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脱藩道場の2003年秋の総会について
1 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/10/24(金) 15:34
秋の総会について亀山さんの報告があっただけで、誰も総会のテーマについて提案をしないし、具体的な話が掲示板に登場しないというのは、実に不思議だと言う気分を感じています。過去三回は私がテーマを提供し宿題を出しましたが、脱藩道場は読者の皆さんのものである以上は、私がいなくても皆が議論を通じて合意を作り、自主的にやるのが筋ではないでしょうか。
私がでしゃばって余計な発言をすれば、メンバーが自主的にやるという精神を損ない、他力本願のぶら下がりの気分から脱却しないと思い、出来るだけ発言を控えるようにしていますが、誰一人として自分から進んで提案しないので、仕方なく私がまた口火を切ることにします。もし、秋の総会が11月15日か16日に行われるなら、短い東京滞在ですが私もいつも通り参加します。
ゼミのテーマはこの欄を使って皆で議論し、何を討論するかを決めたたら良いと思います。私の希望は「ジャパン・レボリューション」が出たし、その「まえがき」で正慶先生が論じた関係から、掲示板でスレッドとして一番これまで議論が多かった、国旗とミランダについて議論できたらと思います。折りしも単細胞で極右でもある石原都知事が、国旗に起立して敬礼しない者は罰すと発言し、
一つ覚えである小泉の靖国神社への参拝と共に、日本の社会がカルト的な傾向を強めており、神懸りの雰囲気に支配されている時だけに、タイムリーなテーマになるかも知れません。しかも、ミランダの問題は「オリンピアン幻想」の中で、鯉のぼりに対して在郷軍人会と県知事が、奇妙な言いがかりをつけたエピソードもあり、皆さんに共通の広場があるように思われます。
今回のゼミは皆さんが自主的に運営して、私はオブザーバーの立場にいることが出来れば、とても有難いことだと思う次第です。もっと積極的にやることを考えてください。藤原

2 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/24(金) 19:51
亀山です。藤原博士、貴重な投稿を有り難うございました。

最初に、11月16日(日)に第11回・脱藩道場総会を開催致します。参加を希望される方は以下のページから参加を申し込んでください。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/sokai.html

なお、既に今秋の総会への出席申し込みを済ませた方は自己紹介を兼ね、上記の藤原博士のメールに対する応答をお願い致します。


ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫

3 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/10/25(土) 16:03

はじめまして、伊藤です。かなり前から藤原肇博士には注目していました。

当年59歳。国内最大手印刷会社と化学大手会社(記録媒体製造)で、海外を主舞台にマルチメディア分野の草創期よりかかわり、「日本の身の丈」に応じた適正な世界へのマーケティング戦略の決定的な貧困さを痛感しています。東海岸のメトロポリタン美術館など米欧のエスタブリッシュメントとの交友接点から、「NPO(非営利民間法人)立国の合衆国」のGAO(連邦議会会計検査院)はじめ、CAGW=Citizens Against Government Waste など米国市民監視システムの活力に溢れた自浄機能に着目し論考を発表。研究者として、日本での実践者としての取り組みを微力ながら開始しています。

我が国も米国憲法修正条項に倣い、「公務員ならびに公金に関わった個人と組織には、刑事民事訴追の時効を設けない」との金看板を一刻もはやく立法したいと考えています。もちろん、本人死亡後も遺産相続者に追及の手が及びます。検察機能を多角化し、民間専門職や市民を期間限定で、検事や捜査員に命じるシステムも重要です。


また、藤原肇博士の情報発信を、既得権益構造の「出版取り次ぎ」システムの保身原則で、書店の棚を確保するための「品切れ」「再版原盤の廃棄=絶版」処置にて妨害されることなく、適正に流通出来る仕掛けをNPO(非営利民間法人)としても設立したいと考えておりました。

近々の脱藩道場総会にて、藤原さんにお会い出来ることを楽しみに

4 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/25(土) 18:10
伊藤さん、貴重な投稿有り難うございます。

昨夜、本掲示版にて第11回脱藩道場総会を開催する旨の連絡を行っていますが、11月16日(日)に正式に参加の申し込みをしてきたのは伊藤さん以外に3名の方が出ました。(3名の方々のメッセージは本投稿の最後に転載)なお、参加予定の藤原さんと亀山を除き、脱藩道場総会に参加するのが皆さん今回が初めてす。

過去参加されたことのある西條謙太郎さん、津和野貴志さん、尾崎清之輔さん、板村幸彦さん、海原波彦さん、明石悠三さんなどは今回も参加されるのでしょうか。もし、今回参加するのであれば西條さん、津和野さん、尾崎さん、海原さんのいずれかに司会をお願いしたいと思います。そして、司会役が決定次第、スレッド【脱藩道場の理念と進路の考察】に倣い、本掲示版をフルに活用しつつ準備を進ましょう。また、電子化プロジェクトでご協力をいただいている米浪さん、京都から東京は遠いと思います、今秋の総会に参加できるでしょうか? 現在進めている『無謀な挑戦』の次の電子化本について、藤原さんと米浪さんとで当日打ち合わせを行いたいと思いますのでご検討願います。


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KTさん
最近の政治経済状況を見るにつけ、何か釈然としない納得のいかないものを強く感じ、整合性のあるきちんとした認識を得たく出席を希望させて頂く次第です。
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TSさん
20年くらい前に、先生の書籍を数冊読み、感銘した覚えがあります。出席するのは
始めてですが、よろしくお願いします。
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KTさん
Tと申します
藤原先生の本は10年来、出版を気にして、
買い求めていますがまだ数冊読んだていどです。
オブザーバーということで参加させていただきたく
お願いいたします。
16日とりあえず押さえました。
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KTさん、TSさん、KTさん、本名を名乗ると支障があるのであればペンネームでも結構です。簡単な自己紹介をお願い致します。また、参加するのが今回初めていとうことでオブザーバーとして参加を希望されている方も、積極的に自己紹介をお願い致します。そして、出来れば、国旗とミランダ、石原都知事、小泉首相と靖国神社、あるいはその他藤原さんや脱藩道場メンバーと意見交換を行ってみたいテーマ等を積極的に述べてみてください。

『ヤクザ・リセッション』(ベンジャミン・フルフォード著 光文社)の最後の章に以下のようなくだりがありました。

…日本の「失われた10年」というのは、本当はお金が失われたのではない。日本人の精神 Japanese spirit が失われたのである…

願わくば本掲示版を訪れる人たちすらも日本人の精神を失っているとフルフォード氏に指摘されたくないものです。


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5 名前: 君田理二 投稿日: 2003/10/25(土) 22:03
 ミランダと国旗に関係しては、ご専門の皆様の色々の意見がるでしょうから、私はそれらとの関係で日本特有のミランダの問題を幾つか挙げ提起をしたいと思います。
突然ですが、皆さんは、日本の国花をご存知ですか?
大抵の人は日本の国花=桜だと思っています。確かに一つは桜ないしは山桜となっています。以外に知られていないもう一つは菊なのです。そう皇室の家紋である菊なのです。小学校のころ百科事典に「日本の国花は菊」(その頃調べた本には桜も山桜も載っていませんでした。)となっているのをみて奇妙に思ったのを憶えています。
菊といえば毎年秋には、役所やマスコミの主催で菊祭りとか菊の品評会のようなものが全国各地で開催されます。なぜ他の花でなく、菊だけが特別扱いされるのでしょうか、天皇制との関係抜きでは語れないのではないでしょうか。こういうのもある種の洗脳でありミランダの一つなのだと思います。国歌や国旗、天皇制に反対する人はいますが、菊祭りに反対するひとはいません。しかし人が反対しないようなところから、外堀を埋めていくのが権力です。
もう一つの例があります。それは元号です。藤原先生も元号を日本の鎖国性の一つとして何かの本に書かれていましたが、先生のご意見は暦としての問題に焦点があったと思います。もちろん天皇制の問題にも触れられていましたが、元号を使う事が古来中国でも日本でも王朝の正当性を認める行為だということにまでは言及されていなかったと思います。
現在日本では、役所の公式文書はもちろんですが、一般の人が出す申請書も元号表記で西暦表記にはなっていません。つまり天皇制を否定する人には証明書一つ出すことは出来ないという方針になっているのです。しかし不思議なことに、外国人向けの申請書は全て(私の知る限り)西暦表記で元号は書かれていません。欧米人だけでなく中国人、韓国人イスラム教圏の国の人々でも、一律に西暦を用いることになっているのです。外国人は関係ないから、日本人だけ天皇制の正当性を認めろと言う事でしょうか。またこれも、不思議と天皇制に反対する人を含めて反対する人がいないのです。最も西暦を用いることは、ナザレのイエスをメシア、キリストとして認めその誕生以後、世界が変わったこと認めることになるので元号よりひどいかもしれませんが。
論争のある国旗や国歌より、論争のない元号や国花のほうが危険かもしれません。

6 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 05:56
君田さん、大変ご無沙汰しております。また、今回も総会に出席いただける由、再会を楽しみにしております。ミランダと国旗ですが、在ロスの後藤英彦さんという方とメールをやり取りしており、後藤さんが某誌に投稿したという記事の本掲示板に転載して良いかどうかについて現在確認中です。後藤さんの記事は、ミランダと国旗を考える上で貴重な示唆に富みますので、是非実現させたいと思っております。ご参考までに、後藤さんは以下のような本を出版されております。

『日本をダメにした官僚の大罪』(後藤 英彦著 講談社)

それから、毎回出席されているベテランの一人、海原浪彦さんが今回の総会の司会を担当してくださることになりました。海原さん、当日は宜しくお願い致します。なお、海原さんは司会は初めてであると思いますので、本掲示版の西條さんに海原さんのサポートしていただければ幸いです。西條さん、宜しくお願い致します。

また、藤原さんの著書群の電子化プロジェクトで大変お世話になっている米浪さんが今回の総会に出席されます。他のメンバーは海原さんと西條さん、そして私の4人ですが、当日、藤原さんを囲み、今後の電子化計画について打ち合わせをしたいと存じますので、藤原さん、電子化プロジェクト・メンバーの皆さん、宜しくお願い申し上げます。

なお、なにわのダルマさんからメールが届き、仕事のため16日は参加できても途中からになりそうであり、場合によっては欠席になるかもしれないとの連絡が入っています。


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7 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 06:48
先ほど在ロスの後藤さんからメールが届き、『エルネオス』誌に掲載された「やりたい放題」および「パスポートの菊花紋」を本掲示板にアップできることになりました。よって、「やりたい放題」および「パスポートの菊花紋」をそれぞれ二部に分けて公開致しますので、今後の議論の資料に活用願います。

後藤さんが私宛のメールの中で以下のように述べておられます。
=============================後藤さんのメールから一部引用
一人でも多くの心ある人々が、「天皇の官吏」気分の抜けない日本の官僚の、卑劣きわまる策謀に気付いてほしいと思っています。よろしくお願いします。
=============================引用終わり

後藤さん、貴重な原稿の公開を承諾いただき、誠に有り難うございました。また、秋季総会に出席される皆さんを中心に議論を活発に進めてください。

『ヤクザ・リセッション』のフルフォード氏は以下のように述べています。
=============================引用開始
日本はなにをやるにしても、覚悟というのが足りない。これは、もしかしたら「ヤクザ・レセッション」よりよほど大きな日本の問題ではないだろうか?
=============================引用終了

フルフォード氏は羊のように大人しく、小泉や官僚に「やりたい放題」にされても文句一つ言わない日本人が多いのが信じられないのでしょう。フルフォード氏の問いに対して、「否」と言える人が一人でも多く出ることを祈ります。


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8 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 06:52
やりたい放題  洗脳、だまし  なしくずし(1)

期限の切れるパスポートを更新するためロサンゼルスの日本国総領事館を訪ねた。窓口で渡された申請書をみて愕然とした。申請の日付けを「平成」で書けという。印刷された「平成」の次が空白になっている。今年は平成何年だろうか。海外に長いこと住んでいると、歳月を刻むのに元号で対応することさえ忘れている。「西暦では駄目なのか」「平成で書く決まりです」「グローバル・スタンダードに逆行していないか」「決まりですから」「西暦で書かないと受け付けないのか」「決まりは決まりです」――ひとしきりそんなやり取りがあった。窓口の職員と口論しても始まらない。とりあえず引き下がったが、腹の虫がおさまらなかった。
元号法は一九七九年に成立している。野党の反対を抑えて強行採決した。国会答弁に立った大平首相(当時)は元号法の制定にあたり、「改元のやり方を決めるだけで使用を強制するものではない」と約束した。現役記者として接した限り大平首相は信仰に篤い誠実な人柄であったが、官僚によって実施に移す段になると、元号の平成の使用を国民に迫ってこのとおり奇麗事では済まなくなる。一九九九年の国旗国歌法の制定にあたっても、小渕首相(当時)は「新たな義務を課すものではない」と答弁したが、文部官僚の手に渡ると小、中、高の教育現場で平然と「日の丸」と「君が代」の強制が行われた。
元号法では「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」とし、国旗国歌法は「国旗は日章旗、国歌は君が代とする」と規定した。両法ともに簡単な二条構成で、なんらの義務条項も盛り込まれなかった。にもかかわらず、学校や役所で一世一元の平成を徹底し、これに反対する者(教師や公務員)を処罰した。国旗、国歌の取り扱いでも憲法の精神に反する強制が行われた。人生の節目となる入学式や卒業式に「日の丸」を掲げ「君が代」を斉唱することは、とりわけ洗脳的な意味合いをもっていた。「君が代」の斉唱に反対する教師にも、厳罰で臨んだ。教育委員会と現場教師の間に挟まれた校長の中には思い余って自殺するケースさえみられた。
教科書五社に対する検定は、学習指導要領(官僚の作文)に基づいて行われている。文部官僚の説明では、学校教育法(一九四七年施行)の委任による同法施行規則(官僚の作文)によって正当化されたという。しかしこの教科書検定は文部官僚の「作文」を強引に正当化したにすぎず、法的根拠に極めて乏しい。憲法で禁じられている検閲を官僚の「作文」で復活し、教科書五社に強制しているのが検定の実態だ。
予備校が大学の入試問題を請け負う動きに対し文部官僚は、「受験産業に入試問題の作成を委託するのは望ましくない」と各大学に通知した。俗に言う行政指導であり、これまた強制についての法的根拠を欠く。理由を言わず、「強制はできないが、予備校等が入試問題を作るのは問題がある」のだという。「強制はしない」と言いながら「お上の頼みを聞けないのか」と暗に恫喝するのが行政指導の怖い手口だ。文部官僚が受験産業を嫌うのは営利事業に対する偏見のほかに、営利事業との競争で大学が敗北するのをみたくないからだろう。大学の敗北はすなわち文部官僚の敗北となるからだ。
このように官僚の強制は、義務条項のない法律によって、偽装の作文によって、行政指導によって、憲法を無視することによって、行われている。時間をかけて非常識を常識に仕立て上げてしまう。洗脳、だまし、なしくずしだ。国旗国歌法の制定された年に、神奈川・浅田教会のブジョストフスキー司祭は静かな義憤と共に次の一文を寄せた。

