部門の重要性を理解するために、ひとつの表を作ってみた。
 そして、アメリカの石油会社が、どのような部門にどのような比率で投資をしているかということを明らかにするために、アメリカのチェイス・マンハッタン銀行の調査部が毎年発表している報告書のデータを使ってみた。全世界の石油問題についての詳しい統計は、国連の統計年鑑や石油百科辞典を初めたくさん存在している。しかし、その中でもこの銀行の調査部門がまとめているものは、さすがに石油王国のロックフェラー財閥を統括している銀行だけのことはあって、石油を扱う基礎資料の中では非常に高い信用をもっている。
 そのひとつに、アメリカの石油会社三〇社の営業報告をもとにしてまとめた、石油産業における投資実績の表がある。それは、自由世界における石油産業の投資の四分の三以上に相当するものだという意味で、世界全体の趨勢を知る上でたいへん興味深い内容をもっている。
 さて、私はこのデータを基礎にして、まず一九六五年から七〇年にかけてのアメリカの石油産業の資金が、どのような部門に対してどんな比率で配分されたかを明らかにしたわけであるが、これを見ても、石油開発と精油・販売部門の石油産業における比重が分るであろう(前頁の表参照)。
 また参考までに、メージャー系石油会社の中でも最大手といわれる、スタンダード・オイル・オブ・ニュー・ジャージーの企業活動の中で、売上高と利益高の比率を決算報告書から引用してみると、次のようなことが分る。まず、石油と天然ガスの生産という開発部門の比率は、売上高からみると七〇パーセント、利益に対する寄与はなんと八〇パーセントにも及んでいる。それに対して精油・販売部門の売り上げ二九パーセント、利益に対する寄与一四パーセントとはるかに小さなものでしかない(次表参照)。



 これをみても、石油会社の企業活動の中で石油開発が占めている重要性が明らかになるであろう。当然石油産業ということばは、日本で一般化してしまったように精油と販売を担当する部門に対して使用するよりは、むしろ探鉱・開発を行なう部門を指して使われた方が、より事実を正確にあらわしているのだということも十分にお分り願えたはずである。
 このようにして石油産業を考えるときには、石油開発部門を中心にしなければならないことがはっきりしたわけだが、日本の場合、この石油開発を担当する部門がほとんど未発達のまま、精油部門ばかりが著しく肥大してしまったのであった。これはまた石油資源という面で見ると生産と消費の均衡が完全に失われているということであり、日本という工業化の進んだ国における需要と供給を司るという意味において、日本の石油産業がその機能を満足に果たしていないことを示している。
 これは、日本の持つ地質条件が、これまでの石油開発技術の発展段階のもとでは特筆できるような有望な油田を発見できる可能性に結びつき得なかったということが、大きな原因となっている。しかし、それにも増して石油開発に意欲的に取り組もうという強い意志を持った産業人と、国の繁栄と安全を確保するために海外における石油開発事業を積極的に支援しようという気概を持った政治家が、日本の政界にこれまでほとんど登場しなかったせいである。
 それはまた、海外において資源を収奪せよと声を大きく発言し、それを国策の上に反映させるような独裁政治家や、植民地主義的野望をもった事業家が現われなかったのを後悔しているのでは決してない。むしろ、国家経済を支えていく上で欠く事のできない石油資源の真の重要性を認識し、国際的な協力関係を実現しながら石油開発を促進させていくには、日本はいったいどのような政治姿勢をとるべきかを考え、実際にそれを対外政策の上に反映させるだけの、雄大な国際感覚と将来への展望を持った人材が存在しなかったことを惜しんでいるにすぎないのだ。
 なぜならば、これまで無反省のままなしくずしに進められて来た石油開発に対する軽視政策が、日本経済の中から基本的な欠陥を取り除くことを果たさなかったために、一億人の日本人の運命に対して命取りになりかねない、エネルギー危機がここにきて急速に危険な徴候をみせ始めているからである。


事業の挑戦とバクチ

 日本において、石油産業だと長い間信じられて来たものが、実は最も中核となるべき石油開発部門がない、石油産業の「オボロ影」であることが明らかになった。
 そこで今度は、一応精油会社を中心にして存在している日本の石油事業のトップにある人びとが、なぜ、このようにきわめて重要な意味を持つ問題を国民の前に明らかにして、日本自身のもつ最大の弱味について世論に訴えようとしなかったばかりでなく、精油事業をもってあたかも石油産業であるかのようなきわめて悪質な誤解をそのまま放置して、国民に虚像を見続けさせるようなことをして来たのかについて検討してみよう。
 結論から言ってしまうと、実はこれら責任ある地位にあって日本のエネルギー問題の鍵を握る立場にある人びとが、そろいもそろって石油を掘るということがいったい何を意味するのかについてまったく無知であったという点に、そもそもの原因があるのだ。
 これは驚くべきことなのだが、まぎれもない事実なのであり、そのうえ残念なことに現在においても、あい変らず無知のままでいるという否定し難い現実の姿が、われわれの目の前に厳然と存在している。
 このことに密接に関係しているのだが、従来は石油開発の重要性が問題にされるとき、これらの人びとによって、決ったように次のような意見がくり返されて述べられてきた。
 ――石油開発は莫大な資金がいるから、国からの強力な財政上の支援が必要だ。
 ――石油開発は、何百億円もの莫大な元手がかかる上に、失敗の可能性も非常に大きな事業で、バクチに似た至って危険なものである。だから、国家がある程度リスクを分担すべきだ。
 ――国際石油資本の世界支配の壁が強すぎて、後発の日本が入りこめるような隙がなかなかないから、政府の特別なバック・アップをしてもらう必要がある。
