明るい未来社会の建設と経済至上主義の克服(下)

藤原肇(フリーランス・ジャーナリスト)
彭栄次(台湾輸送機械有限公司・董事長)



人材が払底した日本の政界に救いはあるか

 藤原さんは自民党が嫌いと見えて全面否定するが、台湾人がこんなことを言えば潜越になるにしても、私が知る限り自民党にも人格者はいます。だから、優れた国際感覚の持ち主が存在している以上は、ダメだと決め付けない方が良いと思います。

藤原 その通りでしょう。でも、世界に通用する政治家は余りにも少ない、私利私欲を満たすために政治家になって、国家を食い物にする利権屋が横行し、理念や長期的な展望を持ち合わせたステーツマン的な人が、現在の自民党の議員に少なすぎます。私は自民党の代議士だった人をだいぶ知っているし、かつては個人的に付き合った人もいるが、平成幕末を迎えて代議士たちの精神が卑しくなり、仮に連絡があっても会う気が起きないほど、政治家の人材として質は猛烈に低下しています。

 その気持ちはよく分かるな。でも、それだけ厳しい批判を遠慮なくやるだけに、本心では好感を抱いていないのは確かでしょう。

藤原 さてね…。科学者だからダメなものをダメと言っているので、これは嘘偽りのない評価をしているに過ぎませんし、史眼を持つプロとしての正直な発言ですよ。
 しかも、政治のあり方を現代史の視座から捉えた場合に、権力を長期支配して役割を終えたものに、国家を食い物にしていた独裁的な政党として、日本の自民党、台湾の国民党、大陸の共産党があり、厄介者は消滅するだけの運命だと思うのです。

 私も好きなことをズケズケと言ってきたつもりだが、藤原さんは私より言いたい放題だから羨ましいね。だが、そうなると、北朝鮮の労働党はゴミも同然ですか。

藤原 北朝鮮の労働党は北京の盲腸みたいな存在です。その盲腸みたいな連中の方が日本の外務省よりマシで、自民党よりも外交が遥かに上手だから嫌になる。それもあって、この前の河野外相を「江之傭兵」と言ったのは、確か台湾の人だったのと違いますか。

 それを言われると困るなあ…(笑)

藤原 現実に右顧左盻したのは本当だから、外務省が何を言われても仕方がないです。

 いみじくも藤原さんが先ほど指摘したように、国民党は台湾人に見限られて権力の座から降りたが、小泉首相が壊すと言っても反抗もしなかったから、自民党の時代が終わるのは時間の問題かも知れません。いずれにせよ人材の枯渇が何と言っても致命的です。

藤原 かつては自民党にも椎名素夫や宇都宮徳馬がいて、石原慎太郎のような単細胞の「井の中の蛙」と違い、日本の政治を世界の中で広い視野で捉え、バランスを取ろうとする真面日な政治家も健在でした。だが、その椎名も中曽根に取り込まれて密使になり、軽率な行動をしたので信用を失っているし、宇都宮も一匹狼で大した力にならずに終わった。要するに、大平内閣から後の首相は利権屋ばかりで、日本という社会の運命をよりよい方向に導くために、命を賭けようという志の持ち主は皆無でした。

 椎名素夫代議士は自民党の国際部にいたので、私は親しく交際したから個人的によく知っています。彼は原子力エンジニア出身で真面目だったし、日本の代議士には珍しく広い国際視野を持っており、それだけに岩手県で小沢一郎に苛められて、選挙の時にはいろいろと苦労していたようです。


及び腰で隙だらけの日本の政治が曝け出した欠陥

藤原 それでは話題を最近の台湾に移すことにして、李登輝前総統が日本を訪問する話の時に、ビザを出すとか出さないとかでトラブったが、あの時にビザ取得の裏面工作を彭さんがやり、姑息な外務省に風穴を開けたと聞いています。それに関しての真相とか裏話でもあったら、オフレコで結構だから聞かせて貰えますか。