9 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 06:53
やりたい放題  洗脳、だまし  なしくずし(2)
第二次大戦中にドイツ軍に占領されたフランスで、私は少年時代を過ごした。もし、あのとき使われていた敵の国旗や国歌を今もどこかで見たり聴いたりすれば、きっと嫌になって怒るだろう。幸いなことに、ドイツは侵略された国の人々の傷つけられた心を考え、国旗と国歌を変えた。イタリアも侵略された国の人々のことを思って国旗と国歌を変えた。ところが、「日の丸」と「君が代」が日本の国旗、国歌だと法制化され、すべての学校でその掲揚と斉唱を厳しく義務付けられた。日本がアジア諸国を侵略した時、何千万人が苦しんだことか。「日の丸」と「君が代」を見聞きするたびにアジア人が何を感じるかを日本政府は真剣に考えなかったと思われる。隣国の民衆はこのような日本政府を信用せず、戦前の残虐を繰り返すのではないかと恐れている。「日の丸」、「君が代」と共に祝日、元号、靖国神社の国営化などは天皇制と密接に結びついている。そして、その天皇制が国家神道と癒着したら、神武天皇理念である「八紘一宇」に基づいて、天下を統一し世界的規模の「家族国家」、新しい「大東亜共栄圏」を目指すことになる。

さらにブジョストフスキー司祭はヴアイツゼッカー・ドイツ元大統領の東京講演を引き合いに出して皇国史観の官僚体質を批判した。ヴァイツゼッカー氏の講演は「戦後ドイツは戦前の政治を断ったが、戦後日本は戦前の政治を継承している。過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる。非人間的な過ちを心に刻もうとしない者は、またそれを繰り返す危険に陥りやすい」というものであった。
米国国務省も「国別人権報告」(一九九九年版)の中で「人権を奪う日本の官僚」に焦点を合わせ、「君が代の歌詞の政府解釈を教えることを拒んだ教師を処罰する権利が、政府にある」との文部省の主張を取り上げ、「教師や法律家等の言論の自由が制限の対象になっている」と指摘した。同報告はまた、教科書検定が「学問の自由」の尊重の例外になっていることに言及し、「文部省は小中高教科書を検閲し、または修正を求める権限をもっている」と指摘した。
世界は日本を過去に目を閉ざす国と考えているから、少なくともドイツ、イタリア同様、戦前の政治を断つ証に国旗と国歌を変えるべきなのだ。侵略の際、天皇の署名付きの連隊旗となった「日の丸」や小渕首相が「君が代」の“君”は天皇を指すと言い切ったこの国歌を、隣国の民衆が喜ぶはずはない。「元号」を強制して、善良な国民の私的な時間さえも支配しようとする官僚の体質を、事情を知った世界が怪しまないはずはない。 

後藤英彦

10 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 06:54
パスポートの菊花紋(1)

連合艦隊を率いた東郷平八郎は、ロシアのバルチック艦隊を撃滅して軍神になった。軍歌に「舳先に菊をいただきて」とあるように、東郷の乗船した戦艦「三笠」の舳先には金色の菊紋が描かれていた。あれから丁度一世紀経った今も菊紋は霊験あらたか、安易な批判を許さない。
拙著『日本をダメにした官僚の大罪』を世に出した昨年10月以降、旅券(パスポート)の表紙に菊紋をあしらった経緯をもっと詳しく知りたいと、質問されることが多くなった。本の中でも「法的手続きを踏まずに菊紋を旅券に採用したのは官僚の独断だ」と指摘したうえで、「慣習として菊紋を使っているという外務省の説明では、日本人は国民主権下の国民というより天皇主権下の臣民と、外国人の目に映るのではないか」と疑問を呈した。米国には25万人以上の日本人が住んでいる。南カリフォルニアだけでも5万人をゆうに超えるが、わたしに接触する人となれば随分限られてくる。しかし「菊紋と旅券の関係」について関心を示すのは、この限られた人々の間でさえ相当数に上るのだ。
わたしは5月30日付で、菊紋に関する質問文を日本大使館(ワシントン)の阿川尚之公使に書いた。阿川氏の回答は7月3日に届けられた。前書きに「東京の外務省本省に問い合わせましたところ、以下の回答を得ました」としたためてあった。正確を期すため、阿川氏の回答の大半をそのままここに掲載する。(1行空けてください)

旅券の表紙には、その国の紋章を入れることが国際慣行となっています。わが国には正式の紋章(国章)が存在しませんが、昭和40年以降、伝統的に国を代表する花の一つである菊の花を図案化して、旅券の紋章として使用しています。
なお、明治以来、旅券には皇室紋章が使用されていました。第二次大戦後、新しい旅券のデザインを定める際、わが国が正式な国章を定めることなく一方的に旅券の紋章を変えることは、国際的な混乱を招くおそれがあるとの判断により、引き続き菊の花を図案化したものを採用することとなりました。ただし皇室の紋章は16葉8重ですが、旅券の紋章は16葉1重です。
在外公館の門頭などに、自国を示す何らかの紋章を用いることも、国際慣行となっています。前述のとおり、わが国には正式の紋章(国章)は存在しません。しかし従来から、わが国は菊花の紋章を在外公館の門頭などに使用してきており、これが国際的にも広く知られているという事情に鑑み、引き続き菊花の紋章を使用しているものです。
旅券の場合とは異なり、在外公館で使用している菊花の紋章は、皇室で使用されているものと同じです。また、菊花の紋章の一般的使用を規制する法令は存在しません。
なお、菊花の紋章を採用するに至った経緯に触れた文書は、採用が決まったのが50年以上前のことでもあり、私の知る限り、そのような文書が存在するとは承知しておりません。 (1行空けてください)

11 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 06:55
パスポートの菊花紋(2)
阿川氏は作家・阿川弘之氏の長男で、外務省に請われて慶大教授から現在のポストに転じた。醜聞の多い外務省がイメージチェンジを図るために行った「人事」として話題を呼んだ。寄せられた回答も、民間出身の公使らしく正直な記述で、外務省本省と調整した末とは思えないほどだ。
しかしわたしの役目は阿川氏の回答に安易に同調することではない。日本の「国民主権」のために官僚の非を指摘しなければならない。
外務省の見解は、憲法で定められた「国民主権」と「議会制民主主義」を無視している。回答によると、明治以来、旅券の表紙と在外公館の門頭には皇室の菊紋が使用された。第二次大戦後も引き続き菊紋を使用しているのは、「国際的に広く知られている」からであり、「正式な国章を定めることなく旅券の紋章を変えることは、国際的な混乱を招くおそれがある」からだという。こんな馬鹿な話はない。戦争、講和、革命など体制の変わるたびにスペインもポーランドもハンガリーも国章のデザインを変更してきたのだ。「国際的な混乱」などを理由に国会議決を経ない菊紋の採用は、天皇制の政治化としか思えない。
国章法を制定のうえ国の紋章を正式に決めないのはなぜだろうか。言うまでもない。天皇制の政治化に沿わない法律のことなど官僚の視野にないからだ。審議の過程でメデイアが国章法案の意味に注目すれば、国民の論点となり「寝た子を起こす」ことになりかねない。そんな危険を冒すより国章法を作らず、菊紋を自然に、注意深く押しつけるほうがよい。法意識の薄い日本人を操るのはこの手に限るのだ。「ならず者の国」の北朝鮮でさえ、一九九三年、紋章に稲穂、五角星、白頭山、貯水池、発電所を刻んだ国章法を最高人民会議で採決した。日本の官僚のおぞましさはこの北朝鮮以上ではないか。
今の世は「国民主権」であり、明治の「天皇主権」ではない。国会の議決を経ることなく旧体制の制度を新体制に潜ませるのは、国民の無知につけ込む官僚の奸計であり、憲法違反と言わねばならない。
菊は八世紀末、中国から遣唐使により長寿の薬草として持ち込まれた。後鳥羽上皇が特に菊花を愛でて持ち物に菊紋を用い、十三世紀末に皇室の専用文様になった。それまでの皇室は蓮の花を紋章に使っていたという。
明治政府は太政官布告(一九五号)で菊紋を天皇の専用紋章にすると規定した。これに対し、阿川氏は「菊花の紋章の一般的使用を規制する法令は存在しない」と答えた。誰が菊紋を私的に使おうが戦前のように「不敬罪」で逮捕されることはないのだ。菊紋の尊厳が失われるのを恐れた宮内庁はこれまで、このことに触れようとしなかった。
最近のことだが、皇室用の菊紋入りの「恩賜のたばこ」がインターネットのオークションに出品され、宮内庁の注意で削除された。一本吸ったため九本を売りに出した。五千円の値がついた。宮内庁は「売買するようなものではなく、国民感情から判断しても好ましくない」と取引の中止を求めた。英王室の紋章入り備品の売買をめぐり、官僚が横ヤリを入れるなど考えられることではない。天皇の臣下・宮内庁の“行政指導”を優先する日本は、本当に「国民主権」なのだろうか。            後藤英彦

12 名前: 君田理二 投稿日: 2003/10/26(日) 08:10
 亀山さん、後藤さんの文章の掲載ありがとうございました。浅学のため大変勉強になりました。このような事があったとは、知りませんでした。
日本でこういう事を知っているひとは少ないのではないでしょう。
 恥書きついでに、もう一つ私の考えを述べさせていただきます。
 ミランダは権力の正統性化に利用されますが、私は以前から正統性には2種類あると考えています。
一つは人々が積極的に支持するもので、マックス・ウェーバー等の政治学者、社会学者の唱える正統性はほとんどこれにあたると思われます。
もう一つは、人々が消極的に支持する物です。その正統性を積極的には信じていないが、無理にそれに反対してそれのもたらす秩序や利益を
失うリスクを負いたくない為にあからさまに反対しないという物です。
 キッシンジャーが「回復された世界平和」で述べている正統性はこれにあたると思います。マキャベリや韓非子の考えた社会の背景にある
正統性もこれに近いのではないでしょうか?
 私にはレジティマシーと単なるオーソリティーの明確な区別が、ついていないのでキッシンジャーのいう正統性が、どちらの意味か日本語
訳からは判断しかねます。この件に関して詳しい方があれば、お教え願いたいと思います。
 私は、現在日本の権力者によってミランダが、消極的正統性しかないものを、積極的正統性に変える為に利用されていると考えています。
消極的正統性に対しては、人々は利害等から理性を働かせますが。それが慣習化していき、人々が盲目的に受け入れる事によって積極的正統
性を獲得するのではないでしょうか?菊や元号等のミランダもその為の道具として使われています。

13 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 09:36
君田さん、ロスの後藤さんから追加の論文が2本届きました。一つは「日本の政体は国会優位」、もう一つは「強制の創氏改名」です。これも分けて掲載致します。

ご参考までに、君田さんの投稿を読んだ後藤さんから以下のような感想メールが私宛に届いています。それにしても、後藤さんの力作に対して反応があったのは君田さんだけというのは寂しい限りですね。その君田さんが明後日からイースター島へ出かけるため、16日の総会前日あたりまで音信不通となります。君田さんの不在の間に何方か、特に16日の参加者の何方かに引き続き投稿してもらえると有り難いのですが如何でしょうか。

================================後藤さんのメールから引用
君田さまのメール読ませていただきました。みなさま高水準の勉強家の集いにて、
感服しています。秋の総会ということで、ミーテイングをもたれるのでしょうか。
================================引用終了

後藤さん、ミーティングは毎年春と秋に行っており、今秋は第11回目となります。藤原さんも毎回参加されております。皆さん意識の高い方々が多く、毎回素晴らしい議論の展開があります。ただ、残念なことに、私も含め、フォーローが全くなっていません。何故か11回も行っているのにも拘わらず、後生の参考になるような形で残っているものが何もないのは誠に残念です。

その点、中野雄という方が『丸山真男 音楽の対話』という本を著し、丸山真男の人となりを見事に後生の為に残されています。そのあたりについては以下のサイトを参照願います。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www2s.biglobe.ne.jp/~MARUYAMA/

上記のサイトで、特に以下のくだりが印象に残ります。
=========================市民のための丸山真男のページから引用
丸山真男の講話を酒の肴にして、上機嫌で杯を重ねている「門下生」の男。それを知ってか知らずか、粛々淡々と話を続ける孤独な白髪の丸山真男老人。岩波書店の『丸山真男集』や『丸山真男座談』の月報には、毎回のように「門下生」たちによって語られる神話の一節があった。曰く、「晩年の丸山先生は新聞雑誌の取材には頑として応じなかったが、そのかわり市民たちの催す小さな学習会には必ず病躯をおして出席した」。病躯をおして出席した小さな学習会で丸山真男を待っていたのは、丸山真男の講話を肴にして酒盛りを楽しむお気楽な「市民」たちであったのである。
=========================引用終了

脱藩道場総会に出席する方々は上記のような人たちであって欲しくないと思います。それにしても、脱藩道場のメンバーの中から中野雄さんのように、藤原さんの足跡を記録として遺してくれる有志は居ないのでしょうか。

ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫

14 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 09:38
政治的美称というずるい官僚の暗いごまかし(1)            後藤英彦

