『財界にっぽん』 1998.10月号



迷走「朝日」とジャーナリズム精神の墜落

ジャーナリズムの頽廃と活力の衰退を憂い、またその再生を願い著した『朝日と読売の火ダルマ時代』が朝日新間社から抗議を受けた藤原肇氏が「抗議は筋違い」と反論。その抗議に、改めてジャーナリズムの堕落をみる。



 

幕末現象とジャーナリズムの使命の低下


 存在理由がないのに延命を狙う無能政治の下に、金融界を支配する経営破綻に似た状況や、大蔵を始めとした高級官僚を蝕む汚職の蔓延が、将来に対する日本人の方向感覚を奪い、日本の現状は平成幕末というべき状況にある。
 夜郎自大の国家意識とバブル経済に浮かれ、狼藉の限りを尽くした太平楽の果てに、パブルの炸裂と失政で混乱と不況の襲来を招き、強まる閉塞感は日本人を不信の気持ちに駆り立てる。国際基準への適応が被害妄想を生み、新しい攘夷と開国の対立を巻き起こし、こんな混迷の時代性を反映するかのように、書店には〔徳川慶喜)ものが山積みである。だが、これは大河ドラマや小説などを中心にした、演出された虚構の歴史ブームに他ならず、幕末現象の実態と対決する姿勢がない点では、気晴らしに似たお祭り騒ぎの一種であり、現代版の(ええじゃないか〕に相当している。
 ゴミ情報の洪水に反して必要な情報がなく、住民の知る権利が疎外されることによって、不安が高まるとカルト(狂信)的なものがブーム化し、(ええじゃないか)現象が社会のあちこちに現れるが、テレビの白痴化はその典型てはないか。
 また、電車の中でマンガ雑誌を読みふける大人たちや、ヘアー写真と不倫記事が氾濫する週刊誌は、日本のメディアの頽廃ぶりを象徴しているが、果たして新聞は大丈夫なのだろうか。
 このように考える時に見つかる解答が、至って常識的なものになるのは当然であり、メディアの頽廃が時代精神を反映する以上は、新聞も同しように汚染されるはずだから、例外であるはずがないということになる。ただ、新聞には〔杜会の木鐸〕という責任感があり、個々のジャーナリストにその自負が強いから、伝統的な頽廃に対しての抵抗力のお蔭で、そう簡単に堕落しないという期待が持てる。
 だが、1988年に起きたリクルート事件において、マスコミ関係者が未公開株の取得に関わっており、新聞杜の幹部が何人も引責辞任したから、油断していたら非常に危険なことになる。なにしろ、この事件を境に新聞記事の歯切れが悪くなり、論調に鋭さがなくなっただけでなく、編集姿勢に毅然さが衰えたのは事実だ。ジャーナリズムの低迷は杜会にとって危険であり、一刻も早く元気を取り戻す必要があるが、そのためには今の混迷の原因を探り出し、それを克服して自力で立ち直らなければならない。
 とりわけ問題になるのは朝日と読売であり、巨大な発行部数を競い合うことに熟中して、報道よりもビジネス優先の路線に支配され、言論活勤の低下が目立っているだけでなく、記事よりも広告面の方が増え続けている。宅配制に依存した1000万部前後の発行部数と、新聞杜によるテレビ支配や事業の系列化は、世界の常織からすると異常であるし、新聞がニュース報道と解説を主体にするなら、その原点に立ち戻ることが不可欠のはずだ。そこに新聞の堕落の原因が潜んでいるなら、ジャーナリズムの原点を掴み直さない限り、権力を監視する新聞の権力化が強まって、幕末現象を促進するだけで終わってしまう。
 巨大メディアの堕落は今に始まったことではないが、リクルート事件を契機に新聞界の体質が激変したなら、その腐敗構造を明らかにすることによって、ジャーナリズムの自己変革を促さない限り、日本の行く手にあまり希望は持てない。なぜならば、〔言論衰えて国亡ぶ〕という教訓があって、新聞の危機は日本の危機に結びつくし、平成幕末はその兆候に他ならないからである。



