虚構と瞑想からの超発想
1990年05月15日初版発行 本体価格1553円+税
東明社
絶版
|
まえがき
ハイポロジクスとはなにか
われわれがハイポロジクス(Hypologics)ということを最初にいい出したのは、自動車の排気ガス公害が重大な社会問題としてクローズアップされていた時期であった。
一九七〇年、アメリカにおいて自動車の排ガス規制に関するマスキー法が成立し、公害規制という立場から自動車技術の動向を制御しようというプログラムが動きはじめていた。新聞・雑誌などジャーナリズムのヒステリックな論調は、大きくなり力をもちすぎた自動車産業に対する言いがかりのような性格をもっていた。当然ながら自動車メーカーのエンジソ技術者たちは、マスキー規制をクリアーするようにエソジγを改良することは原理的に不可能だ、と主張した。
このようなときに何人かのエンジニア技術者が、マスキー規制は原理的に可能であり、熱効率、振動、騒音など、エンジンの基本的な技術の動向においてもプラスの方向に導く可能性があるということをいい出した。しかしそのためには、従来の技術はかなり大きな転換をすることが必要であった。
ところが技術の動向を大きく変えるような発想は、企業べースではなかなかとり上げられにくい。そこで彼らの提案は、国や公の研究機関、あるいは環境庁や通産省などの技術行政をあずかる機関にもち込まれた。学会に対してもディスカッション・テーマにとり上げるようにという働きかけがなされたが、結果としてはどこもこの技術をとり上げようとしなかった。
もちろん積極的に否定されたわけではない。すべての所において、公式的な見解は「興味ある発想であるが、実証データを整えた上で再提案願いたい」ということであった。
ようするに「単なる仮説の段階」のものは公式の検討の場にはのらない、というのである。提案者たちの執拗なアピール活動により、国会の公害対策委員会において質疑応答が行なわれ、それが国会議事録にも残っている。ところが当時、自動車メーカーの排ガス対策不可能論をヒステリックに追求していた新聞も、このことをいっさい報道しなかった。さる大新聞の報道部長は「たとえ過半数の技術者、学者の賛同を得たとしても、この種の技術的な問題を報道することは一般紙では不可能だ」といった。
当時の思想的な風潮として“仮説的である”ということは、明解な否定の論拠であった。公的機関の責任者や企業の経営者たちは、確実な実証的論拠の上に立って判断をするのが正当な思考パターンであるという誤解をもっていたのである。当時においては、これは有効な考え方であった。
わが国は経済においても科学技術においても二流の国であったから、アメリカをはじめとする一流の先進諸国において生まれた技術で、実用化一歩手前か、すでに実用段階に到達したものを、その段階で貧欲にくらい込んでくればよかったのである。そればかりか、海のものとも山のものともつかないような技術に興味をもってくらいつこうとする技術者は、“ダボハゼ”と呼ばれ、軽蔑の対象にすらなっていた。つまり、このような風潮は、経済の高度成長期にあった二流科学技術の国の社会的環境に適したものだったと思う。
しかし一流に仲間入りしようという現在においては、状況はまるで異なっている。
すべてのものは「仮説的な発想」あるいは「願望を体系だてた虚構」から出発するのであって、この段階をシステマティックに育てていく思想や社会制度がなければ、いくら技術を育て上げていくテクニックをもっていたとしても、最初の芽が出たい。昔から「親がなくても子は育つ」といわれているように、育て上げるプロセスよりも芽の方が重要であることも多い。われわれは今日まで二流の技術国であったがため、芽の重要さよりも、育て上げるという方に力点がおかれていただけのことだと思うのである。
われわれはこのようた観点から、新発想が生まれてくるプロセス、しかもそれが単たる思いつきの落とし胤として終わるものではなく、ある程度の根を大地にはり、実を結ぶまでのプロセスを体系だてる方法はないかと考えた。そのためには「仮説の段階」に確固たる市民権を与えることが必要である。そのようにして考えられたものが、ハイポロジクス、すなわち仮説論理学なのである。
ハイポロジクス(Hypologics)とは、仮説(Hypothesis)と実在・本質(Hypostasis)と論理(Logic)という三つの語をつなぎ合わせてつくったわれわれの造語である。そして「仮説こそが本質をとらえる唯一の手法であり、実証データなどはいくら集めてみても真に本質をとらえることにはならない」というのが、われわれの根本的な思想である。
仮説というものをどのようにしてつくり出していくか、またその仮説をどのようにして効果的に実証していくか、また仮説の段階をどのように行動に結びつけるかーこれが、本書で紹介するハイポロジクスの主なテーマである。ハイポロジクスの体系はまだ生まれたばかりのものだ。
体系化の試みの段階というべきものかも知れない。今後いろいろな人の手によって育て上げられていくべきものであろう。
また、このハイポロジクスの基本的な思想に基づいて行動する人を、われわれはハイポロジストと呼んでいる。いろいろな分野でハイポロジストたちが生まれ育ち、その人たちによってハイポロジクスが実質的に影響力をもつようになることを私は期待している。
またこの本は、「ハイポロジクス発想」と題してダイヤモンド社より'九八二年初版が発行され、技術開発や商品開発における企画技法として、今日まで、講習会・講演会などで利用させていただいているものである。
そしてこの度、読者諸氏のご意見をふまえて多少の加筆を行い、「虚構と瞑想からの超発想」と改題し東明社から復刻出版する運びとなったことは、まさに時を得ていると思う。
