『世界週報』 1977年11月15日

一石油地質学者の予言



80年代初めにパニックが来る
*石油価格は5倍にも*

藤原肇




これからの世界がエネルギーを中心に動いていくであろうことは、もはや疑う余地がないが、エネルギー問題はとかく皮相的に、あるいは技術的にとらえられがちである。ここに紹介する論文は、従来日本ではほとんどみられなかった広大な視点からこの問題をとらえ、事態の重大性を指摘した驚くべき内容を含んでいる。これを一読すれば、日本がいかにひ弱な基盤に立っているかが一目瞭然である。筆者は一九七一年当時、石油危機の将来を予言したことで知られている。今度は、一九八〇年代初期に世界は石油に根ざしたさらに大規模な経済パニックに襲われること、そのころ石油価格は現在の四〜五倍に上がっていることを、大胆に予言している。この論文は、さる十月十二日、日本記者クラブで行われた講演の草稿として書かれたものである。

ふじわら・はじめ一九六三年埼玉大学卒業後、フランスに留学。グルノーブル大学で構造地質学専攻、六八年理学博士となる。この間、某大手商社の非常勤開発プロジェクトを担当し、ヨーロッパ、アフリカで実務につく。また、グルノーブル駐在札幌オリンピック連絡代表をも務めた。一時フランスの石油開発コンサルタント会社に籍を置いたが、六九年カナダヘ渡り、アメリカ系石油会社入社、七三年ベルギー系石油開発会社「ペトロフィナ」(カルガリー)に移り、現在に至る。同社の主任開発技師(シニア・エクスプロレーショニスト)の地位にある。著書に「石油危機と日本の運命」「石油飢餓」(以上サイマル出版会刊)および「日本丸は沈没する」(時事通信社刊)がある。一九三八年東京生まれ。




石油産業の町カルガリー

 主観的だといわれるかもしれないが、私は日本人というのは、日本列島の上に立って、世界を望遠鏡でながめている一億の人間から成り立っていると思っている。最近は外国に出る機会も増え、よその国を肉眼で見る人も増加したが、大勢としては皆が双眼鏡や望遠鏡をのぞき込んでいる。一方、日本人で海外に出ている人の多くは、これまた日本の方を向いて望遠鏡をのぞき込んでいる。こう言うと、思い当たる人も多いのではあるまいか。

 アメリカに住む日本人が、日本から届く新聞でアメリカをはじめ世界の動きを理解するというのはよく見かける光景だし、海外で活躍するビジネスマンがすべて本社のある東京に気をとられているというのはあまりにも有名なことだ。

 自分が属する小さな集団にしがみついて、そのワク内で物を見、その集団の価値観を美意識にしてそこに安住するのが、太平洋を間にはさんで望遠鏡をながめ合っている日本人の多数を支配する心理状態と思われる。

 私も同じ日本人なので、すぐに望遠鏡を取り上げるという民族的な習慣から逃れられなかった。しかし、皆と全く同じことをしても仕方がないと思ったので、この望遠鏡を引っくり返して、逆さまの方向から日本をながめてみた。八年前のことである。

 そうしたら、なるほど日本は見えたが、ゴマ粒のように小さく見えたのだった。同時に、日本のまわりに中国やシベリアを含んだアジア大陸が見え、視野の中には中東や太平洋の東側さえ入ってきた。


カナダを知ればソ連通になれる

 アメリカは二〇世紀における最強の経済大国で、しかも私が専門にする石油を背景にして地上に君臨する大帝国になった点で興味深い国である。このアメリカを一歩離れて見るためにカナダヘやってきたわけだ。

 その上、私は昔からソ連には大変関心をもっていた。レニングラードかグルノーブルか留学先を迷ったくらいである。カナダの気候、風土、広大な空間を体験しておきたいと思ったのは、カナダの地勢がソ連のそれと似ていると思ったからだ。それに、地質学的にはカナダとシベリアは兄弟であり、カナダで使われる寒冷地での特殊技術は、シベリアでも重要な意味を持つはずで、いろいろな面でメリットがある。カナダを勉強すればシベリア通になれるのである。カタストロフィーの理論で常にソ連をながめることはきっと役に立つと思って、私はカルガリーに腰を落ち着けることに決めたのであった。

