7 日米関係のアキレス腱・石油



反日感情の胎動

 太平洋が波立っている。そしてその両岸に位置している日本とアメリカが、くだけ散る荒波の飛沫をあびて、お互いに相手の方角から吹きよせてきた風のせいだと思いこんで憤慨し合っている。
 こうしたお互いの思いすごしと、ひがみっぽい気持が、転機にあるといわれていた日米関係を少しずつ悪い方向に変化させる原因となり、両国の友好関係を、繋争の渦の中にひきずりこみかねない気配を濃厚にし始めた。それが最悪の状態で現われてしまい、なくもがなの緊張を生みだしたのが、一九七一年八月一五日の、ニクソン大統領による新経済政策の発表だったことはよく知られる通りである。
 まず、金に対するアメリカドルの交換性停止という措置は、それまでアメリカ政府のことばを信頼しきって、六〇億ドルもの手持ちのドルを金と交換することを怠っていた日本政府の横つらに平手打ちを食わせた。そしてそればかりではなく、日本国民に、少なくとも一〇億ドル(二千七百億円)もの資産を失わせてしまうという事態をひきおこした。もっとも、これはアメリカ政府だけが悪いのではなく、それ以上に、このような事態を予測できないまま、通貨調整において主体制のない政策をとり続けてきた日本政府自身に大きな責任がある。みすみす分りきっているのに、財政上の対策を講ずることを怠って国家に大損害を与えた今回の大失政は、もっと声を大にして非難されてしかるべきものだろう。なにしろ、政権を担当している人に要求される資質こそ、最も分析的で冷静、かつ現実的な判断力だからである。
 さて、それはともかくとして、その後のユーロダラーの投機的な動きによって数十億ドルもの札束が流れこんできて、日本の手持ちのドルは一瞬のうちに百億ドルの大台を越えてしまった。しかし、このアメリカで印刷されたドル紙幣は、いったいいつその価値が大幅に下落して、その所有者に莫大な損害を与えるのか予想できない代物なのだ。現に、アメリカドルの買物を拒絶する商店や、ドルの交換を見合わせている両替商や銀行が続出していることは世界的な傾向になっている。
 こんなわけで、わが国の通貨の円に対する国際投機により日本にドルが殺到してしまい、持ちなれない大金を前にして政府は主脳部が茫然自失している間に、真夏の東京はドルの洪水の中で中枢機能の半分がマヒしかけたのだった。それにもかかわらず、肝心な金塊(ゴールド)は一ドル分さえも集まってはこなかった。そして一オンス(約三〇グラム)三五ドルという標準価格を四〇年近くも維持し続けてきた金が、みるみるうちに二〇パーセントも値上がりしてしまい、何と一週間後には四三ドルの市場価格がつけられてしまった。
 さて、この平手打ちと同時に、日本の下腹を蹴りあげる作用をしたのは、いわずとしれた、アメリカに向けて輸出された製品に対して軒なみ一〇パーセントの輸入税をかけるという決定だった。この国際慣行と、「ガットの精神」を無視した輸入付加税や、日本の通貨「円」に対する交換比率切上げをするようにというアメリカ側からの圧力等については、すでに多く論じられている通りである。なにしろ目本経済の土台を揺ぶる重大問題である以上、各界を代表する識者たちが総力をあげてそれに取りくんでくれているので、私が口をさしはさむ必要がないほどだ。実際、全日本の知識力を投入するだけの内容を合んだ緊急課題として、敗戦後最大ともいえる充分な重みをもつ問題なのだ。ここで手を抜いてしまったら、日本の運命はおおいに狂ってしまうだろう。
 このようにして、われわれが日米間の、特に経済関係に注意力を集中しているとき、この派手なアメリカ大統領の行動のはるか彼方の方角に、ある種の不気味な反日の空気が、合衆国内に胎動し始めていることを発見して愕然とさせられてしまう。そして万が一にも、この反日の感情が将来の日米両国の拮抗の原因にでもなってしまうようなことがあるとき、日本の運命にとって致命傷になりかねないのが、石油問題における両国問の利害の対立なのである。そして身の毛もよだつような光景が想像できる。
 それだというのに、大変心配なことに、石油資源をどうするかという問題では、すでにかなり強力な反日の空気がアメリカ合衆国の一角に盛りあがっていて、今にも火がつきかねない様相を呈しているのだ。ただ、日本では誰一人としてそれに気がつかないまま、アメリカの一〇パーセントの輸入税と円切上げの問題にばかり気をとられているのである。


