『LA INTERNATIONAL』 1999年9月号



[会計工学]を軽視した日本経済の蹉跌とその再構築

寺川正雄(会計士)VS 藤原肇(国際コメンテーター)



時代に先がけた会計工学の思想

藤原 「会計工学入門」を寺川さんが「国際経済」誌に連載していたのが、1960年代の半ばだったというのは、記事の内容が時代に先がけていた点で、大変な驚きであると言うしかありません。
 あの記事は今の段階で読んでも実に新鮮であり、35年も昔にあれだけの内容の思想を展開していたのは、日本にとって非常に大きな貢献だったと考えて、今日は読者としてお目にかかるのが楽しみで、こうやって大阪までやって来ました。
寺川 遠路はるばるアメリカから大阪までお出まし頂きまして恐縮です。それにしても大昔に書いたものを読んで貰った上に、過大な評価の言葉まで頂きまして実に光栄です。
藤原 35年も昔のあの時代を振り返って見ると、60年アンポの政治的な混乱に続いた時代として、池田内閣による経済推進政策や東京オリンピックの準備のせいで、日本の経済成長が目覚ましい勢いで始まった頃でした。
 当時の私は大学を卒業してフランスに留学しましたが、ピーター・ドラッカーの経済学が日本に伝わり、一部の経営者の間で「新しい社会と新しい経営」が読まれ始めていたが、大学でも未だコンピュータの授業が無かった時代だから、寺川さんの会計工学は確実に時代に先がけていました^.
 あの時期にサイバネチックスと会計工学を結びつけた動機は、どんなところにあったのでしょうか。
寺川 われわれの中学時代は昭和恐慌で5円の月謝が払えず、月謝がない陸士や海兵に行ってほとんどが戦死してます。私も教官に剣道初段の体格で陸士を勧められたが、眼鏡をかけていたため沙汰やみになり、商科大学で学んだが物理や工学にも関心がありました。
 物理学は諸量の変化を追及する学問であり、運動が力学法則によって支配されている以上は、すべて物理的にシュミレーション出来るはずです。
 今になって当時の仕事の内容を振り返って見ると、とても頭があんな状態に回転しなくなっておりまして、よくあんな難解なことに手を染めたと思います。でも、会計工学を書いた頃の私は未だ40代でして、あの頃の私の頭は勢いがあったのか、可なりのことをやってしまったということです。
藤原 私も自分が書いたものを読んで痛感しますが、30代の後半のものがピークを示しており、40代になってからは閃きやエネルギーが落ちています。
寺川 私も数理的な面では20代から30代が絶頂でした。
藤原 若い頭が柔軟な時代に数理発想を訓練して、歳を取るに従って経験に基づく知恵で補わない限り、量の多さによる年令は余り自慢にならないが、最近の日本は柔軟な頭脳に欠けた若者と知恵の無い老人が増え、それが国力の低下を加速させている感じです。


