『パワースペース1999』 1995年07月号

●特別対談●



阿久津淳vs.藤原肇



医聖とメタサイエンス


本誌の連載記事でお馴染みの藤原博士が訪日し、ちょうど小社から『医聖・異能医学者伝』を上梓した阿久津さんの二人が、オウム真理教のサリン事件で騒然とする新宿で、出会いを待つという事件の重なり合いになった。しかも共通項に黄金分割とフランス文化があり、共に医聖ヒポクラテスの故郷を訪ねて、ギリシァのコス島に遍歴の旅を試みた二人だ。メタサイエンスを提唱する藤原さんはアルピニストで、へたの横釣り氏の阿久津さんは海の男として、山と海の対象関係に位置している。アポロン的な藤原さんの生き方に対して、ヘルメス的な阿久津さんが対談を試みた記念に、4月12日にあったこの出会いを読者と共に楽しむことにしたい。(編集部)

藤原:あなたの本の解説を書いて欲しいと頼まれたが、私は読者に考え方のヒントを提供して、さあ自分で考えなさいというタイプの本を書き、安易な説明をしないことにしているので、解説ではなくてアンチ解説を書いた次第です。それにしても、読むだけでも大仕事になる力作だから、書くのはもっと大変だったに違いない。あれだけの仕事をやった苦労に敬意を表すと共に、7年後に出る次の本を大いに期待します。

阿久津:7年を費やして全力投球した、一編ずつ記事をまとめたのが今回の本でした。8年前に父をガンで亡くした時に、ガンを告知するかどうかで悩みました。結局は告知をしなかったにもかかわらず、父は自分がガンだと知っていたのです。また。家内の父もガンで亡くなっているが、こちらはガンだと告知したのに、本人は全く信じようとしませんでした。人はこの様にさまざまであり、こんな体験が契機になって「医聖」を探す旅が始まりました。

藤原:日本では患者が甘えていて、有名な先生や大病院を重視する傾向が強く、誰かのお墨付きを期待している。だが、自分の生命力を本当に知っている人は、医者がどんなことを言っても、「イヤ、そんなわけはない」と自信をもって断言できる。だいたいプロフェッショナルの95%は無能に属し、本当に有能なのは5%だけというのが、プロの世界で生きてきた私の結論です。

阿久津:その場合、プロという言葉の範囲はどのジャンルですか?

藤原:中世までのプロは神学者、医者、法律家だったが、現在ではそれに技術者や公認会計士などが加わり、能力と職業倫理が決め手になっている。プロとはギルドとして仲間の評価に左右され、国家試験なんか実力とあまり関係がなく、免状の有無は名医である筋には繋がっていません。

阿久津:アハハ・・・・(笑い)。しかも、今の徒弟制度だと弟子が75%の実力で、孫弟子の実力は50%以下でしかない。

藤原:旧字の醫(医)にしても下の記号の変遷では、最初は巫で次に酉になっていて、祈りから酒に変化してソフトからハード化した。しかも、医という字は箱の中に矢があって、この形はアポロンの竪琴であり、アポロンの息子が医師のアスクレピオスです。ギリシャ風プネウマが精神を象徴し、その延長線上にワザとしての医学があり、それが医のアーキタイプだと思うんですよ。

阿久津:部分から全体を掘り起こす必要があり、部分を突き進んでいった上で、その先で部分と全体を開放しなくてはいけない。この問題は光の波と粒子の二重性に関係し、「神はサイコロを振らない」と言ったアインシュタインが、ハイゼンベルグと袂を分かったポイントです。現代医学は粒子学派に属しており、見ることが難しいがゆえに波動を見ないで、あらゆるサイエンスが粒子で問題を捉えようとしています。

藤原:現在のレベルは定量的にしか見ようとせず、波動も周波数として捉えているが、実は性質を決める波形が重要なのであり、この問題を解決するのがメタサイエンスだ。そこで、横軸に量で縦軸に次元を表現して、ファイ座標を発明してみました。

阿久津:なるほど・・・・・・

藤原:貴方の本は新しい時代から昔に遡行しているが、これは歴史の本質を把握する秘訣に従っており、それだけに、読者は先ず医学の通史を読んでから、この本に取り組んだらいいと思いますよ。

