6 裸の王様の物語



アメリ力人と日本経済

 私は日本経済の動きを、ウォール・ストリートの動静と、国際金融を支配しているニューヨークの経済ブレーンがアメリカの投資家たちに流している情報と日本に対する経済分析によって知るようにしている。といっても、何も私がアメリカに住んでいるお陰でアメリカかぶれしてしまったわけでも、日本の会社の株式をニューヨーク株式市場を通じて買っているなどという理由のせいでもない。
 ただアメリカの海外投資を専門にしている人びとの中で特に日本を担当しているエコノミストたちが、極東の経済と政治に何か変わった徴候があったら大変だとじっと日本をにらみすえていてくれる、その労力を利用させてもらっているだけのことである。私は日本の株式など一株だって所有していない。欲があると経済を見る眼に鋭さがなくなることと、大切な労働所得の一部をとてもまかせきれるだけのものが日本の経済界の中にみあたらないから、投資などする気がおきないのだ。こんなことを書けばきっと怒りだす人がいるはずだと思いながら、それを承知の上で、こういっておく。
 ことによったら私は「ヘソ曲り」なのかもしれないが、その理由はこの文章をお読み下されば分るはずだ。
 だが、こんな私とは違って、アメリカの財界と善良なアメリカの中産階級は日本にかなりの投資を行なっているから、これは絶対に損をしたくないという気持も手伝って日本の動きを真剣になって見守っている。それも欲と道づれになった鋭い鵜の目鷹の目で日本を見つめて「いったい、この極東の工業国に投資をし続けることは有望なのだろうか」と思いながら株価の動きを追っている。
 そして「一〇万ドルの投資が一年で一三万四千ドルあまりになったのだから、多分このまま持ち続ければ三年で倍になるだろう」などと胸算用している投資家がいるし、また目茶苦茶なインフレを物ともせず、それに耐えて続伸する工業生産に目を見張って、「ひとつ日本にもっと本格的な投資をやってみるか」と考えている資産家もいる。
 おまけに地元の新聞に日本の政治家と財界のお偉方が日本経済の大発展を手放しで喜んで、「デフレよりもインフレの方が景気がよくて結構だ」と放言している記事とともに、日本の手持ちのドルがこの一カ月間に二〇億ドルも増えてついに六〇億ドルになったという経済解説がのっていたりする。それに加えて「日本の円が近いうちに二五パーセントは切上げられる見込み」という巷の情報までが渦をまいている。
 これでは欲の皮のつっぱった人びとが目の色を変えて日本の動きを注目しなかったとしたら不思議なくらいだ。こんなチャンスは人生にそう幾度とあるものではない。なにしろ投資と投機が一緒に楽しめる絶好の機会なのだ。
 こうして一九七一年のニューヨークの真夏は、照りつける太陽以上に上気した人びとの熱気で湧きかえっていた。