取材と検証の旅行と火ダルマ化する日本の悲劇


 こう考えた私は日本の新聞史をひもとくと共に、ジャーナリズムの内部の声から学ぼうと考え、1989年から94年の5年間を貴やして、新聞界や財界OBを隠栖地に訪れた。老人たちから歴史の証言を集める目的で、知られていないエピソードを聞いたり、杜内秘としてタブー扱いの秘話を聞き出すために、口の固い人の所には何度でも出かけた。現役記者に加えて20人近いOBに接し、多面な形での情報を蓄積したお蔭で、相手が知らない情報を出すことによって、固く閉ざされた口が開いたことも多く、それが間接的な裏取り作業の助けになった。
 問題の核心を突く上で特に重要だったのは、広報担当取締役や杜長室長の歴任者を始め、見切りを付けて辞職している幹部クラスの情報で、これは当事者として関与した立場の発言だから、内部情報として最大の価値を持っていた。また、出世を狙わない古手記者たちの誇りは、人事が絡まない正義感の漲りを伴うので、杜内の権力争を冷笑していた自信があり、その観察は客観的で大いに拝聴に値した。
 取材技術としては初歩的な手法になるが、物語る内容が既に知っているものでも、初耳のような表情で熟心に間いていると、予想もしない話に展開することも多く、聞き上手が収獲に結びつく秘訣だと痛感した。また、録音機を出す途端に拒絶反応を示す人も多く、取材にかかる時間と貴用は大変だったが、それ以上に老人の知恵に学ぶことが多く、5年のフィールドワークは実に楽しかった。
 こうして太平洋を往復した取材の成果がまとまり、『朝日と涜売の火ダルマ時代』と題した本になったが、一書を誕生させるには大変な苦労があった。出版となるとどこも大新聞の威力を恐れたから、40杜以上の出版杜から断わられたので、脱稿してから3年の歳月が流れ去った。編集者の中には熟心に出版への努力をしたり、持ち歩いてくれた記者も何人かいたが、日本では力関係が決定的な意味を持つ。
 なぜなら、フォーカスを当てたのが朝日と読売であり、日本を代表するこの二大紙を相手にして、タブーとして秘匿されたものを取り出し、スキャンダルを含む問題点を指摘した上に、腐敗現象の本質を明らかにすることは、確かに虎の尾を踏む危険を意味していた。
 しかも、大新聞に立ち向かうだけでも無謀だのに、恐竜的な電通や天下無敵の検察庁まで挑発すれば、皆が危慎するのは当然でもあった。そこで、出版のめどが付くまでの時間を使い、活字記事を次の世代に残すために、シカゴの邦字新聞に連載してもらった。
 基本は朝日と読売を軸にした新聞の歴史であり、歴史の証言集の形態を取ったものだが、本としてぜび出版しなければならないと考え、雑誌社が単行本を出さないのを承知の上で、最後の試みで国際評論社に持ち込んで見た。そして、寺川会長に事情を打ち明けて読んでもらい、気乗り薄だのに無理やり出版して貰ったが、この本の誕生に至る道程は苦難に満ちたものだった。
 こうして『朝日と読売の火ダルマ時代』が出版され、読者の批判を仰ぐことになったのであり、火の玉と火ダルマの区別も出来ない人が、首相になるような時代性が題名を決めた理由である。
 安易な解答ではなく疑問点を明白にして、ジャーナリストに挑戦の気構えを与え、日本のジャーナリズムの再生に役立つ、そんな夕イプの本を日本人に贈ることは、人生の大半を外国で幕らした私にとって、せめてもの罪滅ぼしになるはずだ。
 しかも、朝日と読売の恐竜化は世界でも異常で、情報の占有と関連会社の系列化によって、日本人は真の知る権利を阻害されているが、自らの内のものを外から学ばない限りは、この桎梏がもたらす悲劇性の理解は難しく、平成幕夫が亡国に結びつき兼ねないのだ。