元秘書の疑惑をめぐる国会答弁に関連し大島農水相が衆院法制局に相談していた問題で、「三権分立に反する行為」と与野党から非難の声が上がった。この機会に、日本の三権の現実を四顧しておこう。
ピッチャーの投げる球に球威があれば、キャッチャーの役目はもっぱら捕るだけだ。しかしピッチャーに球威がなければ、キャッチャーのサイン通り投げるしか生きる道はない。球威がないうえに頭まで悪ければ、もうキャッチャーの言いなりだ。キャッチャーの声がかりで職を得たアンパイアに問えば、キャッチャー贔屓の判定しかしないから、まともなゲームになんかなりはしない。
キャッチャーの独断と偏見でゲームが進行していることを賢いファンは知っているが、陰湿な彼に非を鳴らす度胸など誰も持ち合わせていない。機嫌を損なえば、税金で彼を養っているファンのほうが逆恨みされる。憲法にない裁量権(行政指導や規制)でファンの生計を妨害し、愚鈍なピッチャーに手を回して、痛烈な死球をぶつけてくるからだ。どんな仕返しがくるか知れたものではない。
それに、都合の悪い情報はキャッチャーのもとで完全ストップ、ファンはおろかピッチャーさえ知らされることもないからケンカの売りようがない。よらしむべし、知らしむべからず。徳川幕府の政治(まつりごと)の要諦は、キャッチャーによって厳しく守られている。
譬え話の役回りは言うまでもない。ピッチャーは日本の国会議員、キャッチャーは日本の官僚、アンパイアは日本の裁判官、ファンは日本の国民のことである。明治憲法下の野球は、オーナー(天皇)一人の支配下にあった。ピッチャーもキャッチャーも、アンパイアもファンも、オーナーの意のままであった。オーナーは皇居の霞の中に鎮座し、「天皇の官吏」であるキャッチャーに三権を仕切らせた。官僚の勢威はあがり、議員の球威は衰えた。
「天皇の名代」という官僚の権威に、議員も裁判官も畏れをなした。議員は官僚の作った法律にひたすら「協賛」するだけで、反対すればたちまち「非国民」とののしられた。そのうえ、官僚は万民を平伏させるとっておきの「魔球」を持っていた。勝手な作文を書いておいて、「詔勅だ、勅命だ」と国民に押しつけた。天皇が出した「命令」という扱いであったから、議員の「協賛」も必要としなかった。天皇の名において判決を下す裁判官は審判の名に価しなかった。「畏くも天皇陛下のご威令なれば、絶対服従が臣下の務め」と国民にひたすら恭順を強いた。
ポツダム宣言を受け入れて日本は敗戦の現実を味わった。マッカーサーに押し付けられたとされる昭和憲法は、ポツダム宣言の民主の精神を写したものだ。日本側の用意した松本草案が万世一系の天皇を中心とした国体護持の思想を出ていなかったから、「反省が足りない」と突っ返された。法律専門家のホイットニーとケーデイスに命じて天皇を名誉オーナー(象徴)とし、天皇支配(天皇主権)の野球を国民支配(国民主権)の野球に切り替え、虎(天皇)の衣を借りて過去に絶大な権力を誇ったキャッチャーには、ひたすらピッチャーの投げる球を捕球するだけでよいことにした。

15 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 09:39
政治的美称というずるい官僚の暗いごまかし(2)            後藤英彦
昭和憲法の四十一条は、菊花紋の旗本であった官僚の横暴に鑑み、「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と規定した。国民の選んだ議員が官僚の地位より上で、かつ法律を作る唯一の機関であるとしたのだ。ピッチャーに、国会のマウンドからキャッチャーミット目がけて国民思いの球を投げよというのだ。しかしファンの目にも、ピッチャーの頭も肩も貧弱で、キャッチャーを慌てさせる球威など持ち合わせていない。官僚は国のペーパーテストに合格した、ただそれだけの存在だ。その彼が省庁(内閣事務局)に席を得て、議員の領域(法律制定権、予算決定権、行政監督権)をひたすら侵している。憲法違反も厭わない。詭弁も巧妙に行えば正義となるのだ。見よ!投げているのはキャッチャーのほうではないか。
内閣の仕事は、この官僚抜きではとんと動かない。内閣の九割を動かすのは官僚で、残り一割の形式行事(閣議出席、国会答弁、記者会見)だけが国会から入閣する大臣、副大臣、政務官に割り振られる。一年半ばかりイスを温めたら、また古巣の国会に戻っていくお客人なのだ。実務のすべてを握る官僚から見れば、モーニングを着た儀式要員にすぎない。
ずるい官僚は、憲法四十一条前段の「国会は国権の最高機関」を「政治的美称」と言い、詩人の寝言と罵倒する。憲法は「三権分立」を採っており、国会が国権の最高機関であろうはずはないというのだ。東大の芦部信喜名誉教授は「最高機関とは、国政の中心的地位を占める機関である、ということを強調する政治的美称である」と言う。官僚も御用学者も、この部分を実を伴わない「政治的美称」としなければ困るのだ。最高機関説を認めれば、議員が大量に内閣に押しかけて、官僚のやり方にいちいち口を挟むようになるだろう。そうなれば「政治主導」に一層火をつけ、「官主導」の菊花の旗を降ろさねばならなくなる。インサイドワークに勝るキャッチャーにそんなヘマは許されない。官界、学会挙げて日本の形を「三権分立」ということにした。学者の論文や文部省検定の教科書を総動員して、とうとう「三権分立」を国家の定説にしてしまった。
官僚の思うツボと言うべきか。衆院法制局に相談した大島農水相のやり口を責める議員は、官僚の悪魔的な法解釈に何の疑いも抱かず乗ってしまった。議員諸君!憲法をもっと勉強してくれ給え。日本の政体は「三権分立」ではない。英国と同じ「国会優位」であり、そのことは例のマッカーサー・ノート(一九四五年)や米国務・陸軍・海軍三省の書いた「日本の統治体制の改革」(同年)によっても明かである。
素直に「国会優位」を通すなら、本来、衆院に属する大島氏が衆院法制局に相談しても公私を混同しなければ、咎め立てされることはない。「三権分立」を説きながら、内閣事務局員の分際で三権の至る所に網を張った官僚の越権こそ指弾されるべきだ。米英の通例を見よ。かの国の官僚は内閣の忠実な事務局員、匿名の黒子に徹している。

16 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 09:40
官僚が行った「強制」の歴史(小) 創氏改名とは何か(大)[1]

無人島暮らしのロビンソン・クルーソーが、漂着二五年目に初めてみた数人の人影は、人食い人種だった。見たところ、連れてきた捕虜の土人をこの島で殺して食べる気らしかった。クルーソーは銃弾を放ってその男を助け出し、フライデーと名付けた。記念すべきこの日が、フライデー(金曜日)に当たるからだった。フライデーは身振り手振りで「下僕として仕える」と誓った。このあと近くを通りかかった船に助けられたクルーソーはフライデーと共に、二八年ぶりに英国の地を踏むが、下僕のフライデーは誓いを守って終生、忠勤に励んだという。
作者のダニエル・デフォーは、無人島暮らしをしたスコットランドの船乗り、アレキサンダー・ケルカークの実話にヒントを得て『ロビンソン漂流記』を書き上げたと言われる。その写実力は近代小説の原型とまで絶賛されたが、公平に見て、小説の主潮をなすものは白人の独断であって、アフリカ系人種の側に立つものではなかった。文明を知らずキリスト教に帰依していないから野蛮人だと決めつけ、名付け親となって白人の言語である“フライデー”を押しつけた。この男にも親からもらった名前があったはずだが、そんなことはお構いなしだった。
南北戦争前の米国南部は、アフリカ系奴隷の労働力に依存した大規模農場(プランテーション)が盛んだった。農業主は奴隷のファーストネームに白人の言語を充てた。サムやジョーといった簡単な名前を好んでつけたが、背が高ければトール、鼻がでかければノーズでもよかった。アベンガネ、ムクンバキといったアフリカ名は「憶えにくい」と嫌われた。付けた名前は便宜上、奴隷の腕に刺青をして見分けた。
ブラック・ムスリムの指導者、マルコムXは実名をマルコム・リトルと言ったが、リトルをXにした理由を「リトルは白人の強制した姓で、元々の姓がわからないからだ」と説明した。ボクシングの世界ヘビー級元チャンピオン、カシアス・クレイの場合は、イスラム教徒風のモハメド・アリに丸ごと改めた。改名の理由を訊かれたアリは、「クレイは奴隷主の姓、主人のこの姓に過去の忌まわしい記憶が染み付いているから」と拳を突き上げたという。南北戦争までアフリカ系奴隷は姓を持たなかったが、徴兵登録のとき姓を必要としたので、主人の姓を用いることが多かった。
大航海時代(十六世紀)の先陣を切ったスペイン人は、中南米を股にかけてその植民地化に奔走した。コルテスはメキシコのアステカ帝国を亡ぼした。ピサロはペルーのインカ帝国を破戒した。征服したメキシコでは、ハシエンダと呼ばれた大規模農場を各地に展開し、ボリビアではボトシ鉱山を営んで、インデイオの奴隷を労働力として送り込んだ。インデイオはスペイン人の命令で民族古来の名前を捨て、ゴンザレス、ロドリゲスといったスペイン名に改めた。会話はスペイン語で行い、インデイオ語の使用は禁じられた。ときは移り、メキシコと中南米諸国はスペイン人とインデイオの混血(主として強姦)によって新しい大人種圏を構成することになった。奴隷の過去を引き摺るアフリカ系もインデイオも白人の犠牲者で、その独断と強制に泣かされたのだ。
朝鮮半島を統治していた頃の日本は、「内鮮一体」をモットーに皇民化政策を進めた。「天皇の臣民としてふさわしい人間にする」という方針のもと、朝鮮古来の名前を日本風に改めさせ日本語を無理矢理おしつけた。手続き上は朝鮮民事令を一部改正のうえ、戸主は六ヵ月以内に新しい「氏」を作り役所に届け出ること、もし届け出ない場合は、朝鮮古来の「姓」をそのまま「氏」にすると通知した。世に「創氏改名」と言われるこの政策は一九三九年十一月、前述の民事令改正で公布、翌年二月に施行された。
表面上こそ強制を装っていなかったが、日本人の役人たちは競って管轄下の朝鮮人に、和風の名前をつけるよう圧力をかけた。改名しない者には配給制の食料をストップした。『人さまざま』の著者、ラ・ブリュイエールは「権力者に不平を言うよりは、離れているほうがためになる」と書いたが、居丈高な侵略者から離れるすべはなかった。こうして朝鮮人の約八割が日本人の号令に従った。安の「姓」をもつ人は安井、安田などと名乗った。金は金田、金本、朴は新井などと改めた。

17 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 09:41
官僚が行った「強制」の歴史(小) 創氏改名とは何か(大)[2]
しかし一方で、朝鮮古来の「姓」を捨てない層も二割ほどいた。五人に一人が日本人の圧力と差別に屈しなかったという事実は、この民族の誇りの証しだろう。戦後、大統領に四選された李承晩は、ハワイに身を移して朝鮮独立の御旗を掲げ、「イ・スンマン」(李承晩の朝鮮語読み)を声高に名乗ったという。
もっとも、彼らの間に日本名をほしがる動きが全くなかったわけではない。「和名に改めればつらい思いをしなくて済む」と諦めてのことであったが、当時の日本人の伝聞によると、中でも満州に移住した一群は、進んで「和名をつけさせてほしい」と要望してきたという。「朝鮮名でいると中国人から不当な扱いを受ける」というのが主な理由(未確認)だったらしい。しかし実際に満州に住んでいたアナ・キムさん(リトル東京サービスセンターに勤務)は「そんなことはない。中国人は不当なことはしなかった」と日本人の証言を否定している。
麻生太郎・自民党政調会長がこのほど東大で、「日本がかつて行った朝鮮人創氏改名は、最初は当時の朝鮮人が望んだことだ」と発言したのに対し、韓国の外交筋や大手新聞は「時代錯誤の発言で、実に嘆かわしく失望する」と反発した。麻生氏は日本が行った「創氏改名」について「日韓合併当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと、名前のところにキンとかアンとか書いてあり、『朝鮮人だな』と言われた。仕事がしにくかった。だから名字をくれ、と言ったのがそもそもの始まりだ」と語った。
こういうことはなきにしもあらずだが、「創氏改名」など日韓合併から派生する諸問題に、不当な種をまいたのはいつも日本人であったことを自覚すべきだ。まして朝鮮半島に介入したのはロシアの侵略を阻止するためで、他意はなかったなどと言うべきではない。朝鮮の人々からみれば、ロシアも日本も同じ暴力国家であって侵略してきたのがたまたま日本軍であったにすぎないのだ。日本は頼まれもしないのに朝鮮半島を侵略し併合した。この強権の発動さえなければ、「創氏改名」などという不当、不自然な暴挙は起こり得なかったはずだ。
このほか台湾、琉球(沖縄)、アイヌの人々にも、日本語を強要し「創氏改名」を迫った不寛容の過去がある。日本人は自らの「強制の歴史」を反省しなければならない。
                                  後藤英彦

18 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 09:52
以下は正確なURLです。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www2s.biglobe.ne.jp/~MARUYAMA/book/nakano.htm
=========================市民のための丸山真男のページから引用
丸山真男の講話を酒の肴にして、上機嫌で杯を重ねている「門下生」の男。それを知ってか知らずか、粛々淡々と話を続ける孤独な白髪の丸山真男老人。岩波書店の『丸山真男集』や『丸山真男座談』の月報には、毎回のように「門下生」たちによって語られる神話の一節があった。曰く、「晩年の丸山先生は新聞雑誌の取材には頑として応じなかったが、そのかわり市民たちの催す小さな学習会には必ず病躯をおして出席した」。病躯をおして出席した小さな学習会で丸山真男を待っていたのは、丸山真男の講話を肴にして酒盛りを楽しむお気楽な「市民」たちであったのである。
=========================引用終了


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19 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/10/26(日) 11:01
後藤さんの4本の原稿をウェブにアップしましたのでお知らせ致します。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/sokai/03f/goto.htm

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20 名前: 青野誠真 投稿日: 2003/10/26(日) 14:17
「パスポートの菊花紋」を拝読しました。
法律に基づくことなく、菊花紋がパスポートに国章然としてあること知り、
面白く思いました。
菊の紋章は自前でなく、借り物であるという言説をなすものが昔から
神道の関係者からよく出ていますが、プロの思索言動をなす人たちが
取り上げないので、埋もれています。
私の思うのに、法制度のもとに国章を定めないのは、天皇制の基盤を
国会の議論に掛けることを厭うてではなく、菊花紋の借り物であることを
知られるのを忌避してのことのように思われますが。
議論に行き詰まったら、その上の段階を考えてみろといわれています。
官僚批判を幾らしても、教育体制が官僚を頂点最高とするシステムで
できているので、びくともせずあまり効果がないでしょう。
むしろ、官が戴くところの菊の借り物性をつくほうが、誰にとっても
いいことのように思われます。