ジャガイモ五キロ

 一週間が過ぎた。「日本政府は一ドル三六〇円を維持し、固定相場制度を堅持する方針である」と大見得をきっていた大蔵大臣が、その舌の根も乾き切っていない八月二八日、円の対ドル勘定を変動相場に切りかえてしまった。その上「絶対に円の切上げは行なわない」といっているその口で、「円切上げが二〇パーセントの場合には、経済成長率は四パーセントになるだろう」などという試算の結果を発表して、「一体あの連中は本気で何をやろうとしているのだろう」という疑惑の気持を産業界や国民の一部に植えつけたのであった。ただし、これは日本側での出来事である。
 ウォール・ストリートにはこんな矛盾だらけのニュースは正確に伝わってこないから、もっぱら「円の切上げの時期はいつか。そして切上げの幅は」といったことが円に関する話題の中心になっていた。ここでも、日本とアメリカの間には日本経済に対する認識の断絶があった。
 「日本は何しろ景気のよい国だ」という一面的な判断が、アメリカにここ何年という投資ブームをまきおこした。そして、「ぜひ自分も日本の大好況のおすそわけにあずかりたい」と思う連中のドルをせっせとかき集め、日本の企業の株式取得のために東京へ向けて送金がひきもきらなかった。おかげで「ジョイント・ベンチャー用」を含めて、ドルはせきを切ったように日本に向けて流れこんでいた。
 結果は決まりきっていて、大蔵省は「大幅な国際収支の黒字」という景気のいい発表をするのがここ数年の年中行事と化していた。日本の国際収支黒字というニュースは、UPやAPというアメリカの通信社が刻明に本国に流しつづけていたから、「日本の好況は本当に歴史以前の、神話時代以来最大のものであり、世界経済に対する日本の大勝利以外のなにものでもない」という、蜃気楼の中で、投資家達に甘い夢をもたらしていた。それは、日本経済の奇跡が生みだしたブレット・ハートの『カリフォルニア』か、ジャック・ロンドンの『クロンダイク』を思わせる、二〇世紀のゴールド・ラッシュという印象をアメリカ人達に与えさえした。
 無理もないことだ。アメリカのお人よしの中産階級は、日本の景気の中味については何も知らされていなかった。その奥深いところにあって、日本経済を動かしている基本的なメカニズムがいったい何であるかについての知識がなにもなかった。
 第一、彼らは、日本ではジャガイモが四個で百円もしているなどということや、グレープ・フルーツが一個三百円もしていたことがあるとは、夢にも思ったことがなかった。日本では八百屋の店先で、主婦がサイフの中味と相談しながらジャガイモを幾つ買おうかと迷っているなどとはつゆしらない。
 アメリカでは、グレープ・フルーツは一個五セント(一三円)しかしないし、ジャガイモは袋入りで買うものと決まっていた。スーパー・マーケットに行けば、ジャガイモの袋が山と積んであって、その一番小さな袋でさえも五キロ入りなのだ。そして五キロの袋でもせいぜい百円位しかしないわけだし、数えてみればその袋の中には四〇や五〇のジャガイモが入っているものと決っている。
 だから、ジャガイモ四個で百円、そして彼らの目からは一本二千円くらいにしか見えないスコッチウイスキーを女の子をはべらせて四万円も払って大尽遊びを繰り返す日本の経営者たちの公用の夜の生活の話を伝えきいて、ものすごい好景気だとアメリカ人たちが誤解したところで驚くにはあたらない。なにしろ、こんなおかしな日本の現状は、日本人以外の誰にだって理解できるはずがないのだから。


さまよえるオイル・ドル

 次の一カ月が経ったとき、日本には合計で七〇億ドルの外貨が流れこんでいた。それまでの手持ちである六〇億ドルに上積みして、日本は合計一三〇億ドルの外貨保有高を記録した。
 たった一カ月という短期間に、日本の手持ち外貨を二倍にする働きをした元凶は、ユーロ・ダラーと呼ばれるアメリカ生れの世界無宿だった。金融界のヒッピーだ。これはアメリカの企業が国外に資本進出して、そこであげた利益金によってほとんど構成されていた。普段はヨーロッパの通貨だてや、ドル債権となって金利の高い国に留っているのだが、世界のどこかで通貨の交換比率の変更がありそうだという情報があると、いち早く投機的な活動をする「さまよえるアメリカ・ドル」なのだ。
 現在アメリカ合衆国は海外に約七百億ドル以上もの資産をもっている。この直接的な海外に対する経済投資の約三分の一にあたる二五〇億ドルは、アメリカの石油資本に属すといわれている。そして一九六九年の統計では、アメリカの石油資本は海外から二四億ドルの利益金を本国に送金しているが、それとは別に、この年だけで約一〇億ドル位の石油会社に属するドルが、ユーロ・ダラーの形をとってアメリカ国外を放浪したといわれている。これはまさに「フライイング・オイル・ドル」だ。だから一九七一年の真夏の夜の悪夢として、日本に流れこんできた七〇億ドルのユーロ・ダラーの少なくとも三分の一くらいは、アメリカの石油資本に属しているドルだったと判断してさしつかえないだろう。
 一九七一年八月一五日のニクソン声明で、アメリカのドル危機を救うために、日本の円をドルに対して切り上げざるを得ないのではないかという予想の下に大量に流れこんだドルの札束として、国際石油資本の資金の一部は、日本の経済と金融に結果として大きなゆさぶりをかけてきた仲間だった。
 ご存知の通り、日本の政治家や財界人たちは胸をはって空いばりをしてみることが大好きである。初めのうちはGNP(国民総生産高)を使い、そしてその次には、手持ち外貨の大きさを引用して「日本の国力は世界の第三位である」などとまくしたてるのを常としていた。
 ところがアメリカや国際通貨基金(IMF)からジワジワと円切上げの圧力がかかってくると、弱気と強気の入りまじった気持の中で、「アメリカは史上始まって以来の国際収支の赤字で今困っているのだから、日本はドル防衛政策にはできるだけ協力しなければならない。しかしながら円防衛も大切である」などと分ったような分らないようなことをいって、これといった対策を講じないうちにドル売りが殺到してしまい、東京の金融市場は大混乱をきたしてしまった。
 これはまったくウカツな話だったが、日本側は、政府も財界もこんな具合に、円の相場が世界無宿として悪名高いユーロ・ダラーの投機によって目茶苦茶なまでにひっかきまわされるとは夢にも思っていなかったのである。