 ――石油開発は、日本の国家的利益と密接に結びついているのだから、石油開発に必要な経費の一部は、当然国家が負担すべきである。また、営業利益に対する税制上の優遇措置をはかるとともに、低金利融資や減価償却に対しても、特典が与えられるべきである。
 そして、このように事業の困難さを強調することによって、海外石油資源の確保という名目で国の財源から資金援助をしてもらってきたのが、日本の石油開発事業の歴史であった。また現在においても、一〇年一日のごとくあまり変ることなく、この伝統的なやり方がくりかえされているのである。
 確かにこれらの意見はどのひとつをとりあげてみても、とてつもなく厄介な難問であることには間違いないし、石油開発部門の発達が、未だ幼児期にある日本にとってそれがどれほどの難事業であるかという点を考えれば、事実の一端を明らかにしていることは疑うべくもない。
 しかしながら、すでに明白なように、石油開発事業が地上最大の産業の中核に位置している、きわめて重要なものである以上、難題が山積みしているのは至極当然なことであり、そんなことは初めから分りきっているのだ。
 それだというのに、こともあろうにスケールの大きさや困難さなどという、誰でもが予想できるようなことを並べたてて大騒ぎをしている。
 いったい世の中に新しい事業を始めるにあたって、困難さに直面しないでやっていける可能性がいくらでも存在しているとでも考えているのであろうか。世の中はそんなに甘いものではないし、そんな安易な発想法からは、厳しい国際環境の中で試練に耐えて力強く生きていく国際競争力をもった企業を育てることはできないであろう。
 特に石油開発の分野では、典型的な帝国主義的利害の対立と、弱肉強食の伝統が、その統一原理として厳然と存在しているのだ。このような性格の強い石油開発を扱うとき、困難さをいくら列挙してみたところで、どうしようもない。
 政府の役人は説得できても、強靱な石油開発事業を作りあげるための精神的支柱を築くことはできない。ましてや、現象としての大きさに目をうばわれて圧倒されている限り、石油のもつ本質的な問題は何ひとつとして理解できないし、石油開発に取り組む姿勢は整うはずがないのである。
 この点を明らかにするためには、「石油開発は元手がいるうえに、失敗の可能性が非常に多い危険な事業である」という言葉の発想基盤を考えてみることである。
 この際はっきり言わせてもらえば、彼らの主張したいところは「失敗の可能性が多いうえにたくさんの元手がいる事業だから、ひとつ元手を出してくれ」ということなのだ。決して「失敗の可能性を少なくするために、人知の可能なかぎり、知識と技術を動員できるような組織体制をととのえるべく努力してみよう」といっているのではない。
 ましてや、従来のやり方の中で致命的な過ちを犯していたと思われる点を徹底的に改めるために真面目な自己批判を行ない、これからは石油開発を二度と窮地に追いやらず、より効果的な運営をしていくためにはどのようにしたらよいかを、衆知を集めて検討し直そうなどとは少しも考えている様子は見かけられないのである。
 それだからこそ、いくら国が次から次へと資金の融通をしてみても、すぐにこの元手を使い果たしてしまうのだ。これでは、道楽息子が親から小遣いをせびりとっているのと大差がない。
 これまでの日本政府が、石油開発の重要性についてほんとうに理解していたなどと夢にも考えないが、それでも、政府資金というのはわれわれの貴重な税金を使うことを意味している。この国民の血と汗で納めた税金の中から、あまり気の進まない政府をくどき落して、石油開発資金を捻出しても、受け取る側がそれを有効に運用する方法を知らず、まるで溝の中に香水をまき散らすような調子で勝手にばらまいてしまったのでは、あとには何も残らない。これが、日本の石油開発の分野で続いてきた、およそ正視するに耐えないような乱脈劇の筋書きなのである。
 しかし考えてみると、この悪循環はこれまで石油事業をいじくりまわして来た人びとの顔ぶれを眺め渡してみると、こういうことになるのはしごく当然なことのなりゆきであったと納得できる。というのは、電気の知識がまったくない人がテレビの修理店を始めたようなものだというのが、今までの日本の石油開発を扱って来た人達の内容だからである。だいたい新しい商品を開発したり、最新の技術を応用してなにものかを生み出していく分野においては、いちだんとすぐれた専門的な知識と技術の上に基礎を置いた、明確な問題意識がない限り、有効な企業活動は成り立たない。
 商業活動ならば、すでに出来上っている品物を右から左に流通機構をたくみに利用して動かせばよいのだから、電気の知識がまったくない人でも、テレビを大量に扱う販売店を経営することも可能であろう。
 それは、テレビを単に商業活動の一環として扱っていたにしかすぎず、偶然それが電気に関係していたというだけのことだからである。そうなれば扱うものがテレビでなくて豚肉でも文房具でも、あるいはカリフォルニアから輸入したグレープ・フルーツであってもかまわない。要するにもうかりさえすればなんでもいいのだ。しかし、こんなことを国家経済のエネルギー源である石油開発の分野に無原則に持ちこんでやってもらったのでは、日本はたちまちオダブツになってしまう。
 いや、実際にこのような無茶苦茶きわまりないやりかたが、現在においても堂々と横行しているからこそ、日本は、しのびよる石油危機の中で、国家の安全を根底から損おうとしているのである。その事実を知りたいというなら、次のようなことがなぜ許されているのかを考えてみればいい。
 資本金を集める能力だけが取り得の財界の顔役が、石油会社のカンバンをかかげて政府の資金を盛んにくすねたり、まったく技術も知識的な裏づけもない商社が石油開発を先取りしておこうという目的のために、この分野へわれ先になだれこんでいること。そして、石油開発が法人の税金逃れの避難場所のようになっていて、こうして設立されたいい加減な会社がまるで投機でもするような気分で札束をつみ重ね、およそ日本の評判を損うようなやり方で、めぼしい権益を買いあさっていること。それも、彼らにとってめぼしいのであって、専門家の常識からすると、およそ無駄使いとしか思えない取引きや、火事場泥棒のようなえげつないやり方さえ目立つのは何といって説明したらいいだろう。
