『ジャパン レボリューション』(清流出版)のあとがきから

            

本書が誕生した経緯と時代精神

 二十一世紀になったといっても未だ始まり段階だが、バブル崩壊に続く1990年代を支配した問題の先送りという悪弊によって、誰も責任をとらなかった失政の放置のために、十年以上も続く不況は未だに底を突くに至らない。日本列島の上に厚く覆った暗雲が広がっており、平成幕末は今後どれほど続くか分からないが、昔から「夜明け前が最も暗い」という譬えが教えるように、人材払底の今は最悪に近い状況かも知れない。
 一つの民族や政治体制が老衰するようなときには、自分たちの意思や生存理由の総ての面で、人びとは自らの頭を使って判断しようとはせず、快感を与えてくれる者の手にゆだねてしまいがちだ。差動変換が生み出す循環サイクルの支配により、総ての組織体は生成、発展、衰退。滅亡に支配されるが、「陰きわまって陽に転ず」という変通の理によれば、われわれが生きる時代もこの史象の上にあると分かる。
 こんな世紀末の延長としての混迷状態で新世紀を迎え、これからどんな未来社会を目指すべきかを考えるにあたって、過去の総括と現状分析をして置くことが必要だが、幸運にもそれは過去数年にわたり既に試みられていた。何と言うタイミングの良さであろうかと嬉しくなるが、それは江口敏さんという名編集者の功績である。
 私と江口さんは20年来の付き合いの関係があり、その間に彼は幾つかの月刊誌の編集長を歴任し、最近の10年間は「財界にっぽん」の編集者だった。そして、私が帰国したと連絡する度にテレコを持って駆けつけ、世界から見た日本について一時間ほど喋らせ、テープを起こして記事にするのを楽しんでおり、年に数回だが放談と題し誌面に掲載していた。    同時に、彼は「エコノミスト登場」という企画も担当しており、気鋭のエコノミストに毎月のようにインタビュー形式の取材をして、そこで正慶先生が洞察に満ちた発言を行い、時には私と正慶さんの対談が活字になる企画も生まれた。
 私の発言のかなりのものが拙著に収録してあるし、正慶さんとの対談もその幾つかを収録させて貰ったので、読者たちは正慶先生の博識と洞察力に接して、オフキャンパスの講義の醍醐味を満喫して来たはずだ。そして、今回はその集大成として共著の出版が実現したので、こんな嬉しいことは天に昇るような気分だから、この稀代の喜びを本書の読者と共に分かち合いたいと思う。


意味論(セマンティックス)を使いこなす正慶先生との対話の醍醐味

 正慶さんと喋っていつも楽しくてたまらないのは、彼が言葉の概念と意味論を徹底的にマスターしていて、何について論じても自由闊達に話が流れるし、エスプリの閃きと薀蓄に富むユーモアが持つ味覚のために、議論の後に爽やかな気分が残り疲れを感じない。
 歴史を背後から支配している沈黙の叡智をはじめ、次元の彼方に潜む暗黙知の領域について、驚くほどの造詣を持っている点に関しては、正慶さんの右に出る日本人はほとんどいないと思う。そうした意味では本書を世に送り出すことで、語り口の形で味わう書物の誕生として、日本語が持つリズム感を出版文化の発展に貢献できたのは嬉しい限りである。
 二十世紀が誇る知的好奇心の全貌と呼ばれ、二十一世紀への綜合的な展望の書として知られた、ダニエル・ベルの「二十世紀文化の散歩道」(ダイヤモンド社)という巨峰に挑み、実力で険岨を乗り越えて翻訳を果たしたことで、正慶さんは日本人に二十世紀の知的総括を突きつけた。それが単に翻訳の問題で終わらなかったことは、彼自身が全力投球をして纏め上げている、「大衆社会の文化的矛盾」と題した解説を読めば、その深い造詣の一端を目の当たりにするはずである。
 日本の書店で横積みになって氾濫している、紙屑に表紙と題名をつけたベストセラーと較べれば、読み手として選ばれることの光栄を体現した、このダニエル・ベルの畢生の大著を日本人の手元に届け、近代の終焉を教えた正慶さんの功績は絶大だ。それは訳書だけでなく彼がこれまでに書いた本をひもとけば、ブック・クラスターを通じて学ぶことの喜びが、ひしひしと脳髄の中にまで伝わって来るからである。
 正慶さんは意味論の達人として数少ない日本人で、生きたセマンティックスを駆使する論客としては、小室直樹博士と並び立つ日本の巨峰だと思う。小室さんとは20年ほど前に対談した時の共著が、「脱ニッポン型思考のすすめ」(ダイヤモンド社)と題して出版になり、多くの若い世代に対話の楽しみを玩味してもらったことがある。