 一〇〇キロ離れたロッキー山脈のバンフの方が日本人には有名で、毎年一〇万人近い日本人の団体客がこの町の飛行場を利用するが、カルガリーには大小合わせて三〇〇社の石油会社がある。そのうちの一〇〇社くらいはかなりのスケールの会社だが、残りの二〇〇社はいわゆるフライ・バイ・ナイト・カンパニーで、やっていることといえば日本の石油開発を看板にしている会社のしていることと似たりよったりである。

 私もそのうちの一人であるが、世界中にオイル・ジオロジスト(石油地質学者)と呼ばれる人間が二万人いて、その一〇%に当たる二〇〇〇人がカルガリーに住んでいる。日本にはオイル・ジオロジストが全体で三〇人くらいいて、人数からすると、スペイン、ブラジル、メキシコ、スイスといった国と並んで世界の二〇位くらいにランクされるが、カルガリーには日本の七〇倍ぐらいのオイル・ジオロジストが仕事をしているのである。

 世界で最も多いのはテキサス州のヒューストンで、五〇〇〇人以上いる。オイル・ジオロジストがたくさんいるということは石油会社が集まっていることを意味するが、一〇〇〇人以上われわれの同業者が集まっている町は、このほかにはオクラホマシチー、ロサンゼルス、ニューオーリンズ、タルサ、ダラスなどがあり、全世界の八〇%はアメリカに集まっている。もっとも、ソ違を除いての話ではあるが。

 それでは、なぜヒューストンに行かないのかと思う人がいるかもしれない。まずアメリカを一歩離れた所で観察したかったこと、ヒューストンにいるのはほとんどがアメリカ人だということが、その理由だ。カルガリーはある意味でアメリカ人の出稼ぎ地だが、そのほかにも全世界から人間が集まっており、ソ違入、ルーマニア人、アフリカ人、アラブ人も入り混じっている。多様性の中から興味深い情報を見つけるという点で、いろいろな国の人間と知り合って、その国の問題点や悩みを直接その専門家の口から聞き出すことは、知的好奇心を満足させるとともに、情報収集の点で一番確実なやり方である。私は自分のためだけにそれをやって楽しんでいるが、そこにカルガリーのメリットがある。

 石油産業が地上最大の産業であることは、すでにだれでもが知っている。経済的実力、活動の範囲、投資の規模、政治的影響力からみて、それは疑う余地がない。なにしろ、現代の産業社会は石油によってエネルギーを供給され、生命力にしているからである。


コンピューターを最大限に利用

 一九六〇年代の後半から、日本では、未来の産業社会はコンピューターがその発展の決め手になるといって、大型電算機の開発に官民をあげて取り組んだ。しかし残念なことに、産業界のトップと通産省の役人はハードウエアとしての大型コンピューターを国産化することが、コンピュートピアを先取りする決め手だと誤解してしまった。これは巨艦巨砲思想の現代版であった。

 現在の日本は、グリーン車の予約やクレジットカードのように、一応のコンピューターの実用化時代を実現した。しかし、これはコンピューターの幼稚な使い方の一つだ。コンピューターに複式簿記をやらせたり、名前を記憶させるというのは程度としてはコンピューターの初歩である。むしろ、人間が総力をあげて頭脳ゲームをする時のように、複雑なことをやらせて、コンピューターを使いこなすことが必要であり、そのためにはソフトウエアの開発が決め手である。

 コンピューターの能力を最大限に生かすためには、産業活動の中でコンピューターをフルに使いこなす産業を育て上げることで、またコンピューターに対してやりがいのある高度な仕事を与えられるソフトウエアを提供してやることである。将来はおそらく各国政府がコンピューターの最大の利用者になるといわれている。それは、本当の政治が知力を結集したもので、国際舞台で生き抜くためには、一国が動員できる知的能力を最大限に使いまくる必要があるからである。しかし、現在の段階では政治はまだその水準に達していない。

 そこで、現在コンピューターを最大限に利用して、そこからマキシマムの効果を引き出しているのが石油産業ということになる。

 全世界で、コンピューターの稼働時間という点で、どこの町が一番大きな実績を誇っているか。こうした問題は日本ではあまり注目されていないが、世界一はヒューストン、第二はカルガリー、第三はロンドンという順序である。

 それはともかくとして、ヒューストンは全米の石油会社の情報センターであり、南北アメリカ、中東の石油についての情報処理が行われている。日本の会社でさえ、日本周辺の大陸棚の地震探査のデータをヒューストンに持って行って処理しなければならないのだ。なにしろ日本にはソフトウエアがないのである。