 資本主義体制の社会なのだから、個々の企業がその資金をどのように使おうと、文句はないと考えているのかもしれないが、一国の経済全体からしてみれば、無駄使いはあくまでも無駄使いであり、国の富がそれだけ失われていくのだ。このような国家的損失を防ぐためにも、それにふさわしい問題意識をもった人材をトップに持ってきて、それらの人びとのリーダーシップのもとにやっていかなければならないのではあるまいか。ましてや、石油開発が日本経済の生命線を握る鍵を持っているとしたら、そういった人材を育てあげるために、日本の産業界は全力をあげて対処すべきではないか。
 この意味で、日本で一般によく見かける社会風潮の多くが、これから流動的に変化していこうとしている世界の石油開発の動きに対して、有効な対応力を持っていないばかりか、むしろ桎梏になりかねない状況にあるのは心配なことである。
 まず手始めとして、大蔵省や農林省でその生涯のほとんどを過ごしてきたお役人が、石油公団のトップに天下りしたり、鉄鋼会社の社長が資本金を出しているからといって石油開発会社のトップになるような日本の現状は、いますぐにでも改めていくべきことだろう。それでなくても、日本政府の事大主義はエネルギー問題の諮問機関の委員の顔ぶれに、三月のひな祭りを思わせるような賑かさだけが取り得の人選をしている。
 この種の問題に、果たしてどれだけの貢献を期待できるのか知らないが、商売人代表として各商社の社長を並べ立て、そのまわりに銀行の頭取や土建会社の経営者を置くといったことで、これからの日本のエネルギー問題を乗り切るための知恵を集めようといっているのだから、唖然とするばかりだ。まるで、駿河台の大久保彦左衛門の屋敷に集められたような老人たちの持つ雰囲気がそこには張りつめており、エネルギーの話題よりは、むしろ真夏の暑さの中でドテラを着て火鉢をだいて日本の将来をサカナにしながら、過去の自慢話にうつつを抜かすのがせめてもの成果になることだろう。
 このようなことになるのも、日本では残念なことに専門的な知識と技術を背景にしてとぎすまされた問題意識を持った人間よりも、派閥をまとめる手腕にたけた親分肌の人だけが出世できるという、その機構が大きな力を持っているからだ。
 だいたい自分がやろうとしている事業の内容について、深い知識や高度の技術を持ち合わせていない限り、何事をやるにしても一種の賭け事のようなものになりかねない危険があるという見識くらいは、どんな小さな町工場の経営者でも持ちあわせているものである。問題は、自分の外にあるのではなくて、内部の主体性にかかわっているのだという心得があるからこそ、たとえ従業員が二人しかいない町工場でも、どうにか動かしていく基礎がそこにあるのだ。
 ところが、自分に実力も問題意識もさっぱりないくせに、石油産業の責任ある地位に居坐り、取りかえしのつかないような失敗を続けたあげくの果てに、この石油開発という世紀の大事業に対して、バクチみたいなものだというまったく筋違いな言いがかりをつけているのが、日本の石油業界のトップにいた人びとの態度なのだ。
 そればかりでなく、地上最大を誇る石油開発のスケールの大きさに、ドギモを抜かれたあげく唖然としてしまった日本の石油業界の長老たちは、何も手につかないばかりで時間を浪費して来たばかりでなく、幾十年にわたって日本の石油開発の立ち遅れはテクノロジーとサイエンス、それに石油ポリシーの後進性に原因があると訴えた人びとを、まるで気違い扱いしてきたのであった。
 私に言わせると、日本の石油開発能力はヨーロッパのトップレベルに二五年、そして米国に三〇年は遅れていることは確実である。また、石油開発に関する知識と技術の面と、特に石油ビジネスに関するマネージメント能力では、気の遠くなるような圧倒的な遅れをもっている。それでも、技術的な分野ではかなりその遅れを取りもどしているが、なにぶんにも日本には石油開発事業が発育不全なので、ある一定水準以上に達することができないままである。
 このことを具体的に示しているのが大陸棚の石油開発だろう。確かに日本の会社は、中東や東南アジア、あるいは日本周辺の大陸棚で、最新式のプラットホームやボーリング機械を利用しながら、石油を掘り進めているかもしれない。それらの半数近くは、たとえメード・イン・ジャパンのマークのついた機械であったにしても、その機械のノウハウから改良図面にいたるそのほとんどは、アメリカやフランスといった国から直接買い取って来たものであって、自国の技術者が研究し開発した設備ではない。
 それ以上に悲劇的なことは、どこを掘ったら石油が出るかという、石油開発における最も基本的な地質学的な決定は、ほとんど外国の石油会社かコンサルタントによって決めてもらっているというのが実情なのだ。なにしろ地質学的な知識の蓄積がほとんどないために、どうしようもないのだ。
 知識と技術は、長い時間と莫大な費用をかけて人材に対して投資を続けていかない限り、一朝一夕には育ってくるものではない。この点で、世界でも一流の技術水準を持ちながらも、没落の運命の中であえいでいる日本の石炭産業と、華やかな時代の脚光を浴びながらも何ら独自な技術体系をもたないまま、外国依存をつづけなければやっていけない日本の石油開発部門のめぐりあわせは、とても皮肉なものである。もっとも、日本の石炭産業におけるマネージメント部門の能力は、石油開発と同じように、決してほめられた内容をもっていたわけではないが。
 それはともかくとして、このように日本の石油開発事業においては、その最も重要な頭脳部に担当する技術と知識を担当する人材を、育てる努力をすることを怠って来たのであった。またこんな基本的なことに気がつかないで、石油開発事業のトップに居続けた人びとの見識の低さには、ただあきれてしまうばかりである。