昨今の世界情勢の急変は言うに及ばず、大きな変革に直面しつつある日本の企業環境にわれわれはどのように対処すべきかということを考えるとき、いまこそ、巨大な発想の転換が要求されているのではないだろうか。
一九九〇年三月三日 山田 久延彦
まえがき ハイポロジクスとはなにか
第1章 社会は超発想を必要としている
第2章 信じられないようなことが事実だ
第3章 すべての空想は実現可能である
1 ハイポロジクスの原理とその逆接的論証
2 超発想のための五つの方法
(1) 類推発想法
(2) 逆接発想法
(3) 相似発想法
(4) 秘伝発想法
(5) 虚構論理発想法
3 四つの誤解のメカニズム
(1) 常識という誤解
(2) 権威主義という誤
(3) 唯物史観という誤解
(4) 実証主義という誤解
4 科学技術復興の時代
第4章 否定の論理を超越する力
1 発想を抑圧する社会の論理
2 新しいものを拒否する科学者の頭脳
3 高度な知性が落ちこぼれる
4 大学という閉鎖杜会の論理
5 説得力のある否定の論理
第5章 類推発想法 −ハイポロジクス発想1
1 自然と社会をつらぬく大域法則
2 経験と直観をエンジニアリングする
3 ブレーク・スルーを発見する発想
(1) マルサス則と.ハール・リード則
(2) 変革の原則
(3) 超視界の原則
4 石油文明の次はなにか1大域法則による予測
第6章 逆接発想法 −ハイポロジクス発想2
1 サイエソスに説得されるな
2 根本を否定する逆接発想
3 逆接発想による生物の退化論
第7章 相似発想法 −ハイポロジクス発想3
1 異なる世界に相似象を探す
2 相似発想と制ガン剤研究
3 思考実験と「思い込み」のテクニック
第8章 秘伝発想法 −ハイポロジクス発想4
1 歴史的天才が多用した超論理
2 現代に生きる古代の科学
第9章 虚構論理発想法 −ハイポロジクス発想5
1 無から有を生む「虚構」のエネルギー
2 ハイポロジクスの完成に向けて
第10章 時代を動かす超発想
1 技術革新時代の組織
2 ハイポロジスト宣一言
3 矛盾の最終的解決はあるか
補説 瞑想からのハイポロジクス発想
1 瞑想形発想のメカニズム
2 能動的な瞑想・考証形瞑想発想法
3 受動的な瞑想・啓示形瞑想発想法
4 瞑想の中から唱出された般若心経
5 般若心経の新現代語訳への挑戦
6 現代語訳般若心経
(1) 宇宙的尺度(高天原次元)の知識の基本理論
(2) 統一場理論の相似象として説かれた人生訓
(3) 般若心経の生い立ち
あとがき 技術立国政策とハイポロジクス
あとがき
技術立国政策とハイポロジクス
これまで日本人は、欧米の文明や技術を導入することにひたすら努力してきた。そのためには、サイエンスという「説得の論理」をいち早く理解することが必要であり、理解力型秀才がもてはやされてきた。
ところが、重工業からコンピュータ産業に至るまで、いろいろな分野で世界一流のレベルに到達してしまった現在、日本人に必要とされる能力が今までと異たってきた。すむわち、創造力が要求されるようになったのである。かつて企業や社会の中枢において大きな役割をはたしてきた理解力型秀才は、意外にこの創造力に乏しい。
創造力というのは、能力というよりも執念といった方が適切である。この執念において、日本人は、本質的に決して諸外国の人びとに劣るのではない。ただ現在のところ、理解力型秀才が社会の重要なポジショソを占めているため、どちらかというと日本は、基本的な問題において欧
米より創造力に乏しいような印象を与えているにすぎないのである。
しかし、創造力型天才がそのポジションに入れかわった場合、日本の創造力たるや、世界のどの国の追随をも許さないほどのものになるはずである。日本の創造性が乏しいといわれる所以は、国民性にあるのではなく、社会体制の中にあると私は考えている。
日本の特許出願件数は今や世界一である。数が多ければよいというものでたいことは、本書の中でも述べたが、質の悪い特許が出されるのは外国も同じことであり、この量的な大きさの中には日本人の創造への意欲が現われている、と考えてよいだろう。
現在の問題は、むしろ発想のとり上げ方がきわめて下手なことにある。そのうちに、とり上げ方のテクニックも上手にたってくることを期待したい。
日本の中で互いに足を引っぱり合うような競争をしている限り、この新発想をとり上げていくテクニックは上達しないかもしれない。だが幸いなことに、わが国はいやが応でも国際的な競争の場に立たされてしまった。レベルの低い競争に憂き身をやつしている余裕はないのである。一つの社会的ブレーク・スルーがあれば、潜在的た活力をもっている日本人の創造性は、たちまちのうちに表面化するであろう。馬野周二氏の予言する「大日本技術帝国」の出現は日にみえている。
この時代の趨勢に遅れをとることなく、いち早く対処するためには、サイエンス以前の問題を扱う技術の体系を身につけることが必要である。すなわち、プリ・サイエンスの体系を確立することが必要なのである。このテーマを体系的に扱った人は少ない。しかし、それだけに成果はきわめて大きいことが予想される。
この研究テーマは、大きな発想の転換を必要としている。いろいろなアプローチの仕方があると考えられるが、本書で提出したハイポロジクス(仮説論理学)は、その一つの試みであった。
まだ完成された論理ではないが、この提案が呼び水とたって、いろいろたプリ・サイエンスの世界が切り拓かれ、さまざまな可能性が現実化していくことを期待したい。
本書を執筆するにあたり、多勢の方々のお世話になった。参考にさせていただいた貴重な文献も多い。とりわけ馬野周二氏の著書からは、多くの引用をさせていただいた。末筆ながら、この場を借りて謝意を表する次第である。
図書購入
|