オペレーションズ・リサーチの威力と戦後日本経済への福音

寺川 戦後の昭和23年頃から24年頃にかけての時期に、欧米のリニアー・プログラミングの思想が流入して、これが非常に大きなインパクトを生みました。
 これはヨーロッパの海域に米国から船団を送るに際して、ドイツの潜水艦によって沈められる場合を考え、どんな状況の時にどのような形で船団を組めば、どれだけの被害で済むかという計算に基づく、非常に合理的な考え方なんですね。
 それを戦後アメリカに行った日本の学者が注目して、そうした考え方を日本に持ち帰って来たのです。
藤原 日本人は太平洋戦争の敗因を米国の物量作戦だと考えがちです。だが、アメリカが英国から導入して完成させたオペレーションズ・リサーチによって、日本流のその場しのぎの大福帳のやり方が破綻させられて、徹底的に打ち負かされた事実を未だに気づいていない。
 要するに、数理発想に基づく計算されたリスク管理によって、太平洋戦争は頭脳戦で日本が完敗したということです。
寺川 日本軍はゼロ戦などの高性能の小型機を持っていて、真珠湾攻撃やサンゴ海での戦闘において見る限りでは、米軍にとって日本の戦闘機は恐ろしい存在だった。だから、ゼロ戦一機に対して米軍の戦闘機三機なら戦えるが、一機同士なら逃げろという作戦を立てていました。
 そのうちに日本側のゼロ戦の数が少なくなるし、米軍の戦闘機の能力が向上したことで、今度は日本軍の戦闘能力がジリ貧に陥りました。
藤原 日本人はハード指向だから飛行機や軍艦を量として数え、主として戦闘の問題に全力を傾けてしまうから、システムとしての戦争を見忘れがちになる。
 特に目に見えるものの増減に一喜一憂して、目に見えないものの変化に注目しないから、システム発想をしないという欠陥に支配されてしまうのです。
 そういった民族的な欠陥への反省を含めて、動態変化の重要性とサイバネティックスを結びつけ、それを資本と情報の流れとしてフローチャートにして、決算の機構を体系化したのが会計工学だと思います。
寺川 会計工学は管理会計と制御工学を合成したもので、アカウンテイング・エンジニアリングとかキャピタル・ダイナミックスとも呼び、マネージメントを定量的に捉えるアプローチです。
 資本を流動体として見れば水や電気と同じであり、システムの状態が時間の経過と共に変化するのだから、資本循環を動態的な側面で捉えるならば、経営における管理の間題が定量的に把握できる。
 資本と人心に関しての情報伝達の機構を明らかにするには、サイバネティックスの考え方で会計学を見直せばよく、資本循環を支配している原理をはっきりさせれば、すべてが一目で分かる形で表現できるのです。


会計学の原理と動態運動のメカニズム

藤原 ルカス・パッチョーリの本「スンマ」が1494年に出版になり、5年ほど前にイタリーのベニスで複式簿記500年記念の式典がありました。
 また、13世紀の数学者のフィポナッチが中東からもたらした計算術を体系化し、パッチョーリが複式簿記を完成したお蔭で、左右対照的な勘定型式が一般化して、蓄積した資本の再投資と信用取引が拡大した。
 この円還に基づく会計における回転運動は、複式簿記を通じて商業活動の促進になり、その結果が資本主義として近代社会の発展を導きました。
寺川 でも、500年前にパッチョーリが作ったものに較べて、現在の複式簿記は原理的に少しも変わっていないのです。
藤原 パッチョーリが動態的なものとして仕上げたので、複式簿記の基本は15世紀のベニスで完成している。ところが、ニュートンの力学方程式の影響のせいで、リニアー発想が支配的になりすぎたために、却って円還運動の側面が今では見失われています。
寺川 円還する点に着眼することがとても大切です。資本回路も分解と合成をすることによって、流通量を電気回路と同じように扱えるのであり、その流通量を位差量分布として表現できるし、システムの行動特性を改善できるのです。(図1・図2)
藤原 そうですね。この2つの図を初めて見た時にはショックでしたし、更に図3を見た時には実に美しいと感じて、人間の営みも自然の秩序に支配され、動態均衡のパターンが現れるのかと感動しました。(図3)
寺川 藤原さんが自然科学者だからそう感じたのであり、きっと宇宙を動態的に捉えているために、会計学と自然の循環作用に相似現象を感じ取ったのでしょう。
藤原 計量できるタンジブルなものの循環に対抗して、逆の方向にインタンジブルな流れがあるのは、自然を貫いている支配的な原理であり、最近の人間は目に見えるものだけを捉えるために、インタンジブルなものを見失っているのです。差し上げた「教科書では学べない超経済学」(太陽企画出版)という本は、このインタンジブルの重要性を論じたものであり、この欠陥が今の日本経済の破綻の原因だと指摘しています。
寺川 サイバネティックスの基本はシステム思考であるが、信号を受け取る入口と反応を示す出口の閻で、構造特性における状態の遷移について、情報的な変化の分析と総合を行うことにより、組織体の活動状況を診断するのです。
 だが、目に見えなくて計測するのが難しくても、情報の質や信用は経済にとって非常に重要であり、それを見誤ると経済の生命力は衰えてしまい、おっしゃる通りで経済破綻の原因に結びつく。臨床医学は診断と治療から成り立っているが、情報の時間的な経過から経営の内部状態を推定し、医学の診断に相当する部門が会計に当たるのです。また、内部状態の歪みを正して正常なものにし、医学の治療に相当する仕事をするのが、経営における管理の役割になるのです。
藤原 その点で日本の経営は会計の役割が軽視されて、会社の決算書や損益計算書に粉飾が行われたり、会計が金銭の取り扱い部門として倭小化され、経営における診断の役割が重視されていない。そこに現在の日本の資本主義の問題点があり、粉飾決算や二重帳簿が横行したりして、銀行やゼネコンの破綻続発の原因がありそうですね。
寺川 会計学それ自体はきちんとした体系なのだが、その応用の面で恣意的かつ不的確だったこともあり、国際会計基準に従わなければならなくなったし、会計と言えば粉飾とされる無念な状況になりました。