 それだというのに、このような組織固めをする努力を怠っていながら、石油事業をバクチ呼ばわりしているのだから、まったく笑止千万である。その態度は、自分の運転技術がまるで未熟であるのに、それをたなにあげて「この自動車はスピードが出すぎて危くてしょうがない」と文句をいっているのと少しも変らない。
 それでなくとも、石油開発は将来における非常に不確実な成果を手に入れる目的のために、現在ある資源のすべてを投入しなければならない、勇気のいる事業なのである。確実に石油を発見していくために、数多くの組織が人材を動員して、時間と資金を投入して苦労しているのである。知識と技術を徹底的に追求することこそが、成果を保証する唯一の道すじであることは、石油開発の歴史がはっきりとそれを物語っている。
 ところが、この現在ある資源に対する考え方が、日本の経営者の場合、たんなる資金集めの問題としてしか把えられていないところに、悲劇があった。
 マネージメントの問題意識が少しも変革されなかったことと、日本の石油開発事業全体が持つ組織自体の内面的な問題を補強する点で、手を抜いたままそれに気がつかないできたところに、なぜ日本人が石油開発でこれまで成功していないかを理解できる、重要な鍵があると思われる。


生産性と石油産業

 われわれ日本人は、世界に存在するほとんどすべての産業を曲りなりとはいえ国産化することに成功して、先進工業国の仲間入りをもののみごとにやってのけた。この点では日本人は近代史の中で、稀に見るような工業化を遂行するという国家的な課題に対して、力を結集することに成功した民族であった。
 それにもかかわらず、地上最大といわれる石油産業の分野では、いたって中途半端な成果を得たにすぎなかった。そして、この産業の中核である開発部門がないまま、単に精油部門を中心にしたダウンストリームだけを肥大させるという、きわめて不完全な発展のしかたをしてしまった。
 日本人のように、きわめて緻密な計算を行ない、それをもとに組み立てたゴールに向かって総力を結集する能力にたけた民族が、なぜこのような中途半端な目的達成しか果たさなかったのかという疑問の一部は、これまで述べてきたことで解消できたであろう。
 石油開発の重要性に対する認識不足と、そういった状況を克服しないまま安易なやり方を踏襲してきた一種の事なかれ主義が、政策的な不手際を助長させてしまい、少しも日本の体質的な弱さを克服する方向で作用しなかったからであった。それとともに、石油産業の性格についての最も基本的で重要な問題点が、日本のエコノミストたちはおろか、経営者たちの一部にさえも、注意深く分析されることがなかったという点が、日本の石油産業の発育不全に大きく影響していたのである。
 その点をこれから説明していくので、もう一度、最初にかかげた世界の一五大企業のリストを見ていただきたい(七四ページ)。
 そこに並んでいるのは、世界の超一流会社ばかりであり、まずその筆頭に位置しているマンモス企業のジェネラル・モーターズが目に入るに違いない。
 乗用車の自由化という最近のニュースに関連して、頻繁にその名をきくこの会社は、年間売上高二四三億ドル(約六三兆円)を記録している。この数字は、日本の国家予算のほぼ二倍の額に相当する巨大なもので、文字通り超大型の会社である。なにしろ日本を代表して、その第一位にある日立製作所のなんと一〇倍のスケールをもっていて、圧倒的な大きさを誇っていることは誰の目にも明らかだ。
 だから、この会社の社長がかつて「わが社の利益はアメリカ全体の利益であり、国家の利益はそのままジェネラル・モーターズの利益である」と大見得を切ったと伝説的に伝えられている話も、なんとなく「そんなものかなあ……」と思えてくるのである。
 しかしながら、あまりにもよく知られているこのジェネラル・モーターズの大きさについて、見直してもらう以上にここで注目して欲しいのは、表の右側にある、雇用者一人あたりに対する売上高のところである。
 世界一の超巨人として、その実力と名声を小学生たちにさえ知られている、このジェネラル・モーターズ会社を、従業員一人当りの売上高という点で、第二位のスタンダード.オイル・オブ・ニュー・ジャージーと比較してみると、なんと、たった三分の一という小ささになってしまうのに気がつかれるであろう。
 分りやすい例として、世界の一位と二位を較べてみたが、個別的な企業ではなく産業同士の比較をしてみても、結果は同じである。世界の一五大企業を、石油産業とその他の産業という二つのグループに分けて比較すると、それはいよいよはっきりする。
 石油産業における従業員一人あたりの売上高は、平均八万二千ドルであるのに対して、その他の産業の平均は、はるかに少ない二万五千ドルという数字でしかない。
 これは、あきらかに石油産業とその他の産業の間に、目には見えないが画然とした境界線が存在していることを、暗示しているといえないだろうか。
 現に、この表に見るかぎりにおいては、石油産業の中で最も低い数字を示しているロイヤル・ダッチ・シェルでさえ、他の産業分野のいかなる会社をも、はるかにひきはなしている。
 つまり、この表によって、われわれは地上において石油産業の勢力が圧倒的であるばかりではなく、経営内容という面からも、他の産業とはまったく比較にならない驚異的な成績をあげているという点に気がつくのである。
 これはまた通俗的な言い方をすると、企業における生産性がきわめて高いということであり、別の表現を借りると、石油産業の基本的な性格が、労働力や技術力よりはむしろ知力に依存する傾向が強いことを示している。
 石油産業を精油産業と取り違えている日本人の多くは「まさか……」と思われたことであろう。なぜならば、精油所は装置産業の代表的なものであり、最も技術に依存する面が強いと信じられているからである。
 しかし、私はここで、石油産業は技術ではなくて知識の上に成り立っているといっているのであり、その上で石油産業は知識に力点がかかっているという意味で、現在日本で大流行している表現をそのままもってきて、石油産業こそ実は情報産業といわれるものの代表なのだ、と断言しようとしているのである。
