『史』 1980年44号

●対談●



早川聖vs.藤原肇



敗戦後の日本(1)


はじめに

米軍が進駐してきた当初、日本上層の実情がどんな風だったか。その知られざる体験を対談の形で、ここに発表する。体験をのべるのは早川聖氏、これを触発するのが藤原肇氏の役割である。
早川氏は敗戦まで外務大臣官房特別情報班に所属、英米班長として日本のブラック・チェンバーを統括した人である。戦後はジェトロのトロント代表等を歴任し、現在はカナダのカルガリー市で悠々自適の生活である。六十八才。
藤原氏は本誌読者にはお馴染みだが、構造地質学を専攻した理学博士。現在はカナダ、アメリカで資源開発会杜を経営する傍ら、文明論の執筆も旺盛である。四十二才。
この対談はカルガリー市の早川氏邸で行われたものだが、どこにも発表されていない貴重な証言である。(田々宮)





陛下のおぼしめし

藤原 早川さんは東条英機元首相が自殺して未遂に終った事件のことを、かなり特異な立場で知っているということですね。今日はその話題について聞かせてもらえたらと思います。まず東条英機が自殺した時点についてどうですか。

早川 自殺したのは一九四五年(昭二〇)の九月前半のある日でした。確か一一日です。自殺をはかったということで、ラジオですぐに報道があり、それで私も知った訳です。翌日に事務所がある横浜に行ってみると、東条大将は横浜にいるという話です。そして、時に早川君、あなたが見舞に行って来てくれないかという話がありました。

藤原 それは翌日だった訳ですね。

早川 翌日であったことは間違いありません。その話を私にしたのは鈴木さんでした。

藤原 鈴木さんというのはどういう人ですか。

早川 鈴木九万(ただかつ)さんで横浜の終戦連絡事務局長です。この間新聞を読んでいたら「終戦直後の幻のマッカーサー司令部」という記事があり、鈴木さんの話が出ていました。この人は水戸出身の外交官で、非常にまじめな人でした。

藤原 早川さんと同じ組織で仕事をしていたのですね。

早川 私の上司です。ローカルな一番上の上司だったのです。

藤原 その時の早川さんの役目と公式の肩書きは何だったのでしょうか。

早川 肩書きは外務事務官でして、仕事は終戦連絡事務局の連絡官でした。

藤原 事務局の本部は横浜にあったのですか。

早川 いや、本部は東京です。そして横浜には支局みたいなものが有った訳です。

藤原 でも当時は横浜の方が東京よりも、はるかに重要だったのと違いますか。

早川 そうですね。すべて横浜が中心だったといえるでしょう。横浜にまず委員会を設けアメリカ軍を相手にする事務局を開設したのは、マッカーサーが横浜にいたからです。横浜税務署や生糸検査所などの建物を接収して、そこを進駐軍の総司令部にしたマッカーサーは占領の指揮を取ったのです。そこで外務省も横浜で外交を行うことになりました。

藤原 半外交というか外交、内交半々ということですね。

早川 なにしろ無条件降伏をしたのですから、一番ひどい城下の盟ということで、外部のことをするには全く動きがとれなかったのが実情でした。第一、われわれの身分が一体どうなのかということも総てマッカーサー次第で、全く支離滅裂に近い状態でした。

藤原 外交がマヒ状態だったので、外務省も内務問題に似たことをしてどうにか生きのびたということになりますね。

早川 日本の政府が無条件降伏をしてしまった以上、一体どうなることか誰も見当がつかないのです。特に上にいけばいく程うろたえていて、まともな判断が下せないのです。

藤原 なにしろ、ついこの間までは鬼畜米英なんてことを云って、戦争政策の旗ふり役をしていた以上、トップ層の精神的空中分解は想像に絶するものがあったでしょうから……。