沈黙の新聞界と雑誌による最初の反応


 本が出て最初の三ヶ月が経過した段階で、書評は『東洋経済』と『財界にっぽん』だけだったが、経済が自由な市場の原則を尊重するせいか、共に経済誌だったのは興味深いことだ。それに対して、新聞が全くの〔なしのつぷて〕だったのは、同業者に関わることは黙殺する習慣のためで、悪しき伝統が判断力を鈍らせたのだろうか。
 それにしても、私が提起したのはジャーナリズムに対して、その堕落を反省して再生するために、自己改革の必要を訴えることだった。だから、腰帯に〔大新聞の監視能力の衰退と堕落が、日本を覆う亡国現象の一因である。地方紙の挑戦と発展の中に21世紀への躍進の決め手がある!〕と書いて、地方紙の記者に奮起を促そうと試みた。また、『東洋経済』に出た書評とまえがきの一部を使い、激を飛ばすためのパンフレットを作り、ブロック紙や地方紙の編集局長や杜会部長宛に、100通近くの航空便を発送しておいたのだが、残念なことに反応は紙面に現れなかった。
 これが新聞杜の編集責任者たちの実情なら、日本に真のジャーナリストは不在であり、いるのは新聞杜に勤務するサラリーマンが、出世して編集長になったという感じだ。新聞杜のレベルでこんな程度だとしたら、商業主義の度合が強い雑誌には無理であり、週刊誌や月刊誌が取り上げない理由として、広告を支配する電通などの影響が感じられた。
 雑誌が言論より営業を主体にする時代性の中で、間接的な言論操作をする可能性が高まるし、大手広告代理店の発言力が強くなるに従い、マスメディアは命網を握られることになる。それに加えて流通機構の特殊性があり、日販や東販をコントロールすることで、日本における書籍の動きを規制するのは、権力者の間でよく使われてきた手口である。
 メディアがこの本の存在を黙殺し続けた中で、最初に記事にしたのが『噂の真相』の2月号で、社内情報漏洩に罰則まで設けるような、朝日の呆れた内憂外患に関しての記事の目玉になった。『噂の真相』のような独立心の強い雑誌は、反権力でゲリラ作戦を専ら使うので、幾ら朝日や電通が相手でも遠慮せず、権力による千渉は役に立たないらしい。
 国際電話で記者からの取材があった時に、「答えは自分の手と足を使って捜さない限り、問題の本質には迫れない。ヒントは拙著の中に幾らでもあるから、自分で取材して私が集めた証言を検証すれば、驚くような大スクープを発見できる」と言ったので、リクルート事件の当時に朝日の広報担当重役だった人や、朝日新聞杜の広報室に取材したらしい。
 2月号の記事の中の青山元常務の発言では、「この本に書かれたことに関してはまったく知らない。だいたい誰がリクルート株を貰ったかなんて、知るはずもないし言う訳もない」と言下に否定したとある。これは当事者として当然の反応であり、宣誓する国会証言で証人がシラを切る以上は、電話取材に知らないと言うのは当然だろう。
 警察や秘密結社で拷問でも受けない限り、自分が秘密を喋ったという人はおらず、相手の拒絶を受けた所から真の取材が始まり、秘密を探るのが調査報道のイロハのはずだ。私だって幾度も知らないと否定された上で、何度もアメリカから日本に出かけ直して、最終的に固い口から秘密を聞き出している。
 だが、日本の警察や検察の手抜き捜査の悪影響で、日本のメディアも粘り強さが低下して、貧欲な食い付き精神が足りないのではないか。