 現在の日本では、その産業構造が、労働力集約型から技術集約型への移行過程にある。
 このこと自体としては、工業先進国への順調な歩みを示すひとつの喜ばしい現象といえるが、それとともにわが国の工業発展段階の特殊事情のために、日本で行なわれている議論の多くが、この労働力集約型と技術集約型産業という二つのパターンの中で進められている傾向が強い。
 現実に知識集約型の産業が独自な現われ方をしていない日本では、ある意味でやむをえないことかもしれない。なにぶんいままで、基礎研究や知識開発に対して重点的な投資をおこたってきたので、知識の重要性に対しての認識が深まらなかったばかりでなく、積め込み教育による丸暗記を知識と見誤まるという時代の風潮をさえ生んでしまったのである。
 しかし、知識というのは単に物事を知っているということだけではなくて、特定の状況に対応できるように、整理と評価のされた事柄であるという意味で、われわれは改めて知識という体系に対して、認識を新たにする必要があると思われる。
 このように考えたとき、技術集約型の産業の次に来るのは、当然のこととしてソフト・ウエアーを企業活動の中心に持った知識集約型の産業であるという点が、はっきり理解できるようになる。それはまた、どこに石油があるのだろうと調査研究することに企業が総力をあげて結集し、石油発見に結びつくあらゆる情報を収集し、知識を体系化することが、企業活動の中心になっている石油産業が実際に行なっていることに他ならない。
 ただ日本の場合、この石油産業の頭脳ともいうべき部分が、完全に脱落したままなのだ。しかし、日本の特殊事情がどのようなものであろうとも、石油産業というものは本来、このように地質学を中心にした石油発見に結びつく情報をシステム化する過程で石油をみつけ、それを販売してやっていくという性格をもった、ひとつの情報産業なのである。
 ただ、ここで注意しなければならないのは、われわれ日本人の場合、情報産業という概念をすぐに電子計算機産業、あるいはマスメディアを扱う産業に結びつけてしまいがちな傾向をもっている点である。これはちょうど、石油精製産業を日本人全体が石油産業そのものと早合点してしまったのと同じことで、情報産業という非常にダイナミックで幅広い可能性をもった産業を矮小化したうえで、そのイメージまでも限定してしまったためにひきおこした混乱のひとつなのだと指摘できる。
 日本で石油会社と呼ばれているものの場合は、その活動の重点がまだ「モノ」としての石油の取引きにあって、その中心になっているのは商業活動である。
 ところがアメリカの石油会社の場合は、すでにこの段階ははるか昔に卒業していて、現在では企業活動の中心は、石油探査とその開発に集中している。この点を理解することは、この際、知識産業の内容を理解するうえでたいへん重要なことである。
 石油産業の投資比率や収益源を明らかにした二つの表(七九、八一ページ)を思い出してもらえば、どこに石油会社の企業活動の力点がおかれているかについて、納得していただけるであろう。
 いずれにしても、アメリカを初めとした欧米の石油会社の多くは、いちおう総合石油会社という外見をもっているが、その本質としては、しだいに知識産業として内部変化をとげ、非常に研究所に似た組織構成をとるようになっているのである。


知識集約型の石油会社

 石油会社が一番苦労しているのは、いかにして確実に石油を発見するかという点にほとんどかかっている。石油をみつけない限り、企業活動を継続していけないからだ。
 当然、現在の時点で可能な限りの知識と技術を総動員して、この課題に挑んでいく。そのためにも、組織の機構が研究と開発を担当する部門を中心に、動きやすいように作り変えられ、機能本位の姿をとるようになっている。中核をなすのは地質学と地球物理学、それにエンジニアリング部門であるが、その他に情報収集を担当するスカウティングや、土地をめぐる法律や権益に関する契約上の手続きのために、法律家のグループがいる。そして、このような部門が全体として円滑に動くために、経理や営業部門が経営面を担当し、全体をマネージメントが統括していくのである。この点、日本のように経理と営業が会社の主導権を握っていくやり方と、根本的に異なっているし、アメリカにおいても、他の産業と石油産業をはっきり分ける境界は、経営が経理と営業によって支配されていないという点だろう。
 だから、会社の予算や人員の過半数以上を占める科学者と技術者が、いかにして石油の存在を確実に発見し、それを効果的に開発するかという課題のために、知識と技術を蓄積していく一方、残りの全員が石油をモノとして扱うビジネスを通じて、企業活動全体を経済的に保証していく部門と、全体のサービスをする部門として機能するようになっている。
 ある四百人程度の従業員をもつ、アメリカの中規模な石油会社を例にとってみると、ジェオロジスト(地質学)三〇人、ジェオフィジシスト(地球物理)一〇人、エンジニアー四五人、技能者(テクニシアン)百人を中核にして、コンピューター技術者二〇人、ドラフトマン(製図)一〇人、ランドマン(土地)一〇人、法律家一〇人、経理部員三〇人、営業部員三〇人、セクレタリーと呼ばれる女子事務員百人、それにマネージメントが一〇人というのが人事構成になっている。
 これが、従来われわれがあまり正確にその組織内容について理解することがなかった石油会社の内面なのであり、世界的な大石油会社自身がほとんど同じようなやり方をしている、かなり共通した組織の正体なのである。また、このように組織上の変革をなしとげて、商業活動を中心としたものから知識を中心とした体系に転換することに成功したからこそ、本来の意味で石油産業は、情報産業の先駆的存在になり得たのであった。また逆に、石油産業が鉱産資源の開発を担当して「単なる鉱山業」として天然資源の移動・運搬を行なう仕事から脱皮をとげて、他の産業に先がけて、半世紀も昔にすでに情報産業化をしたがゆえに、名誉ある地上最大の産業の地位を確保できた秘密があったのである。
