5 海外拠点は国の要石



拠点の守り

 日本国内での石油開発が、これから本格化する日本周辺の大陸棚を含めてさえも、石油開発事業の主力になり得ないことが明らかである以上、海外に進出してその拠点作りをすることの意義は、今後とも、ますます高まる一方である。
 海外拠点をどのように固めていくかということは、石油戦略における最も重要な戦術のひとつであるにもかかわらず、今まであまり関心が払われないまま放っておかれがちであった。というよりも、日本経済が持っている商業主義的な産業構造をそのまま反映して、最大の拠点である日本の守りに徹するという伝統的な空気を石油産業もまた盲目的に踏襲していたのだった。そして、「最も優れた人材は日本を離れることなんかありえないですよ。なにしろ外国へとばされたら出世の妨げですからね」ということになるのだ。
 世界を相手に石油を探すという姿勢ができていない日本の場合、これはある意味でやむを得なかったともいえるが、だからといって日本国内に踏みとどまっている石油関係者が一流の人材ぞろいであるなどと早合点してもらっては困る。
 というのは、日本の石油事業は発育不全のまま現在に至っており、はつらつとした若さを失ったまま補助金によって辛うじて組織の体面を維持しているこの分野に、一流の人材がわれさきに押しかけてくるだけの魅力はないだろうからである。
 さて、D・S・ハシラーによると、文明の黎明期から一九四五年までの技術の進歩を仮に〇から一〇センチまでのグラフで表わしたとすると、一九四五年以降の二〇年間の技術の進歩は一三階建てのビルと同じだけの高さになるそうだ。そうなると一九六五年から現在まではおそらく東京タワーの高さ以上になることは疑いない。それは、日ごとに革新されていく人間の認識が新しい技術と知識を加速度的に発展させていくからだ。  だから全体的に発育不全のまま停滞気味の日本の石油事業は、海外における技術の進歩からは刻々と取り残されようとしている点については想像するのに困難なことではない。
 いくら日本が特技を発揮して外国で実用化されたばかりの最新技術を導入することに成功しても、その「ノウハウ」を生みだす基盤の差だけはどんどん拡大する一方だからである。
 このソフトウエアーの部門を育てあげる努力をしないで、今までのように安易な外国依存を続ける限り、知識集約型という未来に活動の場をもつ産業は日本に根づく可能性はない。それでなくとも石油開発能力という点では、日本は石油王国アメリカに少なくとも三〇年は水をあけられている。そしてこれはハシラー流の計算でいくと日米の火力の差は東京タワーとエンピツということになる。
 当面技術導入が不可欠であるにしても、近視眼的な導入一本やりという習慣から一日も早く脱出して、国内にソフトウエアーを育てない限り、永久にエンピツ日本が続いてしまうだろう。
 それとともに日本の、守りに徹するのだという精神的な鎖国主義からも解放されない限り、いきつくところは一億玉砕である。さて根拠地を本当に信頼できるメンバーで固めていざ鎌倉に備えておくという思想は弥生式土器時代の頃から続いてきた。徳川幕府にしても江戸にばかりとじこもっていたわけではなかった。どうも信用できないと思われる外様大名は当時の僻地に分散させたが、拠点は本当に頼りになる藩を責任と権限を与えて配置することを忘れなかった、
 それから四百年近くもたって、地球全体を相手にする時代になって、この拠点が狭い日本の枠をのりこえて遠く海外に向って拡がらざるを得なくなったというのに、日本の石油事業の場合、拠点に対する考え方が徳川家康以下なのである。
 海外の石油資源に依存している石油事業の場合、拠点になるのは当然のこととして海外にある出張所や石油地帯の事業所のはずだ。ところがこの海外拠点に対する日本の会社の扱い方や、そこに配置されている人の心構えが、徳川時代はおろか、はるか律令文化華やかな八世紀頃の国造や県主にさえ及ばない、至って心細いものなのだというのは、大いに心配なことである。


