『ニューリーダー』 2016年5月号



【地政学】その統括と展望B



二一世紀型の人材育成と叡智力の探求
宇宙に広がる世界秩序の新フロンティア



ジェームス鈴木 / ビクター小林 / ジム(肇)藤原




一般教育の普及と産業革命

鈴木 一九世紀のインド洋から太平洋にかけて、英国は植民地の収套を通じ、アジア全域に支配権を確立しましたが、それはビクトリア朝に重なる。そこで重要なのは教育間題です。支配者と被支配者の二の面で、異なった立場の議論が生まれます。

小林  植民地支配という観点になりますが、先ず現地人の教育の面では、西欧のアジア植民地には学校はあまりなく、教育をしない支配のやり方だった。彼らの基本は功利主義的だから、卵を産む鷄小屋の中は不潔でも、卵が手に入れば良いと考えていた。

鈴木  だから、英国が作ったアジアの植民地には、中間層の教育のインフラが少なく、人材の厚みでハンディを生み出してしまった。一定の教育が必要な工業社会と違い、労働集約的なプランテーション時代の、植民地では一般教育に関心は低かった。
  マレーシアなどの例が典型ですが、農園の経営に必要な人間は、各所から連れてこられて、荷役や鉱山労働を強いられた。植民とは、まさに木を植えるのと同じで、民を植える発想でした。その上に調整役として彼らが君臨したのです。

藤原 それは英国本国においても同じでした。産業革命後の一般教育の普及は、労働者が時間感覚を身につけることでした。そして、計量的な労働時間を理解させた上で、読み書きと計算が出きることが、社会の要請でした。「読み、書き、そろばん」というのは、近代社会で人間の必要条件です。しかし、資本主義の発達にとっては、普通教育の制度化が必要だったが、良い市民である十分条件は、「考える人間」であったために、制度としての学校の有無の問題は、それほど重要視されないのです。

小林  一方で、幾ら力を入れて学校を作っても、制度があるだけで中身が空虚なら、無価値だということになってしまう。子供を持つ親の立場から言うと、今の日本の教育だと私の息子は、サラリーマンとして働くだけで終わる。だから、自由な人間として生きられないと判断して、カナダヘの移住を決断しました。基礎教育としての学校は必要でも、間題はその中身がどうかであり、学校は建物や制度ではないのです。

藤原  経済学者のマイケル・ポランニは、制度化してしまった病院と学校が、社会の堕落と劣悪化の原因だと言っていますが、これは商業化の激しい先進社会共通の話です。学校も病院も社会に必要だが、それが制度化して硬直化すれば、本来の向手心や治癒力を阻害して、逆効果を生むことになるということです。
  だが、発展途上国や低開発国においては、教育の果たす機会均等の貢献が、いかに貴重であるかは議論の余地はありません。
  ただ、ここで論じたいのは、植民地での一般教育の間題ではなく、発展途上国や先進国など、世界全体の中等教育や高等教育の問題です。いかに、思考する自立した人間を育てるかということです。


リーダーシップを育てる船

小林  明治までの日本には寺子屋があり、「読み、書き、そろばん」を教えて、基礎教育に相当するものはやっていた。また、藩校や私塾で高等教育を施したが、大事なことは文武両道を行って、単なる知育教育に偏らないように、人間としての均衡を重要視していました。

鈴木 一方でイギリス人が誇っている特質の中に、システムを創ることがあり、次の世代や将来のことを考えて、システムを創ることに情熱を傾けた。そのー例として私立の貴族向けの全寮制の学校は、議論して自分で考える教育を確立し、パブリックスクールとして存在を誇り、英国の人材養成所になりました。

藤原  オックスブリツジを頂点にした大学は、本来は植民地の行政官として、現場で有能なマネージャー役を果たす大英帝国を支える人間を育てていた。スチュワードを養成することが、システマイズされていたわけで、そこがイギリスの強さの源泉でした。

小林  英国式の教育の根本にあるのは、自分で考えさせる力をつけさせることで、教師が講義するスタイルではない。だから、生徒にノートを取らせることはしないで、討論に次ぐ討論を行わせ、テーゼが出てアンチテーゼが出て、そこからボロッと真実を出させる。また、スポーツにかける比重が非常に高くて、ラグビーに始まりヨットやボートをやるし、実体としては文武両道を実践しています。