アメリカの誇り高き石油産業

 アメリカ合衆国の各種産業の中で、最も強烈な誇りと自信を持っているのは石油産業である。それだけに、この産業部門における問題意識のあり方については、非常に興味深いものがあるのだが、困ったことに、このアメリカの石油産業の内部に頑張っているのは、よその国に対する強烈な優越意識なのだ。
 そして、この「優越意識」という非常に複雑かつ難解な心理現象は、時によるととても楽天的な様子をすることもあるのだが、場合によっては逆にたいへん排他的になる。それは多くの場合、反英、反仏、反オランダ、反ベルギー、反カナダ、反日本、反ヨーロッパ、あるいはまた反アメリカ以外の国というような形をとって現われてくる。それだけに、うっかりするとその本質が分らなくなってしまうという、大変厄介な性質をもつ問題である。
 これは、基本的には石油というものを通じて、アメリカ人たちが獲得した一種のエスノセントラリズム(中華思想)なのだといっても、さしつかえない。この点をよく納得するためには、まず合衆国における国民感情と、その中に占めているアメリカの石油産業の重要度というものを明らかにすることが必要になる。
 われわれ日本人には比較的に馴じみが薄い考え方であるために、実感として把えにくいが、石油産業は、地上最大の産業(ザ・ビゲスト・ビジネス)であり、アメリカは世界に誇る石油王国として、現代において最大の規模で、石油資源とこの産業を完全に支配している国である。
 特に自由経済世界における石油生産の七七パーセントが、アメリカ系石油資本の勢力下におかれていることを考えると、二〇世紀におけるアメリカの台頭と世界経済の支配者としての地位は、まさに石油によってもたらされたのだといっても決していいすぎにはならない。この光栄に満ちた王座の地位を獲得した原動力は、石炭に代って石油をエネルギー源の中心にもっていく努力の中で、アメリカの石油資源が、世界の石油資源の支配権を手に入れることに成功したおかげであった。だから石油産業は、アメリカ全産業の中で最も代表的なものになり得たのであるし、またその実力のほども、他の産業分野を圧倒的にひきはなすだけのものを蓄積できたのだった。
 ちなみに上の表をみていただきたい。これは、売上高から見たアメリカの五〇大企業を産業別に一位から一〇位、一一位から二五位、そして二六位から五〇位までを企業別に分類してみたものである。
 データは、アメリカの雑誌『フォーチュン』の一九七一年五月号に掲載されている、アメリカの五百大企業という統計にもとづいている。
 さてこの表で明らかなことは、アメリカの産業構造の中において、いかに石油産業が圧倒的な優位を誇り、しかも抜群の実力を持っているかということである。何しろ、アメリカの五〇大企業の二五パーセントに相当する部分ともいうべき一三社もの石油会社が、この表には顔を出していて、その独占的地位を堅持しているからである。 これは第二位の電機産業の二倍に相当し、しかもわれわれがビッグスリーの名前で耳なれている、アメリカの花形と称される自動車産業をはるかにひきはなしたまま問題にさえしていない。
 このように、自他ともに認められている圧倒的な実力を石油産業は持っていて、アメリカの繁栄の原動力になっているだけに、アメリカは石油とともに発展した国だということを、アメリカ人たちは子供の頃から盛んに教えこまれている。
 またそれだけでなく、アメリカこそ、石油産業を一つの産業に育てあげることに成功した唯一の国だという考えを叩きこまれているのだ。だからこそ、アメリカの世論の底流の中には、石油と結びついたアメリカの運命に対して強烈な執着心がひそんでいて、それが「偉大なるアメリカ」に対する自信のバックボーンを構成している。
 このことは、われわれ日本人のように「世界で最も石油資源を持たざる国民」にはなかなかに理解しにくいことであり、それだけに今までも、アメリカが石油とこれほどまで緊密に結びついていることにさえ、気がつくことがなかった理由がそこにあるのだし、またアメリカ人が石油をもって繁栄のシンボルにしているのが、いったいなぜなのか、納得できなかったのである。
 それどころか、自動車こそ最も代表的な産業だという誤まったイメージで、アメリカ経済を見てしまうという習慣を、われわれは知らず知らずのうちに身につけてしまったのだ。それが特にひどかったのは、日本のエコノミストとマスコミであり、彼らの色メガネごしの判断こそ、国民に誤まったアメリカ観をもたらせてしまった最悪の教師の役目を果したのである。