朝日の謝罪要求の驕慢さと読者の信頼を取り戻す責任


 『噂の真相』の記事の影響の現れだろうが、『朝日と読売の火ダルマ時代』の内容に関する件と題した、1月20日付けの朝日新聞杜・小林広報室長の抗議文が、出版杜経由で1月の末に私の手元に届いた。その骨子を手紙から抜粋すると次の通りだ。
 (『朝日と読売の火ダルマ時代』の中に、事実に反しているばかりか、不当に弊杜と弊杜関係者の名誉と信用を傷つける記述が、多数含まれています。これらの記述については、弊社への確認取材も一切なされておりません。このような書籍が出版されたことは誠に遺憾というほかはなく、ここに抗議いたします。このような事情でありますので、朝日新聞社あてに、以下提示いたします事項の訂正と謝罪を強く要求する次第であります。なお、訂正内容と謝罪につきましては、当文書の日付より一ケ月以内に文書でいただくよう要請いたします)
 更にそれに続いて〔記〕として、(一)ビル建設のリベートに関係したもの、(二)リクルート事件の株に関連したもの、(三)サンゴ事件や右翼に狙われたことに関連したもの、などの抗議する対象事項が列記してある。
 列記事項は歴史の証言における発言であり、証言のほとんどは朝日の内部の人の発言だし、その裏取りに関しては自信があった。その一人は『噂の真相』に登場した青山顧問であり、彼はリクルート事件の当時の広報担当重役で、社長室長として杜内事情に最も精通した責任者だし、私はクロスチェックで裏取りは完壁だった。
 だから、弊杜への確認取材が一切なされていないとか、本当に名誉と信用を傷つけたという抗議は筋違いであり、権力の側が負う挙証責任の原則からしても、謝罪要求の前に自己の潔白の証明をして、半ば会知である疑惑の解消が先ではないか。
 そこで抗議文への返答をFAXしたが、2月12日付け拙信の中心は次の通りだ。
 〔……私は財界や報道界のOB並びに現役記者に対して、七年間を費やした取材で興味深い歴史の証言を得ました。そして、基本的な確認作業として不可欠だと考え、リクルート事件やサンゴ事件に関しては、貴社で当時において最高責任者の役職を担当していた、広報担当重役だった青山常務取締役に、ウラ取り作業を何度も試み証言を得ています。青山顧問との会話は7時間以上に及び、何度かは取材に立ち合った人もいまして、拙著では割愛した多くの秘話を聞き、当時の朝日の広報部門の最高貴任者の発言だけに、歴史の証言の凄さを改めて確認した次第です。それは最高責任者として現職にいた立場での発言であり、後任として広報室長になっているとはいえ、全て過去の出来事の伝聞に頼る貴職よりも、信憑性の点で遥かに勝っている点では、青山元広報担当重役を凌ぐ人物はいないし、その発言は黄金の価値を持つと確信します。
 その意味で本件は謝罪を云々する事柄ではなく、不祥事と懸念されることの有無が重要であり、貴職が最高責任者であった青山前顧問から、事実に関して教えを乞う努力をされることです。同時に、朝日の首脳陣が本当に公明正大であり、朝日新聞の名誉と信用を傷つける行為をしていないことを証明して、私を含めた読者の信頼を回復して下さい。
 更に、政治権力や社会制度の欠陥と腐敗の監視や調査報道を通じて、読者ならびに日本の社会を構成する市民に、朝日の存在を強く意識させることが、多くの先輩たちが築いた正義の伝統を護る上で不可欠です。もし、貴杜内部調査と拙著の記述不一致があったり、青山広報担当重役に対してのウラ取り作業において、問題点が残るならば徹底的な解明が必要です。日本のジャーナリズムの健康のためにも、活字を通じて論証する作業の場として、朝日の紙面を提供して頂くならば、私は喜んで論争に参加すると表明します。また、世界の言論界の慣例に従い、この手紙の活字化を貴紙にお願い申し上げます〕
 だが、四ヶ月が経過しても紙面に掲載されないし、論争の場を提供するという申し出もなく、これは日本的な閉鎖性を象徴しているが、情報公開の原則は非常に重要であり、新聞杜こそ率先して実行すべきではないか。
 遊軍的な立場でジャーナリズムに関わり、日本の新聞の健全な発展が気になる私は、その基礎は信頼にあると確信している。だから、そのレベルの反応を期待していたのだが、朝日の広報室長の反応は論旨を理解せずに、〔木を見て森を見ない〕末梢的なことに終始して、挙証責任も果たさず名誉棄損だど息巻くのだ。
 利権やリベート絡みのものは倫理上の責任であり、公務員のように職権が関係しないために、手柄にならないので検察も相手にしない。だから、国税庁やメディアが追及する事柄に属す以上は、後は国内のジャーナリストに任せるだけで、私はスキャンダルの解明には余り輿味がない。だが、私はジャーナリズムの堕落を指摘して、自らの力で腐敗体質を克服することで、読者の信頼を取り戻すことが先決であり、それが行われない限りは亡国だと思うから、私は良識への期待が裏切られたと感じた。