早川 そこで外務省でも一番ピンピンしていたアクティビな幹部が横浜に引越して来て、マッカーサーの対応に当ることになった訳です。

藤原 それでは明治維新の神奈川村の現代版ということで、砲艦に組み敷かれた外交の再現ですね。

早川 そういうことです。メンバーの最高責任者は鈴木公使でして、当時の公使という地位は大変偉いのです。

藤原 大使のすぐ下にいる人ですから、当然重要な役目でしょう。

早川 しかも、今の公使とは格段に違う役柄なのです。

藤原 戦前の中華公使をやって箱根で暗殺された佐武利公使の活躍ぶりなどからすると、公使といっても大使以上の仕事を担当したといえるでしょうね。

早川 あの場合には、日本は中華民国と正式に大使を交換していなかったから、公使は大使と同格でした。

藤原 そういえばロンドンの林公使とかモスクワの栗野公使とか、明治時代の在外公館のトップは全部公使ですね。

早川 その後になっても、正式な国交関係が切れている国の場合は公使ということにしていたのです。ところで、その鈴木九万さんはエジプト公使から帰って来て本省にいたのです。

藤原 それで公使は大使とほとんど同格ということが分りました。

早川 たてまえ上は公使は勅任官ですが仕事は大使と同じで、特命全権公使でした。鈴木さんはエジプト公使をやっていて、エル・アラメインの戦闘の時にロンメル将軍の側がてっきり勝つと思っていたところ敗けてしまい、つかまってしまったというエピソードもあったと聞いています。

藤原 それで日本に帰って来た訳ですか。

早川 日本へ送還された次第です。

藤原 そして外務省で仕事をしていたら敗戦になったので、終戦連絡事務局長として転出し、マヅカーサーの取りつぎ役として、指令や交渉の取りもちを担当することになったのですね。

早川 鈴木さんは曽て儀典長をやっていました。外務省の儀典長であったということは皇室と非常に関係深いことでもあります。だから皇室についての重要事項が横浜で決定するかもしれないということで、鈴木さんに局長としての責任が与えられ、横浜に派遣されたと私は考えていました。

藤原 それで鈴木局長が早川さんに東条のことを云ったのは、午前中ですか午後ですか。

早川 午前中です。実は宮内省から届けものがあって、果物ひと篭だけど、とりあえずこれを持って陛下の……

藤原 御名代として行って欲しい、ということですか。

早川 御名代とは云いませんでした。陛下のおぽしめしで御見舞を持って来たが、東条はどうであるか、という御下問をお伝えして欲しいとのことでした。

藤原 それなら、結局は東条さん加減はどうですか、と云えば役目は全部済むことじゃありませんか。

早川 その通りです。そこで、どこに東条がいるのかと聞いたところ、横浜駐屯軍の話によると、横浜国民学校が第四二臨時野戦病院に指定されていて、そこに収容されているということでした。そこで、とりあえずは任務を果そうということで、私は役所の自動車にのって一人で出掛けました。

藤原 果物ひとかごを持ってですか。

早川 リンゴをひと篭です。



アイケルパーガーと直談判

早川 リンゴの篭をかかえて行ったのですが、学校の入口に番兵がいて簡単に中に入れてくれないのです。もっとも相手の立場からすれば通してくれない事情も分るのです。ネクタイもつけないで、変な国民服みたいなものを着て、帽子も無かったので戦闘帽をかむっていたのですから、衛兵がうさんくさがるのも無理ありません。

藤原 別に正装して行った訳ではないのですか。

早川 そうじゃありません。理由はすこぶる簡単でして、毎日国民服を着て仕事に通っていたのですから、それが普通の姿だったのです。

藤原 同じ姿の日本人が至るところにいる以上、番兵がとがめ立てするのは無理もありませんね。

早川 それに私は紹介状も何も持たない状態で、立ち番の兵隊と押し間答が続きました。

藤原 怪しまれても仕方がないですね。

早川 私は木っ葉役人としての任務がありますから、託されて来たものは何が何でも届けてしまおうと考えて、必死でした。こうなると人間は意地になるものでして、万難を排してもこれを届けなければいけない、そして東条先生の顔を見届けなければ死んでも帰れないという気分に支配されてしまったのです。

藤原 おそらく悲痛な顔で中に入れてくれと頼んだことでしょうね。その光景がありありと思い浮ぶようです。でも番兵の方でも必死になって、この得体の知れない国民服を着て英語を喋る日本人を押しとどめていたように思いますよ。おそらく白いヘルメットをつけた黒人兵か、ハイスクール出たての若い白人兵と組み合せれば名場面が再現できます。

早川 こっちはそれどころじゃありませんでした。病院は立ち入り禁止になっているとか、是非入らなければならないと云っているところへ、偶然なことにアイケルバーガーが来合わせたのです。