21 名前: 佐藤春彦 投稿日: 2003/10/26(日) 15:15
バスポートの表紙にある金箔の菊の紋章は、日本人を天皇の臣民として従属的に扱っていると考えるので、私は二つおきに花弁をナイフで削り取っていますが、一度も入国の時でも出国の時でも文句を言われたことはありません。戦前の日本の兵隊が持っていた鉄砲には菊の紋章がついていて、粗末に扱ったら殴られて半殺しにあったと聞いたので、そんな悪い過去を持つ紋章など押し付けられるのはお断りだと考え、削り取ることに主権を持つ自分の存在を考えたからです。
あんなものをあり難がっている政治家や外務省の役人は、国民を奴隷だと考えているに違いなく、日本は未だ近代国家になっていないという証拠です。私の友人には菊の紋章の上に、富士山を描いた日本切手を貼り付けている人もいます。

22 名前: ナニワのだるま 投稿日: 2003/10/26(日) 22:24
 後藤英則氏をはじめ、皆さんの投稿記事を拝読し、私なりに感じた日本という国及び日本人の最大の難題は抽象的な表現で申し訳ないのですが・・・「歴史を持たない故の政治不在」・・・と思うに至りました。

 ひとは自分の存在を歴史を通じて自らの行動様式や思考の前提にすると私は考えますが、これは社会生活における人間関係や国家の行動基準の原点も然りではないでしょうか。歴史を持たなければ政治認識も育たずよって我々の生活に関わってくる政治も存在しません。

 歴史を長さの単位で価値を測り政治を金物としての枠組みで民主主義を誇ってみたところでそれはハードウェアによって飾れた猿の惑星に過ぎずそういった冷徹な現実と向き合う時がもう間近に迫っているのではないでしょうか。

日本脱藩とはそういった存在を乗り越えて行く事にもあるのだと思います。

27 名前: ナニワのだるま 投稿日: 2003/10/26(日) 22:37
ナニワのだるまですが後藤英彦氏の名前を英則と書きご迷惑をお掛けしたことをお詫びします。

28 名前: 青野誠真 投稿日: 2003/10/27(月) 12:25
管理人様へ
21に投稿した記事が削除されてますが、後学のため削除の理由をお知らせ下さい
ませんか。

29 名前: 野田隼人 投稿日: 2003/10/27(月) 12:36
青野誠真様

21は削除されていません。「レスを全部読む」をクリックしていただくと1〜28までのすべての投稿を読むことが出来ます。なお、今気づきましたがナニワのだるまさんの投稿はだぶりがあります。よってだぶっている分はこれから削除致します。ナニワのだるまさん、[書き込む]ボタンは一度だけ押すようにしてください。本掲示板の反応は遅いため、画面が後進されるまで暫く時間がかかります。

30 名前: ナニワのだるま 投稿日: 2003/10/27(月) 23:21
青野様、野田さん、そして皆様投稿をだぶらせて申し訳ございませんでした。おそらく、私のPCに原因があるのかも知れませんが、送信不能メッセージが出るため、仕方なく再度送信すると最初の投稿が記憶されているらしく同時に投稿されてしまうのです。書き込みクリックは一度しか押してませんので大丈夫だと思うのですが・・・・?

33 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/10/30(木) 15:08
総会の討論のテーマについて議論が低調なのは、皆が忙しいにしても至って残念なことです。私の提案は国旗やシンボルに関してのミランダについて、時局との関連で議論したら如何と提案しました。それ以外のものについての提案がないのは、実に不思議なことだと言わざるを得ません。これは宿題の一種になると考えますが、「ジャパン・レボリューション」のまえがきと関連して、正慶先生が書いたブラジルの国旗についての記事と、鯉のぼり事件を四十年前の私がミランダと結びつけた、「オリンピアン幻想」を熟読してきてください。
それからスレッドの管理人への注文ですが、多くの有用に発言が「レスを全部読む」に移管されてしまいましたが、5、8,10、20、は内容的に重要だと思うので、「脱藩道場の秋の総会について」の表のスレッドに戻し、誰でも気軽に読めるようにすると共に、連絡事項に属す記事は裏スレッドに移し整理したら如何でしょう。同じことは「国旗の精神分析」のスレッドにも言え、1,2,9,11,17,20.22,の記事は表に移し、整理する必要があると考えますがどうでしょうか。
「発言」の欄は誰にでも開かれた見解の発表の場であり、偶然にしても「宇宙巡礼」を初めて訪問した人が、表のスレッドにないからといって裏まで開いて、「レス全部を読む」に目を通さないで終わる可能性が高く、そういったことまで配慮するのが管理人の仕事です。自ら発言しないで読むだけという姿勢は、出歯亀の一種で日本的だが世界で通用しないと、余計なお世話駆る知れないが気がついて欲しいし、世界で日本人には顔がないと言われる原因だと考えます。

34 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/10/30(木) 23:25
皆様 初めて参加する伊藤です。

諸先輩の談論風発テーマの揃うのを待機していました。
どんなサロンになるのか、未知数ですので遠慮がちに控えていました。

藤原肇博士より、課題自由の宿題をしていない生徒への督促があり、
温厚な教師と醒めている生徒との「真摯な論議」の場が、11.9までの
短期間で可能なのか、皆目見当がつきません。貴重な出会いの場が、
単なる言葉の遊び、その場の満足感だけで終わりたくありません。

サロン的な、というかアカデミックな論議の掘り下げは、参加者には
重い課題なのかも知れません。還暦前の私も残余のエネルギーを賭け、
世直しを仕掛けるための

そこで新参の怖いもの知らずにて起案します。総会までの2週間に
各位との情報交換にて、絞り込んでいきたいと思い始めています。

●論議の出発点:事前アンケートとしてご返答を集める

★1 日本沈没への藤原肇流の警鐘をいかに啓蒙普及するのか?
★2 既得権益構造病が蔓延し、疲労困憊しつつある我が国の惨状を
   いかにして短期間での改革=世直しをするにはどうすべきか?
★3 参加者および藤原肇博士と共感する多くの人材を獲得するには?
★4 現状の掲示板が「コップの中の嵐」にもなり得ないのはどうしてか?
★5 11.9 総選挙結果が与野党拮抗・逆転になっても変わらないのでは?

●議論の絞り込み:上記課題に対応する

★1 世直しを政治運動と見て、適正なマーケティング戦略を構築する
★2 藤原肇博士の情報発信を広範に無理なく出来るよう仕掛ける
★3 常時情報発信できる「野心のある」出版社との戦略合意を迅速に
★4 毎月出版する基盤を安定させ、顧客満足度・費用対効果を判定
★5 裸の王様にて世界の孤児になる事実を「黒船襲来」で手酷く認識させる

こんなテーマを起案します。もう日本沈没・崩壊まで数年を残す現在。
なんとか、藤原肇博士との出会いから、突破口が生み出せればと思います。

是非とも短期に情報交換にて絞り込みたいと祈願します。

35 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/10/30(木) 23:28
すいません、字数制限を超えたようで。
後半部分を再掲載します。よろしくお願い申し上げます。

(前項より続く)

●論議の出発点:事前アンケートとしてご返答を集める

★1 日本沈没への藤原肇流の警鐘をいかに啓蒙普及するのか?
★2 既得権益構造病が蔓延し、疲労困憊しつつある我が国の惨状を
   いかにして短期間での改革=世直しをするにはどうすべきか?
★3 参加者および藤原肇博士と共感する多くの人材を獲得するには?
★4 現状の掲示板が「コップの中の嵐」にもなり得ないのはどうしてか?
★5 11.9 総選挙結果が与野党拮抗・逆転になっても変わらないのでは?

●議論の絞り込み:上記課題に対応する

★1 世直しを政治運動と見て、適正なマーケティング戦略を構築する
★2 藤原肇博士の情報発信を広範に無理なく出来るよう仕掛ける
★3 常時情報発信できる「野心のある」出版社との戦略合意を迅速に
★4 毎月出版する基盤を安定させ、顧客満足度・費用対効果を判定
★5 裸の王様にて世界の孤児になる事実を「黒船襲来」で手酷く認識させる

こんなテーマを起案します。もう日本沈没・崩壊まで数年を残す現在。
なんとか、藤原肇博士との出会いから、突破口が生み出せればと思います。

是非とも短期に情報交換にて絞り込みたいと祈願します。

37 名前: 西條謙太郎 投稿日: 2003/10/31(金) 02:06
藤原さんからの掲示板のレス省略表示改善へのご指摘、誠にありがとう
ございます。当掲示板管理人としても常々心苦しく思っている部分であり
ます。

 最近投稿があったスレッドがフロントページに表示され、そのスレッドの
レスの総数が多い場合、自動的に表示が省略される機能は、残念ながら、
この『したらば無料掲示板』の基本的な既定機能であるため、掲示板の管理人
が小まめに、マニュアル・コントロールしようと思ってもできない状況に
あります。

無料・有料を問わず、他の掲示板でフロント・ページに最初からすべての
レスを表示させることができるものがあるか再度確認し、引越しも視野に
入れて検討いたします。

弥縫策として、冒頭の『藤原肇の宇宙巡礼掲示板』の直下に、
『フロントページでご覧いただけるレスの左端の書き込み番号が飛んで
いる場合は、レスの総数が多いため表示が省略されています。その場合は、
『レスを全部読む』 か 右上の『ALL』 ボタンを押して全件表示して
ご覧ください。』のメッセージを表示させました。

西條

38 名前: 藤原肇 投稿日: 2003/10/31(金) 15:16
脱藩道場の総会は毎年春と秋に定期的に行われており、この春は確か教育問題で「適塾と松下村塾の差」を検討して、脱藩道場の今後の路線を考えたと思います。皆さんの集会ですから積極的に発言して、出席者が自分はオブザーバーだというつもりに、ならないで欲しいと強く希望しています。
私はこれまで何回も出席して状況を知っているし、脱藩道場に似た集まりを他に幾つも持っているので、自分が喋りすぎイニシアチブを取り過ぎだと思い、若い人が積極的に動いてリーダーシップをとり、卓越した人材として育って欲しいと願うが故に、出きるならオブザーバーにして欲しいと希望します。

40 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/11/03(月) 06:48
伊藤さん、貴重な投稿有り難うございました。

藤原博士がテーマとして提案されているミランダを突き進めていけば、伊藤さんが仰せの「もう日本沈没・崩壊まで数年を残す現在」という日本が議論の対象になると思います。仕事から漸く解放された昨夜、久しぶりに『オリンピアン幻想』を紐解いてみたところ、以下のようにミランダについてのくだりがありました。

「…権力者たちが支配力の正当性をシンボライズして、人びとの心に称賛の気持ちをかきたてるために、情緒的な操作を加えることをミランダと呼ぶが、国旗や国歌はこのミランダの典型である…」(『オリンピアン幻想』藤原肇著 東明社 p.39)

ただ、私も脱藩道場を開設して5年になりますが、その5年の間に日本人の「領民意識」にほとんど変化が見られなかったのは残念であり、そのあたりに日本沈没の原因の一つがあるのではないでしょうか。同著に「アンチ解説」を書いた若月玄一郎氏は以下のように述べています。

「…文明の発展史を大きな流れで捉えると、古代における部族集団による部民から、領民を経て臣民を体験してから市民になるが、日本では市民意識への転換がスムーズではなかった。それは日本の歴史の特殊性のためであり、明治維新か近代革命の性格に欠けていたので、領民から臣民への意向だけに終わってしまい、敗戦は臣民か市民に転換する機会にならず、臣民から領民への逆行を生んでしまった…」(『オリンピアン幻想』藤原肇著 東明社 p.368)

しかし、絶望するのは早すぎます。日本を文字通り“脱藩”し、海外という舞台で日夜奮闘している日本人の若者も多いと思います。昨日の東京新聞に、ジェラルド・カーティス米コロンビア大学教授が「松井の活躍に思うこと」と題した興味深い記事を載せていました。ご存じの通り、教授は『永田町政治の興亡』などの興味深いテーマの本を数冊出版しています。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www.hokuriku.chunichi.co.jp/00/matsui/20031102/ftu_____matsui__000.shtml

松井選手のようにスポットライトを浴びる存在ではなくても、日本のミランダという呪術から解き放たれ、雑草の如く逞しく世界で活躍している日本人を応援していきたいものです。

今月の16日(日)の午後一時から東京都内で第11回目の脱藩道場総会を開催しますが、今回「オブザーバー」として申し込んできた参加者も積極的にミランダについての投稿をお願い致します。今回は海野浪彦さんが司会を担当されますが、海野さんだけに負担をかけることなく参加者の皆さんの積極的な発言をお願い致します。


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42 名前: 西條謙太郎 投稿日: 2003/11/03(月) 13:08
>>34
伊藤さんからの脱藩道場のテーマとしての「日本の世直し等」のご提案ありが
とうございます。藤原思想を縁として脱藩道場に集うものが、祖国の現状を憂え
る気持ちにはひとしおのものがあることを認識しうれしく拝読しました。

私は、「地球の医者」であり「社会の名医」である藤原さんが著書群を通じ
て展開しているのは、稀代の名医にしかできない、スケールの大きなダイア
グノシスであると考えております。
そして、藤原さんの著作群の日本関係の評論は、対象と真理にたいする深い
愛情を源とした批評の形をとるものが大半ですが、脱藩道場では、これらの
著作群の理解を前提として、脱藩道場のゼミにて取り上げられたテーマを通
じてフォーカスされた大切な思想を学んでいると考えております。

ゼミのテーマの掘り下げを通じて、学んできたのは、「意味論・正名論」
「社会の木鐸としてのジャーナリズム」「フィラントロピー」「世界と日本の
掛け橋としてのジャパノロジストの重要性」「適適斎塾と松下村塾の比較にもと
づく脱藩道場のあるべき姿の考察」等々あり、今回は「国旗とミランダ」という
テーマでいろいろなことを学べるものと大いに期待しております。

さて、上記を概観してご理解いただけるように、脱藩道場のゼミナールでは、
藤原思想を鑑として、藤原さんの日本の病因への深い造詣とダイアグノシスを
学び、日本を立て直すためには、何故に、どことどこに手を施すべきなのかを
プライオリティとともに理解し、ゼミを通じて藤原さんの謦咳に触れて直接の
啓発を受けることによって、少しでも目的に資することのできる人材が、自分
で学びかつ実践していくことができるようにしていただいているものと認識し
ております。

