故ウォルター渡辺の霊前に『 KZP ( Koizumi's Zombie Politics )』を奉げる縁起を思う

藤原肇 (親友の一人として) パームスプリングス在住

 渡辺さんが亡くなったことのショックは大きく、失ったものの価値の大きさを痛感する点では、ロスの日本人の多くが噛み締めているはずであり、渡辺さんの正義感と情熱の強さと大きさの点で、彼は日本人コミュニティーで突出する存在だった。奥様を始めご家族の悲嘆の気持ちは察するに余りあるが、ご家族に続いて故人と多くの時間を共有できたのは、渡辺さんの持つ人柄と包容力のお陰であり、「月に一度か二度は泊りがけで来ませんか」と誘われ、そんな関係がこれまで二十数年も続いた。

 渡辺さんと最初にお目にかかった時のことだが、出たばかりの『日本脱藩のすすめ』(東京新聞出版局)を贈呈したら、パラパラとめくって奥付を見たとたんに、「これは真野じゃないか、彼は中学の同級生だ」と彼らしい叫び声を上げた。真野さんはかつてベイルート特派員として、ナセルのスエズ運河国有化の時に、スクープ記事を書いた辣腕記者であり、彼が定年直前に情熱を込めて出したのが拙著で、出会いの本を渡辺さんの同級生が作っていたのも因縁だ。しかも、この不思議な縁起は最後まで続いて、渡辺さんが亡くなる数時間前に話題にしたのが、大往生の数時間前に日本で出た拙著だった。だから、日本のゾンビ政治を扱ったこの本は渡辺さんの霊前に供えるだけでなく、共に埋葬して天国でゆっくり読んでいただき、「どうにか間に合った」と思って慰めに替えたいと思う。

 渡辺さんの行動力と不正を憎む正義感は、ロスの日米文化会館をめぐる疑惑に対して、真相追及の署名運動の先頭に立った事実が証明する。利権の巣窟になった日米文化会館の清浄化のために、生命力をすり減らして活躍した日のことは、まるで昨日の出来事のように思えるほどだ。若者たちは知らん顔をして横切っていくのに、渡辺さんを始め70代や80代の老人たちが、ミツワ・マーケットの前で署名を集めていたので、私はそれに感動して取材活動を開始して、50人以上に取材して調査報道にまとめた。「ロスの日米文化会館騒動に見る日系コミュニティーの混迷」と題した記事は、日本の経済誌『財界にっぽん』2002年11月号に掲載されたが、ロスのメディアで取り上げた所はなかったが・・・。

 それでも渡辺さんは大いに喜んで下さって、仲間の日本人有志たちを集めて午餐会を主催し、皆で喜びを分かち合う親分気質を発揮したが、彼はいい意味での連帯感の実証者であった。それはアメリカに密航してアムハースト大学に学び、日本人留学生として第一号の学士になった、新島襄の薫陶を受けた同志社精神の発揚であり、誰にでも愛される気配りの出来る騎士道精神の持ち主として、ロスの日本人コミュニティーへの貢献という意味で、彼は真の「無冠の王者」に属すリーダーだった。

 生前の渡辺さんが最も残念に思っていたのは、時代遅れの大国意識から抜けきれないまま、日本が刻一刻と亡国現象を強めて行くことで、周辺諸国から取り残されているのに日本人が気づかずに、カネの亡者になっているという国内事情。そして、日本の腐敗とカネ儲け主義がロスにも伝染して、日米文化会館は相変わらず利権の巣窟だし、アメリカで真に尊敬される日本人が少なくなり、一流国民として扱われなくなったアメリカ事情。こういったことが誇り高い渡辺さんには耐えられず、請われれば自ら講演者として檄を飛ばし、その度に疲れたといって横になりながら、「未だ死ぬわけにいかない」と奮い立っていた。こうした渡辺さんを月に一度か二度の割合で見て、何とかしてあげたいと思って組み入れたのが、最初は『ゾンビ政治の解体新書』と題してまとめた本であり、その中にロスの日本人コミュニティーの現状についての記述だった。

 「ゾンビ政治」なんて変な題だと首を傾げていたのに、そのうち「小泉政治は藤原さんの言うとおりゾンビだよ」と言うようになり、渡辺さんは本が出るのを心待ちにし始めたが、選挙のために出版が遅れに遅れた上に、最後の段階で出版社の営業政策のために、題名が『小泉純一郎と日本の病理』になってしまった。自分の本の題名に精神異常者の名前はダメだと言って、私と出版社の間でもめにもめたが、旭屋のマネジャーの話ではこの題名で出版予告が届いたという。また、そのうち出版妨害があるという情報が、インターネットの上を飛び交い始めるようになった。しかも、渡辺さんの血圧が低下して元気がなく、最後に訪問して泊ったのが亡くなる一週間前で、日本から届いたカラー版の表紙を見て、渡辺さんは「ゾンビの表紙だ」と苦笑したから、「出たら届けますよ」と激励したのだった。

 その五日後にインターネットの情報の中に、出版の前日に横浜の書店で買ったとあり、渡辺さんに電話して無事に出たらしいと伝え、来週行く時にお届けすると言ったら、「仲間に上げたいから宅急便で十冊欲しい、皆で久しぶりに集まりたいから」とのことだった。

 だが、日本で出版されたその日の朝に奥様からの電話で、渡辺さんが大往生したと知らされた私は、この本の誕生は渡辺さんの再生であり、出版妨害の身代わりになったように感じて、この本を故人の棺の中に入れたいと痛感した。 世界中で活躍する日本人の私の読者たちが、「宇宙巡礼」という名のサイトを開設しており〈http://fujiwaraha01.web.fc2.com/〉渡辺さんもその一人として書き込みをしていたので、私は『渡辺さんが亡くなったので葬式に行く」と書いたら、日本からメールやファックスが大量に届き、「掲示板」にはこんな警告のメッセージまで書き込まれた。

 「22 名前:ある読者 投稿日: 2005/10/26(水) 07:38:49  藤原さん、葬式に行くなどと不用意に書いてまずいなあ。もっと自分の身の安全を考えて欲しい。昨日の「日経」に新著の広告が大きく出たので、ある筋では問題になっているのだから、用心しなければいけないと知るべきではないか。連中はいくらでもヒットマンをやとえるのだから、もし葬式の前にこの記事が目に触れるならば、出席は控えたほうがよりよいと思うけれど。余計なお世話にならないことを祈りたい。」

 もっと厳しい忠告もあってロスの友人に相談したら、ロスは予想外のことがありうるので、用心のために出席を控えたほうがいいし、本は自分たちの手で故人と共に埋葬すると言われた。事件が起きて会場が混乱するのを避けるために、代理をお願いしたが、この本が渡辺さんの生まれ替りならば、代理埋葬で故人の冥福をお祈りしたい。なを、本の内容は次の通りである。
  http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/books/koizumi.htm

 2005年10月27日 ウォルター渡辺の遷化の日            

合掌

語録
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