 世界第二のカルガリーは、カナダ中の石油情報のほか、東南アジア、アフリカの情報処理をしている。また、第三位のロンドンには、北海の情報と、中東の一部、それにアフリカやヨーロッパの情報が集まっている。日本人は明治の富国強兵以来、ハードウエア万能主義に陥っている。大型軍艦や大型電算機さえ手に入れれば、それで事足りたと思い込んでしまう。しかし、ハードウエアはそれをいかに使いこなすかというソフトな部分に決め手がある。

 緊張が要求されるが、ソフトウエアの気が充満している所は、受信能力がある頭にはパラダイスである。カルガリーやヒューストンに日本の商社がたくさん駐在員を送っている。ところが、彼らは日本の商品を売ることにしか関心がなく、一日も早く東京に帰って出世したいと、そればかり考え、マージャンに明け、ゴルフに暮れる生活をして、憂さ晴らしをしているのである。

 カナダのパイプラインに鋼管を売り込みたいとねらっていたが、入札で失敗するとバタバタと店をたたみ、ブームを追って物が売れる中東やブラジルにと移動していくが、日本の商社はカネに換算できる商品しか取り扱う気持ちは持ち合わせていないのである。経済大国の先兵である商社マンの大部分は一七世紀のベニスやブリュージュの商人と同じで、札束に血まなこになっているのである。そうである以上、日本の貿易収支は黒字になっても、日本の進軍が暗中模索であるのは当然の成り行きではないだろうか。


石油産業の実力の経済的側面

 石油産業がザ・ビゲスト・ビジネスであることについては異存がないだろうが、その大きさを理解する簡単な方法がある。

 全米の国民総生産は一九七七年度で一兆九〇〇○億ドルであり、日本はその三分の一、そして全ヨーロッパは一兆六〇〇〇億ドルである。またソ連圏を除くと、全世界は約四兆五〇〇〇億ドルになる。

 アメリカの国民総生産一兆九〇〇〇億ドルの内訳は次のとおりである。

 国民生活………一兆二〇〇〇億ドル
 ビジネス………三〇〇〇億ドル
 政府………四〇〇〇億ドル

 また、アメリカ合衆国を売りに出すと大体八兆七〇〇〇億ドルの値段がつくそうである。言うならばアメリカの資産評価額である。内訳は

 建造物………二兆八OOO億ドル
 器材………二兆三〇〇〇億ドル
 土地………六〇〇〇億ドル
 物資(goods)………五〇〇〇億ドル

 などであるが、八兆七〇〇〇億ドル出せばアメリカを二億の国民もろとも買い取れるというわけではない。アメリカは国外に含み資産をたくさん持っているし、ソフトウエアとしてのアメリカの誇る人材は資産物件以上の価値があると思われるからだ。

 八兆七〇〇〇億ドルというのは現在の日本の手持ち外貨の五〇〇〇倍であり、もしマクロに問題をとらえる能力をもつ政治家が日本のリーダーとして存在したなら、たかだかアメリカ資産の五〇〇〇分の一のはしたガネの日本外貨に文句をつけられ、ドル減らしをしろなどといわれるようなことをしないだろうと思う。大体、一九七七年度の赤字一二五億ドルなどはアメリカの資産の八〇〇〇分の一にすぎないし、それもアメリカがアラブから石油を買ったことによって生まれたもので、日本に文句を言うのは筋違いなのだ。

 アメリカの国民総生産が一兆九〇〇〇億ドルであり、全米での小売商品売上高は七〇〇〇億ドルである。また、アメリカの自動車生産高が仮に一〇〇〇万台で、一台平均五〇〇〇ドルとすると、自動車産業全体は五〇〇億ドルの生産をしている計算になる。これは国防予算一一一〇億ドルの約半分だし、アメリカ国内で石油と天然ガスの生産で生み出す約六〇〇億ドルより少し少ない。ただ、アメリカが消費する石油と天然ガスの合計一四〇〇億ドルに比べると、ぐっとスケールが小さくなる。それにアメリカの石油会社は、国内の幾倍もの石油を生産している。もっとも、現在ではそのほとんどが産油諸国の収入になっていて、アメリカの石油会社が受け取る額は小さいけれど。


三〇〇〇億ドルのビジネス

 さて、アメリカを離れて世界の視野で見ると、石油産業は石油の生産という面だけで年間三〇〇〇億ドルのビジネスを営んでいる。その七割近くが税金として産油国に取られているが、たとえ税金にしても、その富は各国の国庫に収まったあと世界経済に還流している。三〇〇〇億ドルという石油が生み出す富を、全世界の他の産業のそれと比較すると、一体どのようなことになるであろうか。