西方の野蛮国

 このように、アメリカの石油産業の内部には、「合衆国に世界経済の支配を握らせるため、最も活躍してきた立役者は、自分たちである」という強い自信がみなぎっている。それだけに、「とにかく、石油ビジネスに関しては、われわれアメリカのやり方について横からとやかく言って欲しくないものだ」と思っている風潮さえ、アメリカ人たちは持っている。
 だからこそ、このことを称して私は、「アメリカにおける石油を通じた中華思想だ、といったのである。なぜならば、石油文化の中心地として花ひらいたアメリカという位置づけがまずそこにあり、この繁栄と安寧をおびやかす恐れのある四囲の蛮族として、先に列挙したヨーロッパ諸国や日本が想定されているからだ。
 実際、世界第二の石油会社という輝かしい地位を確保している英蘭資本のロイヤル・ダッチ・シェル石油会社にしても、その売上額の三分の一、利益高の二分の一はこのアメリカ市場を通じて獲得している。だからこれはアメリカ人たちの思い上がりだとばかりは言えない面もあって、確かに石油に関しては、アメリカは今をときめく王国なのだと認めないわけにはいかない。そしてこの王国の花園をうかがう西方の獰猛な蛮族として、日本がすぐに引き合いに出される。これがアメリカの石油産業における反日感情を芽生えさせる基本的なプロセスなのである。
 そこでわれわれが、特に関心を持たざるを得ないのは、その中に含まれている反日の気運というものが、いったいどのような種類のものであり、またそれがどの程度の深刻さをもっているかという点だろう。
 まず、どのような種類のものかというと、それはいろいろなものがあるが、大きく分けて三種類になる。
 第一に、日本人は収穫がありそうだとみると、愛想笑いを浮べてもみ手をしながらやってきて、われわれが築きあげた市場にわりこんでくるのだが、何か苦労を分ちあわなければならない情況になると、知らん顔をきめこむ隣人であるという感情がその代表的なものだろう。これはべつだん石油の場合にだけ見られるものではなく、昔からことあるごとに登場してきた、日本人に対する苦情のうちで最も一般的なものなのだ。国家間の意見の調整よりはむしろ、商社取引きという採算ベースの方に、より密接に結びついている日米関係では、この種の不信感がついてまわるのは、ある程度やむを得ないことだった。実際問題として、日米両国間の意見のくい違いの原因として、しばしば太平洋を波立たせたもののほとんどが、この種類の行き違いにしかすぎなかった。
 しかし、相互不信はもとより、一方的な不信感というものは、ともするとまったく予期しないような不都合を招く結果に終ることが多いので、この点については細心の注意を払う必要があるだろう。なにしろ、こういった信頼感の欠除は、それが最も単純な心理現象であるだけに、非常に危険であり、時と場合によっては、最も先鋭的な反日感情の旗手になりかねないからだ。
 現に、われわれの記憶にまだ新しい日米繊維交渉のこじれのためにアメリカ国内の対日感情が急速に悪化して、一九七一年八月一五日の、ニクソンの保護主義的な経済政策を打ち出す基礎を作ったのも、同じような経過に基づいている。
 さて、第二番目のものとして、これは最も一般的なものなのだが、アメリカの石油産業は独自の力で今日の経済王国を築きあげ、合衆国に繁栄の道を切り開いたのだから、その中に「ヨソ者」の侵入を許すなという感情である。この場合、特別に反日といった形をとるとは限らず、聖域に近づいて来る外国人たちに対して、アメリカ人は反射的な身構えをもって、この態度を貫いているのだといえる。
 ヨーロッパ資本のロイヤル・ダッチ・シェルが、太平洋岸のカリフォルニアと中南部のオクラホマに上陸して、アメリカの油田と市場に進出したときも、アメリカのオイルマンたちはこぞって不愉快きわまりないという態度をとったことは、すでに歴史的な事実としてあまりにも有名である。
 また、アラスカの石油開発において、地元のアメリカの石油会社をしり目に莫大な石油資源を獲得して、北極洋のパイオニアとしての名誉を確保した、イギリス資本のブリティッシュ・ペトロレアム会社に対してのアメリカ人たちの態度の中に、実に険しいものがあったことはまだ記憶に新しい。一〇億トンという、この会社が所有する大量のノース・スロープの石油を背景にして、新たにアメリカ市場への進出を計画したイギリス資本に対して、「歓迎せず」と声を大きくして発言したアメリカ人たちがつぎつぎと現われたほどである。
 現に、アラスカ横断パイプライン(アリエスカ・パイプライン)の建設がいまだに見通しさえ立たないまま凍結状態にあるのは、その最大の原因とされている自然環境保護対策という問題の背後に、もう一つ目にみえない政治的なものがあるからだといわれている。そして、それが実は、スタンダード・オイル・オブ・オハイオの経営権を完全にその支配下に収めたブリティッシュ・ペトロレアムに対する牽制のためらしいという噂が、まことしやかにささやかれているほどなのだ。このように聖域を守るアメリカ人たちの気持の中には、建国以来のピューリタン的な厳しさが貰かれているようだ。
 さて、第三番目のものとして登場するのは、アメリカの将米との結びつきにおいて、特にその繁栄を保証するエネルギー源の確保という点での、アメリカ人たちの不安感を背景にしたものであると指摘できる。
 これは、きわめて重要な問題であるにもかかわらず、日本側では、ほとんど関心が払われていない。それだけに大変心配な要素を含んでいる。というのは、この問題こそ、将来において、万が一にも日米両国間にエネルギー源の確保に関係して、何らかの摩擦が生じたときに、日本の運命にとって、壊滅的な打撃を与えかねない破壊力を含んでいるからなのである。そして現実にアメリカ人たちの中で、この問題の成りゆきについて本当に苦悩しているのは、将来を見通す鋭い目をもった人と、両国の内部事情に理解をもっている少数の、それも日本に好意的な立場にある人びとなのである。
 また以上述べた、大きくわけて三種類の異なった背景を持つ反日感情の要因となるものが、いったいどの程度の深刻さを持っているかについては、ひとくちでこの程度だと言いきれないくらい複雑なのである。
 しかし、少なくとも、さきに日米関係の行く手に暗雲を呼びおこした、繊維製品の規制や電算機等の自由化の問題をはるかに上まわるものであるだろうということは、予想するのに困難ではない。なぜならば、石油産業こそアメリカ合衆国そのものだからだ。