 タイミングを見て天の時を利用したに過ぎません。世界で通用する当たり前のことを堂々とやって、何も裏取引をやったわけではないから、あの件はオフレコにする必要などはないですよ。
 李登輝さんが病気を治療する目的で、日本に行きたいと希望したのに対して、日本の外務省がビザの発給をしなかったが、それは北京政府に気兼ねしての嫌がらせだったのです。私は役人ではなく一介のビジネスマンだが、こんな非人道的なことを日本政府がやるのを見て、李さんの友人として見るに忍びないから、閉ざされた門を開くためにお手伝いをしたのです。

藤原 でも、北京政府が断固反対だと圧力を加えたので、あのビザの発給が日本では大問題に発展して、外務省と対立した自民党が内部争いを始め、河野外相が辞任すると騒いでテンヤワンヤになりました。しかし、結果として李さんはビザの発給を受けて、目的を達成して日本で治療が実現したのだから、彭さんの作戦は見事に成功したわけですね。

 あの時の日本の政治状況は森政権の末期であり、国民に見放されて絶望状態に陥っていた自民党は、ガタガタの体勢を総裁選挙で乗り切り、何とか人気を繋いで生き延びようと懸命でした。こんな状況は五十年に一度の天恵であり、原則を手にして政治情勢を味方にしている以上は、天の時と地の利はこちら側にあります。だから、後は「一潟千里」という状況になるに決まっているから、「攻めずんば何をか得ん」という次第だったのです。

藤原 見事なお手並みでした。天の時を掴むために待ち構えるには、「臥薪嘗胆」をやり遂げる忍耐力が必要ですが、日本人はどうしても直情径行型のために、短期決戦ばかりに目を奪われてしまうのです。
 また、虚を衝いて急所を襲うのが勝利の要諦だが、混乱で消耗した相手を分断と離間で料理できるように、森政権末期の支離滅裂ぶりは前代未聞でした。あれだけのチャンスを天恵として活用するなら、北鮮でも日本を簡単に乗っ取れただろうがそれに気がついたのが彭さんだけで助かりました。
 それにしても、彭さんがあの混乱期のタイミングを掴んだのは、普段から多くの日本人と親しく交際して、日本人の習性と行動様式に精通していたからであり、あれだけ適切な作戦を展開したのはお見事です。

 日本の友人に協力して貰えたことも重要だが、何と言っても歴史に学ぶことが大切であり、現在への批判を歴史の鑑の中で読み取るのです。
 日本人と親しく付き合う僥倖に恵まれたという点では、日本の会社を相手に商売をした関係から、重電機では三菱や日立とも付き合いましたし、三井、三菱、住友という商社とも取引しました。そして、部長や課長だった人が台湾に赴任すれば付き合うし、私が訪日すれば友人たちが迎えてくれましたよ。

藤原 その人脈で日本人の行動を観察して、心理の動きについてマスターしたのですか。

 はい。これは誰でもがやっていることだから、私が使わないと言う手はありませんよ。でも、最近めだつ日本人の残念な共通点は、昔のように理想や志を持つ人が少なくなり、目先の利害関係が中心になっている点です。
 この人は会社主義でなく業界や世界まで見据えて、度量が大きく個性的だと思う人のほとんどが、子会社に出向するとか左遷されてしまいました。内向きでゴマすりが偉くなるのを何度も目撃して、これでは日本の将来は危ういと感じて来たが、今の日本はこの種の病気に犯されています。
 ギブアンドテークでなくギブは出来るだけ少なくして、テークのみという人が上に立つようになれば、信頼されないし長い友好関係は生まれないのに、それが最近では目立ちすぎるようです。

藤原 耳が痛いが、私も同じように感じているので反論しません。ただ、彭さんがそれだけ深くて幅広い視野を持って、政治や経済の問題を包括的に捉え、台湾有数の日本通で国際問題の権威になった背景には、どんな体験があったのか興味深々ですが…。