藤原 彼は確か第八軍の司令官でしたね。

早川 そうです。第八軍司令官の中将で東部日本全域の占領軍の最高位置にある司令官でした。当時は第八軍が東部日本で、西部日本は第六軍が統轄して、こちらはクルーガー中将が一番上の親方でした。

藤原 それではアイケルバーガー中将の出現は最高貴任者の自らのお出ましということですが、野戦病院視察となると、矢張りジープで乗りつけたのですか。

早川 ジープでした。一行は二〇人くらいでジープ六台を連ねてやって来たのですが、どういう訳か学校から大分離れたところに車を停めて、ぞろぞろ歩いて来ました。それも威風堂々と近づいて来ましたが、今でもはっきり憶えていることは、カガトまで届きそうなデッカイ外套を着てた点です。

藤原 それじゃあ、例の草色のコートですね。

早川 ダブルだったように思います。季節は秋だったからレインコート風だったような気もします。

藤原 戦争犯罪人の容疑者に隷捕命令が出たのは確か九月一一日ですから、早川さんが東条の見舞いに行った日は先刻云われたように九月一二日でしょう。

早川 無条件降伏の日からちょうど一か月<らいでしたから、私は寒いとは思わなかったしコートも着ていませんでしたが、アイケルバーガー先生達はコートを着てたのが印象的でした。

藤原 きっと正装だったのでしょう。

早川 それでアイケルバーガーのそばに大佐がいたので、その大佐の所へ行って私はちょっと話をしたいと云って、じか談判に及んだのです。副官や部下達が私のまわりを取り囲んでワイワイ云い合っていると、アイケルバーガーがなんだなんだと云って割りこんで来ました。

藤原 変な恰好の日本人が部下を相手に渡りあっているから気になったのでしょうか。

早川 そこで私は大佐から話を転じて、アイケルバーガー中将閣下自身に対して、直接談判に及んだのでした。私は外務省の一小吏にすぎないのですが、この託されたものだけはキャリーアウトしなければならないので、何が何でも通してもらって東条さんのところまで行きたいのだと訴えた訳です。

藤原 でも、相手はそう簡単には承知しなかったでしょう。

早川 そこで、行っちゃいけない、逢ってはならぬというのはどういう訳です、日本人である私が日本人の東条に逢ってはいけないというのはどういうことか、その理由をうけたまわりたいと迫ったんです。

藤原 特に天皇の名代としてね……

早川 そう、天皇のメッセージを託されているんだと云ったらば、それでは一緒に来なさいと云われて、そのままズカズカと学校の中に入ってしまったのです。そこで私は鉄砲を持った番兵にザマアミロと云わんばかりの顔をしてアイケルバーガーに従って校舎に入ったのです。

藤原 相手が第八軍の司令官では番兵もどうしようもありませんね。

早川 でも流石はアメリカ人で、番兵は私にウインクしてから直立不動の姿勢でわれわれを見送ってました。

藤原 そのウインクの仕草というのが、また何ともいえないユーモラスな味があるじゃないですか。実に人間味がありますね。

早川 心にゆとりの無いコチコチの人間ばかりを作って、兵隊を馬以下に扱ったから日本は戦争に敗けたのですよ。

藤原 全くそう思います。

早川 それから二階の病室に案内されました。それで、時にこれから東条将軍に逢わなければならないし、私の口から天皇のメッセージを伝えなければならないことになったのですが、よく考えると実は何もないのです。

藤原 手紙も何も無しですね。

早川 終戦連絡事務局で鈴木さんに云われた伝言だけで、別に紙に書いたものをもらって来たわけではないのです。

藤原 宮内省だってあわてふためいていて、まともなものを用意できたわけではないでしょうから……

早川 とにかく目的は、東条が生きているか死んでしまったかを、確認したかったのではないかと私は感じていました。

藤原 宮内省や外務省では当時の状態からすると、情報も何も全く手に入らなかったでしょうから、まず生死いずれかであるを知りたかったと思われます。

早川 全く日本の上層部は重臣も閣僚トも一体自分が何をしているのかさっぱ』り分らないほど取り乱していて、国中が大混乱してたのです。なにしろマッカーサーが厚木に来てから二週間も経っていないし、東京湾内の戦艦ミズリー号の上で隻脚の重光外相が降伏文書に署名して調印式をあげてから、十日くらいしかたっていない時のことです。全くひどい時に東条さんは自殺をはかったものですよ。あとに残ったものこそ大いに迷惑ですし、その跡始末をするにしても、全部が進駐軍の管理下でしょう。