もう一人の意味論の使い手である小室直樹博士との対話

 1970年代の後半に小室さんの「危機の構造」(ダイヤモンド社)を読み、この本が戦後に出た日本の10大名著の一冊だと考えた私は、これ以上の名著を書く動機にして欲しいという気持ちで、彼との対談を1981年1月に実現し1年半後に本になった。その頃のダイヤモンド社には共通の友人が編集者におり、小川三四郎の筆名を持つ故・曽我部洋さんは、対談物は売れないから出版は無理という空気の中で、「危機の構造」を纏めた時と同じような苦労をして、対談を編集して一書に仕上げてくれたのである。
 問題の核心を掴む小室さんの直観力の凄さは、50年に一人の天才と形容できる稀有なものであり、「危機の構造」を凌駕する名著を書き上げることで、亡国に突き進む日本に対して警鐘をかき鳴らして、百年に一人の天才になって欲しいという願いは、「危機の構造」が持つ峻険さの故に実現し得なかった。多分カッパの本を仕上げるのに忙しかったり、小川三四郎さんほど厳しい編集眼を持ち合わせずに、売れる本を出したい編集者たちの口車に乗って、純情で根っから人がいい学者肌の小室さんは、収斂を目指す学問より拡散に向かうジャーナリスティックな世界に、より快適な寛ぎの気分を感じてしまったのだろう。
 私は人生を石油ビジネスの中で過ごしてきたので、海千山千の山師たちと渡り合うのに慣れているが、日本のメディアは魑魅魍魎が跋扈する世界であり、世情に疎い象牙の塔の住人の多くは手玉に取られてしまい、身も心も荒廃させられる魔窟に取り込まれる。そんな舞台で荒稼ぎしている評論家や御用学者たちが、小室さんの博識とカンの鋭さを利用しようと接近して、世間知らずで善良な彼を食い荒らすのを見れば、太平洋の彼方にいる私は歯軋りするばかりであり、知的荒廃が進む場所に彼を置く危険を痛感した。
 だから、かつて正慶さんと意味論に関し対談した(「経世済民の新時代」に収録)時に、「セマンティクスが分かっているのは『階層は階級よりも上だ』と言っている小室博士ぐらいでしょう。ただ、彼は論理思考にはとても優れているが、人を見る目が惜しいことに欠けているために、知性を振りまくくせに意味論にもロジックにも無知な、上智大学の知性屋教授を好んで相手にするので、折角の小室博士の思考が汚辱されている。昔から『良禽は木を選ぶ』という通りで、自分が誰と組み合うかの選択は重要です。美しい花は花瓶を選んで生けるべきで、尿瓶に生けたのでは惜しいことであり、この知性を売り物に稼ぎまくる語学屋先生は、ニセのインテリ現象を日本中に蔓延させました」と私は発言している。
 日本が直面していたとても危機的な状況に対して、最も建設的な提言を出来る高みに立っていた小室さんだったが、痴性教の布教師の呪いに誑かされたために、彼なら果たし得た貢献を十分に実現しなかったのが惜しまれる。だが、1980年の段階で日本の置かれた状況を診断して、対話として歴史の証言を残せたのは何よりだった。
 その前に出版になった「日本脱藩のすすめ」(東京新聞出版局)と共に、小室さんとの対談は現在では絶版になってしまったが、出版当時は多くの若者を読者に獲得して、世界で活躍する日本人たちの青春の原点になったらしい。そして、15年後に小室さんと再会した機会に活字化が実現した、「意味論オンチが日本を滅ぼす」と題した対談記事と「脱ニッポン型思考のすすめ」は、読者たちが作る脱藩道場のサイトで読むことも出来る。
 手紙は万年筆を使って書くという趣味を持つ私は、E−mailは週に一度くらいしか読まないけれど、Googleで[藤原肇]を検索して脱藩道場を開けば、小室さんと過去に行った対談はダウンロードすることが出来る。しかも、今回は小室さんと並んで生きた意味論の使い手である、正慶さんとの対談が一冊の本になったことで、新世紀の時代を担う運命の若者や退役した世代にとって、この上もない贈り物になるという予感がする。


