日本の危機
1 名前: 海原波彦 投稿日: 2004/03/09(火) 22:50
 今春の脱藩道場の議論テーマとして、以下、投稿させて頂きます(分量が多いので2つに分けて投稿いたします)。

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 今、生活レベルでの日本人の関心事は何かというと、大きなものに年金問題があります。
 しかし、これはそれほど大きな問題かというと、どうもそうは思えないのです。
厚生年金だと、現在の受給額は大体、夫婦で平均23万円くらいだそうです。
 住宅を手に入れていれば、再就職したり貯えを取り崩さなくてもそこそこの生活ができるのですから、これは正直いって、とても恵まれた額だと思います。
 また、もし30年後の高齢者がその半分しか貰えなくなるとしても、夫婦でとりあえず10万円以上もらえるのですから、現在、自営業者などが受けている国民年金(65歳から受給で、一人当たり年額797,00円)とあまり変わらないレベルです。
 月額6万6000円、夫婦で13万円強の国民年金で暮らしている人が、現在でもたくさんいるのですから、それほど大騒ぎする必要もあるまいに、と思うわけです。
 それよりもむしろ、現在の日本が非常に危険なのは、基本的な生活基盤にかかわる、食糧とエネルギー、それに情報の分野が脆弱な点だと思います。
 (当掲示板の常連さんご存じの通り、藤原博士のTMKダイアグラムです)

 もし、日本の主たる食糧の輸入先であるアメリカや中国で、100年に一度といったレベルの天候不良などによる不作が起きたらどうなるでしょうか? おそらく、食糧輸出国も国内に供給するだけで精一杯で、日本への食糧供給がストップしてしまうことは十分起こりうる事態だと思います。 
 とすれば、食糧の6割を海外に依存している日本は、パニック状態になることは必至でしょう。現在はこれほど溢れ返っているスーパーやコンビニの食品売場もガラガラになり、道路や鉄道は地方への買い出しに出る人で一杯。しかし、戦前と違い、地方の人間も物を持っているので、物々交換もはかばかしくいかない。デフレが一転してインフレに転じ、何とかその年をやり過ごしても信用が収縮して、経済はいよいよ正真正銘の不況に突入……といったことが起こりうるのではないでしょうか。
 そんな事態になれば、「月に23万円もらえるはずの年金が云々」といった議論など、吹き飛んでしまいます。
 そもそも、「ゆとりある老後」どころか、口に糊をするのさえままならないのですから。

2 名前: 海原波彦 投稿日: 2004/03/09(火) 23:01
(1より続く)
 エネルギーについても同様でしょう。
 中国、インドと、かつてのいわゆる「発展途上国(この言葉、いったいどんな「先進」に対する「途上」なのか良く分かりかねるところがありますが)」では、中産階級が急拡大しています。
 人口10億人超の2つの大国で新たに1割の中産階級が生まれれば、合計2億人で、それだけで日本の二倍、アメリカと同規模の消費型の経済圏が生まれることになります。これが2割だった4億人で、EUに匹敵する規模です。
 何らかの事情で石油の供給が滞った場合、エネルギーの消費量が急拡大しているのですから、その分、かつてのオイルショックよりも衝撃は何割も、あるいは何倍も大きいものになることでしょう。
 食糧問題と関連しますが、農機具に農業資材と、農業の石油への依存度が増しているのですから、これも食糧危機に結びつきます。

 情報に関しても、「日本のマスコミはインフォメーションレベルで、インテリジェンスがない」とはいうものの、それ以前に問題なのは、一般の世の中では当たり前の信義や常識に欠ける人々が大手マスコミで情報を流している点です。
 現場の若い記者はそうではないと信じたいですが、私の経験では、管理職以上のマスコミ人は、各新聞、メディアとも、はっきり言って普通の社会では信じられないような「嘘つき」が多いです。約束を守らない、二枚舌を使うなど、彼らのやっていることを、普通に商売をしたり、物を作っている人の世界で行ったら、誰にも相手にされなくなってしまいます。
 デスクや編集委員といった中年以上のマスコミ人で、会う人の多くが信義に欠ける人間なのですから、彼らの発信する情報の質の低さは推して知るべしです。怒りを通り越し、こんな人々が情報を管理し流している日本の状況が、心底心配になってきます。
 おそらく、日本では大手マスコミがその実、広告のクライアント企業、のみならず政治、その他諸々の権力の代理店として、目に見える形、見えない形で報酬を得ている点が堕落の要因だと思います(そもそも外国のクオリティ紙では、日本の新聞のように広告を全てのページの下部に掲載するなどということはやっていませんね。広告は広告として、まとめて広告ページに掲載してあるのが普通です。広告掲載の体裁ひとつを取ってみても、彼我のメディアでは情報に対する姿勢の違いが明らかです)。
 日本の情報産業では、最終消費者が読者ではなく、広告企業や権力になっていますが、またそれを一般国民が見破ることができません。
 日本人は商店や飲食店などの接客など、「目に見える」形でのサービスや、家電製品やブランド品など「モノ」に対する目は良く効き、それが国内製造業(さらには海外アパレルブランドメーカーまでをも)を育ててきたと言われますが、「情報」に関しては、ほとんど節穴です。 