偏屈で驕慢な論説委員の群像とタコ壷思考


 三月に入ってから出版社から連絡があって、「疋田桂一郎と本多勝一の連名の抗議書が届いた。本を出した目的は新聞界全体の改革だのに、記事の一部に文句をいう小者を相手にする暇はないが、藤原さん宛の分はどうするか」と言う。出版社に転送させるのも気の毒であり、当人に処理させたら数日後にFAXで届いたが、抗議書の内容は「木の葉だけで木も森も見ない」たぐいだった。虚偽の記述で名誉と信用を損なったから、記述を取消して二人の承諾を得た謝罪文を朝日に掲載し、本の販売の停止と回収を要求していた。 
 『朝日と読売の火ダルマ時代』が論じでいるのは、堕落し腐敗した大新聞の体質を改革して、ジャーナリズム本来の機能を取り戻すために、過ちを反省して腐敗の根を断つことだ。ところが、自分のことしか眼中にない二人は、自ら犯した軽率な行動の反省も抜きで、新聞記者としてのケジメが何かも考えず、新聞の綱紀弛緩の批判に難癖をつけて来た。
 しかも、〔毛を吹いて疵を求む)を地で行くように、インタビュー相手の発言に言い掛かりをつけるが、私は疋田記者を褒めているだけでなく、彼の件では朝日新聞を称賛さえしている。これを名巻棄損だと読んだのてあれば、読解能力と杜会常識の低さは驚くべきだ。また、本多記者とは20年来の友人であるが、彼のアッピでの環境破壊批判への手心や、ニセ記者問題で譴責処分された事実を知って、私はとても残念だと思ったものであり、その一端が論説委員の綱紀弛緩にあるなら、官庁と同しで機構改革が不可欠になる。
 なにしろ、大新聞の上層部の堕落は中堅にも及び、アッピでの接待疑惑に関しで杜内調査が行われ、朝日の指導部にも報告されていた。この事実は講談社発行の『Views』の1997年1月号に、岩瀬達哉記者が詳細なレポートをしており、その中に、二人の名前はイニシャルで出ていたし、私は他の朝日の記者から聞いていた上に、広報担当重役から裏取り済みだ。岩瀬記者の取材と私の裏取り作業からして、二人の抗議は言い掛かりに過ぎないから、これ以上それに関わるのは時間の無駄であり、出版杜が言った通りで振り出しに戻った。
 なにしろ、自然環境を汚染から護るキャンペーンで、八代海が水俣のチッソの水銀汚染で汚れ、ムツゴローが汚染水で片輪になったが、汚れに耐えて元気な奴もいると書いたら、片輪が差別用語だと抗儀されたようなものだ。しかも、ムツゴローが名誉棄損だとの抗議を試み、記事にした新聞を回収しろと言う上に、謝罪広告を朝日の全国版に出せという。これと同類の要求をベテラン記者が主張し、日本では世紀末の閉塞感が強まる一方だ。
 この抗議書騒動を一瞥して明らかになるのは、二人の驚くべき視野狭窄症についてであり、そこに現代版の天動説やタコ壺思考が見える。開鎖的な日本の専門家集団を論じた丸山真男は、内だけで通用する俗論が羅り通って、外から何か言われると忽ち被害妄想に陥り、全面攻撃に晒されたと身構える姿勢に、典型的なクコ壺発想があると指摘している。
 タコ壺思考を相手にするのは楽しくないが、ジャーナリズムの健康に役に立つなら、活字論争の場があれば参加してもよい。だが、〔悪口雑言罵言誹謗講座〕という題で、雑誌に好き放題のことを書き散らして、相手に対して容赦ない攻撃をする癖に、他人から批判を受けると非難だと噛みつくので、自閉症の本多君をまともに扱う人は少ない。長い交遊を通じて獰猛さを知る人を相手に、議論ではなく口論はご免被りたいと思い、決め手になる返事で決別することにした。