高まる危機感

 さて、ここで、なぜアメリカにおいて石油の問題が深刻な様相をおび始めたのかという点について詳しくふれてみることにしよう。その最大の理由は、アメリカにおけるエネルギー源の七五パーセントを占めている、石油と天然ガスの需要と供給のバランスが、一九七〇年を境にして、大きくくずれ始めてしまったためである。
 図をみても分る通り、一九七〇年まで保ち続けてきた、一日当り四〇万トンの輪入という数字が突然大きくバランスをくずしてしまい、一九七〇年以降アメリカは、海外石油の輪入に対する依存率が大きくなる一方という事態を迎えた。それだけに、ここにきてアメリカ国内に高まっているエネルギー不足に対する危機感の中には、非常に深刻なものがあって、特に私のように石油産業の渦中にある人間にとっては、他国のことながら「これはただごとではないぞ」と思われる切迫感を伴ってせまってくる。
 この事実を端的に物語っている文章を、私はあるアメリカの大手石油会社の社長が決算報告書の中に述べているのを見つけたので、少し長いが引用してみる。
 「アメリカは長年にわたって、莫大なエネルギーを効果的に利用するリーダーとしてその地位を世界に誇ってきた。事実、そのおかげで長期問にわたって、力強い経済成長と高度な生活水準を維持してきた。その原動力は安くて豊富なエネルギー資源を開発し、安定供給する努力がたゆみなく続けられたことであった。特に石油と天然ガスの両者がエネルギー源として熱交換の中心になっていることは、まず第一に特筆すべきだろう。現に世界人口の一七分の一をもつアメリカが世界中のエネルギーの三分の一を消費しているが、これがアメリカの繁栄にどれだけ役立っているかについては、はかりしれないほどだ。
 アメリカ合衆国の全エネルギー消費量は、石油に換算すると一日四四〇万トンに相当する。その内訳をみると、石油と天然ガスが全体の七六パーセント、石炭が二〇パーセント、そして残りのほとんどが電力である。そして原子力発電は、いまだに一パーセントにも及ばない。
 またアメリカの総エネルギーの需要量を、ひかえ目に長期的な展望をしてみると、次のような数字になる。 まず一九七〇年を一〇〇とすると一九八○年には一五〇、そして二〇〇〇年には二〇〇から二五〇のエネルギーを合衆国は必要とする。同様に、石油と天然ガスの占める割合は、一九八○年には七〇〜七二パーセント、そして二〇〇〇年には、六五〜六八パーセントと予想される。
 それでは、この数字はいったい何を物語っているかというと、実はこれはビックリ仰天するあまり、茫然自失するに価する数字なのである。
 現在アメリカは、一日に合計三四〇万トンの石油に相当する、二一〇万トンの石油と、一三〇万トンの石油換算の天然ガスを消費している。そして、一九八〇年にはそれが四七〇万トンになり、二〇〇〇年には七百万トン以上、ことによると八百万トン以上の石油を一日に使う計算になる。アメリカの国防ということを考えるなら、このエネルギーのほとんどをアメリカ内部に確保しなければならないことはいうまでもない。またアメリカのエネルギーは、アメリカ大陸の中において確保することは、アメリカの安全のために、何ごとにもかえられない至上命令なのである。だからアメリカ大陸において、合衆国の産業の未来をかけて、エネルギー資源の調査と開発に対して努力を傾けることは、全アメリカの石油会社にとって社運をかけた使命といえる。そしてこれをやらない限り、われわれは生き残ることができないのだ。当然これらのこともう一度現実の中で直視して、覚悟を新たにしなければならない。それに数字の大きさに驚いているばかりでは、何の解決にもならないことも明白である。
 さて、紀元二〇〇〇年までのこれから三〇年間に、アメリカは石油と天然ガスを、エネルギー源として五二〇億トン消費するのは、先にみた数字からも明らかだが、現在アメリカ合衆国が国内埋蔵量として確認している石油と天然ガスは、百億トン程度にしかすぎない。
 果してアメリカの石油産業は、この不足分四百億トンに相当するエネルギー源を、きたるべき三〇年間に確保することができるのだろうか。私は、石油会社の経営を担当する責任者の立場にありながら、制限つきという条件でしか、イエスと答えることができない。
 その条件というのは、ワシントン政府と合衆国国民が、エネルギー危機に対して真剣な気持で何とかしようという体制に足なみをそろえることである。
 その上で、アメリカを破滅から救うために、われわれの経済力と工業技術を、この莫大な危険が伴う事業に対して集中することである。それはまた、アラスカのノース・スロープの石油や天然ガス、カナダのタールサンド、そしてコロラドに眠っている石油頁岩鉱床の開発に一刻も早く取り組むことを意味している。
 そして、これらすでに知られている資源に加えて、未知の石油と天然ガス資源の確保とその開発に、より積極的に取り組まなければならない。また、アメリカは、いかなる犠牲を払っても断じてそれをやり抜かなければならないのだ。
 もし、アメリカの石油産業がそれを成しとげ得ないならば、アメリカの安全は失われ、アメリカの繁栄は終りを告げるだろう。そのためには、われわれの挑戦に対して全従業員はもとより、株主各位は広い視野をもって、協力を惜しまないで欲しいと、私はおおいに期待してやまない。そして紀元二〇〇〇年以前において、エネルギー消費量の割りあてと配給がアメリカにおいて制度化されるであろうということに関して、私は確信をさえ持っているのである」


