『ニューリーダー』2012年11月号
ドラッカー七回忌・追悼対談(下)
読み込んでほしい理想主義と開拓者魂
安易なビジネスにしてはいけない恩人
斎藤 勝義(元ダイヤモンド社・外国書籍著作権担当責任者)
藤原 肇(慧智研究センター所長[霧島]、フリーランス・ジャーナリスト)
ドラッカーをダシに使った「二匹目の泥鰌」ビジネス
藤原 昔の書店には知的な雰囲気が漲っていて、書棚に並ぶ新刊書や新書のカバーを眺めるだけで、読書することの喜びが湧き上がった。だが、最近の書店はカラフルな雑誌が横積みで、コミック本が大量に並んでいる店が多く、知的な雰囲気より娯楽施設の感じだ。また、書店に行っても読みたい本は少ないし、ほとんどがエンターテーメントの本で、私などのように残り時間が短くなった者が、ぜひ買って読みたい本は余りない。しかも、知的好奇心を閉塞感が上回るようで、書店を訪れる楽しみが乏しくなった感じが、ここにきて強烈になったと意識させられます。斎藤さんは一生を出版界の中で生きて、外国の著者の叡智を日本に紹介してきたが、最近の書店をどう感じていますか。
斎藤 確かに、最近は雑誌やマンガの比率が増えて、知的な雰囲気が乏しくなっている。貧しかったが戦後の復興期の日本人は、知的な刺激を求めて書店を訪れたし、ドラッカーの本がそれに対応したのを知る者として、いささか寂しさを覚えてしまいます。
藤原 そんな中で、ドラッカーの本が再び平積みになり、マネジメント・ブームが復活した感じだが、斎藤さんにその秘密を伺いたい。ダイヤモンド社の編集部にいた時に、ドラッカー先生と家族ぐるみの付き合いをして、彼の本を普及した功労者の貴方から、今日はその辺の裏話を聞かせてほしいのです。
斎藤 裏話というほどのことはないが、先生や奥様のドリスに親しくして頂き、何度もクレアモントの自宅を訪問した。そして、先生の著作を日本に紹介したことで、マネジメントの重要性を理解してもらい、戦後経済の発展の役に立って何よりでした。また、失われた二〇年間の失政のために、ドラッカーの声援にも関わらず、不況と円高に支配された日本の経済は、断末魔に似た悲惨な状態に陥っている。だから、マネジメント関係の本は閉塞感のために、すっかり売り上げが落ち込んで、先生の著作もかつてほど注目されない。だが、ここにきてドラッカー・ブームが再現して、日本人に元気が出たのは興味深いし、これがたとえ一過性のブームにしても、大恩人である先生の追悼になります。
藤原 追悼になるのは結構だと思うが、何か底が浅いという感じがします。
斎藤 その一つの例といっていいのは、『もし高校野球の女子マネジャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』という題の本が、ミリオンセラーを記録したということです。しかも、評論家や作家たちがそれに目をつけ、ブームにあやかりたいと願って、続々とドラッカー本を書きまくっている。
藤原 私も書店でその本の横積みを見たが、女の子のマンガが表紙にあったのを見て、小林よしのりの二番煎じだと思い、何か恥ずかしい気分で中身を見た。そうしたら、マンガではなく活字だったので、『マネジメント』を『バカの壁』のバカの代わりに使い、売るために企画したヤラセ本とわかった。
斎藤 それにしても、企画力としては凄いものがあり、『マネジメント』という言葉を題に挿入しただけで、ミリオンセラーになったのは驚きです。それだけ「マネジメント」という言葉には、人を引き付ける魅力があって、これはドラッカーの絶大なる遺産です。読者として先生を支えた人の心理には、「顧客の創造」とか「時代を拓く」をはじめ、「イノベーション」や「挑戦」の思想があり、理想主義と開拓者魂への共鳴が生きている。だから、未来の展望と現実への洞察に触れて、ドラッカー思想の持つ精神を感じ取り、読者たちは魂を掻き立てられてきました。結局は、大当たりで二〇〇万部以上も売れたから、担当部門は笑いが止まらなくなったそうで、企画した人の印税収入は巨額になり、「二匹目の泥鰭」を狙う後追い企画が続いて、ドラッカー・ブームが生まれたのです。