決別の辞


 ファックスで送った返答は次のようなものだ。
 〔拙著『朝日と読売の火ダルマの時代』の記述に関し、FAXで届いた抗議書に関して返答します。抗議書の文中で拙著の記述に虚偽があると難癖をつけ、二人の名誉と信用を傷つけたと主張し、謝罪と本の発売停止を要求していますが、これは視野狭窄に基づく不当な言い掛かりであり、拙著を読み直すようアドバイスします。
 指摘にある記述はインタビュー記事であり、すぺて相手側の発言に基づく情報に従い、私はその受け答えをしていますし、疋田記者に関しては褒めただけでなく、記者の良心との関連で朝日新聞を称賛しています。これを名誉裏損や信用破損と読んだのなら、その読解能力と杜会常識の低さは呆れたものだと思うに至りました。
 昔から朝日の記者には私の読者や友人も多く、二人が学芸部の松原記者のスキー仲間であり、アッピへのスキー旅行に行っているのは、社内で知れ渡った公知の事実です。また、接待疑惑に関して社内調査が行われ、朝日の上層部に報告されていた事実は、講談社発行の『Views』1997年1月号に、岩瀬達哉記者が詳細にレポートしています。
 朝日関連の情報のウラ取り作業をしたので、リクルート事件当時に広報担当重役として、社長室長を兼任して社内情報を統括した青山取締役から、私は未公表の諸事実があったことを確認しています。広報担当取締役は社内情報の掌握の点では、社長以上に精通しているのは周知であり、当事者が体面上その事実を杏認したにしろ、責任者の証言が黄金よりも重いのは常識です。
 古い話しですが『文芸春秋』の1983年4月号に発表した、私の『ドームゲート事件』の記事が縁で知り合って以来、岩瀬記者の成長と活躍は目覚ましく、最近は「論際事件」や「大蔵省接待疑惑」のスクープを続け、95年度の雑誌ジャーナリズム賞を受賞しています。緻密で果敢な岩瀬記者の取材力は絶大であり、かつて『極限の民族』のレポートを生んだ、若き日の本多記者を遥かに凌驚する以上は、彼が取材した朝日の衝撃スクープが、問題の核心に追っているのは疑いなしです。青山顧問からの私のウラ取り作業からも、岩瀬記者の記事に言い掛かりを付けた点では、二人の拙著に対しての抗議も同類であり、自分たちの軽率な行いを反省した上で、一層の修行に励むようアドバイス致します。
 日本のジャーナリズムの健康のために、活字論争の場の提供があれば参加するので、朝日の論争誌『論座』編集長が書いた、無条件無修正掲載の承諾書を送付下さい。敬具〕
 このファックスがどんな効果を生んだかは知らないが、少なくとも二ヶ月は音沙汰がないので、きっと威力を発揮したに違いない。だが、長年の文筆稼業でメディアに書く場を持つので、本多記者は得意の悪口雑言を駆使し、身勝手な言い分を主張し続けていた。
 岩瀬記者は記事の至らなさのせいではなく、折角の取材を賢料として残す目的で、より充実した形で単行本にするために、再構成と文章に推敲を重ねているのであり、それは言い掛かりを付ける筋合いではない。だが、本多記者は『噂の真相』に持つコラムを使い、岩瀬記者の記事や講談杜を叩いたり、『噂の真相』の記者をヨタ呼ばわりして、一方的な発言で鬱憤を晴らしていたが、これは老醜をさらけ出した行為に見えた。対等の形で議論する場が提供されない限り、これはある意味で言論を使う暴力ではないか。