鈴木 貴族は本来、チームスピリットの涵養は、あまりしません。彼らは登山やヨットや乗馬などを好み、一般に単独行動が主体でした。だが、新興ブルジョアジーが好むスポーツには、ラグビーに代表される集団競技があり、これは産業革命後に台頭してきました。

藤原  登山やヨットは大自然を相手にして、己との闘いが中心になっていますから、人間が相手のスポーツは自然が相手のものより、一段格が落ちると考えられていた。 私は岩登りをやりますが、登攀にはリーダーシップが必要であり、総合的な判断力が決め手になります。船の船長も小国の支配者に似ており、総てを統括する必要があるから英国人は船長としての体験を通じ、指導性の養成をしたのではないか。その伝統がキャプテンの持つ全権で、船長は特命全権大使や大臣と同じように、最大限の権限が与えられています。

小林  個人競技を支えているバックボーンに、激烈な好奇心と底知れぬ体力があり、それによって自然と対峙して、自分を鍛えるのが英国の伝統ですね。ただ、船長の全権保持は面白い観点ですね。暇とお金がある人は世界中に進出する。そこで集めた情報が大英帝国の財産で、その時どんな手を打てば良いかと、行動する前に企画できるようになる。
  だから、明治維新の時に来たアーネスト・サトウは、出雲と伊勢の神道の違いまで研究し、日本では誰が権力を握るかとか、カウンター勢力は誰かなどを調べて、ちやんと傾向と対策を練ってから、日本にやって来た。


責任を取る姿勢と指導性

鈴木  イギリス人が得意な情報の扱いや、覇権を確立する手法の基礎には、先行した海洋国家のオランダが模範となっていて、そのダッチ・アングロサクソンの伝統が、アメリカンに受け継がれています。だから、ペリーも日本来航以前に沖縄に寄港し、周到に情報を集めてから江戸に来た。
  ただ、一九世紀の植民地主義時代、世界の方々に戦争を仕掛け、最も頻繁に海外に出かけて行って着地した一方で、世界中に骸を晒してきたのがイギリス人だったことは案外知られていない。その舞台はアフリカや北米が主体だったが、中央アジアでのグレートゲームでも、そうでした。

小林  アフガニスタンではずいぶん苦労して、三度も戦争して大敗北を喫したし、敗走の時はヒンズークシ山脈で追いまくられ、随分と兵隊が鼻を削がれている。捕虜になると鼻を削がれたので、それを治す形成外科の技術が、英国ではとても発達しているのです。

鈴木  アフガニスタンのゲリラは残虐で、捕虜の腹の皮をぐるっと切って、皮膚を上にめくり上げて頭の上で結び、塩を塗って転がしておくという、最も長く苦しむ殺し方をしています。日常的に羊の皮をむいているから、そういうことを現地人はやってのける。
  アフガンに侵攻したソ連軍が捕虜になり、それをやられたので怖がり、遂に撤退したことは有名な話です。アフガニスタンが帝国の墓場として、恐れられていることの奥底には、こうっいった文化や戦争の様式で、全く異なる次元の違いがありました。

小林 それに地形的にも天然の城砦であり、一旦入ったら引き摺り込まれて、じっくり始末されてしまうのです。
  つまり、イギリス人は世界に晒した屍の上に、植民地政策を行ってきたのです。

藤原  英国人も羊を飼う遊牧民に属しますが、モンゴルやアフガンとは違って、半分は定住する半牧半農であるし、海洋に乗り出す漁民の性格も持つから、船長の多くはソフトパワー型になっている。
  それに対して農耕民族の日本人は、東インド会社をお手本に模倣して、植民地主義を掲げて海外に出かけ、満州の経営や東南アジアに進出したものの、途中に鎖国がありソフトパワー型の船長が育たなかった。
  そんな日本と英国の差はインパール作戦で証明されました。航空写真を開発したのは英軍で、この技術を米軍が活用していますが、二次元平面で戦った日本軍に対し、三次元空間を活用した英軍の方が、絶大な力を持っていた。


バランス感覚の持つ役割と責任感命

鈴木 インパール作戦の責任は誰も取らなかったが、原発が爆発しても隱蔽し続けて、責任を取らない東電や官僚を見れば、昔も今も少しも変わっていません。

藤原  福島の原発爆発の持つ犯罪性は、インパール作戦の何百倍もの大ききだが、東電も日本政府も責任を取らずに、嘘と隱蔽を続けて責任逃れをしている。役人も君臨して威張っているだけで、彼らには計画性も思考能力ないのに、独善的なエリート意識で君臨しています。