世直しのプロセスを医者の診察と治療に例えれば、
1)観察: どこが病んでいるのか。
  (正常な状態が認識できていなければならない。)
2) 診断: 病因をさぐる。何が原因でそういう症状が表れているのか。
  ダイアグノシス。
3) 治療方針の構築: 処方箋の提示
4) 治療・施術実務


伊藤さんのご提案は、大別して、‐綉3)4)の治療・施術の部分の検討に
焦点をあわせた取り組み【★2 既得権益構造病が蔓延し、疲労困憊しつつあ
る我が国の惨状をいかにして短期間での改革=世直しをするにはどうすべきか
?】と、藤原思想の共鳴者拡大施策、7納板が不活発な理由の掘り下げ、
についての討議であると思いますが、とくに,亡悗靴討蓮⊃濃 Ε瀬ぅ▲哀
シスの部分の見解の掘り下げ・共有を抜きに、総論で治療・施術の部分を語っ
ても、各人の話がかみ合わなかったり、お互いの真意が伝わらなかったりする
のではないかと思います。

従って、テーマとして取り上げるには、いささか間口が大きすぎるのでないか
と考える所存です。この世直しの実践の部分については、各人が藤原思想から
学んだことを糧として、まず自らが何かに取り組み、良い事例があれば道場の
機会や掲示板で紹介するなどの形をとることではどうでしょうか。 それが
素晴らしい実践であり、それに共鳴する人があれば、思わぬ理解者や協力者も
増えてくるものと確信致します。

藤原思想の共鳴者拡大施策、7納板が不活発な理由の掘り下げについては、
当日、ゼミテーマの終了後、討議することには賛成ですが、これは、掲示板に
スレッドを立てて話し合っても良い事項であり、藤原さんを囲んで、インテリ
ジェンスを磨く貴重なチャンスである道場総会のテーマとするだけのプライオリ
ティ付けをする事項ではないという見解です。

できれば、「国旗とミランダ」というテーマについては、各人が800字以上
1200字以内で論文をまとめて事前発表し、それに加えて、ジャパン・レボ
リューションの中からでも、皆でもう一つテーマを考えてみてはどうかと存じ
ております。

西條 拝

43 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/11/03(月) 17:20
西條さんの以下の提案に賛成致します。


***********************************西條さん wrote:
…「国旗とミランダ」というテーマについては、各人が
800字以上1200字以内で論文をまとめて事前発表
**************************************************

今までの総会に一回以上参加したことがあるのは以下の方々です。(敬称略)

海野波彦
尾崎清之輔
君田理二
なにわのダルマ
野田隼人
西條謙太郎

現在、イースター島に出かけているために連絡の取れない君田さんを除き、他の方は11月14日(金)までに「国旗とミランダ」について800字以上1200字以内でまとめ、本掲示板にアップしてください。

***********************************西條さん wrote:
…それに加えて、ジャパン・レボリューションの
中からでも、皆でもう一つテーマを考えてみては
どうかと存じております…
**************************************************

今回の総会が初めてというのは、伊藤正彦さんをはじめ、以下の方々です。(敬称略)上記の宿題に取り組んでみたいという方は本掲示板に名乗り上げてください。西條さんが仰せの別テーマを『ジャパン・レボリューション』から取り出して投稿していただく形でのご協力も歓迎致します。なお、伊藤さん以外の方は掲示板に名前を出してよいのかどうか確認していませんでしたので、取り敢えず本投稿ではイニシャルにて表記しました。今後の掲示板でのやり取りを考え、お名前を掲示板に出してよいのかどうか、あるいはペンネームがある場合はペンネームをご連絡いただければ幸いです。


伊藤正彦
MK
KK
TH
KT
HY
KT


ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫

44 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/06(木) 00:57
伊藤です。私の起案も含め、さまざまなテーマ絞り込みへの議論を見させていだき感謝します。テーマの絞り込み自体が、すでに議論の開始と受け止めています。

西條謙太郎さんの起案にて、方向性が出たように思います。私も賛同します。
また初回参加者へのハードルを「ミランダ以外のテーマを『ジャパン・レボリューション』から取り出して投稿」との提案も宜しいかと思いますが、ほかの初回参加者の投稿のない中では、ちと寂しいので、積極的にイニシャルででもご発言をお願いします。

●適正な情報発信は「広く読まれる仕掛け」が命

私の今回サロンへの参加は、議論の中身も肝心なのですが、藤原肇博士はじめ、永く憂国の想いで、諸事分析検討し啓蒙普及に努めておられる方々の、危機感をいかにして、沈没前に、気づきなき大衆の心に達することが出来るかの「だだ一点」にあるのです。

私の痛烈なメタファーに「艦砲射撃にもかかわらず、敵米軍の優勢な空爆に、まさに沈み行く戦艦大和の艦内奥深くにて、新兵器の考案・試作の成果を互いに賞賛し合う研究者・技術者の身の程知らず」があります。いままさに、かくのごとき様相を呈していることが、全国民に死活問題となっていないのか、まさか衰運を甘受するのを楽しんでいるのか、まことに理解もできず、分析もわかりずらいのです。

現在の社会構造に巣くう「間違った予定調和」を、激しく指摘し警鐘を鳴らす論壇を、可能な限り広く、しかも迅速に構築しなければなりません。そのために、藤原肇博士はじめ、真の経世済民を実戦する論者の情報発信を、せめて広瀬隆氏のレベルで実現したいものと考えています。

ですから、私自身の人脈からも全国規模の流通が可能な出版社を選定し、藤原肇博士の著作集を軸に、アップトゥーデートなコラムや注釈を挿入した、警世のシリーズを迅速に刊行したいのです。インターネットに世の中ですので、ここでの議論のごとく、活発な投稿を集めても宜しいし、藤原肇著作への著名人(あえて集客のために)の個別コメントを、併記するなどの出版企画も有効かと考え始めております。

著作者のご了解を得て、いくつかの候補を絞り、いかに迅速に、かつ幅広い層に危機を伝達し、適正な行動をとってもらうよう、情報交換を活性するかを目指したいと思います。

目前の総選挙で、奇跡的に民主党を軸にする「脱官僚政権」が出来ようが、到底間に合わないだけに、ここは博士も言われている「安定した情報発信機能」「費用対効果の高い情報交換システム」などを、万難を排して獲得出来るよう知恵を絞るべきと考え始めております。

テーマの絞り込み自体は結構ですが、かかる論点も同時に話し合うべきと勘考します。

45 名前: 海原波彦 投稿日: 2003/11/07(金) 16:01
当日、司会をつとめさせていただきます海原波彦です。
司会を承ったにも関わらず、これまで書き込みを行わなかったこと、お詫び申し上げます。藤原博士からの「出歯亀精神」とのご指摘に、恥じ入る次第です。

脱藩道場のテーマですが、西条さんのご提案に私も賛成です。

もう一つのテーマですが、『ジャパン・レボリューション』の中で、特に次の言葉が印象に残っております。

「自分自身の頭で考え自分の責任で決定する自治の精神を確立する」(P.17)
「領民から脱して市民になれ」(P.17 見出し)
「アメリカでは企業人の地位が高くなるほど、個人の責任で奉仕することが求められる」(P.25)

日本の回転では「個」の在り方が、重要な働きを持ってくるのではないかと思います。そこで、現在掲示板で進行中の「日の丸」「創氏改名」とも関連がありますし、「日本人の『個』の在り方」をテーマに意見を交換できたならと思うのですがいかがでしょうか?

また、伊藤正彦様、興味深い問題提起、ありがとうございます。
下記、私なりに考えたことをお送りさせて頂きたいと思います。

★1 日本沈没への藤原肇流の警鐘をいかに啓蒙普及するのか?
  →すでに浸水が始まっていて、これだけ明白な危機なのにも関わらず、依然としてだれかが何とかしてくれると思っている人については、もう手の施しようがないように思います。
 そういう人たちもいずれ、総じて相当痛い目に遭い、ようやく否応なく痛感させるられることでしょう。
 ですからここは、気がついた人から先々と手を打って、ビジネスや生活の中で解決策を用意しておくことが先決ではないかと思います。

★2 既得権益構造病が蔓延し、疲労困憊しつつある我が国の惨状を
   いかにして短期間での改革=世直しをするにはどうすべきか?
 →やはり上記と同様、気づいた人から模索していくしか方法はないと思います。
 昔の人がみんな高潔であったとは思いませんが、特に戦後60年間、欲ボケを続けてきた人達は、現在の社会・経済の在り方や生き方を疑うということが、そもそもできないように思います。
 逆に、いろいろな人が自分でオリジナルに考えてチャレンジするところから、柔軟な世の中への再生が始まるのではないでしょうか。
 (あくまで個人的なイメージですが)「改革」や「世直し」という言葉には、やはりなにかスローガンを掲げて行動するような全体主義的なニュアンスも感じてしまいます。
 とにかく個々の人が自分で考えて行動するというところから、結果として、自然な流れで再生が始まるように思います。

★3 参加者および藤原肇博士と共感する多くの人材を獲得するには?
 →今回で脱藩道場への参加は3回目です。毎回十人程度の方々とお会いでき、またお世話して下さる亀山さんとは、時々、個人的にも情報の交換をさせていただき、とても得難い機会に感謝しております。
 藤原博士が大講堂の真ん中にいて、大勢の人が聴き入るというスタイルより、何か「私、今こんなことをしています。良かったらご参加下さい」という感じで、個人レベルの活動や勉強会が網目のように連鎖していくネットワーク型の関係ができていったら素晴らしいと思っています。


★4 現状の掲示板が「コップの中の嵐」にもなり得ないのはどうしてか?
 →申しわけありません。私自身、人様の投稿を読んでばかりで掲示板への投稿をほとんどしておりませんでした。藤原博士の「出歯亀精神」とのご指摘に恥じ入ります。


★5 11.9 総選挙結果が与野党拮抗・逆転になっても変わらないのでは?
 →私も同感です。
 現在の日本の状況では、政治にあまり多くを求めることはできないのではないかと思います。政治家は民度の反映であり、民度の低い中から唐突に名政治家が現れるということはないでしょうし、逆に政治家の志が高くても、民の方がついてこれないでしょうから。
 与野党拮抗・逆転はあったとしても、それがどのように展開していくかはまったく未知です。
 ということで、ここは政治には適宜なレベルで関わっておき、とにかく身の回り、コミュニティといったレベルから固めていくのが順序ではないかと思っています。その辺から、志の高い政治家とそれを支える基盤が出来上がっていくこともあるかもしれません。


#★1 世直しを政治運動と見て、適正なマーケティング戦略を構築する
 →政治運動は裏返してみれば即経済運動ということになると思います。
 経済活動は他に先駆けて仕掛け、準備していくところに利益のチャンスがありますので、脱藩、「脱」現状思考で先々と行動していくこと、それで後から慌て追いかけてくる人がたくさん出るようなモデルを考えておくこと、これが最大のマーケティングではないかと思います。

46 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/08(土) 14:35
伊藤です。西條謙太郎さんや司会役の海原波彦さんからの早速の応答に感謝します。
どうも、サロンの流れが、同時に複数のテーマを追い、結果としてオブザーバー参加の藤原肇博士には、「論議不徹底・傍観者の無責任」との不快な印象を与えるのではと、私自身は受け止めています。

我が試論への早速の堂々の応答には、適切にすべきと心得ております。
この際、いかに重要でも個別に議論を深めることは、後日にすべきと思います。

まず、優先すべきは11.16秋季総会での論議の整理かと思いますが、
司会役がテーマを決めねば、いつまでも投稿は揃わないでしょう。
参加者の投稿義務づけに同意し、課題論考を投稿します。


■「国旗とミランダ」課題論考:「神々の棲む国」1/2

我が国は、極東の遠隔地にして列島に割拠できた位置取りにて、唯我独尊のまま
異民族(弥生人はじめ大陸沿岸・諸島から移住)や異文明(農耕・鉄器・領民囲
い込み技術)との抗原抗体反応を、長い歳月と基準尺が不徹底な「ごった煮」の
予定調和システムにて、希有の人口規模と生活圏を維持発展した奇跡の民族では
ないかと日頃より考えています。

海域をバリアーに、文明中枢から「隔離」され「半透膜」にて国風化を果たし、
見果てぬ舶来信仰との「蜃気楼」現象をエネルギー点火剤に、旗幟鮮明なきまま、
現代に至る文化圏は、鈴木孝夫・慶応大学名誉教授の指摘するところです。

米欧、特にアングルサクソンが戦後占領で出会った日本人は「躾け期間を終えて
いない12歳」と受け止め、国際社会の怒濤を乗り切るには「軍事力なき外交」
「旧官僚頼みの統治」「身の丈を超えた背伸び教育」「自律自立への無知」など
十分な成人の能力はないとしていた。ローマ帝国属州のごとく「市民権なきまま
本国への忠節は何処より篤い」との飼い犬の役目を喜んで果たしている。かかる
自律隷属行動(隷属範囲での自律を幻想)を厳しく糾弾出来る市民が表面に出ず、
連携の輪が一向に拡大強化されないのは、私が長年の自問自答課題です。

神道や伝統仏教の外見が、広大な「糺すの森」で境内を取り囲み、教義も本尊も
明示せぬまま、「神々しさ」に心清められる共感は、まことに不可思議。

なにごとの おわしますかは 知らねども
 かたじけなさに 涙こぼるる
 (西行法師 伊勢神宮の初参拝にて詠める)

日本には、千差万別の崇拝の対象があり、『八百万の神々』と言っているが、
別に 『神々』 といっても、仏教における崇拝の対象である『仏・菩薩・明王』
といったものを除いているわけではない。西行の和歌が、日本人は、神と仏とを
区別しない。多くの場合、自分が参詣している場所が、神社か寺院かを意識して
いない。そこにまつられているのが、どんな神か仏かもしらないのである。

【注】典拠:衆生の心を救う観音の慈悲(心の図書館)
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www.tamano.or.jp/usr/tosinobu/book/kami.htm

まさに、間違うことなき「神々の国」なのです。
ここにミランダ効果を着眼しているのは、私だけでしょうか?