粉飾決算と円切り上げ

 帳面上の黒字が会社の本当の実力と同じものだったら、山陽特殊鋼は破産しなかっただろうし、山一証券が左前になってひっくり返って、政府に助け起こしてもらう必要はなかったはずだ。それだのに倒産劇が起こってしまった。ほうぼうひび割れして水もれだらけの会社が、帳簿づらは健全な会社として天下にまかり通っている例は、それを教えあげていたらきりがない。
 それが、ご存知の粉飾決算というやつである。こんな一時しのぎのやり方で、長い間人びとの眼をごまかしきれるはずがないのに、日本の経営者の一部はそれに気がつかない。あるいは、気がついていても知らん顔を決めこんで、一割でも二割でもみごとな配当をし続ける。それをやらないと、今の日本では優秀な経営者の仲間からはみ出してしまうからである。
 いくらきれいな決算書を作りあげても中味が腐っていたらお話にならないのに、こんなごまかしが日本経済の中を大手をふってまかり通っていて、これがGNP増大の一因ともなっている。
 飾りあげた決算書などいくら美しく書きあげても、遅かれ早かれ悪臭を放って崩れおちるに決っている。そして日本経済が活況を呈していると、いくら一億人がこぞって自慢げに思ってみても、日本の産業の一つ一つが本当に新鮮な中味をもっていない限り、オカメの化粧と同じことなのだ。本人はオシロイを塗りたくって美人になったと思っている。しかしいくら厚く塗りあげてみたところでオカメはオカメなのだ。厚くぬれば化粧品が余計にいって不経済になってGNPが増えるばかりだし、第一、うっかりしてニッコリとしたひょうしにひび割れができてしまったら、みっともないことこの上もない。やめておいた方が利口だ。やめなくてもいいから、せめて国がその真似をしたり、ひび割れの上塗りをするのだけはつつしんだ方がいいだろう。
 今さらいうまでもなく、国際収支の黒字というのは確かにおおいに結構なことである。誰だって、赤字が増えるよりは黒字になってもらった方が嬉しいに決っている。貯金だって、それが増えれば「通帳をながめてもわしは絶対にニコニコするなどというはしたないまねはせんぞ」とは、どんなガンコ親父でもあえていったりはしないはずだ。
 しかしここで改めて考えるまでもなく、国際収支の帳じりが黒字になるということと、貯金がたまるのとが同じ現象だと思いこむほど、日本の政治家や大蔵省のお役人がもうろくしていないはずだと期待したいものである。それどころか、彼らこそ日本を代表する最も有能な人材だということになっている。だから彼らにあやかりたいと、日本中の若者があくせくとして一流高校、一流大学と目の色をかえて勉強しながら、出世コースのエスカレーターにのりたいと目ざしているのではないか。
 ところが七一年八月一五日のニクソン大統領の新経済政策の発表のあと、日本をドルの洪水がおそって、その中で円が「アップ・アップ、アンドゲップ・ゲップ」していたというのに、大蔵省や政治家は、まだ国際収支の黒字という数字の魔術をあやつって国民をごまかし続けようとしていたのだ。
 というのは、ここにきて日本の手持ち外貨などというものは、日本経済の内容を示す指標とまったく無関係なものになってしまったことがはっきりしているというのに、このすでに破産してしまい、債権者の管理に移ってしまった古い数字にしがみついて、経済大国意識をあおりつづけていたからである。そして一億の国民が、そろいもそろっての国家的な規模で描きあげられた粉飾決算に酔って、「日本は世界有数の豊かな国になってしまったようですな」などと、すっかりうぬぼれていたのだ。
 ほとんどの日本人が、ピンは大蔵大臣からキリは総理大臣まで、日本には一三〇億ドルの外貨準備高があるといって胸をはるがよく考えてみるまでもなく、それはほとんど外国から一時訪問でやって来ているだけの、さまよえるアメリカドルではないか。
 確か八月一五日以前、日本には六〇億ドル程の外貨があった。しかしそれだって、国鉄が新幹線を作るときに、世界銀行から一〇億ドル近い借款をしたり、東京電力や新日本製鉄を始めとした日本の産業界が借りてきたものや、商社筋の投機的借金が半分近く占めていて、こんな借り入れ金として流れこんできたものまで、外貨準備高の中に計算しているのだから、まったくおめでたい限りだ。
 日本の本当の国力からすると、本当に日本に外貨として蓄積していると評価できるものは、たかだか三〇億ドルくらいのものだった。八月一五日以降に流れこんできたユーロ・ダラーは、いずれ円が適正に切りあげられた日には出ていってしまうものなのだ。それだというのに、日本を代表する最も有能といわれる人びとが、国をあげて粉飾決算まがいの数字の操作をして、国民をだまくらかして有頂天にさせていた。これは日本の円切り上げに始まる一連の悲劇の幕あけになることだろう。


