『財界にっぽん』2007年3月号

[遠メガネで見た時代の曲がり角] 連載第4回



安倍内閣の世にもお粗末な首相補佐官人事


藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)在米



 総花的で実力のない安倍内閣が登場した時に、論功行賞を期待した代議士たちを満足させようと、安倍晋三がメディア向けの目玉に使ったのが、子供騙しに等しい首相補佐官人事だった。閣僚の数は法律で決まっているので、物欲しげな政治家を喜ばせるために、「令外の官」で権限のない肩書きをばら撒けば、総裁選挙の投票の御祝儀代わりだと直ぐ判る。経験豊かな民間や学界の実力者を厳選して、首相補佐官に任命するのが本筋であるが、小池百合子(安全保障担当・衆)、根本匠(経済財政担当・衆)、中山恭子(拉致担当・民間)、山谷えり子(教育担当・参)、世耕弘成(広報担当・参)など、見識や経験も平凡な国会議員が圧倒的だから、人気稼ぎのパンダ人事だと一目で判る。だから、「五人組の安倍レンジャー」とか「お友達補佐官」と名づけて、日本のマスコミの多くはお茶を濁していたが、外国のメディアは厳しい目で眺めており、特に韓国の新聞は辛辣な批判をしていた。

 『朝鮮日報』は「右派の側近で固められた安倍内閣」と題し、組閣発表の翌日の記事で補佐官について論じ、中山補佐官に関しては「2002年に内閣官房の幹部として北朝鮮による拉致問題を担当し、強硬な主張を繰り広げてきた安倍氏の側近だ。北朝鮮側との約束を守るべきだと主張した外務省内のハト派を抑え、日本に一時帰国した拉致被害者5人を北朝鮮に戻さないという決断をした」と論評。また、教育再生担当補佐官の山谷えり子氏(56)は「カトリック信徒でありながら、首相の靖国神社参拝を求める運動で主導的な立場にある。ジェンダーフリー教育や夫婦別姓などにも反対し、安倍首相が率いてきた自民党内のプロジェクトチームで事務局長を務めてきた。安倍首相の教育哲学を忠実に代弁する人物と評価されている」とズバリ切り込んでいた。

 興味深いのは国家安全保障担当の補佐官についてであり、「小池百合子前環境相(54)は、05年9月の衆議院総選挙で小泉首相(当時)の〔刺客〕第1号として〔小泉旋風〕を巻き起こし、自民党を圧勝に導いた。極右といわれる中川昭一政調会長(53)が率いる〔歴史教科書問題を考える会〕の一員にもなっている。その経歴は安全保障分野とはほとんど関係ないが、[サプライズ人事]で内閣への国民・世論の関心を引きつける効果が予想されている」と論じて日本の新聞が書けない内情を指摘していた。

 小池補佐官の経歴は安全保障とは無縁であり、せいぜい英語とアラブ語が喋れるというだけで、通訳のセンス程度しか持ち合わせないことは、彼女の過去と能力を知る私が迷わずに断言する。彼女の父親は勝共連合の支援で衆院選に出たが、落選後に借金でカイロに 夜逃げして日本料理屋をやる傍ら、石油利権のブローカーとしても悪名が高く、その関係で彼女がカイロ大文学部に学んだことは、「小泉純一郎と日本の病理」の中に書いておいた。

 竹村健一の「世相ナントカ」というテレビ番組に招かれて、25年ほど昔の私は帰国の度に何回か出演したが、小池百合子は番組のホステス役をしており、番組前のコーヒーの接待を受けて何度か雑談をした。アズハリ大はイスラム神学の最高学府であり、話のついでに「小池さんはアズハリ大学に行ったそうですね」とカマをかけたら、「藤原さんは何で中東のことにお詳しいのですか」と唖然としていたのを思い出す。