システムの全体を把握する頭脳の必要性

藤原 大蔵省の幹部のほとんどが法学部の出身で、経済学はおろか会計学の素養に欠けているし、役人のほとんどは大福帳的な決算で済ませ、循環理論に基づく会計の基礎に無縁です。しかも、民間企業のトップのほとんどは労務や営業畑で、きちんとした会計学の訓練を受けていないから、決算書から経営判断する力がないし、他人が作った決算書のごまかしを見破る眼力もありません。
寺川 それほど酷いとは思いたくありませんが、現実に多くの問題を抱えているのは確かだし、階層原理に基づいた権威の連鎖に由来した、確実な情報の伝達と指令の統一が崩れている。
 しかも、巨額な帳簿外債務が続々と見つかったり、破綻同然の日本の国家財政の現状からして、会計学の基本が分かる人が少ないのでしょう。
 現状というのは現在の状態を指した言葉であり、状態という概念は系統工学に属していて、入力と出力をシステムの構造特性で理解することだから、それに熟達した人材が必要になるのです。
藤原 寺川さんのように循環理論で会計の基本を洞察し、数字の背後に潜むシステム全体を捉え、総合的に組織活動の健康状態を診断する人が、大蔵省の局長や日銀の理事クラスにいれば、国家の財政はここまで悪くならなかったでしょう。
 日本では長らく適材適所が行われずに、減点法で生き残った無能な人が偉くなり、派閥の遊泳術に長けた策士が出世している。だから、マネージメントに適切な指令をしたり、真の意味で判断力や独創性を持った人材は、指導者の椅子に座れないようになっています。
寺川 日本は真の実力主義ではありませんが、日本という社会でそれなりの形において、上に立つ人材を選ぶシステムは存在します。ただ、これまでの状況に対しては有効だったが、これから迎える激動の時期に対して、それが果たして有効であり続けるかどうかは、大いに疑問だと言わざるを得ないですね。
藤原 寺川さんの会計工学で教えられたことに、会計には三種類の内容の異なるものがあって、それは株主のための簿記会計が先ずあり、同時に経営者のための数理会計として機能すると共に、資本の運動を説明する叙述会計がある点の指摘です。
 国家の運営を財務の面で担当している大蔵省に、こんな発想が出来る人材がいるかどうかを考えるだけで、思わず肌寒い気分に包まれていまします。
寺川 先ほどパッチョーリの話しの時に言いましたが、会計学の基盤は500年昔に確立されていて、古典的な会計思想はその三つを統括しています。何しろ資本はパッチョーリの指摘通りに流動して、自らの流体力学と運動機構に従い、ちゃんと回転し循環し続けています。
 しかも、指導者として上に立つ資質を持つ人は、判断力の中にそのカンを含んでおり、そうした人材が責任ある地位にいれぱ、世の中はうまく行くようになっているのです。
藤原 でも、残念ながら今の日本ではそうなっていません。
寺川 バブルから不況に至ったこの15年間で明白なのは、大蔵大臣になった顔ぶれが政治的な人事であり、経済問題に精通した人がほとんどいなかった。
 今度のこの経済不況への対応も酷いもので、何をなすべきかを心得ているわけではなく、国家財政の経営についての理念も何もない状態で、派閥の都合に従って蔵相が飾り物に過ぎない。
 戦前の日本でも不況や財政赤字は悩みの種だったが、蔵相をやる者は少なくとも能力を備えており、国家財政への経縮は持っていたはずです。だから、蔵相や首相などは暗殺されるだけの政策を持ち、それに命を賭けてやったことが分かります。
藤原 現在の日本の政治家はプローカーであり、米国ではロビイストと称されている者と同じだが、日本ではこの利権屋を選挙で選んでいる。議員で決算書を判読できる者はいないし、蔵相だって決算書が読めない者がほとんどです。
寺川 決算書の判読はビジネス(経営)の基本であり、資本主義にとって一番大切な素養だから、会計についての基礎訓練は必要でして、読み書きソロバンのソロバンの意味するものは、会計についてのトレーニングなのです。