狭い台湾で体験した多様な世界への開眼

 そうですか。私が中学や大学に行っていた時代の台湾は、日本の植民地だったから教育は日本語だが、家庭では、両親が喋る大陸の言葉や台湾語でした。また、日本の前は清朝とかオランダの植民地を体験したが、私にとって最もショッキングな異文化の体験は、一九四九年に国民党の大集団が大陸から逃げて来て、珍妙な文化が洪水のように押し寄せた時です。
 なにしろ、食文化一つを取っても見たことのないものばかりで、みみずをフライパンで炒めて卵と混ぜて食べたり、ドラム缶で湯を沸かして小麦粉で団子を作って、美味そうに食べるのを見てとても驚きました。また、公園で老人が集まって変なダンスをしていて、女性がオッパイを触る仕草をしたので目を見張ったが、それが太極拳を見た初体験だったのです。

藤原 太極拳がそんな新しいものだったとは初耳です。

 それまで公園で太極拳など見たことはないので、私は何をやっているのか見当がつかなかったのです。あの大きな大陸の三六省の精鋭たちが逃げて来て、金持ちもインテリも貧乏人も悪党も一挙に台北に集まったが、こんなことは物理的に実現が不可能なのに、それが一九四九年に目の前で実際に起きたのです。内戦での敗北という時代がそれをなさしめたが、あらゆる大学の教授が共産主義を恐れて、南京、北京、上海、重慶、広州、昆明といった都市から、何千人もインテリが台湾に逃げてきました。また、その何十倍もの庶民や軍人が逃げてきたので、われわれは違和感で非常に混乱したのです。

藤原 違和感がある所にはその上に何かが生まれるし、カルチャー・ショックの後に何を掴んだかが問題です。それにしても、台湾人にとって大陸から来た中国人が、文化的なショックをもたらしたのは興味深いけれど、圧倒的に多数の人は軍人だったのでしょう。

 あの敗残兵たちは野蛮で実に質が悪かった。蒋介石と軍閥の頭目は略奪のプロだから、支配者として知識人を何万人も虐殺したので、台湾人は実に高い代価を支払いました。なにしろ、外省人にしたら自分たちこそ覇者であり、台湾人は士人として賎民と同じだから、犬や猫よりも下の扱いでも当然だと考えたのです。

藤原 最近になってようやく解除になったが、五・二八事件の内容が明らかになったとは言え、知識人が三万人も殺されたのは実に悲惨でした。

 われわれの世代のインテリはほとんどが殺され、今の六〇代から七〇代にかけての世代としては、日本やアメリカに逃げて生き延びることで、あの悪夢の時代に耐えねばなりませんでした。しかし、この試練に耐え抜いたことで人材が育ち、新しいタイプの台湾人が生まれているのであり、昔の清朝の時代と結ぶ台湾文化ではなく、より国際的な未来志向の文化が育っています。
 それは台湾と言う風土と結びつく固有文化、古典の故郷としての大陸の歴史と漢字文化、半世紀の植民地体験で受け入れた日本文化、戦後に大量の留学生が持ち帰ったアメリカ文化などで、こういったものを綜合したハイブリッドな物が、今の台湾文化であると考えたら良いと思います。

藤原 歴史が自然に作ったハイブリッド文化として、台湾人が英語、台湾語、北京官話、日本語を喋るのは、多層文化の実践という意味で凄い財産です。コミュニケーションの能力がいよいよ重要になって、他の文化圏の人と理解し合いながら、二一世紀の国際社会で発展することを考えるためにも、多様性を内包するハイブリッド文化は貴重です。

 日本人が忘れていても日本もハイブリッドの国でした。ただ、それが二〇〇〇年近くも昔に混じり合っていることのために、日本人がハイブリッドだとは理解し難いのです。実際にシベリアから来た人、シルクロード経由の人、大陸や朝鮮半島からの人、南方から黒潮に乗ってきた人と言う具合に、日本人には色んな要素が混じっています。だが、今の日本人はそうした歴史をすっかり忘れてしまい、モノカルチャー化しているのは残念だと思います。