47 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/08(土) 14:37
■「国旗とミランダ」課題論考:「神々の棲む国」2/2
●両陛下のお姿に共感する「神々の残照」

我が居住地が、皇族の葉山ご用邸の最寄り駅「逗子」の近辺との縁にて、日常
生活の一場面として、駅頭や路上で皇族がたの通過に出会うことが多い。

道路警備問題からか、JR逗子駅下車で乗用車に乗り換えられることもあり、
駅頭から車寄せまでの移動時に、市民がお迎えする時間帯はおおよそお昼前。
私も行列の後ろで、両陛下の手の振りに応える自分を見つけ、怪訝な想いにて
立ちすくむ。児童のときは沿道で、小旗を振り出むかえたのも一切ならずか。
このすり込み効果は、どうにも消えぬらしい。今回のミランダ効果で再認識を
した次第。昭和天皇の時代は、さらに警備も厳重、出むかえも荘厳で演出効果
も高く記憶に残ります。

この何気ない通過儀礼に宿る「神々の残照」こそ、菊華紋に宿るものと同質か
と思い始めています。

明日投開票の総選挙でも、「お上」への予定調和期待が根強く、官僚支配打破を
打ち出す点では同軸の自民・民主両陣営では、温度差はあるものの、肝心の参政
エネルギーは湧かないのも「神々の国」の特質かと受け止めています。

●成功体験のない草の根世直し

 長い日本の歴史をかえりみて、何時の世に「草の根」の庶民からの「世直し」
があったのだろうか? 有史以来、国家統治の大義名分は常に天皇とその代理権
者に握られ、決して草の根の庶民が自ら生活を守る仕組みなど成功しないのが常
識であり、為政者にひたすら馴染み困窮に耐えながら、必死に家族を守るのが精
一杯の庶民の抵抗だったのではなかったか。

 近世初頭の戦国期に忽然と成立した「一向一揆」は例外か。過酷な戦国領主の
圧政に立ち上がった宗教集団を核とする庶民が短期ながら領国支配を実現。だが
無惨にせん滅され、決して庶民の成功体験として受け継がれてはいない。

 農民一揆や食糧暴動が発生しても、抑圧→暴発→弾圧→服従の繰り返しで、欧
米流の近代市民社会への不可欠なプロセスである戦う市民=草の根庶民を産むこ
となく、明治国家に至る。中央集権のもとで形骸化した議会制立憲政治では、市
民の意思が達成される機会とてなく、お仕着せの西欧化が素通りして行った。

 完全な敗戦と占領を経験したこの半世紀も、基本的には事態は変わらなかった。
知恵の廻る官僚や既得権者が巧妙に立ち回り、過去のどの時代にも負けない程、
草の根庶民を抑圧し無視する体制を堅固に守って来た。米欧がいくら苦情を言お
うが、海外諸国に迷惑をかけようが、我関せずを貫き通し、孤高の経済大国を誇
って来た。国際評価の軽い政権が連続し、経済閉塞状況の脱出口もなく、生活防
衛さえ危ういとも思われる昨今。果たして、草の根が「平成の一向一揆」を周到
に成功させられる条件はあるのだろうか?【本項は拙論より引用】
----------------------------------------
[市民告知板]小谷 章・元逗子市議ホームページ掲載
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://homepage3.nifty.com/~akira/ao110_old.htm

No.20 2002/11/26

1998.9.15 博報堂発行《隔月刊「広告」9・10月号》掲載論文
「特集 アメリカのNPOの事例」
米国版リタイヤー組世直し組織「AARP」から何を学ぶか
----------------
No.19 2002/11/22
1998.5.15 博報堂発行《隔月刊「広告」5・6月号》掲載論文
「特集 わたしがソーシャルマーケッティングです」
NPOが「草の根」を形成する社会
〜米国に学ぶ、行政を補完し牽制する市民活動の知恵〜

以上、御礼旁々、ご報告まで

48 名前: 君田理二 投稿日: 2003/11/09(日) 10:31
「国旗とミランダ」の課題から「島国幻想」


 ミランダとして、国旗や国歌を使用する以前に、日本では単一民族幻想、島国幻想がありこれが日本の特徴になっていると思う。他国のミランダは、隣接する他の国家や民族と区別をつけるためにミランダの機能があるが、日本では先ず他国と切り離した島国という幻想がありそれを強化する上でのミランダがあると考える。
 従って日本は、島国だから他国と交流が少なかったという誤った認識を改める必要性がある。遣唐使や日明貿易のような例外を除き、他国との交流はなかったという幻想が江戸時代300年の鎖国によって生まれ、明治維新政府の政策によって強化されたのではないか。
 だが現実には、古代から中国、朝鮮、東南アジアはおろか、インド、中東、ポリネシア、北アフリカとも交流があった可能性が、最近指摘されている。古代に岩に書かれた文字ペトログラフから、日本で古代シュメール、リビアの文字が確認されている。これらの研究と、知識の普及が進めば島国幻想も変わっていくであろう。島国だから、四方を海に囲まれていたからこそ、遠方の国とも交流があったのである。
島国幻想が崩れれば、日本におけるミランダは周辺からその求心力を失っていくであろう。なぜなら陸に国境の線は引けても、海に線は引けないからである。

49 名前: 君田理二 投稿日: 2003/11/09(日) 11:14
「国旗とミランダ」の課題から「島国幻想」2

 とりとめの無い考えをまとめようとしたら、上記のようになり800字の規定に足りなくなりました申し訳ありません。私の問題意識は、海洋民族として日本人を捉え、それを統一する物としてのミランダについて考えているのですが。考えがまとまりません。少なくとも、弥生時代以降にきた、日本人は、氷河期のより後に、海を渡ってきたのだから相当の海洋航行のノウハウを持っていたはずですが、鎖国以降そのノウハウも、それに付随する文化も失われ、海に囲まれた陸地に住む民族としての伝統と幻想が生まれたと思います。現在海洋民族としてのポリネシアの本も読んでいる最中でして、ポリネシアと日本の相違点等研究中です。総会までに少しでもまとまったら書き込ませていただくか、総会で機会があれば述べさせていただきたいと思います。
  

 帰国後メールを送った方で、メールが文字化けした方がいたようで、申し訳ありませんでした。

50 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/11(火) 12:24
【参考】ミランダとクレデンダ:政治権力の2側面

伊藤です。インターネットの検索から、諸兄のご参考までに。

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www5.plala.or.jp/VIOLETWA/mame/mamesei/seijigaku.htm
政治権力の理論

政治権力とは何か。

まず、権力とは一般に、他者に対してその意思に反して行動させる力のことをいう。

R・A・ダール「AがBに、普通ならBがやらないことをやらせた場合、AはBに対して権力をもつ。」
M・ウェーバー「社会関係の中でその抵抗に逆らってまで自己の意思を貫徹すること。」

こうした権力は社会生活のあらゆる領域で成立・存在するが、
特に政治がもつ権力を政治権力という。

権力は実体論と関係論という2つの側面からとらえることができる。

実体論とは、物理的強制力を始めとする社会的強制力を独占するところに権力は生まれ、
また、ある特定の者が何らかの価値ないし能力を有するがゆえに権力をもつと考えるもの。ここでいう物理的強制力とは、具体的には警察や軍隊などの暴力装置を指している。

関係論とは、支配される者たちがある人物を支配者と認めるところに権力は生まれる考えるもの。支配者と被支配者との社会的関係から権力をとらえるものである。

権力の行使には非常にコストがかかる。特に実体論においては、大規模な軍隊や警察を維持し掌握していくことは大変だ。そこで問題となるのは、以下に強制力に頼らず自発的に従わせるかという、「権力の効率化」である。


政治権力は強制力のみによって維持されるものではなく、権力者はむしろ、権力維持のために、大衆の理性や感情に訴えかけるさまざまな理由付けやシンボル操作を行うことが必要になる。

これについてC・E・メリアムは、ミランダとクレデンダに分けて、権力を維持するための強制力によらない方法を考えた。

ミランダとは国旗、記念日、儀式などのシンボルを用いて人の非合理的側面に作用させ、
人の感情や情動的な面に訴えるものである。

クレデンダとは、理論や当地に対する尊敬、イデオロギーなどによって、人の知的合理的側面に作用させ、知的なものに訴えるものである。

権力者はこれらによって支配されるものの自発的な服従を引き出すが、権力者にとっては、クレデンダよりミランダの方が権力維持のための有効な手段になるといわれている。


権力者がその権力を行使することが正しいことだと、
支配される者から認められることを、「支配の正当性」という。

M・ウェーバーはその根拠を、
「伝統的正当性」
「カリスマ的正当性」
「合法的正当性」の3つに分けた。

伝統的正当性とは、権力者が伝統や慣習に基づいて支配しているから正しいとするもの。

カリスマ的正当性とは、超人的な資質を持った支配者が支配しているから正しいとするもの。

合法的正当性とは、権力者が人々の合意としての法に従っているから正しいとするもの。


権力がいかに構造化されているかは国やそれぞれの歴史によっても異なるが、いかなる国においても実際の政治においては、政治権力は常に少数者によって掌握されるという現実がある。

M・ウェーバーは、政治権力が常に少数者によって掌握され運営されることを「少数支配の原理」と呼び、少数者が物理的な強制力を独占することによって、少数者の多数者に対する支配が可能になると主張。

G・モスカは、少数の支配階級(エリート)が多数の被支配階級(非エリート)を支配できる権力を持つのは、支配階級が組織化されているのに対し、被支配階級が組織化されていないためだと主張(「少数支配の原則」)。

R・ミヘルスはいかなる組織も、それが組織であるがゆえに、その発展と拡大には必然的に少数者に権力を集中させる「寡頭制の鉄則」が現れるとし、その理由として、権力者側はその地位を維持することに意欲を持ち、大衆の側は無力感から指導者を求める傾向があると主張。


政治権力をめぐる論点として、上述のほかに、「パワー・エリート」「エリートの周流」という理論がある。

C・W・ミルズは、政府機関の有力者、大企業幹部、軍部の首脳らは、相互に利害が一致した緊密な関係にあって、国家の政策形成を支配する権力を独占するグループを形成するとし、これを「パワー・エリート」と呼んだ。これに支配される大衆は、受動的で無力な存在だとしている。

V・パレートは、社会状況等の変化によって期待されるエリートのパターンは変化し、
時にエリートの入れ替えが必要になり、エリートが交代することで社会的な均衡が保持されるという「エリートの周流」を主張した。

51 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/11(火) 12:27
【参考】政治学者Merriam [1934=1973]と儀礼的ミランダ「権力の常套手段」


「文化」のソヴィエト的実践
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/No.64/watanabe/wata-2.html
III-2. ソヴィエト儀礼システム


政治学者Merriam [1934=1973]は,権力の様相を二つに分けている。一つは象徴によって情動の側面に訴えかけるミランダであり,具体的な手段として,記念日・記念碑・音楽・芸術的デザイン・儀式・行進や演説を伴った大衆的示威行為が挙げられる。ここには,権力の印象が個人に刻み付けられること,参加による個人的満足感が生まれることの二つの効果があるという。もう一つは,合理的・イデオロギー的側面のクレデンダであり,統治に対する尊敬の要求・服従や自己犠牲の要求・合理性の独占がその特徴となっている。近代国家にとって,Merriamの表現に忠実になれば「より現代的なリーダーシップ」(強調はMerriam)が求められる国家にとって,儀礼的ミランダは「権力の常套手段」なのであるが,翻って考えてみるに,ソヴィエト連邦はミランダの統治手法を著しく発達させた国家であった。

1920年代,社会主義社会で果たして儀礼が必要なのか,と問題提起されたのであるが,結果として肯定的な解答が出た。主立った主張者はトロツキイと作家V. V. ヴェレサーレフであった[Binns, 1979: 594f.]。前者は「演劇性に富んだ儀式は,感情や想像力に働きかける。したがって,その影響ははるかに広い」[Trotskii, 1925=1979: 59]と,後者は「みんな集まって感情をあらわにすること,つまり喜びや悲しみという生活の側面を儀礼にすることへの人々の欲求は抑え難いものである」[Khaptaev (ed.), 1984: 106より引用]と書いている。これをヴェレサーレフが書いた1926年,普通の労働者や農民が彼を支持する数百通の手紙を送った[Binns, 1979: 597f.]。

【引用終わり】

52 名前: 野田隼人 投稿日: 2003/11/11(火) 20:47
私は十代の時に一年間働いて旅行資金を貯め、三年間の世界放浪の旅に出た人間である。多くの思い出が残る旅であり、そうした思い出の一つにパナマ運河がある。パナマ運河を訪れたのは、日本を飛び出してから一年になろうとしていた頃だった。展望台で行き来する船を眺めているうち、遠方から大型貨物船が近づいてくるのに気づいたのである。やがて、その大型貨物船が掲げた日の丸が目に入った瞬間、一年近く離れていた日本を思い出したのだろうか、目に涙が溢れ胸が一杯になった。
帰国後、仕事や旅行で韓国、台湾、サイパン、インドネシア、シンガポール、香港、フィリピンなどの近隣諸国を訪れた私は、かつての大日本帝国が残した戦争の爪痕が至る所に残っているのに気づくようになり、日本兵に父母・兄弟姉妹・親類・友人を殺されたという幾人かのお年寄りにも出会った。そうした体験を積み重ねていくにつれ、パナマ運河の時のように、もはや日の丸を美しいものとして見ることが出来なくなってしまった自分がいた。日の丸で数百万人の日本人が戦争へかりたてられただけではなく、大勢のアジア人が日の丸をつけた銃剣で虐殺されたのである。このようにして、日の丸はもはや拭い去ることのできない汚れに染まってしまった。思うに、パナマ運河を訪れた時の私は、第二次世界大戦を体験した外国人が、日の丸をどのように見ているかという視点に欠けていたと言えよう。
振り返るに、君が代と日の丸は明治政府(政治権力)が天皇制度の維持を目的に制定した重要なシンボル(ミランダ)装置であった。その意味で、敗戦はシンボル装置を乗り越えるのに千載一遇のチャンスのはずであったが、現実はそうならなかったのはご存じの通りある。その最大の原因は、GHQが天皇制の継続を支持したからである。GHQが去った後も、日本の権力が天皇を維持していくために全力をあげたのは言うまでもない。権力は、徐々にではあるが日の丸と君が代を学校に復帰させ、子供たちに日の丸と君が代の刷り込みを行ったのであった。その後年々権力からの締め付けが強化され、ついには1999年8月9日に国旗国歌法が成立するに至ったのである。
バーネット事件連邦最高裁判決を持ち出すまでもなく、内心の自由は人民の権利であり、いかなる権力といえどもシンボル装置である日の丸と君が代を子供たちに押しつけることはできないはずである。しかし、シンボル装置の否定は即天皇制の否定につながるため、国民からの反対の声は小さかった。何故なら、天皇制をあからさまに拒否するという生き方は、この国の「空気」が許さないからである。しかし、天皇制から脱却しないことには、いつまで経っても日本人は領民のままで終わってしまうのも事実である。こうしたジレンマをどのように克服していくかという道を示していくことこそ、脱藩道場に課せられた使命ではなかろうか。