 石炭(三五億トン×三〇ドル)
  一〇〇〇億ドル
 鉄鋼(三億五〇〇〇万トン×二〇ドル)
  一五〇億ドル
 小麦(三億六〇〇〇万トン×一〇〇ドル)
  三六〇億ドル
 自動車(二〇〇〇万台×五〇〇〇ドル)
  一〇〇〇億ドル
 造船(三〇〇〇万トン×四〇〇ドル)
  一二〇億ドル

 こうして石油は、石炭、鉄鋼、小麦、自動車、造船のすべてを合計したものよりもさらに大きいビジネスを営んでいることが分かる。

 日本が誇る鉄鋼、自動車、造船を全部足しても石油の一〇分の一以下のビジネスにしかならないのである。

 このことを知れぱ、日本産業界の誇るビジネスなんとなく心細くなるという理由が納得できるはビジネス・ポテンシャルが、経済大国世界第二と言うにはずだが、いかがなものであろうか。


政治的側面から見た石油産業

 第一次大戦直後に、フランス人のアンリ・ベランジェは「石油を持つ者が世界を支配する」と言った。彼は、ハイオクタン価のガソリンで空を、重油で海を、そしてガソリンと灯油で地上を支配する石油を確保することによって、今度は富による経済支配を予想したが、これはペトロダラーを握ったアラブ諸国の今日を五〇年前に予告したのだった。

 実際、第一次大戦中にフランスの首相だったクレマンソーは「石油の一滴はフラソス人の血の一滴である」と悲痛な叫び声をあげたが、ベルダンの攻防にパリ中のタクシーを総動員したマルヌの戦いの決め手は、大砲や弾薬ではなく、ガソリンだった。

 また、一九一六年のコトランド沖大海戦は、ジェリコ提督のロイヤル・ネービーとフォン・シェアi提督の率いるドイツ艦隊の正面衝突となり、戦術的には、ドイツ艦隊の勝利となった。ところが、勝ったドイツ海軍はそれ以降北海に雄姿を現さなくなった。海戦技術や戦果の面で戦術的に勝ったのに、ドイツ軍は重油の補給がネックになって、戦略的に敗北した。

 同じ例はバルバロッサや日本軍のインドネシア戦線でも幾らでもあり、日本軍が仏印進駐をして日米交渉を破綻させ、石油の禁輸を受けて日米開戦に至ったことはよく知られている。また、中東をめぐるさまざまな陰謀や、アフリカや東南アジアの攻防戦など、すべての背後に石油があり、もし石油の可能性が東南アジアになかったならば、アメリカはあれほどまでにベトナム戦争に深入りしなかっただろうといわれている。


石油開発と軍隊

 石油の開発と生産を担当するアップストリームのオペレーションは、戦争における軍隊のオペレーションとよく似ていると思う。相手が敵でなく、競争の企業、大自然、政府、それに時間を相手にする点が異なるだけで、二四時間単位ですべてが動き、前線でのオペレーションをオンタイムで指揮し、補給し、作戦を練る点を考えると、石油開発のオペレTションは平和時代における総動員体制である。

 私はこれまでジオロジストとしていろいろ仕事をしてきたが、肩書の変遷を思い出すと、感慨深い。エリア・ジオロジスト、スタッフ・ジオロジスト、シニア・ジオロジスト、ディストリクト・ジオロジスト、ディビジョン・ジオロジスト、シニア・エクスプロレーション・ジオロジストといった具合である。

 私は思想的にも信条的にも軍国主義とは全く無関係だが、社長が総司令官で、エクスプロレーション・マネジャーが司令官と考えると、ジオロジストというのは参謀をやったり、指揮を担当するといえる。そういえぱ、スタッフは参謀であり、ディストリクトは旅団が扱う広さに当たり、ディビジョンはまさに師団に相当する言葉である。

 ということは、一国が石油開発と生産を担当する組織を持つことは、政治の道具としての軍隊を持つのと同じ意味を有すると考えられないだろうか。二〇世紀以前は軍隊は政治における最も有力な道具だったが、産業社会が高度に発達した現在は、石油開発を受け持った組織の方が軍隊よりはるかに大きな役割を持ち、国家の安全を保障するために役立っていると言ってもいいのではあるまいか。

 軍隊は破壊と殺敷を行動の中核にした暴力機構であるのに対して、石油開発は生産と建設を行動の中核にした、フロンティアに挑戦する開拓機構である。そして、軍隊が国家の安全を守るという名目の下に非生産的な浪費を続けるのに対して、石油開発は大量の出費はするが、それでも利潤さえも上げているのである。