小林  日本はユーラシア大陸の東端にあり、儒教を始め朱子学や道教など、大陸からいろいろなものが入り、最後には濃密に精錬させている。また、戦国時代に生まれた武士道や茶の湯などは、精神的にも高い文化を築いたし、英語に較べて複雑な言語を使っている。また、表意文字と表音文字を識別して、そのニュアンスまで伝えられる点では、英語より高いレベルの言語を使える。
  その意味では個人の素養としても、社会としての精密さから言っても、日本はイギリスと十分対抗できるし、イギリス以上のものがあった。しかし、いかんせんトップの人間の責任感に差がありすぎました。

鈴木  ビクトリア朝時代のイギリスは、貴族やジェントリー層の支持を受け、ブルジョアジーと共に貿易振興を推進した。また、平和外交を進めたグラットストーンと、帝国主義政策を進めたディズレーリが、相互に牽制しあいながらも、結果的に大英帝国の発展を推進しましたが、このバランス感覚が重要でした。
  バランサーの位置を占めることで、最小のエネルギーで最大の効果を得て、それを安全と安定の鍵にすることに英国人は価値を認めたから、生き延びられたのではないでしょうか。

藤原  宇宙は空間と時間を意味しますが、日本人は伝統を好み時間を評価する一方で、空間的な発展を軽視して来たので、排他主義に固まり易い性格です。
  明治維新の実体はテロリズムの横行で、有能な人材が暗殺で葬られたが、「尊王撰夷」や「大和魂」にしても、排他的な国粋思想のスローガンであり、多様性や共生を認めませんでした。

小林  カウンターバランスになる勢力がいて均衡することがすごく大事であり、競い合っている緊張感の存在が、国を一つに纏める力として働き、発展のための原動力になるのです。
  アテネだとかスパルタだと自己主張し、小競り合いをする緊張関係にあっても、ペルシャの巨大な敵が現れると、ユナイテッド・ギリシアとしてまとまる。それがギリシアのスタイルと形容できる、この種のフレキシビリティは貴重ですね。

鈴木  最初から一つにまとまらないで、多様性を中に含んで揺れ動き、ファジーな状態を維持して行く。これが硬直化しない道です。しかし、日本では異端者や少数意見を排除して、徹底的に弾圧してしまいます。
  最悪のケースが小泉内閣の時で、郵政民営化に反対した議員に対し、刺客を差し向ける行為があった。だが、その責任追及をしなかったから、安倍内閣はもっと卑劣な手口で、日本の政治を狂わせている。


英国人が継承したギリシア精神

小林  英国は民主制の発祥地だから、ヨーロッパはそれを半島に当てはめ、今のEUはそれを手本にして、政治にバランスを取り入れている。イギリス人はそれを分かった上で、緊張感を保たせて、それを巧妙に操る知恵を持っている。
  大英博物館のファザードはパルテノン神殿だし、国際貢献をする自負を持つ点では、流石に老いたとはいえ大国ですね。

藤原  一方、ドイツ人は自分たちがギリシアから、文明を引き継いだ者だと思い込んでいるが、英国人の方が正統かも知れません。英仏は歴史的に敵対関係で、敵の研究は敵国が熱心にやるから、英国史だとアンドレ・モロアがいるし、英文学ならイポリット・テーヌだが、フランス革命の研究では英国人がー番です。

小林  藤原さんがお書きになっているように、ギリシアの秘数学や神秘術を含めて、ピタゴラスや幾何学にまで押し進め、それを天文学にまで拡張して行く。さらに、音楽や波動現象にもそれを含め、全部を根本原理でまとめて、大統一理論として記述するならば、均衡の取れた世界が実現できます。そういう精神がヨーロッパの中には、文明の根底として存在しており、それが欧州とアメリカの違いです。

鈴木  ただギリシア精神はイスラム世界に行き、スペインのグラナダやコルドバを経由して、アラビア語からの翻訳で受け継ぎ、再びヨーロッパに入っています。そこにヨーロッパが負う弱みというか、後ろめたい部分があるのですが、それを指摘する者がほとんどいません。