藤原 ダルマみたいに手も足も出ない状態だったのですから……

早川 全くそうです。それに重臣や閣僚にしても、自分で見に行く訳にもいきませんし、聞いてまわっても誰も詳しいことは知らないでしょうからね。

藤原 なんと云っても、皆が変なかかわりあいを持つのを懼れていたと思いますよ。

早川 それに気の小さな連中ばかりで、いざとなると腰ぬけ同然です。誤解されてどういうことになるか分らないという思惑も手伝って、すべて責任の所在が分らないのです。

藤原 そうでしょう。

早川 それでもペイベイを派遣する訳にもいかないというので、おそらくは、早川という男は端くれでも高等官には違いない、ということで白羽の矢をたてられてしまったのでしょう。

藤原 タライまわしのお鉢がまわって来て、高等官なら嫌な役目を押しつけても問題ないと決ったのですかね……



頭に白い包帯

早川 いずれにしても首尾よく私は東条大将の病室にたどりつくことが出来た訳です。どんな容態かと思って半ばおそるおそる室内を眺めました。すると小さな体をくの字に曲げてベッドの上に寝てました。あの時東条さんが非常に小さく見えたのは不思議な印象としてよく憶えていますが、部屋の隅に置かれたベッドで壁の方を向いて捻っていたのです。

藤原 ウンウンうめくようにですか。

早川 とても苦しそうな息遣いでした。それから私が東条閣下と云いましたら聞こえないふりをしてるんですね。

藤原 重態で聞こえなかったのではありませんか。

早川 事によるとそうだったのかもしれません。しかし私には体を動かすのがたいぎなので、知らん顔を装ったように思えたんです。暫く捻るのを止めて息を殺したみたいな感じがしたからです。

藤原 矢張り聞こえなかったのでしょう。

早川 こっちも総てが意地でやっていることですし、しかも半ばヤケになっていました。だから腹の底から大きな声を出して、東条閣下、おそれ多くも天皇陛下が……と云ったら……

藤原 大いに驚いたのではありませんか。

早川 そうでしょう。東条先生はベッドの上にガバッと起き上ってしまったのです。

藤原 それはすごい。ものすごい威力ですね。

早川 そこで、閣下、お起きにならなくても結構です。お疲れのようですから、ただお伝えを申し上げるだけにします、と云ったのです。

藤原 意識はどうだったのですか。

早川 眼はぼんやりとしてましたから半分朦朧としてたのではないですか。そこで、気分はどうであるかとの陛下のお尋ねでした、と云うと、相手はウンウンと捻ってまた横になってしまったのです。ウンウンだけで返事はありませんが、生きていることははっきり確認できました。しかも声は出るし半身でも起せるので、これは大丈夫だと思いました。もっとも頭は大きな白い包帯をしていてこれは頭を射ったのだなと一瞬考えました。

藤原 コメカミをピストルで狙って失敗したということですか。

早川 ところがコメカミからストレートに入らずに、弾丸が頭蓋骨に沿って曲ったらしいのです。

藤原 銃身が上に向いてたのでしょうか。

早川 反射的に上にはね上ったとしか考えられませんね。大体、短銃は発射の反動で銃身がそります。それで頭皮と頭蓋骨の間を弾丸が半回転して止っていたのを、進駐軍の医者が摘出したということらしいのです。

藤原 でも、ピストルの弾がそんな近距離で止るものですか。不思議ですね。

早川 だから頭の皮を刃物で切って怪我をしたのと同じような状態になってしまったらしいのです。

藤原 でも重態で意識も朦朧としていたとすれば、可成りの怪我だった訳ですね。

早川 出血は相当量ということだったらしいです。顔などは灰紫色でゲッソリしていて、とても見られたものじゃありませんでした。

藤原 でも、僕が前に読んだ本によると、東条は心臓を撃って自殺を企てたと書いてありましたが、それでは頭を射ったというのが真相だったのでしょうか。

早川 私が見た限りでは頭だったと考えざるを得ません。心臓なら死にますし、あんな具合に半身を起せるはずがありませんよ。それに肺に穴があいていたとすれば、あんな声ではなく、もっとヒイヒイといった感じの音になっていると思います。