藤原 政治が末期状態を呈している中で、既得権を守る官僚やマスコミが政治を操っている。そして、日本中に詐欺商法が蔓延して、学生までマンガに熱中する時代の中で、宣伝用のパンフレット的な本でも売れた。
斎藤 中味の薄い本のおかげだとはいえ、『マネジメント』が売れ出したことで、ドラッカー思想が普及して怪我の功名です。ミリオンセラーを作るダシに名前が使われて、人の好い先生はあの世で苦笑しても、賢夫人のドリスがその真相について知ったら、日本人の無礼に憤慨するかもしれません。
藤原 ダイヤモンド社はこの種の商法で、儲けの種にした前科をすでに犯しており、誠実さを誇りにした先生に対し、失礼なことをしていたのです。だが、日本では当たり前ということで、それが失礼だと気づかなかったが、ドリス夫人は憤慨していたのです。
斎藤 先生との交渉の窓口だったので、そんな失礼なことをしたと知ったら、私は放置することはなかったのだろうと思います。
失礼極まりない企画だった「ドラッカーの大予言」
藤原 今から一〇年ほど昔の話になるが、『週刊ダイヤモンド』の二〇〇一年三月三日号で、「ドラッカーの大予言」という特集をやった。その冒頭を飾ってソニーの当時CEOの出井信之会長と、ドラッカーとの対談記事が出ており、「徹底三時間の激論」という触れ込みでした。いかにも熱烈な議論があったように、巧妙な編集作業をやっているけれど、その虚構は見破られていたのです。
斎藤 あの件ですか。確か三〇㌻ほどの大特集を企画して、ドラッカー先生の本の宣伝を試みた時の話のことですね。あれは一種のタイアップ形式の企画であり、営業政策として活用する手法として、某出版社はそんな特集を時たま行うのです。
藤原 先生は地位や報酬で話を提供されても辞退し、自分の価値観と一致するものだけを選んで加わるように、その基準を高い所に置き、信用する人しか自宅には招きません。『週刊ダイヤモンド』の特集記事になった、ソニーの出井会長との対談が自宅ではなく、近所のホテルでやった件に関して、何か聞いていませんか。
斎藤 何かがあったとは聞いていませんが、近所のホテルで対談をしたのであれば、クレアモントのマリオット・ホテルでしょう。ソニーの盛田昭夫会長やNHKの今井義典副会長などは、ドラッカー先生の自宅に招かれたし、信頼されている人ならドリスがホステスとして、自宅で接待するのがドラッカー流です。ドラッカー夫妻はその点で厳格であり、高い基準でけじめをつけています。だから、宣伝に乗せられることを嫌悪し、下心のある提案は断固拒絶しており、それを先生は誇りにしてきました。
藤原 あの対談を四度も五度も読み返したが、二人の話がかみ合わない上に、相手の発言を聞いていない感じがして、これは対話になっていないと思いました。相槌を打つように作ってあるが、出井さんはドラッカーの発言の真意を理解しないで、一方的に見解を並べ立てていた。しかも、起業家精神や改革の重要性というようなドラッカーが強調し続けてきた、大転換期に必要な挑戦への気概や意欲が、対談において感じ取れなかった。
斎藤 私も記事を読んで違和感を覚え、ドラッカーの話術らしくないと感じて、これは奇妙な対談だと思いました。
藤原 記事にはドラッカーの薫りというか、社会や使命についての配慮が抜け落ちていた。また、歴史について該博な知識や洞察が、独特な比喩とアナロジーで表現する風味に欠け、何とも物足りない感じがした。しかも、出井さんはフランスのソニーにいたのに、フランス的なエスプリに欠けており、彼はそんな雰囲気に気がつかないまま、会社の経営の話に終始していたので、実に不自然な対談だと感じたのです。
斎藤 タイアップ広告の記事や政府広報などは、宣伝臭が少ないので読者に好評だから、新聞や雑誌などで良く活用するが、営業効果もいいということを考えて、それを試みたということでしょうね。
藤原 そうですか。記事を読み不自然だと思ったので、ドラッカーに会った時にそれを尋ねたら、「出井さんがしゃべるワイン談義とか、ソニーの経営についての話は聞いたが、内容のある議論をした記憶はない」と言っていた。だから、話の内容が余りに釣り合いが取れず、編集部が対談としてまとめたのなら、違和感を与えたのは当然のことです。