藤原 その通りですね。自分たちの祖先が世界の各地から流れ着き、日本列島の上に多様な文化を育てたというのに、それを忘れて国粋化しているのは愚かですね。


良禽は木を見て棲むの教訓

 小泉首相が靖国神社に参拝したことをめぐって、アジアの国が日本の膨張主義を懸念しているが、どうして無用な波風を立てるのか実に不思議です。近隣諸国の信用を築かない限り日本の繁栄はなく、安定した平和の維持は望めないのに、慎重さに欠けた自己中心の行動をするというのは、一国のリーダーとしてちょっと軽率だと思います。

藤原 ちょっとではなく非常に軽率だと言うべきです。あれはナントカの一つ覚えに属す行為であり、靖国神社は無名戦士の慰霊碑ではないのに、彼の頭脳はそんなことも分からないのです。しかも、小泉の幼稚な国粋主義を全面支援しているのが、台湾と密着しているサンケイ新聞を中心にしたグループであり、その中に李登輝元総統が取り込まれていて、余り良い影響を及ぼしていないのは非常に残念です。

 サンケイは蒋介石との関係で台湾に親近感を持ち、反共路線で国民党政府と非常に緊密だったが、今の台湾はそんな段階は脱却していますよ。

藤原 でも、日本の国家主義に凝り固まった連中たちが、自分たちの偏狭な国粋思想を鼓舞するために、台湾の反共主義者と緊密に手を結び、そのエコー効果を日本に持ち帰ることで、日本の反動化のテコに使っているのです。その一つが「台湾論」を出した小林よしのりであり、彼はマンガを武器に使う日本版ゲッペルスで、メディアのテロリストとして卑劣な手口を使っているのに、台湾人は彼の手玉に取られているのです。

 台湾には色んなタイプの考えを持つ人がいます。しかも、自由な形で考えを表現したり行動して良いわけでして、それが大陸とは違う台湾式の自由である以上は、たとえ問題があっても取り締まりよりは放置の方がいいのです。

藤原 でも、総統を引退した李登輝が小林と一緒になって、共著の中で復古主義を手放して礼賛するのは軽率ですよ。中国では「良禽は木を選ぶ」と昔から言うのに、総統として国家元首を歴任したというほどの人物が、幾ら引退したと言っても相手を選ばないで、日本でも卑劣さで札付きの漫画家を相手にして、政治を論じると言うのはお粗末すぎます。まさか彭さんが取り持ったとは思いませんが、元国家元首の行為としては感心しません。

 いや、いや、私がそんな軽率な仲介をするわけが無いし、問題を起こしたあの「台湾論」にしても身勝手な自己主張だから、台湾としては大いに迷惑を蒙りましたよ。おそらく、漫画家を李登輝に会わせて共著を出す手配をしたのは、台湾独立派に属す過激な活動家の仕業でしょう。李登輝元総統は誰とでも気軽に会う性格の人だし、話し始めると果てしなく喋るのが好きだから、どうしても脇が甘くなって利用されるのです。

藤原 確かに話し好きで明るい性格の人であり、かつてお目に掛った時に感じたけれど、好々爺さんとしての脇の甘さがありました。でも、性格的に驚くほどお人好しであるだけに、相手にする人が誰であるかに慎重でないと、とんでもない失敗を犯すことになるのです。

 それで、藤原さんが李総統と会ったのは何時頃ですか。

藤原 今から十年ほど前のことだったと思うが、私が李登輝総統に初めてお目にかかった時に、「李さんは京大の農学部の卒業だそうですが、私は京大の理学部を受けて落っこちたのですよ」と言ったら、彼が「落ちて良かったですね。京大を卒業していたら今ごろの藤原さんは役人にでもなり、通産省の局長か何かをしていたと思うな。
 私は長い役人生活の後で今は政治家をしているが、藤原さんのような自由な生活が羨ましい。総統の任期が終わったら私も自由人になって、余生を伝道ですごしたいと思います」と言ったのです。それを聞いて政治家として達観していると思ったのに、総統を辞めても一向に政治から身を引こうとしないで、新党まで作って活動を続けているのは、どうも胴に落ちないという気がするのです。それをズバリと言い切るなら、引き際が人間にとって大切だということです。