大金持とエコノミスト

 昔あるところに、銀行に定期預金を百万円持っている男がいた。ちょうど、手元に五〇万円の現金を持っていたので、この定期預金を担保にして三百万円を借り、それを資本にして商売を始めようとした。そして銀行から借りてきた三百万円と、自分の持っている五〇万円の合計三五〇万円の札束を目の前につみあげて、「ヤレヤレわしも遂に三五〇万円の資産をもつだけの男になったよ」と満足げにほほ笑みながらうなづいていたそうである。
 さてそこで、彼の資産が本当に彼のいうとおり三五〇万円ならメデタシメデタシで終るのだが、これはいかにも奇妙な話といえる。というのは、彼の本当の資産は定期預金の百万円と、現金として最初から持っていた五〇万円の合計一五〇万円にすぎないからだ。目の前にたとえ三五〇万円の札束があったとしても、そのうちの二百万円は純然とした借金なのだから、彼の負債であり財産に加えられるしろものではない。
 他人から借りてきた金が自分の財産にはなり得ない位のことは、家計簿をつけたことのある家庭の主婦でも、また貨借対照表について学校で習ったことのある中学生でも、いたって簡単に理解できるタシ算とヒキ算の問題にしかすぎない。タシ算の演算をしているときに、マイナスの符号のついた数字が入ってきたとき、それはヒキ算になるというのは小学校四年生の算数だ。だというのに、どんどん日本に向って流れこんでくるマイナス符号つきのドルの札束や、ユーロ・ダラーを積みあげて、せっせと数えあげては、「日本は外貨をたくさんためこんだ豊かな国なのだ」と得意になっていたのだからどうにも始末が悪い。それも日本最大のエリートといわれている大蔵省や日本銀行のエコノミストと呼ばれる人びとがやっていたのだから、どうしようもない。
 それに追い打ちをかけるかのように、政治家も一緒になって「日本は経済大国になったのだから、円の切上げを行なってアメリカのドル防衛に協力しない限り工業国としての責任が果せない」などという思いあがったことをいい出したからおさまりがつかなくなる。
 確かに日本は、よその国に「金を貸して欲しい」などとは頼まなかっただろう。「あれは向うから勝手にやってきた金なのだ」といえるかもしれない。しかし他人の金は、どんなやり方でそれを手に入れてみても、持主がいる限り借金であることには変りがないのだ。よその国に所有権がある金をポケットに入れている限り、金持になったわけではない。それを「経済大国だ」などということを、五倍も実力差のあるアメリカにいわれたからといって、すぐに調子にのってしまうというのは余程どうかしていないか。
 これが茶番劇でなかったとしたら、いったい何であろう。それでなくとも、現代における全産業の死活権を握っているオイルビジネスの分野から眺めると、東京タワーの規模のアメリカに対してたった鉛筆一本の大きさにしかならないのが日本の正直な実力といえるのである。こんなことは分りきっているのに、「計算をした上で準備されたオダテ」にのって、マイナス付きの札束を数えあげて、大金持になったつもりでいたのだから、これはお目出たい限りだ。
 それに加えて、日本のエコノミストがよってたかって、「円切り上げを見こして有利な投資になるのは、資源を輸入している産業です。石油株なんか買っておかれたら有望と思いますが……」などというネボけたことをテレビなんかで喋りまくっていたらしい。私のところへ問い合せの手紙をよこしたあわて者がいた。
 「何をご冗談を!」とテレビの講演者にいってやりたかった。まったく日本のように石油精製産業しか持っていない国は、これから末長く石油を買っていかなければならないし、石油の値段は上る一方だ。そして今までのように、自分の好き勝手に日本の空に亜硫酸ガスをまき散らし続けられなくなって、石油会社の利益率は低下する運命にある。加えて、ドルの価値の低下分にみあうだけ石油を値上げすると、石油輸出国機構(OPEC)はすでに態度を決めている。
 さらに決定的なことは、日本の精油会社は、知識も技術も持ち合せないまま、見よう見まねで石油開発に手を染めて、「ヒトクチ屋」の仲間入りをし始めた。だから近いうちに下手をすれば、粉飾決算なんかではとても覆い切れないような大幅な赤字を出して、「左前」にならないとも限らない状態にあるのだ。それをよりによって、「精油会社に投資しておいたらお得です」などと親切に助言してくれる人がエコノミストだというのだから、あきれてしまう。もっとも損をするのは、それを信ずる人なのだから、当るも八卦当らぬも八卦でいっている人には責任が及ばないわけだ。