海外事務所長列伝

 これからその幾つかを例にあげて、日本の石油事業の海外拠点の事情の一端について明らかにしてみよう。しかしこれは、その至らなさや失策をとがめだてて非難するためではなく、これから日本人が国際社会に進出して試行錯誤をくりかえしていくに際して、こういった段階は一日も早く卒業してもらいたいという気持であえてとりあげたにすぎない。この点を了承されたい。
 ある海外拠点では、大学を卒業して以来二〇数年間経理事務専門にやっていた人が、突然海外派遣をいい渡されて出張所長としてやって来ていた。会社に対する長年の功績と忠誠が認められて、海外事務所の最高責任者に抜擢されたという意味で、大変有能な人にはちがいないのだが、石油開発をいかにやったらいいのかという認識については、残念ながら零といえた。
 仕事の内容について基礎的なトレーニングも与えないまま、海外へ送り出すというのは配慮に欠けた人事である。おかげで、家族を日本に残したまま単身で異国に赴任して来たという、その覚悟のほどは大変立派だったが、いかんせん西も東も分らないのだ。
 そのために現地の取扱い窓口になっている商社の外国慣れしている若い社員の指図に従って、ただウロウロしているばかりで、はた目にもまったく気の毒でみていられないほどだった。
 また別の例では、外国語が何一つとして喋れないために、せっせと言葉の学校に通って五十の手習いをしている出張所長にお目にかかったこともある。現地の言葉が喋れないというのは国によってはやむを得ないことだ。しかし一カ国語も喋れない人を外国に送りだすという会社側の無責任さには、ただただあきれてしまうばかりだったが、それでも学校に通って言葉を上達させようと苦労しているその姿には心から同情をしないわけにはいかなかった。本人もまた「内輪の話ですが、いくら会社の命令だからといっても、これじゃあ島流しと同じです。まったく鬼界ケ島に流された俊寛僧都の心境です……」と、思うように活躍できない身の上を嘆いていた。
 中にはもっとサバサバした人が派遣されている場合もあった。「私はここにどうせあと二年位しかいないんですから、いまさら言葉など勉強しても始まらんですよ。なに、要するに、石油をみつけさえすりゃあいいんです。出さえすれば私が言葉が喋れなかったことに誰も文句なんかいやあしませんからね、アッハッハ」と笑いとばして、「それにしてもこんな暑い国には日本の梅干しはまったくありがたいもんで、実に役に立ちますなあ。私は梅干しがない限り、こんな文明の果つる所なんかまったくごめんこうむりたいですよ」といってのけるサムライが所長をしている所もあった。
 またそうかと思うと、対外交渉を兼ねてよその石油会社や外国政府関係者と一緒にするというのならともかく、部下の日本人社員をお伴にひきつれてゴルフに明け暮れて、至って気楽な海外生活にご満悦という殿様が事務所長をしている拠点もあった。
 あるいはまた、外国語に堪能だからということで商社から引き抜かれた人が、石油に対する問題意識など薬にしたこともない通訳まがいの所長として、自分の在位期間中に失策がないようにと、そればかり気を使っている出張所もあった。そのくせ内心では石油を発見して手柄にしたくて仕方がないのだが、下手に動いて失敗すると自分の責任になるからというわけで、あらゆることを本社と相談するために日本と出張所の間を行ったり来たりしているだけなのだ。
 そして私があるとき「石油の発見は人材に対する投資に比例しますよ」といったら、それを頭ごなしに否定して、「私は石油はバクチと同じとしか思いませんね。失礼な言い方ですが、地質学者にだってどこに石油があるかを自信をもって断言できる人はいないんじゃないですか。そんなことならば、八卦見か弘法大師に頼んだってそう変らないのとちがいますか」といわれて、私は唖然とした経験がある。
 このようにいくつかの例をあげてみたが、決してこういう人たちばかりだったわけではない。中には一生懸命汗を流しながら、石油を発見する使命のために身をすりへらしていた人も、また日本の本社の無理解を説得する努力をしていた人々もあった。それは、海外拠点の責任者の人格と使命感によっても非常に大きな差があったことも事実だ。
 しかし、ようやく海外での石油開発事業が端緒につき始めた段階にある現在、ここに述べたいくつかの例のように、至って呑気な気持で日本の生命線ともいうべき石油事業を取り扱って、それでよしとしている傾向があるのは心配なことである。かりに商品をせり落し損って何十億円もの損害を出した商社があったとしても、これは単なる商業活動にしかすぎないのだから他人がとやかく文句を云う筋合のものではない。
 しかし日本の運命を最も強く、支配している石油事業を通商関係と同じ次元で扱って商人根性でやっても構わないというのだったら、これは国家百年の大計を見誤まる至って軽率で危険な考えだといわざるをえない。
 同じように、石油開発に対する使命感に乏しい人が「海外事務所での生活は次の出世のための腰かけだから、せいぜい失敗のないようにしておこう」などといった気持で無事に任期を果そうとして積極性に欠けた態度をもちつづけようものなら、石油に死命を制されながらあくせく働いている一億の日本人の運命は至って危いものといわざるをえない。