アメリカ最大の国難

 このように、アメリカ全土にみなぎっていたエネルギーに対する危機感に一抹のやすらぎの気分をもたらせ、アメリカ人の心の中に、ある種の満足感にも似た感情まで芽生えさせたのは、一九六八年の、アラスカのノース・スロープにおける大油田の発見だった。それが北アメリカ大陸における最大の規模を誇るといわれるものだっただけに、アメリカ国民がおおいに喜んだのは当然のことだろう。
 おかげで少しずつ減少する傾向を示していた合衆国の石油埋蔵量が、かなり大幅な変化を示したので、このことをもってエネルギーの不安から解放されたのだと、早合点してしまった人びとが、数えきれないほどたくさんでるという有様だった。そして有頂天になった人びとが、ウォール・ストリートを舞台にして派手な石油投機を行なって、ニューヨーク株式をおおいに混乱させるという出来事まで起こったのだが、これをみても、アメリカ人たちの熱狂的な喜びの一端が想像できるだろう。
 あるいはまた、「自分は七〇億トンの石油がノース・スロープに存在していると確信する根拠がある。だから、公式に一五億トンと発表されているノース・スロープ石油の推定埋蔵量は、あまりにも少なく見積もられすぎていて信ずるに足りない。これには何か政治的な配慮があるのではないか」と主張する石油関係者まで登場して、マスコミに派手に扱われたために、石油危機の悪夢から解放されたいと思っていた善良な一般アメリカ市民たちは、いったい何を信じたらいいのかと迷うほどであった。
 次の表を見ても分る通り、減少加減のアメリカの石油と天然ガスの埋蔵量が、ノース・スロープのおかげで減少にストップがかかったばかりでなく、もしそれがない場合には、一〇二・九億トンに落ちるはずの一九七一年の数字が、一挙に一二二・八億トンと二割もはね上がったのであった。このことが心理的な面で、いかに多くのアメリカ人たちに満足感を与えたかについては、アメリカ以上にエネルギー危機が接近しているのに、それにまるで気がつかず、アメリカを対岸の火事として眺めているだけのわれわれ日本人にも、充分に理解できるはずである。
 しかしここでもう一度、あのアメリカの石油会社の社長が、株主に報告していた文章の内容を思い出してみることにしよう。
 報告文によると、アメリカは確か、これからの三〇年問に五二〇億トンという莫大な石油と天然ガスを必要としているのであった。何しろ、一九七一年一〇月現在における、ソビエト圏を含む全世界の埋蔵量が約九百億トンというのだから、なぜアメリカが将来をみこして深刻な危機感に悩まされているかが納得いくであろう。もっとも今後の技術革新によって大陸棚の開拓や、南米、アフリカ西岸、中国やシベリアの内陸に眠っている石油が開発されることもおおいに期待できる。
 それにも増して、採掘効率を高める新技術の火攻法やプラズマ攻法の開発によって、より多くの石油が人間社会にもたらされるだろうが、それでも千五百億トンが限度であろう。そして、これは汎地球的に考えてのことであって、アメリカの石油危機を救う直接的な力にはならないのだ。
 こういった点で、何と日本人がのんきなままでいるのかと心配になる。これからの三〇年間に、日本だって百億トン近くの石油を必要としているのに、われわれは一億トンすらも石油資源を持っていないのだから。この点、アメリカを対岸の火事のように見ている日本は、正直いって煙のでる火種の石油がすでに欠乏しかけていて、火事にさえならないのである。