 内部にいるとよく分かるが、石油開発には命令はなく、すべて下からのリコメンデーションに基づいて意志が決定するのに対して、軍隊はすべて命令であり、しかもすべて上からの命令なのである。ここに組織上の大きな違いがあり、同じピラミッド形の形態をとっていても、地方分権的な機能が強い石油企業と、中央集権的な軍隊の差になっている。その差は石油開発は非常に知識集約の著しい組織であるが、軍隊は労働力集約型の段階にとどまっているからにほかならない。

 軍隊はナショナル・コア(軍団)であるが、石油会社の多くはプライペート・コーポレーションであり、そうである以上、知識集約形のメリットを最大限に生かす上ではフリー・エンタプライズ方式でやるのが最も能率がいいのである。

 本来的な意味からすると、石油事業も軍隊も産業化の進んだ国民国家の安全を守る部門を担当しているということで役目上は対等である。しかし、二〇世紀も後半を過ぎ、産業化が高度に発達して、一国の安全が仮想敵国よりも石油そのものに死命を制されていることからすると、社会の安全を保障する上では石油開発事業の方がはるかに格が上であると思うのだが、いかがなものであろうか。


将来のエネルギー問題と石油

 エネルギー問題となると原子力がすぐに主役顔をするが、二一世紀までの二〇年間は常に石油が主人公である。途中で石炭のガス化や水素エネルギーの利用が実現するだろうが、それは石油のバリエーションである。今後一〇年問に限ると、石油がすべてのカギを握るのであり、エネルギー不足という事態の中で次に起こる石油危機のことが重大な政治問題を生むのである。

 石油危機にはいろいろな要因がつきまとうが、

 (1) 世界的な状況
 (2) アメリカの問題
 (3) 産油国の問題
 (4) 日本の問題

 という地理的な諸問題と

 (1) 石油価格の問題
 (2) 石油の支配関係とテクノロジー
 (3) 石油に代わるエネルギーの問題

 といった石油が内在する諸問題が区別できる。

 ここでは、最後の三つは割愛するが、ただ石油の値段が一九八○年代半ばには現在のさらに四倍か五倍の五〇ドル以上になると指摘しておく。

 もちろん、そのために石油危機だけでなく世界的な規模での経済破綻が起きるが、その点についてはあとで触れることにして、まずは地理的な諸問題を検討することにしょう。


世界的な状況

 国際政局における指導性は、次の五つのグループによって握られると思われる。影響力の大きい順に言うと、アメリカ、ソ連、産油諸国、ヨーロッパ諸国、中国、である。

 このうち中国とヨーロッパ諸国は急ピッチで石油生産を促進し、前の三つのグループに対して対等な発言力を持とうと努力するだろう。また合従連衡策もとるだろう。特に産油諸国と個別的に結んで、米ソのスーパーパワーに肩を並べる第三勢力になるであろうということは、その立場からすれば当然である結局はアメリカ、ソ連、産油国の三大勢力の動きが今後の問題の決め手になる。

 ▽アメリカ

 世男の総人口の一七分の一のアメリカ人が全世界のエネルギー消費の三分の一を使っているところに、アメリカのエネルギー問題の中心がある。しかし、アメリカが全世界のエネルギー源の四分の一を生産していることを考えると、たとえ消極的でも、エネルギー消費を抑える政策は重要である。そこに力ーター大統領のエネルギー政策の基礎があり、さらに代替エネルギTの開発が側面からポジチブな役割を果たすという戦略が生まれてくる。

 忘れてならないのは、世界の石油開発事業のほとんどがアメリカ人とアメリカ企業が担当しているという点である。このソフトウエアの威力は絶大である。しかも、アメリカの石油会社はすでに完全な多国籍企業化の移行を完成しつつある。地球を舞台に仕事をし、エネルギー産業にと脱皮への第一歩をも踏み出している。

 現在すでに国内消費の五〇%の石油が輸入で、これからその傾向が強まる一方だが、アメリカのソフトウエアはソ連を先頭に全世界が必要としているので、アメリカはこれを武器にして石油を手に入れ続けるだろう。

 石油が自然に湧き出すという状況は、すでに中東でさえ終わりの時期が来ており、第一次、第二次、第三次のリカバリーの技術なしには、石油輸出国機構(OPEC)も産油国であることをやめなけれぱならなくなる。