藤原 そう云われると信じるより他ありませんね。なにしろ早川さんは日本人として最初の目撃者だし、証人でもある訳ですから。

早川 それに胸部にホウタイがしてあったような記憶は全くないのです。もっともシーツと毛布にくるまっていたし、首から下を注意して見た訳ではありませんから、事によると胸にも一発お見舞いしてたかもしれませんな。

藤原 もしそうだとしたら、憲兵司令官あがりで陸軍大将の東条英機は、およそ射撃の腕前が悪かったということになりますね。

早川 まさか自分の身体に弾丸をうちこむ練習はしてないでしょうから、今さら下手さ加減を噴ってみても仕方ないでしょうけどね。

藤原 それでどうしました。下賜品ですが……

早川 そうです。それから付き添って来た将校に品物を渡しました。そして、この見舞品はとにかくこういう目的で、日本では偉い人が病院にはいると宮内省からこうした物が届くことになっているので、ひとつ適当に使って欲しいと云ってあづけた訳です。

藤原 宮内省から来たものというのは、天皇から来たものと同じ意味にあたるのですか。

早川 同じでしょうな。宮内省という所は意志を持たないのですから。同じだと考えるべきでしょうね。なにしろ宮内省は天皇の台所ですから。

藤原 なるほど、そんなことですか。

早川 そうしたら、そばにいたオーストラリア軍の軍医大佐が、品物は一体何であるかと聞いたので、私は普通のリンゴだと思いますよと答えたのです。

藤原 それじゃあ付き添って来た将校だけでなくて、医者を含めて何人もの人間が一緒についていったのですね。

早川 医者だけでなく看護婦もいました。それに日本人の私を完全に信用していた訳ではありませんから、将校の他に下士官も何人かついて来ました。

藤原 考えてみれば当然の措置かもしれませんね。

早川 しかし、アイケルバーガーは私とは一緒に来ませんで、別室におさまってしまいましたが、私がどんなことをやったかを全部報告うけたのではないかと思います。

藤原 宮中からの使者ということで注目したでしょうし、第八軍司令官としての彼の病院訪問の目的は東条に逢うことではなくて、東条を死なせないで生かして退院させるために野戦病院長を督励することにあったのではないかという気がします。

早川 私自身も何となく眼に見えない不思議な力で半ば観察半ば監視されていたという雰囲気を感じていました。だからリンゴの篭もさっき将校にあづけたと表現しましたが、実際のところは取り上げられたという気分の方が強かったのです。

藤原 それで果物の篭はどうなりました。

早川 すぐに合図がありまして、看護婦が容器の中からリンゴを取り出しました。それがベラボウと形容したらいい大きなリンゴでした。

藤原 幾つ入っていたのですか。

早川 十二くらい入ってました。リンゴも大きかったけど篭も大きいものでした。そしたら取り出したリンゴをひとつ持って看護婦がその部屋から出て行ったのです。

藤原 東条に渡す前にピソはねしてお毒見と称して味見したのでしょうか。

早川 そこまではやらないでしょうが、実はあの時私も驚いてしまったのです。そこでリンゴを一つどこへ持ち去ったのだと尋ねたら、軍医が、ちょっと調べたいので栄養士に見せたいのだ、と説明してくれました。

藤原 しかし変ですね。

早川 だから、勝手に一つ抜き取って持っていってもらったのでは、お見舞品である以上困ると文句を云いましたら、患者にはリンゴを丸ごと食べる力はないので、あとでジュースにして飲ませるとの話でした。

藤原 アップル・ジュースですか。

早川 そう。それは親切で有難いことだと礼を述べて、私は帰って来ましたが、あの話は一応それだけのことだったといってもいいのではないかと思います。

藤原 それで終戦連絡事務局に報告したということで総て終りですか。

早川 そんなことです。鈴木さんに東条閣下は健在であると報告しました。怪我はしているが治療はすでに終って目下療養中であると復命した訳ですよ。

(以下次号)


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