情報の収集

 日本の石油開発事業の海外出張所が、対外拠点ではなくて本社への報告事務を取扱う単なる窓口になってしまっているというのは、残念ながら本当である。日本のように縦割りの機構がすべて東京に集中して、トップにいる人が組織内の各部門からの報告を受けとって全体を統括しているような場合には、海外の拠点もまたピラミッドの底辺としての機能を果しているうちに、いつの間にか窓口化してしまうのだ。  それも外に向いた窓口ではなく、本社のある東京の方に顔をむけた窓口になってしまう。
 そして、そこで働いている人も情報収集などというとジェームス・ボンドやマタ・ハリが大活躍するスリルと危険に満ちたもので、せいぜいスパイ小説の舞台のことであり、「自分たちのように堅実な石油の仕事に従事している者にとっては、まったく無関係なことなのだ」と思いこんでいる。あげ句のはてに、情報を集めるなどというと、興信所に依頼して報告書を作らせるとか、新聞の切り抜き帖を作って公表された資料を集めてせっせと東京に送りつけることだと思いこんでいたりする。
 またこの発想は、日本政府や石油公団のように石油地帯に海外事務所を店開きすれば必要な石油情報が集められるという至ってお目出たい考えの陰画(ネガ)みたいなもので、両者を組合せても情報収集の青写真はできあがらないのである。これは情報収集のイロハに対する認識の不足に由来する、非常に安易な思いつきにしかすぎないから、窓口をいくら開設しても、また切り抜きを山ほど集めても、何の役にも立たないのだ。その理由というのは情報収集という仕事は、情報の側にイニシアチブがあるのではなくて、それを受けとめる人間の内部に主導権があるからだ。
 この意味でオイルマンと呼ばれる人たちが、石油に関して訓練された想像力としてのカンの良さの持主であったとのと、まったく同じことで、石油に関してとぎすまされた問題意識のある人を作りあげていくことが、情報収集の基本になるのである。
 それはまた、問題意識が高まることによって自分の属している産業の内部に充満している情報の洪水を、問題別に整理する能力を身につけることでもある。この整理能力がついてくれば、どの情報が重要であり、それがどの程度の信頼度をもっているかも判断できるようになるし、また一見関係のなさそうに思われる二つの問題を結びつけている細い糸が見えるようになる。そしてある程度洗練された感受性が身についてくると、いろんな機会を利用しながら、今度は自分にとって有用なものだけを選択的にとり出していくこともできるようになるのだ。
 この段階に達して初めて、海外拠点を中心とした地域での対人関係、社交能力といったものが重要な決め手になっていくのだが、肝腎なこのプロセスが見すごされたままなのである。ただ緊張してきき耳をたてたり、がむしゃらに聞きこみをして歩けば、それで拠点での情報収集をしたことになるのではなくて、まずその国の社会状況・政治関係といったものについて徹底的に理解することから始めるべきだ。その上で刻々変化していく石油に関係したあらゆる動きを追っていきながら全体と個々の出来事の関係がはっきりと把握できるようになれば、逆に情報は向うの方からやって来さえするのである。
 この点で、対外交的な交渉能力や石油開発に対する意欲、あるいは、政治・経済に対する理解力と問題意識に卓越した人を選抜して海外拠点に送り出すのではなくて、年功序列やカタコトが喋れるからという特技だけを重んじた人選を続けていったら、日本の海外での石油開発事業は転進と敗退をくりかえしたあげくついには店じまいという結果に終ってしまうだろう。
 それでなくとも、そんなお座なりの海外人事に答えるかのように、「われわれは本社に迷惑をかけるようなことは何一つしませんでした。目下のところ、石油捜しに全力を傾けています」というようなことを、もっともらしく作文して、これが現地報告なのだとしている海外事務所長がいるのだ。そして石油をみつけなくとも何も失敗しなかったということだけで、日本へ栄転してしまい、あとは野となれ山となれで終ってしまうのである。