53 名前: 海原波彦 投稿日: 2003/11/12(水) 23:10
  ■国旗とミランダ──軸を欠いた日本人

 物理的な現象であれ、政治や社会、経済の分野の事柄であれ、システムは「軸」があってこそ機能する。
 独楽は円盤上に加えられたエネルギーが軸を中心して運動することにより、自立し回転する。
 カメラの三脚も要(軸)の部分がガタガタでは安定しない。
 国家も然り。司法、行政、立法という斥力が主権在民を軸として機能する三権分立システムにより、近代国家は自立(自律)できる。
 もし国家が、主権在民の軸を欠けばどうなるか? 理に利が取って代わり、国家の軸は欲望によって歪められ、怪しげな腰つきの運動を繰り返した挙げ句、転び果てる結果となる。
 その怪しげな運動中、利に操縦される為政者は何を以て歪んだ軸を真っ直ぐな軸と偽り、国民を欺こうとするか? それがミランダである。
 戦前、天皇制を担ぎ出したミランダは、アングロサクソン系の合理主義に破れた。
 立憲君主制が悪なのではなく、天皇というミランダによって責任や合理性の所在をうやむやにする、無責任体制が破れたのではないか。
 さて、天皇制というミランダが失敗し使えなくなっている現在、新たなミランダとして国旗、国歌が利用されようとしている。
 国旗、国歌の陰に隠れて、国民を利用し、搾取し、異論を唱えるものと狙撃しようとしているのは誰か? その目的は何か?
 諸説が挙げられるが、ある意味、それは現象的なものともいえる。
 ともかく現状を脱却する根本的な治癒策としては、日本人は自らの軸を確立しなければならない。そしてその軸とは、自らの意志と責任によって行動する「個」の意識であり、同時に、他人や社会全体を思いやる「和」の意識ではないだろうか。

54 名前: 尾崎清之輔 投稿日: 2003/11/13(木) 00:16
国旗とミランダ − 地球旗の提唱

古代より、統治者が被統治者に対して自らの権威を誇示するための仕掛けとして、
象徴(例えば古墳、彫像、装飾品)としてのミランダを用いた例は数多いが、
これらは情緒や感情に語り掛けることで、統治者を賞嘆する状況にさせる手法で
あることから、被統治者の言語や身分(階級)などの違いを超えて支配を行うことが
比較的容易に出来るため、統治を合理的に正統化させるためのクレデンダより
有効性を持ち得た。
このような統治は、他のミランダである音楽、記念日や記念碑、儀式などと絡み合い、
更には宗教との結びつきを通じて拡大していくことになる。

近代における産業革命、フランス革命、イデオロギー革命などを契機として形成
された国民国家においては、絶対君主や少数者から成る統治形態から、多くの国民が
参加する統治形態に少しずつ移行していくことになるが、その際には共通の目的や
利益といったものを提示して、それが国民国家の基礎となることを植え付けていく
必要があり、このアイデンティティをスムーズに伝達させる媒体としては、軽装で
分かりやすい象徴としての国旗がミランダの重要な役割になったと考えるが、
この時点では単なる情緒的な象徴であるよりかは、統治した時点での正統性を分かり
やすくするための象徴という側面が、もう一つの正統化の手法であるクレデンダとの
結びつきを強くした。
この共通の利益を得て目的を達成する考え方は、欧州から北米、また日本にも流れつき、
帝国主義とそのサブシステムである植民地化政策に結びつくことで、より強固なものと
なっていったが、2回の世界大戦を経て、その後の植民地の旧宗主国からの独立や、
更には冷戦が終結したあたりから、国民国家の枠組みを超える動きが出始めてきた。

その中の明示的なものは、アメリカンスタンダードとしてのグローバリゼーションや
EUにおける国民国家の枠組みを超えた動きなどであり、各々は全く異なる性質を持つ
ものの、より大きな枠組みに向けて再編成を行っている点では一致している。
しかし、一方では、民族、地域、所属、宗教などによる国民の細分化も進んでおり、
これらは本当の意味でのグローバリゼーションにおける生みの苦しみと考えるが、
いずれにしても、現時点から将来に向かって時間軸を移動させると、既存の国旗は
ミランダとしての有効性を喪失することになるであろうから、我々脱藩道場に集う
メンバーは、これからの時代を念頭において、少なくとも地球レベルの軸を確立し、
それに基づいた旗を掲げるときが来ているのではないかと思う。
その場合、最も有効性を持つ回答を得るため道筋は、歴史を観察してより普遍的な
法則を発見することであり、そのヒントはホロコスミクス図にあるのではないだろうか。

55 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/11/13(木) 05:28
明日の11月14日締め切りの「自主的宿題」を投稿されたのは以下の方々です。(敬称略)

・伊藤正彦
・君田理二
・野田隼人
・海原波彦
・尾崎清之輔

16日に開催予定の総会に出席される方々の中で、過去総会に参加したことがあり、まだ未提出の人は大変かとは存じますが頑張ってください。


ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫


追伸
西條さん・野田さん、本スレッドのみ新たな投稿があってもスレッドの先頭に行きませんが、何処か不具合があるのでしょうか?

56 名前: ナニワのだるま 投稿日: 2003/11/14(金) 04:05
国旗とミランダ

先ず、国旗というのはそもそも近代国民国家における各国の理念の象徴であり、主権
者である国民が目指すべき理想が掲げられている。

例えば英国のユニオンジャックは連合を意味しているし、フランスの三色旗は革命の
さなか自由、平等、博愛を掲げて王政を打倒し、共和国が目指す、アイデンテ
ティを現している。又私が田吾作を名乗っていた頃に投稿したブラジルの国旗と精神
分析という正慶孝教授の論文にはかの国におけるそれらの背景が実に詳しく述べられ
ている。

このように言葉の定義や理念に従って見る限り、どの国もそれぞれの歴史的文脈に応
じて試行錯誤をくり返し近代思考が国民に十分徹底されているかの印象を与える。立
派で荘厳、洗練された国民が国家を通じて見事に調和し、そこではあるべき想像上の
姿が体現されているのだからそれらの過程を批判懐疑するなどもっての外であると言
う具合に。

本当にそうだろうか、言うまでも無く否であり、その典型としてのわが国の国旗「日

丸」には近代国家建設における国民のどのような理想や理念がちりばめられているの

ろうか。少なくとも私は日の丸について世代を超えた国民的議論が行われたことすら
知らないし、国旗法成立に際しては確か記憶が正しければ政府はレフレンダムすらせ
ず、国民も何処吹く風
で決まったものは仕方がないと例によって例の如く日本的ムードに支配されているの
である。主権者意識もない国民という名の領民とお上意識を当り前とする正当に選挙
されたはずの代表者、そしてパブリックサーバントという名の権力者達は実は互いに
相互協
働的に支えあっているのではないかという問いこそ肝要でありましょう。何故ならあ
るべき近代のかたちとはステートとし
ての国家機構を充実させるだけでは魂が抜け落ちた仏像であり精神における近代化が
どれだけ達成されているかが民度を測るバロメーターである。その意味では日の丸に
は国民的合意に基づくアイデンテティはなく、あるのはどこに責任の所在があるのか
もはっきり
しない国家機構らしきハードウェアのお化けが権力の隠れ蓑として存在しているその
象徴と言うべきか。

1.主体の曖昧と自己認識の欠如

通常の日本人の思考や行動様式のコミュニケーションのベースを大雑把に映し出して
みるとどうやら日本という観念上の枠組みのなかで自己の主体を規定(何々らしくし
なさいといった風に)している。まるで彼我の存在をその中でしか見出せないかのように絶えず互いの同調性を求めあいながら。
それはそのように振舞う事が常識であり批判・懐疑はしない様、躾
られているからである。しかしこのような意識と観念を自明としている限り、いつまでたっても自らが拠って立つ座標軸は見出せず、自己を認識することも困難になるであろう。それは特に歴史に対する態度に顕著に表れるであろう。

57 名前: ナニワのだるま 投稿日: 2003/11/14(金) 04:07
2.歴史教科書とミランダ

歴史教科書はその国の政治権力ミランダを知る上にとって格好の手段である。
C.E.メリアムによると・・・「物語が本当によく出来ていれば、それが真実であるかどう
かは問題にならないからである。文字通りの真実を体現していないとしても、それは
集団の抱く野望を表現し、また最良の瞬間における集団のありうべき姿を描いて見せ
るのである。」・・・

・・「各国の教科書や歴史書は、その国の権力集団が歴史家に許容している自由度の確実
な証拠であるともいえよう。」・・

このように見ると歴史教科書やそれに使用される物語は主権者である国民のための歴史というより国家権力の正統性ために十分利用され得ると考えねばならない。また(この事の方)が重要だがミランダを手段としてそれらの操作自体を隠蔽されてしまうのである。それらは何を意味するのか、私は歴史はその国その国民の思考や行動様式を決定する指針となり過去と現在を結ぶ存在を認識する前提であるからこれをいいかげんにしている限り今を生きる我々の政治をも放棄すると言わねばならず、上で述べたように政治不在の根本理由に数える。

3.奇説や異論、新学説の意義

歴史や物語が国民のアイデンテティを形成するのに必要であるなら、それらを権力達だけに所有されていいものではない。もとより権力はミランダ・グレデンダから得た賞賛へのお返しとして多くの人間に物質的で実質のある利益、広い意味での社会的な利益をももたらすわけであるから、この作用を主権者である国民が行使し意思が反映されるような社会こそ望ましいとも言えるだろう。そこで私は日本の国体問題と関連するであろう諸学説を参考までに取り上げてみたい。

(1)「奇説新学説考」藤井尚治
(2)「桓壇古記」・鹿島昇

要点だけ掻い摘むと(1)は例えば源義経・ジンギスカン説が登場し、」(2)においては天皇家が日本列島自生の家系ではなく朝鮮半島からの渡来人であったことなど詳しくは今回述べずにいずれ機会を改めて投稿したいがこれらは、日本人の自己認識を曖昧にさせ思考停止に導く皇国史観を相対化し潜在意識下に見て取れる被害者意識を植え付けるような日本的観念の呪縛を解き放つ起爆剤になるであろう。

4.ジャパン・レボリューション

規模の範囲の差異やありとあらゆる現象の中にもそれを貫く理があり各次元から相似現象を観察する習慣をもち、あとは各個人のレベルで自己を限
定している壁を越えていくために、小さなことから実践していくことであろうか。
それはやがてフラクタルを伴いながら自らが所属する組織 共同体の外に視野が広がり真
の意味での社会という国家の上位次元に到達するだろう。そしてさらに地球次元から日本社会や一個人を位置
付ける発想が可能になる時我々は既に日本の国体思想(それは現在もなお存在しているのかどうか、そもそもそれは一体何なのか)なるものを部分化し日本の存在を乗り越えた人間として、もしくは想像力によって限定されたありきたりの日本文化の可能性をより広げ、地平を切り開かんとする挑戦者としてささやかな誇りを獲得できるよう頑張っていきたいものである。

58 名前: 君田理二 投稿日: 2003/11/14(金) 05:57
自分の怠惰もわきまえず、意見を述べさせてもらいます。脱藩道場の宿題を決めて、総会まで時間がないと充分勉強できません。
出来れば今回の総会で、次回の宿題とまではいかないまでも、今後討議をする中心課題を決めてはどうでしょうか?
 例えば、藤原博士の「マクロメガ経済学の構造」ないし、「インテリジェンス戦争の時代」とかの本を決めて、それを中心に取
りあえず今後討議し、次回の総会の話題に備えるとかするのも一つの方法だと思いす。
 それとも主だった著書毎に、レスをたて一番話題になった物を、次回の総会の話題にするとか。皆様のご意見をお聞かせ下さい。

59 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/14(金) 12:23
伊藤です。さていよいよ総会は明後日。先に自重自虐気味に、我が国の風情と自身の本性を顧みて「神々の棲む国」を投稿しました。今回の総会課題「国旗とミランダ」について、最初に閃いたことを記載しておきます。

●「神を呼び寄せる国」米国

我が国の反面教師というか、追随の師匠との幻想対象であるアメリカ。その国情や国民の諸相については、藤原肇博士の監視眼も尊重しますが、私が半生のアングロサクソンとの出会いとビジネス感覚にて受け止めてきた「神を呼び寄せる国」アメリカの本質に言及出来るかと、この投稿を開始します。

野茂、佐々木、イチロー、松井の連続挑戦に沸くMLB。いまや、日本では国内リーグを凌ぐ視聴率と放送時間帯を占領し、早朝でも生中継を見ることで多くの情報刷り込み現象も効果を挙げているのではないと自覚し、ミランダ効果の典型として受け止めています。

試合開始前の国歌斉唱に脱帽し聞き入る通過儀礼も、ホームチームの7回裏攻撃の開始前には9・11以降の恒例「God Save America」の歌唱と星条旗への拝礼にも馴染んでいる。国歌もGS愛唱歌も歌詞は至極国粋的なものであり、愛国心を構築する意図に満ちているのは自明のこと。本気で肯定せぬ多くの輩もパフォーマンスとしては「従順な愛国者」を否定しない。起立脱帽、黙祷に似た沈黙の時間帯は、個々の市民が出身信条を異にする「合衆国=大衆を合意させ立国」を無理にも確認する、見事なミランダ的パフォーマンスですね。後に南北戦争を惹起するように、政治的には多くの異分子を抱えながら、大英帝国の植民地支配軍事力に対抗して戦い、理想主義者の主導で建国した「史上希有なパラダイム立国」には驚き、「合意形成プログラムの奇跡的な成果」にも驚く。

私が東海岸エスタブリシュメントと馴染むための武器が「米国独立革命=戦争」の歴史的な経緯と局地戦への合意形成を深堀して記憶していることであったことを思い出します。どの日本人ビジネスマンも米国独立革命史への含蓄も注目も浅いことは事実であり、自国の「幕末・維新革命戦争」の明確な理解と国際的な位置取りなども同様に執着を持っていない。

新天地に降り立ち、先住民や植民地帝国と戦わざるを得なかったアメリカ市民は、やむを得ず「神を呼び寄せた」と言えるでしょう。独立革命から210年余、初期植民から300年。その間、絶え間なく「呼び寄せ続けた神」は、現在もMLBのスタジアムに、小中学校の教室に、地域の職場に住み続け、根を張っているのです。