無責任体制の解消と人材の活用

藤原 19世紀までは読み書きソロバンが主体だったが、21世紀はインテリジェンスの時代であり、この面で卓越した人が必要であるのに、日本の産業構造は過去の時代を向いている。
 日本に有能な人材がいないのではなくて、能力を持った人が間違った分野に配属され、自分の能力を伸ばせない生き方をしている。しかも、仮に人材と呼べる人がいたとしても、実力主義でなく適材適所がないために、日本は閉塞状態で救いがないのです。
寺川 組織の長として上に立つ立場にいる人は、戦略的に全体を把握するための能力と共に、正確で迅速な判断力と決断力が必要です。これは今に始まったことではなくて、昔から指導者に要求されて来た資質ですが、ここに来てその面での低下が著しいのです。
藤原 それに加えて高い倫理観に基づく責任意識が、指導的な立場に立つ人に欠かせないのに、最近の日本ではモラル・ハザードが目立ちます。
 御名御璽で宣戦布告のハンコを押した天皇が、戦争責任を取らなかったことに源流があって、日本人は一億総無責任の体制を作ってしまいました。
 契約に基づく近代的な資本主義社会においては、一度ハンコを押したら責任が生じて当然であり、それが連帯責任の原点になっているはずです。
寺川 一度ハンコを押したら責任を取るのは当たり前ですね。
藤原 私は知らなかったとか秘書が勝手にやったと言って、代議士や閣僚だけでなく首相も責任逃れをする国だから、示しがつかなくて国が乱れてしまった。
 住専のデタラメの放置も酷いものだったし、最近の銀行の堕落振りも浅ましい限りだが、会計士の立場でこれを見て寺川さんはどう考えますか。
寺川 大体からして、銀行が資金運用で大きな間達いを犯して、尻拭いに政府からカネを貰って資本支配されるのは、金融機関の雄である銀行にとって最大の恥辱です。
 米国の例を見てもこれまで経営の失敗のために、銀行が倒産するのは至って当たり前であり、政府によって株式の多くを支配されてしまい、それで生き残るというのは無責任すぎます。
 銀行経営者は自己の全財産を注ぎ込んでも、国家管理だけは回避するという自覚がなければ、とても金融界の幹部だと偉そうな顔はできません。
 ところが、日本の場合は都市銀行のほとんどが恥も外聞もない状態で、公的資金と名づけられた税金を受け取り、誰一人として責任を取って財産を差し出していません。7兆5000億円で国有化を受け入れたというのは、日本の大銀行が銀行であることを放棄したも同然です。
藤原 経営に失敗して債務超過に陥ったならば、倒産するのが資本主義における生理現象で、ダメな銀行を税金で救うのは市場原理の否定です。
 破産と失業は資本主義にとって付きものであり、全体の健康維持のためにダメな部分を取り除く、制御機能としての自然淘汰が機能Lないのはサイバネティックスの原理にも反します。
 倒産によって不良組織が消え去ることは、社会というより上位の次元では喜ばしいのに、失職をお家断絶と結びつけて嘆くような、奇妙な感情論が日本で罷り通っていますね。
寺川 倒産による取りつけ騒ぎや失業を心配して、公的資金という言葉のすり替えで誤魔化し、税金でダメな銀行を救済するのでは本末転倒です。
藤原 組織体として生命力をなくしている銀行は、無理に救済しても社会的に意味がないのだから、潰した方が貢献の度合は高いのです。また、失業に対しては再教育や再就職などのやり方で、幾らでも救済の仕方があるのだから、二つの問題をごちゃ混ぜにしてはいけない。
 それに、本当は預金者が入手しているはずの利息なのに、超低金利政策で年間に80兆円も預金者から盗み取り、銀行の不良債権の穴埋めをしているのは犯罪行為です。
寺川 金融業務の生命力は揺るぎない信用にあり、債権は英語でクレジットと言っているように、信用も債務も共にクレジットで成り立ち、債務の方を会計上で誤魔化している限りは、信用社会が崩壊するのに手を貸すだけです。だが、残念なことに情報公開は行われていないし、犯罪を追及するだけの世論の盛り上がりもありません。