夕刊紙と週刊誌によるフォローアップ


 本が出版されてから四ヶ月が経過した時点で、3月1日付けの「タ刊フジ」が注目して、初めて新聞がこの問題を記事にしたが、興味の対象はリクルート株問題であり、朝日の幹部が受け取ったか否かについてだった。「朝日と読売の火ダルマ時代ってホント?」という見出しで、如何にも夕刊紙に特徴的なスタイルが、読者の好奇心を駆り立てようとしていた。そして、朝日の広報室から取材したコメントは、「ありもしない話しを対談という形でデッチあげた無責任極まる出版物であり、会社や首脳の名誉を傷つけ、杜会的な信用を失墜させようとする悪質な本」と決めつけていた。
 それだけでなく発行元と著者に対して、朝日が記事の訂正と謝罪を求める抗議文を出し、それに対する国際評論社のコメントとして、「朝日から善処して欲しいという内容の速達が届いたが、何をどうしろというのか分らない。本にも出てくる朝日の関係者からは(金を出すから、名前を出さないでくれ〕と言ってきた人もいる。朝日はそういう新聞社なんだ」と書き、出版元は受けて立つ構えだと煽っている。しかも、出版元の関係者の一人の発言として、「私は(本に登場する)朝日の一柳も波辺も若い頃から知っている。向こうがふっかけてくるなら、ケツをまくって彼らの秘密をバラす」と反論していると書き、派手な立ち回りが好きな夕刊紙らしく、場合によっては泥沼の法廷闘争となり、スキャンダルの打ち合いに発展しかねないと予想する。
 国際評論社が強気に出ている背景には、国際的な経済誌としての実績に基づいて、朝日の幹部が平記者だった時代から、対談や座談会に起用していたからだ。それだけでなく、定年退職をした記者を引き取ったり、幹部の付け回しの面倒まで見ているし、朝日人に女事務員を何人も手をつけられ、その後始末までさせられて来たからだ。そこでこんな発言が飛び出したのだが、それに飛びついたのが『週刊現代』であり、4月4日号に出た記事は〔爆弾発言〕と題して、「朝日新聞社元杜長はゲイバー狂いだった」と書き、センセーショナルな記事の登場になった。
 こうなると私の問題提起とはかけ離れて、スキャンダルを巡る活字の氾濫になり、予想外の泥仕合いの様相を呈し始めた。そして、『週刊現代』の発売から数日を置かずに、朝日新聞社の秋山幹男顧問弁護士が、一柳東一郎通告人の代理人として、講談社の野間佐和子代表取締役に対し、内容証明で通告書を送りつけた。
 3月27日付けのこの通告書は慌てたと見え、文章の内容も至ってお粗末極まりなく、「……通告人は、当時寺川氏主宰の月刊誌の座談会に一、二度出席したなどの機会に、酒食の席に招かれたことがあった程度です。寺川氏と特に親密だったこともなく、同氏から多額の接待を頻繁に受けたり、飲食代金を同氏につけ回したりした事実は全くありません。また、ゲイバーなるものも、寺川氏と同郷で一時通告人の同僚であった政治部記者と一緒に、寺川氏に同氏のなじみとおぼしき店に一度、案内されたことがあっただけです。ゲイバーに通いつめたり、ゲイバー狂いだったなどの事実も、全くありません……」
 このような主張をベースにして謝罪を求め、記事の取り消しとお詫びの掲載を要求しでいるが、抗議文に〔全くない〕という書き方をすれば、少しでもあれば論拠が忽ち崩れてしまう。また、ゲイバー狂いだったかは第三者が決めることで、酔っぱらいが酔っぱらっていないと言うのに似て、本人が否定してみても説得力はない。
 この問題に関しては私は発言の立場になく、寺川氏が『エルエー・インターナショナル』誌に、「朝日新聞と私」と題して連載執筆しており、詳細はそちらに任せることにしたい。



新聞社の背信行為


 私が『朝日と読売の火ダルマ時代』を出して、問題提起したかった緊急の課題は、日本のジャーナリズムの堕落と腐敗に関してで、個々のスキャンダルについてではなかった。だが、問題提起は正面から受け止められなかったし、ジャーナリズムからは黙殺されただけで、実り多い成果は何もないに等しかった。
 官僚たちが天下り先を確保するために、特殊法人を作って税金を無駄遺いしたり、その下に子会社を作って系列化して、すべてを付け回ししていたのが露見し、日本は役人によって食い荒らされかけている。それと同じことを新聞社もやっており、系列化したメディアが天下り先になって、退職金の稼ぎ場所として利権化している。そのために定年後の有利な役職を得ようとして、人事を巡って派閥争いが罷り通り、新聞社でも醜い追従が横行しているために、記者たちの士気に影響を及ぼしている。
 しかも、マードックと孫によるテレ朝株の買収事件で、年間利益が20億円に過ぎない朝日が、400億円以上もの巨額の代金を支払って、傍系会社の支配権を手に入れるために、本業である新聞読者の利益を損なっている。それが株主代表訴訟の背景であり、新聞社の仕事は報道活動にあることを忘れて、ビジネス路線に迷って脱線しているが、ここに何をやるべきかの責任感の欠落がある。
 拙著の問題提起が株主総会で取り上げられ、責任追及に使われるという噂が流れ、朝日の経営陣はその対策の一貫として、藤原対策のために大童だど言われている。その影響のせいかも知れないのだが、朝日の秋山顧問弁護士から通告書が届き、再び名誉棄損だと主張をくり返している。そして、驚いたことに『噂の真相』の青山発言を引用して、私の記述が虚偽だと決めつけるが、その幼椎さに恥を知るべきだと嘆きたくなる。
 それにしても、株主総会用のアリバイ作りのためなら、そんな子供騙しはいい加減に止めにして、何度でも重ねて言うが、自ら読者の信頼を取り戻すのが先決ではないか。


記事 inserted by FC2 system