 さて以上、TMK、工業を運営するためのエネルギーである「化石燃料」、人間が生存するためのエネルギーである「食糧」、知識活動のエネルギーである「情報」と、日本では生存や社会の根幹にかかわるエネルギーが全て脆弱であり、これが日本の最大の危機ではないかと考えています。
 今春の脱藩道場では、この点につきまして、意見を交換できたならと思います。
 私なりの打開案を、後日、投稿させて頂きたいと思います。

4 名前: 亀山信夫 投稿日: 2004/03/10(水) 06:43
第12回・脱藩道場総会の案内をホームページ【宇宙巡礼】にアップしました。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/sokai.html


ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫

5 名前: 津和野貴志 投稿日: 2004/03/10(水) 22:13
津和野です。
ロスト・サムライのスレッド 他、最近 楽しみに読ませて頂いております。
総会への参加については、検討させてください。
取り急ぎ、御挨拶と御連絡まで。

6 名前: 山田武郎 投稿日: 2004/03/17(水) 21:45
初めてこのスレッドに書き込みさせていただきます。インフォーメーションとして
の情報を評価し、「危機」であると判断した際、その危機をチャンス捉える発想力
とチャンスを生かすための具体的なアクションプランを策定する能力まで含めて、本
来のインテリジェンスと言えるでしょう。そうした観点からの海原さんの打開策の
提案を楽しみにしております。

7 名前: 駿河大三郎 投稿日: 2004/03/22(月) 08:21
『戦争廃絶の理論』坂口三郎 著 1986年 東明社 刊

序説 科学時代の破局と転換

近代文明は自然科学が創造したものである。
近代社会は技術が創造したものである。
コペルニクス、ガリレオ・ガリレイ、ニュートン、ファラデー、アインシュタイン、など、僅かに数名の科学者の名を並べただけでも、近代の自然科学の発展の歴史が、そのまま近代文明の歴史の進展の経過として浮き彫りにされる。

これに較べると、いかにもすぐれた偉人のように伝えられ一時は一世を風靡した偉大なる思想家、カント、ヘーゲル、デカルト、マルクス、エンゲルス、レーニン、などは、近代史の中で文明の発展のために何ほどのことをしたと言えるだろうか。

又、この間に、どれほど多くの君主、帝王、宰相らが、栄華を誇り権力を揮ってきたことか。そしてそれらの人々が人類の発展、社会の進歩、人々の幸福、のために、何ほどのことをなし、何を残したであろうか?

<略>
別に、近代科学文明の粋、原子物理学を、核爆弾の悪魔につくりあげて、広島と長崎で四十五億年の地球史を汚し、科学文明の近代史を人殺しの野蛮史に転換して一つの時代に終わりを告げたのであった。

それから早くも四十年が過ぎ去っていった。その間に、一旦狂った野蛮心は正気に戻ることなく、益々野蛮化の一途を進み、人類の絶滅、地球の破壊、に運命をかけて米ソ両国を先頭に、戦乱と軍拡競争に没頭しつつある。何故にこのようなことになったのか。それにはいろいろと理由がある。

思えば、第二次大戦までの科学というものは、物だけの科学に過ぎず、生命、と心のことは、信仰の迷信や、哲学の解釈に委されてきたのであった。

それが、第二次大戦後、急速に進歩した分子生物学によって、昭和二十八年(一九三三)に遺伝子の構造と機能が明らかにされて、三十五億年の永い間、生きつづけてきた万物の生命の実相が明らかになり、それから進んで心の科学が確率された。ここで自然科学は、物と、生命と、心、の三界の実相と、その三者の間の関係が明らかになり、今やこれまでの物理化学による産業革命以来の産業と並んで、生命の科学はバイオテクノロジーとなって科学産業時代の先端に立ち、心の科学の産業化による情報科学は、現代の産業社会の構造の中で最も重要な部分を占めるに至っている。

元来、没価値、無目的、なものと規定されて進歩してきた近代史の花形、物の科学は、没価値、無目的、の本性によってそれは公害と核兵器に発展して、政治外交の破局、経済の破綻、人類の絶滅、地球の破滅、という現代世界の現状となったのである。

<略>

地球世界の現状は、軍拡と、それらによるインフレーションの激化によって“国家”という虚構の権力構造は何れも、亡国、崩壊、に直面していることは誰の目にも明らかである。即ち、近代史の花形として国民に“生命を捧げる忠誠”を要求してきた“国家の時代”は過ぎ去っているのである。世界の平和のために捧げる生命はあってもお国のために生命を捧げることは全く無意味になっているのである。

“増税なき財政再建”は“インフレなき経済再建”の前提によって可能性が生まれ出るものであるが、国家による“インフレなき経済再建”は全く不可能であることは明白で、これは全世界経済の総合的課題である。