 さて再びアメリカの問題に戻ると、現在一二三億トンの埋蔵量しか持っていない合衆国は、これだけの石油と天然ガスでは、二〇世紀の残りの三〇年問の自国の消費量の、わずか四分の一しかまかないきれないばかりではなく、一九七〇年代が終らないうちに、現在手持ちの理蔵量をさえすっかり使い果してしまう予定なのだ。そうなると、たとえノース・スロープで発見された一五億トン足らずの石油を全部汲みつくしたところで、今後のアメリカ合衆国における石油危機は、とても回避できるものではないことがはっきりする。それも、あとわずか一〇年後にさし迫っている重大な危機なのである。これが、アメリカにとって最大の国難でなかったとしたら何であろう。


遂に大統領が動き出す

 このような状況下にあって、一九六八年と一九六九年の頃は、アラスカに起こった石油ブームの名残りと、新しく社会問題化したポリューションに気をとられていたアメリカ人たちも、一九七〇年になると、再びエネルギー問題をとりまいている現実の厳しさに気がついて、非常に深刻な気分にならざるをえなかった。
 それに加えて、環境問題のクローズ・アップによって建設準備が進められていた、アラスカ横断パイプライン(アリエスカ・パイプライン)の安全性と生態環境保護が大きな議論となった。これは石油産業にとっては手痛い打撃であり、アメリカ自身にとっては、エネルギー源の確保と環境破壊に挟まれた中で、両者を調整するというジレンマを解決しなければならないことを意味していた。
 ロスアンゼルスを始めとしたアメリカの各都市の空気は、東京や四日市ほどではないにしても、スモッグによって汚染されて大きな社会問題をまきおこしていたが、一方では不安定に変動する灯油や暖房用のガスのたび重なる値上げによって、市民の日常生活の中にエネルギー不足への恐怖心が呼び起こされていた。
 実際、数多くのアメリカ人たちの記憶の中には、第二次世界大戦初期の思い出が根強く残っていた。それというのは、ドイツ海軍のUボートによって、ボストンやニューヨークを始めとした東海岸の各都市向けの油槽船が次々に撃沈させられたために、ベネズエラ産の石油の輸入が途絶えてしまい、まったく暖房なしにマイナス二〇度という厳しい冬を二度も過ごさなければならなかったときの辛い思い出がよみがえってきたからである。
 だからこんな一般心理をたくみにとらえて、大手の石油会社は、「石油こそ高い生活水準を維持していくための、アメリカにとっての生命線である」という意味のことを、マスコミ界を総動員して国民に訴え続けた。そして、「公害を防止して健康的な生活環境を」と叫んで反ポリューションに強く傾斜していたアメリカの世論を、「エネルギー危機からアメリカを救おう」という側にひきもどそうとして一生懸命になった。
 なにしろ石油会社は、一九六八年のノース・スロープの大油田発見以来、すでに二〇億ドルという彪大な金をアラスカ北部に投資していたが、石油はいまだに一滴も現金化できていなかった。当然アメリカ経済の繁栄を背負いたっているという自負心の強い石油産業が、アラスカの立ち往生をそのまま手をこまねいているはずがなかったから、あらゆる手段を使って事態を改善しようとつとめたのである。
 こうした状況下の一九七一年六月四日、反ポリューションを叫ぶ国民と、エネルギー危機を訴える石油資本の間にあって、それまで二兎を追って両方にニクソン・スマイルを送り続けてきたホワイトハウスの主人公が遂に決断を下して動き出すことになった。ニクソン大統領はこの日議会に対して、エネルギー問題に関する特別教書を送ったのである。そしてエネルギー危機への対策の重要性と、建国以来最大の試練に直面しているアメリカを救わなければならないという点を強調して、アメリカの石油産業に対して大きな激励を与えたのであった。この日、全米に中継されているテレビの前では、二億人のアメリカ人たちが、エネルギー危機に対してふたたび大きな恐怖心を植えつけられていたのであった。