 それに、大陸棚の開発、構造性ではなく、層位性油田の開発といったこれからの決め手は、カナダと並んでアメリカはトップランナーである。アメリカはヨーロッパやソ連に一〇年、日本に三〇年、中国に五〇年も技術の差をつけている。このことからするとOPEC諸国はアメリカのソフトウエアがなけれぜ何事もなしえないのである。

 アメリカの問題は輸入代金と石油の浪費にあるので、一〇年というミクロの次元ではあまり心配することはない。人気が一五%落ちることを覚悟の上でエネルギー節約を打ち出した力ーターと、本物のソフトウエアを持つアメリカ人のことだから、近視眼的で無能なトップに手綱を取られ、ソフトウエアのない日本とは状況がまるで違う。

 ただ、マクロ的に言って、二一世紀が始まる前に代替エネルギーの本格的な開発が動き出さないと、アメリカもアウトになるのである。

 ▽ソ連

 石油の潜在的ポテンシャルという点では、非常に有望で、ぺースはのろいが、ロシア的な忍耐強さで、ゆっくりと石油大国として一二世紀の支配者になるだろう。現に、昨年以来石油の生産量では世界一の地位を誇っている。ただ、技術の遅れと、官僚主義による硬直と非能率を克服しないと、米中央情報局(CIA)報告が指摘したように、一九八○年代の半ばに石油輸入国に転落する可能性もなきにしもあらずだが、おそらく大丈夫だろう。CIAは仮想敵国の実力を常に過小評価する悪い癖をもっているのである。

 しかし、八○年代には、どうしてもアメリカのソフトウエアと開発用のハードウエアを導入しなけれぱならなくなる。当然、政策的にも、軍事偏重のぺースを修正し、石油開発の能力を使って、経済的な側面から世界政治に大きな発言力を確保するやり方を採用するであろう。大体、石油を武器にした政治という点ではソ連は世界一である。OPECなど足元にも及ばない。

 すでに西ヨーロッパは、赤軍を使わなくとも天然ガス・バルブを調節するだけで、いつでも制圧できる体制をパイプラインによって整えている。また、現在、中東、アジア、アフリカ諸国で組織的な石油開発の努力をしており、何万人というソ連の技術者が石油開発のトレーニング中である。

 八○年代には、これらの人材がシベリアや北極洋での石油開発にパイオニアとして活躍するだろう。彼らは日本人と違って、時間を味方にしているのである。

 おそらく一九八○年代後半には、北極洋には数百台のリグが稼働することになりそうだ。現在アラスカで数台、カナダの北極洋で数台、北海で六〇台のリグが働いているのに比べると、ソ連の北極洋に数百台のリグというのは壮観といえよう。

 まさに、八〇〇〇台の戦車、五〇〇〇機の飛行機、三〇〇万人の兵員を総動員して、ドイツの誇った五〇〇〇台の戦車の機甲師団を粉砕した、あのクルスクの戦いと同じスケールのものが動き出すのだ。それを考えると、開発途上国での撹乱工作による国際共産主義運動というのはたいして意味を持たなくなるだろう。ゲリラ的な役割しか与えられなくなるからだ。

 ▽産油諸国(OPEC)

 産油諸国の運命にとって最も重要なものはサウジアラビアとイランの敵対、それにこの両国が封建的専制体制をいつまで維持できるかということである。クーデターや革命は時間の問題で、八〇年代に現在の体制が崩壊するのはほとんど確実である。

 その時、OPECの結束力は低下するだけでなく空中分解して、石油危機が起こり、各国を痛打するであろう。


一九八〇年代の日本の石油事情への対策

 八〇年代に石油事情が逼迫し、危機的状況が生まれるのは確実である。

 それでは、どのように対処するか。日本の選択にはいくつかの道があるが、それを怠ると、日本の生存は根底から脅かされる。

 現在取りかかっておくのに早すぎることはないが、とりあえず考えうるものとして次のようなアプローチの仕方がある。

 (1) 石油確保の面、
 (2) 国内政治の指導性の復活の面、
 (3) 日本の国際化、
 (4) 石油開発での組織と人材。

 これらのものは、国の生存にかかわることなので、簡単に問題提起しておくので、一度この問題を日本中の知恵を集めて徹底的に検討してもらいたい。


(1) 石油の確保

 カネを払えば石油が手に入る状態は過ぎ去り、今後需給関係の逼迫に伴い、八○年代は石油をどうして確保するかが大問題になる。産油国の政府が持つDD(直接取引)石油の確保は日本の持つ