代表者の修業

 日本の会社の例では、権限の委譲ということは非常に稀な場合にしか行なわれない。ほとんどの裁断は東京本社のトップ経営者によって直接下されるのが一般的である。だから、必然的に現地で余計な判断をして万が一にも責任をとらなければならない破目にでもなると、出世の妨げになるから、そんな災いの種は作るまいという雰囲気ができてくる。そしてこれは人情というものである。何でも本社に相談してさえおけば会社のトップは満足するし、また責任もかかってこない上に、いざとなれば日本から重役が大あわてでとんできてくれるのが日本流のビジネスだからである。
 それに海外出張所の最高責任者という肩書きを与えられて派遣されているとはいうものの、いかんせん三等重役のはしくれでしかなく、本社に対する発言権は至って弱い。大体任期をとどこうりなく果たして、日本の本社に帰ったとしても、せいぜい部長補佐か次長くらいにしかなれないのは、日本の機構からすると海外出張所長をつとめあげた人に対する当然の待遇である。
 このようなことが分りきっているので、将来がまだあるわが身を心配するあげく、消極的な活動と慎重さとを取りちがえてしまって、海外事務所長としてあたらずさわらずに任期を務めるというのはよくありそうなことなのである。
 こうして、せっかく海外にやってきて、拠点の主人公として大いに活躍を期待されている人びとが段々と保守的で消極的な姿勢を強めたあげく、石油は発見できないが出先機関はしごく安泰であるという悪循環が始まるのである。そんなことなら、まず本社の副社長くらいの地位と発言権を授けられた上で海外出張所長を命ぜられるのなら、彼らも大いに自信をもって仕事に邁進できるだろうにと思われるのだが、いかんせん日本の制度では海外勤務はまだまだ出世のための「ドサマワリ」にしかすぎない。
 さらに悪いことには、自分の判断はつとめて表面に出さず、もっぱら「イエス・マン」とだけいえるロボット代表である方が、本社にはうけがよく、会社に忠誠深い人間だという意味でより信頼されることが多い。これからの日本に必要な人間は東京本社に向って活動するよりは、むしろ外に向ってより活躍できる種類の人材ではなかろうか。私がこれまで会った人びとの中には、そこの国の、石油事情について知ろうと一生懸命勉強していた人も幾人かいたし、本当に深い知識をもとに精力的に職務にとりくんでいた人もあった。
 そして私自身の乏しい経験からしても新しい国にやって来て、その国の石油事情全般についてかなり鋭い問題意識をもつようになるまでには少なくとも二年か三年の時間がかかるのが常識である。それも一生懸命努力を続けた上で、これくらいの時間は最小限必要なのだ。
 それだというのに日本の会社が一人の人間を外地に派遣しておく期間は、大体三年位のものなのだ。そこの国の石油業界の要人たちとも親しくつきあえるようになり、ようやく第一線で仕事ができる程度の実力がついて来たと思うと、お次と交替というわけで本社の部長代理に栄転していってしまう。そしてふたたび新任のチイチイパッパの代表が日本から送りこまれてきて、新規まきなおしがくりかえされるというのが、日本の会社の十八番にしている海外人事の実情なのだ。
 これでは国際舞台で世界の石油会社と渡りあって日本の石油開発事業の基礎を確立するために代表として活躍する目的で海外拠点にやってくるのか、あるいはまた代表者になる修業をするために送りこまれて来るのかわけが分らない。修業をする目的ならば、頭もやわらかく語学力もすぐに身につく若い時代に外国生活の機会を与えてやるのにこしたことはない。それが会社としての親心のはずたし、また経営戦略の上からも、より効果的なやり方なのではないだろうか。