阿久津:ヒポクラテスの前にはエジプト医学があるし、その前にはメソポタミアの医学があって、その前がよく分からないのが悩みです。(笑い)

藤原:中国やインドには古い医学の伝統があるから、ちょっとでもよいから華陀にも触れて欲しかったな・・・・・。

阿久津:本当は私も少し触れたいと思ったのだが、そうなると中国医学全体について、言及しなければならなくなって収拾がつきません。

藤原:アユルヴェーダがあったから諦めたが、あなたがサイババの道に迷い込まなかったので、内心ホッとしたことを白状して置きます。それにしても、阿久津さんの本はメインストリートではなくて、裏通りを歩いて飲み屋に一杯という感じかな・・・。

阿久津:路地裏でしょうか。先生がそんなイメージを抱きながら、あの本のアンチ解説を書いてくださったと知って、本当に感無量です。

藤原:一度読むのに1日もかかる内容の本だのに、1週間で2万字以上も書いてくれというから、私は2日も徹夜して兎と同じ赤目になりました。しかも、アポロンにヘルメスの世界を語らせるんだから参った。(笑い)

阿久津:ヘルメティックと言われてしまったが、男女同形的なところがあるせいか、私はちょっと女性ホルモンが多いのかも知れません。(笑い)

藤原:私がアポロン気質に支配されるのは宿命で、学位論文を書くために仕事をした場所は、ニースの北に広がる石灰岩の山岳地帯でそこのフランス語はイタリー訛りなんです。ミストラルの吹くプロバンスで5年過ごしたお陰で、北のパリの連中より地中海の人間と波長が合い、可愛いマドモアゼルを見ると口笛を吹きたくなる。(笑い)
 アルプスの彼方のドイツ人は深刻ぶるし、その向こうのキルコゲールの仲間は、とてもじゃないがお付き合いは御免蒙りたい。月の影響は女性の生理にとって重要でも、月光じゃ植物は健康に育たないし、私の人生にとっては明るい太陽が欠かせない。

阿久津:これは性格の違いだからどうしようもない。太陽の重要性は分かりますが、宇宙には太陽が沢山あり過ぎて、相対的にならざるを得ません。

藤原:聖書にキリストの処女懐胎の物語があるが、それは単細胞生物のレベルでは可能でも、人間のレベルではインチキだということになる。また、キリストの生誕の日に三人の東方の賢者が訪れるが、あれはペルシァから来たマギであり、マギはマジックの語源である。マジックは神秘に続く裏の世界であり、裏が表の世界に出てくると危険で、暴力団は地下に潜んでいるべきだし、それが狂うとオウム真理教のようになる。

阿久津:医学の研究は人間性の探求であり、医学生は膨大な知識を集積しなくてはならないし、恋愛や人生経験も十分に鍛錬もやれないので、人間性の鍛錬もやれないうちに、医師として独り立ちへと邁進することになる。人生のイニシエーションができないのです。

藤原:医者の子供が医者になる悪循環が支配していますね。

阿久津:医の世界はもっとヴィヴィッドでないと困りますよ。

藤原:今の日本の政治と同じように医が利権になり、偏差値が高くないと医者になれなければ、医者がストレスで病気の種を撒き散らかしてしまう。症状は無理に対しての危険信号だが、症状を取り去ることは病気を治癒することではない。熱が出た時に熱を下げるのは治療ではないし、頭痛の時に首を切り落とすのは解決でない。むしろ、体の抵抗力が低下しているのだから、おいしいものを食べて休養を取り、ストレスの解消をすることが大切だと、ヒポクラテス先生は教えてくれたはずですよ。

阿久津:結局は、現代の医がビジネスに毒されてしまい、生命力をすり減らす生き方に甘んじていることが、生きていることの喜びを鈍感にさせているのです。

藤原:その意味で、あなたの書いた『医聖・異能医学者列伝』は、混迷時代の世紀末に投げつけた、医師で固めた大きな一石だったのですよ・・・・・・・。



とにかく二人の歓談は課てしなく続く感じで、医の世界からメタサイエンスにと広がるし、オィディプス・コンプレックスに続いて阿闍世コンプレックスに、生命論からサリンの安全性といった具合に移り変わり、割愛するのが惜しいほどであった。良きアマチュアリズムの精神を体現しながら、対談は楽しい雰囲気のうちに終了した。(編集部)


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