 賛成ですね。私も李登輝には色いろ協力してきたから、総統として彼の功績には評価すべきものが多いとは思うが、引き継ぎを効果的にやれなかったので、ここに来て強いあせりに支配されているのです。しかも、後継者をきちんと育てなかったという点は、指導者の資質としては物足りない欠陥であり、そのために最近の混乱が起きているが、それは彼の政治力が付け焼刃だったからです。

藤原 そういう人にはアドバイスが役に立つのであり、李さんと会った機会を利用して私が忠告したのは、「党の総裁として耳が痛いかも知れないが、台北の国民党、東京の自民党、北京の共産党の三党は二〇世紀の後半において、独裁開発の形で指導力を示したが役目を果たし、二一世紀には滅亡せざるを得ない存在です。だから、李さんの使命は国民党をソフトな形で解体すること」という論旨だったが、彼はニコニコした表情で聞いていましたよ。

 あの頃に藤原さんはそんなことを言ったのですか。それにしても、李さんの人の善さがあなたに蛮勇を与えたというべきだが、蒋介石時代の総統にそんなことを言ったら、命が幾つあっても足りなかったのにあなたも運がいい。また、彼は党の改革を総統としての仕事と認識していたから、結果として国民党の弱体化は実現したが、解体させるだけの勇気と決断力がなかったために、未だに宣教師になることも出来ないのです。

藤原 そうですね。李登輝さんが「台湾と中国は国と国との関係だ」と発言して、多くの人に勇気ある発言だと賞賛されていたが、私も政治家として上出来だと感じました。だが、あの時に惜しいなと思ったのはそれに続けて、「台湾が中国の一部だと一言う人もいるが、台湾は世界の一部だし中国も世界の一部だと考えて、国際社会の一員として世界平和のために、協力し合う上での道を求めて行きたい」と発言して欲しかった。そうすれば世界レベルの政治家としての地歩を確立し、円熟した指導者として世界史に名を留めたのに、党派争いに関わったまま政治から引退しないで、自分は元日本人だと退嬰的なことを言って、常識や教養を疑いたくなるような愚行に走り、小林とお粗末な本まで出したので幻滅しました。


老害の克服と国際感覚に富む人材が活躍する時代

 それは鋭い指摘だな。マキャベリズムに無縁だし威力が分からないから、どうしても波乱を避けて無事であることを求めたし、「静かな改革」と耳当たりの良い表現をしたが、李登輝は政治家として摩擦が嫌いでした。だから、一二年間にわたって民主政治を推進したが、歯車が空回りしてフリクションがなければ、彼の言う改革が静かになるのは当然であり、幸運の女神が何度も機会を与えてくれたのに、李登輝はその貴重なチャンスを失っています。

藤原 どういう具合にですか。

 天安門事件は北京政府にとって存亡の危機だったから、あの時に腹を括って台湾が独立を宣言したとしても、誰も文句を言わなかったのは明らかなのに、それを見逃したのは政治家として問題です。また、九六年のミサイル攻撃の時には五五%も支持を集め、台湾人の全面的な信託を受けたというのに、このチャンスも見送って甘さを露呈しています。

藤原 普段から危機に対して問題意識を研ぎ澄まして、幾つかのオプションを作って検討していない限り、いざという時に決断と実行には移れません。

 そうですよ。普段からその時のために用意を怠らないで、いつも鍛えて準備することが指導者の任務のはずだし、指導性の発揮には強い意志が必要です。歴史がそのことを事実を以って教えているのであり、日本人は台湾人を植民地人として差別したが、大陸から逃げてきた国民党の外省人たちは、台湾人を賎民として徹底的に差別をして、「五・二八事件」でインテリが大虐殺された時に、何万人も殺されるか監獄に入れられました。
 それでも、弾圧から逃れた一部の人が鳥篭に入れられた形で、中央には出ずに地方で忠僕の身分に甘んじれば、無害だということで仕事に就けたのです。李登輝もその一人で口下手な農業専門家だったから、大した野望もない人だと目こぼしになり、少しずつ出世して国民党の中で偉くなりました。そして、八八年に幸運にも蒋経国が突然死したお陰で、求めずして副総統から総統に昇格したのだが、これは自力ではなく天が与えたものです。