 資産と産油国の資産を直接に交換して持ち合うやり方が最上になるであろう(詳細は「日本丸は沈没する」=時事通信社刊=参照)。

 例えば三菱グループの資産の大きな部分をサウジアラビアに支配させ、サウジの油田の一部を日本が管理したり、三和グループとインドネシアとの間で資産交換をするのである。あるいは、もう少し大胆なやり方を採用して、新潟県や群馬県の統治権をリビア砂漠の一部やポルネオ島の一部と交換するのである(日本列島の分散化)。またアメリカの独立系石油会社を買収するのも有効である(「石油飢餓」=サイマル出版会刊)。

 三菱グループや芙蓉グループをどのようにテークオーバーするかについては、経済の専門家が知恵を出して最上のやり方を選べばいい。「財政投融資特別勘定」を作ってもいい。また「臨時特別補償基金」を設定してもいいが、国有化の道はストレートにしない方がいい。ただ日本の場合、公団や事業団が官僚の天下り先として完全に養老院化してしまい、機能が動脈硬化しているだけでなく、税金のバラまき合戦に際しての利権層になり果てている。

 政治力が劣った機構が利権層になり、制度化された権威として硬直化すると、劣勢遺伝と同じで弊害ばかりが現れる。この点で、旧本の頭脳を結集して計画の青写真を作るとともに、オペレーションに際しては外国のすぐれた、信用のできるコンサルタソトにマネージンク・フィーを払って監督させるのも一法である。日本の官僚機構の硬直化と利権は絶望的で国際社会の風を吹き込ませなければ窒息寸前だ。

 従来から続いている民間企業による石油買い付け業務は、危険分散と自由競争、それに小回りのきく機動性の面から継続すべきであろう。


(2) 政治の指導性の向上

 これは今さら言うまでもないことだ。人材教育と適材適所、それにプロとしてのパーフォーマンスを持った人間がリーダーになれる環境をつくって、国際舞台で十分にやっていかなければならない。上州連合だとか、日韓枢軸というような至って次元の低いものではなく、近代社会に通用する合理主義に徹した人間が、大量に必要である。

 日本には、もう少し訓練して磨きをかけてやれば、国際社会に通用する人間に脱皮できる人材がたくさんいる。修業の機会を与えてやるべきだ。それがまた、日本の知力を高めることになり、ソフトウエアを確保し、国力を充実させる最上のやり方なのである。


(3) 日本の国際化

 石油確保のために外国と相互乗り入れを通じて大量の人間が、外から日本に流れ込むことによって、現在の日本を支配している精神的鎖国主義を打破していくのである。

 日本の産業界、官界、アカデミズムが体質としての排他的機構をオープンなものに改め、しかも精神上も鎖国から開国へと大転換を成し遂げるのである。そうすれば、若い人も安心して国際舞台で活躍して、能力に豊かな色彩をつけることができ、しかも、国内に帰ってさらに自分の指導性を発揮しようということになり、日本と世界の水準が格差のないものになる。

 日本人が外国へ出掛けるだけでなく、自らの扉を開き、一流の外国人が喜んで日本を足場にして活躍できるような国内体制を整えない限り、日本は不良外人の巣窟として、グレシャムの法則の生きた見本を提供してしまう。


(4) 石油開発での組織と人材開発

 現在わが国に存在している石油会社を再編成することは急務だが、通産省の役人が考えるような和製メジャーというのは全くナンセンスである。組織が先に出来るのではなく、人材を育てて、それから組織作りをすればいいので、五人ほど優れたオイルマンがいれば、ある程度の組織は動かせるのである。その上で組織化のことを考えればいい。

 そこで一つ提案がある。こんなことは今までだれも言わなかったけれど、これは日本の将来にとってきわめて重要である。すでに述べたとおり、これからの時代は、石油事業の方が、軍隊よりもはるかに国家の安全に対して大きな貢献をする。そこで、現在の自衛隊を解体して石油開発事業として再編成できないかという点について、考えてみるのは意義があるのではないか。

 石油開発事業も軍隊もともに、一国にとって政治的に重要な道具である。しかも、機動性を伴った多くのハードウエアの利用とたくさんの人間の動員力が大きな役割を演じている。ともに有能な司令官、指揮官、参謀が必要だし、たくさんのテクニシャン・クラスの人間や下級労務者としての人力を必要としている。