試練の中の日本

 アメリカの世論の中に、石油資源の確保はアメリカの繁栄を守るためにどうしても必要なものだという意見が、すでに一九六〇年代の半ば頃にはほとんど顔をそろえていた。しかし、中東やアフリカの石油権益の八割は、アメリカの石油会社の手の中にガッチリと抑えられていたし、インドネシアの石油生産の九八パーセントは、アメリカの会社が行なっており、そのうちの八三パーセントはカルテックス石油会社単独で支配していた。アメリカの石油資本にとって恐れるに足りる相手は、いくつかのヨーロッパ系の石油会社の油田発見能力と、未知数ながらアメリカと張り合って、世界第二位の産油国の地位を確保しているソビエトの技術内容だけだった。
 あとは国有化によって、いくつかの有望な油田を支配している、石油産出諸国側の政治的な出方に気をつけてさえいればいいというのが、一九六八年頃のアメリカの石油業界における一般的な気分だった。アメリカ国民も、アメリカの石油産業の持っているこの自信と楽天主義に対して、すっかり信頼しきっていた。
 ところがなのである。まず第一に、アラスカでの大油田ブームの中身が一般に知らされてみると、その全埋蔵量の半分以上がイギリスの会社の支配下にあったということなので、普通のアメリカ人たちはおおいに失望させられてしまった。アメリカの石油資本は世界最強という自信を持っていたのに、こともあろうに、起死回生と期待していた自分のホーム・グラウンドで、イギリス人にしてやられたなどというのは、まったく信じ難いことだった。
 どこの国でも、観衆というものは地元の代表ビイキなものである。それでも一九六九年冬のアンカレッジで行なわれた国際入札のときには、約一〇億ドルという史上最大のボーナスを払った上で、合衆国の名誉をかけて、全埋蔵量の四〇パーセント近い部分をアメリカの石油資本が確保して、どうにか面目だけは維持したのであった。
 このようなわけで、すっかり苦りきった気分でいたアメリカ人たちの耳に、今度は日本が、アラスカの石油の分け前にあずかるために動き出したという情報が、太平洋の彼方から伝わってきた。それも日本の財界が総力を結集して、二億ドル近い資金をかき集めて石油会社を作り、アラスカのノース・スロープに進出する準備を始めたというのだ。そこでアメリカ人たちは、神経を集中して太平洋の向う側で進められていることを注視したのだった。
 石油関係者なら、有利な条件でならば、石油や石油の採掘権をよその国に転売するなどということは、日常茶飯事でまったく問題にさえならないことだ。それに資金力に恵まれている相手とならば、その国籍を問わず一緒に手を組んで大きな事業をやることなど、至って常識的だった。第一、日本人がどんなに札束を持ってきても、石油を掘るという仕事は、蓄積された地質学的な知識と、アラスカの極寒気候の中で長年仕事をやってきたという経験に基づいた技術が、成功の決定的な鍵となることは分りきっていた。だからそれを持ち合わせていない日本人には、アメリカの指揮がない限り、何一つできるはずがないという自信を、アメリカの石油会社は充分にもっていて、落ちついた気分で日本の動きを追っていた。むしろ、喜んで日本のアラスカへの進出を迎えようというくらいの、たっぷりとした余裕さえあったのだ。
 ところが、一般世論となると、その点いたって単純な判断だけで割り切ってしまう。ましてや、エネルギーに対する危機感をあおりたてられていた最中のことだからひとたまりもなかった。「なんでアメリカ自身が石油資源の不足でとても困っているとき、わざわざアラスカの貴重な資源を、日本なんかに売ってやる必要があるのだ」という、いたって感情的な意見が登場してきた。
 そして、こういう意見が長らく世論の底流の中でくすぶり続けたあとで、われわれ日本人に対する公然とした一つの問題提起として現われてきたのが、一九七一年秋に書かれた二通の手紙なのである。