斎藤 ドラッカーらしい理想論がないので、私もそういう感じを受けたのです。彼はGMのアルフレッド・スローン会長をはじめ、雑誌王のヘンリー・ルースと渡り合っている。また、バックミンスター・フラーやマーシャル・マクルーハンに親しく、個性的な人間を知るドラッカーだから、この対談の翻訳を読んでいたら、さぞ不本意に思ったことでしょう。
藤原 人材育成に関して優れた見識を誇り、教育者として豊かな経験を誇るドラッカーは、大学教育に高い評価をしないが、例外は米国のリベラル・アーツのカレッジです。だから、スローン会長が育成したGMテックに関して、その記述を自伝から削除した点に、ドラッカーは敬意を捧げていた。ところが、そうした価値観を持つ人の前で、出井氏はソニ-大学を自慢したから、私ははしたない行為だと見ました。
斎藤 ドラッカーの前で下卑な話をすれば、たちまち敬意を失って相手にされないことは、まともな日本人なら心得ています。だから、経営ではなく創造性や指導性を論じれば、対話で先生の持ち味を引き出せる。しかも、それに似合った見識と品性を示せば、打てば響く形で話題が活況を呈して、いわゆるドラッカー節になって賑わうのです。
藤原 それがドラッカー先生を囲む魅力で、ファンが育ってマネジメント思想が普及し、日本経済の発展に寄与したのです。
斎藤 そうです。観察者として優れた能力を持つ先生は、多くの読者を魅惑するものを秘めているが故に、ドラッカー流のご宣託を敬愛する人が、日本人の間に多く育って活躍したのです。先生の対談を好んで企画する人が、社会における人間の責任や任務に触れず、末梢的な経営の技術論を展開して、それで満足したのでは本末転倒になる。だから、ことによるとこれは対談ではなく、コンサルタントとして相談に乗ったものが、対談形式の記事として編集されたセールス企画だったのかもしれません。
藤原 コンサルタントとしての仕事であれば、ドラッカー財団の運営基金に使われて、晩年になり先生が情熱を注いでいた、非営利のボランチア活動の普及のために、貢献できたと考えたらいいのです。
斎藤 そうでしょう。別のケースでは、ボスを喜ばすためだと思いますが、かつてダイエーが当時の中内功会長とドラッカーとの対談を部下が企画して、それを編集部に持ち込んで来たので、先生に話を繋いだら断られました。当時のダイエーといえば小売業の王者だし、中内さんは経団連の首脳であり、日本の代表的な経営者だった上に、広告費が大きかったこともあります。そこで、ぜひ何とかという形で話を進めたが、先生からは「自分が小売商の成功者を相手に、なぜ対談をする必要があるのか」と言われ、ダイエーからは「話を進めた以上は中断できないし、何でも条件を出してくれ」ということになりました。
藤原 そういう企画を日本人は良くするが、このテーマを何のために討論して、成果を生み出すかという目的なしに、簡単な座談のつもりで対話を試みる。だが、対談は思想を使う真剣勝負だから、相手の考えを徹底的に知った上で、十分な準備をして成果を追求しなければ、相手が費やす時間に対して失礼です。
「対話」が持つ効用 しかしそれには必須条件が
斎藤 それをドラッカーは心得ていて、コンサルタントに時間の対価を支払う形で、相談に乗るスタイルでやると話をつけ、それを往復書簡の形で本として編集したのです。秘書や顧問が質問事項をまとめ、それを対談集の形で出したのですが、編集作業としては大変な苦労をした。ビジネスとして成功したとはいえ、ドリスが知ったら不快感を持たれたはずで、担当陣は冷や汗を流したと聞いています。
藤原 そういう技術だと日本人は天才的で、世界の有名人を相手に良く対談をしており、それを宣伝材料に使った名人が、SGIの会長の池田大作とPHPの松下幸之助です。話の実態は茶飲み話の程度だが、編集部員たちがそれを対談や論文に仕上げ、新聞や雑誌に発表して神話を作る。
斎藤 日本人は寛容だから厳格なことを嫌うし、仏教でも「方便」といって放任するので、でっち上げでも罪の意識はない。ピラミッド型の構造を持つ組織では、名を上げるのはトップの人間だけで、価値体系は金銭だと言われているが、 |