会計原理の適用を通じた日本の改革

藤原 7兆5000億円もの税金を公的資金として、経営不良の銀行に投入したデタラメさは、幾ら緊急措置だと言い逃れしたところで、税金を使った不始末の尻拭いそのものです。ただ、東京三菱銀行だけが資金受入れを断って、間接的な国有化の路線を避けた理由は、東京三菱がニューヨーク市場に上場しており、正式な決算報告書を公表しているために、税金の注入を拒絶せざるを得なかったからです。
寺川 他の銀行は決算報告書を発表しない状態で、預金者のカネを焦げつかせてしまって、実にいい加減な経営をしていたわけだから、経営責任の点で無責任の固まりのような存在です。経営者は貸借対照表に表示される数字で、タイムリーな指令をする責任がありました。そのために変化の特性を理解する上で不可欠な、経営学的および数学的な知識が要求されるのです。
藤原 経営戦略を駆使して自力で競争に生き残り、自由市場経済の中で敗残者として破産しないために、インテリジェンス能力を磨くことが不可欠です。
 それは公開情報から背後に潜むものを読み取ったり、自らも情報を公開して開かれた舞台の上で、知力を使った勝負に勝ち抜くことを意味します。
 そのためには訓練された想力として、洞察力に裏打ちされたカンの養成が必要で、その基盤は哲学に裏打ちされた数理発想です。
寺川 これまでの経営者の多くは財務管理といっても、会計学の基本を徹底的に鍛えたものではなく、かなり大福帳的なものでやってきたが、これからの時代はそれでは役に立たなくなる。
 それは間もなく国際的な会計原則が導入され、これまでのような簿価主義が通用しなくなり、正確なバランスシートと損益計算に基づいた、厳しい経営方式が一般化するからです。おそらくアメリカで現実にやられているような、三ヶ月ごとの決算書の提出が必要になり、決算内容の公開による経営評価が頻繁に行われ、経営者としての能力の査定と結びつくようになります。
藤原 そういった世界に通用する会計原理の普及で、隠蔽による誤魔化しや解決の先送りのような、無責任なやり方は姿を消さざるを得なくなる。また、そのようなインテリジェンスが決め手になる時代を迎えるためには、真の実力で決まる状況に適さない、古いタイプの守旧派幹部を一掃する大パージが必要です。
寺川 多くの人が変革に期待しているといっても、大胆な変化より現状維持を好むものだし、血を見るようなことは望まない態度で、ダメだと思いながらここまで来てしまった。
藤原 そういう意味では危機意識が不足しており、満ち足りた状態でハングリー精神がないから、ずるずると自滅の道をたどってしまった。株式でも不況でも同じ原理に支配されているが、どん底まで落ちて大底を蹴らないかぎり、本当に自力で浮上しないという意味では、この不況は試練として大チャンスになります。
寺川 危機をチャンスに転換するという意味で、確かに今の苦しみは薬の役目をするかも知れないが、昔から言う[良薬口に苦し]は名言ですよ。
藤原 これも会計学と同じで循環理論に属していて、甘えが苦渋を生み苦いものが甘くなり、悠久の流転を続けて動態変化を続けるのが、宇宙の大法則ということになるのでしょう。


記事 inserted by FC2 system