 日本の場合、石油産業の分野で仕事をしている人の中から、この種の問題提起がいまだかつて一度も行なわれたことがなかったというのは、非常に不幸なことであったといえる。
 またそれは、石油開発部門における日本人の問題意識の水準がいかに低い段階にとどまつたままであったかということの傍証になるとともにこれまでに、日本人が石油エネルギーを自分の手で確保できなかった理由にもなるのである。
 それだからこそ、ここに来て問題が山積みしたまま、動きが取れなくなっているという切迫した情況を前にして、一億人の日本人全体にとってまったく不幸としか言いようのない、石油にまつわる国家的な危機がなぜ始まってしまったのかということの由来についても、初めて納得のいく回答をみつけ出せたわけである。


情報の矮小化

 情報は、数千年という人間の歴史の歩みとともに発展して、現在に伝えられてきたものである。
 その具体的な内容は、時代によってさまざまに変化し、その時代の人びとが持っていた認識の高さや迷いの深さによって、その性格が規定されていた。ギリシア時代にはギリシア人たちの世界観にもとづき、また江戸時代には封建的幕藩体制の中で生きていた人びとの価値観を基礎にして、情報はひとつの体系を作っていた。
 それはまた、人間の認識の外側にあって、ひとつの宇宙体系として存在し、人びとの意識を全体的に規定していたということもできるであろう。
 情報は、宇宙における存在そのものと人間の認識の接点に、選択的に見つけだすことのできるものであるが、ウィーナーがその著書『人間機械論』を著して以来、われわれは情報という、この目に見えないものの存在について、自然科学の側から哲学的な認識論へのアプローチを積極的に行ない始めたおかげで、やっと気がつくようになった。
 このようにして、情報についての一般理論が体系づけられて、身近かな問題として人びとの注意をひくようになったのは、二〇世紀も半ば近くになった、ごく最近のことである。
 われわれが、このような体験を通じてようやく手に入れることのできた情報理論は、ウィーナー自身が最初に考えついたように、機械に対する命令という形をとって、まずオートメーションとして開発された。これが「情報ことはじめ」である。
 そして、その後におけるエレクトロニクスの分野での技術の進歩に助けられて、「情報そのものを処理する機械」の飛躍的な発達をうながした。また遂には、現在われわれが目撃しているように「情報管理のシステム」として、人類にとってまったく新しい分野を開拓することに成功し、これからもまた未知の領域に向かって、大いに発展しようとしている。
 このような経過を通じて、人類が獲得してきた新しい技術と知識を背景にして、情報そのものも質的に内容を改めて、年々新しい形をとるとともに、一九六〇年の後半に至って、「情報化」あるいは「情報社会」ということばの大流行があり、それを通じて、情報の意味がかなり広範囲にわたって社会一般の中に浸透した。
 だいたいこれが、現在に至るまでの大ざっぱな情報の歴史であるが、ただこのような過程を通じて、ひとつの大きなミスを犯してしまったことを、ここで指摘しておかなければならない。
 それというのは、われわれ日本人の場合、無意識によくやってしまいがちな過ちなのだが、一般概念の矮小化ということを、ここでもまたやってしまったからである。
 これはすでに述べたように、その一部にしかすぎない精油部門の中に石油産業全体をねじこんでしまった例もあるが、この傾向が特に顕著なのは、明治になって欧米から取り入れた政治や法律、そして思想の分野においてであった。その抽象概念のほとんどが、多かれ少なかれこの矮小化を経て、日本語として定着したのだった。
 情報が、選択的に獲得されるものであるとすると、これは、日本文化の体現者であるわれわれ日本民族の選択は、ある意味できわめて主観的な傾向が強いという事実を物語っているといえるだろう。
 権利、階級、観念、道徳、古典などといった訳語をもつことばは、本来もっと一般的な内容をもっているのに、日本語になったとたんに、非常に限定された意味を持たされてしまった。たとえば、フィロソフィーということばは、ふつう「哲学」と訳されて、なにか高遠な思想に関係深いものだというふうに理解されている。
 確かにこのことば自体には、哲理とか哲学体系といったポジティブな意味で、価値を示す内容を表わすことも時にはあるのだが、その他に知識、愛、人生観、考え、冷静といった価値判断を直接含んでいない内容をさしていることもある。だから、英語でナチュラル・フィロソフィーといえば、それは自然哲学と訳されることもあるが、もっとも一般的には、単に物理学のことをしか意味していない場合の方が多いのである。
 これと同じようにして、ことばの内容が特殊化させられてしまったというのは「情報」ということばの正しい理解のためにはたいへん不幸な結果を招いてしまった。日本では、情報ということばが、主としてその処理機械であるコンピューターやマスメディアとの関連において理解されることが、一般化してしまったからである。
 なかには、電気通信総合研究所が定義しているように「情報とは、通信システムの中で伝送され、処理され、蓄積される有意味な記号の集合体である」などというまったく見当違いで手前勝手な解釈も堂々と通用しているが、これなどは第二次大戦中によく情報を情報活動と結びつけてスパイ行為のように理解していたものよりもさらに数段お粗末な、情報に対する理解の仕方であると思われる。
 このようにして、日本国内に情報ということばが氾濫するとともに情報産業のイメージがいつの間にか電子計算機産業とオーパーラップしてしまうという、極端な傾向を生んでしまった。そして、「情報産業を守れ」というかけ声が、「電子計算機産業を外国の資本攻勢から保護して国産機を育てよう」という合言葉におきかえられる破目にさえなった。