悲壮な大久保彦左衛門

 海外の拠点の代表者として派遣される人は日本の会社の人事に対する習慣からして四〇代の人はきわめて少なく、そのほとんどが五〇代の人である。当然のこととして子供たちが大学や高校に行っているという事情のために、家庭生活を犠牲にして単独で外地に赴任しなければならない場合が多い。どこの国に限らず、子供の教育の継続という点は、外国で生活する時の最大の悩みの種である。
 また国によっては、風俗や社会的な習慣の違いによって婦人が一人で外出することなどおよそ不可能な場所もあるし、満足な教育機関がまだ発達していない所もある。それに加えて、「天は二物を与えず」という言葉の通り、大体石油が発見されるような地域は、灼熱の砂漠地帯や極寒の山の彼方といった、自然条件がきわめて厳しい場所であることが多いから、そんなところに家族と一緒にやっていこうというには、並々ならぬ覚悟が必要になってくる。
 そして、日本人の中年の男性にはとりわけ多いのだが、自分の所属する会社のためひとすじに大変甲斐甲斐しくつらい条件に耐えながら、二年でも三年でも自分の家庭生活を犠牲にしている例が普通になっている。私のように、組織はある目的を達成するために存在しているのだから、会社への忠誠心などというものはあるべきでないと割り切っている人間には、とてもショッキングでまねのできないことだと感心してしまうのだが、日本の中年男性は実に会社に奉仕する精神に徹底していて悲壮な覚悟で海外に出かけてくる。
 このようにして、会社のために自分のあらゆる家庭生活を犠牲にして苦難に耐えているというのに、気の毒なことに石油事業をその他の事業と同じように考えてしまって知識産業としての理解が脱落しているためにそんな苦労がある意味で徒労に終っている場合が多い。大体、J・パジールの指摘しているように、「これからの組織人として最も必要とされているタイプは教養五割、専門知識二割五分、そして残りの二割五分が独創力によって構成されている人間だ」というのは確かにうなずけることである。
 このように一般的な教養の面で豊かさに恵まれていることは、最も大切な要素として、次の時代の主役になるべき人材の価値を決定づけるものになるにちがいない。 
 「専門知識の固まりのような人間は弾力性がなくて使いものになりませんな。工業高専出の人と大学の工学部出身では仕事をやり始めて五年、一〇年とたつうちにずいぶん差がでてくるみたいです。工学部で勉強して来た連中はたとえビリの成績でも何かを持っているという気がしますね」とよくいわれる理由の一つは、専門知識につりあうだけの教養が不足していると、人間としてのバランスがくずれてしまい、ついには人間の問題が理解できなくなってしまうことに大きなポイントがある。
 それはまた自己開発能力においてソフトウエアー的であるよりも、ハードウエアー的な傾向ばかりが強くなってしまうからだともいえる。この点で人間の問題を忘れてしまって、公害問題が起こってもその対策を講ずるどころか、「そんなことにかかわりあっていたら会社の営業に支障をきたしてしまう」といった態度で臨むばかりでなく、逆に専門知識を動員して責任を回避しようと試みる経営者たちのようになってしまい、人間に奉仕すべき技術や知識を悪魔のために役に立てるような過ちを犯してしまうことになるのだ。
 大体本物の専門知識というものは、概してそれが深まれば深まるほど教養としての性格をもつようになる。それはまた切れ味と振りのバランスがよくて、とても使いやすい刀になればなるほど武具としての価値以上に芸術作品としての価値が高まってくるのとまったく同じ関係にあるといえる。そうならないような専門知識ならば、それはニセモノだと判断していい。