王様を見る眼

 日本には、経営者やエコノミストという立派な肩書きを持った人はたくさん存在するというのに、「裸の王様」が裸であると指摘できる目の澄んだ人がいない。いうならば、みんなが偉すぎて、日本経済をすなおな気持でみつめられないのだ。だからこそ、初めに私は、ウォール・ストリートを通じて、この高尚で複雑怪奇な日本経済の動きを観察しているといったのである。
 アメリカの投資家ときたら、実に欲ばりで、まるで子供がお菓子を見つめるときの眼つきをしているが、そのお菓子が砂糖ではなくてチクロの甘味をもっていることをいち早く見抜いて、「日本は裸の王様なんだぞ」と指摘できるつむじ曲りも混っているのだ。そして「王様が得意になっているこの時に、少しばかりおだてあげて日本の経済力をへし折ってしまった方が、アメリカ経済にとって得になる。また、それをやるのは今しかない」とニクソンの側近に入れ知恵した者がいたらしいと、私は芝居の荒筋を読んだ。だからこそ「おぼれる者はワラをもつかむ」の言葉の通り、まず水の中に入っておぼれてみせて、筋書き通り投げこんでもらった材木を手にして岸にはい上ってくると、今度は「義を見てせざるは勇なきなり」といい気持になっている、義理固い日本人のむこうずねを横に払い倒すことに、まんまと成功したのであった。
 これが、不況と円の浮上で日本経済をまったくヘナヘナにしてしまったお粗末な芝居の内容の一端だが、こんな子供だましにひっかかって、日本は戦後二五年かかってせっせと貯えてきた小さな実力をはぎとられて、本物の裸の王様になってしまったのである。こんな単純な筋書きは、財界や政界と一緒になって一喜一憂している日本のマスコミ界の複雑な報道からは、読みとれるはずがない。
 重ねていうが、それだから単純さを好む私は、ひたすらウオール・ストリートに目を向けて、そこからの情報で日本経済の動きを追うことにしているのである。


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