カジノ経済の中で衰退したジャーナリズム精神

 今から二十数年前は日本のジャーナリズムは未だ健在で、日本に立ち寄ったと記者たちに電話を掛ければ私の都合を聞き、取材に駆けつける新聞や雑誌の記者がいたし、ジャーナリストの足腰や問題意識が機能している様子が、少し議論しただけでたちどころに読み取れたものだ。しかし、20年前に思うことがありテレビと週刊誌に出るのを止め、大事な問題だけコメントを寄稿する路線に転換したら、「去るもの日々に疎し」の譬えがそのまま実現して、時間が経つに従って駆けつける記者が少なくなった。
 理由の一部は記者が定年で教官や評論家になり、現場を離れて新しい人生を始めたためだが、編集長が無能だとか会社の姿勢がダメだと言って、油の乗った中堅記者が仕事に見切りをつけて辞めるケースも多く、メディアが硬直化して行く状況を明示していた。雑用で多忙になり広い視野で勉強する努力が衰え、他人が手がけた成功の模倣に終始している内に、組織が肥大して幹部のサラリーマン化が進み、冒険に挑まず慣例を墨守するようになって、商業主義に毒されて日本のメディアは批判精神を喪失した。
 それは日本が中央集権と大量生産方式によって、社会として弾力性を失ったのと軌を一つにした症状であり、中曽根バブルの肥大で国中が大国意識に陶酔し、カジノ経済で拝金主義が蔓延する時代性を象徴していた。地上げや株の投機に国をあげて熱狂したのであり、日本のメディアが流行させた「財テク」という言葉は、そのような弛緩した時代精神を如実に反映していたし、責任感の喪失は汚職や疑獄を続発させている。
 そんな状況に対して深刻な危機感を抱いた私は、日本のジャーナリズムが直面している堕落と退廃に注目して、「朝日と読売の火ダルマ時代」(国際評論社)と「夜明け前の朝日」(鹿砦社)として纏めるために、引退したジャーナリストや経済人を各地に訪ね、埋もれた秘密を引き出す目的で対話の旅を十年ほど続けた。そして、「歴史の証言」として活字にした対話の威力と面白さを痛感し、多くの読者が喜んでくれたのを目にして、生身の言葉が持つ味わいを楽しむ時代の夜明けが、いよいよ始まったという印象を持ったのである。