 海上と航空の自衛隊の一部は、沿岸警備隊的な役割をもつ海上保安庁に吸収させ、陸上自衛隊の一部は、災害救助用救難部隊として警察の中に編入したらいいであろう。そして兵器、火器の大部分は解体して再生資源に利用したり、改造して土木機械にして使えぱいい。また、航空機、トラック、船の大部分は少し改造すれば、そのまま石油開発用に転用できる。その上、石油開発は耐久力のある若い人間を必要とする仕事であり、再教育して、世の中に役に立つ人間として、世界中で活躍させてやることが可能だ。

 それでなくても、日本はエネルギー多消費型の産業を抱えているのに、超エネルギー浪費型の自衛隊を維持していくのは不経済であり、エネルギー不足がくれぱ、一億総のたれ死にである。それがはっきり分かっているのに、この、物的、人的、経済的に資源の浪費をするやっかいなお荷物を手放さないのは余りにもバカげている。そこで、自衛隊をエネルギー生産業の組織に作り変えることは、日本が二一世紀に生き残るために有効であるばかりでなく、日本の真の安全のためにも寄与すると思うが、いかがなものであろうか。


次の石油パニックについて

 一九七三年秋の石油禁輸の結果、石油の値段は一挙に四倍になった。各国に与えた影響は大きく、特に消費国が受けた痛手は絶大だった。社会の後遺症は深刻で、人々は石油高騰の実感を膚で感じている。とはいえ、七〇年代はまだ安い石油の最後の時期に属しているのである。

 高い石油時代が本格化する八○年代半ぱには石油は現在のさらに五倍ぐらいの値段になる。簡単に安い費用で石油が発見できる場所は地上から段々と姿を消し、これからは大陸棚や極地という、膨大な経費のかかる場所で石油開発をしなければならない。石油の安い時代はもう戻ってこない。

 かつては中東などで二億ドル投資すれば、日産二万トンの油田地帯を開発できたが、同じ日産二万トンのオイルサンドのプラント建設には、その一〇倍の二〇億ドルが最低必要である。

 参考までに、日産一トンの石油を生産するのに必要な開発費用の投資額が少ない順序に並べてみると大体次のようになる。

 サウジアラビアーリビア型………三五〇〇ドル
 ベネズエラーナイジェリア型………九〇〇〇ドル
 インドネシア型………一万五〇〇〇ドル
 カナダーアメリカ型………三万六〇〇〇ドル
 北海型………五万ドル

 油田として経済的に成り立つ最低基準は場所によって異なるが、一日当たり一万トンか二万トンは必要だから、北海型だとどんなに安くても五億ドルのカネがいることになる。

 また、代替エネルギーのコストを石油換算すると、その投資費用は北海型の倍か数倍である。

 オイルサンド………一二万ドル
 石炭のガス化………一五万ドル
 原子力発電………二三万ドル

 これをみても、中東やアフリカの石油開発が少ない投資ででき、安い石油が得られる理由もはっきりする。


開発資金が足りない

 当然のことで、石油の値段は将来は原子力発電のコストに向かってスライドせざるをえない。アメリカのメジャー(国際石油資本)では八○年代初期に石油はトン当たり三万ドルになるという予想で投資計画を立てている。これは現在の三倍だが、私は四万ドルを超えると確信している。

 アメリカは七七年から八七年の一〇年間に毎年一〇〇〇億ドルの開発投資を行うし、またそれをやらない限り、一九八二年の時点でエネルギー危機を乗り切れなくなるといわれている。エネルギー開発費用が国防費とほぼ同じという点で、物足りないと思われるが、

 一九五〇年代の平均………二〇億ドル
 一九六〇年代の平均………四〇億ドル
 一九七〇年代の平均………一〇〇億ドル

 であったことを考えれば、ものすごい増加なのである。

 全米のtrue money(通貨、IMF基金)が二〇〇億ドルであり、near money(国債などの準貨幣)を含めて、全米で流通している資金総額が三〇〇〇億ドルであることからすると、年間一〇〇〇億ドルをエネルギー開発に使うことは大変な意味をもつ。、

 おそらく全世界では年間三〇〇〇億ドルの資金が使われることになるであろう。いくらインフレでも、通貨の絶対量がついて行けないし、IMF自体がフィクションである以上、フィクションは永続きするわけはない。

 流動資金が今のIMF体制では確保できないとすれば、エネルギー開発はできないということである。そうなれば、石油の需給関係の逼迫によらなくとも、資金の面でエネルギー開発計画は挫折し、石油危機はこの方面から始まる可能性が強い。


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