藤原 そういう意味では李登輝は幸運に恵まれて、余り強い批判に晒されないで第一線を退いたのに、今ごろ新党の組織化や小林と共著を作ったことでボロを出して晩節を汚したのが惜しまれます。

 ズケズケ何でも言う藤原さんに批判されなければ、彼も晩節を汚したなどと言われないで済み、大政治家と言う評価で輝き続けたでしょう。だから、本当は一〇年前の絶頂期に惜しまれて引退していれば、彼の政治生活に花道がついたはずです。だが、根が控え目で性善説を地で行く人だったこともあり、長居しすぎたために損をしたと、言えそうです。

藤原 彭さんもそう思いますか。
 台湾の国家元首だった李さんを中心に、これまで彭さんの本音を聞かせて貰いましたが、日本通のあなたに日本の政治家に関して、問題点をズバリ指摘してもらって纏めにしたいと思います。人間は会って最初の一分間で相手を読み、頭の中に何があるかを見通すことが出来るが、そういう観察眼の名人の彭さんとしては、アジアの将来を展望しながら日本人に対して、ズバリ言っておきたいメッセージがありますか。

 最近までは台湾でも大陸でも共通だったが、老政治家たちが何時までも内閣や議会に居座り、既得権を守るために全力を上げていました。だが、それは二一世紀に入って時代遅れな弊害になり、李登輝も江沢民も賞味期限が切れまして、より国際感覚を持つ若い政治家との交代が進んでいます。老害の追放がアジアの政治を変え始めたのに、代わりの人がいないという理由で古手が跋扈して、日本の政治はその点で非常に立ち遅れています。

藤原 その通りですよ。小泉が六〇代だといっても明治一六〇歳で、頭の中はアナクロニズムで凝り固まっていて、未来や理想を語る柔軟な頭脳がありません。また、若さを売り物にして来た、石原慎太郎にしても、本人は若いつもりでも七〇歳の古希の老人だし、外国人に頭の中を読み抜かれて嘲笑される程度の人です。
 ところで、石原慎太郎はよく台湾にやって来たらしいが、あなたの冴えた鑑定眼で見た彼の実像を、ぜひ聞きたいですね。

 何度も石原さんに会って親しいのは確かだが、彼は二五年も国会議員をやったが実力がなく、信望もないので議員を辞任して都知事になり、今度は人気をバックに首相になるとかです。新聞記事の中では格好のいいことは言うが、彼の頭の中にその問題は存在しておらず、付け焼刃で景気のいい発言はしても、具体的に質問をすると何も答えがない人です。幾らスピーチが上手でもっともらしく聞こえても、それは芸人としての能力みたいなもので、指導者としての理念や思想とは無関係です。
 食事をしながら気楽な気分で喋ろうとしても、黙っているので問題意識のなさが分かるし、あのような性格を日本では「内弁慶」と言うらしいが、二一世紀の指導者として不適格であると、聡明な日本人は分るべきだと思います。

藤原 問題を一度自分の頭で考えたことがあれば、応用問題はいつでも解答を見つけられます。だが、口先を使い人気稼ぎで人生を遊泳して来たので、真剣勝負の時に自信の無さが馬脚を現すような石原路線は、指導者の資質として最低に属しますから…。

 その通りでしょう。台湾や中国だけでなく韓国やインドネシアでも、最近の若い政治家は国際的な訓練を受けて、世界に通用するレベルの人が登場しているのに、日本では二世とか老人の政治家を有難がっていたら、世界から取り残されるだけだから心配です。若い有能な日本人が世界で活躍しているので、そういう人を登用して適材適所で活用すれば、日本は幾らでもアジアで指導的な立場を握れます。その実現が若い人に希望を与えるのであるし、開発至上主義の経済を克服するわけだから、われわれ老いた世代は若い人材をバックアップして、その実現に命を投げ出すべきですよ。そうじゃありませんか…。


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