新世紀の躍動する時代精神と対話する雅趣の復活

 5年ほど前のことになるがケンブリッジ大学の便箋で、「(前略)・・・高等学校在学中に小室直樹博士の一連の著作を愛読し、そのうちの一冊[脱ニッポン型思考のすすめ]で藤原先生の名前を初めて存じ上げることになりました。殊に、『日本脱藩のすすめ』には大いに啓発され、慶應義塾大学法学部政治学科を一年間休学し、主として英語研修のため[遊学]いたしました。カナダ、トロントでは同書をすりきれるまで、頻繁に繙いたことを懐かしく想起いたします。(中略)・・・専門研究領域を中世末期ヨーロッパの政治思想史と見定めた後は、藤原先生が『脱ニッポン型思考のすすめ』でご指摘の様に、[世界で一番良い先生に師事するのが最善]と考えました。・・・(後略)」という文面の手紙と共に、厚さが五cmもある学位論文がイギリスから航空便で届いた。
 この浩瀚な論文は最初の数頁を読むだけで、悪戦苦闘して一週間も掛かったほど難解だったが、それから4年が過ぎた昨年の春に、将基面貴巳博士は「反[暴君]の思想史」(平凡社新書)を上梓した。この暴政について論じた啓蒙書を読んだ時に、[『王制』の逸脱形態が『暴政』であり、『貴族制』から逸脱したものが『寡頭制』であり、『共和制』が邪悪になったものが『民主制』である・・・。]という記述に接し目からウロコガ落ちた。
 そこで四十数年ぶりにプラトンの「共和国」を読み直し、今の日本が暴政に支配されていることを確認して、政治家の劣悪化に伴う官僚支配の実態が、僭主制そのものだという歴史的な事実に気がついた。しかも、20年も昔に出版した小室博士との対談の前書きに、私は「共同体から日本共和国の懐妊」と題した文章を書いており、そのことを忘却していたことを知って茫然としたのである。
 ソクラテスやプラトンの哲学は問答による対談で伝わり、仏教の経典やキリスト教の「聖書」は言行録であるし、「論語」を始めシナの古典の多くも師の発言で、対話による生身の言葉の秘める価値には絶大なものがある。
 空海の「三教指帰」や中江兆民の「三酔人経綸問答」を見ても、日本には対話による素晴らしい古典があるのに、民族が誇る伝統を忘れて姑息な元雄弁会員たちの空虚な蛮声に毒され、まともな対話も出来ない政治家の跋扈が続く。それが平成幕末による亡国現象を際立たせて、日本の未来を不透明なものにしているが、発言と対話を中心に構成された本書を読むことで、日本人が意見吟味の雅趣を取り戻して欲しい。
 それが若い世代への大きな贈り物になるという点で、本書の誕生に協力して頂いた多くの人に感謝して、好意に溢れた御厚情に対しお礼を述べたい。
 記事の編集に力を注いで下さった江口敏さんと野本博さん、本書の上梓を決断された清流出版の加登屋陽一社長と臼井雅観出版部長、それに、掲載記事を一書にすることを快諾された「財界にっぽん」の川口雅三社長、皆さん本当にどうも有難う御座います。


2003年早春        カリフォルニアの砂漠のオアシスにて、 藤原肇     



藤原肇博士のメッセージ
脱藩道場の春季総会への宿題論文のテーマ

2003年の春の脱藩道場の総会に向けて、予告してあった宿題のテーマを発表する。
「ジャパン レボリューション」の幻の原題は「日本の回天軸」であり、回天という言葉を選んだ背後に幕末の回天思想があり、これは「夜明け前の朝日」の「あとがき」に登場している、孟子の「湯武放伐」という理念を継承するものである。
間もなく出版になる正慶孝教授との共著の「あとがき」が公開になり、意味論という視点で正慶孝と小室直樹の両雄について論考したが、回天、意味論、レボリューション、人材育成などの言葉をキイワードに使い、適々斎塾と松下村塾を比較しながら、脱藩道場の今後の在るべき姿と理念について、800字以上1200字以内に論文を纏め、このスレッドに見解を発表することが、当日における入場券に相当するものとする。
これが当日のメインテーマの一つとして、一時間以上の時間を充てて議論する予定であり、宿題として本掲示板には一人一回だけ受け付け、最終締め切りは2003年3月28日とする。なお、非参加者あるいはオブザーバーの投稿は、討議の参考資料として歓迎するが、掲示板への投稿は3月28日より後に願いたい。以上。

2003年03月17日(月)


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