 このように教養は社会人として活動するすべての基礎になる大切なものであるが、逆に今度は専門知識の不足がその人の活動の足かせになっている例が日本の石油開発事業にはあまりにも多いのだ。石油産業といわれる分野で生きていくのに必要な最低限の素養に欠けているために、本人の犠牲的な努力がとんだ無駄な苦労に終っていて、そこにあるのは「ただ涙をさそわれるような悲壮感だけ」ということがよくみうけられるのもこのためだ。
 何も石油開発のエクスパートである必要はないのだが、石油事業の前進基地の最高責任者として生きていくためには、少なくとも地質学や地球物理学、そして石油経済学について大学の三年生程度の初歩的な知識と、石油開発技術のイロハぐらいは素養として持っている必要がある。
 それはまた、専門知識に類するものが海外拠点の最高責任者たちにとって、一種の教養になっていなければならないという意味でもある。この点の理解がよくできていないために、日本人の悲壮感に裏づけられたせっかくの努力が現地で笑いものになっている場合があるが、そのいちばん多いのは一生懸命かけずりまわって忙しくしていることと、最高責任者としての職務を果たしていることを、取り違えている例である。そのいくつかをここで紹介すると、地震探査のパーティにくっついて砂漠の中に出かけていって、ダイナマイトの爆発に一喜一憂しているなどというのはどこの会社の所長でもよくやっていることだ。田舎にライフル銃を持って狩猟にいくと、よく村の子供たちがもの珍しそうにあとをくっついて歩くことを経験するが、これと同じことで、ドカーンと大きな音を発して砂けむりが上る光景は素人にとってものめずらしくみえるらしい。
 そして地震探査の仕事に従事している労務者たちに飲みものを配るサービスをしたりして、明けても暮れても現地人の苦労をねぎらっていることをもって国際親善だと思い、また忙しくしていることをもって仕事に精を出していると悦に入っていたりする。
 また、人里離れた所で行なわれている石油ボーリングの現場に出掛けていって何日も泊りこんだり、地下三千メートルの地層から削りとって来た岩屑(カッティング)をひろい集めながら、自分の目で石油が噴き出す瞬間を確認したいものだと張り切っている人もある。本人たちは、自分は石油を発見するために一生懸命がんばっているのだと満足しきっているのだが、こんな例などは海外拠点の代表者としてやらなければならないことが一体何なのかが分っていたいためにくりかえされる茶番劇なのだ。
 もっとも二〇億ドルという個人財産を生涯にわたる石油の仕事で築きあげ、世界一の金持といわれているポール・ゲティの『わが生涯と富』という伝記には、彼がオクラホマで初めて石油を掘りあてた時、出油に成功するかしないかの不安の中で落ちつかないまま気が狂いそうになった状況が描かれている。
 「数時間にわたって、私はほんの少しのことしか手につかなかった。そして、時計をチラッと見ては、イライラするばかりだった。百回も、あるいはそれ以上も、私は石油を掘っている現場へ行ってみようと決心し、そして同じ回数だけ、私はこの衝動を抑えつけていた……」しかしこれは、一匹狼として石油捜しにとりつかれて泥まみれの生活を送っていた二一歳の若者の話である。それもジェームス・ディーン演ずるところの『ジャイアンツ』の主人公たちが活躍する一九一六年のことなのだ。現在では、専門知識と熟練した技術をもった人びとが、手順に従って仕事を進めるのが石油開発の基本プロセスになっている。
 たとえ偉くとも門外漢の海外事務所長が、そばにつき添っていちいち心配するしないにかかわらず、石油開発の仕事はてぎわよく進められていくというのに、一心太助がごひいきの大久保彦左衛門にはそれが分らず、芝の薩摩屋敷で太助が門番と喧嘩するといってはわざわざこの人はおみこしをあげて駿河台のお屋敷から出向いていくのである。