 このことは、情報産業について論じられることのほとんどが、国産の大型コンピューターの市場のシェアーを確保することを国策として遂行しさえすれば、未来産業を手っとり早く手に入れる鍵になるといった発想法で行なわれている日本の現状を見れば明らかになることだ。
 これは、部分的には決して間違っていない。いよいよ複雑化していく社会機構に対応して、コンピューターのもつ実用的な機能が認められ、普及していくことが分り切っている以上、コンピューターに対して、商品としての価値と機械としての役割の重要性が増大していくことは、誰にも理解できる。
 しかし、本来もっと幅広い内容を持っているはずの情報化ということを「情報を処理する機械」の中に埋没させてしまった、というところに大きな問題がある。
 一億人のほとんどが、ただなんとなくムードとしてそう思い込んでしまった責任の一端は、日本のマスコミにあるだろう。なにしろまったく不用意な形で、この情報ということばを使い、情報化というハヤリことばを氾濫させてしまったのだから。


情報化と産業の未来化

 まず情報化とは、コンピューターとはまったく離れたところにある知識体系そのものと人間の結びつきだ、と理解することが、現代の日本を混乱の中から救い出すひとつの道である。それはまた、人間と人間が生み出していくソフトウエアーについて整理して考えることでもある。
 そのためには、なにも難しい本を読んだり、改めて特別な講義を受ける必要などまったくなく、現在自分の身のまわりにあるものを、少し視点を変えて観察するだけで十分である。
 とりあえず企業活動について注目するならば、それがたとえどのような業種のものであっても、ひとつの組織であるという共通点を見出せるはずである。それならば、組織のもつそれぞれの活動様式について検討し直せばよい。そうすることによって、情報をコンピユーターとの結びつきという狭い考え方から解放して、もっと自由にさせてやることができる。
 なぜならば、こうすることによって各産業の行なっている企業活動の中には、実は、人間社会に情報化された「モノ」を還元している側面があり、それが現代になればなるほど重要な役割を演じるようになっているという視点を発見できるからだ。また、この情報化された「モノ」の存在に気づくことが、情報化のプロセスそのものを理解するにあたって、最も重要なポイントになってくる。
 こういった意味で、石油産業こそ、情報化をもって企業活動の中核としている最も代表的な産業だといえる。
 石油産業を情報産業だと言った人にまだ出会ったことがないので、このようなことを断言することによって生じる責任に対して、いささかとまどいを感じるが、私は、石油産業こそ本来の意味で情報産業と呼ぶに最もふさわしいものだと考える。
 これは、非常に主観的な考え方かもしれない。しかし、少なくとも私が過去に体験したコンサルタントという職業自体が、ひとつの情報を直接の商品として扱う情報産業のタマゴみたいなものであったことを思い出しても、石油産業は、この石油についての情報を媒体にして地上最大の産業になったという意味で、確かに情報産業の王者なのである。
 だいたい石油会社の中核である石油開発事業は、エネルギー源としての石油や天然ガスを人間社会にもたらすために、その存在を捜し求める仕事をしている。石油がどこにあるかという推定は、手に入れることが可能なあらゆるデータを分析し、そして得た結論を総合したうえで下される。それを行なうのはエクスプロレーション・ジェオロジストと呼ばれる熟練した地質の専門家たちの任務であり、有効なデータを作るために、地球物理学や特殊な地質分野のスペシャリストたちが協力して作業をしている。このように、確実に石油資源を発見する目的のために、組織全体が知識と技術を最高限度に動員できる体制を形成しているのが、石油会社の中枢部である開発部門なのである。
 このような体制は、別の言い方をすると、地下に存在するかもしれない石油資源を知識と技術という情報を媒体にしながら、「モノ」としてのエネルギー源を社会にもたらすための企業活動であるといえるだろう。
 石油産業の特徴は、石油がエネルギー源として近代社会がその経済活動を維持していく上で必要不可欠であるという点で、「モノ」を供給すること自体が社会のインフラストラクチャーの基礎な位置を占めていることである。そして、この土台の上に、生産材を生産する産業、消費物資を生産する産業、そしてサービスを中心に運営する産業がのっている。
 こうして、石油産業が石油の存在についての情報を「モノ」としての石油発見に結びつけていく情報化を通じて情報産業化している、というプロセスを理解していただけたと思う。しかし、これと同じことは、他のあらゆる産業についてもいえることであるただその情報化の度合と時期、それに発展段階が異なっているにすぎない。
 たとえば、すぐに思いあたる繊維産業などは、ここ最近において著しく情報化の傾向を強めている産業として、典型的な例である。
 現在では、単に人間が身体にまとうため、あるいは寒さから身を守るための衣服を作るというより、むしろ、需要に合致した製品を供給することに繊維会社の中心課題が移っているのは、世界的な傾向である。その度合は、社会体制や文化の内容によって異なっているが、二〇世紀はこの点で、文化人類史的にはある一定の発展段階を示している。
 かつてのように、裁断された布地をミシンで縫いあげるプロセスから、現在では、時代の要求により適合したものを製品化するプロセスとして、繊維会社自体その性格を変えつつある。
 これは、スカートの丈が長くなったり短くなる現象でもわかるとおり、繊維業界における企業活動そのものが衣料品を媒体にしながら、ある時点における人びとの好みを情報化していることである。