 だが、アラブ世界においては情報に疎ければ、石油コンサルタントとしての仕事は出来ないし、冴えたインテリジェンス能力が唯一の財産だ。また、人間の情報感覚は若い頃の修行と訓練が決め手であり、洞察力や情報力は一朝一夕に身につかないし、地位や肩書きなどは全く無関係なものなのである。

 小池さんに初めて会ったのは四半世紀も前だが、その後タレント議員から大臣に出世しても、彼女の才能はアラブ語と英語を喋る程度で、『朝鮮日報」が喝破した通り「人寄せパンダ」に過ぎない。また、レバノン人やスイス人なら数ケ国語を操るが、外国語と接待役が上手だというメリットだけで、一国の首相補佐官が務まると彼らが聞けば、目を丸くして「それなら自分も」と思うのではないか。日本での首相補佐官の人選が実にいい加減なのは、政党の選挙対策部長か官邸の広報官レベルなのに、新人議員の世耕弘成がNTTの報道課長だったので、広報担当の首相補佐官に任命されてお笑い草だ。

 補佐官の乱発は小泉政権時代にも問題になっており、落選中の山崎拓議員の失業救済のために、鉄面皮にも首相補佐官に任命されている。セックス・スキャンダルで選挙民の信任を喪失したために、国会議員の資格がないと判定された男が、小泉のヒキで首相補佐官に抜擢されたということは、日本の憲政史にとって大汚点であった。

 首相補佐官の制度は細川首相が1996年の時点で、アメリカの大統領補佐官を真似て導入したが、事務次官と同じ給与の特別公務員なのに、人材難で大部分が国会議員や幹部官僚が就任した。しかも、組織として有能なスタッフも揃えていないし、実力競争を通じた指導性を問われることもなく、職務権限や責任がないヌエ的な存在として、議会制度に不整合のまま権力の周辺にいるだけで、日本の補佐官制度はお粗末の極みである。

 特別補佐官の真の役割は何かを検討すると、米国の大統領補佐官が担当している職務と責任は、安全保障と外交政策の立案と実施に関与して、大統領直属の国家安全保障会議National Security Council(NSC)を主催している。しかも、この諮問会議に参加する正式メンバーの顔ぶれは、正・副大統領、国務長官、国防会議議長、安全保障担当補佐官(NSC議長)であり、CIA長官も必要に応じて参加するほどの権威を持つ。しかも、NSC事務局長の下には120人の専門スタッフがいて、調査と分析のプロとして仕事を担当するが、日本の補佐官は法的権限や責任は何もなく、首相の茶飲み相手に毛が生えたような存在だ。

 韓国における大統領補佐官の場合は、大統領が議長を勤める国家安全保障会議(NSC)の下に、国務総理、青瓦台秘書室長、国家安全保障補佐官(NSC事務部長)がいて、トップに位置する三人の幹部の一人でもある。また、彼の下には外交補佐官、国防補佐官、NSC事務次長がいるという具合に、組織系統が機能するようになっているし、外国人から尊敬されるだけの人材を配置している。おそらく、パキスタンを始め北朝鮮やエジプトの場合でも、大統領や首相の補佐官の実力と役割は、日本の実態より遥かに充実しているはずで、国策遂行の機能を果たしていると思われる。

 「日本のNSCの確立」を標携して賑やかに登場したが、安倍首相自身が主要閣僚の経験もなく人気だけで選ばれたので、指導性に関しても大いに疑問視されている。

 更に、構想力は地位について習得するものではないが、日本の場合は補佐官の役割分担が曖昧だし、「適材適所」の原則が踏みにじられている上に、忠誠度による好き嫌いに支配されている。

 しかも、首相補佐官の肩書きは名目だけであり、首相や閣僚の代理メッセンジャーとして、外国に出張する程度で閣議には出られない。

 だから、首相補佐官という肩書きと職制はいかめしいが、「親衛隊ならぬ突撃隊」のレベルの顔見世として、首相の気紛れに国策が弄ばれてしまうことにより、制度が日本ではサブカルチャー化するのである。


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