千里の馬と名伯楽

 拠点の代表が村の子供たちのように物珍しさにひかれて、山の中までくっついて行ってばかりいたらどうしようもない。
 これはなにも現場の事情についてよく知っておこうという心がけにケチをつけようというのではなくて、現代のようにスペシャリストたちがシステムの中で活躍している時代には、現場のことは現場で働く人たち以上に精通していなかったら、代表者として全体を指揮する立場にいる資格がないといっているにすぎない。
 拠点の代表が中東の砂漠の真中でお茶くみをしている限りでは、まるで軍隊の指揮官が鉄砲をかついで歩兵たちと一緒に足なみそろえているようなものだし、一見するかぎりにおいては総理大臣が養老院を訪問するのと同じで、「あの人は責任の重い地位にあってさぞかし大変だろうに、細かいことまで気がついてなかなかよくやる人ですね……」という印象を与えるのに似ている。
 私はそれがいけないなどと狭量なことをいっているのではない。一国の宰相にとっての職責は、ゼスチュアたっぷりに不幸な人を見舞って人気稼ぎをすることではないし、戦場での指揮官の役目も歩兵と一緒になって鉄砲をうちまくることではないと指摘しているにすぎない。
 そしてそれらの人びとが職責としてやらなければならないのは、総理大臣なら、彼の代理人として社会福祉行政を担当している厚生大臣を有効に指導して広域的に成果のある政治を実現していくことであり、小隊長ならば、敵の動きに応じて最も効果的な攻めと守りを展開して戦局を有利に導くように指揮することなのだ。これと同じことで石油ボーリングや人工地震の現場でウロウロしている代表者たちの苦労は浪花節として人びとの共感を集めることはできても、日本の安定した未来のためにエネルギー源としての石油を発見するという大目標のために大いに役に立つているなどとは、お世辞にもいえないだろう。
 現代は社会機構が非常に複雑化しているために、有能な指導者たちを必要としている時代である。と同時に、これから日本がいよいよ豊かになって本格的な経済力がついてくるに従って、当然実力をもった、干里の馬がその数を増していくことだろう。そして、この干里の馬に相当する各種の組織の中には専門的な知識と技術をもった人びとが次つぎと参加してくるであろうが、それらの人材群を有効に指揮できる人でない限り、名馬を自由にのりこなす伯楽として手綱さばきをまかすことはできない。
 どの道を選ぶことが課題に対して最も有効であるかを見通し、さらに自分が手綱を握っている組織とは一体何かを理解できる伯楽に導かれない限り、干里の府は力の続く限り好き勝手に走りまわったあげく不毛の砂漠に迷いこんで野垂れ死にしてしまう。これは日本中の全組織、全産業についていえることであるが、とりわけ石油産業については特に強調できることだ。そして、指揮する力がないままこまめさだけで点数を稼ごうという程度の人びとに手綱をとられたら、日本の行きつく所は砂漠である。
 これはなにも海外拠点の代表ばかりでなく、それ以上に東京本社のトップや広く経済界全体についていえることであるが、リーダーシップに対する自覚のない人物が、石油事業や国政の代表者である場合、その損失ははかりしれないものがあるといえるのである。


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