藤原  産業革命が英国で始まったので、われわれはヨーロッパ中心の歴史観に支配され、イタリアによるルネッサンス思想に影響され過ぎています。
  ユーラシア大陸に登場したモンゴルが、大帝国を築き上げた事実があり、そのお蔭でユーラシア文明圏が出来た。中世のバクダットが繁栄した背景に、インド洋での交易が存在しており、そこにフェニキア人の足跡があり、ベニスの富の蓄積を生んでいる。
  また、回教徒たちがイベリア半島を経由して、世界文明をヨーロッパに伝え、それが産業革命に結びついた事実に関しては、過小評価されています。

鈴木 私も同じ意見です。大英帝国が海洋の支配を通じて、大植民地帝国を築き上げたのも、ベニスによる海洋国家の延長だし、それ自体がフェニキアやアラブ商人たちによる、インド洋の交易の継承と言えます。
  それを物語るのが『シンドバッドの冒険談』で、実際にインド洋で交易が行われ、富の蓄積がもたらされているし、重商主義の原型がそこに描かれています。


マスターの存在と出会いの価値

藤原  それ以上に驚くべき存在として、イブン・ハルドゥーンという思相家がいます。彼の『歴史序説』は六〇〇年も前に書かれたが、ヘーゲルやマルクスよりも大きな視野で文明や国家機構について考察している。また、社会学や政治学の面からしても、モンテスキュやマキャベルリ以上で、現在の学問水準を上回っており、こんなことがあるかと思うほどです。しかも、バクダットにあった「知恵の館」は、叡智を集め人材を育成した殿堂でオックスブリツジ以上でした。

鈴木  その点では日本の「適々斎塾」や「足利学校」は、人材養成機関として誇るべきで、見落とせない存在だと思うのです。

藤原  大阪の商人たちが作った「懐徳堂」や、広瀬淡窓の咸宜園のように、江戸時代の私塾には良いものも多い。
  しかも、私塾は開かなかったが三浦梅園のように、ユーロ思想の原型を作った人として、注目を集める思想家もいます。
  また、教育者には二種類のタイプが存在し、知識を与える先生と知恵を授けるマスターがいます。 しかし、マスターは探さないと見つからない存在なのです。先刻のイブン・ハルドゥーンもその一人だが、アメリカにはチャールス・パースがいて、この人も時代に先行した変わり者のマスターであり、説明のスペースがないが凄い人です。

小林  マスターを見つけることは重要だし、文武両道の教育の重要性と共に、「懐徳堂」の名前に刻印されている、徳に関連した倫理観の重要性は、教育の根幹を支えるものです。
  世界で仕事をして痛感するのは、人間として備え持つ品格の重要性であり、嘘をつかず誠実であることは、何物にも勝る優れた価値ですよ。

鈴木 日本人は正直で清潔好きという点で、われわれの先祖が築いた信用は、本当に有難くも尊い財産であるし、この無形財産は大事に維持して行き、次の世代に引き継がなければならない。
  拝金主義の思想に毒され、金儲けしか考えない風潮が高まり、日本人が信用と敬意を失うことは、全力をあげて防がなければいけないことです。

藤原  情報理論で言えぱ誤魔化しや虚偽は、ノイズとして排除されるべきだし、これからの時代が情報圏の中で、いかにノイズが少ないかによって、生存条件が決まってしまうので。そうである以上は、誠実で礼儀正しい若者が、世界に通用する人材として評価され、活躍する場を作ることが何より重要です。
  その意味で、天に恥じないことがアストロポリティックスで、智慧を持ってインフォスフェアに生き、二一世紀に活躍することが望まれます。

小林  最後に強調しておきたいのは、セルフヘルプの間題で、それで英国が産業革命を起こして、時代のパイオニアになった事実です。

藤原  賛成です。近代の産業革命を起こしたのは、英国人のセルフヘルプの精神が、スマイルズによって取り上げられ、英国人がパイオニアになったし、しかも、強い影響を受けたのはアメリカ人で、その次が明治の日本人でした。

鈴木  その意味で明治の六年ころまでは、まともな道を歩んでいたが、明治六年の政変から西南戦争のあたりで、日本はおかしくなった感じがします。だから、その辺を再出発の原点と見定めて、新しい日本の進路を考えたらどうですか。 (完)







ジェームス・すずき  ベンチャー事業投資家・元大手メーカー幹部・香港在住

ビクター・こぱやし 経営コンサルタン卜・元多国籍企業幹部・バンコク在住

ジム(はじめ)・ふじわら 慧智研究センター所長、「さらば暴政」著者




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