要するに政治、軍事、財政、経済、すべての面で“一国”の手にあまることばかりで、この現状を救うものは、国家をいかに再建するか、ではなく、これらの諸問題のすべてを含めて、地球をいかに経営するか、という視点に立って考えるべきときに直面しているのである。これは日本の明治維新にその前例がある。

徳川幕府をいかに建て直すか、各藩の藩政をいかに改革するか、という考えを捨てて、全日本をいかに総合一体化して経営するか、という視点に立って、極めて巧妙に諸々の難問題を合理的に解決したのであった。

即ち“藩を廃して全日本を”という日本の明治維新の故知に習って、今世界は“国家を廃して全地球を”いかに総合一体化し、地球的規模の“廃藩置県”の必要に迫られているのである。

<略>

<終>

8 名前: 海原波彦 投稿日: 2004/03/23(火) 21:03
 テーマを提案しておきながら間が空いてしまい恐縮ですが、前回からの続きを投稿させて頂きます。 

 前の書き込みで触れましたが、現在の日本の危機は、TMKのエネルギー源(あるいは人間が生活していくのに必要な基本的な衣食住と言ってもよいと思います)の脆弱性を、日本人がまったく意識していないことです。
 地下資源と農地を求めて大陸に進出し、アメリカの石油禁輸によって太平洋戦争の戦端が開かれ、戦後は酷い食糧不足に悩まされたという、苦すぎる経験をなぜか忘れ去っています。
 経済の本来の呼び方が「経世済民」であるのにもかかわらず、経済政策ではGDPの成長や経常利益(貿易黒字)、為替動向ばかりが語られています。
 これは雨漏りがし、土台が腐っていつ倒壊するかわからないあばら屋に住みながら、屋根の葺き替えや土台の入れ替えを行わずに、高価な外車を乗り回すようなもので状態で非常にアンバランスです。
 政治には自ずから優先順位というものがあり、その最も重要な目的はやはり、国民が衣食住を安定的に手にすることができ、また安全に暮らせるようにしておくことでしょう。
 そのための手段として、社会保障や教育、警察、司法、外交、軍事などがあるわけですが、手段と目的が混乱しています。
 まず日に3度、コメのメシと味噌汁(パンやパスタでも構いませんが)、それに適当なおかずが口に入るようにしておかなければいけないのに、それをなおざりにして食後のデザートのことで大騒ぎしているようなところがあります。
 日々の食事、すなわち我々が生きていく上で必要な資源とはTMKのエネルギーですが、これを確実に確保するためには、では一体、最低限我々はどれだけの量と質のエネルギーを必要としているかを知らなければなりません。この必要量を明らかにすることによって、足りない部分をどう補えばよいのかという議論ができるようになります。
 また、世界的な食糧不足やエネルギー不足が生じた際の、さまざまなオプションも考えられるようになります。同時にそういった緊張感のある問題意識によって、インテリジェンスは研ぎ澄まされます。

 残念ながら現在の日本では、戦後一貫して、単に「豊かになればいい、対外黒字を稼ぎさえすれば豊かになれる」という発想で経済を膨張させてきたので、経済の内容が一種の「どんぶり勘定」になっていて混沌としています。国家なり経済なりの運営を考える上で基礎になる「バランスシート」もありません。考える姿勢もなければ、考えるためのツールもないといった状況です。

 ですからまず食糧について、国家がWTOの農業交渉に前にやらなければならないことは、国内で「最低限」必要とする食糧の量を割り出し、そのラインを死守する上で必要な食糧・農業政策を設計することでしょう。
 もちろん、これは閉鎖的な農本主義ではなく、平時はできるだけ自由に農産物の取引をして、豊かな食生活を楽しむことは多いに結構なことです。しかし、常に最悪の事態への備えをしておくことが必要だということです。

 エネルギーについても同様に、最低限の衣食住に関わる部分のエネルギーについて、風力発電や地熱発電など、本気で自給率を高める努力が必要です。
 また何らかの事態で石油の価格が大幅に高騰したり、輸入がストップするようなことがあったとしても、生活必需品にかかわる産業や、医療、公共交通にはなんとかエネルギーが供給できるよう、利権とは離れたところで、きちんと政策的な優先順位を組み立てておくことが必要です。
 これも食糧と同様に、平時はできるだけ自由にエネルギーを輸入して豊かな生活を営み、付加価値の高い製品を生産して外貨を稼ぐことは大いにやるべきです。ただし、最悪の事態への備えが必要だということです。

 以上については、「抽象的な議論」と感じられる方も多いことと思います。また実際問題として、現在の日本の国政レベルでは、そもそもとても論議の緒にすらつきようにないのが現実でしょう。
 そこで次回は、我々がTMKのエネルギーを確保するための、もう少し具体的な方法論について述べさせて頂きたいと思います。

9 名前: おじゃり 投稿日: 2004/03/27(土) 01:10
今の日本には「足らない」ことが足らない。

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