この辺にも、自覚せず「神々の棲む国」の住民になり居心地を楽しむ我が国との差違を認めています。(続く)

60 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/14(金) 12:25
■「神を呼び寄せる国」米国(続)

●音痴と絵が下手な左利きは「自律教育の成果」か

ご承知かと思いますが、合衆国の初等教育(K7=幼稚園5歳児〜7年生12歳)では、公教育は連邦政府の末端機関「郡」の統制外にあり、州独自の自治組織(教育委員会相当)の運営に任される。

ただし、必須科目として「米国独立史」「ラテン語」「幾何代数」などは設定され、厳しく繰り返し幼い頭脳に刷り込む。同時に米国市民としての基本要件「愛国心の育成」は、スポーツや地域ボランティアなどの日常イベントなどを通して、コミュニティとしての合意形成を手始めに、見事に組み上げられていく。同時に、家庭や地域社会・教会などが連携して、個々の児童生徒に手厳しく「躾=反射的な善悪判断と行動規範を植え付ける」プログラムが普及している。日本では公教育プログラムにある「芸術・音楽・職業教育・パソコン技術・公民教育」などは、地域のボランティアや課外教育として実行される。そのためか、米国のエリートビジネスマンには音痴で絵の描けない連中を多く見かける。同時に「左利き」のままで筆記する連中も多い。

米国占領軍が、官僚はじめ経済界の指導層を引見しての初期認識が「日本人は12歳(以下?)」だったのは象徴的でしょう。反射的な基礎素養「躾」が出来ておらず、ただ単に記憶力や浅い理解力、自己本位の表現力は均質だが、真剣に答えのない難題に挑戦し乗り越える「自在な応戦力量の不足」を、米国側は短期に理解していたと確信する。戦闘期間中の「神風特攻隊」「ゼロ戦」や「神速進撃」の恐るべき日本軍の秘密を知り、唖然として霧の晴れたことも実感だったでしょう。そこからの対日戦略は簡単明解で「その気にさせ、自己中毒を煽り、従順を引き出す」ことに尽きるでしょう。この病理は、近年深みにはまり、身動きが取れないと信じるほどに日本の市民に刷り込まれている。

米英の初等教育K7期間では、記憶力や学習効果を限られたペーパーテストでは測らず、躾の成果、特に地域への貢献や公民意識の修得にて、個人評価とするのが一般的と見る。いまだに形骸だけの「中国の科挙」を継続した「瞬時の記憶理解表現=一度限りのペーパーテスト」を尊重する「受験地獄=偏差値幻想」に囚われた、我が国を冷笑していることは想像に難くない。だから「日本人は12歳」なのですね。

61 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/11/14(金) 17:44
君田さん、貴重な投稿有り難うございます。

過去、複数回にわたって脱藩道場総会に参加しているメンバー間で、次の総会まで半年あるからテーマを絞り、徹底的に情報・意見交換をやろうという提案が幾度か出たことがありました。しかし、残念ながら全て尻切れ蜻蛉で終わっています。

さらに悪いことは、今までに何度も大勢の人たちが藤原博士から貴重なお話を伺っていながら、その記録が形として残されていないということです。恐らく、藤原博士も内心非常にがっかりされているのではと愚考しております。その点、故丸山真男の場合は中野雄さんという弟子に恵まれたという点で幸せな人生だったと言えるのではないでしょうか。中野さんは『丸山真男 音楽の対話』(文春新書)という本を著しており、そのあたりの経緯についての心温まるエピソードが以下のURLに載っていますので、皆さんに一読をお勧めします。藤原博士にも「中野雄」が現れんことを切に祈りたいと思います。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/link.cgi?url=http://www2s.biglobe.ne.jp/~MARUYAMA/book/nakano.htm

さて、君田さん、本掲示板の管理者である西條さんと野田さん、その他参加希望者で来春の総会を目指し、一ヶ月に一度のペースで東京都内で情報・意見交換を進めていきたいと思いますが、如何でしょうか。ただし、参加者は総会に出席したことのあるメンバーに限定し、月一回程度の会合にほぼ出席できることが条件にしましょう。やる気のないメンバーには無理して声をかける必要はさらさらありません。

幸い、第11回・脱藩道場総会が明後日16日有りますので、二次会で来春の総会について話し合いましょう。


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62 名前: 亀山信夫 投稿日: 2003/11/14(金) 18:02
今回の叩き台に使う宿題は、過日の西條さんが決めたとおり800〜1200文字以内です。藤原博士には以下の番号のスレッドを亀山がコピーして渡します。そして、そのコピーを基に当日のブレーンストーミングを進めていきますが、それで間違いないか否かをご確認願います。


No.46 伊藤正彦 (934文字)
No.48 君田理二 (524文字)
No.52 野田隼人 (1183文字)
No.53 海野波彦 (682文字)
No.54 尾崎清之輔 (1096文字)
No.56 ナニワのだるま (1164文字)

伊藤さん、ナニワのだるまさんは、複数の投稿がありますが、上記の投稿番号で良いでしょうか。ご確認願います。800〜1200文字のは大変なのですが、何故藤原博士が800〜1200文字に指定されたか思い出していただければ幸いです。


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63 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/14(金) 18:53
>>61 【藤原肇博士との情報交換は録音すべし。知的財産権は尊重すべし。】
伊藤です。いまさら何で録音せず、記録も無しとのことを幹事役が言われるのか、よく分かりません。感謝の意志を伝えるために、何か博士にすべきことの、最優先事項は「総会の記録」をテープ起こしをして、ディジタルデータで差し上げることでしょうね。

知的財産権の問題がなければ、録音を準備しても良いですが、もっと機敏に出来る若手がいらっしゃるのかと推測します。どなたか、記録をとるかたはいなのでしょうか?

また、当掲示板の下欄に「当掲示板への投稿内容については、知的サロンの活動紹介を目的に、内容を編集し「ホーム・ページ「宇宙巡礼」の掲示板への投稿」と明記した上で、書籍・雑誌等へ転載する可能性がありますので、あらかじめご了承下さい。この件に関して、権利を主張される方は、掲示板への書き込み時に、電子メイルアドレスの通知及び著作権留保の旨の意思表示をお願いします。掲示板への投稿時に電子メイルアドレスの通知及び著作権留保の旨の意思表示がない場合は、投稿内容に関し全て の権利を放棄されたものといたします。なお、本件に同意されない方の書き込みはご遠慮申し上げます」とあり、通常の知的財産権尊重のルールとは、いささか違いますね。

知的財産権にも、基本的人権は認められ、勝手に流用したり、個人名などを含む著作権には、無言の承諾は成立しません。専門家の端くれとして申し上げます。

藤原肇博士のメッセージも同列ではないでしょう。逐一、著作権の放棄を発言ごとにするのは煩雑です。転用や編集して利用との機会があれば、管理者といえども、当該発言者の了解をとるのが常識です。少なくとも、個別のメールでと言わせるのが常道です。健全な情報交換や情報発信を目指す、志高き当サロンとしては逸脱した言質と受け止めています。学生のサークルではない、冷静な善処を期待します。

64 名前: 西條謙太郎 投稿日: 2003/11/14(金) 19:35
伊藤さん
ご指摘ありがとうございます。
本件、良い機会ですので総会の時にお話いたしましょう。
西條 拝

65 名前: 西條謙太郎 投稿日: 2003/11/14(金) 19:45
国旗とミランダ 

現代の日本人は、天皇が即天皇帝の略であり、日本の王様は、建前上、神であって
現人神と呼ばれ、その神聖不可侵のイメージが長く大衆操作に使われてきた歴史を
見逃してはいないだろうか。 神格化された天皇家と皇族をかついで、有力な豪族
や武家集団や官僚組織が臣民を実質的に統治するスタイルは、日本の歴史を貫いて
いる基本形である。

日の丸と天皇制の関係については、佐藤文明著『「日の丸」「君が代」「元号」考
−起源と押し付けの歴史を問う−』(緑風出版)によれば以下のように要約できる。
「古来、日の丸は天皇家を守るシンボルとしてたびたび使われ、江戸期には、日の
丸は、朱印船や幕府の御用米を運ぶ船の印に使われた。1853年のペリー来航を
機に、薩摩藩は日の丸を日本の船印とするよう幕府に求め、結局、老中阿部正弘が
54年に日の丸を日本の船印とし、56年に幕府は軍艦につける旗を日の丸と決め
、これを日本の国印だとした。
戊辰戦争のとき、幕府は徳川家の三つ葉葵や日の丸を掲げ、西軍は天皇家の家紋を
あしらった錦の御旗を掲げて戦った。
西軍が勝ったあとも、日の丸が生き残ったのは、日の丸が世界に向けて日本を代表
する日本の船印だったからである。
維新政府のもとで、日の丸は商船旗、海軍旗として残り、陸軍は旭日旗を採用した
が、日の丸の利用が広がってくると、しだいに臣民旗としてのイメージが強められ
た演出がなされた。
一般国民のその上にいる天皇・皇族は、臣民から日の丸を振られ、君が代を歌われ
る存在であり、天皇及び皇族自身は日の丸とは別の天皇旗・皇后旗・皇族旗を持っ
ており、旗とは別に、皇室の正紋として「菊花紋」と副紋としての「桐花紋」を用
いている。
天皇が外遊するとき、日の丸を押し立てて行ったり、日の丸を背に外国の要人と対
座することはない。」
このような歴史と背景を持つ日の丸を、天皇制を不問にしたままで国民国家の国旗
とすることには、矛盾を感じざるを得ない。

外から見れば、日本は、徳川幕府に遺恨のある尊王攘夷の薩長を、英仏等が上手く
尊王開国に誘導し、その延長上に、公家の朝廷革命の形で、尊王開国派の天皇への
切り替えが行われて、神聖皇帝(Holy Emperor)を頂点とする国として鎖国を解い
た国に見える。
また、日本は、米国が占領政策の一環として、天皇の戦争責任を不問として、天皇
・皇族を国民の上に残して統治に利用している国だという見方もある。

真の国民主権を体現するには、日本の代表は選挙で選ばれた首相とし、臣民旗の
性格の強い日の丸を廃して、ブラジル国旗とコントの思想を参考に、国民自らの
理想と意思を盛り込んだ新しい旗印を設定する必要があろう。 上つ方とそれをか
ついでいる現世勢力の相互利用関係を解くところに、ヤマトニズメーションを克
服する鍵が隠されているのではないだろうか。      ‐以上‐

66 名前: 海原波彦 投稿日: 2003/11/14(金) 21:34
 ■11月16日の脱藩道場へご参加のみなさまへ
 脱藩道場の二つ目のテーマにつきましてはいろいろと挙げられていますが、ここで、一度、今後の脱藩道場の進め方について話し合うというのはいかがでしょうか?
 私自身の案としましては、藤原博士よりインスピレーションを受けたテーマを皆様方各々お持ちだと思うのですが、毎回、一人ないし二人程度、そのテーマについて自分で掘り下げた研究結果を発表し、それについてみんなで話し合う場にしてはどうかと思っています。
 エネルギー、ハイポロジック思考、数理哲学、政治、ジャーナリズム論などなど広大なテーマがありますが、一人ひとり各自テーマを持つと、面白い掘り下げができるのではないでしょうか?
 その他、デジタルデータ化の件なども含めまして、いろいろと話し合う点があると思います。
 監事の亀山様、掲示板管理人の西條様、常連の浪速のダルマ様、それに今回初参加のみなさま、いかがでしょうか?

67 名前: 尾崎清之輔 投稿日: 2003/11/15(土) 01:30
亀山さん。
私の投稿した宿題の件、確認させて頂きました。相違ございません。

海原さん。
テーマの件につきまして、海原さんのご意見に賛成します。
ここに集まる皆様は、問題意識の高い方々で構成されておりますので、
おそらく各自のテーマは既にお持ちのことと思います。
総会では、例えば2部構成にして、共通テーマによる議論と共に、
個別テーマの発表とそれに基づいた討論を行うことで、
今まで以上に場の活性化に繋がるのではないかと思います。

68 名前: 伊藤正彦 投稿日: 2003/11/15(土) 13:23
>>66 【研究結果発表は、総会以外の月例会で積み上げてから】
伊藤です。海原波彦さんの提案「研究発表に広げる」とのこと、サロンへの積極姿勢は十分評価出来ます。

しかしながら、課題への宿題投稿を見る限り、初回の私も含めて、寄稿するのが精一杯で、各自温度差もあり、深さも異なると思われます。各自が、藤原肇さんとの接点から触発されるものは、それぞれですので、無理な設定はすべきでないと思います。

亀山監事からも「月例の情報交換」を起案いただき、道場の年間プログラムについての議論をすべきかと思います。それが「総会」の重要な役割でしょう。日常的な論戦を深めることなく、藤原肇さん臨席のライブ情報交換の場でだけ、盛り上げるとの姿勢は、冷静なプログラムではないと受け止めています。

ネットワークで「一衣帯水」にて、藤原肇さんより常時アドバイスがいただける環境ですから、かかる研究発表は各自スレッドを立てて、ネットワークでの情報交換と議論を深めるのが先決でしょう。そのプロセスにて、研究発表に値するテーマと研究者を絞り込んで、藤原肇さんも世話役も納得出来る「研究発表」ができることを望みます。

藤原肇さんも可能な限りの取材と叡智にて、個別の論断や起案、建言をしていらっしゃると思います。そのレベルの高さや論理構築の正当性に負けない努力を、各自はすべきと思います。若者の果敢な挑戦とルールを守る論戦や情報交換は同時に成立すべきことかと、長年の政治や論議好きな諸先輩や後輩にも常時徹底して来たところです。

長幼の序とは、年長者を無条件で尊重することではなく、本質を取捨選択する知恵を学ぶ、若者の知恵かと心得ております。

69 名前: 相良武身 投稿日: 2003/12/01(月) 23:27
相良です。遅くなりましたが、中野雄氏の著作を読ませて頂きました。
これだけの本が、学者の手でなく、1ゼミ生の手により編まれたことに
本当の教育者の姿を見えていただ板と思います。
この本は何故か、家内が目を通し(基本的には私の本は見向きもしないのですが)
たまにはいい本を読んでると言われました。
これがいいのか悪いのかわかりませんが、この本は確かに
十大名著かどうかを別にして必読書でしょう。
10年以上前から丸山教授がコミニュティの重要性を語っている事は
藤原さんにも結びつく事です。
今後、この本は多くに人に勧めるべきでしょう。うまくまとまりませんが

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