 ウイスコンシン州出身の民主党上院議員、ウイリアム・プロクシマイアーは、アラスカ横断パイプライン問題に関係して二通の手紙を書き、これを一般に公開した。一通目は、独禁法に関係した反トラスト法審議部長のリチャード・マックラレーンあてのものだったが、問題は二通目であった。それは内務長官のロジャース・モートンにあてた手紙で、その内容は、ノース・スロープで生産される石油の二五パーセントを日本に売却するということに対する、強烈な反対意見で満たされていた。
 概要は、「だいたいノース・スロープの石油は、アメリカの需要と供給のアンバランスを埋めるために絶対に確保しなければならないのに、こともあろうにその一部を日本に売るというのは、反国家的行為である。これを断乎阻止する法案を、議会に提出する用意がある」といった内容のものだった。そして本当に彼のいった通り、この法案が議会に提出された段階でこの原稿を書いているのだが、これは日本にとって、何か暗い、そして不吉な前途を感じさせはしないだろうか。
 だいたい、プロクシマイアー上院議員のことばは、私が先に述べた三つの反日感情の全部を背景にして成りたっており、しかもアメリカの利益をすべてに優先させなければ、合衆国の繁栄と安全は損われてしまうのだという点を、エネルギー不安におびえているアメリカ国民たちに訴えているという意味で、大きな力を持っている。それとともに、日本は必要としている石油の八割以上を外国の石油資本に依存しており、しかもまた全体の九九・七パーセントという、輸入石油の六割をこす量を、アメリカの石油会社からの供給にあおいでいる。
 だから、アメリカで小さな炎をあげようとしている日米間の石油問題でのトラブルに対して、今ここで真剣になって対策を講じて、感情的な行き違いを解消するようにしておかない限り、近い将来取りかえしのつかないような事態をひきおこさないとも限らない。現在小さく燃え上がっているこの鬼火を消す機会は、きわめて限られた時間内にあるのだということを、日本の政治・経済を動かしている主脳陣はおおいに自覚する必要がある。
 何しろ石油の問題で、日米間に摩擦があった場合を考えると、石油ビジネスにおける気の遠くなるような実力の差と、国内にエネルギー源がなくて、アメリカの資本にそれを依存している日本の立場を知るにつけ、日本が国家として存続するのさえおぼつかなくなるのではあるまいかと、たやすく予想ができるからだ。
 重ねていうが、石油に関する日米間の相剋が、万が一にも将来起こるようなことがあったら、それは日本の終りのときになるであろう。そのときは、繊維交渉やコンピューターの自由化、あるいは鉄鋼規制などとはまったく比較にならないような、苛酷なぶつかり合いの中で、国をあげて合衆国の利益を守り抜こうという立場を堅持する米国の目の前で、日本は滅亡させられてしまうだろう。何しろエネルギー問題においては、自国が生きのびるために、日米両国ともお互いに譲歩できないギリギリの線に足をふんばって、どちらかが力がつきて倒れ果てるまで張りあうに決まっているからだ。
 そしてアメリカは石油産業によって、その目を見張るような繁栄を築きあげてきた国であり、日本は石油産業の発育不全によって、長いイバラの道を歩みつづけている工業国なのだ。そこにみられる真の実力の差がはっきりと現われてくるのも、そのときである。そしてそれも、今後数年という非常に近い将来におけるさし迫った問題なのだ。
 このような経過をたどって日米両国がまともにぶつかり合いそうになってから、エネルギー問題の鍵である石油資源の重要性を悟っても、それはもはや手遅れといわざるをえない。日本の破滅は誰の目にも明らかなのであり、未来はすでに始まっているのである。


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