 「あら、やっとホットパンツを買ったのに、もうマキシがはやりだしたわ。ねえ、暮のボーナスではマキシのドレス買ってね……」という具合に、流行といわれるものの要素である色、柄、そして型などを組み合せて、人びとの要求を具体化したり、あるいは要求に先んじて流行を生み出したりする。これが現在繊維産業が実行している企業活動のひとつの様式といえる。
 こういった意味で、情報化されるところの流行が繊維業界の栄枯盛衰にいかに密接に結びついているかについては、われわれのまわりをちょっと見渡してみれば、すぐに明らかになるであろう。
 同じようなパターンは、ビタミンや健康に関する情報を丸薬やアンプルにつめて売りまくっている薬品業界や、情報にタイヤとハンドルを取りつけて毎年新しいモデルとして新型車を宣伝して大いに売りさばいている自動車産業について、あてはめることができる。
 ただ、石油産業における情報化の主役は、このように個人の嗜好に基づいた商品ではなくて、近代社会の生命力としてのエネルギー源であることが大きな違いであるとともに、この情報化への道を、世界の石油資本は半世紀も昔にすでに歩み出していたことが、石油産業をして世界経済の王座を獲得させた、大きな理由になっているのである。


シエラザードの願い

 とにかくわれわれ日本人は、情報化と組織の活動様式を結びつけて考えることを、今まであまり試みたことのない民族だといえる。
 だからこそ、現実に情報産業の先駆者としてりっぱに大成し、世界経済の王座にある石油産業について、その最も大きな要因ともいえる情報との関連でその因果関係を把えることができない、という盲点をもってしまったのだ。
 残念なことに、日本には本格的な石油産業が存在していないのだから、これはある意味でやむを得ない盲点であったといえるかもしれない。しかしながら、一億人という国民をかかえた運命共同体の中で、その責任の一端を負って政治や経済を動かしている日本の主脳部が、このような世界の現状把握のイロハについて認識を欠いていたというのは、決して自慢になる話ではない。
 このようなことからも、連日の世界経済の動きの中で、そのはなばなしい活躍を見せつけられている世界の石油をめぐる動きについて「メクラ」同然の観察しかできなかった人びとを国の代表にし続けたわれわれ国民の不見識について、深く反省しなければならない時期が来ている。それは、しのび足で近づいている次のエネルギー危機とともに接近しつつあるのだと、今度こそはっきりと気がつかなければだめだ。
 また、日本がこの石油産業を今日まできちんと育てあげ得なかった残りの部分が、すでに広く一般に知れわたっているために、あえてここでは論じなかった所の石油政策の不在とともに、以上みて来たように日本の政治経済のトップにある人びとの問題意識の低さに原因していたのだという、最終的な結論にたどりつくのである。
 おかげで、今日の日本は、危い瀬戸ぎわに追いつめられながら、その運命を石油資源の安定供給にゆだねなければならなくなっている。そして、石油資源の平和的な確保のために至難な努力を払いつづけなければ、国家として生きのびられない立場におかれている。
 このような、昨日と明日の問にある今日の課題こそ、石油開発に対する基本的な認識においてまったく理解能力を持ち合わせていなかった政治家、財界人、そして石油関係者によってもたらされた失策の結果であり、一億の日本人がこの致命的な弱味を克服するために、新しい覚悟のもとに取り組まなければならない緊急問題なのである。
 この石油にみられる痛恨事は、石油と世界の動きに対しての問題意識に欠けた人びとの集団が、日本の政治と経済を取り扱う片手間の仕事として石油事業をもて遊んできたために起きた、とりかえしのつかない大失敗の例といえる。
 この際はっきり言わせてもらうと、石油産業は、日本の政治経済をひっくるめた全体の、数十倍のスケールで動いている現代の無気味な怪物なのである。それは、絶大な偉力をもったアラジンの魔法のランプ以上の神通力をもつものであり、片手間の仕事などとしてとても扱えるしろものではない。ましてや、田舎芝居のような茶番劇に明け暮れて来た顔見世興行の三枚目が出来心でいじくりまわすにはあまりにも難物だし、すみやかに国際感覚を養うためにも、国際舞台で通用するようなやり方を国内政治の中で実践することから心がけるべきであろう。
 それにしても、日本人の石油開発に対する態度は、あまりにも甘すぎる。この点を理解するためには、戦後の日本経済の発展が、知識の重要性への確固とした認識がもたらした大勝利では決してなく、むしろ、利潤の追求に徹底した人びとが、労働力を最大限に利用しながら外国で生まれた技術と結びついて築きあげることに成功した採算本位のものであったことを、よく考えてみるべきであろう。
 それは、人材を育てることよりも設備を拡充することを中心にしたハードウエアー的な繁栄であり、ソフトウエアー的なものを背景にしてはいないのだ。
 アラジンのランプの精は、石油によってその生命力をあたえられており、地中からもたらされたものである。
 それは、現代の石油王国の中東において、中世のアラブ人の手によって書かれた『千夜一夜物語』にきわめて象徴的に記されている通り、ランプの精はダイヤモンドの指輪の精よりもはるかに大きな力を持っている。石油は、宝石以上のものなのだ。ましてや、札束以上にすぐれた価値をもっている。そして、現代のランプの精を支配する石油産業は、石油をもたらすソフトウエアーによって、そのダイナミックな生命力を維持している。 「この点で、日本自身の手の中に石油を得たいと思うなら、まず、石油開発に関するソフトウエアーの部門を自国の中につくることですよ。そのような組織をつくりあげた時、初めて日本は魔法のランプから、不思議な石油の精を呼び出すことができるでしょう……」
 これが、才色兼備、品性高潔、そして博識聡明といわれているあの『アラビアン・ナイト』の主人公のシエラザードが、われわれ日本人に伝えたいと願っている、示唆に満ちたことばであると思うことはできないであろうか。


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